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久米島

Category: 久米島   Tags: 久米島  

2024年2月10、11、12日2泊3日の久米島旅行に出かけた。勿論初めての久米島だ。
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去年に行った渡嘉敷島同様、とまりんから船で久米島を目指す。(一般的には那覇空港から飛行機で)
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チケットは並んでその日購入した。(6560円往復。要滞在日数&宿泊先記入用紙有り)
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とまりんには船内で食べる用?にと、手頃価格のお弁当が沢山売っている。
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▼今回は久米島の足としてスクーターを積んで行った(7240円往復)
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乗船して定刻出航。渡名喜島経由で3時間半の船旅だ。
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▲今は無人の前島を通過。
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▲慶良間諸島を通過して。
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▲渡名喜島に寄港。
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久米LINEの船内は広くて快適。
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▲ひときわ大きな島(久米島)が見えてきた。
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久米島兼城港に定刻到着
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兼城港旅客待合所 
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久米島は海洋深層水や久米島の久米仙などの水物。
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久米島味噌、久米島味噌クッキー、車海老の養殖日本一。
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先ずは先人達に旅のご挨拶と慰霊から。
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戦時中、久米島には海軍の電探基地があり、鹿山正海軍兵曹長を隊長に27名の日本軍が駐屯、鹿山部隊は上田森公園と
なっているこの広場に部隊本部を置いていた。
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沖縄戦の組織的な戦闘が終わった6月26日、米軍は久米島のイーフビーチから上陸したが、那覇で捕虜になっていた久
米島出身の海軍兵、仲村渠明勇(なかんだかり・めいゆう)さんがアメリカ軍の久米島上陸計画を知り、自ら案内役を
志願。悲惨な戦闘を避けるため、山に隠れていた島の住民たちに投降を呼びかけて回ったお陰で、戦闘は無く、艦砲射
撃も受けず島の景色は保たれた。(3/25慶良間諸島米軍上陸以来、久米島も米軍機の激しい空襲はうけていた)
昭和20年5月3日夕刻、久米島西南海面六海里沖合にて神風特攻隊の突入で、米大型艦6隻轟沈が久米島から目撃され、
毎日の様に続く特攻を【涙無しではとても見ていられなかった】と、渡辺憲央(元陸軍2等兵)は語っておられる。
※渡辺憲央陸軍2等兵 6/20頃、喜屋武岬から5~6名でクリ舟に乗り沖縄本島を脱出、久米島に流れ着いた幸運な元
日本兵で、仲村渠さんとも面会、説得に応じて米軍に投降した久米島の捕虜第1号(兵士として)。捕虜となって10日目
に再び沖縄本島の屋嘉捕虜収容所に送られている。屋嘉の収容所で鹿山隊長を見た時、スパイ容疑で虐殺の仕返しとし
て久米島出身の兵や一部の部下に暴行を受け、一か月程寝込んでいたという。仕方ないかもしれない・・・(私感)
鹿山隊長の8月20日まで続く逃避行動中の残虐行為は【久米島事件】として戦後も語り継がれている。
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島を救った英雄のはずの仲村渠明勇さんは、駐屯する日本軍部隊にスパイとみなされ、家ごと焼かれて死亡している。
米軍は昭和20年6月27日には島の最西端の具志川村に侵入。28日には上田森公園にも星条旗を掲げた。
そして7月1日から山中へ逃げた日本軍の掃討作戦を展開。2日に武装した浜川村長が戦死している。
5日PM小港で戦闘。米兵4~5名、日本軍戦死2名(内田兵曹、義勇隊員仲宗根寿戦死)。久米島の唯一の戦闘だった。
9月1日勅語を奉持した日本将校1人那覇より来る。山の日本軍残兵に降伏を命ずる。これにて鹿山兵曹長は役場で勅語
を奉読し米軍人同伴にて去り、更に陸軍残部隊の集合を待ち、来る6日字仲村渠に於いて米軍の処置に従う旨談合する。
9月2日PM役場で両村の区長集合。米軍と鹿山隊長、常信号長、航空少尉3名列席、降伏調印して全て終わる。
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▲2022年時点で創立140周年を迎える歴史ある久米島町立大岳小学校(元西銘小学校)
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慰霊が終わったら腹ごしらえ。島で有名な車海老そばを食べに【笑島】へ。
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車海老そば、最高でした。
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▲店の裏庭にはパンダの様な柄の看板ヤギの2匹が。
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▲店の裏庭からの眺め。目の前は東シナ海。遠く向こうに慶良間諸島は見えない・・・沖縄本島までは100㎞
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次は久米島そばかな。
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▲沖縄本島では丁度終わったばかりの寒緋桜が満開。
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▲久米江島ホタル館
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▼ホタルが沢山いたこの場所が荒地になって放置されたのを、自然を生かしながら復活させ。
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▼▲慌てずじっくり土地にに無理をかけずに二〇数年かけて自然に戻し。
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今では川には海老、クメジマボタルが戻る戦前の風景を復活させた館長ご夫妻の努力に敬意を表したい。
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▲▼ホタル館の寒緋桜。南国の桜の背は低く、台風に強い。
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▲▼君南風殿内
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▲久米島製糖工場
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▲航空自衛隊久米島分屯基地正門(分屯基地敷地内に戦時中の防空壕が残るが当然立ち入り禁止・・・)
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戦時中は久米島守備隊であった鹿山隊の兵舎や監視所があった場所だ。
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▲日本一早いお花見スポットだるま山園地より航空自衛隊久米島分屯基地を望む。
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昭和20年頃、米軍のレーダー基地(久米島航空通信施設))となり、昭和48年航空自衛隊に移管され現在に至る。
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       ▲米軍のレーダー基地当時の米軍の新隊員用手引き書(1970年)
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▲久米島で一番高い場所(標高310m)にある宇江城城跡を目指す。
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▲航空自衛隊久米島分屯基地裏門。
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宇江城城跡
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▼宇江城城跡三の郭より航空自衛隊久米島分屯基地を見る。
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▲宇江城城跡一の郭より航空自衛隊久米島分屯基地を見る。
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見渡す限り東シナ海
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▲▼久米島灯台。この灯台には気象測器を設置しており、気象情報の提供をしている(風向・風速・気圧)
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続く➡執筆中



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名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見に如かず」現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
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 2024_03_21


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2024年2月24日(土曜日)金武町にある米軍施設、キャンプハンセンのフェスに初めて行ってきた。
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キングタコス(本店)などがある国道329号線沿いのGATE2から基地内に入る。
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キャンプハンセンは金武町から名護市、宜野座村、恩納村まで続く恩納岳を含む広大な面積の米軍訓練区域。
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1997年実弾砲兵射撃訓練はアメリカ本土へ移転。2008年より陸上自衛隊も同施設内で訓練ができるようになった。
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沢山の人が並んでいた。
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身分証明書の提示、厳重な手荷物検査をしてもらってから基地内へ。
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先ずは米軍基地の定番EXCHANGEへ。フェスの時にしか入れないEXCHANGEの中には、フードコート、お土産屋、
散髪屋からスーパーまで。販売している商品がほぼ米国製なので、まるで海外旅行をしているかの様な気分になれる。
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働いていらっしゃる方達は全て日本人なので、日本語で大丈夫だ。
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ただ、支払いはカードが無難。日本円だと時価レート計算だし、最悪お店側がお釣りが無い事もあるので・・・。
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▲以前は解放していたが、最近は米軍関係者しか買えなくなっている。本国から直輸入で安かったので残念・・・。
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基地によって若干入っているお店が違うようだ。キャンプハンセンで初めて見る店もあった。
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▲EXCHANGEを後にする
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お気づきの方もいると思うが、入口(GATE2)からけっこう歩いて来ている。
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去年3月末頃から運用を開始している、沖縄自動車道金武ICから直接基地に入れる新メインゲート(GATE1)から
会場までの送迎バスが往復していたが、利用するチャンスを逃してしまった。次回は新メインゲートから行こう。
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▲基地内にはキリスト教会が多いが、最近はアメリカ人でさえ信仰する人が減ってきていると言う。
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▲やっと会場に到着。再度手荷物検査を受けて会場内へ。
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時間通リに到着したので、客もまばらでまだ空いていた。
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入った事の無い施設が解放されてたので、トイレがてら内部へ。
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日の丸が中央にレイアウトされてあったのが何か安心した・・・。
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1945年2月23日、日本軍が必死に守ってきた硫黄島の摺鉢山の頂に、米海兵隊が星条旗を掲げた写真が中央。
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この日は営業していなかったがカジノもあった。
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▼基地の名称は沖縄戦で戦死し、名誉勲章に叙されたデール・マーリン・ハンセン海兵隊二等兵にちなんで命名された。
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ハンセン2等兵が合衆国名誉勲章を受けた戦功は、1945年5月7日、Hill60(60高地)での戦闘で、頑強に抵抗して多
大な損害を与えている日本軍陣地に、自らの危険を顧みることなく単独で肉迫し、手榴弾を投げ込み、機関銃を射ち込
んで第1海兵師団第1海兵連隊第2大隊E中隊を救った事だった。正しく合衆国名誉勲章の授与基準「戦闘においてその
義務を超えた勇敢な行為をし、若しくは自己犠牲を示したアメリカ軍人」の通りの戦功だった。しかし、ハンセン2等
兵は、続くWana Ridge(大名高地)の戦闘で、日本軍の狙撃兵によって射殺された。合衆国名誉勲章は1946年5月
30日のメモリアルデーに西部地区の担当者から両親に贈られ、遺骸は当初沖縄の海兵隊墓地に埋葬されていたが、19
48年に生まれ故郷のネブラスカ州ウィズナーに改葬されて合衆国に戻っている。このように、沖縄島の在日米軍基地の
名称は合衆国名誉勲章を受けた兵士の名を取って命名された基地がほとんどである。
※【60高地での戦闘】1945年5月6日第1海兵隊は、東に回って、安謝川入口近くの高台を確保するため、まず浦添村
屋富祖南東から1キロほど離れた小高い丘の60高地めざして進んでいった。任務は困難をきわめた。60高地は、浦添の
沢岻、首里の大名高地、また安謝川の南にある高台地の日本軍砲兵陣地から、すっかり見通せるところにあった。
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▲▼60高地の北西斜面を攻撃する米軍(昭和20年5月11日米軍撮影)
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▼当時の浦添村「大名高地の戦闘」昭和20年5/13~14日頃米軍撮影
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キャンプハンセン・・・・・・デール・マーリン・ハンセン2等兵
・キャンプゴンザルべス・・・・※ハロルド・ゴンザルべス1等兵
キャンプ・シュワブ・・・・・アルバート・アーネスト・シュワブ1等兵
・キャンプマクトリアス・・・・ロバート・ミラー・マクトリアスJr2等兵
・キャンプコートニ―・・・・・ヘンリー・アレックス・コートニ―Jr少佐
・キャンプバトラー・・・・・・※スメドリー・バトラー将軍(後に反戦運動家)
・キャンプフォスター・・・・・※ウィリアム・アルバート・フォスター1等兵
・キャンプキンザー・・・・・・※エルバート・キンザー伍長
沖縄戦で名誉勲章を受けた海兵隊員は10人いるらしいが生き残ったのは8人(※のついた人物は生き残った人)。
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▲建物を出てフェス会場へ。
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大分人が増えてきたので売り切れる前に腹ごしらえ。
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▲▼定番の軍用車両の展示
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円安傾向がツラいところ・・・。
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綺麗なお姉さんが販売するチキンは、何とも言えないアメリカンなスパイスが効いてて最高だった。
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アメリカ直送のジュース類は1本300円
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▲米軍基地内でしか買えない【このピザ】を買う為だけにフェスに来る人も多い。
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日が暮れると人がグンと増えて来た。
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ラッパーのカイル(Kyle)のステージが始まる頃には最高潮。
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ラップには興味は無いので、少し聞いてから混む前に帰路へ。
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国道329号線沿いのGATE2(元GATE1)金武町繁華街も、最近は少し賑わいを取り戻しつつあるようだ。
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▼ここからは、別日に訪れた金武町GATE2(元GATE1)前や、金武町の名所や観光地をご紹介。
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▼この頃はまだGATE1だった一昨年。
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昼間は店も閉まっているので閑散としているが、夜は米兵達でに多少賑わう。
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▼いつも混んでるキングタコス金武町本店
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▲億首川の河口から約3km上流地点に米陸軍工兵隊が昭和36年に建設した利水専用のダムを日本政府が再開発、建設
コストの削減や環境負荷の低減を図るため、世界初の台形CSGダムとして着工。建設時の名称は億首ダム(おくくび)で
あったが、地元からの要望で米軍と供用開始する平成26年4月に金武ダムへ名称変更された。
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▼▲奇跡的に戦災を免れ、戦前の姿を残す金武観音寺
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▼終戦後、金武観音寺を視察する米軍高官
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▼シフォンケーキが人気で、2016年に開催された「第2回アントナン・カーレムグランプリ パリ美食コンテスト」で
作ったエクレア、「VOGUE」が見事エクレア日本一を勝ち取ったお店【パティスリー モンクレア(MONT CREA)】
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▼金武観音寺すぐ横に「征露記念碑」がある。日露戦争(1904年(明治37年)~1905年(明治38年))の戦勝記念
に建立。石碑に裏には日露戦争に出兵、そして戦勝し凱旋した地元出身兵士の名前が刻まれている。
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▼フィリピン移民の父。大城孝蔵の銅像(明治14年2月10日〜昭和10年10月30日)
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1910年代、十代の頃より移民に興味を持ち、早くから移民研究を始めていた大城孝蔵(おおしろこうぞう)は23歳の
時に當山久三に勧められフィリピンに移民監督として旅立ちました。後にミンダナオ島ダバオ市で沖縄県出身の移民を
多く呼び寄せ、マニラ麻栽培で成功を収めダバオ市の発展寄与しました。1916年には約1万人の日本人が居住し、その
内7割が沖縄県出身者でした。フィリピン移民に一生を捧げた海外雄飛の立役者で、ダバオ市の開拓に命を捧げた大城考
蔵の名はバゴセロ(バゴ・オーシロ)の地名となり残されています。その偉業を讃え、2004年に上ヌ毛(ウィーヌモー)
公園に銅像が建立された。
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▼當山 久三(とうやま きゅうぞう)の像(1868年12月22日(明治元年11月9日)- 1910年(明治43年)9月17日)
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當山 久三は沖縄県における海外集団移民事業の主導者として知られ、「沖縄海外移民の父」と称される。移民政策に情
熱を注ぎ、1899年(明治32年)に沖縄県から初めてハワイへ移民を送った。自身も2回目の1903年(明治36年)に
引率してハワイへ渡り、その後南北アメリカ、ハワイへ多数の移民を送り出した。
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▼▲【金武鎮魂碑】金武に駐屯していた第22震洋特別攻撃隊(豊廣部隊)の戦死者74人の御霊が祀られている。
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昭和20年1月26日、日本海軍震洋特別攻撃隊は部隊本部を興亜会館(現・金武公会堂)に置き、金武の前の浜を前線へ
の発進基地として、日々激しい攻撃訓練が展開された。昭和20年3月末、米艦沖縄接近に伴い、同隊は幾度となく敵艦
に攻撃を加え、多大な戦果を挙げた。米軍上陸後は陸上戦へ移行、北部山中に立てこもり、夜襲を敢行、しかし、戰うに
武器なく、食もなく、次第に多くの戦友が尊い生命を絶っていった。この碑は、隊長・豊廣稔外、生存戦友の尽力によっ
て建立された。
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▲第22震洋特別攻撃隊の特攻艇震洋と秘匿壕
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▲第22震洋特別攻撃隊秘匿壕は、戦後長らく放置されていたが、このバイパス工事の際に取り壊されている。
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▼▲金武町教育委員会の駐車場で眠る航空機のエンジン。(教育委員会で尋ねても何のエンジンか良く解らないとの事)
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▲金武火力発電所の工事の際、海中から引き揚げられたそう。どなたかご存じの方、ご教授下さい。
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▲米軍金武レッド・ビーチ訓練場 (Kin Red Beach Training Area)
2隻の揚陸艦を停泊させる護岸があり、山手にある巨大なキャンプ・ハンセンと一体で使用され、物資や兵士の移動に
使われている。また、少人数の夜間上陸訓練や航空機火災訓練なども行われ、海兵隊がオーストラリアの民間会社と契
約した高速船が多く停泊していることでも知られている。
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 2024_03_05

伊平屋島

Category: 伊平屋島  

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今回も、伊是名島と同様、運天港からフェリーに乗る。(往復4720円+環境協力税100円)
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定刻11時出航、運天港を後にする。
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古宇利水道を通り、1時間20分の船旅。伊平屋島を目指す。
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▲伊是名、伊平屋島が見える。
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伊平屋島が近づいてきた。
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▲昭和20年6月3日米軍、伊平屋島に侵攻。伊平屋島に特攻機対策の為の長距離レーダーと、日本本土攻撃のための海
空基地を設置する為であった。米艦艇が特攻機による攻撃で大きな被害を出し続けていることから、特攻機の飛来を察
知できる長距離レーダーと戦闘機指揮所が設置できる適切な場所を調査。その結果、鳥島、粟国、伊平屋、久米島の占
領が必要であると決定されていた。
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▲▼昭和20年6月3日伊平屋島に侵攻する米軍
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前泊港に到着。右奥に映る大きな岩は【虎頭岩】だ。
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伊平屋島ポートターミナルは現在工事中で、使用されていなかった・・・。
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▲今回の宿泊先は前泊集落にある【ホテルにしえ】 食事も美味しく、アットホームなホテルだった。
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▲▼シヌグ堂
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チェックインを済ませ、昼食をとる為に先ず向かったのが【蔵そば】
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沖縄本島で、伊平屋島へ行ったら食べたほうが良い食べ物に「味噌汁定食」を聞いていたので、早速あって感動!
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▲限定5食の5食目だったという事は後で聞いたが、これが最高に美味しかった。伊平屋島に行かれた際は是非!
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沖縄そばもつまみ食いさせてもらったが、間違いない味だった。聞けば、沖縄本島名護市にある有名店幸ちゃんそば
店主と同級生らしく。名護にOPENの際、手伝いに行っていたとの事。流石、美味しい料理を出すお店同士って感じ。
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▲伊平屋村役場
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先ず向かったのは、伊平屋村役場の裏手にある慰霊碑。
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伊平屋島出身者で、日露戦争から大東亜戦争(太平洋戦争)までの戦没者を慰霊する碑。
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観光前に、しっかり手を合わせて慰霊し、感謝の念を伝える。
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▲慰霊碑から見上げる【虎頭岩】
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▲【虎頭岩】付近で休憩を取る米兵。米軍上陸時撮影
沖縄戦が終盤にさしかかった昭和20年6月3日午前、伊平屋島南東沖から米軍の艦砲射撃と空爆が始まった。
(砲撃による伊平屋島民の犠牲は47名)
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▲昭和20年6月3日伊平屋島を目指して侵攻する米艦隊
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▲▼昭和20年6月3日伊平屋島に上陸する米軍(同士討ちにより、海兵隊員2名死亡、16名負傷している)
※上陸部隊の頭上から味方の艦砲が落ち、戦車も何十台と潰れていたと言う。同士討ちは空しい・・・。
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数時間に及ぶ射撃の後、島の中央付近から上陸が始まった。艦砲射撃と機銃掃射で40人余の住民が命を落とした。日本
軍の基地は伊平屋村内に無かった為、住民は米軍の上陸はないものと思い込んでおり、上陸は予想外であった。その為、
米艦船が伊平屋島に接近した際には、多くの住民が日本軍と勘違いし、海岸近くへ見物に集まっていたという。
米軍上陸時に住民は抵抗しなかったため、戦闘はその日のうちに収束し、2日後の6月5日には島の北部の田名地区に全
島民(約2500人)が収容され、米軍2万人が上陸した。
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▲白旗を揚げて投降する住民達
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昭和20年5月には沖縄本島の状況を分析し、上陸があった場合は白旗を上げて降伏することを島内の集落代表者同士で
取り決めていた。実際の上陸時には、住民は大混乱したが、概ね取り決め通りの行動をした。
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▲米軍が鹵獲した牛と子ヤギ。島には日本軍は配備されていなかった為、戦闘も無く終わった。
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米軍の駐留は昭和20年11月まで続き、その間に島内の最北端部にレーダー基地(現在の伊平屋灯台)、中央部(前泊)に
は飛行場を設置、クマヤ洞窟を弾薬庫に、比謝部落は飲料水取り場にするなど戦時本土上陸体制を整えていた。
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住民が田名地区に強制収容されている間、駐留米軍は、藁ぶきの家屋は焼き払い、瓦屋根を兵舎に代用。石垣などもブ
ルドーザーで壊して平地にしていたという。
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11月下旬に米軍は伊平屋島から本島へ引き揚げたので、住民はそれぞれ住んでいた集落に戻り、家屋の建て直し
など復旧に取り組んだが、米軍が撤退した伊平屋島では、弾薬庫として使っていたらしい場所土地に家を建てたある
家族は、不可解な病状で次々と亡くなるという不可解な事が起きていた。それは米軍が戦死者に塗る為のヒ素を捨て
ていったからではないか。と言われている。
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▲▼昭和20年6月8日伊平屋島に繋がる野甫島付近で米軍が撮影。水上偵察機「瑞雲」の様に見える。
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奄美大島の古仁屋を中継基地とし、沖縄への夜間攻撃を毎晩のように繰り返した「瑞雲水上爆撃隊」と思われる。下記
で紹介する伊井さんは、おそらく瑞雲水上爆撃隊の飯井敏雄海軍少尉の事と思われる。奄美大島の古仁屋基地から250
kgの爆弾を搭載して沖縄に向け出撃した海軍4抗戦641空「瑞雲水上爆撃隊」飯井敏雄少尉(当時22歳)の水上偵察機
「瑞雲」が、米軍機の攻撃を受け日本軍が守備していない野甫島付近に不時着。部下と海上を漂い2人で伊平屋島を目
指し約30㌔を12時間かけて泳いだが、伊平屋島約800m手前の永良部岩近くで力尽きていたところを、浜辺の島民達
に助けられ、4時間後に蘇生。九死に一生を得た。救助された飯井敏雄少尉はその後終戦翌年に故郷に戻る事になった
が、助けてくれた伊平屋島の方に少しでも恩返しがしたいと、定年を期に野甫島で暮らすことを決意、奥さんと2人で
移住している。野甫島の丘の上に住居を構え、島民の交流の場としてその場所を開放していた事、戦争の犠牲となった
かつての仲間を慰める為、慰霊塔『雲流れる果てに』と刻まれた慰霊塔を庭に建てた。
慰霊堂横の石碑には以下の言葉が刻まれている。

命(ぬち)どう宝
1945年 日本は戦に敗れました
健康で英知に富む若者たちは
海軍航空隊を志願し 散ってゆきました
彼らは 自分の未来に 何を夢見たでしょうか
日本の未来に 何を夢見たでしょうか
地球の未来に 何を夢見たでしょう
1990年 飯井 敏雄 書

このように、特攻機の墜落や不時着を目撃、救助や埋葬をした島民も多くいる。
当時、国民学校の教員っだった比嘉幸雄さんの証言では、「伊井さんと、篠崎さんという将校も私の家に居りました。こ
の二人は特攻隊員です。あの頃の特攻機というのは、非常に哀れなもんでした。私も若くて、怖さもわからんでよく見物
に行ったもんですが、特攻機が飛んできてやられるのを五、六回見ましたよ。見ちゃおれないですね、あれは。護衛機も
何もつかんで、超低空一点ばりで一機とか二機とかやってくるんです。いつも西海岸の方でしたね。見ていると、アメリ
カのグラマンが上の方から襲い掛かってくるんです。こっちは機銃も何も持ってないですよ。ただ、突っこめの態勢で重
い爆弾をかかえてブルンブルンとやってくるんです。無蔵水のところの高い岩山のところ、あそこから小さく見えてきて、
来たかと思うとすぐグラマンにおさえられてしまうんです。逃げまわるだけで、西から東へ島を横ぎっていくと、山にい
る私らの所とに米軍機の薬きょうがパラパラ降ってきたりする有様です。変な言い方ですが、あれはもう戦さではないで
すね。実に気の毒なもんでした。私の知っている範囲で、田名の周辺だけでも、特攻隊員の死体が四体あがっていますね。
飛行機が撃墜されて、遺体が浜にうちあげられてきたんですよ。防衛隊なんかが埋めたりしましてね。伊井少尉は、特攻
機が撃墜されて、それでも幸い命拾いしてこの島に助けられた人です。伊井さんは、飛行機が野市と島尻の間に撃ち落さ
れて、人事不省になっているところを、村民がサバニを漕いでいって、みんなで助けたわけです。
篠崎さんの場合は、ちょうど米軍上陸の前の日ですからよく覚えているんです。上陸が六月三日ですから、落ちたのは二
日の夜になりますね。プロペラがブルンブルンと聞えてきたんですが、これは落ちるな、とはっきりわかるんですよ。も
のすごい低空で島の上空を二回旋廻しています。後で、これは篠崎さんから直接聞いたんですが、村では燈火管制をやっ
ているんですが、その頃はまだのんびりしているもんですから、上空から見ると明りがチラホラしているわけです。
ここには確実に村があるんだと、ここに落ちると住民に迷惑をかけるんだと考えて、三回目の旋廻のときに西側の海に、
そこには部落が全然ないですから、そこの海の方へつっこんだわけです。無蔵水の海の方です。うまく不時着をして、荷
物なんかも背負って、暗い海を自力で泳いできたんです。(徳之島から出撃した第433振武隊の篠崎孝則少尉)
翌朝、最初に迷ったお爺さんは、漂準語が通じないもんだから、篠崎さんをアメリカ兵だと思ったんだそうです。ペコペ
コおじぎなんかして、助けてくれと言っているわけですね。それから日本の兵隊だと分かって、ここから北へ三キロばか
りのところに、今は廃村になっているヒジャという部落があったんですが、そこへ連絡に来たわけです。そこでみんなで
迎えに行って、新垣さんというところの家に泊めた訳です。ところが、翌日はもう米軍上陸でしょう。この人は色も特別
白いし、足に合う靴も何もないですから、アメリカ兵に見つかったらすぐバレてしまうはずなんです。それで、みんなが
山から降りてくる時、この人達は山へ残して、ずっと隠れていたんです。私らは前泊に収容されて、そこで二日過ごして
から田名に移されたわけですが、そこでアメリカには内緒で、みんなで探しに行って一晩は私の家にかくまって、次の日
からあっちの家に移して、みんなでかくまっていたんです。篠崎さんとか伊井さんとかは、頭が低くて、ここの料理でも
何でも食べてくれるし、仕事も部落民といっしょに全く同じように働くし、すっかりみんなの中に溶け込んでいました。
部落の人達も、自分の息子と同じ位に大事にしていましたよ。だから、二人のことが発覚して、アメリカの兵隊が連れに
来たときは、みんな泣き別れしているんですよ。ちょうど旧正月の元旦でしたがね、お酒のせいもあってか、みんな泣い
て送ったものです。アメリカに捕まったら、もうどうなるかわからんと思っていたもんですから。

沖縄本島からここへ逃げこんできた海軍の兵隊達がいたんですよ。これは、聞いたんですが、名前は教えませんでした。
五、六名一緒でした。この島(伊平屋島)の出身で、海軍に行っているのがおって、この人を水先案内にして前泊に着いて
この部落にやってきたんです。すぐ上の方(裏)にはアメリカ兵が駐屯しているもんですから、わかると大変な事になりま
すから、一晩は床下に寝て、その後も村民が協力してかくまっていたんです。この人たちは階級もはっきりしませんし、
武器は浜に埋めてあると言うんですが、他には何も持っていません。指揮官もいない、まったくの敗残兵ですよ。
沖縄本島の軍にも連絡できないし、完全に軍の指揮系統から離れていたと思います。篠崎さんやら伊井さんなんかが、私
の家にいた菊池さん(国民学校教員の皮をかぶった特務機関の人)に連絡にきて、菊池さんは野市からサバニを頼んで報告
に行こうとしたんですよ。ところが、まわりはみんなアメリカ兵ですから、どうにも動きがとれないわけです。そのうち
八月十五日になって、アメリカの兵隊達が終戦になったと言って騒いでいるもんだから、本当に終戦になったかどうか、
与論島まで情報を取りに行っています。すると、間違いなく戦争は負けたんだということが分かって、それでここからサ
バニを出して与論島に脱出して行っています。その少し前のことですが、私の家の裏座で、菊池さんを囲んで、この敗残
兵達がみんな集まって相談をしているところを私も聞いていました。敗残兵の彼らが言わく、岬の電波探知機に総員で斬
込みをかけよう、という訳です。浜に武器は隠してある、これを使ってやろうと主張した訳です。これに反対したのが菊
池さんと伊井さんでした。今そんなことをやれば村民がまきぞえになってしまう。兵隊がそういうことをやるのは当然だ
が、村民を犠牲にすることは絶対にいかん!、と反対したわけです。すると、海軍の兵隊達が言うには、国頭から来た護
郷隊がやったという風に見せかけて、全員白タスキをかけて斬込めば住民に迷惑は及ばないだろうと、こうなんです。菊
池さんはあくまでも反対して、そんな単純にはいかない、今ここで我々がそういう行動にでるならば、島中が報復を受け
るに決まっている、と判断した訳です。菊池さんは、米軍が上陸してきて、住民が投降していく事も何とも言いませんで
した。村民に助けられて、親子のようなつき合いをしていた訳ですから、何も命令がましいことは言えなかったんだと思
います。もうどうにもならないんだと、状況判断が正確だったんだと思います。もし、この連中が斬込みでもやっていた
ら、この島は大変な犠牲者が出ていたはずですよ。結局は全く無抵抗で、これといったトラブルもなく、十一月二日には
米軍は引揚げていっているわけです。菊池さんなんかが米軍に連れていかれたのは、それからずっと後のことです。」

※8月15日最後の【宇垣特攻】宇垣纏海軍中将率いる海軍「彗星」による特攻。
アメリカの有名な年鑑であるワールド・アルマナック(World Almanac)の1946年版に1945年8月15日の戦争日誌
の項に「終戦の通報12時間後に2機の特攻機が沖縄本島北方30マイルの伊平屋島に突入した」と書かれていた。
一方、当時伊平屋島を占領していた米第2海兵師団第8戦闘団の記録には「日本機1機が伊平屋島に突入し爆発した。そし
て2機の日本特攻機が伊江島に突入した。施設に被害はなく2名が負傷した」とある。
昭和20年8月15日伊平屋島には予備学生13期の飯井敏雄海軍少尉と学徒出身の特攻隊員篠崎孝則陸軍少尉がいた。
飯井海軍少尉は撃墜され、篠崎陸軍少尉はエンジン不調で海上に不時着し、伊平屋島に泳ぎ着いていた。2人は名前を変
えて島民に匿われていた。その篠崎氏の証言は以下の通り。
「八月十五日、わたしは野良仕事を終えて止宿先の井戸で水を浴びていた。薄暗くなった空を聞きなれぬ飛行機の爆音が
聞こえたと思うと、前泊の米軍キャンプの方向に爆発音が聞こえ火柱が立った。続いてもう一本、すぐに特攻機の突入と
直感した。港には数隻の輸送船がいたし、キャンプでは灯をつけて米兵たちが終戦を祝って西部劇さながらの大騒ぎをし
ていた。その騒ぎも突入と同時にぴたりと静まった。翌日前泊キャンプに労役に出た人が何人かやってきて状況を伝えた。
遺体が二つあり、一人は飛行帽に飛行服だったが、もう一人は予科練の七つボタンの様な服を着て、パイロットには見え
なかったと聞いた」
飯井氏の証言は以下の通り。
「その日は爆発の轟音を聞いただけだったが、翌日潮の引いたサンゴ礁にぶつかってバラバラになった特攻機の尾翼を見
た。私は元来は彗星のパイロットです。だから機体が彗星だということはすぐ分かった。尾翼に七〇一の数字も見えた。
あぁ鹿屋の部隊だなと思った。二、三人の米兵が飛行服も着て靴も着けたパイロットを引きずっていたが、どうして遺体
が原形を保っているのか不思議に思った」

この2機に宇垣中将自身が含まれていた事を立証するには、3人乗りで、1人だけ飛行服でなく、第3種軍装を着用してい
た事が決め手になる。今の所、この二条件を確認した目撃者がいないので、これ以上は憶測に任せる他はない。
【最後の特攻機】(中公文庫)によると、意外に冷静に敗戦の日を迎えた宇垣一成大将は、8月19日の日記の中で、同族
の一員として、宇垣纏の戦死を言葉少なに悼んでいる。
「国民の大多数は意気消沈、一部には興奮の人もあり、いずれともに平静を欠きあるが現状なり。自刃、焼き討ち、殺傷、
籠山、猪突等を各所に見る。好漢、纏も、多数部下の死跡を追うていさぎよく戦死をとげたり。壮なりというべきや」
纏の兄ともいうべき宇垣莞爾海軍中将は、纏戦死の最後をしのび、海軍軍人としてよき死に場所を得たものと思うと語る
のみで、あとは沈黙を守っていたという。
昭和20年(1945)8月15(16)日「宇垣特攻」 大分基地より「彗星」11機で出撃「終戦(敗戦)後16日」
※「宇垣長官の出撃が16日であることは大分では誰でも知ってる」と話す人が居る様だ。
 これを裏付ける様に、豊の国宇佐市塾発行の「宇佐航空隊の世界」に、中津留大尉が宇佐航空隊
 で教官をされていた当時の話や、8月16日に沖縄に向かって出撃した事が記されている。
 当事の関係者は、命令に従って突入した隊員を「戦死」と認めさせる為、8月15日突入として発表し
 たものと思われる。

山本五十六司令長官搭乗の一式陸攻がブーゲンビル島上空で撃墜された時、別の一式陸攻でからくも助かった宇垣纏中
将は「自分もいずれは後を追う」と心に決めていたのだろう。昭和20年(1945)8月15日早朝、宇垣 纏中将は自ら最
後の特攻を行うべく、艦上爆撃機彗星を5機用意するように部下の中津留達雄大尉に命じる。
正午、天皇陛下の玉音放送を聴くも決意は変わらず「戦藻録」最後のページを書き終えた後、自ら中津留大尉の操縦す
る彗星に座乗し、合計11機で沖縄沖に向かって大分基地から離陸する。
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写真では軍服の中将の階級を示す襟章が外されていた(高官が死地に赴く時には、階級を示す物を外す習慣があった為)
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▲出撃前に撮影された宇垣 纏中将
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▲「宇垣特攻」に使用されたのは彗星43型
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▲彗星に乗り込んだ宇垣中将、左から中津留達雄大尉/遠藤秋章飛曹長/宇垣 纏中将
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夕刻、沖縄県伊平屋島海岸付近に米軍が張っていたテントのすぐ近くに、1機の彗星が墜落した。中からは操縦士と思わ
れる若い将兵1人の他に、飛行服ではなく、階級章のない第三種軍装を着た壮年1人の遺体が収容された。
出撃前の写真から判断して、これが宇垣の乗っていた彗星だった可能性が高い。しかし墜落状況は、動くことも反撃する
事もない目標を前にしてわざわざ特攻を行わなかったようにも見え、操縦していた中津留大尉が停戦命令を死守すべく意
図的にテントを避けたとする説や、特攻の意味が無くなったと思い山本五十六の短刀で自決したとする説もある。
但し、これらの遺体が宇垣たちであると日本側によって公式に確認されたわけではない為、正確な死亡場所は現在も不明
とされ「敵艦に突入した」と説明する資料も存在。出撃した彗星の通信記録も残っている。
18:30磯村堅少尉機より「敵水上部隊見ユ」という電文が入電、その後すぐに「突入」という無電が入る。
19:24宇垣中将搭乗機より宇垣中将の決別電(遺言)が入り、20:25「ワレ奇襲に成功ス」との入電が入っている。
他の機からも突入電が入っているが、11機の中で突入と認められたのは、宇垣中将搭乗の中都留機、伊藤機、北見機、
池田機、内海機、磯村機、中島機、吉田機の8機とされている。残る3機の内2機はエンジン故障の為鹿児島県内に不時着。
最後の1機は沖縄上空まで到達したが、敵艦船を発見できず陸上部隊に爆弾を投下した後、燃料不足で不時着したと言う
この記録は当日7機の特攻機がアメリカ艦隊の艦船に向かって突入してきたというアメリカ側の無線を、日本側が傍受し
ているとの事で信憑性はあるかと思われる。
宇垣 纏中将は、ポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行った為、戦死とは見做されず大将昇級は無い。
むしろ、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第三十一条に抵触していたのではないかとする意見が多い。
但し、玉音放送を正式な「停戦命令」と解釈できるかどうかを巡って見解が分かれている。例えば秦郁彦は8/16、16
時に発せられた大陸命第1382号および大海令第48号を正式な停戦命令としている。
また、玉音放送後の出撃でいたずらに兵を犠牲にしたとして、遺族の非難を浴びる事にもなった。
連合艦隊司令長官小沢治三郎は、「自決するなら1人でやれ、若者を巻き込むな」と激怒したと言う。
「特攻の生みの親」大西瀧治郎中将の様に自決は1人でも出来る為、これは弁明にはならないとも思われる。
弁明を入れるなら、特攻作戦に関与した海軍中枢部の将官クラスで、「オレも後から必ず行く(死ぬ事)」と言ってそれ
を実行したのは、宇垣と大西瀧治郎中将だけである。
玉音放送後の宇垣 纏中将の心理状況については、なお検討する余地はあるかもしれない。
上記の問題点により戦死者(あるいは殉難者)とは認められず、現在靖国神社には合祀されていない。
尚、この部隊の指揮を取った中津留大尉の父親は、戦後或る作家のインタビューに対し「何故宇垣中将は息子を連れて行
ったのでしょう」と歯を食いしばりながら答えたと言う。その後中津留大尉の遺族によれば、晩年の父親は宇垣の行為を
「仕方のない事」として受け入れる心境に達していたと言う。(NHK 城山三郎追悼特集より)
既に戦争は終わり、天皇の玉音放送もあり、海軍総隊から戦闘停止の命令が出ていたにも拘わらず、部下に特攻機の準備
を命じ、これから日本の再建の為にがんばってもらうべき若者を道連れに出撃・・・。
もし成功していたら停戦協定違反に怒った米軍の報復爆撃で死ななくてもいい日本人が更に沢山死んでいた事だろう。
(米軍の記録では8月15日の沖縄方面の特攻攻撃で輸送船(艦)1隻が被害を受けたとの記録があるそうだ)
隊長の中津留大尉は若妻と生まれたばかりの子供を残しての出撃だった。中津留大尉は1人息子で、父親は「海軍は息子
を返してくれ」と泣いたと言う。この様に宇垣 纏中将の道連れになって16名の若者が終戦後に無駄死にした。
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[操縦]▲中津留達雄大尉(海兵70期)/[偵察]遠藤秋章飛曹長(乙飛9期)/宇垣 纏中将
[操縦]後藤高男上飛曹(丙飛 )/[偵察]磯村堅少尉(生徒1期)
上記2機は、伊平屋島の砂地に突入、爆発炎上
[操縦]伊東幸彦中尉(海兵73期)[偵察]大木正夫上飛曹(乙飛17期)※親族女性(吉田さん)が調査中
[操縦]山川代夫上飛曹(丙飛 )/[偵察]北見武雄中尉(海兵73期)
[操縦]池田武徳中尉(学生13期)/[偵察]山田勇夫上飛曹(甲飛11期)
[操縦]渡辺操上飛曹(甲飛11期)/[偵察]内海進中尉(学生13期)
[操縦]松永茂男2飛曹(特乙1期)/[偵察]中島英雄1飛曹(乙飛18期)
[操縦]藤崎孝良1飛曹(丙飛 )/[偵察]吉田利一1飛曹(乙飛18期)
[操縦]前田又男1飛曹(丙飛 )/[偵察]川野良介中尉(学生13期)不時着
[操縦]川野和一1飛曹(乙飛18期)/[偵察]日高保1飛曹(乙飛18期)不時着※日高1飛曹のみ戦死。
[操縦]二村治和1飛曹(甲飛12期愛知県出身)/[偵察]栗原浩一2飛曹(甲飛13期)不時着
※「8月15日の特攻隊員」(新潮社)の著者、吉田紗知さんは大木正夫上飛曹のお身内の方。
「最後の特攻出撃」に参加されて生還された二村治和 元1飛曹の証言  
私は谷田部航空隊で赤トンボをやり、宇佐航空隊で96艦爆と99艦爆の操縦教育を受けた。この時の分隊長兼教官が「宇
垣特攻」の指揮官として出撃した中津留大尉である。海上自衛隊鹿屋基地の資料館にその遺影が飾られている。
ふっくらとした温顔の士官で、私は特に可愛がってもらった。最後の出撃に際して、私を2番機につけてくれたのである。
昭和19年11月、飛練を卒業した私は明治基地の210空に赴任した。ここで、彗星艦爆(33型)の操縦員として錬成訓
練を開始した。実家から近かったので、訓練飛行のたびに我が家が無事かどうか確認することができた。
鹿児島県の国分基地に進出したのは、昭和20年3月末である。中津留大尉も少し遅れてやってきた。出撃の機会は2回あ
ったが一度は中止、1度は屋久島の上空まで進出した時、「引き返せ」の命令を受けた。6月に再編成のため、美保基地
まで後退した。私物はほとんど国分基地に残したままである。後輩甲飛13期生出身の栗原浩一2飛曹とペアを組んで、
近くの隠岐島~米子基地~美保基地のコースを飛んで訓練を行っていた。7月始め頃、中津留大尉に率いられて大分基地
へ向かった。大分基地上空に着いたのは夕方5時頃であった。着陸寸前のことである、前方の1番機がいきなり機首を起
こして急上昇していくのが見えた。私もハッと気づいて急上昇して離脱した。全く突然という感じで、グラマンF6Fに
襲撃されたのである。私は目の隅で3番機が別府湾に落ちていくのを見た。耶馬渓の上空まで退避し、時間を見計らって
引き返した。敵機は引き揚げたらしく、ようやく着陸することができた。その後も頻繁に空襲を受けた。そのため、飛行
機は掩体壕に隠したまま温存され、飛行訓練は止むなく中断して待機する日々が続いた。
8月14日の夜、珍しく中津留大尉が下士官宿舎に一升瓶を下げてやってきた。「今夜はひとつ、皆であるだけの酒を飲ん
でしまおうや……、貴様たちも取っておきを出さないか」大尉からそんなことを言われるのは初めての事である。
一斉に歓声を上げながらそれぞれ秘蔵の酒を持ち出し、20名程が車座になって酒盛りを始めた。大尉は酒には滅法強い、
いくら飲んでも酔った様子はなくニコニコ笑っていた。私は酔い潰れて、いつ寝たか全く覚えていない。
「出撃命令だぞ」と、揺り起こされた時は既に午前9時を過ぎていた。素早く飛行服を着込んで、宿舎に迎えに来たトラ
ックに乗り込んだ。「これは特攻だ!ついに来るべきものが来た」と、私は感じた。
トラックが飛行場に向かう途中、 積んであった陣太鼓を打ち続けた。心の昂ぶりを押さえかねて撥を叩きつけた。
海軍橋の袂で道路作業をやっていた、甲飛の後輩たちが「先輩頼みまーす!」と、トラックを追いかけ、涙を溜めて口々
に大声をかけてきたのを覚えている。飛行場には10時頃着いた。
「搭乗割」の黒板を見ると、2番機に私の名前があった。中津留隊長機に続く2番機の指定である。私は少なからぬ感激と
優越感をおぼえた。12時出撃とのことで待機していたが、そのうち出撃命令はなぜか解除され、「そのまま待機せよ」と
指示された。私達は指揮所に近い裏川の土手の上に行って昼飯の赤飯の缶詰とパイ缶を食べた。正午に、天皇陛下の重大
放送があった事については何も聞かされなかった。午後何時頃だったか覚えていないが「沖縄に特攻をかける」との命令
がきた。「搭乗割」から洩れていた連中が、同行させてくれと騒ぎだした。黒板を蹴倒したり、男泣きしながら隊長に詰
め寄るさまを、私は選ばれた者の一種の優越感をもって眺めていた。
▼宇垣特攻出陣式の様子。
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「爆弾を80番に変更せよ」との指示で、積み替えを実施したが、弾倉に入りきらず半ばはみ出したまま装着した。
「ガソリンも半分抜き取れ」との指示もでた。(実際は満タンで出撃した)午後4時、我々22名は2列横隊で指揮所前に整
列した。私は右から3番目に並 んだ。日の丸の鉢巻の裾を長く背中に垂らして次の命令を待っていた。やがて黒塗りの乗
用車が3台近づいてきた。私は内心驚いた。高官たちが揃って見送りにくるなんて初めての事である。更に第5航空艦隊司
令長官の訓示があると告げられた時は耳を疑った。第三種軍装の宇垣中将が折り畳み椅子の上に立ち、「本職先頭にたっ
て、今から沖縄の米艦艇に最後の殴り込みをかける。一億総決起の模範として死のう!」と言われ、山本五十六元帥から
戴いた短剣をぐっと前に突き出された。我々も一斉に、「ワーッ」と歓声を上げ右の拳を突き上げた。続いて中津留大尉
が「降爆してから一旦機を引き起こし、そのあと空身で突っ込め」と指示された。1番機の操縦は中津留大尉、後席に宇
垣中将と遠藤飛曹長が乗り込んだ。
▼彗星は2人乗りの為、ドラム缶を機内に入れ、そこに遠藤飛曹長が座った。

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1番機に続いて2番機の私も離陸、初めて積んだ800キロ爆弾の重さで、1000メートルの滑走路を一杯に使ってようや
く海面スレスレに浮上した。別府湾や青い山々を見下ろして、これが祖国の見納めかと感慨にふけりながら、隊長機に
従い阿蘇山を越えて九州を横断し東支那海を南下するコースをとった。高度4、500メートル八代海を抜けた付近でプ
ロペラピッチを2速に切り替えた。途端に《ガタガタガタッ》と振動がきた。みるみるうちにブースト計、油圧計、回
転計の針がゼロを指してしまった。手動ポンプをついてみたが回復せず、ついにプロペラも止まってしまった。
「どこら辺だ! 甑島辺りか!」「よく分かりません・・・」「馬鹿やろう!」と怒鳴り返したが、もう隊長機を見失
ってしまった。とにかく不時着するしかない。高度1500メートルで爆弾を捨てた。海に降りて鱶の餌食になるのは御
免である。海岸を目指したがとても無理な距離である。「不時着するぞー」と後ろに叫んだのと、左翼端が海面を叩い
たのが同時であった。機はクルクルット激しく一回転して浮かび逆立ちは免れた。風防を押し開け、栗原と一緒に海に
飛び込んで海岸目指して泳いだ。泳ぎ着いて分かったのだが、そこは鹿児島県の西方であった。昭和59年、私は39年
前に泳ぎ着いた砂浜を再び踏み締めた。そこは私の第一の人生を締めくくり、第二の人生の第一歩を踏み出した美しい
砂浜、西方海岸である。当時19歳であった。「白菊特攻隊」第二部 かえらざる翼  二村治和 (光人社刊)より。

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▲米軍駐留中に撮影された我喜屋集落(昭和20年6月8日米軍撮影)
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▲▼我喜屋ダムから見下ろす現在の我喜屋集落
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▲▼我喜屋ダム
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現在、伊平屋島の集落は5つ。運天港からフェリーで着いた前泊、田名、我喜屋、島尻、野甫
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▲昭和20年6月5日米軍撮影【和訳】 伊平屋島の谷間の道。前岳を望む。
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▲距離感、撮影位置は少しづれるが、現在の同じ風景。奥に前岳を望む。
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今も稲作の風景が広がる。伊平屋島のお米【ちゅらひかり】は、島でしかなかなか買う事の出来ない貴重なお米。
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▲昭和20年6月5日米軍撮影【和訳】道のぬかるみからジープを押し出そうとしているディーゼル水陸両用車。
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▲▼伊平屋島では、牛を飼っているお宅も多かった。
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▲伊平屋中学校
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▲JAは営業している雰囲気が無かった・・・。
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▲伊平屋郵便局
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▲前泊港にあるスーパーゼンちゃん(沖縄県島尻郡伊平屋村字我喜屋)
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▲昭和20年6月3日伊平屋島上陸時の米軍撮影【和訳】しばし休息をとるため亀甲墓の前でかがみ込む兵士。
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▲同じ亀甲墓ではないと思うが、伊平屋島で見たカラフルな亀甲墓。
沖縄県では毎年4月初旬「御清明祭(ウシーミーサイ)」をするご家庭が少なくない。通称【シーミー】と言われるこ
の習慣は、二十四節気の清明節の頃に親族一同みなでそろって行く、先祖のお墓参りのことを言う。 「お墓参り」と
言っても、その様子はまるでピクニックのよう。 久しぶりに会う親族たちと、大きなお墓の前でわいわい楽しむのが
沖縄流だそうだ。
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▲▼伊平屋天巌戸神社
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▼前泊港ポートターミナル(仮庁舎)内で売られていた伊平屋天巌戸神社のお守り。
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▼▲伊平屋島の観光スポット【念頭平松】
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とにかく立派で、圧倒的な大きさに感心するばかりだった。。。
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▲昭和30年代に撮影された念頭平松
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次はクマヤ洞窟に向かう。
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【天の岩戸伝説】の最南端の地とも言われている沖縄県の天然記念物
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階段を登って、岩の間をくぐり抜けると。
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長年の自然現象(海風で巻き上げられた砂が岩を削り、巨大な空間が出来た)が作り出した神秘的な空間が現れる。
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▲次に向かったのは久場山(久葉山)県指定天然記念物のクバ林
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久場山を登りきると伊平屋灯台
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▼伊平屋灯台からの絶景。左から、沖永良部島与論島沖縄本島(北部)が見える。
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久葉山周辺のビーチ
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伊平屋島最北端からの眺め。無蔵水、ヤヘ岩を望む。
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ヤヘ岩
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▲【ホテルにしえ】の晩御飯。最高だった。
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▲▼【ホテルにしえ】のお洒落なお部屋鍵
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次の日は野甫島へ向かう。
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野甫島へ行く前に、北緯27度線記念広場と米岬ビーチに立ち寄った。
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▲西海岸を望むと野甫大橋で伊平屋島と繋がる野甫島が見える。
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▲東海岸を望むと具志川島(無人島)と伊是名島が見える。
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タイとモルディブで高級リゾート施設を展開するソネバグループが、具志川島に世界の富裕層向けのリゾート開発を計
画している。第1段階としてソネバは約200億円を投じ、2029年の開業を目指す。水上ヴィラと呼ぶ水上区画のコテ
ージ23棟に加え、砂浜を臨む陸上区画に低層の客室106棟を建設する計画だ。
伊是名村に属する具志川島は、面積約0.47平方キロメートルで、小学校も1970年に閉校し、無人島となっている。
2022年5月、ソネバグループCEOシブダサニ氏が両村を訪れ、名嘉律夫伊平屋村長、前田政義伊是名村長(当時)と基
本計画を推進することで合意している。[2022年12月記事]
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▲米岬ビーチを眺める。
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▲野甫大橋を渡って野甫島へ。
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野甫島は、かつて500名を数えた人口が過疎化が進み、平成28年4月末には男性45名、女性54名の計99名。
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▲野甫島から野甫大橋、伊平屋島を見る。
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▼赤矢印の高台に行ってみる。
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▼高台からの見事な景色。野甫大橋、米岬ビーチ、伊平屋島最南端。
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▲野甫小中学校
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▲野甫島から見た具志川島(左)と伊是名島
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▲野甫島から見た伊是名島と、右に小さく見えるのは伊江島。伊是名島の奥に見える島影は沖縄本島だ。
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▲伊平屋島の地酒ブランドは【照島】
島で泡盛の醸造が始まった当初に首里から呼び寄せられた酒造り職人島袋氏の名前から「島」と、天照大神の「照」を
とって名付けられた泡盛。手間をかけて管理された麹と、硬水と軟水の中間である「上の川(イーヌカー)の天然湧水」
を使って造られ、オリジナルの濾過器を使用することによって芳醇な味わいと豊かな香りが醸し出される。
手造りの味にこだわり、伊平屋島内で70%以上は消費されている地元に愛されている泡盛の三合瓶(600ml)。



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「百聞は一見に如かず」現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
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 2023_12_21


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美ら島エアーフェスタ2023in航空自衛隊那覇基地に行ってきた。
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今回は那覇基地で初のアクロバット飛行、ブルーインパルス展示飛行があったので凄い見学者の数だった・・・。
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ものすごい見学者の数だったが、それはそれで良い事。ブルーインパルスも見れて大満足のフェスだった。



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 2023_12_16


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陸上自衛隊 第15旅団創隊13周年、那覇駐屯地創立51周年記念行事に行ってきた。
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昨年と同様、てだこ浦西駅からゆいレールに乗って赤嶺駅、無料シャトルバスで那覇駐屯地だ。
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▲▼米軍車両も展示
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今年は出店も多くて大盛況。
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▲南西航空音楽隊(航空自衛隊那覇基地から来られた)の素晴らしい演奏。
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▲第15音楽隊の素晴らしい演奏。
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ものすごい見学者の数だったが、それはそれで良い事。音楽隊の演奏を見れて大満足のフェスだった。
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帰りのシャトルバスは乗車待ちの列が凄かった・・・。那覇空港行の自衛隊臨時便に乗って那覇空港へ。
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那覇空港でしばし見学してからゆいレールで帰った。



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 2023_12_13


伊是名島は、島尻郡に属する沖縄諸島北西部の島で、伊平屋伊是名諸島に属する。住所は沖縄県島尻郡伊是名村。
沖縄戦では米軍の上陸は無く、戦時下の沖縄本島における戦闘情報等は、村の一部、主に指導者層でのみ独占され、
一般住民にはまったく知らされていなかった。そのため、沖縄本島への米軍上陸の報が村民公然の事実となったのは、
約2ヶ月が経過した5月末頃であったといわれている。
昭和19年の十十空襲では、伊是名島上空にもグラマンが飛来し、伊是名集落に所在した伊是名郵便局の無電塔を破壊
し、周辺の民家や石垣にも被害を与えた。更に伊是名国民学校近くに500kg爆弾が投下されたが、不幸中の幸いにも
不発であった。一方、仲田港(伊是名島)に停泊中だった村有船伊福丸は、機銃掃射を浴びるも船体に大きな損傷は無か
ったが、船員1人が犠牲となっている。その後、伊福丸は我喜屋港(伊平屋島)に停泊中の昭和20年2月12日、空襲で撃
沈されている。伊是名島へは、戦時中、日本海軍の基地があった沖縄本島国頭郡(今帰仁村)運天港から船が出ている。
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運天港にあった小型潜水艦基地。8隻の小型潜水艦が寄港できるスペースがあった(昭和20年6月米軍撮影)
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戦時中の運天港には、日本海軍第27魚雷艇隊・第2蛟龍隊(小型特攻潜水艇)が配備されていた。
本部半島の戦闘は昭和20年3月25日小禄の海軍司令部(大田実中将)が、慶良間列島に集結した米艦船を攻撃する為に、
白石海軍大尉指揮する運天港第27魚雷艇隊「甲標的」・第2蛟龍隊([指揮官]鶴田大尉、大下真男少尉)と、金武の特攻
基地(第42/22震洋隊)に出撃を命じたところから始まる。沖縄戦では「蛟龍」が初めて実戦投入された。
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▲甲標的などの潜水艇魚雷秘匿壕(昭和20年6月米軍撮影)
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▲▼今も運天港に2ヶ所現存している潜水艇魚雷秘匿壕の1つ。
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▼壕の突き当りから入口を見る。現在は民家のブロック塀が見えるが、当時は直ぐ先は海だったのだろう。
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▼壕は現在民家の裏手になっており、ブロック塀と茂みの隙間から入っていく事になるので少々キツイ見学だ。
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▼画像右手奥が運天港。道路から右手は埋め立て地だ。
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当時ここまで陸地が多く無かった為、壕の前は海だったと考えられる。
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▼▲1ヶ所は入口の崩落が激しく、入壕は容易では無かった。
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▲レールが引かれV字形になっていた日本海軍魚雷秘匿壕の入り口付近(沖縄戦当時に米軍が撮影)
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▼▲沖縄本島で米軍に引き揚げられる日本海軍特殊潜航艇「甲標的」
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       ▼引き揚げられた「甲標的」からは魚雷が2本共発射されていた。
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甲標的6隻、第1小隊蛟龍2隻は25日深夜出撃。第1小隊は1時間間隔で古宇利水道を出撃、基地に戻る事は無かった。
甲標的丙型1隻は、慶伊瀬島北方で駆逐艦ハリガンを撃沈、昭和20年3月26日夕刻に無事帰投した。
昭和20年3月26日出撃準備中の蛟龍1隻が、空襲により沈没。夕刻、第2小隊は甲標的2隻での出撃となった。
米艦船は嘉手納沖合いに居た。明けた27日甲標的2隻は残波岬西方で米艦船を発見。襲撃は成功するも、執拗な反撃に
被弾、翌28日、両艇は辛くも帰投した。
昭和20年3月27日第27魚雷艇隊の10隻が22:30出撃。敵艦船群に魚雷16本を発射。米巡洋艦2隻撃沈、駆逐艦1隻
撃破の戦果を上げ全艇無事帰投。大田中将は功績を讃える電報を打った。
運天港海軍基地は昭和20年3月30日約200機以上の大空襲を受け、第27魚雷艇隊は全滅。運天港海軍基地は、ほぼそ
の機能を喪失した。米軍の空襲後、焦土と化した運天港海軍基地に残されたのは第2蛟龍隊「蛟龍」2隻のみであった。
昭和20年4月6日運天港第27魚雷艇隊司令官 白石信治大尉は、小禄の上級部隊に「当隊は今より陸上戦闘移行、陸軍
国頭支隊長の指揮下に入る」と打電して国頭半島中央部の八重岳に移動、支隊長宇土大佐の指揮下に入り、陸軍部隊と
共に陸上戦闘行動に従事した。
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▲現在の運天港旅客ターミナルは、敷地が埋め立てされ、沿岸が延長されてかなり広くなった。
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運天港からは伊是名島行、伊平屋島行、それぞれの船便が出ている。
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2014年【伊是名・伊平屋架橋を】両村長が知事に要請している。しかし伊是名島は財政破綻予備軍(経常収支比率)は
全国ワースト8位・・・伊平屋島は以前、同じような破綻予備軍レベルだったが、現在は改善しつつあるものの、与那
国島と同じぐらいの経常収支比率。与那国島は自衛隊誘致で改善。伊是名・伊平屋に関しては無さそうなので・・・。
観光として2つの島が陸続きで見れると言うのは本当に素晴らしい事だが、天災や将来の若者負担の事を考えると、古
宇利大橋を2本分程の費用をかけて双方の島を架橋で交流させても、どの程度の経済効果が出るのか・・・。
具志川島で計画されているソネバグループの世界の富裕層向けのリゾート開発が成功すれば話は変わってくるかも。

【財政健全化団体】
財政破綻の懸念があり、早期に財政再建に取り組まねばならない地方公共団体。2006年(平成18年)の北海道夕張市の
財政破綻を機に、2009年に全面施行された「地方財政健全化法」(平成19年法律第94号)に基づいて、総務省が毎年
認定している。財政健全性の目安として、借金返済の重さを示す「実質公債費比率」、一般会計に占める赤字割合であ
る「実質赤字比率」、水道や国民健康保険事業など公営事業を含む全会計に生じた赤字割合である「連結実質赤字比率」
公社や第三セクターを含めた将来負担する借金の大きさを示す「将来負担比率」の四つの指標を採用し、一つでも基準
より悪いと財政健全化団体となる。なお、地方財政健全化法では、事実上財政が破綻したとして「レッドカード」を出
された自治体を「財政再生団体」と認定しており、これに対し財政健全化団体(早期健全化団体)は、破綻予備軍として
「イエローカード」を出された自治体といえる。財政健全化の具体的基準は、実質公債費比率が25%、実質赤字比率で
は道府県の場合(東京都は別途設定)で3.75%、市区町村は財政規模に応じて11.25~15%、連結実質赤字比率は道府
県(東京都は別途設定)で8.75%、市区町村では財政規模に応じて16.25~20%、将来負担比率は都道府県と政令市で
400%、市区町村で350%である。基準を一つでも上回ると財政健全化団体となり、職員の給与削減、道路・水道・プ
ールなどの公共サービスの利用料引上げなどで財政を再建する必要がある。外部機関による監査を受けねばならず、議
会に財政健全化計画を提出して議決を受ける必要もある。財政健全化団体は2008年度決算時点で、北海道洞爺湖町、
大阪府泉佐野市、沖縄県座間味村など全国に21市町村あったが、2013年度決算時点で青森県大鰐(おおわに)町のみと
なり、2014年度決算以降は、全国に財政健全化団体がない状態が続いている。[2022年8月18日記事より]
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▲▼現在の運天港。天然の良港だったが現在は埋め立てで更に広く便利になり、伊平屋島や伊是名島へのフェリーター
 ミナルとなっている。
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伊是名島(仲田港)まで人のみの場合、往復3500円+環境協力税100円だ。
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伊是名島へは『フェリーいぜな尚円』で向かう。
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『フェリーいぜな尚円』の尚円とは、琉球王朝の初代王の名。尚円は伊是名島(諸見村)出身とされる。
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『フェリーいぜな尚円』に乗船し、伊是名島を目指す。約1時間の船旅だ。
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▲出航間際、伊平屋島行の船が運天港に入港。
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そろそろ出航時間。
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本部港から出港している伊江島フェリーのおさがりとの事で、本部⇔伊江島航路用(内海用)なので、外海に出る伊是名
伊平屋諸島への航路では、若干揺れが大きいので、船酔いがある人は、終始甲板でというのはキツイかもしれない。
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小一時間の船旅の船内は、綺麗で快適。
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▲運天港を後にする。
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▲沖縄本島を後にする。
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▲大戦中の深夜、古宇利水道を出撃していった甲標的、蛟龍と同じ航路を進む。正面に見える島は古宇利島だ。
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しばらくすると伊是名島が見えてくる。左に写る小島は、30歳代の「張」と名乗る中国人女性に買われた島で、世間を
騒がせている屋那覇島だ。2021年2月競売にかけられていた屋那覇島(私有地)の競売開始価格は60万元(約1100万
円)程度だったとか・・・。伊是名村は屋那覇島の約26%の土地を所有しており、中国系企業が取得した土地は、元々
民間企業が所有していて、伊是名村は土地の売買に関与していない。
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2023年2月27日、雑木林が燃える火事があった事でもNEWSになっていた。電気もガスも通らない無人の島で、大
学生らがキャンプをしていたとの事・・・伊是名村役場の職員や警察官が屋那覇島に渡り、大学生と共に海水のバケツ
リレーで約5時間消火活動を行ったが消し止める事は出来ず、全員島外に避難したという何ともお粗末な事件だった。
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▲伊是名島が近い。右奥の島影は伊平屋島
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▲画像左端のピラミッドのように切り立った岩山は天然の要塞、伊是名城跡で標高98m
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伊是名城跡は、琉球三山を統一した尚巴志の祖父が城主だったという。
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仲田港(伊是名島)に到着。
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仲田港では、数えで97歳を迎えたお年寄りを祝う沖縄伝統の行事「カジマヤー」が行われていた。
伊是名島を訪れたのは10月21、22日。仲田港に着いた日は丁度旧暦の9月7日にあたる21日だった。
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『長寿は美徳』という考え方がいつまで続くだろうか・・・健康保険を使わず自腹で長生きする人は素晴らしい事だが。
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さぁ。気を取り直し、伊是名レンタカーで車を借りて島内観光に出発!
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この日は午前中雨の予想だったが、運天港からなんとか降らずにもってくれた。
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先ずはターシ浜から。
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▲21日(初日)撮影。2日目は快晴、最高の観光日和だった。
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▲22日撮影。南国の景色は天候によって全然違う・・・。
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▲▼ターシ浜から仲田港を望む。透明度の高い海。
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ターシ浜で目にした岩・・・。
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何故このように錆びた様な色をしているのか・・・。
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お分かりの方、ご教授下さい。
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伊是名城跡
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伊是名玉御殿
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伊是名玉御殿からターシ浜、仲田港を望む
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伊是名玉御殿からチヂン山、アーガ山、伊是名山森林公園を望む
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▲日本の渚百選にも選ばれた二見ヶ浦海岸
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▲シラサギ展望台から二見ヶ浦海岸、伊是名城跡を望む。
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▲シラサギ展望台から二見ヶ浦海岸、マッテラの浜を望む。
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▼▲伊是名島で一番美しいとされるマッテラの浜
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▲▼伊是名山山林公園から伊是名集落を見下ろす。
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▲仲田集落、諸見集落を望む。奥に見える島影は伊平屋島。
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▲▼真新しい立派な伊是名村役場。人口1300人程度だが・・・
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そして、船の村民割引があるため、住所変更をせずに沖縄本島で暮らしている人も多いと言う。
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▲島で唯一のスーパー(共同売店除く)、農協スーパー。
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▲島で唯一の信号機は伊是名小学校前にある。
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役場も含め、小中学校も真新しい建物で非常に綺麗。
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くどいようだが、人口は1300人程度・・・。
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▲伊是名中学校
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伊是名島の道路は、どこも広く綺麗だ。
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尚円王以降、伊平屋と統合行政区になり伊是名の名前が消え、この島が伊平屋の前地と呼ばれた時代がある。
明治12年の廃藩置県により、琉球藩が廃止され、沖縄県として日本国の制度のもとスタートすることになる。明治42
年4月1日村制施行「伊平屋島」を「伊平屋村」、「伊是名島」を「伊是名村」と改称。間切が村となり、これまでの村
が字になった。伊平屋村役場は、伊是名村字伊是名に置かれ、初代村長に島尻出身の諸見守蔵氏が任命され、村行政を
施行した。その後、廃藩置県の間切島史員規程、島興町村制など島の自治形態はめまぐるしく変化し、昭和14年、分村
許可司令により、やっと伊是名村として単独村政を施行することが可能になった。
現在、伊是名島の集落は5つ。諸見(もろみ)集落、仲田集落、伊是名集落、勢理客(じっちゃく)集落、内花集落だ。
※現在も伊平屋島、伊是名島は沖縄県島尻郡に属する。
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▲伊是名ビーチは、伊是名漁港海岸整備工事の一環による砂の搬入工事が行われていた。
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▲沖縄らしくもずくの生産も行われている。(インドネシアからの技能実習生?も多数働いていた)
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▲島一周道路整備工事中だった為、マッテラの浜側から来れなかったギタラ展望台を目指す。
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▲ギタラ展望台
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▲反対側は、先程行ったマッテラの浜だ。伊是名城跡のピラミッド型をした山も見える。
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▲ギタラ展望台より同じ方角を見る。
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▲ギタラ展望台からの夕日と海ギダラ(方言で切り立つ岩)。
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▲ギタラ展望台から山側を見ると陸(方言でアギ)ギダラの側に慰霊碑。
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早速慰霊に向かう。
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入口付近の碑
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出征兵士達は、現在の仲田港ではなく、伊是名港(現在の伊是名漁港)から出港してたんだ・・・。
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この島から出征して戦死された方、空襲で亡くなられた方、皆さんのお名前が記されている。
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手を合わせて感謝の念を伝え、周辺の草刈りをしてその場を後にした。
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▲慰霊碑から海ギダラを望む。
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宿泊はなか川館の別館、いずみ荘
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夕食は本館のなか川館で豪華なお料理をいただいた。
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▼仲田港に到着した時、「カジマヤー」を見たので、このお酒の意味は直ぐ分かった。
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▲いずみ荘に飾られていた沖縄の紋章一覧。
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いずみ荘で朝を迎える。
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朝食はいずみ荘で。
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チェックアウトを済ませ、伊是名島最終日の観光に出かける。
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まる富亭ストリート?
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▲勢理客(せりきゃく)区。沖縄本島内の地名では、勢理客(じっちゃく)と読む場合が多い。
※ただし、名前についている場合は【せりきゃく】と読む人が多いようだ。
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▲手前に見える島は具志川島(無人島)、奥に見える島は伊平屋島
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▼HYマリンなどの伊是名島と伊平屋島(野甫島)を結ぶチャーター船が出ている内花港
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▲▼伊是名場外離着陸場
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定期航空路はなく、かつては軽航空機による不定期便やチャーター便が運航されていた。
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エアードルフィンにより伊江島空港を経由し那覇空港まで不定期便が運航されていたが、同社の事業停止に伴い現在は
路線がない。
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滑走路は村によって使用可能な状態に維持されているが、沖縄スーパードリフトやドラッグレースin伊是名などのモー
タースポーツ、祭りなどのイベント時や、私有機による利用が稀にある程度である。
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▲伊是名島の製糖工場
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続く➡執筆中



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 2023_11_07


9月30日(土曜日)普天間フライトライン・フェア2023に行ってきた。
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真栄原の友人と一緒に行ったので、宜野湾市の真栄原(第2ゲート)からの入場を試みたがあえなく撃沈。
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第1ゲート(大山)から入場。左側の女性1人「やんばる世界遺産の米軍廃棄物アメリカは片付けろ」だって。。。(呆)
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その女性は、手を振ってアピールしてくるが、当然無視して進んで行く。
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免許証などの身分証明書を提示して普天間基地内へ入場。
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スコールが一雨来たので、先ずは米軍基地の定番EXCHANGEへ
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雨も小降りになったところでフェス会場に向かう
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既に沢山の車(入場者)で滑走路はいっぱいだ。
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入場は日・米国籍か米軍関係者のみ。再度身分証明提示、持ち物検査を受けてフェス会場に入場。
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海上自衛隊や航空自衛隊、陸上自衛隊の展示から始まる。
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 2023_10_03


県有林である源河の山間部、名護市源河 大湿帯(オーシッタイ)の標高約120mの丘陵斜面に掘られた人工壕は、
御真影奉護壕と呼ばれた。その壕が見学出来ると知って行ってきた。
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沖縄本島北部「やんばる」と呼ばれる緑豊かな所にある、小さな山里【オーシッタイ(大湿帯)】
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国道331号線天仁屋(てにや)付近からオーシッタイ(大湿帯)に向かう。 
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寂しい道を、源河方面の山中に向かって車を走らせる。
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政治結社沖縄共生會総本部と研修農場。愛国団体かな?
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▲▼泥沸窯雲がくれ庵(比嘉富男 作の喜器を扱う立派なお店?)
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うっそうとしたジャングルに点々と確認できる怪しい?施設?やお店にワクワクしてくる(笑)
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▲隠れ観光スポット、大湿帯の梅並木(オーシッタイのうめなみき)
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手書きの案内板。御真影奉護壕の記載は無い・・・。
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この辺り(大湿帯)は昭和20年2~3月、軍の要請により『やんばる疎開』として、60歳以上15歳未満の沖縄本島中南
部の住民約3万人が【行く道を頼りにやんばるへ】と、疎開して来ていた地域でもある。
沖縄島内の疎開事情としては、昭和19年の十・十空襲で、数万の九州疎開希望者が殺到。延178隻の輸送船を使い昭
和20年3月中旬まで島外疎開を継続。輸送人員は約6万人。8万の本土への疎開計画の内、8割は縁故のない人々と見ら
れ、熊本2万3千、宮崎1万6千、大分1万5千、佐賀1万。結果九州や本州、そして台湾に合わせて6~7万の県民が疎開
したと言われているから、島外へ疎開出来た人達は幸運だったとも言える。大湿帯を含む北部、国頭郡の各町村に疎開
した住民達は、食糧不足、マラリア等の過酷な環境下での疎開で、多数の人が命を落としたと言われている。
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沖縄戦が始まる前、昭和19年7月7日サイパン島が陥落。同夜の緊急閣議で、奄美大島徳之島、沖縄、宮古、石垣
5島から老幼婦女子の本土と台湾への疎開方針を決定する。
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昭和19年7月中旬、旧国民学校の児童らを対象にした「学童集団疎開」の準備が始まった。
沖縄から九州へ、初めての疎開学童約130人が鹿児島に到着したのは昭和19年8月16日。学童集団疎開は8月から2カ
月間に集中実施され、計約6千人の学童、引率教員らを九州に移送。宮崎、熊本、大分の3県に分散疎開した。『やんば
る疎開』を含む一般疎開は昭和20年3月まで続いた。
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▼蜂蜜のお店『蜜蜂ファーム・ときわ』
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店主 ときわさんは、静岡県から移り住んで30年以上という。
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70歳にはとても見えないお若いときわさんが趣味で集めた骨董品も展示・販売していた。
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▼『蜜蜂ファーム・ときわ』を抜けると舗装道路に出る。
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この辺りが御真影奉護壕がある辺りだ。
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戦後80年経っても薄っすら山道が・・・。
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当然当時のままの林道だろう。
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十・十空襲をきっかけに、沖縄県では、本島の学校の御真影を集めて守る方針を決定。
激化した米軍の空襲から御真影を守る為、学校ごとに保管していた御真影は、沖縄本島各地の学校から、大湿帯の御真
影奉護壕に集められた。校長や先生達9人の部隊「御真影奉護隊」が結成され、補助員として県立第三中学校(現・名護
高校)の生徒10人余りも加えられた。御真影とは戦前、宮内省から全国の各学校に貸与された天皇・皇后の公式の肖像
写真で、文部省からの教育勅語とともに全国ほとんどの学校に配布された。御真影は国民学校の入口付近にあった奉安
殿と呼ばれる建物に収められ、児童達は前を通るだけでも深々と敬礼しなければならなかった。
同省が1943年に通達した「学校防空指針」では、空襲の際に教師がとるべき行動は、第一に「御真影、勅語謄本、詔
書謄本ノ奉護」、第二が「学生生徒及児童ノ保護」とされていた。 
御真影は昭和20年1月頃から集められた。県立第三中学校(現・名護高校)の生徒10人達は、百数十校分を壕に運んだ。
長方形の台紙に貼られ、桐の箱に収められた御真影を白い布で覆って背負う。教育勅語なども入れられ、重さは1箱20
キロ程。「御真影は天皇陛下の『分身』。決して地面に下ろすな」と命じられたと言う。 
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昭和20年4月1日沖縄本島中部に米軍が上陸。ほどなく北部へ迫ってきた。奉護隊は、昭和天皇以外の御真影を壕の中
で奉焼、更に御真影の台紙や入れ物の柄の箱を近くの神社の境内に埋めた後、壕を放棄。
教育勅語は近くの神社に埋め、昭和天皇らの御真影だけを背囊(はいのう)に入れて山中へ逃げた。食糧は尽き、ハイ
ビスカスの新芽などで食いつなぐ日々。だが毎朝、御真影に最敬礼することは欠かさなかったと言う。
山中での生活は約80日間に及び、6月末、第32軍司令部が本島南部で壊滅したとの情報が伝わると、最後まで守り続け
た昭和天皇の御真影も、壕の近くにある河原で燃やれ、昭和20年6月30日御真影奉護隊は解散、7月に投降した。
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▲御真影
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壕口に到着
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自己責任で十分入れそうだ。
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保存状態良好でゴミも無く綺麗。
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40m程直線的に進む。
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突き当りを右に曲がると・・・。
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天井にぶら下がる大量のコウモリ。地面の黒い山はコウモリの糞
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▲▼この部屋に御真影が保管されていた。部屋の木枠が残っている事に感動!
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コウモリの必要な攻撃がうっとおしいので退散する・・・。
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コウモリの大群が追って?きていた(笑)
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▲もと来た山道を戻る。
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夏真っ盛りで暑い日だった。
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周辺にはパイナップル畑やマンゴー畑が広がるのどかな所だ。
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隠れ珈琲農園?なんかもある。
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古宇利島など、リゾート地のカフェに卸しておられる金城農園。
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又吉珈琲など、東村には有名な珈琲農園もあり、古宇利島に行かれた際は、是非、県産珈琲をご賞味下さい。
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▼名護市と東村の境目に位置するという事で、名護市側(有津アッツ)から東村を望む。
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 2023_07_11


1950年代の米軍住宅を利用した商業施設『港川ステイツサイドタウン』に行ってきた。
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港川ステイツサイドタウンは、1950〜60年代に米軍基地関係者をターゲットに、賃貸住宅街として開発された場所。
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築30年が経った1980年代後半、老朽化が進み空き家が増えていった。そんな中、入居者がこの雰囲気を活かして雑貨
やカフェを経営するようになった。その流れを受け、2000年代からは空き家になった住宅を順次店舗へ誘致するよう
になり、現在に至る。
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エリア内には現在57戸(店舗43/一般住宅14)が入居している。
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ほとんどがカフェなどの店舗利用されているが、民家として暮らしている方もいるので、静かに見学したい。
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数は少ないがコインパーキングはある。
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ただし、港川小学校の通学路になっているので、スピード、安全確認はしっかり確認してゆっくり運転して欲しい。
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地区内には『テキサス通り』『フロリダ通り』など、アメリカの州名を冠した路地が櫛状に伸びる。
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この地区はかつて『港川外人住宅街』と呼ばれる在日米軍関係者向けの住宅街だった。
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▲南国の花の代表格『プルメリア』5~9月が旬で、各所で美しい花を咲かせる。
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沖縄が米軍施政下にあった頃、米軍施設外にこのような『外人住宅街』が多数存在していたが、次第に軍施設内に集約
され、姿を消していった。港川外人住宅街はその生き残り的存在。形を変えながらも沖縄の歴史を静かに物語っている。
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▲南国と言えばこれ!!ハイビスカス(原種系)
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▼▲私のお勧めは此処。『AMERICANWAVE』
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アメリカ人オーナーが、本国で厳選セレクトしたヴィンテージ品が沢山揃っている。
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見ているだけでも楽しいお店だった。
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▼ウインドーショッピングのつもりが、年代物のブリキ製63インパラを購入してしまった・・・。
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この映画は是非見ておきたいですね「凛として愛」YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。

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「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見に如かず」現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
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 2023_06_10


4月30日(日曜)、6年振りの開催となった米空軍基地主催のフェス【Okuma Beach Fest 2023】に行ってきた。
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会場は沖縄本島北部の国頭村奥間にある、米空軍が管理する米軍保養施設奥間レスト・センター
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天気予報は雨。前日から降っていた雨は止んでいるものの、空には厚い雲が・・・祈る様な気持ちで会場に向かう。
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▲▼奥間交差点にあるファミリーマートは、沖縄本島最北端のファミマ。
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12時ゲートOPENだが、早めに入れてくれた。
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▲毎度の身分証明を提示して米軍保養施設奥間レスト・センター内へ入る。
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駐車場に車を停めて、持ち物検査&金属探知検査場へ向かう。
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会場までは無料送迎バスが行き来している。
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米軍保養施設といっても、赤丸岬の全体を占有して作られた広い場所。
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▲何故かトラックの荷台に乗って移動する参加者も・・・保養施設内はアメリカなので日本の道路交通法は関係ない。
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会場に到着。
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▲北部幹線道路沿いの路面店か、北部のフェスでしか見る事の出来ない本部町の【アイスクリン】
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▼出店ゾーンを抜けるとメインイベント会場。赤丸岬が見える。
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沖縄戦中の赤丸岬の入り江(昭和20年5月6日米軍撮影)この辺りは大きな戦闘が無かったのでまだ民家が見える。
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▼ほぼ同じアングル
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▲海なので当然だが、このビーチはオクマプライベートビーチ&リゾートに続いている。
施設手前にある「オクマプライベートビーチ&リゾート」は、昭和52年に、米軍保養施設の一部が返還された場所だ。
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日本円で支払いは出来るが、おつりは$になるのでカード払いが無難。
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ここで買えるピザは外では買えないので人気。日本人はお持ち帰りする人が多い。
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Festまで時間があるので、保養施設内を見学して回る事にした。
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米軍占有ビーチだからいつでも混雑などしないだろう。。。贅沢な場所だ
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広々としたバーベキュースペースも確保されている。
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自衛隊の方々用の、こんな保養施設が一体日本にいくつあるのか・・・。
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※米軍保養施設奥間レスト・センターは、地元(北部?)の住民は身分証提示でいつでも入れると聞いた。
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▲宿泊用のロッジまで揃っている。当然維持管理しているのは日本政府(日本人)。複雑な気持ちになった。
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そろそろフェスが始まるので戻ることに。
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この日は、沖縄県を中心に活動しているラテンバンド、ディアマンテス(DIAMANTES)のライブがあった。
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夜になって人混みが酷くなってきた。夕方から来られる方が多いようだ。
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帰宅渋滞を避ける為、ディアマンテスのライブ後に退散。
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画像の左右に写るのが、米軍保養施設奥間レスト・センター施設手前にある「オクマプライベートビーチ&リゾート



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 2023_05_02




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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