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奄美大島から飛行機で約10分、シートベルト着用サインが消える間も無く喜界空港に到着。
喜界島は鹿児島市から南へ380㎞、奄美大島の北東端から25㎞の洋上にある周囲48.6㎞の隆起サンゴ礁の島で、
2019年6月現在、3804世帯、7018人が暮らす小さな島だ。

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喜界空港に到着。正直、この飛行時間で6200円はちょっと高いと思うのは私だけだろうか・・・。
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JRの駅より小さい可愛い空港だ。この雰囲気が良い!!
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チェックインカウンターも1つだけ。解りやすくて良い!!
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喜界島は「うもーり」だ・・・。確か奄美大島は「いもーれ」だったはず。こんな近い島々でも方言が違う。
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空港の外へ出る。
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空港全体がカメラに納まる小さな空港
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喜界空港の歴史は古い。昭和4年から中里集落の海岸沿いの荒地に不時着飛行場が建設され昭和6完成と言われている。
当時の滑走路はサンゴ礁が固く、飛行機の脚を破損する恐れがあるので、その後は使用しない事になり、この時の飛行
場は平坦地を利用した仮設不時着用程度のもので、常設の飛行場ではなかった様だ。
昭和14年頃の飛行場は、広く起伏のない原っぱで、まだ舗装していなかったようだ。
昭和15年頃に海軍の戦闘機が1機不時着している。その機は整備士がやって来たが直らず、解体して船で本土に運ばれ
たという話が残っている。この頃もまだ飛行場には整備隊は配備されておらず、純粋に緊急時の不時着基地だった。
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昭和17年11/25~昭和18年2/15にかけて喜界島の土地88215坪が飛行機不時着陸場敷地として買収されて整備が
行われ、飛行場は面積88000㎡であった。飛行場設備が強化されるのは、戦局が悪化し出す昭和18年頃からで、南西
諸島周辺でも米潜水艦による船舶の被害が増加した為、艦上攻撃機1隊が常駐可能な程度への整備が進み、喜界島飛行
場の対潜哨戒機基地としての更なる強化を目指した。
昭和19年には最低滑走路延長を1000mにするとされ、3/16付けで喜界島飛行場基地施設の築城工事が指令された。
そして海軍喜界島飛行場は従来の不時着用ではなく、作戦行動に使える飛行場としての整備が進められたのである。
同年5月喜界島に海軍第321設営隊が進出。隊長は宮本芳英大尉で、昭和20年6月時点で564名であった。
同隊は川嶺に本部を置き飛行場作業に従事した。更に12月増山藤一郎氏の指揮する星野組(民間委託業者?)が来島。
満15~60歳までの喜界島住民(男女)が動員されて、飛行場の拡張工事に従事した。喜界町と早町町の動員係は集落毎
に人夫を割り当て、国民学校や青年学校の生徒も作業に参加した。この拡張工事で今までは中里集落の西側南北1本の
滑走路(現在と同じレイアウト)だったのが、中里集落の北側に内陸に向かって東西方向にも離着陸出来る様になった。
現在の喜界空港になるまで、2本共に芝張りの滑走路であったが大戦末期は空襲でほぼ使い物にならなくなっていた。
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▲昭和20年4月に米軍が撮影した空襲中の喜界島飛行場。青線が現在と同じ位置の滑走路(東西線)、赤線が拡張工事で
新設された当時「南北線」と呼ばれた、長さ1000m幅120mの第2滑走路だ。空襲時の撮影で煙が上がっている。
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▲昭和20年5月に米軍が撮影した米艦載機空襲直後の喜界島飛行場。爆撃で穴だらけになり使用不能になっている。
滑走路の拡張に合わせて付属設備の建設も行われた。幅7~15m総延長14000mにも及ぶ誘導路が作られ、誘導路に
沿って飛行機を格納する為の掩体壕が、無蓋掩体55箇所、有蓋掩体1箇所、隔壁21箇所も建設された。掩体壕の建設
工事は、沖縄戦直前まで行われていた。※(有蓋掩体1箇所は現在も現存しており、保存されている)
沖縄戦中、これらの掩体壕は実際に使われた。敗戦後だが飛行場内に97式戦闘機1機と98式直協機があった他、池治
掩体壕には4式戦闘機1機、荒木掩体壕には99式襲撃機1機、水天宮掩体壕には99式襲撃機2機が格納されていた。
いずれも陸軍機で使用不能の状態だが、飛行場から遠く離れた所まで飛行機を格納していたことが分かる。
沖縄戦中は池治までの道路を、飛行機の車輪が通るだけの幅を補修し、両側の樹木等は翼の幅の部分の高さを低くして
地物を出来るだけそのままにし、上空から分からないように注意を払っていたという。
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沖縄戦で陸軍の飛行場に囮として置かれた竹と藁を使用して製作された模擬飛行機。
喜界島には本物の飛行場とは別に偽飛行場が建設されていた。場所は東海岸の志戸桶集落と佐手久集落の間である。
ここには「竹と藁を使用して模擬飛行機を作り米軍機が模擬飛行場を空爆している間に待機中の特攻機を出撃させる戦
法」を使った。本物の飛行場への攻撃を吸収する囮としての役目である。
また飛行場らしく装うために、米軍機が接近すると吹流しを立てた。偽飛行場は畑の中に作られていたが、上空からは
本物の滑走路に見えた様で、実際米軍機はこの模擬飛行機目掛け、何回となく爆弾を投下している。
※第601海軍航空隊の増戸興助一飛曹は昭和20年4月6日の出撃で本物の滑走路と思い、この偽飛行場に不時着した。
翌日、不時着した彗星で本物の飛行場へ向けて離陸しようとしたが凸凹に脚を取られて飛行機の脚が折れてしまった。
空戦後で必死だったとはいえ日本軍機が間違える程であったので、それなりの効果はあったと言えるだろう。
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▲昭和21年米軍撮影。終戦後だが既に元飛行場であった事が解らないくらい破壊されている。
現在の喜界空港の滑走路は、戦時中の場所のまま(東西線)舗装され、滑走路が延長(1200m)されて今も使われている

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当時も同じ飛行ルートで着陸し、出撃していったのだろう・・・眺めていると胸が締め付けられる・・・。
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特攻出撃と言えば、知覧鹿屋を思いがちだが、喜界島は陸海軍入り混じって沢山の特攻機が出撃した場所だ。
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飛行場の周りは空港臨海公園となっており、ゴルフ場やスギラビーチがあって島民の癒しの場所となっている。
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▼かつては特攻基地だった所で今はゴルフを楽しむ人達が居る。時代の流れは残酷だ・・・。
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キャンプを楽しむ人達も居る。
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そしてスギラビーチで海水浴を楽しむ人達も居る。真正面26Km先に奄美大島がハッキリ見える。
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なんという平和で幸せな素晴らしい光景だろう。
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美しいスギラビーチの夕暮れ。向かい側の奄美大島と喜界島の間で連日のように日米の空中戦が繰り広げられた。
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日本の未来の為に必死に戦ってくれた英霊が居たからこそ、穏やかな「今」がある。いつまでも続いて欲しい。
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▲そんな穏やかで平和な空港臨海公園内に、ポツンと慰霊碑が建っている。
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「海軍航空基地戦没者慰霊碑」 喜界島を訪れた際には是非立ち寄って手を合わせて頂きたい場所だ。
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碑文
喜界島海軍基地は、昭和19年(1944年)国土防衛の最前線基地として拡張整備され、7月海軍巖部隊が常駐することに
なった。翌20年、米軍沖縄上陸後は、戦争遂行上の最重要戦略基地として、連日連夜にわたって米軍機の猛爆撃を受け
ながら、特攻機の整備出撃に多大の貢献をした。しかし、その間莞爾として沖縄に向け飛び立ち、遙か征って帰らざる
壮途につかれた若き勇士たちをはじめ、巖部隊員で特攻機の出撃準備中の整備兵防空防衛の任務遂行中の砲台員等で戦
死された人達も多かった。ここに基地開設50周年にあたり、これら戦死者の霊を慰めるとともに、永久の平和を祈念し
て慰霊碑を建立するものである。   平成6年  旧海軍航空基地戦没者慰霊之碑建立期成会。

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▲慰霊碑の横でゲートボールを楽しむご老人達の姿もあった。
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灯籠には建立者のお名前が書かれていた。「元自衛隊喜界通信所勤務 (株)ワールドテック 社長 菊野季彦
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(株)ワールドテックは徳島県中小企業情報センターでも紹介されている。社長は今もご健在かな・・・。
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特攻作戦が始まってしばらくした頃、水天宮の兵舎に駐屯する特攻隊を、湾小学校の生徒が慰問に行った事があったそ
うだ。沖縄戦が始まる前の話という事なので、フィリピン戦の時に喜界島を経由した特攻隊の可能性が高い。
特攻隊員は笑顔で生徒を迎えたが、悲壮な面持ちの者、手をポケットに入れてうつむいている者、哀調を帯びた悲しい
歌声の者がいたという。沖縄戦が始まると、激化する空襲で住民は特攻隊の見送りも命がけだった様だ。
沖縄を包囲する米艦隊に特攻々撃をかける20歳前後の若者達に、島の娘達はそっと野の花を贈った。
特攻隊員達は喜界島の上空から贈られた野の花を落としていった。その花の種が風に舞い、70年以上経った今でも喜界
飛行場付近に咲き乱れ、島民はそれを「特攻花」と呼ぶ。「平和を願う花」として語り継がれている別名テンニンギク。
6月~10月が開花時期との事で、此処では見る事が出来なかったが、写真の花を「特攻花」と想って写真を撮った。

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特攻隊員が喜界島に立ち寄ると聞くと、島の人達は当時貴重であった生卵を集めて届けたという。
特攻隊員の中には「我々の命はもうしばらくだから、子供達へあげてください」と言って出撃した者もいたという。
当時、沖縄への特攻機は、九州の鹿屋基地などから喜界島に整備・給油の為に飛来していた。
島のお年寄りは、亡くなった人を「隣の爺さんがアメリカに行った」などと言うそうだ。
「アメリカに行った」とは、「渡米した」という意味ではなく、亡くなったという意味。島のお年寄り達は今も戦争を
揶揄し、亡くなった人を「アメリカに行った」と言う。

喜界島海軍基地から特攻出撃され、「アメリカに行った」優秀な若者達の記録は以下の通り。
神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月27日喜界島基地より「彗星」で出撃。
(沖縄本島周辺機動部隊攻撃)
[操縦]田中 巽2飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]佐藤一義少尉(徳島県出身) 
[操縦]細江志郎2飛曹(岐阜県出身)/[偵察]高橋紫壽雄上飛曹 (愛媛県出身)
[操縦]内田 続2飛曹(熊本県出身)/[偵察]武士精三1飛曹(茨城県出身)
[操縦]正木 廣2飛曹(千葉県出身)/[偵察]船橋良三1飛曹(愛知県出身)
[操縦]横山作二2飛曹(広島県出身)/[偵察]藤丸 哲上飛曹(大分県出身)
[操縦]谷 節夫少尉(和歌山県出身)/[偵察]椿  昇1飛曹(茨城県出身)
[操縦]菱沼  一飛長(埼玉県出身)/[偵察]廣田繁次郎1飛曹(広島県出身)
[操縦]木場 愛2飛曹(三重県出身)/[偵察]青木 清1飛曹(山口県出身)
[操縦]宮原1飛曹/[偵察]橋本飛長

陸軍特攻第22振武隊 昭和20年4月7日喜界島基地より「隼」2機で出撃。
大上弘少尉/大貫健一郎少尉(空戦後徳之島不時着)
陸軍特攻第46振武隊 昭和20年4月7日喜界島基地より「99式襲撃機」2機で出撃。
小山勝実少尉/伊原佐源次伍長
陸軍特攻第46振武隊 昭和20年4月7日喜界島基地より「99式襲撃機」2機で出撃。
古川栄輔伍長/堀越進伍長
陸軍特攻第42振武隊 昭和20年4月8日喜界島基地より「97式戦闘機」5機で出撃。
松澤平一少尉/牛島久男少尉/馬場洋少尉/尾久義周少尉/仙波久男少尉
陸軍特攻第68振武隊 昭和20年4月9日喜界島基地より「97式戦闘機」2機で出撃。
山田勇少尉/山口怡一少尉
陸軍特攻第42振武隊 昭和20年4月9日喜界島基地より「97式戦闘機」3機で出撃。
猫橋芳朗少尉/近藤幸雄少尉/中野友次郎少尉
陸軍特攻第30振武隊 昭和20年4月13日18:15喜界島基地より「99式襲撃機」で出撃。
池田強伍長
陸軍特攻第46振武隊 昭和20年4月13日18:15喜界島基地より「99式襲撃機」で出撃。
小林貞三伍長
陸軍特攻第29振武隊 昭和20年4月14日喜界島基地より「隼」2機で出撃。
及川喜一郎伍長/上川幟伍長
陸軍特攻第46振武隊 昭和20年4月15日喜界島基地より「99式襲撃機」1機で出撃。
中村 稠(しげる)伍長
陸軍特攻第30振武隊 昭和20年4月15日18:10喜界島基地より「99式襲撃機」1機で出撃。
今井 実伍長
陸軍特攻第42振武隊 昭和20年4月16日喜界島基地より「97式戦闘機」1機で出撃。
篠田庸三少尉

神風特別攻撃隊「第2神雷爆戦隊」 昭和20年8月13日(月曜日)喜界島基地より零戦5機で出撃。
(沖縄周辺艦船攻撃)
岡嶋四郎少尉(千葉県出身)/星野 實1飛曹(京都府出身)
岡本鼎中尉/細沢実1飛曹/松林信夫2飛曹の3機は機体トラブル等で喜界島に帰還。
米攻撃輸送艦ラグランジュに特攻機が突入、大破。米水兵21名戦死89名負傷
攻撃輸送艦ラグランジュは特攻による最後の損傷艦。そして沖縄への航空特攻が終結。
昭和20年8月15日(水曜日)の終戦2日前の特攻だった。

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▲攻撃輸送艦ラグランジュ(USS La Grange [APA-124] )
※因みに神風特別攻撃隊「第1神雷爆戦隊」は昭和20年6月22日 鹿屋基地より零戦7機で出撃している。

Victory At Sea - Suicide For Glory - Episode 25YouTube 
大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録は以下の通り。
※防衛研究所図書館所蔵『南西諸島海軍航空隊戦時日誌』より。
昭和19年10月10日(沖縄島を中心とした十十空襲)米海軍第38機動部隊が南西諸島一帯に艦載機による空襲を行った。
第141海軍航空隊の森田禎介大尉[ 偵察 ]/中村力中尉[ 操縦 ]の二式艦上偵察(艦上爆撃機「彗星」と同型)は、単機
で偵察に出撃。同機は南大東島付近で米機動部隊を発見し、対空砲火を浴びたが、海面すれすれに急降下し、喜界島飛
行場に滑り込んでいる。

昭和20年1月1日10:14 96式陸攻1機が着陸。同機は10:55には南大東島に向けて出発した。
昭和20年1月2日13:19 零式輸送機1機が着陸。同機は14:48に出発したが、機体故障で15:54再び着陸した。
昭和20年1月3日07:55 先日着陸した零式輸送機が試飛行を行い、08:40海軍小禄基地に向けて出発した。
           10:45 96式陸上輸送機1機が着陸。同機は11:05に出発した。
              ※96式陸上輸送機とは96式陸上攻撃機の輸送機型。
この日09:30~10:00頃、沖縄本島へ米艦載機約50機が来襲。米艦載機は主に沖縄島陸軍北飛行場・陸軍中飛行場
と那覇地区の船舶を攻撃した。これに伴い沖縄島海軍小録飛行場の巌部隊(南西諸島空)の96式陸上攻撃機2機は空襲
を避ける為、07:00頃空中退避し、離陸後に基地からの指示で喜界島に着陸。3日後に小録基地に戻っている。
昭和20年1月6日14:44 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は16:18沖縄島の海軍小録基地に向けて出発した。
昭和20年1月7日11:44 艦上爆撃機「彗星」1機が、燃料補給と整備の為に着陸。同機は14:54に出発した。
※南西諸島周辺の索敵を任務としていた沖縄本島小録海軍基地所属の彗星と思われる。
昭和20年1月8日13:20 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は14:10に出発するも16:28再び喜界島に着陸。
昭和20年1月10日10:30 8日に着陸していた96式陸上輸送機1機が海軍小録基地に向けて出発。
昭和20年1月11日10:05 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は10:45に海軍小録基地に向けて出発した。
昭和20年1月15日12:05 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は13:18に出発した。
昭和20年1月16日10:12 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は11:15に海軍小録基地に向けて出発した。
昭和20年1月19日花良治北西の211高地の電探が探信を開始した。
昭和20年1月21、22日米機動部隊から発進した艦載機は、南西諸島一帯に来襲。特に22日の空襲は激しく、沖縄本島
へは約780機が来襲した。奄美諸島では徳之島、奄美大島へも来襲し、飛行場や航行する船舶が攻撃を受けた。
喜界島でも21日から隊内哨戒第1配備が発令され、空襲に備えていた。22日06:00隊内哨戒第1配備が発令。
08:48グラマン18機が来襲、09:30にこれを迎撃したが、8機が高度4000mから喜界島上空に侵入、09:00頃か
ら主に飛行場を銃爆撃して09:15頃西方へ飛び去った。飛行場の損害は軽微だったが、住民22名が死亡、9名が負傷、
家屋23軒が全壊した。迎撃の戦果は撃墜1機、撃破2機と報じられ、被害は燃料車1台の炎上だった。
この日の空襲はほぼ奇襲攻撃となり、避難勧告のサイレンが鳴る前に見慣れない機影の米軍機が雲間に現れていた。
奉仕作業のため滝川の陸軍部隊本部に集合した坂嶺国民学校の生徒40数名は、現場に向かう途中に数機の機影を目撃。
生徒達はそれを友軍機だと思い、中には友軍機だと思い手を振った者もいた。兵隊達も誰も敵機だと騒ぐ者はいなかっ
たという。すると突然機銃音と爆発音が聞こえ、慌ててガジュマルの根元に避難した。
志戸桶国民学校の生徒も、作業に動員されて百之台に向かう途中だった。生徒達は40機編隊で飛ぶ飛行機を見て友軍機
だと思い手を振っていた。すると間もなく爆弾・機銃の音が聞こえ、引率の先生の声に慌てて石垣や木陰に避難した。
喜界島の住民にとって、初めての米軍機空襲は全く想定外で、機影を見た時、当然友軍機だと思い込んだ為である。
独立混成第22連隊第3大隊機関銃中隊の小隊長である西山玉男少尉は、この空襲で海軍部隊が被害を受けたとの知らせ
を受け、状況の偵察を命じられた。建物と物資が大分焼失し、海軍兵士3名が戦死したという。

昭和20年1月23日14:10 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は14:53に鹿屋に向けて出発した。
昭和20年1月29日12:10 96式陸上輸送機1機が着陸、同機は13:10に鹿屋に向けて出発した。
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▲96式陸上輸送機は巌部隊所属で、沖縄戦の始まる3月半ばまで定期的に小録(沖縄)と鹿屋(鹿児島)を往復していた。
昭和20年3月1日米機動部隊は、奄美諸島を含む南西諸島一帯を襲った。この日喜界島へは3回米艦載機が来襲した。
第1波14機は08:20~08:40までに北方から侵入して早町港を銃爆撃した。続く第2波15機は15:05~15:20
までに飛行場を目標に銃爆撃した。続く第3波7機も15:30~15:35まで同じく飛行場を攻撃した。
喜界島防衛隊の高角砲は第2波の1機を撃墜、第3波の1機を撃破したと戦果を報じた。
また、08:00~08:50まで米艦載機12機が来襲、飛行場を銃撃。15:15~15:44には米艦載機20機が来襲、再
び飛行場を銃撃。喜界島防衛隊の戦果はF4U 1機撃墜、同1機撃破で日本側に被害はな無かったものの、これまでで一
番激しい空襲となった。

昭和20年3月4日11:30頃 1機のB24が高度6000mで喜界島を偵察し、投弾後140度方向に飛び去った。
昭和20年3月5日米大型機が飛来し、島を偵察後に飛び去った。
昭和20年3月9日米PB2Y飛行艇が喜界島近海を哨戒。喜界島の偵察が任務の米機で沖縄攻略作戦の準備行動だった
昭和20年3月11日AM 第701海軍航空隊艦上攻撃機「天山」1機が着陸。午後には基地のある九州串良に飛び立った。
昭和20年3月12日AM 99式艦上爆撃機1機が着陸、午後には出発している。
昭和20年3月13日96式陸上輸送機1機が着陸、同機は30分程の滞在で海軍小録基地に向けて飛び立っている。

南西空所属(巌部隊)の96式陸上攻撃機2機は、沖縄上陸直前に海軍小録基地から九州に脱出し、沖縄戦中は沖縄や喜界
島への輸送任務に就いた。1番機の機長は二瓶飛曹長、2番機は大島篤兵曹長だった。

昭和20年3月16日10:42 B24 1機が飛来、喜界島南端沖を航行中の機帆船2隻を攻撃。これを撃沈させた。
沈没した船は機帆船「第19護国丸」と護衛の「大栄丸」で、2隻は喜界島への武器弾薬輸送中であり、第19護国丸は
喜界島に配備された海軍第111震洋隊の特攻艇「震洋」5隻を搭載していた。

昭和20年3月18日14:00米艦載機2機が来襲、早町と小野津に爆撃をして飛び去った。小野津では機銃掃射と焼夷弾
攻撃で民家5~6棟が全焼、死傷者各1名を出した。この日早朝から米機動部隊は、沖縄上陸作戦の準備として九州一帯
に大規模な空襲を行っていた。喜界島に飛来したのはその一部でB24 1機も飛来。島一周の偵察飛行して飛び去った。

昭和20年3月21日16:00~17:00頃、鹿屋を出撃した第1回神雷桜花特別攻撃隊の直援零戦6機が不時着。
18:00過ぎには鹿屋に向けて出発。直援零戦の1機、安部正治1飛曹(第203海軍航空隊所属)によると、直援機の内、
203空所属の岡嶋少佐、安部1飛曹、久住中尉、721空の浅井大尉、橋本飛長が喜界島に不時着している。
5機は燃料を補給してその日の内に笠之原基地に向けて飛び立った。
16:23所属不明の九六式陸上攻撃機1機が着陸、30分余りして小禄基地へ飛び立った。

昭和20年3月22日08:10前日南大東島に不時着していた第1回神雷桜花特別攻撃隊の直援零戦(721空)4機が着陸。
※4機は燃料補給後に鹿屋基地へ出発したが、天候不良の為、2機が喜界島に引き返している。

昭和20年3月23日沖縄へ南下した米機動部隊は沖縄島へ艦載機による大規模な空襲を開始。上陸前空襲である。
この日はAMにB24 1機が喜界島周辺を偵察した他、15:00頃グラマンF6F 2機が飛行場を銃爆撃した。

昭和20年3月24日10:06/13:15/14:14の3回に亘り、グラマンF6F合計23機が飛行場と砲台を銃爆撃。日本
軍の応戦は撃墜1機、撃破1機の戦果を報じたが、下士官1名が戦死した。
前日の空襲は偵察程度だったが、この日からいよいよ本格的に来襲したのである。
同日16:46 701空の艦上攻撃機「天山」15機が串良基地から進出。天山隊には1機の零式輸送機が随伴していた。
同機には701空の大河原中尉以下16名が乗っていた。通信担当の大河原中尉以外は全員整備員であった。
彼等は「天山」の整備の為に派遣されたのである。
この日、第5航空艦隊司令部は701空に、天山隊による沖縄方面の米機動部隊への薄暮攻撃を命令。攻撃後の機動基地
として、喜界島・徳之島・沖縄本島・宮古島・石垣島が指定されていた。海軍は喜界島を沖縄攻撃の中継基地として使
用する事を決定したのである。
22:45この日進出した天山隊(内7機)が沖縄方面の米艦船攻撃に出撃、内2機は攻撃終了後02:00頃喜界島に帰還し
ている。戦果は無かった様だ。
攻撃第251飛行隊の永田徹郎大尉は、この日の16:00に串良基地を出撃している。喜界島で燃料補給後、永田機は沖
縄島の小禄上空に飛来し、燃える沖縄島を目撃している。結局永田機は敵影を見ずに引き返している。
喜界島を出撃した7機の内1機は攻撃第251飛行隊所属の須藤登良夫2飛曹[電信]/大堀秀一少尉[偵察]/湯沢貞祐1飛
曹[操縦]機である。同機は島を出撃後南下したが敵を見ず、帰途中に発動機不調と燃料漏れの為、トカラ列島平島沖に
不時着水している。
第111震洋隊長後藤三夫中尉は、朝焼けを背景に天山11機の出撃を滑走路際で見送ったと回想している。

昭和20年3月25日09:38、14:48、15:04の3回に亘りグラマンF6F合計10機が飛行場周辺や早町集落を攻撃。
19:00頃701空の天山4機が進出。20:00頃同空の攻撃251飛行隊の整備員12名を乗せた零式輸送機が着陸。

昭和20年3月26日00:45天山5機が出撃。その後4機が攻撃を終え04:00頃相次いで帰還、06:00頃串良へ向け
て出発。※戦果は米戦艦2隻を撃沈・炎上させて全機が無事に帰着している。
小林文男1飛曹[操縦]/野口泰助上飛曹[偵察]/加藤正雄2飛曹[電信]の天山は02:50頃、碇泊している米戦艦に魚雷
を命中させた。合庭喜俊上飛曹[操縦]/大内公威上飛曹[偵察]/中根音松2飛曹[電信]の天山も同時刻頃戦艦に対して
数回やり直しの後に魚雷を命中させたと報告しているが、この日米軍の記録に、該当する戦果は記録されていない。
00:30には零戦1機が着陸し、06:15には合計零戦2機が鹿屋に向け出発した。
夜が明けると米軍機は再び来襲。午前中2回、午後2回の合計50機が飛行場と砲台を攻撃した。特にPMはそれぞれ27
機と17機が来襲する激しいものだった。戦果は1機撃墜、3機撃破と報じられた。
空襲の終った1時間余り後、701空の艦上爆撃機「彗星」18機(内1機は着陸時にプロペラ破損)、天山5機、零式輸送
機3機が飛来した。特にいたっては彗星は250㎏爆弾を積んだまま九州から飛来した。
零式輸送機には渋江清中尉以下准士官以上3名(兵器整備中尉/整備中尉/整曹長)、攻撃第103飛行隊の整備兵20名、
通信科11名、衛生兵1名、主計兵1名が乗っていた。
米軍の空襲は夜間も続いた。20:00から喜界島は夜間戦闘機の制圧を受け21:00に飛行場が銃撃を受けた。
これが喜界島への初めての夜間空襲である。

昭和20年3月27日02:00前日に進出した艦上攻撃機「天山」4機が沖縄へ出撃。
※1機減っているのは、串良基地から前進する途中、1機が喜界島西北に墜落したからである。
05:30神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」の彗星12機が特攻々撃の為離陸したが、内2機が離陸時に自爆し搭乗員4名が戦
死した。この日は前日夜の空襲で損害を受けた為、整備が出来た機から出撃することになっていた。
離陸しようとした宮原1飛曹/橋本飛長機が、離陸寸前に海岸沿いの岩礁に接触して爆発した。
夜が明けて調査すると、本来飛行場の端に置いてあるはずの目標灯が海岸の岩の上に移動されており、その為、岩礁に
衝突した可能性が高い事が判明した。日本軍はこれをスパイの仕業と判断し、懸命に捜索を行ったが犯人を逮捕する事
は出来なかったという。(出撃時は濃霧で離陸目標灯も見えない状態だったとも言われている)
橋本飛長の遺体は後頭部が半分飛んでいたが、その顔はまるで微笑みかけるような笑顔だったという。
遺体は小高い丘に埋葬され、島の乙女達が毎日花を供えてくれた。この日出撃した残りの彗星は07:35に1機が帰還
した他は全機未帰還となっている。
彗星隊のエンジン音に中里集落の住民は、眠りを覚まされた。出撃は密やかに一晩のうちに住民の間に伝わっており、
住民は滑走路の見える村外れで密かに見送ったという。出撃は軍事機密で極秘だっただろうが、出撃準備の為の人の動
きで住民達は知ったのだろう。この日も米軍機の空襲は激しく08:05~15:30までに合計83機が来襲した。
戦果は2機撃墜、1機撃破と報じられたが、中里の烹炊所が倒壊し兵1名が負傷。また701空の彗星2機が炎上している。
同日、九州の第五航空艦隊では各基地に基地指揮官をお置く事になり、大中少佐13名が着任。
喜界島には喜界基地指揮官として佐藤勇少佐が五航艦司令部付けとして4/1に着任することになる。

昭和20年3月28日15:45米軍機8機来襲。
18:45陸軍三式戦「飛燕」11機が着陸。(知覧基地に進出した飛行第59戦隊か?)
新田原基地を出撃した陸軍特別攻撃隊「誠第39飛行隊」(隊長 笹川勉大尉以下8機)の一式戦「隼」が喜界島に着陸。
同隊は徳之島を目指していたが、奄美大島上空で天候が悪化し、やむなく不時着した。
※米軍沖縄上陸直前に城久集落の区長の元に「特攻隊が沖縄に行くべきところ状況が悪くて行けない」と言って訪ねて
来た事があった。特攻隊は一晩宿泊し、住民は皆が一升ずつ酒を持ち寄って隊員を慰労した。
その特攻隊員は10名位だったというので、この話は誠第39飛行隊の特攻隊員の可能性が高い。
18:50 701空の天山1機が着陸。同機は17:00に串良を出撃していた。この1機と既に喜界島にいた3機を合わせた
4機が日付の変わった1:20~4:15までの間に喜界島を出撃した。1機は07:45に串良に帰還している。

昭和20年3月29日前日不時着した誠第39飛行隊の隼8機が徳之島浅間陸軍飛行場へ前進。
誠第39飛行隊4機は3/31徳之島から特攻出撃。(笹川 勉大尉/高橋晋二中尉/瓜田忠治少尉の3名が特攻戦死)
06:20 26日に進出した701空「彗星」の残存5機が、国分基地に帰還の為出発しが、種子島南東で米戦闘機と遭遇、
攻撃第105飛行隊長北詰実大尉と同分隊長梅田章大尉がこの空戦で戦死した。1機は引き返し07:10喜界島に着陸。
沖縄周辺の輸送船団攻撃の為、台湾の新竹基地を出撃した天山3機が宮古島通過後、喜界島に向っているが、実際に喜
界島に着陸したかは不明。

昭和20年3月30日01:06天山2機が沖縄攻撃に出撃。1機は輸送船を雷撃したが、もう1機は未帰還となった。
06:25零戦1機が鹿屋に出発。07:11零戦2機が着陸している。
14:25前日着陸した陸軍の飛燕11機が九州の基地へ帰還する為出発。
15:37グラマンF6F8機が来襲、飛行場を銃爆撃した。

昭和20年3月31日07:03、09:30、16:32の3回に亘り、米軍機合計38機が来襲。
このように3月23日以降、連日の様に米軍機が来襲。最初は空襲の度に警報発令と解除を繰り返していたが、空襲が激
化すると発令が間に合わなくなってきた。その為3/5頃から喜界島では空襲警報を出しっ放しにして、解除の警報を出
さない事にしたという。沖縄戦に伴う喜界島の使用は3/21から始まり、主に701空の天山・彗星が使用した。
飛行場に対する米軍機の空襲はほぼ連日行われていたが、全く行われない日もあった。そして喜界島を巡る日米両軍の
攻防は米軍沖縄島上陸の4/1以降激しさを増していくのである。

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喜界空港正面に戻り、そこから歩いて行ける場所に現存する「中里戦闘指揮所跡」を見に行く。
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今回お世話になった喜界レンタカーサービスから中里集落の中に入っていく。当時の滑走路は2本だったので、此の辺
りも完全に海軍の飛行場敷地内だった。

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歩く事2分程度。「中里戦闘指揮所跡」の案内表示があるので左折して入って行く。
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▲すると見えた。戦闘指揮所跡。建設時期は当時最高機密とされ不明となっているが昭和19年頃だろう。
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国内で唯一残る鉄筋コンクリート製の半地中式「戦闘指揮所」だ。特徴的な形をしている。
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         戦闘指揮所跡はぐるり一周見学する事が出来るが、中には現在は入れない。
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▼最初に見える入口は昭和20年4月29日の大規模な米軍の空爆で直撃弾を受け、激しく破壊されている。
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直撃弾は戦闘指揮所付近に居た日本兵を吹き飛ばし、日高玖治上等整備兵曹/大脇弘一等整備兵曹が戦死している。
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戦闘指揮所入口に命中した爆弾で、近藤宗男二等整備兵曹は1~2m吹き飛ばされた。爆撃で厚さ15㎝の扉は内側に開
き、通路はセメントの塊で一杯だった。近藤兵曹は仲間と負傷した村田繁之上等整備兵曹をセメントの塊を取り除いて
助け出した。近藤兵曹は木製の扉1枚のお陰で命拾いしたという。
小谷内時男整備兵曹は階段室の瓦礫の中から、同年兵の日高玖治上等整備兵曹を助け出したが、彼は内臓をやられて死
亡していた。小谷内兵曹は日高兵曹と、天長節に配られる酒・ビール・煙草・お菓子の話をしたばかりであった。
数日後には同じ階段室の瓦礫の中から、大脇弘一等整備兵曹の遺体が発見されている。

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         反時計回りに見学していく事にする。
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遺構の直ぐ脇は民家があるので、迷惑をかけずに静かに見学する事を心がけたい。
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周辺には燃料庫や弾薬庫も同様に作られた。詳細な位置は不明だが、燃料庫と燃弾庫は荒木集落周辺、弾薬庫は湾港周
辺にそれぞれ作られた様だ。燃料庫と燃弾庫には敗戦時で航空91揮発油(オクタン価91の燃料)が92.8㎘航空87揮
発、油が28㎘、航空85甲揮発油が17㎘で残っていた。別の資料では敗戦時、航空用揮発油19万ℓあったとされる。
湾港には敗戦時、800㎏爆弾18発、500㎏爆弾8発、250㎏爆弾41発、60㎏通常爆弾48発、6番2号爆弾8発があっ
たことが分かっている。こうした燃料や爆弾は沖縄戦中に相当量が消費されているので、沖縄戦開始前は敗戦時を遥か
に上回る量が備蓄されていた事になる。これらの多くが運ばれた時期は、飛行場に南西諸島海軍航空隊(通称巌部隊)が
配備された昭和19年7月頃だろう。

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直撃弾を受けた側と真反対。経年劣化でコンクリートが剥がれ、鉄筋がむき出しになっている。
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入口は前後対称に4ヵ所。この入口は坑木も残り、半地下の作戦室への階段も綺麗に残っている。
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2017年までは中に入って見学出来たらしいが現在は入壕禁止となっている。階段が残っているのは2ヶ所のみ
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戦闘指揮所跡では軍事的な判断や特攻隊員への作戦指示が行われていた場所と伝えられている。
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▲砂利やサンゴ混ざった外壁のコンクリート。コンクリートには砂利の代わりにサンゴが含まれている。
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入口が4つあって大きな地下壕に見えるが、半地下の作戦室は1つだけとの事。
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▼作戦室の写真。右奥に写る大きな穴2つが特徴的な形をした煙突の様な穴から繋がっている部分だ。
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▼此処で早咲きの特攻花を見る事が出来た。
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当時、喜界基地を中継した特攻機は、整備・給油の為に飛来。特攻隊員はこの指揮所内で最後の杯を仲間達と交わし、
翌日、沖縄に向けて出撃していったと伝えられる。
「戦闘指揮所跡」は、喜界空港から徒歩5分もかからないので、周辺道路の道幅や駐車場が無い事を考慮し、車ではな
く徒歩での見学をお勧めする。喜界空港到着後や、島を離れる前に飛行場での時間待ちに見学に行くのが効率が良い。


大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月1日沖縄本島に米軍上陸開始。米軍は上陸作戦に兵力を集中した為か喜界島への空襲は低調だった。
14:00頃グラマンF6F 8機が飛来哨戒し、その後B-29が1機飛来したのみであった。
日本軍機は、串良基地を出撃した攻撃第251飛行隊の天山3機が沖縄攻撃後、日付の変わった01:52~03:00まで
の間に喜界島に着陸し、燃料補給後に串良基地へ帰投した。これとは別に攻撃第256飛行隊の天山1機も沖縄攻撃後に
喜界島で燃料補給し、串良基地に帰還している。串良基地は「菊水天山隊」をはじめ、多くの神風特別攻撃隊が天山で
特攻出撃している。
19:10には131空の天山4機、721空の爆装零戦4機が喜界島に進出した。この内天山1機が着陸時に墜落。
23:00頃には進出した天山は相次いで沖縄に向けて出撃していった。
この日、喜界島基地指揮官として、第5航空艦隊司令部付の佐藤勇少佐が着任した。

昭和20年4月2日08:25/09:35/15:25/16:40の4波に亘り米軍機来襲、合計39機が飛行場砲台を空襲した。
応戦戦果は5機撃墜を報じたが、兵3名が戦死、兵1名が負傷した。他に高射砲1基が破損し使用不能となった。
19:24新たな天山6機が喜界島に進出してきた。攻撃第251飛行隊3機、同256飛行隊1機、210空2機。
夜間に飛行機が無事に着陸する為には、飛行場で夜設員がランプを点けて滑走路の位置を表示しなければならない。
その為、夜設員は何事が起きても部署を離れないように厳命されていた。だが夜設点灯の信号でランプを点けた途端に
米軍機は銃撃してくるので、ついにはもう信号があっても点灯してはいけないとの伝達がなされた。正に夜設員も命が
けだったのである。

昭和20年4月3日06:10台湾の新竹基地を出撃し、那覇を攻撃した天山1機が着陸した。
09:13には陸軍の99式襲撃機1機(第30振武隊?)が不時着しているが所属部隊等は不明。
07:45、16:20の2回に亘り、延べ35機の米軍機が来襲し飛行場を銃爆撃した。
午後来襲した米軍機は、空母「バンカーヒル」、「キャボット」、「バターン」の艦載機32機だった。
15:30爆撃を終えた米軍機が集結した時、国分基地から飛び立った601空の零戦隊が襲いかかり、激しい空戦となる。
この空戦で被弾した601空戦闘第310飛行隊の梅林義輝上飛曹は、空戦で1機を撃墜した直後、別の米軍機に銃撃され
被弾、喜界島飛行場に胴体着陸した。その晩は民家を接収した仮兵舎で過ごし、翌4日に不時着した彗星の後席に乗っ
て国分基地に帰還した。また、梅林上飛曹は喜界島に滞在中、同期の堀江真上飛曹に会っている。恐らく721空の爆戦
隊員として島にいたと思われる。(その後堀江上飛曹は6月22日「桜花」の搭乗員として出撃し戦死している)
18:00頃、知覧を出撃した陸軍第30振武隊の99式襲撃機13機が喜界島に着陸。本来は徳之島に前進する予定だった
が、徳之島上空が空襲中なのを見て喜界島に反転、米軍機の攻撃を受けながらも無事に穴だらけの滑走路に着陸した。
この他に、03:40に知覧基地を出撃した、飛行第65戦隊の一式戦「隼」2機(和田邦康曹長と石原勇曹長)が、攻撃
終了後喜界島で給油して帰還した。

昭和20年4月4日06:55、16:13の2回敵襲、合計25機で飛行場と砲台を銃爆撃。日本軍の応戦で6機を撃墜。
09:40戦闘機が護衛した米飛行艇が海面を捜索して、2回着水している。これは日本軍の応戦で撃墜された戦闘機の
搭乗員捜索&救助の為だ。日本軍でも開戦当初は潜水艦等で搭乗員を救助する計画が立てられた事もあったが、大戦末
期はその様な余裕は全く無く、出撃=死 が当たり前になっていた。
搭乗員1人を育てる時間と費用を考えれば、米軍がパイロットの人命を大切にするこの行動は、撃墜機が出ると必ずと
言って良いほど救助作業を行い、死体であっても極力アメリカ本国に連れて帰るという事を終戦まで続けている。
14:03陸軍99式襲撃機3機が不時着しているが所属部隊等は不明。
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▲海軍喜界島基地の写真では無いが、戦時中の海軍飛行場の古写真。この様な感じだったのだろう。

昭和20年4月5日08:16、13:23の2回に亘りそれぞれ約1時間づつ、延べ75機が大挙来襲、飛行場と砲台を空襲。
日本軍の応戦で6機撃墜、11機撃破。米軍は18:37に戦闘機が護衛する飛行艇が救助作業を行っている。
この大空襲で喜界島飛行場は40数発を被弾し使用不能となったが、南北滑走路は必至の復旧活動で16:23復旧した。
しかし、東西滑走路は完全に使用不能となってしまった。飛行場の修理は海軍第321設営隊の他、5日からは住民も動
員された。在郷軍人で編成された独立第18中隊や、満15歳以上の住民の男女が動員され、陸軍部隊も毎夜兵力を派遣
して協力した。弾痕を埋める為に中里・湾・赤連集落の石垣を徴発し、不足分はドラム缶を埋めて地面を整えた。
度重なる滑走路修理で中里集落の石垣がなくなってしまったと言われたほどであった。滑走路の穴埋めに使われた石垣
は戦後に掘り出されて販売されたという。
これだけ激しい空襲があったのには理由がある。翌6日から日本軍は菊水1号作戦を予定しており、沖縄周辺の米艦隊
に大規模な航空攻撃を予定していた。第5航艦司令部は喜界島基地へ「明六日所在部隊ノ全力ヲ指揮シ多数機ノ発着ニ
対シ燃弾補給飛行機ノ被害極限飛行場ノ修復ニ努メ作戦ニ支障ナキヲ期セラレ度」と命令している。
また陸軍でも特攻機約30機を喜界島に前進させ、6日の攻撃に参加させようとしていた。
これに対して米軍は作戦実施を暗号解読で事前に知っており、中継基地としての使用を阻止する為に大規模な爆撃を行
ったのである。

昭和20年4月6日02:00頃索敵に飛び立った芙蓉部隊の彗星1機が不時着した。
※芙蓉部隊は夜戦飛行隊3隊で編成された夜間攻撃専門の部隊で、最後まで特攻攻撃を拒否した部隊として有名。
03:20攻撃第251飛行隊の天山2機が沖縄攻撃へ出撃。しかし1機が発動機不調で海面に不時着炎上した。
峰村昇上飛曹[偵察]は重傷を負って一命を取り留めたが、佐藤勇上飛曹[操縦]と片寄守正2飛曹[電信]が戦死。
峰村上飛曹は4月末に飛行機で内地に帰還したが、右足を大腿部中央から切断して義足となってしまった。
06:10陸軍飛行第65戦隊の一式戦「隼」2機が着陸、神宮武少尉と前田健郎伍長だった。
2機は6日未明に知覧を出撃、喜界島に前進したが、敵機の妨害で出撃できずに7日に帰還している。
他には鹿屋を出撃した神風特別攻撃隊「第1七生隊」森丘哲四郎少尉が発動機不調で喜界島に不時着した。
菊水1号作戦の決行日であるこの日は、04:50、06:30、08:02、13:20の5波に亘り、合計90機の米軍機が大
挙来襲し、飛行場・砲台・飛行機秘匿所を攻撃した。日本軍の応戦は撃墜9機、撃破10機と報じられ、米軍搭乗員1名
を捕虜にしている。被害は戦死1名、負傷3名を出し、飛行場は100発以上被弾し滑走路には大型爆弾の破孔約30が空
いて使用不能になり、また復旧作業に追われる事となる。
捕虜になった米搭乗員はトーマス(Arthur・M・THOMAS)海軍少尉で、トーマス少尉はArthur・L
・MATHENY海軍3等飛行兵曹と艦上爆撃機SB2Cヘルダーバーに搭乗。午後に喜界島飛行場を爆撃に来たとこ
ろを、対空砲火に撃墜され捕虜となった。トーマス少尉は落下傘で脱出したが、同乗者は機と運命を共にした。
しばらくの間トーマス少尉は捕虜小屋に収容されていたが、4月末~5月初め頃に日本軍将校の手によって処刑された。
07:40陸軍一式戦「隼」2機が着陸、1機は着陸時に大破してしまった。この2機は第21振武隊所属機だった。
※4/6に知覧から出撃した第21振武隊の隼は1機が沖縄周辺の米艦隊に突入、散華しているとなっているが、第21振
武隊隊のほとんどが4/26に喜界島に不時着しており、戦闘行動は未だはっきりしていない隊でもある。
17:00一式戦「隼」2機、飛行第59戦隊所属の三式戦「飛燕」3機、第46振武隊の97式戦闘機6機が進出してきた。
「隼」2機は第22振武隊の大貫健一郎少尉と大上弘少尉機だった。2機は13:00知覧基地を第21振武隊長 水川禎輔
中尉と共に出撃。水川中尉は徳之島に着陸している。その後水川中尉は紆余曲折あり最終的に行方不明となる。
大貫少尉と大上少尉はその後喜界島から出撃し、敵機と空戦の後大上少尉が戦死。大貫少尉は徳之島に不時着して一命
をとりとめ、その後福岡県にあった振武寮(特攻出撃して生き残った者が入れられる寮)に入れられ終戦を迎えている。
12:45爆装零戦1機(721空の指田良男1飛曹)が米機動部隊攻撃の為出撃した。単機出撃となってしまったのは残りの
3機がこの日の米軍による空爆で大破してしまったからだ。
この日1人の日本軍搭乗員がパラシュートで降下後、海上に浮かんでいる所を米空母「ホーネット」に救助されている。
日本兵は「自分が飛行教官であり喜界島から出撃した」と米軍に語っている。この搭乗員の氏名は不明だが、証言内容
から判断して爆装零戦で単機出撃した指田良男1飛曹の可能性が高い。
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▲戦闘指揮所跡から歩いて10分程度の場所に、当時、戦闘機の誘導路に沿って飛行機を格納する為の掩体壕が、無蓋掩
体壕55箇所、有蓋掩体壕1箇所、隔壁21箇所建設された内の唯一の屋根付きコンクリート製の有蓋掩体壕が残る。
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海軍第2神雷爆戦隊の零戦6機(500㎏爆弾搭載)が喜界島に進出した際、細沢実1飛曹の零戦を格納している。
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▼知覧基地跡(鹿児島県)に復元された無蓋掩体壕。空爆の爆風等から飛行機を守る三方土盛しただけの簡単な物だ。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月6日の続き。
この日は日本軍機の不時着が多く17:00までに零戦7機、彗星2機、天山5機、隼3機、97式戦5機が喜界島に不時着。
陸軍97式戦4機は第42振武隊(隊長 猫橋芳朗少尉)の一部で、猫橋隊長率いる7機は知覧基地を離陸して喜界島に直行
した。この時、中野友次郎少尉と松澤平一少尉は種子島飛行場に不時着した為、2機は喜界島進出が遅れる事になった。
残り5機は4/8喜界島から出撃した牛島少尉、仙波少尉、尾久少尉、馬場少尉+(大西少尉)の可能性が高い。
不時着した搭乗員達は早町に駐屯する海軍第40震洋隊の兵舎に宿泊したり、飛行場の東の丘の上の平地に、穴を掘った
三角兵舎などで宿泊した。蚊やハエが沢山おり、照明はランプのみ、食事は7分づきのご飯に、味噌汁と沢庵という粗
末なものだった。空襲が激しく火が焚けない日は、乾パンが食事の替わりに支給された。
ある搭乗員は基地司令からの依頼で、集落を訪ねて島民が安心する戦闘状況を話して回ることになった。訪問した家で
白米と岩海苔の味噌汁の食事を頂いたり、板砂糖の天ぷらとお茶の接待に預かったりしたようだ。
兵舎の飯は7分搗きで美味しくなかったが、民家では銀飯が出された。
集落訪問は搭乗員にとってもよい栄養補給となったようだ。この様に6日は多数の日本機が喜界島を使用している。
だが天山と721空の爆装零戦だけが攻撃のた為の使用であり、陸軍機を含めてほとんどが不時着であるが、既に米軍機
の空襲の為、昼間の中継基地としての使用は、ほとんど不可能な状態になっていたのである。

昭和20年4月7日この日の敵襲は04:30、16:23に合計3機が来襲したのみ。
それは米機動部隊が戦艦「大和」を中心とする海上特攻隊に攻撃を集中したからである。11:30約220機の米軍機が
喜界島上空を通過している。これが大和攻撃に向う米軍機の大編隊だった。
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▲米軍の哨戒機に撮影された戦艦大和を含む日本海軍艦艇。前日6日午後に泊地の瀬戸内海・徳山沖から出撃した沖縄特
攻艦隊は、豊後水道を抜けて九州の東側を回るコースを取ると、7日未明には鹿児島県の大隅半島と種子島の間を通り西
に向かった。同日12:30頃約220機の米軍機が近づいて来るのを察知した艦隊は、それまでの対潜警戒陣形から巡洋艦、
駆逐艦で大和の周囲をぐるりと囲む対空戦闘陣形に切り替えた。写真では艦隊が輪形陣を形成していることが確認できる
為、喜界島上空と通過した第1波攻撃の直前に撮影されたと推測出来る。大和の戦闘は12:34から始まる。
Naval Legends: Yamato | World of WarshipsYouTube
06:00~07:30陸軍飛行59戦隊の直援機「飛燕」2機と共に陸軍特攻第22振武隊の隼2機、陸軍特攻第46振武隊の9
9式襲撃機2機(小山勝実少尉と伊原佐源次伍長)が特攻出撃。那覇周辺の米艦隊に突入していった。
3日に喜界島に前進していた第30振武隊の99式襲撃機5機は徳之島に進出。別に隼2機も出撃しているが所属は不明。
22振武隊の隼4機の内2機は大貫健一郎少尉と大上弘少尉機であろう。2機は5日に喜界島に前進していたが、7日朝に徳
之島前進の為?飛び立った。だが途中でグラマンの攻撃を受けて大下機はそのまま行方不明となり、大貫機は被弾しなが
らも徳之島飛行場に不時着し、その後終戦を福岡の振武寮で迎えて生き延びた。
17:30陸軍特攻第46振武隊の99式襲撃機2機(古川栄輔伍長と堀越進伍長)が特攻出撃。那覇周辺の米艦隊に突入して
いった。第46振武隊記録では同日「渡辺博伍長も喜界島から出撃」となっているが詳細は不明。
※陸軍99襲撃機の特攻機は60㎏程度の小型爆弾が座席後部下に、真っ赤に錆びた小指程の太さのワイヤーでぐるぐる巻
きに縛ってあったのを海軍の増戸1飛曹が目撃して愕然としたという。旧式で重い爆弾は装着不可だったのだろう。
また、増戸1飛曹は同年輩の陸軍特攻隊員が「宿泊の夜は黙して一語も話さなかったのが印象的に心の中に残っている」
と回想している。どんなに決死の覚悟を固めても、「明日死ぬ」となると、その心の中は穏やかではなかったのだろう。
17:45陸軍特攻42振武隊の97式戦闘機2機(松澤平一少尉/中野友次郎少尉)が種子島から進出した。
彼等は4/6知覧を離陸後、一旦種子島に降りて機体を修理。喜界島の様子を確認した所「喜界島は空襲中なので翌日出発
せよ」との命令で翌7日に喜界島に進出してきたのである。
42振武隊の97式戦闘機は旧式で、喜界島までは高度50~100mで飛行。100㎏爆弾を抱えている為速度は150~160
㎞/hがやっとだったという。喜界島に着陸した時は、翼内タンクは空で胴体タンクも10~20分飛べる量しか無かった。
大西造少尉機はその夜の米軍機の空襲で焼失してしまう。大西少尉はその後福岡の振武寮に入れられ、生きて終戦を迎え
ている。17:45陸軍特攻第29振武隊の「隼」3機(及川喜一郎伍長/上川幟伍長/山田忠男伍長)が喜界島に進出した。
3人は(隊長)中村實少尉と共に15:00頃知覧基地を4機で出撃した。進撃途中に雲中突破を図った際、中村少尉とは離
れ離れになり、中村少尉はそのまま未帰還となった。
小雨交じりの夕闇迫る中、3機は飛行を続け、そして敵味方不明の飛行場(喜界島)に着陸した。途中で遭遇した潜水艦を
爆撃しようと爆弾の信管を外してしまったので、まさに決死の不時着であった。
不時着後、基地隊員の話を聞いて始めて3人は此処が喜界島であることを知った。3機は整備員の手により、飛行場から5
~600m離れた雑木林の中の無蓋掩体壕に収容された。3人は第6航空軍の戦闘指揮所に申告、次命あるまで待機する様
に命令された。飛行場には爆弾跡の弾痕が無数に空き、周辺には爆撃で破壊された零戦の残骸が散乱していたという。
決死の不時着だった事を物語っている。
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▲七島鼻。喜界島で一番高い場所。
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▲こんもりした不自然な盛り上がりと突き出た煙突の様なコンクリートが見える。
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▲蓋がしてあるが、間違いなく地下壕に続く通気口だ。
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▲反対側に回ると、あった!地下壕への入口。
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▲流石一番高い場所が軍が抑えていた。戦時中は海軍の電波探知基地が置かれていた。
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当然、入壕する。
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先程見た通気口に繋がる穴が2ヵ所確認出来る。
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6畳位の大きさの部屋が1つあるだけだった。
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今直ぐ使えそうな程度の良い状態だった。
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▼さぁ、外に出よう。
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▼此処から太平洋を監視していたのだろう。度重なる空襲でも耐えた地下壕だ。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月8日06:30陸軍第68振武隊の97式戦闘機2機(山田勇少尉と山口怡一少尉)が進出喜界島に進出。
17:30陸軍特攻第42振武隊の97式戦闘機5機(松澤平一少尉、牛島久男少尉、馬場洋少尉、尾久義周少尉、仙波久男
少尉)が特攻出撃。沖縄の米艦隊に突入、散華した。

昭和20年4月9日11:15、14:20、16:45の3回に亘り、延べ38機来の敵機襲、飛行場と砲台を銃爆撃。
この日、米軍は常時上空制圧を行った。これまでの空襲は1日に数回編隊で攻撃するもので、攻撃と攻撃の間は米軍機
は上空にいなかっだが上空制圧はそうした攻撃の間の空白を無くすもので、昼間の日本軍機の使用を完全に制圧する
効果をもたらすのが狙いだった。空襲の終わった17:10陸軍99式襲撃機4機が攻撃に発進。
17:30陸軍特攻第68振武隊の97式戦闘機2機(山田勇少尉と山口怡一少尉17:40)が特攻出撃。沖縄で散華した。
17:30陸軍特攻第42振武隊の97式襲撃機3機(猫橋芳朗少尉、近藤幸雄少尉、中野友次郎少尉)が特攻出撃。
徳之島を過ぎた所でグラマンと遭遇、中野少尉機はかねての打ち合わせ通り爆弾を落として空戦に入った。
旧式の97式戦闘機、空中分解寸前で空戦後、中野少尉は被弾だらけの機体で徳之島飛行場に不時着し、着陸と同時に
エンジンが停止。その後出撃出来なくなってしまった。
昭和20年4月10日午後より雨で両軍共活発な動きは無し。
昭和20年4月11日09:21、14:26、15:00の3回に亘り、延べ60機の米軍機が飛行場を銃爆撃した。
この日米軍機は06:25~18:58まで、2機乃至15機の編隊で間断なく喜界島周辺上空を哨戒。この日が米軍機によ
る上空哨戒戦法の開始で、上空出来る事常に飛行機を旋回させて飛行場の状況を監視、その使用を継続的に妨害する
戦法だった。この夜間空襲は空母「エンタープライズ」の雷撃飛行隊によるもので、米軍機は徳之島と喜界島に対し、
2機ペア5チームが飛行場を攻撃し、19:45~06:00まで120個の爆弾、80発のロケット弾、数百発の12.5㎜機
関砲弾を浴びせ、喜界島を一晩中眠らせなかったという。
この24時間空襲とも言える米軍の行動で、この日「彗星」2機、整備兵16名を乗せた零式輸送機1機、天山1機(児玉
研治1飛曹、芝祐寅2飛曹、喜多主俔飛長)が撃墜されている。
更に11:35米夜戦1機が飛行場に投弾し、この攻撃で陸軍一式戦「隼」1機が炎上、第29振武隊の山田忠男伍長の機
だった。電話連絡を受けて第29振武隊3人が飛行場へ行くと、掩体壕内の山田伍長機が炎上し、機体の機関銃弾が炸
裂していた。山田伍長は燃える愛機の側で呆然と立ち竦んでいたという。
米夜戦はパラシュート付きの照明弾を投下し、滑走路修理作業中の作業員やトラックにも銃撃を行った。
作業員は銃撃に慌てて大混乱になり、負傷者が続出したという。11日に米軍がこれほど執拗に夜戦で制圧したのは、
12日の菊水2号作戦での喜界島使用を阻止する為だった。米軍は見事その目的を達成し12日、喜界島からの日本軍機
の出撃は見合す事となったのである。

昭和20年4月12日この日も米軍は18:00頃まで終日、4機乃至8機編隊で島上空を旋回、飛行場へ銃爆撃を行った。
昨日に引き続いての上空哨戒戦法である。さらに日没時からは夜戦4機が来襲し、飛行場周辺の哨戒を続行した。
97式艦攻3機、彗星2機、零戦1機、97式戦闘機2機、3式戦飛燕1機が炎上した。
12:39~14:50頃まで、海軍343空の紫電23機/紫電改34機と、グラマン/コルセア50数機との空中戦が繰り広
げられた。343空の大坪通2飛曹はこの日グラマン1機を撃墜したが自らも被弾して喜界島に不時着した。
そして島の洞窟の病院のベッドで寝ていたという。

昭和20年4月13日14:30頃米軍機2機が飛行場に制圧照明弾並ロケット弾10数個投弾。
07:56、09:30に延べ36機来襲。18:40にはグラマンF6F/F4Uコルセア212機来襲。常態化した夜間制圧と
上空哨戒戦法がこの日も続けられ、天山1機と彗星1機が炎上。主滑走路が使用不能になった。
こうした状況を受けて喜界島航空基地は、鹿屋の第5航空艦隊司令部へ基地の使用方法について意見具申をした。
内容は喜界島へ前進する場合は到着時刻を発進基地へ島から通知し、時間が間に合わない時は着陸を取り止める。
飛行機とは直接無線連絡を取って、情勢の変化に応じて行動を指示する。
着陸が危険な場合は信号と赤旗で連絡し、退避の場合は発進基地に戻るか50浬圏外で待機する。
喜界島での燃料補給は極力しないように計画する。というものであった。ここ数日間で喜界島の状況は急激に悪化し
たのである。
日没後の18:15陸軍99式襲撃機2機が特攻出撃。第30振武隊(池田強伍長)/第46振武隊(小林貞三伍長)だった。

昭和20年4月14日米軍の空襲は低調で、06:15に8機が飛行場を銃爆撃しただけだった。
陸海軍兵士、そして島民の不眠不休の努力で滑走路は06:30には1300m×60mが復旧。
この復旧途中の滑走路から05:30零戦1機が国分基地に向けて出発。13:45には601空の零戦1機が不時着した。
そして19:10陸軍特攻第29振武隊(及川喜一郎伍長と上川幟伍長)の一式戦「隼」2機が特攻出撃。
及川伍長と上川伍長は第6航空軍将校の激励の言葉を受け、別れの杯を飲み干し、11日に愛機を空襲で破壊され、
出撃できない山田伍長と手を固く握り合うと、沖縄に向けて出撃していった。
陸軍守備隊の小川高男中尉は一升瓶を持って飛行場に駆け付け、整列を終えた特攻隊員に送別の酒を注いだ。
この日、沖縄周辺で戦艦ニューヨーク(USS New York BB-34)の三番砲塔付近に日本軍の特攻機が突入、カタパ
ルトを破壊して特攻機は跳ね返って落下、爆発。もう1機は船から50ヤード(46m)に墜落した。
戦艦ニューヨーク乗組員2人が負傷し、突入した特攻機をOSCARと米国が記録している。
OSCARとは陸軍一式戦闘機「隼」の米軍呼称で、この日「隼」で出撃した特攻隊は、喜界島から出撃した第29振武
隊のみである。戦果は及川伍長と上川伍長の特攻々撃によるものである可能性が非常に高い。

昭和20年4月15日06:18、16:00の2回に亘り延べ34機が飛行場を銃爆撃した。
05:30陸軍特攻第46振武隊の99式襲撃機1機(中村稠[ しげる ] 伍長)が特攻出撃。
18:00陸軍特攻第30振武隊の99式襲撃機1機(今井実伍長)が特攻出撃。
この日陸軍の第百飛行団では、沖縄飛行場攻撃の為にに4式戦「疾風」11機が出撃。この内飛行第101戦隊の矢野寛
曹長、飛行第102戦隊の橋本富治軍曹と下村軍久義曹が17:50喜界島に不時着。着陸時に矢野機は海岸に衝突して
機体は炎上したが、矢野曹長は軽傷を負っただけで無事だった。
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▼▲喜界島戦跡地図と当時の陸海軍喜界島守備隊
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陸軍部隊「田村部隊/田村少佐以下650名、海軍南西諸島航空隊喜界島派遣隊(巌部隊)伊藤大尉以下611名
海軍宮本部隊(飛行場設営隊含む)/宮本大尉以下564名、海軍友寄部隊/友寄大尉以下131名、
海軍第40震洋隊/安藤大尉以下180名、海軍第111震洋隊/後藤中尉以下182名
陸軍独立混成第22連隊第1大隊(隊長 橋爪捨雄少佐・副官 小川高男中尉)/第2大隊(隊長 荒二井芳衛少佐)
第3大隊(隊長 田村道之助少佐)
在郷軍人(郷軍)
独立第17中隊/福岡水彦軍曹以下363名、独立第18中隊/宮島喜蔵軍曹以下150名。
以上合計2831名の日本兵が守備を固めていた。

昭和20年4月16日17:30に8機の米軍機が島の上空を哨戒しただけで、飛行場への攻撃はなかった。
08:20~09:00頃まで、343空の紫電改32機と、空母ホーネットの第17戦闘飛行隊、空母バターンの第47戦闘飛
行隊のグラマン28機との空中戦が繰り広げられた。この空中戦で米軍は撃墜7機、同不確実1機、撃破5機を報じ、2機
が被弾して着艦時等に失われたが搭乗員は救助された。午後になると米軍が海上の搭乗員救出の為、3回に亘り飛行艇を
派遣するのが目撃されている。対する日本側は一挙に9機を失うという大敗を喫した。
343空の空戦は08:30に終了し、それと入れ違いに601空の零戦30機と紫電12機と、米軍の第47戦闘飛行隊との空
戦が行われた。日本軍は7機撃墜、5機撃破の戦果を報じたが、零戦4機を失っている。別の制空隊として奄美大島上空
で米軍機と交戦した252空の桑野孝也中尉は、喜界島~奄美大島の中間付近で零戦の発動機が停止し、08:45に喜界
島沖で落下傘降下。泳いで喜界島にたどり着いたようだ。(この搭乗員は桑野中尉の可能性大)
この日は陸軍特攻第42振武隊の篠田庸三少尉が単機で特攻出撃。沖縄の海で散華した。
12日に喜界島を視察した井戸田大佐は、司令部に帰還すると、徳之島飛行場は計画的使用を放棄して不時着用として
使用することを進言。一方喜界島は「対空火器が徳之島に比べて多く、敵機の跳梁を若干封じているので、しばらくは
利用の価値があるものと認められる」と報告した。これに伴い徳之島にいる陸軍の搭乗員70名と整備員15名は大発で
喜界島に移動し、同島から搭乗員は九州に戻る事になった。喜界島でも連日の空襲で飛行機を破壊され、滞留している
搭乗員が多数になっていたのである。
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▲海軍宮本部隊(飛行場設営隊含む)/宮本大尉以下564名が陣を構えていた鹿児島県で2番目に低い山、
「水天宮山」標高は僅か63m。この山のふもとには米軍上陸に備えて構築されたトーチカが1基残っている。
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水天宮山を正面に見て道を歩き、ちょっと左を気を付けて見てみると・・・。
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銃眼がこっちを狙っている!
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流石海軍の遺構はコンクリートでしっかり作られているものが多い。
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中を覗いて見る・・・。
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裏側に小さな入口がある様だ。大人2人入れば満席って感じの狭い部屋。
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トーチカの裏側に回ってみる。
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竈の跡か・・・?赤レンガの遺構が残る。トーチカはこの場所の他にもう1基現存しているそうだが今回は行けず。
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南国植物の根っこが張り巡らされ、トーチカの入口は確認出来たが入壕は断念した。

大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月17日米軍機の飛行場攻撃はなく、4~8機のグラマンが2回飛来し、周辺を哨戒しただけだった。
この日、爆装零戦7機と彗星1機が不時着。これは「菊水三号作戦」で06:45~06:55に第1国分基地を出撃した
神風特別攻撃隊「第3御盾隊」252部隊だった。10:05爆装零戦5機、15:00爆装零戦2機が喜界島不時着。
田中 宏少尉/猪山昌彦2飛曹/堀川光政2飛曹/小宮邦晴飛長は敵を発見出来ず喜界島に不時着。
同日11:10喜界島を離陸。12:40第1国分基地帰投している。
宮内 忠飛長07:39駆逐艦7隻を発見、爆撃後12:40喜界島に不時着、15:00第1国分基地帰投
矢野 昇中尉07:39米駆逐艦7隻を発見、爆撃後喜界島に不時着、13:25喜界島離陸。15:00第1国分基地帰投
池田 亨2飛曹07:39米駆逐艦7隻を発見、爆撃後喜界島に不時着、13:25喜界島離陸。15:00第1国分基地帰投
※上記2機のどちらかの機に16日に落下傘降下した252空の桑野孝也中尉が同乗、第1国分基地に帰還している。
この日、陸軍第百飛行団の4式戦「疾風」12機が出撃、奄美大島、喜界島中間付近の海上で空戦となり10機が未帰還。
※この時未帰還となった飛行第102戦隊の本多正一准尉機の遺品が、喜界島の山中から出たという。本多准尉は奄美大
島東方海上で戦死と、日本軍の記録では書かれているが、空戦の末、喜界島の山中に墜落したのだろう。

昭和20年4月18日06:44米軍機4機来襲。
14:10海軍96式陸攻1機が機銃弾輸送のため着陸、10分後には鹿屋基地に向け飛び立っていった。
その後着陸した陸攻1機には、喜界島にいる飛行機を失った海軍搭乗員を乗せて鹿屋基地に帰還している。
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水天宮山から少し車を走らせると喜界島通信所がある。自衛隊の電波傍受用アンテナ施設で、何故か「象の檻」と呼
ばれている。1997年着工、直径約200mの円形で、約20本のアンテナを円状に配置されている。
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▲▼喜界島通信所入口。人気も無く静かなところだった。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月19日木田大佐は魚雷や陸戦兵器を始め、様々な物品・兵器の補給を要請している。更に27日には奄美
大島から喜界島へ漁船等による物資輸送が計画された。
終戦まで米軍上陸の無かった喜界島で一番奮戦した部隊は、海軍の対空砲部隊だった。機関銃隊は3ヵ月間で敵機70
数機に命中させ、南西諸島の対空部隊中で最高の成績を収めた。(日本軍記録なので米軍記録と比べる必要はある)
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▲日本軍の対空砲陣地。(写真はニューギニアの日本軍)
米軍機を撃墜したのは、ほとんどが25ミリ機関銃だった。日本軍は自分の方に向って来る機や、急降下から急上昇に
転じて腹を見せる時に攻撃を加え、多数を撃墜した。ある機関銃隊の下士官は赤褌の分隊長として有名で、いつも裸
で指揮を執り、この分隊だけで相当数を撃墜した。だが彼も6月半ば頃に戦死。
この戦果に米軍は喜界島基地には命中率の高い対空射撃兵器(電波による自動照準器付き)があると考え、敗戦後、特
に対空兵器について詳細に調査した。そして、それが日本兵の肉眼照準によるものだと知って驚いたという。
機関銃隊の中の1つ、湾集落の南側、第2機銃砲台の東にあった第3機銃砲台(永見隊)の機銃陣地は、班長(下士官)1
名、手1名、旋回手1名、補助4名の合計7名が配置されていた。班長を除く兵士は、応召後7ヶ月経っても第2補充兵
と兵役免除の老年兵達だった。その動作は下士官に適わないが、現役兵も遠く及ばない度胸で奮戦し、撃墜率は現役
兵よりもはるかに高かったという。こうした飛行場をめぐる空と地上の戦いは沖縄戦終了まで続くことになる。
この日は09:35~09:55の間に米軍機8機が2回飛行場を銃撃した。この日は日本軍機の喜界島使用はなかった。

昭和20年4月20日07:15~16:20までに戦爆連合76機が来襲。飛行場、砲台、機銃陣地を銃爆撃した。
激しい空襲で戦死23名、負傷10名の犠牲者を出し、兵舎1棟が全焼、12㎝高角砲弾10発と小銃30挺、小銃弾3000
発を焼失する損害を被った。更に空襲の結果、主滑走路はまた使用不能となってしまった。
07:45水天宮下にある三角兵舎が爆撃され、第1防空壕東入口が被弾。これにより巌部隊の整備兵5名が戦死した。
空襲終了後に整備兵は炊事場から空樽を持ってきて、その中にちりぢりになった遺体を空樽2個に拾い集めた。この日
沖縄戦開始後、喜界島の日本軍の最大の人的被害だった。
巌部隊の近藤宗男二等整備兵曹は、巌部隊の96式陸攻が物資輸送で着陸した時、米夜戦が上空にいたので、搭乗員に
その旨を告げて、機銃で曳光弾を発射したと回想している。因みに5月は1機を除いて全機が物量投下となり、着陸し
ての補給はしなくなった。
19:00陸軍4式戦「疾風」7機が着陸したが1機は着陸時に大破した。これは飛行第102戦隊(指揮官/成田稔大尉)で
喜界島南方の制空と、特攻機の直掩の為の進出で、これは来る第4次航空総攻撃の準備の為だった。

昭和20年4月21日09:30/10:38の2回16機の米軍機が飛行場と集落を銃爆撃した。前日の空襲で破壊された滑走
路は、陸海軍兵士と島民の懸命な復旧作業で夜中02:00頃に復旧した。
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▲▼現在「ウフヤグチ鍾乳洞」として観光スポットとなっている自然壕は戦時中、陸軍部隊が本部を置いていた場所。
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陸軍部隊は「田村部隊」(田村少佐以下650名)が喜界島の守備に就いていた。
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主に海軍が主体だった喜界島では、飛行場の修復に陸軍部隊も当然参加したが、陸軍兵の食事の保証を条件に協力した
という。大東亜戦争開戦前からあった陸軍と海軍の隔壁は最後の最後まで続いていた様だ・・・。
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陸軍陣地になる前は鍾乳石や石筍が発達して素晴らしい場所だったという。
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壕(洞窟)内はかなり広い。防空陣地となった時に中の鍾乳石は破壊され、石筍も取り除かれてしまった。
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当然壕外にも兵舎があっただろうが、此処に何人の陸軍兵士が寝泊まりしていたのだろうか・・・。
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人工的に作られた階段や出入口が確認出来る。陸軍らしい自然壕を利用した簡易的な作りだ。
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▼この橋は当然戦後観光用に設置されたものであろう。
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この洞窟(壕)は平成17年フジテレビ系ドラマ「遅すぎた帰還・実録小野田少尉」のロケ地にもなった。
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実録・小野田少尉 遅すぎた帰還 YouTube
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月22日04:10~17:45まで、8機乃至12機の米軍機が喜界島と奄美大島上空を旋回した。
その内約60機が飛行場と集落を銃撃した。この上空制圧作戦は、この日から陸軍第6航空軍が第4次航空総攻撃を開始
したからで、喜界島飛行場の使用を阻止する為の上空制圧作戦だった。
16:30陸軍飛行第102戦隊の4式戦「疾風」6機が出撃。沖縄に向かう特攻機を沖永良部島から沖縄上空まで直掩した
が、3機が未帰還となった。
17:00彗星3機と爆装零戦4機が不時着した。252空の爆装零戦2機と601空の爆装零戦2機であった。
爆装零戦3機は神風特別攻撃隊「第3御盾隊」252部隊所属で、4/17にも第1国分基地を出撃して喜界島に不時着した
池田亨2飛曹/矢野昇中尉/宮内忠飛長/だった。池田2飛曹は12:30第1国分基地を離陸し米機動部隊攻撃に向った。
変針地点を過ぎた所でグラマンと空戦になり、何とか離脱して喜界島への不時着を試みた。
だが発動機が停止して飛行場付近の海岸に不時着、機体は大破し池田2飛曹は重傷を負う。不時着時に池田2飛曹は右目
を失い、飛来した陸軍機に乗せられて宮崎山中の陸軍病院に収容された。

昭和20年4月23日06:00~17:30まで間断なく8機乃至16機のグラマンが、飛行場と砲台を銃撃した。
06:05昨日不時着した零戦4機が第1国分基地に向け発進したが、内1機が離陸直後にグラマンと交戦し自爆、2機は喜
界島に引き返してきた。自爆した1機は矢野昇中尉で、早朝離陸した所をグラマンに奇襲されたのである。
矢野中尉は4/11、4/16、4/17、4/22の4回特攻出撃、そしてとうとう特攻々撃は達成出来なかった。しかし命令
とは言え、12日間に4回もの特攻出撃をした精神力は並大抵の精神力では出来なかったはずだ。任務達成の為に出撃し
続けた矢野中尉は、最後は撃墜されてしまったが賞賛に値すると言える。

昭和20年4月24日終日天候が悪く空襲は無し。前日の空襲で破壊された滑走路は08:45には1200m×80mの修理が
完成。沖縄戦中、喜界島飛行場では米艦隊の電話傍受を行っていた。米艦隊はお互いに正規の艦名ではなく、コードネー
ムを付けて連絡を取り合っていた。傍受内容からは各艦の位置や、日本軍の攻撃による損害を知ることが出来たようだ。
傍受結果は第5航空艦隊などに知らされ、航空攻撃の作戦立案や戦果確認に活かされた。

昭和20年4月25日AM 2回に亘り米軍機8機が飛行場を銃爆撃した。
17:30陸軍97式重爆撃機1機が緊急輸送任務で着陸、20分後に鹿屋基地に向け出発した。
当初この輸送には重爆3機が予定され、帰還に際しては在喜界島の搭乗員を収容する事になっていた。
この任務を担当したのが陸軍航空輸送部第9飛行隊で、同隊の97式重爆3機はAM02:00鹿屋基地から出撃したが、途
中で隊長機が米夜戦に撃墜され、1機が鹿屋に引き帰し、残りの1機(樋口機)のみが輸送任務に成功した。
陸軍航空輸送部第9飛行隊は、この後の輸送任務で2機(樋口機と三堀機)が物資・弾薬の輸送と搭乗員の救出任務に
成功している。重爆が飛来すると飛行場では四隅にカンテラを燃やし、プロペラ始動車がライトを点灯して夜間照明を
行った。

昭和20年4月26日04:25~10:35まで米軍機延べ36機が飛行場を銃爆撃した。06:05にも16機が来襲、ロケッ
ト弾で飛行場を爆撃した。

昭和20年4月27日09:05~17:30まで米軍機が延べ41機、8機乃至16機の編隊で飛行場を銃爆撃した。
20:15陸軍97式重爆撃機2機が着陸、21:10鹿屋基地に向け出発した。97重爆2機は、喜界島で不時着した搭乗員
を収容して帰途に着き、1機は無事に鹿屋に帰還した。
だが15名を乗せたもう1機は、喜界島出発後50分頃に、片舷飛行を報じた後そのまま未帰還となってしまった。
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▲喜界島ではスーパーを4つ見た。一つ目は喜界空港に一番近い「ふくり」と「酒のキンコー」
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▲お土産物が豊富だった「ヨシカワ」
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▲離島の定番「Aコープ」
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島で見かける車は錆に相当やられているものが多いが、ここまで腐ると修復する気にならないだろう・・・車も消耗品。

大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年4月28日05:20~09:55までに米軍機18機、13:00~17:45までには7回に亘り米軍機延べ50機以上
が来襲、飛行場を銃爆撃した。毎日の様に空襲に晒される日々、兵士・島民共に疲れ切っていたであろう・・・。
16:48陸軍四式戦「疾風」1機が着陸。この日は菊水4号作戦が発動され、飛行第101戦隊が都城西飛行場から出撃、
飛行第103戦隊が知覧から、四式戦「疾風」合計11機が制空隊として出撃し、喜界島付近でグラマンと交戦。
103戦隊は全機帰還したが、101戦隊は喜界島に不時着した岩崎喜久造少尉を除いて全機未帰還となった。
岩崎少尉機は沖縄近くで空戦前に発動機不調となり、喜界島に不時着。着陸するや米軍機8機の銃爆撃を受けたが、幸
にも機は無傷だった。地上の対空火器はこれらの米軍機に応戦し1機を撃墜した。
丁度喜界島には103戦隊の整備員が徳之島から移動してきており、故障を修理して帰還する事になった。不時着した際、
この日出撃して戦死した101戦隊の鈴木達雄少尉の落下傘の縛帯が島に漂着したのを見せられたという。
岩崎少尉は案内された戦闘指揮所(現在も残る戦闘指揮所跡)で冷えたサイダーをご馳走になったと語っておられる。
修理を待つ間少尉は谷間の兵舎に案内されたが、夕食は湯呑み茶碗一杯の切り詰めたものだったという。
翌4/29(04:25)修理したばかりの軟弱な所のある滑走路から飛び立ち、岩崎少尉は無事都城東飛行場に帰還した。
21:58芙蓉部隊の彗星1機(伏屋国男一飛曹・鈴木淑夫上飛曹)が不時着。23:35には天山1機が着陸した。
この日大島防備隊の漁船「第7大漁丸」「第66大漁丸」の2隻が、奄美大島小湊で米軍機の空襲を受けて大破した。
2隻は前日瀬相を出港して、喜界島へ弾薬・軍需品の輸送中だった。3号大発が同行していたが、機械故障のため住用に
退避し、結局3隻共航行不能となり、この時の喜界島輸送は中止された。
喜界島飛行場は度重なる使用により、航空機に補給する爆弾や対空機銃弾が不足していた。米軍の制空権下では九州か
らの補給は望めず、一番近い奄美大島からの補給に頼る他無かった。奄美大島には海軍大島防備隊が展開しており、古
仁屋には水上機基地があった。九州からの補給が途絶えがちなのは奄美大島も同じだったが、それでも喜界島よりは余
裕があったのだろう。(奄美大島には海軍の水上基地の他は陸海軍共に飛行場は無かった)

昭和20年4月29日この日の米軍機の空襲は非常に激しかった。08:20~09:05まで約70機の米軍機が来襲。
飛行場を銃爆撃。更に14:30~15:00まで約70機の米軍機が再び飛行場を銃爆撃した。
この間米軍は8機乃至12機で常時上空哨戒を行い、午後の空襲では時限爆弾を使用、時限爆弾は16:30以降、2時間
に亘り27個が爆発した。飛行場は数十個被弾し、今日明日中は使用不能となる損害を被った。
被害は滑走路以外にも及び、戦死2名、負傷1名を出した。戦闘指揮所入口が直撃弾で破壊されたのはこの日だった。
戦闘指揮所入口に命中した爆弾で、近藤宗男二等整備兵曹は1~2m吹き飛ばされた。爆撃で厚さ15㎝の扉は内側に開
き、通路はセメントの塊で一杯だった。近藤兵曹は仲間と負傷した村田繁之上等整備兵曹をセメントの塊を取り除いて
助け出した。近藤兵曹は木製の扉1枚のお陰で命拾いしたという。
小谷内時男整備兵曹は階段室の瓦礫の中から、同年兵の日高玖治上等整備兵曹を助け出したが、彼は内臓をやられて死
亡していた。小谷内兵曹は日高兵曹と天長節に配られる、酒・ビール・煙草・お菓子の話をしたばかりであった。
後には同じ階段室の瓦礫の中から、大脇弘一等整備兵曹の遺体が発見されている。
米軍が時限爆弾を使ったのはこの日が最初である。米軍は瞬発式(穴を深く掘る爆弾)、地上すれすれに爆発する物、焼
夷弾等様々な種類の爆弾を使用した。一番始末が悪いのが時限爆弾で、いつ破裂するのか分からないので、飛行場部隊
もほとほと手を焼き、修理作業の時には相当の犠牲者を出したという。
陸軍喜界島守備隊の西山玉男少尉はこの日夕刻、海軍部隊の要請で1個小隊を率いて滑走路の穴埋め作業に参加した。
滑走路では住民も車・モッコ・手蓑を使って穴埋めをしていた。爆弾穴は直径10m、深さ7~8mにも達していた。
穴に土を集めて投げ込んだが、穴の数が多くてとても修理が間に合わない。そこで海軍の指示で空のドラム缶を投入し
て何とか徹夜作業で飛行機の発着が出来るようになったと語っておられる。
17:00零戦3機が喜界島上空でグラマン6機と空戦となった。2機は自爆し1機は海中に不時着した。
18:15爆装零戦1機が不時着。この日は16:55~18:00の間に神風特別攻撃隊「第4筑波隊」「第5七生隊」「第
4神剣隊」「第5昭和隊」の爆装零戦合計33機が鹿屋基地から特攻出撃し、27機が米機動部隊に突入している。

昭和20年4月30日04:05~09:30に亘り米軍機4乃至8機が飛行場周辺を哨戒した。午後も同様の状況が続いた他、
16機が飛行場を銃撃した。
夜00:55海軍96式陸攻1機が物量投下の為飛来、積荷は25㎜機銃弾だった。これまでは喜界島に着陸して物資を下ろ
していたが、今回は積荷にパラシュートを付けて投下した。これは滑走路が使用不能だった事に加え、たとえ夜間であ
っても米夜戦の攻撃を受ける恐れがあり、着陸することが危険だったからだ。
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安全ドライブでのんびり戦跡巡りと観光してみた。(あんぜんマンって・・・センス無さ過ぎ 笑)
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▲▼喜界島名所の一つ「サトウキビ畑の中をまっすぐに伸びる直線道路」
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第40震洋隊の秘匿壕が早町に現存するとの事で車で見学に向かった。
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少し解り難い場所であるが早町港から少しだけ山側の場所にある。
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昭和20年1月25日に編成された第40震洋隊。安藤末喜大尉以下187名が2/11に配置された。以下看板説明文
太平洋戦争末期、喜界島上陸を目的とした米軍艦船に対して、250キロ爆弾を搭載し、体当たり攻撃を計画した海軍の
木製小型モーターボート、特効艇「震洋」(通称:○四艇)格納壕跡。
この一帯に数カ所あった奥行き50m程の格納壕には、50艇が格納されていたといわれています。
海軍設営隊(宮元部隊)と共に大島中学3年生により構築され、24時間2交代体制で短期間のうちに完成されました。
完成直後の昭和20年2月11日、安藤末喜大尉率いる第40震洋隊187人が配置されました。安藤隊は塩道グスンガァー
山中に拠を構えて出撃命令を待ったが米軍上陸部隊が接近することはなく終戦を迎え、ついに1艇も出撃することはあ
りませんでした。終戦まで約6000艇が製造された震洋は、オーストラリア・シドニーの戦争記念博物館に現存する1艇
を残すのみです。
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資料では55隻が配備されたとある。秘匿壕1基に長さ5mの震洋艇10隻程度格納できたはずなので、単純計算で5~6
基の秘匿壕があったと思われる。震洋の出撃機会は無かったが、度重なる空襲で震洋特攻隊員3名が戦死している。
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突き当りには戦後石垣が組まれ、壕全体の崩落を防いでいる。元々は加計呂麻島に現存する震洋秘匿壕の様に、入口付
近のみコンクリート造り、石積の奥は素掘り状態だったと思われる。
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小野津にも2月25日に編成された第111震洋隊(後藤三夫中尉以下182名)26隻が配備された。
秘匿壕の現存情報は無いが、こちらも震洋特攻隊員5名が空襲等で戦死しているとの事。
秘匿壕見学を終え、車を走らせようとした時、道の向こうで、こちらに向かって何か話かけているご老人が居た。
慌ててそのご老人のところに走った。私に話かけていた内容は「ちゃんと見学出来ましたか?」との事だった。
私が「はい。見学出来ました」と言うと、ご老人は満足そうに昔話を語ってくれた。聞けば、そのご老人は当時この秘
匿壕堀りに参加した方だった!当時大島中学3年生だったご老人は以下の様におっしゃった。
「壕堀りばかりして授業は全く無かったよ。勉強なんてぜんぜんしてない。でも島に来た特攻隊員は立派だったよー!
海軍のカッコいい軍服をピシっと着てて・・・覚悟を決めて島に来た姿はホントに立派だった。島の人はご馳走をした
りして親身になってお世話した。それに比べて島の陸軍部隊の兵隊さん達は靴も履かず素足・・・可哀そうだった。」
とおっしゃっていた。思わぬところで体験者の生の声を聞かせて頂いて本当に感激した。震洋隊は結果出撃する事無く
終戦(敗戦)を迎えたので生き残る事が出来た。元隊員達は戦後の日本復興の為に活躍してくれた事だろう。

大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年5月1日06:22~20:00までグラマン4機が常時喜界島周辺を哨戒していたが、直接の攻撃はなかった。
4/29の空襲で破壊された滑走路も15:00には900m×80mの滑走路が使用可能になっていた。
昭和20年5月2日04:20~14:55まで米軍機は上空哨戒を行った。AMに2回延べ10機が飛行場を銃爆撃した。
この日は来襲機が少なかった為、1000m×80mの滑走路が復旧。滑走路がほぼ全て使用可能になった。

昭和20年5月3日この日、米軍機は喜界島に激しい攻撃を加えた。
09:30~20:27の間に7回に亘り合計154機が飛行場を銃爆撃した。特に激しかったのが15:25~16:30で少し
の中断を挟み、3回に分けて合計80機が来襲。復旧したばかりの滑走路は10個被弾し、また使用不能となった。
その他の被害も大きくトラック1台、士官舎1棟、兵舎1棟が炎上した。
米軍機の空襲が激しかったのは、翌日に菊水5号作戦が予定されていた為である。沖縄島の陸軍第32軍が総攻撃を実施
するのに合わせ、陸海軍航空部隊も大規模な攻撃を計画したのだった。
23:00頃、台湾の新竹基地を出撃した神風特別攻撃隊「帰一隊」の天山1機が不時着した。
23:00頃、大島防備隊所属の第3号報国丸と長水丸の2隻が緊急輸送の為入港。搭載物品は12㎝高角砲弾296発、25
㎜機銃弾5000発、その他弾薬火工兵器であった。機銃弾が枯渇しかけていた喜界島基地は大島防備隊に対し、機銃弾
の分割急送を要請した。この輸送はこの要請を受けて急遽実施されたのである。

昭和20年5月4日05:40~07:42まで米軍の上空哨戒が行われ、06:15~17:30の間10回に亘り合計108機が
飛行場と周辺集落を焼夷弾の他に時限爆弾も使用して激しく銃爆撃した。
前日の空襲で破壊された滑走路は04:45に1200m×80mの修理が完成した。
08:00からの25分間、喜界島上空で空戦が行われた。これは343空の36機と、空母「ランドルフ」の第12戦闘爆撃
飛行隊の12機、空母「ヨークタウン」の第9戦闘飛行隊2機との交戦だった。米第12戦闘爆撃飛行隊は07:45頃から
500ポンド爆弾で喜界島を爆撃し、その後島周辺を旋回して日本機を見張っていた。そこへ343空の紫電改が上空から
襲いかかって空戦となった。そこへ喜界島の偵察写真を撮っていた米第9戦闘飛行隊2機も加わっての空戦だった。
グラマンと日本軍機それぞれ15~16機が交戦し、島から日本軍5機が自爆(墜落)するのが目撃されている。
実際には日本側の6機未帰還の記録に対し、米軍は3機が被弾したのみであった。喜界島で目撃された自爆機は全て紫電
改の最期だった。09:09坂嶺集落付近に1機が不時着しているが343空の紫電改の可能性が高い。
08:45陸軍四式戦「疾風」1機が不時着、09:09四式戦「疾風」1機が海中に自爆。もう1機は赤連集落に不時着。
この日は第60振武隊の四式戦「疾風」8機が06:30頃、都城東飛行場を出撃しているが陸軍の特攻記録では宝島に不
時着した1機の他は喜界島への不時着記録は無い。
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震洋秘匿壕を見学した後も喜界島をドライブしてテーバルバンタに到着。
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喜界島を構成する石灰岩は、約10万年前から造礁性サンゴが絶え間なく生き続けることにより形成されている。
年間約2㎜といわれる極めて早い隆起速度により、世界でも類い稀なるサンゴ礁段丘の景観を見る事が出来る。
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喜界島の南西部を見渡す。
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地面ごと隆起した段丘が一望出来る。
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▼黄色線で印している所が喜界空港。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年5月5日05:15米軍は上空哨戒を開始。07:05~05:45までの間17回に亘り米軍機180機が来襲、飛行
場及び砲台、周辺の集落を攻撃。投弾延べ機数は100機以上に及び、飛行場は200発以上被弾した。
来襲機は13:30に100機を超え、16:00には70機の編隊が来襲、これは沖縄島の占領された元日本軍の陸上基地か
ら出撃している米軍機と判断された。修理された滑走路は16:00以降、また使用不能となってしまった。
この日は空輸のため多数の日本軍機が飛来した。00:05陸攻1機が物量投下のため飛来したが投下せずに引き返した。
01:20に陸攻1機が飛来し物量投下した。物資は飛行場付近の集落に落ち、4個が変形、3個が炸裂し1個だけが完全
状態で回収された。投下された弾薬箱がガジマルの木にひっかかり住民の犠牲者も多く出たと言われ、住民にとって空
輸は危険なものだったようだ。03:20にも陸攻1機が物量を投下、飛行場内に投下された8個は全て完全であった。
機銃弾輸送には海軍の輸送専門航空隊である1001空も従事した。一式陸攻の爆弾槽に筒に入れた弾丸・戦給品・整備
部品を12個搭載し、飛行場を目標に投下する。米夜戦を警戒しながらの飛行で、何回も星を夜戦と見間違えたという。

昭和20年5月6日米軍は06:50~17:45まで上空哨戒を行った。4回に亘り延べ16機が来襲、飛行場と周辺の集落
を銃爆撃。滑走路は13:00以降は使用不能となってしまった。
5月に入ると喜界島飛行場へは時々日本軍機が不時着する程度で、菊水作戦が行われても使用する機はほとんど増加し
ていない。徳之島から喜界島へ飛行場使用の重点を移した陸軍であるが、こうした状況を見て、陸軍の菅原道大第6航
空軍司令官は喜界島の使用放棄を決断したのである。
このように南西諸島は喜界島も含めて昭和20年入ると激しい空襲を連日の様にうけた。沖縄島だけが沖縄戦では無い
事が「昭和20年喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録」を読んで頂けくとお解りになるだろう。
2018年10月18日14:00過ぎ、喜界島メイン集落である湾(わん)集落にある、農家の敷地内で爆発事故が発生した。
湾港辺りは喜界空港があり、大戦中は最も激しく、そして毎日の様に米軍が空爆した場所だ。
2回の大きな爆発音と振動が響き渡り、地面に深さ約3mのすり鉢状の穴が開き、敷地内にあった農業用倉庫が倒壊した。
幸いケガ人などは居なかったそうだが、この爆発は大戦当時に米軍が落とした爆弾(不発弾)である事は疑いようもない。
喜界島では現在でも、毎年1~3発の不発弾が発見されている。土木工事や農地整備の際に地中から発見されること多く、
その度に自衛隊が処理にあたっている。

昭和20年5月7日米軍機は04:45~08:35まで在空。8回に亘り延べ44機が来襲、飛行場と砲台付近の集落を爆撃。
09:20の空襲で滑走路中央に被弾、使用不能となってしまった。

昭和20年5月8日15:55グラマン4機が飛来したものの、上空を旋回しただけで去っていった。
滑走路は06:30、1000m×50mが復旧。この日は来襲がなかったので午後に全力で補修作業を行い、00:00には、
1000m×100mが完成し、大型機でも離着陸が可能になった。

昭和20年5月9日米軍機は05:20~19:50まで上空哨戒を行った。4回に亘り延べ112機が来襲。焼夷弾を多数使用
して集落山林地帯を攻撃した。
この日の戦死者の内3名は、一整曹夏目磯吉、和田一三、浜口秋男であった。3名は茅葺三角兵舎の第3兵舎でタバコ・
菓子等の分配作業をしていたころ直撃弾を受けて戦死した。他に藪長二郎も戦死している。

昭和20年5月10日米軍機は06:35~12:50までの間に3回に亘り延べ約26機が飛行場と付近の集落を銃爆撃した。
19:51には夜戦7~8機が来襲、照明弾・ロケット弾・焼夷弾を投下した。米軍は時限爆弾を投下し終日爆発が起きて
いた。この日、日本軍の応戦で撃墜された米搭乗員1名が捕虜になった。
捕虜になったのはDavid・C・KINCANNON海軍大尉でF4Uコルセア戦闘機の搭乗員。喜界島付近に墜落、
海上に落下傘降下して捕虜になった。14:45F4U4機が護衛したPBM飛行艇1機が搭乗員救助の為に飛来している。
その後5月中旬頃、David・C・KINCANNON海軍大尉は海軍第321設営隊の大島宗彦主計大尉によって斬
首された。この時は住民が処刑を見物していたという。

昭和20年5月11日08:15と13:37に1回ずつ延べ12機が飛行場を銃爆撃。その後も17:00頃まで上空哨戒が行わ
れ、20:25には夜戦が飛来した。この日は菊水6号作戦が実施された為、米軍機は上空哨戒を行って飛行場の使用を妨
害した。09:15に721空の零戦1機(石嶋健三少尉)が着陸。石嶋少尉は06:42鹿屋基地を出撃、燃料不足の為に喜界
島に不時着した。10:00日本軍機2機が着陸準備旋回中、米軍機8機が来襲して空戦となった。日本機は砲火を使用せ
ず米軍機に撃たれ、1機は上嘉鉄川嶺間の上原の畑に、もう1機は中熊字先内字中間の田に墜落した。
このうち前者は菊池飛行士(海軍)の機で、14:00頃に米軍機4機に撃たれて墜落したとも言われている。遺体は第321
設営隊が埋葬した。15:00頃、空戦で大破し中里字コマに墜落した大坪飛行士を中里集落の住民3人が救助した。
駆け付けた巌部隊の田中教官に対し、大坪飛行士は「教官殿グラマン1機は撃墜しました」と報告した。大坪飛行士は
顔面に負傷し、右足に機銃弾の貫通銃創を受けていた。

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分散した農地を一つの区画にまとめ、効率化を進め、そして災害にも強い農業を確立する為に、少しづつ島民の農地移
動に向けて農地整備が進められている喜界島。2017年9月4日観測史上最大となる110.5ミリの雨量を観測し、奄美群
島では比較的災害に強いと言われていた喜界島を襲った記録的大雨は、床上浸水被害や土砂崩れなど、甚大な被害をも
たらした。9/4の降り始めからの総雨量が2日間あまりで549ミリと、平年の9月ひと月分の3倍を超える雨量となった。
建物の被害は半壊1棟、床上浸水20棟、床下浸水79棟。住宅以外にも県道2ヵ所、町道6ヵ所、農道45ヵ所が通行止め
となり、さとうきび栽培など農業が基幹産業の喜界島。農地/水路/農道で合せて85件の被害が出た。
しかし、喜界町の自主防災組織率は100%。50年に1度の大雨にみまわれながらも、人的被害が無かった事は、日頃か
らの住民同士のつながりの強さを示している。
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▼ドライブ中、トイレをお借りさせて頂いた志戸桶地区の「グループホームがじゅまる」
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9/4大雨の中、地域住民がグループホームがじゅまる入所者8人を背中に担いで、近くの安全な住宅へ避難させた。
当時9人の高齢者が居る中で豪雨にさらされ、周囲を水に囲まれ差し迫った状況となった中、地域の方が助けに来て、
一人一人おんぶして安全な場所へ連れていったという。近くの住民の協力で避難することができたあの日以来、職員の
意識が大きく変わったという。
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東日本大震災の津波で流され、はるばる喜界島まで流されて来た宮城県気仙沼の漁船が展示されている。
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2012年5月2日喜界島北西部沖合のリーフに無人の漁船(0.4t)が打ち上げられているのが見つかった。
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奄美海上保安部などが3日、漁船登録番号などを基に確認した結果、宮城県気仙沼市の男性(64歳)が所有する船だ
と分かった。漁船は2011年3月11日気仙沼市の漁港に陸揚げしたが、東日本大震災による津波で海に流されていた。
宮城から直線距離で約1500㎞を約1年2ヵ月にわたって漂流していた事になる。
東日本大震災による津波で流された漂流物はアメリカのアラスカ州やワシントン州でサッカーボールなどが確認されて
いるが、南へ漂流して発見されるケースは珍しいという。
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▼小さいが近くには喜界島唯一の「滝」がある。
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後白河法皇の側近だった俊寛(しゅんかん)は、平家への謀反を企てた為に、鬼界ヶ島へ島流しになったと言われる。
同じ話は鹿児島県硫黄島や長崎県伊王島にも伝わっており、それぞれの島に俊寛の墓がある。
鬼界ヶ島は喜界島であると信じるも信じないも自由で、文学研究者の間では硫黄島に流されたというのが定説だ。
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墓の周辺は昔から坊主前と呼ばれていたという。喜界町は以前にこの墓を発掘した結果、身分の高いと思われる人骨が
発見され、一緒に埋葬されていた木棺は木曽地方(長野県)に算するクロベ材だったという。
俊寛で無かったとしても、当時(平安時代)の高貴な者であったことは間違いなさそうだ。京の都を中心に貴族が華やか
な生活していた平安時代。平安時代は詳しく無いし、あまり興味も無いが、俊寛のような人が居た事を初めて知った。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年5月12日米軍機は午前2回、午後2回に亘り、延べ28機で飛行場、兵舎地帯、砲台を銃爆撃した。
昭和20年5月13日この日は08:25に17機が飛行場と砲台陣地を銃爆撃しただけだった。
昭和20年5月14日03:00に米軍機飛来。04:10照明弾とロケット弾を投弾し、滑走路修理の妨害を行った。
その後06:45に16機が来襲し飛行場・砲台陣地を攻撃したが、その後は昨日と同様に米軍機は飛来するだけだった。

昭和20年5月15日13:15米軍機12機が飛行場に投弾。20:30には夜戦2機が来襲、飛行場と周辺集落に照明弾と
ロケット弾を投弾し銃撃。滑走路は1250m×100mが使用可能だったが、日本軍機の使用は12日から丸4日間無い。
明らかに日本軍にとって、喜界島基地の重要性が低下していることが分かる。

昭和20年5月16日04:45と17:00に1機ずつ来襲、照明弾を投下。直接攻撃は05:12に2機が来襲したのみ。
この日22:40久しぶりに96式陸攻1機が着陸。機銃弾12箱と電探部品を運んできた。同機は23:24に不時着搭乗
員を乗せて離陸したが、6分後に米夜戦の攻撃を受け、火を吐きつつ海中に突入するのが島から目撃された。
墜落の様子は地上で多くの人が目撃した。第39振武隊の山田千秋少尉は、離陸直後に待ち構えていた夜戦に海中に
撃墜されるのを呆然と眺めていた。山田千秋少尉は4/11知覧を出撃し、同隊5名と喜界島に不時着していた。
第29振武隊の山田忠男伍長も目の前で不時着搭乗員を乗せた飛行機が、夜戦に撃墜されるのを目撃している。
島の陸軍守備隊の小川高男中尉は、陸攻の出発の数分後に米軍機が、陸攻を追う様に北に向かうのを目撃した。
米軍機の爆音が消えて間もなく、彼方の暗闇が一瞬真っ赤になった。陸攻の最後だった・・・。
96式陸攻には海軍2名と陸軍12名の搭乗員を乗せていた。海軍搭乗員は細井亨少尉(筑波空)と大田上飛曹(721空)
だった。陸軍搭乗員は、飛行第59戦隊の平田保少尉、飛行第66戦隊の田野本源二曹長、栗本一雄曹長、井塚武好曹長、
志村初夫軍曹、入星弘曹長、渡辺正衛曹長、長谷部晴夫伍長、檜山光衛兵長、久賀野務兵長、田口貞一郎兵長、平沼
忍澄兵長の12名を一気に失った。
戦死した飛行第66戦隊員は徳之島に前進したが、空襲で飛行機を失い、喜界島に移動して迎機を待っていたのだ。
喜界島で帰還の便を待っていた不時着搭乗員は5班に分けられていた。その中でくじ引きによって先発後発を決めた。
飛来した陸攻に先発組が乗り込んだが、離陸直後に夜戦に撃墜されてしまった・・・くじ引きの勝ち負けが生死を分け
たのだった。残った者は言葉も無く宿舎に帰っていった。
また、第43振武隊の今井光少尉は、当初、この96式陸攻に乗る予定だったが、海軍の搭乗が3名増えたということで
降ろされて命拾いしたという。▼海軍96式陸上攻撃機
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撃墜された陸攻は巌部隊の2番機だった。巌部隊の陸攻2機は、命令で沖縄本島海軍小禄基地を米軍の上陸直前に脱出し
た。だが彼等は、第5航空艦隊の参謀から逃亡兵扱いされ、死ぬまで何回でも物量投下に行く様命令されていた。
この日も2機は命令で、1番機は沖縄島小録の巌部隊陣地へ物量投下に、2番機は喜界島へ向かうことになった。
出発前に1番機の市川安人上飛曹は、2番機の同期の大島篤上飛曹に「2番機の方が死ぬ確率が低いから、自分のマフラ
ーを家に送ってくれ」と託した。この時、大島上飛曹は飛行場の片隅に生えていたテンニンギクの花を大事そうに抱え
てきた。大島上飛曹は、「これを喜界島の飛行場に移植してやろうと思う」と言い、鹿屋基地から花を持って愛機に搭
乗したという。2番機搭乗員は堀口貞康上飛曹、渡辺巌上整曹、志田昭一飛曹、大島篤上飛曹の4名だった。
現在、喜界島の飛行場周辺では、島から飛び立つ特攻隊員に、島の娘達が送ったという花が、春から初夏にかけて咲い
ている。現在この花は「特攻花」と呼ばれている。戦後喜界島に行った市川安人上飛曹はこの花を見て、その花が大島
上飛曹の持って行ったテンニンギクと同じ花だと確認している。
喜界島において「島から飛び立つ特攻隊員に島の娘達が送った」という証言の根拠は無い。ただ喜界島でも、時期は不
明だが特攻隊員を婦人達が涙をぬぐって接待しており、住民と特攻隊員の接触自体はあったようだ。
4/7着陸した第29振武隊の山田忠男伍長は、喜界島で一時期民家に宿泊していた。
その時は芋焼酎の作り方を習い、製糖作業を見学している。また、巌部隊には勤労奉仕隊として、島の女性が主計科に
勤務していた。場所は水天宮下の三角兵舎の主計科烹炊所(後、羽里に移転)だった。
勤労奉仕隊の班長は湾集落の中沢ヒデさん(旧姓喜島)で人数は10人だった。彼女たちは空襲下に陣地への食缶運び
も行っている。この様に住民が特攻隊員と接する機会はあり、そうした流れの中で出撃する隊員に花を渡した可能性は
十分あっただろう。
※1983年喜界島を訪れた1番機の搭乗員(野沢正一さん)は、民宿の主人から2番機が海岸から20mの海中に沈んでい
る事を聞き、自身もそれを確認したという。現在もまだ沈んだままなのだろうか・・・。

昭和20年5月17日米軍機は03:15~10:37の間に4回に亘り延べ30機が飛行場や対空砲陣地を銃爆撃した。
飛行場の対空砲陣地は大きな被害を受け、25ミリ機銃1基が直撃弾で使用不能となり、戦死6名、負傷1名が出だ。
22:25に飛行第66戦隊の99式襲撃機1機が着陸した。この日万世基地から飛行第66戦隊の4機が出撃している。
内1機が未帰還、2機は徳之島に不時着し、残りの1機が喜界島に着陸したのである。
徳之島から奄美大島の古仁屋経由で喜界島に移動し、迎えの飛行機を待っていた搭乗員の中に、飛行第66戦隊の赤
堀春一中尉がいた。赤堀中尉は16日に飛来した巌部隊の陸攻で帰還することになっていたが、突然の高熱で断念せざ
るを得なくなり、同じ66戦隊の仲間が飛行場に向かうのを見送った。
だが皮肉なことに見送った同僚は16日で書いたように戦死し、中尉はこの日着陸した99式襲撃機に乗って18日に九
州に帰還している。生か死か・・・戦時下の運命は残酷である。
23:30大島防備隊所属の第3号報国丸と長水丸の2隻が、緊急輸送の為入港した。5/3に続いて2度目の海上補給だ。
揚陸したのは白米200俵(5t),12センチ高角砲弾150発、25ミリ機銃弾5000発だった。

昭和20年5月18日04:00揚陸を終えた第3号報国丸と長水丸の2隻が出港した。
米軍機は06:27と16:25の2回、合計44機が飛行場、砲台陣地と周辺の集落を銃爆撃した。
18:59前日着陸した飛行第66戦隊の99式襲撃機1機が赤堀中尉が同乗して九州に向けて飛び立った。
00:13攻撃第251飛行隊の天山1機が着陸し、同機は01:25串良基地に向けて飛び立った。

昭和20年5月19日終日喜界島に米軍機は来襲しなかった。滑走路は1250m×150mが復旧して使用可能だった。
この日は喜界島に重大な事態が起こっていた。沖縄島で奮戦中の陸軍第32軍から、米軍が「二十日前後沖縄本島方面
ニ対シ強力ナ増援乃至奄美大島就中喜界ケ島状況ニヨリ先島方面等ニ新ニ上陸ヲ開始ノ算大ナリ」との情報を指揮下の
部隊に伝達したのである。要は、奄美群島の島々に米軍が上陸する可能性がると伝えてきたのである。
これを受けて04:00独立混成第64旅団の高田貞利少将は、奄美諸島全域に甲号戦備を発令。
これを受けて、喜界島海軍部隊では信令作第2号が発令された。この命令は5/1に木田大佐の名前で伝達されていたも
ので海軍部隊の陸上戦闘警戒規定を定めていた。敵上陸の危険度に応じて、第1~第3まで警戒配備の度合いが決めら
れていた。これに基づき16:00陸戦第2警戒配備が発令された。これは敵上陸の恐れがある場合に発令され、2時間で
陸戦配備につけるように待機するものであった。

昭和20年5月20日甲号戦備発令にもかかわらず、米軍機の来襲は低調だった。07:05に8機による空襲があっただけ
で後はグラマンやPBM飛行艇、P38による哨戒が行われただけだった。
昭和20年5月21日07:30と08:30の2回に亘り、米軍機約30機が飛行場と周辺集落を銃爆撃した。
昭和20年5月22日米軍機は09:35、16:10、16:40の3回に亘り延べ81機で来襲、飛行場と砲台陣地、周辺集落
を銃爆撃した。
昭和20年5月23日16:45合計16機の米軍機が飛行場と周辺集落を銃爆撃した。

昭和20年5月24日米軍機は10:45~19:20までの間に4回に亘り合計34機が飛行場と高角砲陣地を攻撃した。
23:58陸軍四式重爆撃機1機が、片方の発動機が被弾した為不時着。この日は沖縄島の北・中飛行場に義烈空挺部隊
を突入させる義号作戦が行われ、その直協の為に出撃した飛行第60戦隊か第110戦隊の内の1機であった。
昭和20年5月24日18:00「義烈空挺隊」の重爆12機は、熊本県健軍飛行場から次々と出撃していった。
しかし、義烈空挺隊の出撃を待たず海軍は敵機動部隊発見の報が入った12:40に既に菊水第7号作戦を発動。
海軍の特攻機は出撃した後だった。「義烈空挺隊」の犠牲は本命の航空特攻を成功させる為のものだったはず。
陸軍と海軍の歯車は太平洋戦争の最初から最後まで噛みあわないままだった。
因みに飛行第60戦隊は昭和20年に熊本県にあった健軍飛行場に移動、沖縄戦に投入された。
昭和20年3月28、29日健軍飛行場より沖縄周辺の米艦船攻撃に出撃。
昭和20年4月7日健軍飛行場より沖縄島集積所攻撃に出撃。
昭和20年4月12、16、22、28日健軍飛行場より沖縄島の米軍に占領された北・中飛行場爆撃に出撃。
昭和20年5月10、18日健軍飛行場より沖縄島の米軍に占領された北・中飛行場爆撃に出撃。
昭和20年5月24日「義烈特攻隊」の直協として健軍飛行場より沖縄島の北・中飛行場へ出撃。
※この日、第110戦隊は「義烈特攻隊」の戦果確認の任務も担って出撃している。
「義烈空挺隊」突入に際して陸軍第6航空軍は120機の特攻機を準備。しかし「義烈空挺隊」突入後、沖縄周辺は雨が
降り、天候不良で離陸出来た特攻機は70機であり、その内「突入」と報告されたのは24機であった。
「世界が語る神風特攻隊」YouTube

▼教習のドライビングコースは見当たらなかったが自動車学校もあった。運転免許更新時の講習所かな?
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▼喜界島の製糖工場。
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▼喜界島滞在中、宿泊したのは「ビジネスホテル喜界」女将が作ってくれる朝食が最高に美味しいお勧めの宿。
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宿の女将は物静かで口数は少ないがいい人だった。こういう人居ますよね、話さなくても良い人感のオーラ出てる人。

大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年5月25日米軍機は00:49来襲。吊光投弾7個を投下して哨戒を行い04:50にも飛行場に銃撃を加えた。
06:10には8機が飛行場と周辺集落を銃爆撃し、07:38には16機が短時間哨戒をして飛び去った。
この日は義号作戦に呼応して菊水7号作戦が行われている。
08:42陸軍特攻第78振武隊の97式戦闘機1機(田宮治隆少尉)が不時着。
08:45陸軍特攻第109振武隊の97式戦闘機1機(寺田譲伍長)が不時着。
19:25沖縄島の北・中飛行場を爆撃した飛行第60戦隊か第110戦隊の重爆1機が着陸。
同機は25分後に熊本の健軍飛行場に向けて出発した。

昭和20年5月26日終日降雨が続き、米軍機は全く来襲しなかった。
03:54前日不時着した第78振武隊の97式戦闘機1機(田宮治隆少尉)が知覧基地へ出発した。
この話は、「田宮少尉が4月末に徳之島から喜界島に移動して帰還の機を待っていた第21振武隊長の水川禎輔中尉から
愛機を譲ってくれと嘆願、説得され、水川中尉が操縦して田宮少尉を同乗させて、喜界島を出撃、沖縄に突入した」と、
一般には言われている。だが、『南西空』の記録では「同機は知覧に向けて出発した」となっており、沖縄突入とは正
反対で九州に帰還した事になる。これを裏付けるのが第43振武隊の今井光少尉の回想だ。
それによると、25日に不時着した97戦2機を水川中尉と今井少尉が内地に送還する事になった。だが水川中尉が乗った
97戦はエンジンが停止し飛行不能となった。
「貴様は1人だが、俺はまだ5名も残っている。1日も早く内地に帰って飛行機の手配をしなければならない。頼むから
譲ってくれ」と懇願された今井少尉は97戦を譲り、水川中尉は同機に乗って飛び立ったという。
つまり水川中尉は沖縄に突入したのではなく、内地に帰還したのである。
この頃第21振武隊は隊長以下11名が喜界島にいたが、その中に石田京少尉の姿もあった。石田少尉は4/2知覧から徳
之島に前進したが、おそらく空襲で飛行機を破壊されたのだろう、古仁屋経由で帰還の便を求めて喜界島に移動してき
ていた。石田少尉は田宮機について、「5月25日二式単高練に2人乗って夜間出発した」と回想している。二式単高練
とは二式高等練習機のことである。同機は97式戦闘機を改造して練習機としたものなので、両者はほとんど同一の機種
である。もし水川中尉が本当に沖縄に突入したのならば、部下であり、石田少尉は自著でその旨を書くはずである。
なんと言っても自分の隊の隊長なのだから。だがその文脈からは、田宮機の離陸は沖縄出撃ではなく九州への帰還作戦
の一環だったとしか読み取ることが出来ないし、97式戦闘機に2人が乗って突入することは考えにくい。
この頃喜界島にいた第29振武隊の山田伍長は、内地にいる時に飛行場間の移動に際して、自分の機が故障したので、同
僚の機の胴体内に入って飛行した事があった。ただ胴体内はラダーとかエルロンとかの索が中にあるので、それらに触
らないようにじっとしているしかないという。通常は戦闘に行く時に胴体内にもう1人乗せることは考えにくく、別隊の
隊員に胴体内に乗せてくれと頼まれても、まず受け入れないと山田伍長は語っている。
田宮少尉については第6航空軍の史料でも、「二六日帰還ノタメ2F水川中尉操縦同乗出発、行方不明」となっており、
当時でも帰還途中の戦死とされていた。
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中里集落をブラブラ歩く。
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道幅は広くは無いが、ゴミ一つ落ちてない綺麗な集落。
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土俵もあった。この場所はお祭りなどでも活用される場所。
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お家はいたって普通。綺麗なお宅が多い。
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本州や四国と違うところは「石敢當」。鹿児島県と沖縄県にのみ見られる魔よけの石標だ。
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表札のように立派な物から自作した感じの物まで様々。
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喜界島にも神社は沢山ある。
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鳥居の形が特徴的だ。
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▼今回戦跡を案内して頂いた方は日の丸が掲げられたお家の方。
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中里集落の元区長さんの野間昭夫さんだ。喜界島観光物産協会のシマあるきガイドをされている。
でもご高齢なので、ここ最近は中里地区のみをご担当されていて、もうそろそろ引退なさるかもしれないとの事。
喜界島の戦史は非常に詳しく、考え方も御立派で、今までの戦跡ガイド中で一番素晴らしかった。
今回は2日間も私の戦跡巡りに付き合って頂き、奥様の手料理までご馳走になった。本当に有難うございました。
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外食は一回、ビジネスホテル喜界さんの女将に教えて頂いた「喰い処 十兵衛」さん。
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▲喜界島名物「油そうめん」(喜界島の方言では「そうむぃんすーき」)茹でた素麺を、いりこ/鰹の出汁&焼いた油に
絡ませたシンプルな料理。実はメーニューには掲載されていないが、十兵衛の優しい大将が特別に作ってくれた。
十兵衛さん、有難うございました!また行きます。喰い処 十兵衛 0997-65-3520(お昼はランチ、夜は居酒屋)

大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年5月27日午前中は雨、その後曇りで米軍機の来襲はなかった。
08:35陸軍特攻第72振武隊の99式襲撃機1機(金本海龍伍長)が不時着した。04:30万世基地を出撃した機だった。
金本伍長は沖縄に向かったが、雨による視界不良で敵艦を発見出来なかった。そのうちに燃料不足となり、基地までは
もたない為、途中の喜界島に不時着した。金本伍長は帰還の際に、島で帰還の便を待っている搭乗員2人(少尉と軍曹)
を後席に同乗させてくれるように頼まれた。伍長は離陸する時、「後ろの2人の笑顔が印象的である」と回想している。
※金本海龍伍長は朝鮮人特攻隊員。
特攻隊員になったとはいえ、やはり内地へ帰還する事は死から生への転換であり、自然と顔もほころんだのだろう。
この時帰還した少尉とは先述した第21振武隊石田京少尉である。少尉は水川中尉の帰還した翌日、伍長1名と共に指名
されて金本機に乗って無事万世に帰還している。

昭和20年5月28日久々に米軍機が来襲した。05:31と06:38に合計14機が来襲して飛行場と砲台陣地を銃爆撃した。
03:00鹿屋から出撃した陸軍航空輸送部第9飛行隊の重爆2機が着陸。多くの特攻隊員を乗せて福岡に帰還した。
02:45海軍神風特別攻撃隊「第2白菊隊」の練習機「白菊」1機が着陸。
27日菊水8号作戦発動に伴い徳島第2白菊隊16機が串良を出撃、7機14名は、鹿屋を出撃した菊水部隊白菊隊(高知空)
12機と共に沖縄周辺海域の敵艦船群に突入散華した。
この機は27日21:10串良基地を出撃した徳島海軍航空隊所属の特攻機(植原廣2飛曹と相澤彬一1飛曹が搭乗)で、発
動機不調の為、海上に爆弾を投下、沖縄に到着したものの視界不良のため不時着したのであった。
同機は25日に不時着した931空の天山の3人の搭乗員(宮本2飛曹等)を乗せて、18:26串良基地に向けて出発した。
宮本2飛曹は出発の際、飛行場の参謀から秘密書類を預かった。白菊は海面すれすれを飛行して無事帰還した。
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▲讃岐山脈上空を飛ぶ徳島空の練習機「白菊」五一二号機
練習機「白菊」低速の練習機に250キロ爆弾を2発も搭載した為、速度は極端に遅く、80~90ノットしか出なかった。

07:54陸軍特攻第54振武隊の三式戦「飛燕」1機(岡本一利少尉)が着陸。
岡本少尉は知覧基地を4機で出撃したが、グラマン戦闘機の攻撃を受けて海上を超低空で逃れ喜界島に不時着した
10:21岡本少尉は、25日に不時着し、不時着後愛機を空襲で焼失して島に残留していた第109振武隊の寺田伍長を
「飛燕」の胴体内に乗せて知覧基地に帰還した。
19:29四式戦「疾風」1機が着陸。これは15:02に都城東基地を出撃した第58振武隊1機と第59振武隊3機の内の1
機と思われる。

昭和20年5月29、30日は終日降雨が続き米軍機の姿は無かった。
昭和20年5月31日00:00長水丸と第3号報国丸が入港した。積荷は食料(米俵20)で、揚陸を終えると01:00過ぎに
出港した。
昭和20年6月3日陸軍特攻第106振武隊の97式戦闘機2機(成田磯次伍長と本夛保男伍長)が不時着。
成田伍長と本夛伍長は17:00知覧基地から出撃。成田機は飛行して2時間後、滑油漏れの為前が見えなくなって不時着
同時に本夛機も着陸したが、本夛伍長は胴体着陸して機が壊れた。この日も米軍機の空襲は行われており、成田機が無事
だったのは奇跡である。

昭和20年6月6日陸軍特攻第113振武隊の(二式高等練習機)12機が知覧基地を出撃した。
だが奄美大島を過ぎる頃、3~40機のグラマンに攻撃された。特攻機は重い爆弾を抱えたまま回避を試みるが、練習機
という低性能に加え、爆弾で重量が増した機では抵抗すら出来ず、菊池秀雄伍長、中島璋夫伍長が相次いで撃墜された。
それを見た椿恵之伍長は爆弾を落とすと米軍機と空戦に入った。1機に機銃弾を浴びせたものの、その直後に被弾して機
は海面めがけて落下した。ところが奇跡的に機は立ち直り、そのまま海上に不時着した。
機から脱出した椿伍長は喜界島の海岸に漂着し、住民に助けられた。その後1週間の間守備隊の世話になり、内地に連絡
に行く大発に便乗して、6/15鹿児島の枕崎港に到着した。第113振武隊は椿機と徳之島に不時着した板東 晃少尉機以
外は、全機沖縄に突入し未帰還となっている。
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▲知覧から出撃していく第113振武隊の二式高等練習機(写真の搭乗員は中島璋夫伍長の最後の姿)
昭和20年6月7日10:00米軍機3機来襲、空襲で民家8戸が焼失した。
昭和20年6月8日06:48から米軍機の上空哨戒が始まった。10:00米軍機3機来襲、飛行場爆撃と共に焼夷弾で攻撃。
民家6戸が焼失した。そして15:50以降米軍機はいなくなった。
この日は陸攻による空輸作戦が実施されている。海軍第5航空艦隊長官宇垣纏中将は「沖縄及び喜界島に対する物量投下
は成功せり(沖縄は領収非ず)」と日記に記している。喜界島へは陸攻2機が、沖縄島へは801空の陸攻3機が手榴弾を
投下して物資空輸作戦を実行している。
昭和20年6月9日14:00米軍機2機が飛行場と共に民家を攻撃し1戸が焼失した。米軍機は高空より投弾した為、対空
砲火は応戦せず見学するしか出来なった。
6/3に不時着した第106振武隊の成田伍長が、機体の修理を終えて知覧基地に帰還している。
同じ日に不時着した本夛伍長の消息ははっきりしないが、成田機に同乗して帰還したのかもしれない。

昭和20年6月10日14:00米軍機4機が来襲、飛行場と民家を攻撃して民家17戸が焼失した。
この日は鹿屋基地から、海軍第2神雷爆戦隊の零戦6機(500㎏爆弾搭載)が喜界島に進出した。
6機は岡本鼎中尉、細沢実1飛曹、松林信夫2飛曹の小隊、岡島四郎中尉、星野実1飛曹、竹谷行康2飛曹の小隊。
細沢実1飛曹の爆装零戦は、現存する中里集落の有蓋掩体壕に収容され、他は無蓋掩体壕に収容された。
喜界島(小野津)の第111震洋隊長 後藤三夫中尉は、岡本中尉・岡島中尉が三重海軍航空隊同期入隊だったので、空襲の
合間を縫って飛行場によく出かけた。灯火管制の士官室で飲み明かしたこともあったという。
その後、特攻隊員が喜界島に待機中、空襲を受けて竹谷2飛曹の機は炎上し、竹谷2飛曹は内地へ帰還した。

昭和20年6月16日久し振りに大規模な空襲となった。AMはP47戦闘機34機、PMはF4UとF6F合わせて32機が来襲。
飛行場と集落を攻撃。17:15以降は米軍機はいなくなった。この攻撃で12センチ高角砲1基が直撃弾の為大破、下士
官1名と兵3名が戦死、兵7名が重傷を負った。この日飛来したP47は沖縄の伊江島飛行場から発進した38機で、喜界
島の舟艇・対空陣地・滑走路・建物を攻撃した。これが確認出来るP47による最初の喜界島飛行場空襲であった。
昭和20年6月17日09:00F4U8機が周辺を哨戒。AMはP38(2機)、F4U(22機)、PMは4機が主に海岸付近の艦船
を銃撃した。占領された沖縄の元日本軍飛行場が整備されるのに伴い、米陸上機による攻撃が増加しつつあった。
昭和20年6月20日14:00に米軍機3機が来襲、低空から曳光弾掃射で6戸が焼失した。
昭和20年6月21日11:00に米軍機8機が来襲、民家は1戸が焼失した。
昭和20年6月22日AM/PMとも米軍機2機前後が来襲し、飛行場を爆撃した。
この日の05:30~06:00第721海軍航空隊の一式陸攻6機(桜花搭載)が鹿屋基地を出撃した。その内の1機には副操
縦員として長濱敏行1飛曹、機長として上田照行上飛曹が乗っていた。
07:00頃、陸攻隊が奄美大島付近を飛行中、グラマンの攻撃で僚機が次々に火を吹い
て撃墜された。(出撃した第10回神雷桜花特別攻撃隊の陸攻7機中、4機が未帰還)
長濱1飛曹機も被弾してエンジン不調となり、桜花を捨てて機を軽くし、海面すれすれに飛行し、空襲で穴だらけの喜界
島飛行場になんとか不時着した。着陸する時地上の機銃陣地からの射撃を受けたが、これは陸攻の背後に付いたグラマン
を追い払うための射撃だった。喜界島不時着時には片方のエンジンは焼きつき、燃料の残りはゼロだった。
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▲4/12 第3回神雷桜花特別攻撃隊出撃前の(攻撃708飛行隊)「桜花」を抱いた一式陸上攻撃機。721-K05
不時着した一式陸攻を見て、3日に不時着していた「彩雲」の近藤芳雄少尉は、エンジンの修理を希望する陸攻の機長(
上田照行上飛曹)に対し、近藤少尉は基地の状況を説明し、早急に脱出する必要があると説いた。
だが機は片発機の為、離陸が難しい。そこで余分の燃料と飛行機以外の兵器を下ろして身軽にした。
それでも上田機長は修理を望んだ。留まって捕虜になるか、離陸に失敗して死ぬか、離陸に成功して鹿屋に帰投するか
のいずれかだと説得し、強引に離陸帰投する事になった。彩雲搭乗員3人も乗せた陸攻はレバー全開で右エンジンだけで
離陸、滑走路を目一杯使って離陸成功。だが飛行するだけで精一杯で高度も取れず変針も出来なかった。
銃撃を受けた時に損傷したのか、脚の出し入れが出来ず、米軍機を避けて海面を超低空で鹿屋基地に向かった。
鹿屋基地に接近した時は高度100m、燃料計はゼロ。そして着陸すると滑走路の終点でエンジンが停止したという。
6/22、沖縄の日本軍最高司令官牛島満陸軍中将と参謀長の長勇陸軍中将は摩文仁丘の洞窟で共に自決。
沖縄戦は事実上終結し、菊水作戦もこの6月22日をもって終了した。

7月になっても米軍機の攻撃は散発的ながら続けられた。
喜界島にいた不時着陸海軍搭乗員の多くは5月中に内地に帰還。しかし一部は7月に入っても喜界島に残されていた。
7/2喜界島にいた陸軍搭乗員は、誠第39飛行隊(木下孝之少尉)、誠第37飛行隊(春島邦武少尉)、第23振武隊(岡本龍
一伍長)、第29振武隊(山田忠男伍長)、第44振武隊(武田亀遊軍曹)、第46振武隊(斉藤健伍長/奥村明雄伍長)、第75
振武隊(大本正伍長)の8名。
このうち第23振武隊の岡本伍長、第44振武隊の武田軍曹は、徳之島から帰還の便を求めて喜界島に移動して来た。
第46振武隊の斉藤伍長・奥村伍長は4/5喜界島に前進、その後の空襲で愛機を破壊されていた。

第75振武隊の大本伍長に関して詳細は不明だが、4/7~4/16に万世基地を出撃後、喜界島に不時着した可能性が高い。
誠第37飛行隊の春島少尉も詳細は不明だが同隊の僚機が4/6新田原基地から出撃しているので、こちらも出撃途上の喜
界島不時着と思われる。ちなみに春島少尉は奄美大島の宇検村出身である。
第29振武隊の山田伍長は先述のように4/7喜界島に着陸、その後空襲で愛機を破壊された。その後の帰還の便にも洩れ
て島で待機していたある日、徳之島で参謀本部への書類を届ける為に97式戦闘機の搭乗員を探していた所、山田伍長が
選ばれて喜界島から徳之島へ渡っている。
7月2日現在、徳之島にいた搭乗員は、木下少尉・春島少尉・武田軍曹・山田伍長が戦闘機の搭乗員だった。
この内2人の少尉は特操出身者で、後の2人は少飛出身者だった。おそらく操縦経験の豊富さという点で、急速養成の特
操ではなく、少飛の山田伍長が選ばれたと思われる。
徳之島に渡った山田伍長は、7/5沖縄本島から脱出して来た森脇弘二陸軍大尉に会っている。
この森脇大尉が伍長の操縦する戦闘機に乗って、九州へ向かうことになっていた。だが肝心の戦闘機が7/9の空襲で破
壊された為、この計画は中止となり、森脇大尉は奄美大島から水偵で内地に帰還している。
その後山田伍長を初めとする在喜界島搭乗員は、7月初旬に奄美大島に移動した。
この時移動したのは若林中尉(通信)/木下少尉/春島少尉/岡本准尉他下士官6名だった。奄美大島でしばらく待機した
後、山田伍長/木下少尉/春島少尉/当山少尉(6/3沖永良部島に不時着した第214振武隊長)/岡本准尉の5人は7/22
7/23の両日に飛来した97式飛行艇に乗って無事に内地に帰還した。
山田伍長は飛行艇の着いた詫間基地から九州に帰還する途中で、第44振武隊の武田軍曹の実家(岡山)に泊まっている。
また列車で帰る途中にグラマンの攻撃を受けて、武田軍曹と2人で線路脇の叢に逃げ込んだと回想していることから、武
田軍曹も一緒に帰還したと思われる。
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喜界島は小さなビーチが多いが、各所とても綺麗で落ち着ける場所ばかり。
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平家上陸の地
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私が一番綺麗だと感じたのは小野津漁港。
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大戦末期(昭和20年)の喜界島海軍基地の米軍空襲及び陸海軍航空隊の戦闘記録の続き。
昭和20年7月3日15:00に米軍機3機が来襲、飛行場爆撃と共に民家1戸を焼失させた。
昭和20年7月4日大規模な空襲があった。16:00頃に米軍機約30機が来襲、飛行場を爆撃した。
昭和20年7月5日13:00に米軍機2機が来襲、民家2戸が焼失した。
昭和20年7月6日15:00に米軍機2機が来襲し、飛行場爆撃と共に民家7戸が焼失した。
昭和20年7月9日14:00に米軍機2機が来襲し、9戸の民家が焼失した。
昭和20年7月10日米軍は7月で最大規模の空襲を喜界島に対して行った。11:00に3機来襲、民家19戸が焼失した。
13:30頃にはB-24の9機編隊及び4機が来襲、飛行場を爆撃した。この攻撃で親子爆弾、時限爆弾が無数に投下され、
飛行場は大破、使用不能となった。また中里機関砲陣地、高角砲陣地、赤連殿森高角砲陣地が大破した。
これまでの艦載機中心の空襲に対し、B24のような重爆撃機が直掩機付きで来襲したのは、喜界島ではこの日が始め
てであった。
この空襲で大損害を受けた「中里機関砲陣地、高角砲陣地」とは、中里集落の南側にあった第2高角砲台(高角砲4門)
と第2機銃砲台(25ミリ機銃8門)である。もう一つの「赤連殿森高角砲陣地」とは、赤連集落と羽里集落の間の高地に
あった第1高角砲台(高角砲8門と13ミリ機銃4門)である。被害は飛行場周辺に留まらず、川嶺のゴリヤ前付近八五
高地で、7月中の陣地完成を目指し作業中の勤労奉仕隊員からも犠牲者を出し、軍作業現場で住民4名が全身に爆弾破片
創を受けて死亡。この日、喜界島では21名が空襲で死亡している。

昭和20年7月12日13:00頃、米軍機2機が来襲し、飛行場爆撃と共に民家2戸が焼失。
この攻撃は厚い雲の為、福岡県築城飛行場の攻撃を断念したB-24の編隊(47機)が、喜界島飛行場を攻撃した。
7月に入って日本軍機が喜界島を使用した記録はほとんどない。沖縄島玉砕後は本土決戦に備えて戦力を温存し、
沖縄方面への攻撃は散発的になっていたのである。
8月になると喜界島は完全に戦場の焦点から取り残されていた。沖縄から出撃した米軍機は連日、喜界島の上空を
通って日本本土攻撃に向かった。制空・制海権は完全に米軍の手中にあった。
昭和20年8月7日12:30海軍偵察第4飛行隊の彩雲1機(高森一義少尉/藤村久芳上飛曹/下森道之上飛曹)が不時着。
同機は09:30に鹿屋基地を発進し、米艦隊の偵察後、敵機と交戦して被弾不時着した。
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  ▲海軍偵察機[ 彩雲 ](手前) 奥に写る2機は海軍艦上爆撃機[ 彗星 ]
昭和20年8月13日夕刻、6/10以来。喜界島で待機を続けていた第二神雷爆戦隊の零戦5機が沖縄へ特攻出撃。
出撃したのは岡本鼎少尉、細沢実1飛曹、松林信夫2飛曹の小隊、岡島四郎中尉、星野実1飛曹の小隊だ。
この特攻出撃の様子を坂嶺集落の英啓太郎さん(当時14歳)が目撃している。英さんが夕方田圃の土手に座って海を
見ていると、5機の戦闘機が離陸し南を指して飛び立った。その後しばらくすると3機の飛行機が現れ、3機は爆弾を海
中に投下すると飛行場に着陸した。
離陸した5機の内、岡本機は離陸後オイル漏れが発生し、松林機も離陸時に片脚を折損して格納できなくなった。
その為、岡本編隊は無傷の細沢機も含めて、暗くなりかけた喜界島に帰投した。松林機は胴体着陸し使用不能となった。
岡島編隊の2機はそのまま沖縄に向かい、沖縄沖に停泊中の米攻撃輸送艦ラグランジュに突入。1番機は19:47左舷
上部構造のキャビンデッキに突入した。そのため同艦は電力・通信機能等を一挙に失った。
続いて2番機は左翼を艦体にぶつけた後左舷海面に突入し、前部左舷にガソリンや機体の破片を海水と一緒に浴びせか
けた。この攻撃で同艦は戦死21名、負傷者89名を出し、その後同艦は応急修理のためグアム島へ向かった。

昭和20年8月14日沖縄への航空攻撃はこの日も行われた。931空「天山」4機が18:30に発進、沖縄攻撃に向かった。
(操縦)小船栄一中尉/(偵察)横馬場清二上飛曹/(電信)石井力1飛曹の乗る天山は、喜界島に不時着した。
その数十分後、共に串良基地を出撃した天山1機が燃料不足で不時着。
更に(操縦)加藤誠一少尉/(偵察)土谷照雄上飛曹/(電信)石沢忠義1飛曹の天山は、発動機不調で喜界島東方30浬
の海上へ不時着水した。漂流した3人は25日に第2明神丸に救助されたが、26日に加藤少尉が戦傷死した。
昭和20年8月15日終戦(敗戦)翌16日、第二神雷爆戦隊の細沢一飛曹と松林二飛曹は、岡本中尉の命令で先に帰還する
事になった。細沢実1飛曹の零戦には7日に不時着した彩雲の搭乗員2名が、松林機には残りの1人が乗って九州に帰還
する事となったが、松林機は離陸すると全速力で飛んで行ってしまい、細沢機は鹿児島に着くまでに発見できなかった。
細沢機は無事鹿屋基地に到着したが、松林機は屋久島沖に墜落したという。この終戦後の遭難で松林信2飛曹と、同乗
した彩雲の下森道之上飛曹が死亡した。喜界島に残った岡本中尉はまもなく古仁屋経由で帰還している。
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喜界町農産物加工販売施設
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▼『オオゴマダラ』日本のチョウとしては最大級である。
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日本では喜界島以南の南西諸島に分布する。喜界島では飼育して孵化したものを放しているせいもあってか、島の中で
も特に多い。島のいたるところで当たり前の様に見る事が出来る。喜界町農産物加工販売施設ではオオゴマダラを飼育
しており、飼育場所を手軽に観察出来る。今回は野間さんにご案内して頂いた。
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▲黄金色の「さなぎ」も見る事が出来た!
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▲仲の良いオオゴマダラの夫婦。(笑)
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ムチャ加那公園
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ムチャ加那物語
薩摩藩時代、瀬戸内町生間にウラトミという村一番の美人がいた。
薩摩から来た島役人は、ウラトミを島妻にしようとしたが彼女は拒み続けていた。
怒った役人は生間集落に年貢を重くするなど、さまざまなしめつけをしてきたので、たまりかねたウラトミの両親は彼
女を小舟に乗せにのせ生間から流した。
漂流の末、たどりついたところが小野津トゥバヤノ付近であったという。
ウラトミはその地で結婚しムチャ加那を生んだがムチャ加那も親に勝る美人だったという。
あまりにも美しく生まれたばかりに悲しい死をとげた「ウラトミ、ムチャ加那親子」の物語は民謡でも謡われ、奄美民
謡の代表のひとつとなっている。
先人たちが厳しい生活の中で謡い継いできた奄美民謡は貴重な地域文化であり、後世に伝えていかなければならない。
喜界町
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▼通称「地下ダムトンネル」を見学。
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水管理センター。水資源に乏しい離島では地下ダムを活用する場合が多いという。
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私は初めて聞いた。喜界島も地下ダムで水を蓄えて、島の色々な場所へ給水している。
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そのダムの一部の地下トンネルを見学することが出来る。(無料)
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入口は水管理センター側。
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出口は農産物加工センター側になる。
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喜界島は珊瑚で出来ている為水はけがよく、雨水は地下を通って海に流れ込んでしまう。
その為、ダムを造り雨水を堰き止めて農業用水にしている。本来なら山を崩し止水壁を造るが、止水壁が構築されるこ
の一帯は、砂丘防風林としての役目の他、喜界島の保護蝶である「オオゴマダラ」の生息地として知られる。
そこで、同地保護を目的とする環境保全型農業立島「喜界島」を目指し、地下にトンネルを造って止水壁として利用し、
地下水の流れを堰き止め、琉球石灰岩の隙 間に水を貯め、くみ上げられてスプリンクラー等で散水されている。
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トンネルはまだまだ続くが、見学はここまで。
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▼楽しかった喜界島滞在も終わり、喜界空港の軽食店で一息入れる。
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此処の軽食が安くて美味しかった。
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▼廃校記念って・・・悲しい・・・クラブ活動なんかも奄美大島の学校と一緒になってたりして通うのが大変らしい。
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▼またうも~りよ~=またようこそよ~ かな?ここは普通に「また来てね~」の方が日本語として良いと思うが。
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さぁ搭乗の時間が来た。
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「喜界島」また来たいな~。この島は来てみないと分からなかった事が多く、ホントに良い島だった。
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さようなら喜界島。
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特攻隊や輸送機、攻撃機が離陸した景色と同じはずだ・・・合掌。
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喜界島が遠くなっていく。赤印の部分が喜界空港。
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▼戦時中に米軍が撮影した空爆を受ける喜界島。飛行場付近から煙が上がっている(昭和20年5月5日撮影)
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「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
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 2019_07_01


ずっと行きたかった場所、愛媛県西条市にある楢本神社。
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ここには神風特別攻撃隊「敷島隊」隊長 関行男大尉の墓碑があります。
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「敷島隊」が突入した当時の新聞は朝刊1面で「身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じた。
関大尉は命令を受けた際「ぜひ、私にやらせてください」と承諾したとされるが、 報道班員だった小野田政特派員は、
出撃を控えた関大尉とのやり取りを回想録「神風特攻隊出撃の日」の中でこう記す。
関は腹立たしげにこういった。『日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて』
『ぼくは最愛のKAのために行くんだ。 命令とあらば止むをえない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。
最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!』と。
関大尉は戦時中当時(昭和19年)新婚5カ月。KAは海軍用語で妻を指しその言葉からは苦渋に満ちた決断が伝わる。
特攻隊員が愛する者を守り、国の行く末を案じる気持ちが行動の芯であったのはまぎれもない事実だが、
美辞麗句で片付ける前に、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。
ところが、軍神とあがめられた特攻隊員に対する賛美は敗戦とともに影を潜め、遺族を取り巻く環境も一変した。

関大尉の母サカエさんも敗戦後「軍神の母」からいつしか「戦争協力者の母」という批判を浴びせられる。
関大尉の奥様は再婚。母サカエさんの関家は訪れる人もなく、日々の生活にも事欠く様になり、衣類を闇米に代え、
草餅を作って売り歩いた。晩年は西条市の小学校に住み込みで働き、昭和28年11月還暦を前に亡くなり関家は断絶。
意識が混濁する床で、「行男の墓を建ててください」 とつぶやいて息を引きとったという。
昭和56年、ようやく神風特攻隊「敷島隊」関行男大尉(死後中佐)の慰霊碑を建立。

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戦後日本の世相は、国の為に散華した軍神に対して冷たいもので、永らく墓すら作らせなかったのである。
昭和54年「大東亜戦争・特攻記念館」が出来、しばらくは開館していた様だが、今回の訪問時、近くに住む友人に、
何とか見学出来ないものか?と頼み、管轄の市役所に問い合わせてもらったが、返答は「訪れる人が無く、長らく閉館
しているので、開けるのは難しい」との事で見学する事は叶わなかった。

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何と冷たい国だろう・・・楢本神社の宮司さんのご尊父は、かつて海軍兵学校で教官をされていたとの事で、五軍神の
遺品の収集や、慰霊祭で海上自衛隊の協賛をなさっているそうだ。折角に遅ればせながらも墓碑と特攻記念館が出来た
のに訪れる人がいないから閉館とは・・・・。国の為に命を捧げた英霊に感謝する気持ちを日本人は忘れてしまったの
だろうか・・・。日本は必ず良い方向にはいかない。そして日本人はいつまでたっても外圧が無ければ何も変わらない。
左翼も右翼も無い。最前線で戦ってくれた英霊は只々日本の為に戦ってくれた、悪い事など何もしていない。
日本の為に戦ってくれた英霊に対して感謝する気持ちは絶対忘れてはいけない。

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▼関大尉の墓碑を囲う様に置かれた250㌔爆弾型の石碑には「敷島隊」隊員の名が記されている。
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アメリカ軍対特攻機戦術(日本語版) YouTube

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 2016_08_12


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鹿屋航空基地は現在も航空自衛隊が当時の滑走路や施設建物(格納庫の骨組みは当時のまま)を使用している部分があり
その場所に行くと不思議な気持ちになる。史料館は無料で2階が陸軍特別攻撃隊(知覧・万世)以外の九州基地より出撃
された海軍特攻隊「神風特別攻撃隊」(桜花隊含む)に関する史料や遺書等の展示場所になっている。
海軍が始めた特攻作戦はその後陸軍にも波及していく事となる・・・。


記事UP日3/21は、昭和20年3月21日は第1回神雷桜花特別攻撃隊が鹿屋より出撃し、全滅した日でもある。
(桜花15機、一式陸攻18機、戦闘機35機)戦死160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘機10名)
▼南九州の陸海軍航空基地

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海上自衛隊鹿屋航空基地史料館 (唯一現存の二式大艇はここで見学出来ます)
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平成15年まで船の科学館(東京都)にあった二式大艇がここに移されています
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[ 二式大型飛行艇12型H8K2 ]はとにかく大きい事が上下の写真でも解ります。
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▲唯一の現存機は香川県詫間町幸田にあった詫間海軍航空隊に残されていた残存機の1機(詫間31号機)である。
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※二式大型飛行艇の初実戦は「K作戦」 K作戦とは、太平洋戦争中の海軍の作戦の1つで、二式大艇によるハワイ真珠
 湾攻撃を企図・実行したもので、第1次計画/第2次計画があったが、結果第1次計画のみ実行された。
 日本海軍は真珠湾攻撃後の1941年12月17日/1942年1月5日に伊潜水艦から発進させた偵察機でハワイ偵察を行い、
 アメリカ軍が灯火管制もせずに急ピッチで日本海軍最初の真珠湾攻撃による損害の復旧をしていることを知った。
 これを妨害する為に1942年3月4日二式大艇2機で奇襲攻撃後2回目となる真珠湾攻撃を実行したが、上空の視界の
 悪さや急遽の灯火管制の為もあり、4発の250キロ爆弾は目標を外れて周辺の道路などに落下し、アメリカ側の被害
 は軽微であった。攻撃に参加した二式大艇2機は1942年2月12日に横須賀を出発14日にマーシャル諸島ヤルート島
 に到着。3月2日マーシャル諸島ウオッゼ島に移動、3月4日ウオッゼ島を出発、途中フレンチフリゲート環礁で潜水
 艦から燃料補給を受け、ハワイ真珠湾攻撃に出撃するという長旅であった。

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▲▼2017年10月14日再訪
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初めて鹿屋を訪れた時、丁度レストア中で柵で覆われて見学出来なかったが、ようやく見学出来た。
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美しい機体だ・・・。
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しばし眺めていた・・・。
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▲敗戦後の海軍鹿屋航空基地空撮。爆撃により穴だらけの滑走路が写っている(米軍撮影)
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▲当時の航空隊本部(現存していたが現在は取り壊され、新しいくなったという事だ・・・)
最も多くの海軍特攻機が出撃した鹿屋飛行場、今も海上自衛隊鹿屋航空基地として現役です。2階にはゼロ戦の実機が
展示してあり、鹿屋飛行場から出撃された多くの特攻隊員の遺影と遺書が展示してあります。零戦(ゼロ戦)主任設計
者の堀越二郎さんは近年の映画「風立ちぬ」でも有名ですが、零戦は開発要求が厳しく、とても苦しんでようやく完成
させた戦闘機だった様で、試験飛行では操縦士が2人死亡。先の大戦では特攻も含め、多くの方々が戦死しておられま
すので、主任設計者堀越二郎さんは、零戦は好きだとストレートには言えなかった事を語っておられます。42歳で敗戦
を迎え、アメリカから航空機開発を禁止された堀越二郎さんの無念と、戦争に突入していく日本に疑問を持っていた方
だった。 という事も忘れてはいけません。

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▲▼現在の鹿屋航空基地を敷地外より見る(2017年10月14日撮影)
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現存していた航空隊本部や掩体壕も取り壊され、滑走路だけが当時をしのばせる唯一の遺構となってしまった。
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▼▲史料館2階に復元展示している零戦(ゼロ戦)52型
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この零戦は平成4年、錦江湾と吹上浜から引き揚げられた2機の零戦の残骸を組み合わせ、三菱重工業名古屋航空宇宙
システム製作所の協力で、鹿屋基地所属隊員達が復元した機体。同時期は此の史料館が建設途中であった。

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機体は52型だが、展示エンジンは21型の物だ。
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 昭和19年8月30日「大本営海軍部特殊班(暗号解読担当)」から、敵の総合通信状況判断が打電され、敵機動部隊
 の攻撃が近いとの判断が伝えられ、昭和19年9月9・10日ダバオで空襲を受けた後「ダバオ誤報事件」が起こる。
 見張所から「敵水陸両用戦車に百隻陸岸に向かう」という報告に根拠地隊司令部が「ダバオに敵上陸」と報じ一
 航艦司令部は混乱し、玉砕戦に備えて設備を破壊し重要書類を焼却したが誤報であった。
 その中で基地航空隊はセブ島に部隊を集中させるというミスを犯し、敵航空隊に奇襲された「セブ事件」で9/1
 時点で250機あった零戦が9/12の「セブ空襲」後には99機まで減少し迎撃能力を失う。
 この責を問われた寺岡謹平中将は更迭され、昭和19年10月20日 大西瀧治郎中将が第一航空艦隊司令長官に親
 補され、航空戦力の無い中、昭和19年10月20日初の神風特別攻撃隊を編成。「特攻作戦」に突き進んでいく。
 ▼第一航空艦隊幹部(写真1列目中央が大西瀧治郎中将)

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▼大西瀧治郎中将(右端)特攻は海軍上層部で考案されたもので、戦後自決した大西中将に全ての責任をなすり付けてい
 る感がある。航空機による神風特別攻撃隊の前から、人間魚雷「回天」などの特攻兵器を既に開発していた。

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大西中将には子供は無く、親友の多田武雄中将の息子(圭太)を、自分の子供の様にかわいがったという。
しかし、多田圭太中尉は神風特別攻撃隊「第2朱雀隊」隊長として昭和19年11月19日フィリピンの海で散華している。
昭和20年5月軍令部次長として内地に帰還した大西中将は官舎に独居した。
「週に一度は帰宅して奥さんの家庭料理を食べてはどうですか?」と勧める部下に対して大西中将はこう答えた。
「君、家庭料理どころか、特攻隊員は家庭生活も知らないで死んでいったんだよ。614人もだ。俺と握手して逝ったの
が614人もいるんだよ・・・。」目に一杯の涙をためて大西中将は答えたという。
大西瀧治郎中将は昭和20年8月15日終戦の翌日、割腹自決を遂げた。介錯無し。


[ 神風特別攻撃隊 ](しんぷうとくべつこうげきたい)
「敷島隊」出撃前の様子です。実際の映像は有名ですが絵を見たのは初めてでした。
(本来写っているはずの「敷島隊」の前に初特攻出撃した「大和隊」宮川正一飛曹が省かれている)
左から関行男大尉(愛媛県出身)/中野磐雄1飛曹(福島県出身)/永峰肇飛長(宮崎県出身)/谷暢夫1飛曹(京都府出身)
大黒繁男上飛(愛媛県出身)の5名の方です。

神風特別攻撃隊 記録映像① 記録映像② 記録映像③
(記録映像②参照4:07辺り)
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後姿の上官は玉井中佐、大西中将。 (左から4番目の方は、舞鶴市明教寺がご実家の谷暢夫1飛曹です)
▼谷暢夫1飛曹の故郷は京府舞鶴市にある明教寺(小生もお参りに行きました)

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▲「明教寺」 京都府舞鶴市字余部上315 [ TEL ] 0773-62-4890
谷暢夫1飛曹の母、一枝さんは谷暢夫1飛曹が南方戦線に進出する前、四国の松山基地を3回訪ねている。
最初訪ねた時は面会謝絶だった。途方にくれていた一枝さんに衛兵が声を掛け、何とかすると言って谷1飛曹を
短時間母に会わせた。谷1飛曹は持ってきたトランクを母に渡し、もうすぐ外出日だから旅館で待つ様に言った。
母はトランクを開けて、大金の入った預金通帳を見た。それで息子の戦地への出立が近いことを悟った。
外出日に合わせて舞鶴から父親も呼び寄せて昼間だけの短い時間、親子3人で会った。
翌日、夫婦で隊への御礼に出向くと、1人の青年大尉が自分の事の様に喜んで「遠い所をよく訪ねて下さいました。
本人もどれだけ励みになるか知りません」と深々と頭を下げた。飛行隊長の重松康弘大尉である。
もの静かで貴公子然としたスマートな士官だった。25歳で真珠湾攻撃の分隊長、ミッドウェー海戦では空母「飛龍」
に在り、小林道雄大尉による空母「ヨークタウン」への壮烈な艦爆隊突入の直掩を務めた。
「飛龍」沈没退艦時には山口多聞司令官に乞われて、自らの拳銃を自決用に差し出した経歴を持つ。
この大尉は決して自分の武勇譚を語ることはなかった。
母の一枝さんは「誠実な、温情味溢れた言葉だった」と言い、この28歳の青年士官は忘れ難い存在となった。
谷1飛曹は出撃が間近になった時、一晩だけ舞鶴の自宅に帰った。「近く内地を出発することになりました」と両親に
挨拶した。間もなく、松山の衛門前で知り合った別の隊員の母親から「豹部隊が征途に着く」という緊急の連絡が入る。
一枝さんは息子に頼まれていた「豹戦 谷暢夫」と書き入れた白羽二重のマフラー・他を持って松山基地に駆けつけた。
衛門前で「昨日、大編隊が飛び立って征った」と衛兵に告げられ、間に合わなかったと落胆したが、谷と森本が衛門に
駆けつけてきた。「残っている搭乗員も僅かだから、自分達も間もなく出発になるだろう」と言った。
持参のマフラーを渡すと、谷1飛曹は嬉しそうに受け取り、何を思ったのか、一枝と森本の母を飛行場に連れて行った。
そして、3機編隊で離陸して自分達の華麗な特殊飛行を母親達に披露した。
母の一枝は、目前で繰り広げる息子の高等飛行に驚き、僅か2年足らずでこれだけの技術を得る為にどれだけの苦労が
あったのかに想いを馳せ、涙を止めどなく流した。

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▲谷暢夫1飛曹の母、一枝さん
着陸して機から降りた息子の腕にすがりつき「死ぬ事だけがご奉公じゃないのよ ! ね、ノンちゃん。生き抜いて、生き抜
いて戦うこともご奉公なんだからね」と必死に訴えた。
谷1飛曹はうなずき、母親をあやすように笑って見せた。これが最後の別れとなった。
母と面会した3日後の2月29日、谷はグアム島に向けて松山基地を飛び立った。その前日、次の句を残した。 
「子を思う 御国の母は有難し 千里万里もわれを訪ねつ」
この言葉通り、昭和50年10月25日、「敷島隊」が散華した31年後、一枝さんは生き残りの隊員とご遺族などと共に慰霊
巡拝でマバラカット及びタクロバンを訪ねられた。ご高齢の為、家族の反対を押し切っての慰霊行だった。
当時74歳の老いた母は、覚束ない足取りでタクロバンの海に向かって駆けて行かれ、腕に抱えた花束を海辺に投げた。
その時、大きな波が押し寄せて、老いた母の膝のあたりに波のしぶきがかかった。
 「ああ、暢夫が来た ! 」とその老いた母は思わず叫んだという。
『「お母さん、来てよかったな」と息子が出迎えてくれたと思い、言うにいわれん気持ちで胸一杯で御座いました。そして
花束が波に乗って寄せては返し、だんだん遠ざかって消えていくのをじっと眺めておりました・・・』と母は語った。
白い波ですら、死んだ息子の霊魂と信じる母の姿がそこにあった。何十年経とうとも、母の心の中で暢夫は生き続けていた。

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▲谷暢夫1飛曹 昭和19年10月25日神風特別攻撃隊「敷島隊」3番機として出撃、突入戦死。享年20歳
谷暢夫1飛曹の家郷へ最後の書簡と遺書
「親を惟ひ 国を憂ふる心あらば 身を桜花となりて 散りゆかん」
はじめありて 終りあるもの 鮮し
永らくのご厚思を謝す。何一ツ親孝行らしきことなき小生も、最初の最後の親孝行を致します。
忠孝一致、とは古人、実によく云ったものと感心します。ご両親の長命を切に祈ります。
日の本の空征くものの心なれ 散るを惜しまぬ桜花こそ


鹿屋航空基地史料館は敷島隊の前に特攻出撃されて未帰還となった、久納好孚中尉(ゼロ号の男)の事、終戦直後に
「彗星」で特攻出撃した「宇垣特攻」も知る事が出来、知覧特攻平和会館(陸軍特別攻撃隊)や万世特攻平和祈念館
(陸軍特別攻撃隊)とは違う歴史の事実を知る事が出来ます。特攻隊員の気持ちは出撃した本人しか解りません。
現代に生きる我々は今、想像で当時の状況を心で理解するしかないと思います。
戦死された特攻隊員に感謝する気持ちと「特攻を賛美する」とは全然違う事です。


▼[敷島隊]5人の特攻隊員、皆さん20歳前後の優秀な若者ばかりです。
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※大黒繁男上飛は10/25出撃(5回目)の際に横山大尉(生還)の指名で急遽「敷島隊」に加わった。
▼大西中将と敷島・大和隊員との訣別の水盃。左から関、中野磐雄、永峰肇、谷暢夫、大黒繁男、宮川正(大和隊)
 後姿は左が玉井中佐、中央が大西中将。(日映・稲垣浩邦カメラマンが10月20日に撮影)

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▼フィリピンマニラ郊外のマバラカット海軍航空基地より特攻出撃する敷島隊「関行男大尉機」
 02-888の機番は使い古しの練習用機だったとの事です。

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関行男大尉が率いる敷島隊 (爆装零戦5機) は、昭和19年10月25日に米軍護衛空母に突入したこ
とが『米軍』と『直掩零戦の指揮官である西沢広義飛行兵曹長』の双方により確認されています。


第1神風特別攻撃隊「敷島隊」昭和19年10月25日 マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン沖機動部隊攻撃)
関 行男大尉(愛媛県出身 享年23歳)/中野 磐雄1飛曹(福島県出身 享年20歳)/谷 暢夫1飛曹(京都府出身 享年19歳)
永峰 肇飛長(宮崎県出身 享年19歳)/大黒 繁男飛長(愛媛県出身 享年19歳)
他、爆装1機エンジン不調でレガスピー不時着(直接攻撃不参加5/26「葉桜隊」に編入)
※10/25「敷島隊」の編成は、爆装ゼロ戦6機と直掩4機の合計10機であった。
直掩1機(管川 操飛長)が上記5名とは別に特攻死扱いとなっている。


 以下米軍の戦闘記録より(タクロバン85度35浬)
 護衛空母キトカン・ベイは5機の特攻機の編隊を発見した。
 特攻機は、護衛空母の周囲の輪形陣を突破した辺りで急上昇し、二つのグループに分かれた。
 「零戦の指揮官機 (リーディング・ゼロ)」は、護衛空母カリニン・ベイに錐もみ状態となりながら60度の角度で
 右舷艦首上空から突入し、飛行甲板前部に体当たりした。この飛行機の爆弾は甲板を滑って海に転落したが、零戦
 の突入により飛行甲板に大穴が開き、流出した燃料により火災が発生した。( 敷島隊1機目、関大尉機と思われる)

 二番機は同じくカリニン・ベイに急降下を開始したが、既に対空砲火により火を噴いていた。
 辛うじて左舷舷側に体当たりしたが、爆弾は水中で爆発した。(敷島隊2機目)

 カリニン・ベイには3機目の飛行機がゆるい角度で突入したが、対空砲火により海中に墜落した。
 爆弾は炸裂しなかった。(直掩隊零戦4機のうち1機が未帰還となったが、この飛行機と思われる)
 ※(直掩隊)西澤廣義飛曹長/本多慎吾上飛曹/管川操飛長(福岡県出身)/馬場良治飛長の4名4機

 1機の特攻機は、護衛空母セント・ローに着艦するかのように突っ込んで来て、左舷後方の飛行甲板に
 突入した。爆弾は飛行甲板を貫通して格納庫内で炸裂し、格納庫内で出撃準備中だった飛行機・爆弾・
 魚雷などに次々に引火、セント・ローは約30分間で8回の誘爆を起こして沈没した。(敷島隊3機目)

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▲特攻機突入により大爆発する米護衛空母セント・ロー
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▲炎上する米護衛空母セント・ロー (USS St. Lo)

 1機の特攻機は、護衛空母ホワイト・プレーンズに突入したが、左舷艦尾から数フィートの所で海面に
 突入した。爆弾は海面で炸裂し、至近弾として損傷を与えた。(敷島隊4機目)

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▲護衛空母ホワイト・プレーンズに突入寸前の特攻機

 1機の特攻機は、護衛空母キトカン・ベイの艦橋を目指して突入したが、狙いが外れて舷側に衝突した。
 その際に爆弾は炸裂して被害を与えたが、飛行機は25ヤードほど外側の海面に落下した。(敷島隊5機目)

 直掩隊西沢飛行兵曹長は、敷島隊が全機突入したのを見届けた後に無事に戦場を離脱し、日本海軍飛行隊
 のセブ基地に着陸。同基地指揮官の中島正少佐に直接報告しています。
 [報告内容]
 敷島隊は指揮官機の合図で全機突撃し、指揮官機は敵空母に命中。この命中で炎々と火を発し、転蛇
 して逃げ回る空母に列機がさらに命中し、その黒煙は、1,000メートルも吹き上がったかと思われた。
 また他の1機は別の空母に命中して大火災・さらに1機は軽巡洋艦に命中して瞬時にこれを沈没させた
 (中島正 手記=『二〇一空戦記』)

 西沢飛行兵曹長他の3機の零戦はいずれもセブ基地に着陸し、上記のように戦果を詳細に報告したが、
 翌日10月26日に[零式輸送機]でクラーク飛行場に引き返す途中で米軍戦闘機に撃墜されて全員戦死。
 ※「敷島隊」の直掩隊指揮官の西沢飛行兵曹長はラバウルで海軍の撃墜王と勇名を馳せたパイロット。

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▲日本海軍 [零式輸送機]
▼台南空、251空などで活躍した海軍屈指のエースパイロット西沢広義飛曹長。
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関大尉率いる神風特別攻撃隊敷島隊を直掩し戦果を報告したが、搭乗していた零戦を特攻用として接収される。
やむなく輸送機に便乗して移動中、敵戦闘機に撃墜され無念の戦死。戦死後、全軍布告二階級特進海軍中尉。
写真は「ピンさん」の愛称で親しまれた吉田一報道班員がラバウルで撮影したもの。


▼マバラカットやクラーク基地、セブ基地などの地名はフィリピンの地図でご確認下さい。
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 関大尉率いる敷島隊は、10月25日の突入成功までに4回特攻出撃し、目標を発見できずに帰還しています。
 後の他の特攻隊でも「飛行機の故障により、基地に引き返す/最寄の基地に不時着」は珍しいことではなく、
 第2次大戦当時の飛行機が頻繁にエンジントラブルなどの不具合を起こすことは「常識」であり、戦況の悪化
 と共に飛行機の品質が劣化し、消耗した飛行機が前線で使い続けられ、交換パーツが不足することで、不具
 合の頻度は上がっていた。「出撃後に機体にトラブルが生じた場合はその場で自爆せよ、帰還は許さない」
 などと言った命令は特攻作戦が始まった当初はありませんでした。
 特攻機に装備した爆弾は海に投下することができました
 「出撃したら、決して生還できない特攻」は、日本海軍では練習機特攻・桜花特攻、回天特攻などがあります。
 (震洋特攻ボートも・・)練習機を使用しての無謀な作戦では120機以上が沖縄目指して特攻したそうです。
 日本陸軍の特攻作戦でも「出撃したら、決して生還できない特攻」は航空機特攻・ボート特攻があった。

 敷島隊が特攻した当時の新聞は朝刊1面で「身を捨てて国を救わんとする皇軍の精粋である」と報じた。
 関大尉は命令を受けた際「ぜひ、私にやらせてください」と承諾したとされるが、 報道班員だった小野田政特
 派員は、出撃を控えた関大尉とのやり取りを回想録「神風特攻隊出撃の日」の中でこう記す。
 関は腹立たしげにこういった。『日本もおしまいだよ。ぼくのような優秀なパイロットを殺すなんて』
 『ぼくは最愛のKAのために行くんだ。 命令とあらば止むをえない。ぼくは彼女を護るために死ぬんだ。
 最愛の者のために死ぬ。どうだすばらしいだろう!』と。

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 ▲関行男大尉
 関大尉は当時、新婚5カ月。KAは海軍用語で妻を指し、その言葉からは苦渋に満ちた決断が伝わる。
 特攻隊員が愛する者を守り、国の行く末を案じる気持ちが行動の芯であったのはまぎれもない事実だが、
 美辞麗句で片付ける前に、生への執着を断ち切るまでの想像を絶する努力と決断があったことは想像に難くない。
 ところが、軍神とあがめられた特攻隊員に対する賛美は敗戦とともに影を潜め、遺族を取り巻く環境も一変した。

 関大尉の母サカエさんも敗戦後「軍神の母」からいつしか「戦争協力者の母」という批判を浴びせられる。
 関大尉の奥様は再婚され、訪れる人もなく、衣類を闇米に代え、草餅を作って売り歩いた。晩年は西条市の小学
 校に住み込みで働き、昭和28年11月還暦を前に亡くなる。
 意識が混濁する床で、「行男の墓を建ててください」 とつぶやいて息を引きとったという。

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 ▲関行男大尉の母サカエさん
 サカエさんが亡くなった際、戦時中「軍神の母」につきまとっていた新聞記者が、「そんなもの記事になります
 か、軍神がなんですか。!」と吐き捨てるように言ったという。
 戦後ガラっと変わってしまった日本。負けたのだからある意味仕方無い部分はある。
 しかし国の為に戦った人、国の為に命を落とした人を粗末に扱って繁栄するはずが絶対無い。
 自国の歴史を深く理解せず、愛国心の無い民族はいずれ滅びると思う。

 ※サカエさんの没後、伊予三島市(現・四国中央市)の村松大師に関の墓が建立され、1975年には関の慰霊と
 平和祈願のため、関親子を昔からよく知る西条市楢本神社神主石川梅蔵の発願により、元海軍大佐で国会議員だ
 った源田実の協力も得て、楢本神社に「関行男慰霊之碑」が建立された。
 毎年10月25日には、関が敵空母に突入した午前10時に海上自衛隊徳島航空基地か、小松島航空基地の航空機5
 機編隊が、慰霊のための編隊飛行を楢本神社上空で行っている。靖国神社には関大尉の遺影が祀られている。
 (戦後生きて国会議員にまでなった源田実に関しては色々言いたい事もあるがここでは書かない事にしておく)

 海軍の特攻作戦の最初の目的は日本海軍の「栗田艦隊」レイテ湾突入を成功させる事だった。その為に敵空母の
 甲板を一週間位使用不能にするという時限的、緊急的な処置だった。しかし、驚くことに肝心な「栗田艦隊」は、
 特攻の嵐が一段落した時、「レイテ突入を止め、敵機動部隊を求め決戦」と打電し、既に存在しない敵機動部隊
 を求めて反転し、北上を開始して事実上逃げたのである!
 この時点で、命を引き替えにした「神風特攻」の体当たり攻撃は一瞬にして水泡に帰した。
 本来ならこの日の特攻々撃をもって「統率の外道」である特攻を止めるべきだったと思う。


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 ▲昭和19年7月米重巡洋艦ボルチモア(USS Baltimore)艦上で笑顔で語らうダグラス・マッカーサー(Doug
 lasMacArthur)陸軍元帥(左)と、フランクリン・デラノ・ルーズベルト(Franklin Delano Roosevelt)
 第32代大統領。そしてチェスター・ウィリアム・ニミッツ(Chester William Nimitz)海軍元帥。
 余裕すら見えるアメリカ軍に対し、後が無い日本軍は捨て身の特攻作戦へ突き進んでいく・・・。
 アメリカの様に日本のトップ(大元帥 昭和天皇・陸軍参謀総長 杉山元元帥・海軍軍令部総長 永野修身元帥)
 が太平洋で作戦を練ったり現場の声に耳を傾けたり、悲惨な日本軍の実情を感じようとはしなかった。

 「敷島の 大和心を人問わば 朝日に匂う 山桜花」
 神風特別攻撃隊の大和隊・敷島隊・朝日隊・山桜隊と隊名に付けられた歌です。
 実は関行男中佐率いる「敷島隊」が最初の神風特別攻撃隊の戦死者ではなかった。
 以下10/25「敷島隊」が戦果を上げるまでの記録です。
10/20大西瀧治郎中将が第一航空艦隊司令長官に親補され神風特別攻撃隊編成を決定。
昭和19年10月20日 セブ基地よりゼロ戦5機で出撃(スルアン島東方機動部隊攻撃)
 06:00浜田 農少尉以下ゼロ戦5機セブ基地を出撃。(浜田少尉機脚故障の為、他1機と引返す)
 08:00引返した浜田少尉機以下2機が修理を終え再出撃。スルアン島東方の特空母群を攻撃
 ※浜田 農少尉は米艦隊の対空砲火により被墜。捕虜となり戦後生還している。

昭和19年10月21日 マバラカット東基地よりゼロ戦4機、直掩ゼロ戦4機で出撃(第1神風特別攻撃隊・敷島隊)
 09:00マバラカット東基地を出撃、フィリピン東方海上に向かうが、悪天候の為米機動部隊を発見出来ず。
     爆装隊4機、直掩隊2機はレガスピー基地に不時着、直掩隊2機はマバラカット東基地に帰還。
 [爆装隊] 関 行男大尉/中野磐雄1飛曹/谷 暢夫1飛曹/山下憲行1飛曹
 [直掩隊] 谷口正夫飛曹長以下3機

昭和19年10月21日 マバラカット西基地よりゼロ戦3機で出撃(第1神風特別攻撃隊・朝日隊)  
 09:00マバラカット東基地を出撃、フィリピン東方海上に向かうが、悪天候の為米機動部隊を発見出来ず。
     上野敬一1飛曹はレガスピー基地に不時着、他はマバラカット西基地に帰還。
 [爆装隊] 上野敬一1飛曹/崎田 清1飛曹/磯川質男1飛曹

昭和19年10月21日 マバラカット西基地よりゼロ戦3機で出撃(第1神風特別攻撃隊・山桜隊) 
 09:00マバラカット西基地を出撃、フィリピン東方海上に向かうが、悪天候の為米機動部隊を発見出来ず。
 [爆装隊] 宮原田賢1飛曹/滝沢光男1飛曹/藤本 寿1飛曹 全機マバラカット西基地に帰還。

昭和19年10月21日 セブ基地よりゼロ戦2機、直掩ゼロ戦1機で出撃(第1神風特別攻撃隊・大和隊) 
 10/20神風特別攻撃隊「敷島隊」が初出撃するも敵艦を発見出来ず帰還する。
 「敷島隊」の出撃を見送る久納中尉は「なんで俺を最初に出してくれないんだ!」と不平を言っていたと言う。
 10/21神風特別攻撃隊「大和隊」隊長・久納中尉以下隊員3名と直掩隊員2名がセブ基地で出撃待機に入っていた。
 敵情が入らないまま、出撃待機が永く続いた。徹夜で特攻機の整備に当たっていた中村少尉は午前中に指揮所を
 を訪ね、特攻の死を目前にして普段と変わりがなかった久納中尉を目撃し「胸を打たれた」という。
 午後3時になって漸く「スルワン島東方洋上に敵機動部隊発見」の知らせが入った。
 直ちに木の下に隠されていた零戦5機が引き出され、ガソリン補給と爆装の準備に入った。
 中島中佐は「搭乗員整列」の号令を掛け、簡単な水杯を交わし攻撃の打ち合わせに入った。
 発進準備は15分で完了し、整備員達は爆装機の傍で今や遅しと搭乗員達を待っていた。搭乗員整列の直前、
 久納中尉が自分の飛行帽を脱ぎ「もし届けられたらこれを家族の者に」と従兵の波田野二整曹に渡した。
 10分以上経過しても搭乗員達が来ない。「ノンビリしているな、こんな時に奇襲を喰らえば9/12のセブ基地大
 空襲の二の舞を踏む。燃料を満載して爆弾を抱いた戦闘機はひとたまりもない。「早く発進しないと危ない」
 と中村少尉は苛立っていた。その苛立ちは指揮所前にいた波田野義高二整曹も同じだった。
 水杯の後、中島飛行長は延々と搭乗員に精神訓話を垂れていた。既に死を覚悟している隊員に、今更口先だけの
 訓話に何の意味があったのだろうか?中島中佐の単なる顕示欲と自己陶酔に過ぎなかった。
 精神訓話は更に続いていた。その時、「敵らしき爆音が聞こえる」と見張員が絶叫した。直ちに搭乗員達は整列
 を解き、列機まで走ったが、既にグラマン戦闘機群は基地上空に侵入して機銃掃射を始めた。
 列線に行儀よく並んだ零戦5機は極めて都合が良い標的だった。零戦のガソリンが火を噴き爆弾が誘爆して一瞬
 にして貴重な零戦5機が破壊された。徹夜をして完璧に整備した機体である。
 中島中佐は9月12日のセブ空襲に続き二回目の過ちを犯した。
 波田野二整曹は「中島飛行長は敵のスパイか ! 」と同僚の整備兵が吐き捨てるように言った言葉を耳にした。
 いたずらに訓示を長引かせた中島飛行長に対するやり場のない整備員の憤りだった。
 整備長の桶泉大尉が「予備機を出せ」と叫んだ。昨夕マバラカットから進出してきた8機の内の残り3機である。
 ヤシやマンゴーの木の下から3機が引き出され、直ぐに発進準備が整った。
 神風特別攻撃隊の初出撃「大和隊」爆戦隊 久納好孚中尉/中瀬清久一飛曹(直掩隊 大坪一男一飛曹)の3機だ。
 指揮所から走り出した久納中尉は「(エンジンを)回せ ! 回せ ! 」と叫んで列機の先頭に飛び乗った。
 敵の戦闘機を追って行けば必ず敵の空母に辿り着ける。一刻を争っていた。残りの2機もバラバラに発進した。
 報道員もいない、帽ふれの儀式もない実に呆気ない慌ただしい出撃だった。
 これが久納好孚中尉の最後の姿だった。途中エンジン不調と悪天候に阻まれて、中瀬機と大坪機は久納中尉機を
 見失ったまま基地に引き返した。戦果の確認は出来なかった。久納中尉機は言葉通りに還ってこなかった。
 戦果が確認されなかった為、敷島隊の様に大々的に新聞等にも掲載されなかった様だが、敷島隊特攻出撃の前に
 既に「大和隊」隊長 久納好孚中尉が戦死されていたのである。
 同盟通信の報道班員・小野田政によれば、201空司令・玉井浅一中佐から久納が新聞に書かれない事が可愛そう
 だから書いてくれと頼まれたという。玉井浅一中佐は人情家で、戦果がはっきりしないからという理由で久納中
 尉が報道されない事を気にしていたと言う。

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 ▲ 久納好孚中尉(愛知県出身)昭和19年10月21日セブ90度185浬(推定)突入戦死。
 15:10爆装隊4機、直掩隊2機でセブ基地にて出撃準備中、F6F戦闘機の攻撃を受け全機炎上。
 16:25準備した予備機(爆装ゼロ戦2機、直掩ゼロ戦1機)でセブ基地を出撃。
 [爆装隊] 久納好孚中尉(特攻戦死1号)/中瀬清久1飛曹 [直掩隊] 大坪一男1飛曹
 セブ90度185浬付近へ向かう。悪天候であったが久納中尉機は列機と分離し、単機レイテ湾に向い未帰還。
 他2機はレイテ湾付近を索敵するが、上空F6F10数機を認めたが、敵艦隊を見ず攻撃を断念、セブ基地に帰還。


昭和19年10月22日 マバラカット西基地よりゼロ戦2機、直掩ゼロ戦2機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第2次山桜隊)
 [爆装隊] 宮原田賢1飛曹/滝沢光雄1飛曹 [直掩隊] 柴田正司飛曹長/原田一夫2飛曹
 タクロバン東方海上の米機動部隊攻撃に向かうが、天候不良で発見出来ず、マバラカット西基地に全機帰還。
※同日「敷島隊」ゼロ戦4機、直掩隊ゼロ戦2機「朝日隊」ゼロ戦1機がレガスピー基地よりマバラカット西基地に帰還


昭和19年10月23日 セブ基地よりゼロ戦2機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第2次大和隊)
 [爆装隊] 佐藤 馨上飛曹(特攻戦死2号)/石岡義人1飛曹
 05:00爆装隊2機セブ基地を出撃、スルアン沖へ向かうが、石岡一飛曹機が発動機不調の為引き返す。
 佐藤上飛曹が未帰還。
※同日「朝日隊」はダバオ第2基地、「山桜隊」はダバオ第1基地へ進出。

 
昭和19年10月23日 マバラカット西基地よりゼロ戦2機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第2次敷島隊)
 [爆装隊] 関 行男大尉/中野磐雄1飛曹/谷 暢夫1飛曹/山下憲行1飛曹 敵を見ず全機マバラカット西基地に帰還
 [戦爆隊] 高崎文雄1飛曹(特攻戦死3号) [直掩隊] 吉岡 康1飛曹 マバラカット基地よりゼロ戦2機で出撃
 高崎文雄1飛曹が未帰還。
10/23は、「敷島隊」5機がマバラカット西基地より。「大和隊」2機と直掩隊4機はセブ基地から出撃したが、
フィリピン東岸に進むと雨雲に覆われて視界は10キロになった。その為、二航艦攻撃隊の総指揮官・江間少佐は索敵
攻撃は不可能と判断し、全機反転して引き返した。「敷島隊」も同様に反転帰投したが[戦爆隊]高崎文雄1飛曹が未帰
還、共に出撃していた「大和隊」佐藤馨上飛曹(高知県出身)が未帰還となり、久納中尉に続くまたも戦果確認出来ない
2人目と3人目の特攻戦死者が出た。

 
※同日戦闘第311飛行隊長横山岳夫大尉直率で「朝日隊」はダバオ第2基地、「山桜隊」はダバオ第1基地へ進出。
※同日「敷島隊」に永峰肇飛長、大黒繁男上飛が追加編入された。


昭和19年10月24日 セブ基地よりゼロ戦2機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第3次大和隊)
 [爆装隊] 塩田 寛1飛曹 敵を見ずセブ基地に帰還した。


昭和19年10月24日 マバラカット東/マルコット基地より彗星で出撃(第1、2次機動部隊索敵攻撃)
(第1次)続木幸四郎1飛曹/久道常助1飛曹 (第2次)黒部信行1飛曹/尾形好之1飛曹/山下洸勇1飛曹/

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▲第1、2次機動部隊索敵に向かった彗星1機が米空母プリンストンを発見し250キロ爆弾を投下。同機は爆弾投下直後
 に撃墜されたものの、爆弾は船体中央に命中し飛行甲板と格納庫を貫通し後部エンジンルームの上の乗員区画で爆発。
 爆弾そのものによる船体の損傷は軽微であったが、格納庫には魚雷を装備し燃料を満載した6機の雷撃機が待機中で
 あり、それらが次々と誘爆し飛行甲板と前後のエレベーターを吹き飛ばした。艦橋から船尾に向かって火炎と黒煙が
 吹き抜け、救援艦艇が乗員の救助と消火作業及び更なる攻撃を防ぐ為の対空支援を行った。
 火災は消えつつあったが、後部にある魚雷調整室の魚雷が誘爆した物と思われる大きな爆発が起きた。
 プリンストンに併走して消火作業を行っていた軽巡洋艦バーミングハム (USS Birmingham,) も爆発に巻き込まれ
 大きな損害を受け、多くの死傷者が発生した。プリンストンの船尾は爆発で切断された。
 プリンストンを救援する努力は継続されたが、プリンストンが発する火災が夜間攻撃の目標となることを懸念したミ
 ッチャー中将の進言により16:04に艦の放棄が決定された。残った乗員がボートで救援されると17:06駆逐艦アー
 ウィン(USS Irwin)による雷撃と軽巡洋艦リノ(USS Reno)の2本の魚雷で17:50沈没。10名の士官と98名の兵
 員が攻撃及びその後の消火活動で死亡した。

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 ▲懸命の消火作業も甲斐無く沈没処理された。
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 ▲米航空母艦プリンストン(USS Princetonの最期(1944,10/24)

昭和19年10月25日 ダバオ第2基地よりゼロ戦3機、直掩隊ゼロ戦1機で出撃(第1神風特別攻撃隊・菊水隊)
 [爆装隊] 加藤豊文1飛曹(徳島県出身)戦死/宮川 正1飛曹(高知県出身)戦死/高橋保男1飛曹
 [直掩隊] 塩森 実上飛曹
 06:30爆装隊4機、直掩隊1機ダバオ第2基地を出撃。レイテ東方の米機動部隊攻撃に向かう。
 高橋一飛曹機は、脚故障の為に引返し、「山桜隊」と再出撃。
 07:40爆装隊2機が「朝日隊」と護衛空母4/駆逐艦8に突入。直掩機は突入を確認後、レガスピー基地に帰投。

昭和19年10月25日 ダバオ第2基地よりゼロ戦2機、直掩隊ゼロ戦1機で出撃(第1神風特別攻撃隊・朝日隊)
 06:30爆装隊2機、直掩隊1機ダバオ第2基地を出撃。レイテ東方の米機動部隊攻撃に向かう。
 磯川一飛曹機と箕浦飛長機は、途中悪天候の為に僚機を見失い、それぞれ単機となり帰投。
 雲中より奇襲を受けた磯川一飛曹機は、爆弾を投棄し空戦を行った為、場所不明の飛行場に燃料不足で不時着、
 その際、滑走路の爆撃穴の為、脚を折り負傷、1ヶ月を要し徒歩で生還、箕浦飛長も不時着の後、生還した。
 07:40爆装隊上野一飛曹機は、28度263浬のレイテ沖の敵艦に突入。
 [爆装隊] 上野敬一1飛曹(山口県出身)戦死/磯川質男1飛曹(空戦後、燃料不足で不時着)
 [直掩隊] 箕浦信光飛長(不時着)
 
昭和19年10月25日 ダバオ第1基地よりゼロ戦2機、直掩隊ゼロ戦3機で出撃(第1神風特別攻撃隊・山桜隊)
 06:30爆装隊2機、直掩隊3機ダバオ第1基地を出撃。ミンダナオ島東方の米機動部隊攻撃に向かう。
 途中、直掩隊3機は爆装隊2機を見失う。爆装隊2機は敵艦に突入?
 10:20直掩隊3機はレガスピー基地に帰投。
 [爆装隊] 宮原田賢1飛曹(広島県出身)未帰還・行方不明/滝沢光雄1飛曹(長野県出身)未帰還・行方不明

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 [直掩隊] 柴田正司飛曹長/原田一夫2飛曹/高橋保男1飛曹
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▲10/25「菊水隊」「朝日隊」「山桜隊」「大和隊」の内1機が米護衛空母サンティー(USS Santee)に突入。小破

昭和19年10月25日 マバラカット西基地よりゼロ戦5機、直掩隊ゼロ戦4機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第3次敷島隊)
 07:25爆装隊5機、直掩隊4機が、マバラカット西基地を出撃。
 10:45タクロバン東85度30浬に空母4隻、巡洋艦1隻、駆逐艦1隻の敵機動部隊を発見。
 10:49爆装隊5機は、低空で接近しつつ輪型陣を突破し、急上昇し高度2500メートルより突入。
 10:52関大尉機は、対空砲火により被弾し、煙りを吐きつつ護衛空母カリニン・ベイの飛行甲板前部に命中。
 谷一飛曹機は、同艦左舷に命中。続いて1機が、護衛空母セント・ローの飛行甲板に命中、大火災を起こす。
 また別の1機が護衛空母ホワイト・プレーンズ左舷の至近海面に突入。
 [直掩隊]管川飛長は対空砲火により被撃墜。この間、直掩隊はF6Fと交戦、2機を撃墜。直掩隊3機セブ基地に帰還。
[爆装隊] 関 行男大尉(戦死)/中野磐雄1飛曹(戦死)/谷 暢夫1飛曹(戦死)/永峰 肇飛長(戦死)/大黒繁男上飛兵(戦死)
[直掩隊]西沢広義飛曹長/本田慎吾上飛曹/馬場良治飛長/管川 操飛長(戦死)

昭和19年10月25日 セブ基地よりゼロ戦2機、直掩隊彗星1機で出撃(第1神風特別攻撃隊・第4次大和隊)
 09:00爆装隊2機、直掩隊1機がセブ基地を出撃。バタブ130度70浬付近の海域に突入。
 [爆装隊] 大坪一男1飛曹(香川県出身)未帰還・行方不明/荒木外義飛長(富山県出身)未帰還・行方不明
 [直掩隊(戦果確認)] 彗星1機
 [操縦]国原千里少尉(山口県出身)未帰還・行方不明/[偵察]大西春雄飛曹長(香川県出身)未帰還・行方不明

昭和19年10月25日 マバラカット基地より彗星1機が出撃(レイテ沖機動部隊索敵攻撃)
 10:30彗星艦爆1機が、マバラカット基地を出撃、ルソン島東沿岸、及びレイテ湾方面の索敵攻撃を実施。
 彗星[操縦]須内則男2飛曹(高知県出身)未帰還・行方不明[偵察]浅尾 弘上飛曹(広島県出身)未帰還・行方不明

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昭和19年10月25日 マバラカット基地よりゼロ戦4機、直掩隊ゼロ戦2機で出撃(第1神風特別攻撃隊・若桜隊)
11:40爆装隊4機直掩隊2機がマバラカット基地を出撃。バタブ東方90浬機動部隊に向かうが敵を見ず、セブ基地帰投
 [爆装隊]中瀬清久1飛曹(宮城県出身)未帰還・行方不明/木村繁1飛曹/勝又富作1飛曹/崎田清1飛曹
 [直掩隊]新井耕平上飛曹/日村助一2飛曹

その後のフィリピンの各航空基地からは神風特別攻撃隊が続々と編成され、フィリピンの海に向かって出撃していった。
(フィリピン特攻での神風特別攻撃隊の出撃機数は424機)

神風特別攻撃隊「大和隊」昭和19年(1944)10月26日(フィリピン)セブ基地より出撃、スリガオ海峡東方80浬突入戦死。
(スリガオ沖機動部隊攻撃)
植村眞久少尉(東京都出身)/勝又富作1飛曹(静岡県出身) /塩田 寛1飛曹(栃木県出身)/五十嵐春雄2飛曹(北海道出身)
勝浦茂夫飛長(香川県出身)
(直掩隊)移川晋一1飛曹(宮城県出身)/日村助一2飛曹(広島県出身)
松村 茂1飛曹(熊本県出身)10/27スリガオ87度20浬突入戦死。

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▲植村眞久少尉(東京都出身 享年25歳)
植村少尉は、立教大学在学中、サッカー部の主将だった。昭和18年学徒出陣で、9月に大学を繰上げ卒業。
海軍に入隊、第13期飛行予備学生となり卒業、三重航空隊に所属。翌年高雄航空隊(練習教程)を経て、大村航
空隊、5/31海軍少尉任官、練習航空隊特修科学生となり、7/25佐世保航空隊に配属。
8/1フィリピンセブ基地へ進出。9月に休暇を許され、帰郷し生後3ヶ月の1人娘「素子」さんと面会、手紙を残し
戦場に戻った。
『愛児への便り』
素子、素子は私の顔をよく見て笑ひましたよ。私の腕の中で眠りもしたし、またお風呂に入つたこともありました。
素子が大きくなつて私のことが知りたい時は、お前のお母さん、住代伯母様に私の事をよくお聴きなさい。
私の写真帳も、お前の為に家に残してあります。
素子といふ名前は私がつけたのです。素直な心のやさしい、思ひやりの深い人になるやうにと思つて、お父様が
考へたのです。 私はお前が大きくなつて、立派な花嫁さんになつて、仕合せになつたのをみとどけたいのですが
若しお前が私を見知らぬまゝ死んでしまつても決して悲しんではなりません。
お前が大きくなつて、父に会いたい時は九段へいらつしやい。そして心に深く念ずれぱ、 必ずお父様のお顔がお
前の心の中に浮びますよ。父はお前は幸福ものと思びます。 生まれながらにして父に生きうつしだし、他の人々
も素子ちやんを見ると真久さんに会つてゐる様な気がするとよく申されてゐた。
またお前の伯父様、伯母様は、お前を唯一つの希望にしてお前を可愛がつて下さるし、お母さんも亦、 御自分の
全生涯をかけて只々素子の幸福をのみ念じて生き抜いて下さるのです。
必ず私に万一のことがあつても親なし児などと思つてはなりません。父は常に素子の身辺を護つて居ります。
優しくて人に可愛がられる人になつて下さい。
お前が大きくなつて私の事を考へ始めた時に、この便りを讃んで貰びなさい。
昭和十九年○月吉日父 植村素子ヘ
追伸、
素子が生まれた時おもちやにしてゐた人形は、お父さんが頂いて自分の飛行機にお守りにして居ります。
だから素子はお父さんと一緒にゐたわけです。素子が知らずにゐると困りますから教へて上げます。

※植村少尉の1人娘「素子」さんは、父の母校である立教大学を昭和42年に卒業され、同年4/12父の手紙にあった
 「お前が大きくなって、父に会いたいときは九段にいらっしゃい」という約束を果たす為、そして靖国神社で鎮ま
 る父の御霊に自分の成長を報告する為に、母親や家族、友人、父の戦友達が見守る中、文金高島田に振袖姿で6歳
 の頃から習った日本舞踊で「桜変奏曲」を舞い、奉納された。

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 素子さんはこの時「お父様との約束を果たせたような気持ちで嬉しい」と言葉少なに語られたと言う。

植村隊はレイテ島東方で60機の米軍戦闘隊と遭遇し、激闘となる。植村少尉は撃墜されたと見られているが、その空
戦の隙に後続隊の3機が、米護衛空母ペトロフ・ベイ突入に成功。ペトロフ・ベイは小破した。突入した3機の内の1
機は塩田 寛1飛曹。塩田 寛1飛曹は米護衛空母ペトロフ・ベイ (USS Petrof Bay)の艦橋至近へ突入散華。享年18歳

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▲護衛空母ペトロフ・ベイ (USS Petrof Bay)

神風特別攻撃隊「大和隊」昭和19年(1944)10月27日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(スリガオ沖機動部隊攻撃) 松村 茂1飛曹(熊本県出身)
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▲米軍が爆撃中のセブ基地(Lahug Cebu Airfield) 米軍撮影。
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▲現在、日本海軍セブ基地のあったセブの中心地は『Cebu IT Park』となり、外資系、IT企業等が多く集まるエリア
となって当時の面影などは何も残っていない。日本海軍セブ飛行場は戦後、しばらくは飛行場として維持され、旅客機
が飛んでいた。当時日本海軍セブ基地に配属されていたのは201海軍航空隊で、海軍航空隊の200番台は艦上戦闘機部
隊を表し、ゼロ戦が配備されていた。201航空隊はルソン島中部の現在のクラーク地域にあったいくつかの飛行場に進
出していて、その代表的なのが『マバラカット飛行場』になり、セブは201航空隊の進出基地になる。
マバラカットは『神風特攻隊』発祥の地として、慰霊祭が行われている様に、マバラカットから出撃した「敷島隊」が
史上初の体当たり攻撃に成功した隊だとされているが、最初の特攻戦死者は疑いもなく昭和19年10月21日、セブ基地
を出撃して戦果不明の未帰還機である海軍予備学生出身、大和隊の『久納好孚』中尉であり、またミンダナオ島ダヴァ
オ基地から出撃した朝日隊と山桜隊の方が敷島隊の体当たりより時間的に早いことが分かっている。


神風特別攻撃隊「第2忠勇隊」昭和19年(1944)10月27日(フィリピン)ニコルス第1基地より「彗星」で出撃
[操縦]茂木利夫飛曹長(群馬県出身)/[偵察]山田恭司大尉(神奈川県出身)
[操縦]玉森武次2飛曹(福井県出身)/[偵察]竹尾 要1飛曹(大分県出身)
[操縦]岩下栄太郎2飛曹(北海道出身)/[偵察]山野 登1飛曹(石川県出身)

神風特別攻撃隊「第2義烈隊」昭和19年(1944)10月27日(フィリピン)ニコルス第1基地より「彗星」で出撃
[操縦]近藤寿男中尉(京都府出身)/[偵察]作田一実上飛曹(和歌山県出身)
[操縦]松尾 勲1飛曹(長崎県出身)/[偵察]戸村三郎1飛曹(千葉県出身)

神風特別攻撃隊「第2純忠隊」昭和19年(1944)10月27日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]横田政幸飛長(高知県出身)/[偵察]上妻英樹上飛曹(福岡県出身)
[操縦]松本 賢飛曹長/[偵察]深堀直治大尉(セブ基地不時着)10/29(再出撃)
[操縦]宮本 孝1飛曹/[偵察]米森義治上飛曹(レイテ湾不時着水)

神風特別攻撃隊「誠忠隊」昭和19年(1944)10月27日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]五島智勇喜中尉(熊本県出身)/[偵察]浦田末次郎1飛曹(岩手県出身)
[操縦]辻 幸三飛長(北海道出身)/[偵察]佐藤早生1飛曹(熊本県出身)
[操縦]三上良作飛長(青森県出身)/[偵察]安永晃三2飛曹(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「第2純忠隊」昭和19年(1944)10月28日(フィリピン)セブ基地より99式艦上爆撃機で再出撃
[操縦]松本 賢飛曹長(長崎県出身)/[偵察]深堀直治大尉(長崎県出身)

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▲米軽巡洋艦デンバー(USS Denver)は10/28「第2純忠隊」99式艦爆の爆弾が至近距離で爆発、小破した。

神風特別攻撃隊「初桜隊」昭和19年(1944)10月29日(フィリピン)ニコルス第1基地よりゼロ戦で出撃
(機動部隊索敵攻撃)
野並 哲1飛曹(高知県出身)/藤本寿1飛曹(東京都出身)/吉盛政利飛長(宮崎県出身)マニラ74度180浬突入戦死。

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▲10/27「初桜隊」命名式、左から野並 哲1飛曹、藤本寿1飛曹

神風特別攻撃隊「第2至誠隊」昭和19年(1944)10月29日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]前田文夫飛長(熊本県出身)/[偵察]松本 巌上飛曹(愛知県出身)
[操縦]佐々安則飛長(熊本県出身)/[偵察]團野功雄中尉(神奈川県出身)
(直掩隊ゼロ戦)鈴木正一上飛曹(東京都出身)(653空)/大田吉五郎飛長(岩手県出身)(653空)

神風特別攻撃隊「第2神武隊」昭和19年(1944)10月29日(フィリピン)ニコルス海岸より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]吉元武盛1飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]坂田 馨飛曹長(北海道出身)
(直掩隊ゼロ戦)板倉正一1飛曹(大分県出身)神武隊直掩(221空)

神風特別攻撃隊「第2神兵隊」昭和19年(1944)10月29日(フィリピン)ニコルス海岸より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]伊藤立政上飛曹(熊本県出身)/[偵察]藤本 勇中尉(兵庫県出身)

神風特別攻撃隊「第2義烈隊」昭和19年(1944)10月30日(フィリピン)ニコルス第1基地より「彗星」で出撃
[操縦]大塚克巳上飛曹(長崎県出身)/[偵察]山崎幸栄1飛曹(新潟県出身)

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▲海軍艦上爆撃機「彗星」
▼10/30「第2忠勇隊」「第2義烈隊」の特攻々攻撃を受け特攻機が銃座に突入、12名死亡6名が負傷したが、乗員による
 熟練したダメージコントロールでまもなく発艦作業を再開した米空母イントレピッド(USS Intrepid)

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神風特別攻撃隊「第2忠勇隊」昭和19年(1944)10月30日(フィリピン)ニコルス第1基地より「彗星」で出撃
[操縦]野々山尚1飛曹(長野県出身)/[偵察]小林勇吉1飛曹(栃木県出身)

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▲10/30イントレピッド甲板に横たわる破砕した特攻隊員の遺体。

神風特別攻撃隊「葉桜隊」昭和19年(1944)10月30日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(機動部隊索敵攻撃)スルアン島150度40浬突入戦死。
崎田清1飛曹(熊本県出身)/広田幸宣1飛曹(新潟県出身)/山下憲行1飛曹(福岡県出身)
山沢貞勝1飛曹(山口県出身)/鈴木鐘1飛長(岐阜県出身)/桜森文雄飛長(宮崎県出身) 6名

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▲「葉桜隊」の2機が米空母フランクリン(USS Franklin)に突入、炎上する空母フランクリン。
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▲負傷したフランクリン乗組員を気づかう。特攻機の突入を許した空母乗組員の死傷者の数は甚大であった。
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▲「葉桜隊」の1機が米空母ベロー・ウッド(USS Belleau)に突入、乗組員92名死亡・行方不明となったが決死の消火
活動と爆発物投棄を行った結果、最悪の状態から脱する事が出来た。ベロー・ウッドの艦載機12機焼失、14機が使い物
にならなくなった。ベロー・ウッドはフランクリンと共にウルシー環礁に後退、応急修理を受けその後戦線に復帰した。

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▲黒煙を上げるベロー・ウッド(左)とフランクリン(右)
(直掩隊) 畑井輝久中尉/角田和男少尉/新井康平上飛曹(石川県出身)/大川善雄1飛曹(東京都出身)/藤岡三千彦飛長
※直掩任務の角田和男少尉は終戦まで生き残り、(台湾)台中で終戦を迎えた。平成25年(2013)2月14日死去。
(フィリピン)ニコルス基地で神風特攻隊に編入され、角田少尉(201空)の特攻配置は終戦まで続いたが、熟練搭乗員だ
った角田少尉は爆装(特攻仕様)する事はなく、直援任務であった。

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 ▲角田和男少尉(終戦直後台湾(台中)で撮影された写真)
 多くの神風特攻隊を直掩した角田少尉は特攻隊員の最後を見届けた。
 NHK証言記録など多数の番組で当時の事を語っておられます。[証言記録 兵士たちの戦争]

神風特別攻撃隊「梅花隊」昭和19年(1944)11月1日(フィリピン)ニコルス第1基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃) 大下春男飛長(広島県出身)

神風特別攻撃隊「桜花隊」昭和19年(1944)11月1日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃) 黒谷康夫飛長(香川県出身)

神風特別攻撃隊「第2至誠隊」昭和19年(1944)11月1日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
[操縦]中島 直上飛曹(熊本県出身/[偵察]津久井武男上飛曹(栃木県出身)

神風特別攻撃隊「第2神兵隊」昭和19年(1944)11月1日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
[操縦]塚本貞雄飛長(茨城県出身)/[偵察]加藤 壮一1飛曹(岐阜県出身)

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▲11/1駆逐艦アンダーソン(USS Anderson)に「神兵隊」と見られる特攻機が命中。乗組員14名死亡、負傷22名。
 負傷者の内2人は後に死亡した、沈没はまぬがれたが11/3レイテ湾を離れ、修理の為サンフランシスコに後退した。


神風特別攻撃隊「第2天兵隊」昭和19年(1944)11月1日(フィリピン)ニコルス第1基地より99式艦上爆撃機で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
[操縦]江口源七上飛曹(長崎県出身)/[偵察]土屋和夫中尉(静岡県出身)
[操縦]児玉雄光上飛曹(熊本県出身)/[偵察]遠藤博文上飛曹(神奈川県出身)
[操縦]有馬 敬2飛曹(福岡県出身)/[偵察]伊達喬上飛曹(兵庫県出身)

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▲「第2天兵隊」99式艦上爆撃機のカラーリング。※画像製作「Massimo Grassi(@massimomariagrassi)様」
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▲天兵隊の出撃前、土屋和夫中尉他隊員の打ち合わせ。3機共レイテ湾の米艦へ突入した。
(直掩隊ゼロ戦) 小林 浩1飛曹(静岡県出身221空)

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▲米駆逐艦アブナー・リード(USS Abner Read)は11/1、13:41神風特攻「天兵隊」「至誠隊」「神兵隊」いず
れかに属する2機の99式艦上爆撃機が雲中から躍り出て、うち1機がアブナー・リードめがけて突入してきた。
被弾しながらも、その99式艦爆は突入直前に爆弾を投下し、機体は後部煙突横の40ミリ機関砲基台に命中。
爆弾は後部煙突を突き破りボイラー室で爆発。機体に起因する火災が中央部を中心に発生し、艦の前後を行き来する事
は不可能となった。やがて水圧が下がって消防活動も出来なくなり、13:52にいたっては艦全体が震えるほどの大爆
発が右舷側で発生し、艦尾を沈めて10度傾斜した。魚雷発射管に搭載済みの魚雷も火災により加熱で発射管が誤作動を
起こして自然に飛び出し、内4本は戦艦に向かっていった為、「目標」の戦艦は大慌てで回避運動を行う羽目となった。
乗組員は最後まで消火に務めたが、度重なる爆発についに耐え兼ねて14:05総員退艦が令せられ、アブナー・リード
は10分後の14:15分に右に転覆したのち艦尾から沈没していった。アブナー・リードの沈没位置は、北緯10度47分
東経125度22分と記録されている。乗組員23名が死亡。23名の中には、自らの救命胴衣を負傷した水兵に与えて溺死
した者や、負傷しながらも対空砲火を撃ち続け、乗組員の救助にあたったのち忽然と姿を消した者もいた。救助された
アブナー・リードのパーディ艦長は神風攻撃が効果的であることを認めた上で、十分離れた距離で神風を撃破しうる兵
器の開発をするべきだと報告した。

神風特別攻撃隊「第2桜花隊」昭和19年(1944)11月2日(フィリピン)アンヘレス基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
一戸忠郎上飛曹(青森県出身)/西牟礼晃上飛曹(鹿児島県出身)/松岡良典上飛曹(熊本県出身)
福田武雄1飛曹(北海道出身)

神風特別攻撃隊「左近隊」昭和19年(1944)11月5日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(エンカント沖機動部隊攻撃)
大谷寅雄上飛曹(島根県出身)/三浦清三九2飛曹(宮城県出身)
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▲正規空母レキシントン(USS Lexington)
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▲11/5 PM13:30頃、米正規空母レキシントン(USS Lexington)に「左近隊」か「白虎隊」のゼロ戦が突入。
レキシントンは第38任務部隊の旗艦でジョン・S・マケイン・シニア中将が乗艦していたが、艦橋に零戦1機が命中。
この特攻攻撃により艦橋を破壊し、戦死者50名、負傷者132名という損害を出した。
マケイン中将は空母ワスプに旗艦を移したが、ワスプもその後の九州沖航空戦で特攻攻撃によりで大破している。
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▲空母レキシントンから撮影された突入寸前のゼロ戦。
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▲ゼロ戦突入後の空母レキシントンの艦橋
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▲アメリカ合衆国テキサス州コーパス・クリスティの空母レキシントン博物館。昭和19年11月5日、
この時に特攻攻撃を受けた「特攻」に関する説明看板(艦橋部分の旭日旗の箇所に特攻機が命中。)

神風特別攻撃隊「白虎隊」昭和19年(1944)11月5日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(エンカント沖機動部隊攻撃)
道坂 孝男2飛曹(福井県出身)/住本種一郎2飛曹(兵庫県出身)

神風特別攻撃隊「第4鹿島隊」昭和19年(1944)11月6日(フィリピン)マバラカット基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]蒲谷良平上飛曹(神奈川県出身)/[偵察]告田正毅飛曹長(香川県出身)
[操縦]下平鶴三2飛曹(広島県出身)/[偵察]石橋光上飛曹(福岡県出身)
(零戦)志賀敏美2飛曹(福島県出身)鹿島隊直掩(653空)

神風特別攻撃隊「第4鹿島隊」昭和19年(1944)11月11日(フィリピン)マバラカット基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦] (生還)/[偵察]肝付 良志上飛曹(石川県出身) 

神風特別攻撃隊「第4神崎隊」昭和19年(1944)11月11日(フィリピン)マバラカット基地より99式艦上爆撃機で出撃
[操縦]栗山 登2飛曹(大分県出身)/[偵察]和久田道雄上飛曹(熊本県出身)

神風特別攻撃隊「第2白虎隊」昭和19年(1944)11月12日(フィリピン)レガスピー基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾艦船攻撃)
鬼頭清一郎中尉(神奈川県出身)/木村忠雄1飛曹(新潟県出身)/中田久義1飛曹(石川県出身)
鯉沼網夫1飛曹(茨城県出身)/木内正光1飛曹(山梨県出身)/杉田久治2飛曹(茨城県出身)/朝倉秋雄2飛曹(新潟県出身) 

神風特別攻撃隊「梅花隊」昭和19年(1944)11月12日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン付近艦船攻撃)
尾辻是清中尉(鹿児島県出身)/和田八男三上飛曹(栃木県出身)/石本奥2飛長(福井県出身)
(直掩隊)岡村恒三郎1飛曹(群馬県出身)

神風特別攻撃隊「時宗隊」昭和19年(1944)11月12日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
安田 昇少尉(広島県出身)/船岡睦雄2飛曹(広島県出身)/原武貞己飛長(福岡県出身)
(直掩隊)達川猪和夫中尉(愛媛県出身)

神風特別攻撃隊「第5聖武隊」昭和19年(1944)11月12日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
馬場俊夫上飛曹(埼玉県出身)/石岡義人上飛曹(広島県出身)/関根利三郎2飛曹(茨城県出身)

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▲セブ基地より出撃していく「聖武隊」

神風特別攻撃隊「正行隊」昭和19年(1944)11月13日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(マニラ沖機動部隊攻撃)
牧 太郎中尉(愛知県出身)/竹山茂太郎1飛曹(東京都出身)/安斎文治1飛曹(新潟県出身)/早田 勝2飛曹(北海道出身)

神風特別攻撃隊「山本隊」昭和19年(1944)11月14日(フィリピン)アンヘレン基地よりゼロ戦で出撃
(ラモン湾沖機動部隊攻撃)
神森義文1飛曹(三重県出身)/(直掩)中島浩三中尉(佐賀県出身)

神風特別攻撃隊「第8聖武隊」昭和19年(1944)11月18日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン沖艦船攻撃)
二木 弘上飛曹(茨城県出身)/小原俊弘上飛曹(鹿児島県出身)/吉原久太郎2飛曹(広島県出身)

神風特別攻撃隊「第9聖武隊」昭和19年(1944)11月19日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン沖艦船攻撃)
原 正彦上飛曹(長野県出身)/磯野清夫上飛曹(茨城県出身)/高橋許人2飛曹(広島県出身) 

神風特別攻撃隊「第2朱雀隊」昭和19年(1944)11月19日(フィリピン)ニコルス基地よりゼロ戦で出撃
(ラモン湾沖機動部隊攻撃) 伊藤忠夫2飛曹(兵庫県出身)/(直掩)多田圭太中尉(東京都出身)
多田圭太中尉は海軍次官の多田武雄中将の長男。大西中将は親友の多田中将の息子(圭太)を赤ん坊の時から可愛が
り、「ちょっと抱かせろ」と大西中将の腕の中で圭太を眠らせた事もあったという。
多田圭太中尉は、出発に先立ち、昭和19年10月26日大西を長官室に訪れている。大西はその時の模様を、かなり詳しく
大政翼賛会参与でもあった矢次一夫に以下の様に語っている。
ある夜、外から俺の部屋をノックし、「オッチヤーン」と飛び込んできたヤツがいる。ハッとして見ると、圭太だった。
ベッドの前で挙手の礼をすると、「これから行ってまいります」と言った。俺が驚いて「元気でやれよ」と言ってやると
圭太は直ぐ部屋を飛び出して行った。俺も思わず圭太の後から飛び出すと、圭太の影が月明の中を走って行った。
それからまもなくして(11月19日)「多田中尉、今より敵艦に突入する」という無電が入った。
俺は、多田とは親友だし、圭太は子供の時から寝かせつけたり、相撲をとってやったりした仲なのだ。
だから、この時は、じつに熱鉄を飲む思いがしたよ。

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▲多田圭太中尉(東京都出身)「第2朱雀隊」隊長として出撃、突入戦死。

神風特別攻撃隊「高徳隊」昭和19年(1944)11月19日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(マニラ沖索敵攻撃) 永田 碩上飛曹(岐阜県出身)

神風特別攻撃隊「第5疾風隊」昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)クラーク基地より銀河で出撃
[操縦]川田茂久上飛曹(埼玉県出身)/[偵察]竹崎正意上飛曹(熊本県出身)/[電信]前田操上飛曹(千葉県出身)
[操縦]生駒重光上飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]中野龍朗上飛曹(長崎県出身)/[電信]鈴木光雄上飛曹(静岡県出身)
(直掩隊)北野行雄上飛曹(滋賀県出身)/出羽福三飛長(静岡県出身)

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▲海軍双発爆撃機「銀河」

第5神風特別攻撃隊 昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)クラーク基地より銀河で出撃
[操縦]赤坂正夫1飛曹(福井県出身)/[偵察]加藤貞義少尉(福岡県出身)/[電信]前畑 勇飛長(熊本県出身)

第5神風特別攻撃隊「強風隊」昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)クラーク基地より銀河で出撃
[操縦]栗原 淳上飛曹(東京都出身/[偵察]山口晴雄上飛曹(福岡県出身)/[電信]上市三郎上飛曹(富山県出身)
[操縦]増田和夫上飛曹(千葉県出身)/[偵察]古川光男2飛曹(新潟県出身)/[電信]服部秀男1飛曹(愛知県出身)

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▲海軍双発爆撃機「銀河」

神風特別攻撃隊「第3高徳隊」昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)ニコルス基地よりゼロ戦で出撃
植竹功上飛曹(千葉県出身)/斎藤良知上飛曹(東京都出身)
(直掩隊)小串明夫上飛曹(神奈川県出身)/加藤鼎上飛曹(岩手県出身)/高月秀次郎上飛曹(大分県出身)

神風特別攻撃隊「笠置隊」昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)エチアゲ基地よりゼロ戦で出撃
(比島東方機動部隊攻撃)
高井威衛上飛曹(広島県出身)/藤本英敏2飛曹(長崎県出身)
(直掩隊)鮎川幸男中尉(鹿児島県出身)/南 義美少尉(香川県出身)
▼11/25神風特別攻撃隊2機が米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入、69名死亡。

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▼艦の推進力には影響が及ばず、2時間以内に消火作業を完了した。
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神風特別攻撃隊「吉野隊」昭和19年(1944)11月25日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(比島東方機動部隊攻撃)
高武公美中尉(福岡県出身)/池田末広上飛曹(鹿児島県出身)/布田孝一上飛曹(宮城県出身)
河内山精治上飛曹(山口県出身)/長谷川達上飛曹(茨城県出身)/永原茂木飛長(長野県出身)
(直掩隊)村松文雄上飛曹(静岡県出身)/西尾芳朗2飛曹(岐阜県出身)
▼11/25神風特別攻撃隊2機が米空母イントレピッド(USS Intrepid)に突入、69名死亡。

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▼特攻機突入の瞬間
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神風特別攻撃隊「第3香取隊」昭和19年11月25日(フィリピン)マバラカット東飛行場より艦上爆撃機「彗星」で出撃
[操縦]田邊正中尉(茨城県出身)/[偵察]工藤太郎少尉(岩手県出身)
[操縦]山口善則1飛曹(佐賀県出身)/[偵察]酒樹 正1飛曹(樺太出身)※(尾翼№701-17号)

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▲▼対空砲火を受け白煙を出しながら米空母エセックスに突入寸前の神風特別攻撃隊「香取隊」彗星(尾翼№701-17号)
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▼突入。
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神風特別攻撃隊「第10聖武隊」昭和19年(1944)11月26日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン沖艦船攻撃)
矢野健一上飛曹(愛媛県出身)/渡邊久夫2飛曹(宮城県出身)
(直掩隊)長門 達中尉(石川県出身)/塩盛 實上飛曹(鹿児島県出身)

神風特別攻撃隊「右近隊」昭和19年(1944)11月26日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(タクロバン沖艦船攻撃)
久村俊治上飛曹(愛知県出身)/井上数雄2飛曹(宮城県出身)
(直掩隊)渡部一郎中尉(鳥取県出身)/安元巌雄2飛曹(福岡県出身)

神風特別攻撃隊「春日隊」昭和19年(1944)11月27日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃) 富田勝夫2飛曹(神奈川県出身)
(直掩隊)犬塚教市飛曹長(新潟県出身)/川崎一美上飛曹(茨城県出身)/黒木親夫2飛曹(鹿児島県出身)

神風特別攻撃隊「第3春日隊」昭和19年11月27日(フィリピン)マバラカット東飛行場より艦上爆撃機「彗星」で出撃
[操縦]池口 勇1飛曹(福岡県出身)/[偵察]室町正義上飛曹(愛知県出身)
[操縦]岩城 稔飛長(愛媛県出身)/[偵察]高橋 仁一1飛曹(新潟県出身)

※神風特別攻撃隊「第1御盾隊」昭和19年11月27日硫黄島基地よりゼロ戦12機で出撃
 (米軍に占領されたサイパン島アスリート飛行場攻撃)
大村謙治中尉(静岡県出身)/小野康徳飛曹長(香川県出身)/北川磯高上飛曹(福井県出身)/住田廣行1飛曹(大阪府出身)
東  進1飛曹(滋賀県出身)/加藤正人1飛曹(山形県出身)/司城三成2飛曹(大分県出身)/新堀清次飛長(東京都出身)
上田祐次飛長(神奈川県出身)/高橋輝美飛長(香川県出身)/明城 哲飛長(福井県出身)

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▲米防護巡洋艦セントルイス(USS St. Louis)に「第1御盾隊」特攻機が命中、中破させた。
神風特攻隊「第1御楯隊」の零戦隊、一式陸上攻撃機、陸軍重爆撃機や、百式司令部偵察機がサイパン攻撃T作戦に参加
の為、攻撃隊編成をはじめたのは、昭和19年11月上旬であった。
昭和19年11月27日硫黄島元山飛行場に御楯隊、一式陸攻、陸軍重爆、百式司偵があいついで着陸した。
夜のあけないうちに、一式陸攻と重爆、百式司偵が発進。
27日AM8:00「第1御楯隊」零戦12機が、彩雲偵察機2機に先導され、発進した。硫黄島から出撃した唯一の特攻隊だ
った。第一次攻撃隊は夜明け前に、低気圧の東方を迂回し、サイパンのアスリート飛行場上空に殺到した。
東京空襲に出発の準備をととのえ、爆弾を装着していたB29が、たちまち爆破され燃えあがる。
多数の死傷者を出した飛行場の騒ぎが、ようやくおさまった正午近い頃、「第1御楯隊」が厚い雲の中から現れ、超低空
でアスリート飛行場を襲い、残ったB29、B24を爆破させた。
「第1御楯隊」は機銃を撃ちつくした後、全機飛行場にある米機の中に突入自爆した。
B29の損害は30機以上に達し、この時の東京空襲はとりやめとなった。
『地獄の戦場 硫黄島・摺鉢山の決戦』によれば、この日の空襲で新しいB29(15機)が地上で命中弾をうけ、その内
何機かは爆弾を搭載中であったので破壊は酷かった。二度目の空襲ではB29、3機が破壊され、23機が損傷をうけた。


第5神風特別攻撃隊「怒涛隊」昭和19年(1944)12月4日(フィリピン)デゴス基地より銀河で出撃
[操縦]野々上侃2飛曹(岡山県出身)/[偵察]佐藤貞廣上飛曹(樺太出身)/[電信]松井素美1飛曹(福岡県出身)

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▲海軍双発爆撃機「銀河」

神風特別攻撃隊「第11聖武隊」昭和19年(1944)12月5日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(レイテ湾内艦船攻撃)
永島真上飛曹(福岡県出身)/宮田実飛長(大阪府出身)


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▲(フィリピン)セブ基地より出撃していく神風特別攻撃隊。

神風特別攻撃隊「第1桜井隊」昭和19年(1944)12月6日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(オルモック湾内艦船攻撃)
柿原正行上飛曹(佐賀県出身)/鹿野正信2飛曹(大阪府出身)

第5神風特別攻撃隊「颶風隊」昭和19年(1944)12月7日(フィリピン)クラーク基地より銀河で出撃
[操縦]吉川計治2飛曹(静岡県出身)/[偵察]田中高正中尉(岡山県出身)/[電信]高橋志郎上飛曹(岩手県出身)
[操縦]安田一人2飛曹(山口県出身)/[偵察]石井欣也少尉(東京都出身)/[電信]山本重幸2飛曹(島根県出身)
[操縦]佐藤周三上飛曹(福島県出身)/[偵察]島田 明少尉(茨城県出身)/[電信]土井勇一1飛曹(神奈川県出身)
[操縦]瀧澤幸一郎2飛曹(滋賀県出身)/[偵察]大木 篤少尉(福岡県出身)/[電信]森本元秋1飛曹(福島県出身)
[操縦]堀   久飛長(新潟県出身)/[偵察]関  秋夫1飛曹(茨城県出身)/[電信]小崎政明1飛曹(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「第5桜井隊」昭和19年(1944)12月7日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(オルモック湾内艦船攻撃)
尾谷保上飛曹(富山県出身/本田今朝美1飛曹(宮城県出身)/脇坂寅夫飛長(滋賀県出身)/廣瀬 静飛長(新潟県出身)
(直掩隊)矢野徹郎中尉(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「第7桜井隊」昭和19年(1944)12月7日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(カモテス海方面艦船攻撃)
河波啓造2飛曹(福岡県出身)/福田憲海2飛曹(鹿児島県出身)/中村正利飛長(熊本県出身)
(直掩隊)村上卓上飛曹(宮城県出身)/高井利次上飛曹(大阪府出身)/辻谷敏男上飛曹(奈良県出身) 

神風特別攻撃隊「千早隊」昭和19年(1944)12月7日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦と彗星で出撃
(カモテス海方面艦船攻撃)
横林高文上飛曹(岡山県出身)/池渕慎上飛曹(鳥取県出身)/佐藤繁雄1飛曹(山形県出身)/金高菊雄1飛曹(千葉県出身)
[操縦]稲垣 茂2飛曹(兵庫県出身)/[偵察]篠崎福四郎上飛曹(茨城県出身)

神風特別攻撃隊「第1金剛隊」昭和19年(1944)12月11日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(スリガオ水道方面艦船攻撃)
龍野彦次郎中尉(福岡県出身)/朝倉正一中尉(石川県出身)/鈴木 清中尉(三重県出身)/松尾 忠中尉(北海道出身)
(直掩隊)松葉三美上飛曹(宮崎県出身)/澳 博2飛曹(広島県出身)

神風特別攻撃隊「第2金剛隊」昭和19年(1944)12月13日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(ムルシェラゴス湾艦船攻撃)
小松 弘中尉(栃木県出身)/上原 登上飛曹(北海道出身/藤野康治1飛曹(京都府出身)/池田三義飛長(栃木県出身)
(直掩隊)松澤 諭1飛曹(山形県出身)

神風特別攻撃隊「第3金剛隊」昭和19年(1944)12月14日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(バゴドロ沖艦船攻撃)
鈴木孝一中尉(岐阜県出身)/長谷川拓男中尉(佐賀県出身)/大川 渡2飛曹(三重県出身)
(直掩隊)野末甲子上飛曹(静岡県出身)/飯田義隆上飛曹(茨城県出身)

神風特別攻撃隊「第5金剛隊」昭和19年(1944)12月14日(フィリピン)よりシライ基地よりゼロ戦で出撃
(ネグロス島周辺艦船攻撃)
中村 修中尉(奈良県出身)/枦木初男2飛曹(鹿児島県出身)
(直掩隊隊)片岡啓造中尉(富山県出身)
※シライ基地はネグロス島陸軍飛行場

神風特別攻撃隊「第6金剛隊」昭和19年(1944)12月14日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦と彗星で出撃
(ズマグテ南方艦船攻撃)
神山 敬中尉(千葉県出身)/上原和則中尉(岡山県出身)/石田完三中尉(兵庫県出身)/青山義男中尉(岐阜県出身)
萱野留雄中尉(三重県出身)/門山孝中尉(大阪府出身)
[操縦]武部 武治2飛曹(千葉県出身)/[偵察]井口 要之助少尉(鳥取県出身)  
[操縦]松尾 保上飛曹(佐賀県出身)/[偵察]関 迪雄上飛曹(東京都出身)  
[操縦]中村 勇2飛曹(山口県出身)/[偵察]山本平造上飛曹(千葉県出身) 

第5神風特別攻撃隊「第1草薙隊」昭和19年(1944)12月15日(フィリピン)デゴス基地より銀河で出撃
[操縦]清水左分郎1飛曹(兵庫県出身)/[偵察]西村克巳少尉(京都府出身)/[電信]平田康則1飛曹(広島県出身)
[操縦]岩崎次雄2飛曹(宮崎県出身)/[偵察]宮田勇人2飛曹(茨城県出身)/[電信]星野 勝2飛曹(福島県出身)

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▲米護衛空母オマニー・ベイ(USS Ommaney Bay)へ突入する「第1草薙隊」の銀河

神風特別攻撃隊「第7金剛隊」昭和19年(1944)12月15日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(ミンドロ島周辺艦船攻撃)
澤本裕嗣中尉(石川県出身)/織田真伉中尉(香川県出身)/神島利則中尉(石川県出身)/青山義男中尉(岐阜県出身)
(直掩隊)若林良茂上飛曹(群馬県出身)/佐藤國一上飛曹(奈良県出身)

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▲ミンドロ島上陸を阻止すべく「第7金剛隊」のゼロ戦が突入、炎上する米戦車揚陸船736号(LST-736) 

神風特別攻撃隊「第8金剛隊」昭和19年(1944)12月15日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦と彗星で出撃
敵を発見出来ず帰投したものと推定される。

神風特別攻撃隊「第9金剛隊」昭和19年(1944)12月15日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦と彗星で出撃
(ミンドロ島周辺艦船攻撃)
青木 進大尉(埼玉県出身)/松岡英雄中尉(広島県出身)/荒木輝夫中尉(新潟県出身)/生島治人中尉(大分県出身)
出井政義中尉(山口県出身)/山本俊夫2飛曹(富山県出身)/太田雄三中尉(神奈川県出身)/梶原一郎中尉(兵庫県出身)
石塚 茂上飛曹(北海道出身)/大桑健見2飛曹(三重県出身)/鈴木 稔中尉(岩手県出身)/宇野 勇上飛曹(岡山県出身)
[操縦]松本岩視2飛曹(香川県出身)/[偵察]恒岡喜代則1飛曹(三重県出身)
(直掩隊)12機[ 紫電 ]

神風特別攻撃隊「第10金剛隊」昭和19年(1944)12月15日(フィリピン)第1ダバオ基地よりゼロ戦で出撃
小野光重中尉(東京都出身)/山岡哲生上飛曹(山口県出身)
(直掩隊)零戦1機/紫電2機

神風特別攻撃隊「第11金剛隊」昭和19年(1944)12月16日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦と彗星で出撃
(ミンドロ島沖艦船攻撃)
辻 誠夫大尉(滋賀県出身)/江橋厚二郎中尉(東京都出身)/瀬口政孝中尉(熊本県出身)/渕上善吾上飛曹(福岡県出身)  
竹内 彪1飛曹(京都府出身)/我喜屋元次郎2飛曹(沖縄県出身)/宮崎博甲飛長(群馬県出身)/久保 米三飛長(京都府出身)  
高橋成吾飛長(広島県出身)/伊東静昭穂飛長(長野県出身)/半田昭穂飛長/山脇 林2飛曹(高知県出身)機体故障で帰還
[操縦]田中 勇飛長(山口県出身)/[偵察]江幸 信1飛曹(石川県出身)
(直掩隊)6機[ 紫電/零戦 ]

神風特別攻撃隊「第12金剛隊」昭和19年(1944)12月16日(フィリピン)ダバオ基地よりゼロ戦で出撃
矢田義治上飛曹(機体トラブルでマラハンに不時着)/田中 巌2飛曹(機体トラブルで引き返す)
※矢田義治上飛曹は台湾に後退後、昭和20年4月2日「第4大義隊」として石垣基地より出撃、突入戦死。

神風特別攻撃隊「第13金剛隊」昭和19年(1944)12月24日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
青野 豊大尉/伊藤勝美上飛曹以下6機、直掩隊8機で出撃するも敵を発見出来ず引き返す。

神風特別攻撃隊「月光隊」昭和19年(1944)12月28日(フィリピン)マバラカット基地より夜間戦闘機「月光」で出撃
[操縦]高橋安吉1飛曹(新潟県出身)/[偵察]大友祿郎1飛曹(山形県出身)

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▲海軍夜間戦闘機「月光」

神風特別攻撃隊「第14金剛隊」昭和19年(1944)12月28日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(シキホール島東方艦船攻撃) 
星野政巳中尉(長野県出身)/大塚 明上飛曹(茨城県出身)/川渕静夫1飛曹(広島県出身) 

神風特別攻撃隊「第15金剛隊」昭和19年(1944)12月29日(フィリピン)バダンガス基地よりゼロ戦で出撃
(ミンドロ島南方艦船攻撃)
増田 脩中尉(愛知県出身)/小野田敏明1飛曹(静岡県出身)/伊藤 弘2飛曹(兵庫県出身)/山脇 林2飛曹(高知県出身)
(直掩隊)荒井敏雄上飛曹(千葉県出身)/谷内善之2飛曹(富山県出身)/児島 茂2飛曹(群馬県出身)

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▲山脇 林2飛曹(高知県出身)は海軍特攻隊員で最年少の17歳7ヶ月。12/16「第11金剛隊」の一員として出撃
 したが、機体の故障で引き返し、2度目の特攻出撃だった・・・。(ミンドロ島サンホセ沖の米艦船に突入戦死)

 
▼清水 武中尉(山口県出身205海軍航空隊)
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この日は指揮官として直掩隊を務めたが、昭和20年(1945)4月1日「第1大義隊」隊長として石垣島基地より出撃。
宮古島南方で散華している。(石垣島派遣隊は特攻隊「大義隊」を編成、第1第2第5大義隊が石垣島基地より出撃)

神風特別攻撃隊「第16金剛隊」昭和19年(1944)12月31日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦と彗星で出撃
青野 豊大尉/伊藤勝美上飛曹以下6機、直掩隊3機、誘導「彗星」1機で出撃

神風特別攻撃隊「第17金剛隊」昭和19年(1944)12月31日(フィリピン)ニコルス基地よりゼロ戦と彗星で出撃
綿引芳男中尉以下ゼロ戦3機、直掩隊3機、誘導「彗星」1機で出撃するも敵艦隊を発見出来ず帰還。

昭和19年(1944年)神風特別攻撃隊カラー映像➡Kamikaze Attack 1944 color filmYouTube

神風特別攻撃隊「第30金剛隊」昭和20年(1945)1月3日(フィリピン)セブ基地よりゼロ戦で出撃
(ミンダナオ海艦船攻撃) 高島 清中尉(広島県出身)/井野精蔵中尉(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「月光隊」昭和20年(1945)1月3日(フィリピン)マバラカット基地より「月光」で出撃
[操縦]梶原 昇(広島県出身)/[偵察]田中竹雄(山形県出身)

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▲アメリカ合衆国「スミソニアン博物館」に展示・胴体保存されている「月光」

神風特別攻撃隊「旭日隊」昭和20年(1945)1月4日(フィリピン)ラサン基地より彗星で出撃
[操縦]長谷川弘房1飛曹(富山県出身)/[偵察]風間萬年中尉(福島県出身)
神風特別攻撃隊「旭日隊」昭和20年(1944)1月4日(フィリピン)マバラカット基地より彗星で出撃
[操縦]幡野孝司1飛曹(静岡県出身)/[偵察]井上茂夫1飛曹(神奈川県出身)
スールー海を航行していた米護衛空母オマニー・ベイは「旭日隊」彗星2機/陸軍「一誠隊」隼2機(都留洋中尉・石川誠
司少尉)/陸軍「進襲隊」99式襲撃機1機(小林直行軍曹)の特攻々撃を受ける。
その内「旭日隊」彗星1機が、オマニー・ベイの見張りに発見される事も、レーダーに探知される事も上空哨戒機にも、
そして周囲の艦船に気づかれる事も無く、沈みゆく夕日をバックにオマニー・ベイに接近、艦橋に突入右舷を破壊した。
2発の爆弾が投下され、1発目が飛行甲板の内部で爆発。前部第3格納庫に収容されていた燃料を満載した艦載機に誘
爆した。2発目は格納庫を通り抜け、第2甲板上の消火用水管を破壊し右舷で爆発。直ちに戦闘配置が令されたが、わず
かに手遅れだった。艦前部の水圧がたちまち失われ、動力と艦橋との通信も途絶えた。格納庫での猛烈な火災に対処し
ていた兵員は、炎上する艦載機からの激しい黒煙及び12.7mm機銃弾の爆発で退避しなければならなくなった。
艦は弾薬の爆発と火災による高熱で戦闘を行う状況にはなくなった。17:50までに甲板上全面が維持不能となり、搭載
していた魚雷が爆発する恐れが出てきた。オマニー・ベイを支援するために接近した駆逐艦は、火災による熱気で消火
作業も負傷者の移送も満足に行う事ができず、早急にオマニー・ベイから離れざるを得なかった。
やがて、艦長と砲術長から別々に、艦を放棄する命令が下され18:16には、搭載していた魚雷に引火して爆発。
破片は周囲の艦に降り注いだ。19:45オマニー・ベイは別の日本軍特攻機の攻撃を呼び込む目印になる事を防ぐ為、駆
逐艦バーンズ (USS Burns) の魚雷により沈められたが駆逐艦乗員を含む合計95名の米水兵が戦死した。

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▲米護衛空母オマニー・ベイ(USS Ommaney Bay)

神風特別攻撃隊「第18金剛隊」昭和20年(1945)1月5日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(ルバング島西方艦船攻撃)
金谷真一大尉(東京都出身)/丸山 隆(石川県出身)/長井正二郎(東京都出身)/井上 啓(鹿児島県出身)/桜井幹男(三重)
船津安男中尉(群馬県出身)/市川 猛中尉(愛知県出身)/江口 博上飛曹(佐賀県出身/)福崎貞二上飛曹(北海道出身)
杉田肇上飛曹(鹿児島県出身)/中川一男上飛曹(福岡県出身)/梶原喬由上飛曹(山梨県出身)/篠山 高1飛曹(岡山県出身)
藤山義彦1飛曹(山口県出身)/谷 晴源2飛曹(徳島県出身)
(直掩隊)北川直隆中尉(東京都出身)/出津正平1飛曹(茨城県出身)
▼昭和20年1月5日(ルソン島の戦い)重巡洋艦ルイビルに「第18金剛隊」か陸軍「進襲隊」の特攻機が突入の瞬間。

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▼昭和20年1月5日重巡洋艦オーストラリア(HMAS Australia)に「第18金剛隊」爆装ゼロ戦が突入、1番煙突が倒壊した。
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▼豪重巡洋艦オーストラリア(HMAS Australia)特攻々撃により、オーストラリア軍 戦死25名、負傷30名の被害を出した
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▼▲昭和20年1月5日護衛空母ナトマ・ベイ(USS Natoma Bay)に突入しようとする「第18金剛隊」の零戦
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▲▼特攻機は艦を僅かにそれて浅瀬に突っ込んだ。
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▼護衛空母ナトマ・ベイ(USS Natoma Bay)
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神風特別攻撃隊「旭日隊」昭和20年(1945)1月6日(フィリピン)マバラカット基地より彗星で出撃
[操縦]吹野 匡中尉(鳥取県出身)/[偵察]三宅精策少尉(香川県出身)
[操縦]花下道好1飛曹(兵庫県出身)/[偵察]向吉健三1飛曹(鹿児島県出身)

神風特別攻撃隊「第19金剛隊」昭和20年(1945)1月6日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾内艦船攻撃)
青野 豊大尉(愛媛県出身)/福山正通中尉(奈良県出身)/富澤幸光中尉(北海道出身)/永富雅夫中尉(大分県出身)
山下省治中尉(福岡県出身)/磯部 豊中尉(愛知県出身)/伊藤勝美上飛曹(島根県出身)/真崎義男上飛曹(佐賀県出身)
串原麟八上飛曹(長野県出身)/山田正文上飛曹(山梨県出身)/黒木典次2飛曹(鹿児島県出身)/青野國輝2飛曹(愛媛県出身)
和田可臣飛長(秋田県出身)/浜砂良一1飛曹(トラブルで引き返す)/後藤喜一上飛曹(群馬県出身)
(直掩隊)真鍋秀信上飛曹/高橋良生上飛曹
※後藤喜一上飛曹は250㎏爆弾を投下し、敵輸送船に命中させて帰還した。指揮所で報告すると、作戦室を兼ねた防空壕
に連れ込まれ、特攻を指揮する201空司令官の玉井浅一中佐と飛行長・中島正中佐から4時間にわたって叱責され続けた。
「特攻に出た者が、何故爆弾を落としたか!」と・・・。当然と言えば当然だが、後藤上飛曹は戦果をあげた後も生きたか
ったのだろう。そして同日夕方、第20金剛隊の一員として再び出撃することを命ぜられ、そのまま還ってこなかった。


神風特別攻撃隊「第20金剛隊」昭和20年1月6日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾内艦船攻撃)  
中尾邦為中尉(富山県出身)/中野勇三少尉(新潟県出身)/後藤喜一上飛曹(群馬県出身)/千原昌彦上飛曹(和歌山県出身)
谷内善之上飛曹(富山県出身)

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▲昭和20年(1945)1月6日神風特別攻撃隊の命中により沈没した米駆逐艦ロング(USS Long)戦死1名、負傷35名
神風特別攻撃隊「第22金剛隊」昭和20年1月6日(フィリピン)アンヘルス基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾内艦船攻撃)
三宅輝彦中尉(岡山県出身)/廣田豊吉中尉(和歌山県出身)/吉原 晋中尉(神奈川県出身)/黒澤 厚2飛曹(埼玉県出身)
 
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▲米駆逐艦ブルックス(USS Brooks)
1/6 特攻機の突入で補助蒸気ラインが切断され火災が発生、乗組員3名死亡11名負傷

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▲昭和20年1月6日フィリピン諸島のリンガエン湾の戦闘で、対空砲火を受け、火を噴きながら突入するゼロ戦

神風特別攻撃隊「第23金剛隊」昭和20年1月6日(フィリピン)ニコルス基地よりゼロ戦で出撃
(イバ沖艦船攻撃)
園田 勇中尉(兵庫県出身)/綿引芳男中尉(茨城県出身)/加藤米男中尉(東京都出身)/南里昭敏上飛曹(福岡県出身)
小池富士夫1飛曹(東京都出身)/佐々木輝雄1飛曹(愛知県出身)/倉松房太2飛曹(福島県出身)/井上義輝2飛曹(福岡県出身)
(直掩隊)大森茂中尉(宮城県出身)/平島 仁中尉(千葉県出身)/小玉酉治上飛曹(秋田県出身)/玉腰俊光1飛曹(愛知県出身)
(誘導)「彗星」 [操縦]石井隆上飛曹(兵庫県出身)/[偵察]奥居 一郎上飛曹(滋賀県出身)

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▲1/6リンガエン湾上陸前の艦砲射撃中、特攻機が戦艦ニューメキシコ(USS New Mexico)艦橋に突入。
艦長R・W・フレミング大佐を含む29名死亡、87名が負傷した。損傷したが砲撃は継続され、地上部隊が上陸するま
で同海域での活動を続けた。真珠湾での修理後にニューメキシコは沖縄進攻の準備のためウルシー泊地へ到着した。
3/21火力支援グループと共に出航、3/26には沖縄で砲撃を開始した。5/11に8艘の特攻艇(震洋?)を破壊するが、
5/12、2機の特攻機の攻撃を受ける。1機を撃墜するが、1機が爆弾と共に突入し爆発、54名が死亡119名が負傷した。

神風特別攻撃隊「第30金剛隊」昭和20年(1945)1月6日(フィリピン)マバラカット基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾艦船攻撃)
小林 武雄中尉(千葉県出身)/阪本哲朗中尉(熊本県出身)/小林秀雄中尉(東京都出身)

神風特別攻撃隊「八幡隊」昭和20年(1945)1月6日(フィリピン)クラーク基地より艦上攻撃機「天山」で出撃
[操縦]藤田紀久雄2飛曹(福岡県出身)/[偵察]磯野博之少尉(千葉県出身)/[電信]繁縄精一飛長(兵庫県出身)

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▲海軍艦上攻撃機「天山」

神風特別攻撃隊「旭日隊」昭和20年(1945)1月7日(フィリピン)マバラカット基地より彗星で出撃
[操縦]池島厚吉少尉(山口県出身)/[偵察]斎藤喜一少尉(埼玉県出身)

神風特別攻撃隊「第28金剛隊」昭和20年(1945)1月7日(フィリピン)チリアゲ基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾内艦船攻撃)
熊倉三夫中尉(栃木県出身)/高杉英彦中尉(広島県出身)/勝原道春1飛曹(山口県出身)
(直掩隊)遠藤晴次中尉(広島県出身)/平野光夫(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「第29金剛隊」昭和20年(1945)1月7日(フィリピン)チリアゲ基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾内艦船攻撃)
佐藤栄夫上飛曹(宮城県出身)/諸戸清司2飛曹(三重県出身)
(直掩隊)真鍋重信上飛曹(愛媛県出身)

神風特別攻撃隊「八幡隊」昭和20年(1945)1月8日(フィリピン)クラーク基地より艦上攻撃機「天山」で出撃
[操縦]北村新一少尉(和歌山県出身)/[偵察]垣内次郎上飛曹(和歌山県出身)/[電信]山口歳朗上飛曹(京都府出身)

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▲米航空母艦ヨークタウンから5インチ砲を浴び被弾し、墜落していく艦上攻撃機「天山」(1944年10月25日)

神風特別攻撃隊「第24金剛隊」昭和20年(1945)1月9日(フィリピン)ツゲガラオ基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾艦船攻撃) 児島 茂2飛曹(群馬県出身)

神風特別攻撃隊「第25金剛隊」昭和20年(1945)1月9日(フィリピン)ニコルス基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾艦船攻撃) 村上 惇中尉(東京都出身)/鈴木眞造2飛曹(愛知県出身)

神風特別攻撃隊「第26金剛隊」昭和20年(1945)1月9日(フィリピン)ツゲガラオ基地よりゼロ戦で出撃
(リンガエン湾艦船攻撃) 土屋 浩中尉(岡山県出身)/内海 崇1飛曹(愛知県出身)
(直掩隊)尾坂一男上飛曹(大分県出身)

昭和20年1月15日 神風特別攻撃隊「第3新高隊」 (フィリピン)ツゲガラオ基地よりゼロ戦で出撃。
(台湾東方機動部隊攻撃)
川添  實大尉(鹿児島県出身)/斎藤 精一大尉(宮城県出身)
小川  昇1飛曹(東京都出身)/右松 岩雄1飛曹(宮城県出身)
昭和20年1月15日 神風特別攻撃隊「第1新高隊」 台中基地よりゼロ戦1機で出撃。
(馬公沖機動部隊攻撃)森岡 光治1飛曹(大阪府出身)
昭和20年1月21日 神風特別攻撃隊「第2新高隊」 台南基地よりゼロ戦2機で出撃。
(台東東方機動部隊攻撃)
堀口 吉秀少尉(三重県出身)/藤波 良信飛長(静岡県出身)

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▲昭和20年1月21日特攻機の突入を受け煙を上げる米空母タイコンデロガ(USS Ticonderoga)

神風特別攻撃隊「第27金剛隊」昭和20年(1945)1月25日(フィリピン)ツゲガラオ基地よりゼロ戦2機で出撃
(※在フィリピン海軍航空部隊最後の特攻出撃)
住野英信中尉/
フィリピン特攻作戦:海軍突入機202機(搭乗員256人)、未帰還機131機

※神風特別攻撃隊「第2御盾隊」昭和20年(1945)2月21日八丈島基地より彗星/天山/ゼロ戦で出撃
(硫黄島周辺艦船攻撃)海軍香取航空基地➡八丈島基地で燃料補給➡出撃。
これが日本本土から出撃した陸海軍合わせて最初の航空特攻々撃となった。

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▲第2御楯隊隊員勇士
第2御盾隊の出撃に呼応した攻撃704空の一式陸攻6機は2月21日13:25頃、木更津基地を出撃。5機が硫黄島に到達し、
米軍陣地や艦船を爆撃した。また特攻隊の接敵時間に米戦闘機の注意を引きつける為、704空一式陸攻4機が木更津基地
を出撃。内2機は小笠原諸島付近で、電探欺瞞紙の散布を実施している。
▼出撃直前の「第2御盾隊」

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彗星
[操縦]村川 弘大尉(新潟県出身)/[偵察]原田嘉太男飛曹長(鳥取県出身)
[操縦]田中武夫1飛曹(滋賀県出身)/[偵察]幸松政則上飛曹(大分県出身)
[操縦]青木孝充上飛曹(千葉県出身)/[偵察]木下 茂少尉(大阪府出身)
[操縦]小石政雄上飛曹(神奈川県出身)/[偵察]戸倉勝二上飛曹(三重県出身)
[操縦]大久保勲1飛曹(茨城県出身)/[偵察]飯島 晃中尉(長野県出身)
[操縦]水畑辰雄2飛曹(兵庫県出身)/[偵察]下村千代吉上飛曹(熊本県出身)
[操縦]小松武上飛曹(高知県出身)/[偵察]石塚元彦上飛曹(山形県出身)
[操縦]三宅重男1飛曹(岡山県出身)/[偵察]伊藤正一1飛曹(宮崎県出身)
[操縦]池田芳一1飛曹(和歌山県出身)/[偵察]小山照夫上飛曹(香川県出身)
[操縦]北爪圓三2飛曹(群馬県出身)/[偵察]牧 光廣上飛曹(鹿児島県出身)
天山
[操縦]原口章雄1飛曹(熊本県出身)/[偵察]清水邦夫1飛曹(長野県出身)/[電信]川原 茂2飛曹(東京都出身)
[操縦]中村吉太郎少尉(東京都出身)/[偵察]小島三良上飛曹(東京都出身)/[電信]叶 之人2飛曹(北海道出身)
[操縦]和田時次2飛曹(群馬県出身)/[偵察]信太廣蔵2飛曹(秋田県出身)/[電信]鈴木辰蔵1飛曹(東京都出身)
[操縦]村井明夫上飛曹(大分県出身)/[偵察]桜庭正雄中尉(広島県出身)/[電信]窪田高一上飛曹(山梨県出身)
[操縦]稗田一幸1飛曹(福岡県出身)/[偵察]中村伊十郎上飛曹(千葉県出身)/[電信]竹中友男2飛曹(兵庫県出身)
[操縦]佐川保男少尉(香川県出身)/[偵察]岩田俊雄上飛曹(福井県出身)/[電信]小山良知2飛曹(長野県出身)
ゼロ戦
茨木 速中尉(高知県出身)/志村雄作上飛曹(山梨県出身)/森川 博1飛曹(京都府出身)
長 與走2飛曹(福岡県出身)/岡田金三2飛曹 (広島県出身)

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▲米空母サラトガ(USS Saratoga)は2/21硫黄島の夜間防空と父島への夜間攻撃のため、駆逐艦3隻を伴って機動部
隊を離れた際、「第2御盾隊」による特攻を衝突4機と爆弾2発に受けて大破したが、エニウェトクを経由してブレマー
トンに到着し、修理を行った。5/22修理完了し、ピュージェット・サウンド工廠を発って6/3真珠湾へ戻り、再び航
空隊の訓練に従事した。日本が降伏した為、9/6に訓練を中止して、アメリカ本土に戻る復員兵の輸送を行った。

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▲2/21米空母サラトガに突入する「第2御盾隊」の特攻機。
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▲大きく損傷した空母サラトガの飛行甲板
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▲空母サラトガ乗組員、死者・行方不明者合わせて123人、負傷者192人に達した。
 戦後サラトガは、1946年に行われたビキニ環礁での核実験(クロスロード作戦)の標的艦に使用された。

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▲1946年7月25日の「BAKER実験」において発生した核爆弾の水中炸裂の写真(中央の艦がサラトガ)
 7/1の「ABLE」実験では軽度の損傷で済んだものの、続く7/25「BAKER」実験で艦体に致命的な損傷を負い、サ
 ラトガは7時間後に沈没した。全体としては原形を充分に留めていた為、引き揚げて核爆発による損害を詳しく研究す
 る計画が立てられたが、放射線障害の危険性によってサルベージは中止され、1946年8月15日正式に除籍された。
 以後、サラトガはビキニ環礁の海底にあり、現在では放射線障害の危険性も低下したため民間人でもダイビングに
 よってその姿を眺める事が出来る。浅海におけるスキューバダイビングで容易に到達できる航空母艦として、サラト
 ガはダイビングスポットとして人気を集めている。民間人が通常のダイビングで到達できる沈船航空母艦は、現在の
 所サラトガとフロリダ沖メキシコ湾内のオリスカニーの2隻のみとなっている。


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▲米護衛空母ビスマーク・シー(USS Bismarck Sea)は2月16日ビスマーク・シー以下第52任務部隊(ウィリアム・
H・P・ブランディ少将)の護衛空母群は硫黄島沖に到着し、硫黄島の戦いの支援を開始し、90機の艦載機が硫黄島攻
撃を行った。2/17・18にも出撃を行い、2/19上陸作戦に向けての露払いを行った。2/21の日没は18:25と記録
された。その直後、ビスマーク・シーの見張りは水平線上に接近してくる3つの目標を発見。
ビスマーク・シーはルンガ・ポイント(USS Lunga Point, CVE-94) に向かっていた3つの目標に対して対空砲火を
撃ち、1機を撃墜した。一時はサラトガの航空機とも思われた残る2機の特攻機がビスマーク・シーに急速に接近してき
たが、一部の機関砲および機銃は射程内にルンガ・ポイントが入ってきたため撃てなかった。
やがて、その特攻機は右舷後部の40ミリ機関砲座の下に突入、ハンガーデッキと弾薬庫を破壊。
格納してあった航空魚雷4本を叩き落して爆発を起こさせた。その火災は押さえる事ができたものの、間もなく別の特
攻機、あるいは通常の攻撃機から投下された爆弾が後部エレベーターシャフトに命中して海水消火システムを破壊。
また、ガソリンを抜き終わっていない航空機の中で爆発した為、格納庫内の航空機、燃料、弾薬に次々と引火して火山
の様となった。ビスマーク・シーは消火隊が焼死した他、後部にいた乗員が爆発で海に放り出され、ビスマーク・シー
は、それ以上のダメージ・コントロールが不能となった。最初の特攻機が命中してから僅か15分後、艦の放棄が命じら
れ、総員退艦の命令は口伝で行われた。
ビスマーク・シーは爆発を繰り返して右舷側に倒れ、20:08犠牲者318名と共に艦尾から沈没していった。
護衛駆逐艦エドモンズ (USS Edmonds, DE-406) が救助作業を行い、夜間の荒海の中プラット艦長を含む378名を
救出。生存者は攻撃輸送艦ディッケンズ (USS Dickens, APA-161) とハイランズ (USS Highlands, APA-119)
に移送され、エドモンズの乗組員30名が傷つき疲れ果てた救助者達に同行した。

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▲2/21「第2御楯」の特攻隊機の命中により大爆発を起こし、沈没した米護衛空母ビスマーク・シー
2/21夜半、硫黄島海軍部隊の指揮官 市丸利之助少将から以下のような入電があった。
「友軍航空機の壮烈なる特攻を望見し、士気ますます高揚、必勝を確信、敢闘を誓う。又沖合に火柱19本を認む」と。


※神風特別攻撃隊「第2御盾隊」昭和20年(1945)3月1日八丈島基地発基地より彗星で出撃
 (硫黄島周辺艦船攻撃)
[操縦]川崎 直飛長(宮崎県出身)/[偵察]小林善男上飛曹(山形県出身)

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▲戦時中の九州 陸海軍航空基地(◆が海軍 ◇は陸軍)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月11日築城基地より海軍陸上爆撃機「銀河」で出撃
[操縦]松永輝郎大尉(山口県出身)/[偵察]喜多山 哲少尉(福山県出身)/[電信]西山典郎2飛曹 (熊本県出身)
[操縦]渡部春雄1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]大林仲治上飛曹(愛知県出身)/[電信]柳川末一2飛曹(静岡県出身)
[操縦]小川 登少尉(東京都出身)/[偵察]林田克巳上飛曹(奈良県出身)/[電信]大日向忠直2飛曹(福岡県出身)
[操縦]相川 豊1飛曹(千葉県出身)/[偵察]米満輝繁上飛曹(鹿児島県出身)/[電信]醍醐一利2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]坂口 明中尉(兵庫県出身)/[偵察]本仮屋孝夫1飛曹(鹿児島県出身)/[電信]寺門敏行飛長(茨城県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月11日鹿屋基地より海軍陸上爆撃機「銀河」で出撃
[操縦]上杉丈助飛曹長(福島県出身)/[偵察]宇野 篤大尉(東京都出身)/[電信]岡田春人2飛曹(東京都出身)
[操縦]米本米吉上飛曹(神奈川県出身)/[偵察]村川勝夫上飛曹(新潟県出身)/[電信]檜山芳香上飛曹(神奈川県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月11日大分基地より海軍陸上爆撃機「銀河」で出撃
[操縦]村上益雄上飛曹(静岡県出身)/[偵察]西村敬之助上飛曹(石川県出身)/[電信]西谷増吉上飛曹(岐阜県出身)

※神風特別攻撃隊「梓(あずさ)特別攻撃隊」昭和20年3月11日 「銀河」24機 鹿屋より出撃(「銀河」は3人乗)
[操縦]早坂裕次上飛曹(宮城県出身)/[偵察]宮澤宏男中尉(愛知県出身)/[電信]西川茂勝2飛曹(樺太出身)
[操縦]馬場一雄2飛曹(大阪府出身)/[偵察]吉岡 實(埼玉県出身)/[電信]新井喜一2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]河村秀之2飛曹(山口県出身)/[偵察] 清水徳一1飛曹(大分県出身)/[電信] 林  榮一2飛曹(愛知県出身)
[操縦]三輪秀夫飛長(大阪府出身)/[偵察]西田信義1飛曹(山口県出身)/[電信]横山侃昭2飛曹(福島県出身)
[操縦]福田幸悦大尉(北海道出身)/[偵察]井貝武志上飛曹(広島県出身)/[電信]太田健司上飛曹(愛知県出身)
[操縦]山本國男1飛曹(和歌山県出身)/[偵察]田山亥志雄上飛曹(熊本県出身)/[電信]三ヶ田 清馬1飛曹(大分県出身)
[操縦]桑村担上飛曹(愛媛県出身)/[偵察]根尾久男中尉(富山県出身)/[電信]桐畑人明1飛曹(滋賀県出身)
※根尾久男中尉の父親は庄下村の村長。「赤紙が来た村」YouTube
[操縦]山本博泰上飛曹(愛知県出身)/[偵察]大岡高志大尉(東京都出身)/[電信]高橋政市上飛曹(北海道出身)
[操縦]松木義友1飛曹(香川県出身)/[偵察]原田幸男上飛曹(岡山県出身)/[電信]斎藤善實1飛曹(宮城県出身)
[操縦]磯部定男2飛曹(千葉県出身)/[偵察]福島元康少尉(東京都出身)/[電信]中野至康飛長(東京都出身)
[操縦]原田照和2飛曹(佐賀県出身)/[偵察]松井光明飛長(静岡県出身)/[電信]葛佐直夫2飛曹(徳島県出身)

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▲原田2飛曹/松井飛長/葛佐2飛曹 搭乗機。
[操縦]大久保次郎上飛曹(北海道出身)/[偵察]高久健一少尉(秋田県出身)/[電信]下楠園 緑上飛曹(鹿児島県出身)
[操縦]玉井良登1飛曹(福岡県出身)/[偵察]阿南正範1飛曹(宮崎県出身)/[電信]岩崎幸三1飛曹(三重県出身)
[操縦]藤川益男飛長(山口県出身)/[偵察] /[電信]幡   勇2飛曹(茨城県出身)
[操縦]佐々木義次上飛曹/[偵察]落合 勝飛曹長/[電信]北村雅一上飛曹は、目標捉えられずヤップ島に不時着。
他にも不時着した機体はあったが、落合機が良好だったので、他の乗員も乗せて本土に帰還した。
[ 二式飛行艇 ]誘導機
杉田正治中尉(大阪府出身)/高橋 正少尉(熊本県出身)/関 文武上飛曹(長野県出身)/堀越武雄上飛曹(茨城県出身)
新谷睦志(鹿児島県出身)/古茂田蓮三上飛曹(愛媛県出身)/牧田 裕1飛曹(鳥取県出身)/小山彌五郎1飛曹(長野県出身)
須賀正久2飛曹(樺太出身)/栗原 続2整曹(埼玉県出身)/加藤幸次飛長(島根県出身)/久川孝夫飛長(新潟県出身)

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   ▲▼「梓特別攻撃隊」勇士達
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▲3/11朝、米第58任務部隊の泊地・ウルシー環礁を目標に鹿屋基地より出撃する「梓特別攻撃隊」の銀河11型。
手前の機からこちらを向くペアは、右から[偵察員]黒丸大尉(隊長)/[操縦員]藤井上飛曹/[電信員]富永飛曹長。
機種下面と胴側から出たアンテナは、広く用いられたH-6の物で、日本で唯一の有効な機載用レーダーだった。
黒丸直人大尉以下72名で編成された「梓特別攻撃隊」は800キロ爆弾を積んだ762空陸上爆撃機「銀河」の部隊。
「第2次丹作戦」と呼ばれるこの特攻作戦は、はるか3000㌔を飛び、西カロリン諸島ウルシー環礁に停泊する米艦隊に
薄暮体当たり攻撃を仕掛けるという無謀な作戦だった・・・。当初10日に予定されていたこの作戦は、索敵情報が錯綜
していた為、既に出撃していた「梓特別攻撃隊」の銀河は呼び戻されて1日延期された。
11日3機の801空二式飛行艇と佐多岬上空で合流、二式大型飛行艇5機に誘導されてウルシー環礁を目指した。

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▲▼3/11、8:30頃、鹿屋基地で続々列線を離れ、滑走路へ向かう「梓特攻隊」の銀河
 ※翼下に見える巨大な円筒は長距離飛行の為の落下式増槽(いわゆる燃料増量タンク)

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▲▼昭和20年2月24日香川県の詫間航空隊総員に見送られ、発進基地の鹿児島県鴨池へ出発する梓特別攻撃隊
   ※中央の背の高い人物は二式大艇操縦員・長峰五郎 飛行兵曹長

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(誘導)二式大艇の搭乗員達。彼等は天候不順や作戦延期等により再整備のため詫間へ戻ってくることとなるが、
昭和20年3月8日再出撃する。

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▲展示されている二式大艇は香川県詫間町幸田にあった詫間海軍航空隊の残存機の1機(詫間31号機)である。
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▲鹿屋基地を出撃する海軍陸上爆撃機「銀河」
しかし、鈍足の二式飛行艇との随行は「銀河」のもつ能力を大幅に削ぎ、予定時刻が大幅に遅れた。
16機の「銀河」がウルシー環礁に到着したのは夕闇だった。空襲を察知した米軍は灯火を一斉に消した。
目標を確認できない「銀河」攻撃隊は燃料を使い果たし、次々と海面に突入していった。
鹿屋通信室、誘導の「二式大艇」搭乗員。そしてトラック島から戦果確認に向かった「彩雲」搭乗員は、攻撃隊突入時
の通信を受信している。そしてウルシー泊地の米空母の数に変化が無かった事から、作戦失敗との報告をしてる。
偵察機「彩雲」が受信した攻撃隊の通信は以下の通り。
「・・―・・ ・・―・・ ・・―・・」(全軍突撃セヨ)
「クラシクラシ」(暗し・暗し)
「ワレ・・・・・ニ突入セントス」
「クライクライデ・・・・」
「クライミエナイ・・・・」
最後の通信を残し若い隊員達は暗闇の中で散っていった。

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▲「梓特別攻撃隊」陸上爆撃機 銀河11型のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
胴体に書いた句、"空を茜"とするところが、茜を間違えて晒(さらし)と書いてしまった様だ。

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▲空母ランドルフに突入したとされる隊員3名の写真、左から[偵察]井貝武志上飛曹 (広島県出身)
 [操縦]福田幸悦大尉(北海道出身)/[電信]太田健司上飛曹(愛知県出身)
現地時間20:01と20:04福田機は無線でこれから突入する事を打電。ランドルフの行動調書によると福田機の「銀河」
は20:07に突入したと記されている。梓特別攻隊で他に突入を打電した機は無かった。
戦果が確認されているのは米空母ランドルフの飛行甲板後部に激突し火災を発生させ27名を戦死させた記録だけである。

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▲ウルシー環礁で「梓特別攻隊」の特攻々撃によりダメージを受けた甲板後部を工作艦に修繕を受ける空母ランドルフ。
攻撃を受けた米海軍は、ランドルフへ体当たりした「銀河」搭乗員と、目標を誤りソーレン島へ突入した「銀河」搭乗
員の遺体を収容し、丁重に栄誉礼をもって埋葬したと言う。
黒丸隊長機を含む4機が体当たりを断念してヤップ島へ向かう。ヤップ島ルールの飛行場にいた海軍航空隊の1人が上空
で旋回する飛行機の音を聞きわけ「銀河だ、味方だ!」と叫んだので、総員でガソリン松明を手に滑走路に走って誘導
したが、1機は着陸に失敗して大破(乗員は無事)もう1機は無事着陸、そして更に1機は飛行場から遠く離れたルムングの
浅瀬に不時着となった。この乗員3名も無事だったが、機内から日の丸を持って脱出した所を、味方とは知らない陸軍守
備隊によって銃撃され、3人とも死亡した。撃った方としては悔いても悔い切れない同士討ちだった。無傷の1機に生き
残った搭乗員全員を乗せ後日鹿屋へ帰還している。そして数名が別作戦で再度出撃し、敵艦へ突入し命を落とした。

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▲銀河11型解剖図 前[偵察員]中[操縦員]後[電信員] 狭い機内で長距離飛行は大変だったであろう・・・。
「銀河」を誘導していた3機の二式大艇には帰還が命じられていたが、1機は不明となり、もう1機は不調だったエンジ
ンが爆発、失速寸前のスピードを必死に維持しウォレアイ環礁メレヨン島へ不時着水し、機体は水没。
搭乗員は潜水艦で救出されるまでの数ヶ月を飢餓の島で過ごした。無事日本に帰還したのは1機だけだった。

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▲左から[操縦]原田照和2飛曹(佐賀県出身)[偵察]松井光明飛長(静岡県出身)[電信]葛佐直夫2飛曹(徳島県出身)23号機
※8機がエンジントラブルの為、途中で引き返している。
※「第1次丹作戦」は昭和19年(1944)11月、ゼロ戦隊でサイパンにB-29を目標とする昼間奇襲攻撃を行った。

※昭和20年3月10日B-29 130機東京大空襲、23万戸消失/死傷者12万人。
※昭和20年3月12日B-29名古屋大空襲。
※昭和20年3月14日B-29大阪大空襲
※昭和20年3月17日B-29神戸大空襲。
※昭和20年3月17日硫黄島守備隊殆ど全滅。

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▲陥落した硫黄島と米大艦隊 硫黄島の戦い 前編YouTube 硫黄島の戦い 後編YouTube 硫黄島 玉砕戦YouTube

※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月18日第1国分基地より「彗星」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]小網十九雄飛長(大阪府出身)/[偵察]中川茂男飛長(広島県出身)
[操縦]葛和善治少尉(奈良県出身)/[偵察]石井隆上飛曹(福岡県出身)
[操縦]金山一雄2飛曹(島根県出身)/[偵察]小山康衛少尉(新潟県出身)
[操縦]岡本壽夫飛長(和歌山県出身)/[偵察]古長正好飛長(大分県出身)
[操縦]猿渡 弘上飛曹(熊本県出身)/[偵察]西島忠治上飛曹(山口県出身)
[操縦]野間 茂中尉(奈良県出身)/[偵察] 
[操縦]木村 潔少尉(東京都出身)/[偵察]松原 清上飛曹(兵庫県出身)
[操縦]勝俣市太郎2飛曹(神奈川県出身)/[偵察]久保田英生少尉(福岡県出身)
[操縦]小野庄治飛長(広島県出身)/[偵察]市川末人1飛曹 (福岡県出身)
[操縦]益岡政一2飛曹(熊本県出身)/[偵察]岩上一郎中尉(栃木県出身)
[操縦]市毛喜代夫2飛曹(茨城県出身)/[偵察]田中精之助少尉(新潟県出身)
[操縦]湯浅正三上飛曹(京都府出身)/[偵察]田島一男少尉(福岡県出身)
[操縦]山下利之2飛曹(岡山県出身)/[偵察]瀧 理吉上飛曹(石川県出身)
[操縦]平田博一中尉(香川県出身)/[偵察]野宮仁平少尉(青森県出身)
[操縦]三鬼照一飛長(三重県出身)/[偵察]小野塚一江2飛曹(福島県出身)
[操縦]畠中良成少尉(鹿児島県出身)/[偵察]植村 平1飛曹(千葉県出身)
[操縦]藤園 勝飛長(大分県出身)/[偵察]助田義一2飛曹(三重県出身)
(直掩隊)零戦
堀井正四少尉(新潟県出身)/江崎志満夫1飛曹(熊本県出身)/白川一男飛長(鹿児島県出身)

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▲(3/18米軍撮影)空母ワスプ(CV-18)の対空砲火を受け炎上墜落していく艦上爆撃機「彗星」
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▲▼(3/18米軍撮影)空母ワスプ(CV-18)の対空砲火を受け炎上しながらも突入しようとする艦上爆撃機「彗星」
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※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」 昭和20年3月18日築城基地より「銀河」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]松永輝郎大尉(山口県出身)/[偵察]喜多山哲少尉(福山県出身)/[電信]西山典郎2飛曹(熊本県出身)
[操縦]渡部春雄2飛曹(愛媛県出身)/[偵察]大林仲治上飛曹(愛知県出身)/[電信]柳川末一2飛曹(静岡県出身)
[操縦]小川登少尉(東京都出身)/[偵察]林田克巳上飛曹(奈良県出身)/[電信]大日向忠直2飛曹(福岡県出身)
[操縦]相川 豊1飛曹(千葉県出身)/[偵察]米満輝繁上飛曹(鹿児島県出身)/[電信]醍醐一利2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]坂口 明中尉(兵庫県出身)/[偵察]本仮屋孝夫1飛曹(鹿児島県出身)/[電信]寺門敏行飛長(茨城県出身)
[操縦]上杉丈助飛曹長(福島県出身)/[偵察]宇野篤大尉(東京都出身)/[電信]岡田春人2飛曹(東京都出身)
[操縦]米本米吉上飛曹(神奈川県出身)/[偵察]村川勝夫上飛曹(新潟県出身)/[電信]檜山芳香上飛曹(神奈川県出身)
[操縦]村上益雄上飛曹(静岡県出身)/[偵察]西村敬之助上飛曹(石川県出身)/[電信]西谷増吉上飛曹(岐阜県出身)
指揮官松永輝郎大尉機の電信員に選ばれた、西山典郎二飛曹は08:07「全軍突撃セヨ」との電報を発信して以後消息
を断った。 17歳の誕生日を迎えることもできず、短い人生に終止符をうった。 この特攻攻撃で米空母エンタープライズ
とヨークタウンに損傷を与えた事が記録に残されている。
エンタープライズはその後も幾度となく特攻機の突入を受けるがウルシーに引き返し修理され、終戦まで生き残った。
「不死身のエンタープライズ」の別名を持ち、アメリカ海軍のダメージコントロールの高さには恐れ入る。
昭和20年3月から特攻に使用された「銀河」は合計156機が出撃した。
海軍陸上爆撃機「銀河」は3人乗りである、陸軍で特攻に使用された99式双発軽爆撃機や二式複座戦闘機「屠龍」では、
よほどの理由が無い限り、特攻は操縦員のみで出撃していった。しかし海軍では定員をキッチリ乗せて出撃させた。
敵艦船に突入するのに何故操縦員以外の隊員を乗せなければならなかったのか理解に苦しむところだ。
せめて2名に抑えて出撃する事は海軍は考えなかったのか?戦死者を少しでも少なくする努力をしたのか?
▼海軍陸上爆撃機「銀河」

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※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月19日第1国分基地より「彗星」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]川端弘保少尉(香川県出身)/[偵察]柏井 宏大尉(島根県出身) 
[操縦]川口富司大尉(東京都出身)/[偵察]山下敏平飛曹長(静岡県出身)
[操縦]宮下萬次郎上飛曹(長野県出身)/[偵察]坂田明治中尉(兵庫県出身)
[操縦]飯塚英一上飛曹(静岡県出身)/[偵察]藤田春男中尉(石川県出身)
[操縦]天野一史中尉(奈良県出身)/[偵察]千野五郎上飛曹(東京都出身)
[操縦]福西一隆少尉(三重県出身)/[偵察]出島廣良少尉 (和歌山県出身)
[操縦]北村良二上飛曹(山形県出身)/[偵察]西口速雄飛曹長(三重県出身)
[操縦]上田元太郎飛長(静岡県出身)/[偵察]長谷川次郎1飛曹(岐阜県出身)
[操縦]関矢忠雄上飛曹(京都府出身)/[偵察]中村恒夫大尉(茨城県出身)
[操縦]山口春一1飛曹(愛知県出身)/[偵察]木村福松1飛曹(神奈川県出身)
[操縦]山路 博中尉(大分県出身)/[偵察]高梨総理少尉(新潟県出身)
[操縦]石黒喜八飛長(愛知県出身)/[偵察]竹川福一1飛曹(茨城県出身)
[操縦]夏目 康少尉(静岡県出身)/[偵察]斎藤幸雄少尉(山口県出身)
[操縦]山元當四郎飛長(鹿児島県出身)/[偵察]大矢武2飛曹 (北海道出身)

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▼▲3/19 銀河か彗星の緩降下爆撃で徹甲爆弾が命中、炎上する米空母ワスプ(USS Wasp)
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※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」 昭和20年3月19日出水基地より「銀河」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]金指 勲大尉(静岡県出身)/[偵察]河野 通上飛曹(宮崎県出身)/[電信]馬渕哲男上飛曹(京都府出身)
[操縦]泉 常良飛長(大阪府出身)/[偵察]川口 實上飛曹(長崎県出身)/[電信]廣澤文夫2飛曹(長野県出身)
[操縦]宮本三龍2飛曹(福岡県出身)/[偵察]鎌倉基茂少尉(高知県出身)/[電信]高橋 要飛長(大分県出身)  
[操縦]平田 寛飛長(福岡県出身)/[偵察]緒方春雄1飛曹(熊本県出身)/[電信]柏崎次男2飛曹(青森県出身)

神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月19日鹿屋基地より「銀河」で出撃
[操縦]井上善弘飛曹長(兵庫県出身)/[偵察]土田 登2飛曹(高知県出身)/[電信]大元良雄上飛曹(広島県出身)

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▲3/19 07:08銀河か彗星1機が雲を抜け低空で接近、緩降下爆撃で2発の徹甲爆弾を投下した。この日本海軍機は、
 爆弾を投下した直後にフランクリンの対空砲火(または、上空哨戒のF6Fヘルキャット戦闘機)によって撃墜され、空
 中で爆発・四散して破片をフランクリンの甲板上に撒き散らしたが、命中した2発の爆弾のうち、1発は飛行甲板中央
 部を貫通し格納庫で炸裂、二層及び三層で火災を引き起こし、戦闘司令所及び飛行司令所にダメージを与えた。
 もう1発は飛行甲板後部を貫通し格納庫で炸裂。第二層を突き破り、弾薬・火薬の引火を誘発した。
 また、飛行甲板上には爆弾やロケット弾、機銃弾や燃料を満載した多数の艦上機が並んで出撃待機していた為、次々
 と誘爆を引き起こし、フランクリンは浸水、右舷に13度傾斜した。また消火活動の放水により艦尾が沈下した。
 無線通信が不能となり、火災によって高熱が発生し、艦首を除く上部構造物は全損に近い損害を受けた。
 乗組員の多くが攻撃及びその後の火災で死傷したが、数百名の士官と兵員は艦を救おうと必死の作業を行った。
 724名死亡、265名負傷した。その後、重巡洋艦ピッツバーグに牽引され、修理の為ウルシー泊地に後退した。

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▲特攻機の攻撃の被害で右舷に傾く米空母フランクリン(USS Franklin)

※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月20日第1国分基地より「彗星」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]原田 幸飛長(山口県出身)/[偵察]中島茂夫飛長(佐賀県出身) 
[操縦]寺道好美飛長(山口県出身)/[偵察]根上義茂飛長(山梨県出身) 
[操縦]佐藤甲上飛曹(福島県出身)/[偵察]森下亮一郎上飛曹(和歌山県出身)
[操縦]福下良和1飛曹(兵庫県出身)/[偵察]谷本七郎1飛曹(福井県出身)
[操縦]熊澤 孝飛曹長(神奈川県出身)/[偵察]大谷吉雄上飛曹(島根県出身)
[操縦]稲生康夫飛長(千葉県出身)/[偵察]栗澤栄吉1飛曹(秋田県出身)
[操縦]宮本才次郎飛長(山口県出身)/[偵察]槇田利夫1飛曹(神奈川県出身)  
(直掩隊)ゼロ戦
寛応 隆中尉(静岡県出身)/佐藤 清1飛曹(神奈川県出身)

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▲3/20軽空母バターンへの急降下爆撃に失敗、対空砲火で撃墜された「彗星」。(空母ハンコックから撮影)
※米空母ハンコック(USS Hancock)は4/7、「第4建武隊」と見られる零戦が突入。大破し真珠湾へ後退する事になる。

神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」5機昭和20年3月20日鹿屋基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]坂口昌三大尉(長野県出身)/[偵察]大川軍平飛曹長(三重県出身)/[電信]清水松四郎上飛曹(新潟県出身)

神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月20日大分基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]柳本拓郎飛曹長(静岡県出身)/[偵察]竹園良光飛曹長(千葉県出身)/[電信]梅本留治飛長(北海道出身)

※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」5機昭和20年3月20日第1、第2国分基地より「彗星」で出撃
[操縦]熊沢 孝飛曹長/[偵察]

神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月21日鹿屋基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]池永 弘飛曹長(山口県出身)/[偵察]小林 光飛曹長(新潟県出身)/[電信]岡本嘉治上飛曹(兵庫県出身)
[操縦]蔵本閑男上飛曹(岡山県出身)/[偵察]新井 章1飛曹(茨城県出身)/[電信]小澤清上飛曹(神奈川県出身)
[操縦]佐藤勇上飛曹(宮崎県出身)/[偵察]久保田吉朗飛曹長(樺太出身)/[電信]山口昭二2飛曹(熊本県出身)
[操縦]寺田勇上飛曹(東京都出身)/[偵察]氏家弘上飛曹(香川県出身)/[電信]加藤一市1飛曹 (北海道出身)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月21日出水基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]河野清二中尉(石川県出身)/[偵察]山崎祐則1飛曹(高知県出身)/[電信]中尾勝太郎1飛曹(東京都出身)
[操縦]有村正視1飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]吉岡 勝少尉(熊本県出身)/[電信]岩崎 聡2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]石田武雄飛長(栃木県出身)/[偵察]中原末美1飛曹(長崎県出身)[電信]岡本行雄飛長(三重県出身)
[操縦]木原武雄飛長(福岡県出身)/[偵察]朝日奈登1飛曹(愛知県出身)[電信]角田利男1飛曹(福島県出身)
[操縦]大野三郎1飛曹(栃木県出身)/[偵察]神田為雄1飛曹(富山県出身)/[電信]横井 伸1飛曹(樺太出身)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月21日宮崎基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]中川 勇上飛曹(栃木県出身)/[偵察]馬場繁郎中尉(富山県出身)/[電信]山下義春上飛曹(石川県出身)
[操縦]後藤紀雄少尉(愛知県出身)/[偵察]鍛冶谷清一1飛曹(福岡県出身)/[電信]村田 豊1飛曹(石川県出身)
[操縦]飯竹甲子郎上飛曹(茨城県出身)/[偵察]福田喜好上飛曹(和歌山県出身)/[電信]菊池孝行上飛曹(愛媛県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月21日出水基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]河野清二中尉(石川県出身)/[偵察]山崎祐則1飛曹(高知県出身)/[電信]中尾勝太郎1飛曹(東京都出身)
[操縦]有村正視1飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]吉岡 勝少尉(熊本県出身)/[電信]岩崎 聡2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]石田武雄飛長(栃木県出身)/[偵察]中原末美1飛曹(長崎県出身)/[電信]岡本行雄飛長(三重県出身)
[操縦]木原武雄飛長(福岡県出身)/[偵察]朝日奈登1飛曹(愛知県出身)[電信]角田利男2飛曹(福島県出身)
[操縦]大野三郎1飛曹(栃木県出身)/[偵察]神田為雄1飛曹(富山県出身)[電信]横井 伸1飛曹(樺太出身)

神風特別攻撃隊「菊水銀河隊」昭和20年3月21日鹿屋基地より「銀河」で出撃
(九州東方機動部隊攻撃)
[操縦]池永 弘飛曹長(山口県出身)/[偵察]小林光飛曹長(新潟県出身)/[電信]岡本嘉治上飛曹(兵庫県出身)
[操縦]蔵本閑男上飛曹(岡山県出身)/[偵察]新井 章1飛曹(茨城県出身/[電信]小澤 清上飛曹(神奈川県)
[操縦]佐藤 勇上飛曹(宮崎県出身)/[偵察]久保田吉朗飛曹長(樺太出身)/[電信]山口昭二2飛曹(熊本県出身)
[操縦]寺田勇上飛曹(東京都出身)/[偵察]氏家 弘上飛曹(香川県出身)/[電信]加藤一市1飛曹(北海道出身)

▼人間爆弾「桜花」はアニメ[ザ・コクピット音速雷撃隊]でも有名です。館内は神雷部隊の資料も充実しています。

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▼昭和20年4月沖縄戦で沖縄本島陸軍北飛行場で米軍に鹵獲された「桜花」(陸軍の飛行場に桜花はあった)
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「桜花」の初出撃は昭和20年3月21日第1回神雷桜花特別攻撃隊出撃(桜花15機、一式陸攻18機、戦闘機35機)
第5航空艦隊司令長官 宇垣纏中将は、「この槍(桜花)使い難し」と承知しながらも、「坐して消耗するのを待つより」
として、721航空隊司令岡村大佐の「護衛が少なく作戦中止」との進言を退け、出撃を命令。
隊長野中五郎少佐は「これは湊川だよ(湊川の戦いのようなものだよ)」との言葉を残し出撃したと言う。
護衛機は計画70機、離陸58機、内エンジン不調で23機が引き返し35機の護衛のみであった
一式陸上攻撃機18機に桜花15機を搭載して出撃するも、アメリカ軍のレーダーで即座に探知され、米迎撃戦闘機に
攻撃され、わずか10分で全滅した。(護衛機10機も未帰還) 鹿屋基地出撃後わずか20分で150名以上が戦死。
 宇垣纏中将は作戦検証会議を召集、原因は、「一式陸攻が遅い」 「武装が貧弱」 「護衛が少なく練度が低い」
この作戦は無理と報告されながらも、その後も作戦継続、解隊までに829名の戦死者を出す無謀な作戦を継続した。
▼海軍鹿屋航空基地より出撃前の「桜花11型」を抱いた一式陸上攻撃機 「特攻兵器桜花発案者と家族」YouTube

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▼神雷部隊員が出撃前に打ち合わせをしている(右から2番目の顔の写っている方は、母機である一式陸上攻撃機
 操縦士で2度出撃し、奇跡的に生還された長浜敏行さん(宮崎県出身)

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▼海軍一式陸上攻撃機からの桜花11型落下テストの画像
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▼3/21「桜花」を抱き海軍鹿屋航空基地より出撃する一式陸上攻撃機
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「神雷部隊」は第721海軍航空隊の別称。
特攻兵器「桜花」を主戦兵器として新編成された、最初の航空特攻専門部隊。
「桜花」パイロット桜花隊、「桜花」を運搬する陸攻隊、掩護の戦闘機隊で編成。
▼出撃前の特攻隊員達(昭和20年6月小松基地で出撃前の訓示を受ける神雷部隊 第708飛行隊員達)

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※第708飛行隊は、一式陸上攻撃機に『桜花』を吊るし、敵艦船付近まで桜花を運ぶ部隊。
実際には米軍戦闘機の迎撃を受け、桜花発進までにほとんどが撃墜され、出撃すれば事実上の特攻だった。
一式陸上攻撃機の搭乗員は全部で8名。
正副の操縦員2名、偵察、電信、攻撃、統制、伝探、そして『桜花』に乗る特攻パイロットを合わせた8名だった。

第1回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年3月21日鹿屋より出撃(桜花15機、一式陸攻18機、戦闘機35機)
[桜花]
三橋謙太郎大尉(千葉県出身)/久保明中尉(石川県出身)/緒方襄中尉(熊本県出身)
村井彦四郎中尉(石川県出身)/山崎重二上飛曹(福井県出身)/杉本仁兵上飛曹(三重県出身)
服部吉春1飛曹(静岡県出身)/野口喜良1飛曹(茨城県出身)/島村中1飛曹(広島県出身)
重松義市1飛曹(佐賀県出身)/江上元治1飛曹(福岡県出)/清水昇2飛曹(新潟県出身)
矢萩達雄2飛曹(茨城県出身)/豊田義輝2飛曹(福岡県出身)/軽石正治2飛曹(岩手県出身)

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▲出撃前の三橋謙太郎大尉 3/21桜花隊は三橋謙太郎大尉他15名戦死。
桜花隊第一陣は桜花を抱いた一式陸上攻撃機「野中隊」が進撃中に敵艦隊にレーダーに捕捉され、正規空母ホーネット
と軽空母ベローウッドの迎撃戦闘機が野中隊を邀撃した。野中少佐が作戦中止を命じたのか、陸攻は編隊を組んだまま
急降下しつつ180°旋回し全速力で逃げたが、ベレンド小隊とホーネット隊VBF17は次々と一式陸攻を撃墜。
空戦の結果「野中隊」は18機全機撃墜され全滅。全機撃墜されるのにかかった時間はわずか20分程度であった。
護衛の零戦隊は30機中10機が未帰還という結果に終わった。
[陸攻]
野中五郎少佐(岡山県出身)/甲斐弘之大尉(宮崎県出身)/西原雅四郎大尉(愛媛県出身)
佐久間洋幸大尉(福島県出身)/糀澤義雄中尉(群馬県出身)/小関健治中尉(福島県出身)
小原正義中尉(鹿児島県出身)/新井等中尉(長野県出身)/柳正徳中尉(東京都出身)
成尾新五少尉(千葉県出身)/粕谷義蔵少尉(長野県出身)/内田正次郎少尉(三重県出身)
関野善太郎少尉(富山県出身)/松井清少尉(兵庫県出身)/上田四郎少尉(奈良県出身)
角 勉少尉(北海道出身)/佐村義男少尉(山口県出身)/土倉勉少尉(岡山県出身)
村松司飛曹長(福島県出身)/沼野利朗飛曹長(静岡県出身)/植村正次郎飛曹長(秋田県出身)
吉永正夫飛曹長(高知県出身)/駒 敏次飛曹長(京都府出身)/深澤 功飛曹長(静岡県出身)
高木信夫飛曹長(福島県出身)/長谷川俊夫飛曹長(新潟県出身)/瀬尾括三飛曹長(広島県出身)
木村信一飛曹長(秋田県出身)/木下忠雄上整曹(熊本県出身)/山川軍治上整曹(長崎県出身)
山本精上整曹(愛媛県出身)/河村勝喜上整曹(高知県出身)/宮田信吉上整曹(埼玉県出身)
梶内芳唯上整曹(岡山県出身)/常岡祥夫上整曹(福岡県出身)/石橋三郎上整曹(千葉県出身)
木原忠造上整曹(群馬県出身)/橋口敏男上整曹(鹿児島県出身)/大瀧五郎上整曹(山形県出身)
田北武文上整曹(大分県出身)/柳原武雄上整曹(長崎県出身)/阿部寅一上整曹(愛媛県出身)
仁平 守上整曹(茨城県出身)/谷 清郷上整曹(東京都出身)/作元政明上整曹(宮崎県出身)
落合正二上整曹(広島県出身)/内垣清上整曹(愛知県出身)/松岡源八上整曹(群馬県出身)
田中晃上整曹(福井県出身)/舛井清上整曹(山口県出身)/有働熊雄上整曹(熊本県出身)
山下功上整曹(佐賀県出身)/渋谷八郎上整曹(東京都出身)/黒木高三上整曹(宮崎県出身)
前山明利上整曹(広島県出身)/中村福住上整曹(香川県出身)/美並義治上整曹(奈良県出身)
竹谷駒吉上整曹(青森県出身)/座間幸之助上整曹(千葉県出身)/原 益男上整曹(長野県出身)
三上清上整曹(青森県出身)/三谷清上整曹(北海道出身)/石倉傳四郎上整曹(三重県出身)
川端清上整曹(北海道出身)/徳田 勇1飛曹(鹿児島県出身)/皆川嘉助1飛曹(埼玉県出身)
伊藤俊夫1飛曹(北海道出身)/後藤志郎1飛曹(秋田県出身)/渡邊 徹1飛曹(東京都出身)
小栗正夫1飛曹(岐阜県出身)/寺岡 昇1飛曹(愛媛県出身)/守田賀重1飛曹(徳島県出身)
吉田義男1飛曹(静岡県出身)/河井近士1飛曹(山口県出身)/竹内 靖1飛曹(高知県出身)
青木安夫1飛曹(大阪府出身)/芳木幸義1飛曹(兵庫県出身)/大日向三郎1飛曹(秋田県出身)
古賀 学1飛曹(熊本県出身)/福田安夫1整曹(埼玉県出身)/松尾登美雄2飛曹(長崎県出身)
石垣當晃2飛曹(東京都出身)/湯澤康男2飛曹(栃木県出身)/高橋幸太郎2飛曹(長崎県出身)
田中一貴2飛曹(福岡県出身)/会澤平四郎2飛曹(茨城県出身)/本間富久司2飛曹(神奈川県出身)
横田正英2飛曹(高知県出身)/山村 繁2飛曹(熊本県出身)/亀田尚吉2飛曹(栃木県出身)
有末辰三2飛曹(兵庫県出身)/島雄順次郎2飛曹(鳥取県出身)/穂積鉄一2飛曹(愛知県出身)
町田光正2飛曹(東京都出身)/谷塚梅三2飛曹(埼玉県出身)/橋本幸男2飛曹(三重県出身)
棚橋芳雄2飛曹(三重県出身)/胡桃経雄2飛曹(長野県出身)/跡邊武二郎2飛曹(宮城県出身)
鈴木 實2飛曹(東京都出身)/鈴木光雄2飛曹(静岡県出身)/元親 傳2飛曹(愛媛県出身)
鶴丸乕吉2飛曹(鹿児島県出身)/松島武雄2飛曹(静岡県出身)/会澤寿造2飛曹(茨城県出身)
八島養七2整曹(宮城県出身)/富山 勇2整曹(栃木県出身)/江部英夫2整曹(新潟県出身)
藤井 勇2整曹(香川県出身)/吉羽浦治郎2整曹(千葉県出身)/岩本 徹2整曹(宮崎県出身)
山内厚重2整曹(愛媛県出身)/山田一雄2整曹(静岡県出身)/小田重男2整曹(石川県出身)
幸西 博2整曹(愛知県出身)/茂木 晃飛長(千葉県出身)/江波戸輝行飛長(千葉県出身)
植木繁男飛長(東京都出身)/岡安 弘飛長(千葉県出身)/野澤金三飛長(新潟県出身)
高橋利三郎飛長(山形県出身)/加藤乕雄飛長(京都府出身)/早川忠雄飛長(長野県出身)
田房 力飛長(愛媛県出身)/塩田利雄飛長(香川県出身)/手塚晴好飛長(東京都出身)
坂本新一飛長(東京都出身)/内田 寛飛長(愛媛県出身)/松原保飛長(愛媛県出身)
塩崎竹千代飛長(和歌山県出身)/新美昭二飛長(愛知県出身)/藤岡和夫飛長(兵庫県出身)
田口末吉飛長(秋田県出身)/遠藤欽一飛長(東京都出身)
戦死160名(桜花15名、陸攻135名、戦闘機10名)戦果無し

※神風特別攻撃隊「小祿彗星隊」昭和20年3月24日沖縄県小祿(おろく)基地より「彗星」で出撃
(沖縄周辺機動部隊攻撃)
[操縦]前橋典美2飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]米森義治上飛曹(鹿児島県出身) 

※神風特別攻撃隊「小祿彗星隊」昭和20年3月25日沖縄県小祿(おろく)基地より「彗星」で出撃
(沖縄周辺機動部隊攻撃)
[操縦]石渕利也少尉(三重県出身)/[偵察]石川貫二中尉(長崎県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月27日喜界島基地より「彗星」で出撃
(沖縄本島周辺機動部隊攻撃)
[操縦]田中 巽2飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]佐藤一義少尉(徳島県出身) 
[操縦]細江志郎2飛曹(岐阜県出身)/[偵察]高橋紫壽雄上飛曹 (愛媛県出身)
[操縦]内田 続2飛曹(熊本県出身)/[偵察]武士精三1飛曹(茨城県出身)
[操縦]正木 廣2飛曹(千葉県出身)/[偵察]船橋良三1飛曹(愛知県出身)
[操縦]横山作二2飛曹(広島県出身)/[偵察]藤丸 哲上飛曹(大分県出身)
[操縦]谷 節夫少尉(和歌山県出身)/[偵察]椿  昇1飛曹(茨城県出身)
[操縦]菱沼  一飛長(埼玉県出身)/[偵察]廣田繁次郎1飛曹(広島県出身)
[操縦]木場 愛2飛曹(三重県出身)/[偵察]青木 清1飛曹(山口県出身)

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▲米駆逐艦ドーシー(USS Dorsey)
3/27特攻機の突入を受け乗組員3名死亡、2人が負傷した
※神風特別攻撃隊「第1銀河隊」昭和20年3月27日宮崎基地より「銀河」5機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]太田 博中尉(静岡県出身)/[偵察]田中三人1飛曹(石川県出身)/[電信]井上誠次郎1飛曹(愛知県出身)
[操縦]赤沼今朝幸上飛曹(長野県出身)/[偵察]山瀧信一1飛曹(長崎県出身)/[電信]谷野良秋1飛曹(石川県出身)
[操縦]杉浦忠三上飛曹(富山県出身)/[偵察]高橋惣吾中尉(福島県出身)/[電信]南里正利1飛曹(佐賀県出身)
[操縦]大井良美少尉(長崎県出身)/[偵察]福島照夫上飛曹(東京都出身)/[電信]工藤八郎1飛曹(大分県出身)
[操縦]松田 榮1飛曹(福岡県出身)/[偵察]峯政幸夫上飛曹(岡山県出身)/[電信]筒井武彦2飛曹(福岡県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水彗星隊」 昭和20年3月29日第1国分基地より「彗星」で出撃
(種子島南方機動部隊攻撃)
[操縦]伴  隆1飛曹(愛知県出身)/[偵察]菊池 久中尉(岩手県出身)
[操縦]山本 治少尉(京都府出身)/[偵察]川野 巌少尉(福岡県出身)

※神風特別攻撃隊「第1大義隊」昭和20年4月1日 石垣島基地より零戦で出撃
(宮古島南方機動部隊攻撃)
清水 武中尉(山口県出身)/酒井 正俊中尉(岐阜県出身)
松岡 清治2飛曹(埼玉県出身)/大田 静輝2飛曹(広島県出身)

Kamikaze Attack - Battle of OkinawaYouTube

第2回神雷桜花特別攻撃隊
昭和20年4月1日神雷部隊(第721海軍航空隊)02:20~鹿屋基地より出撃(桜花6機、一式陸攻6機)
[桜花]
麓 岩男1飛曹(広島県出身)/山内義夫1飛曹(岐阜県出身)/峰苫五雄2飛曹(鹿児島県出身)
※山内1飛曹の母機は山頂に衝突大破炎上。陸攻/桜花搭乗員全員事故死。
[陸攻]
宮原正少尉(熊本県出身)/後藤文衛上飛曹(愛媛県出身)/小松勉上飛曹(広島県出身)/松井昇上飛曹(北海道出身)
谷口三男1飛曹(宮崎県出身)/辻忠弘1飛曹(香川県出身)/松本勉1飛曹(佐賀県出身)/田川喜八郎2飛曹(福岡県出身)
高瀬正司2飛曹(大分県出身)/村岡正2飛曹(山口県出身)/實松春吉2飛曹(佐賀県出身)/村橋伴睦2飛曹(岐阜県出身)
高橋利三郎飛長(東京都出身)/宮川千代蔵飛長(香川県出身)/中川正範(鹿4)721空/
※陸攻1機、山頂に衝突大破炎上。場所等不明。
02:45陸攻1機(山村上飛曹搭乗)は鹿屋基地離陸後、米軍夜間戦闘機の攻撃を受け、海面に不時着水。    
翌日、生存者4名は佐多岬黒須村の漁民に救助された。

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▲4/1米戦艦ウェスト・バージニア(USS West Virginia)に特攻機が命中
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▲4/1米空母機動部隊の戦闘機に撃墜され、米駆逐艦により救出される日本軍パイロット。
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▲救出された日本軍パイロットが武器を持っていないか体をさぐる副艦長。
 海に投げ出された日本軍パイロットは9人確認されたが、他の日本兵は駆逐艦が近づくと、泳いで逃げたと言う。
 米空母機動部隊の戦闘機に撃墜されている事や、海上で9名もの投げ出された日本軍パイロットが確認されている事
 から、4/1鹿屋を出撃した第2回神雷桜花特別攻撃隊(一式陸上攻撃機3機+桜花3機)の搭乗員の可能性が高い。

※神風特別攻撃隊「第2銀河隊」昭和20年4月2日 宮崎基地より「銀河」1機で出撃
[操縦]木村義雄中尉(新潟県出身)/[偵察]中島襄一上飛曹(群馬県出身)/[電信]森 正勝上飛曹(島根県出身)

神風特別攻撃隊「神雷部隊第1建武隊」昭和20年4月2日 鹿屋基地より出撃(零戦4機)
矢野欣之中尉(京都府出身)/米田豊中尉(熊本県出身)/岡本耕安1飛曹(三重県出身)/佐々木忠夫2飛曹(広島県出身)

※神風特別攻撃隊「第2大義隊」昭和20年4月2日 石垣島基地より零戦で出撃
(沖縄方面機動部隊攻撃)
伊藤 喜代治中尉(東京都出身)

※神風特別攻撃隊「第2大義隊」昭和20年4月3日
(台湾)新竹基地より神風特別攻撃隊「忠誠隊」の直掩隊として零戦で出撃
山崎州雄中尉(鹿児島県出身)/深澤敏夫2飛曹(秋田県出身)/北浦義夫2飛曹(香川県出身)

※神風特別攻撃隊「第3銀河隊」昭和20年4月3日 宮崎基地より「銀河」3機で出撃
[操縦]氏本成文飛曹(愛媛県出身)/[偵察]河合達視少尉(宮城県出身)/[電信]町田六郎2飛曹(大阪府出身)
[操縦]中本志計雄飛長(兵庫県出身)/[偵察]切建兼雄2飛曹(熊本県出身)/[電信]野口一正2飛曹(福岡県出身)
[操縦]田中四郎吉飛長(山口県出身)/[偵察]宮谷和男1飛曹(大阪府出身)/[電信]讃井 榮2飛曹(福岡県出身)

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▲海軍双発爆撃機「銀河」

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊昭和20年4月3日 第1国分基地より「彗星」で出撃
(沖縄北部機動部隊攻撃)
[操縦]川部 裕少尉(東京都出身)/[偵察]今村信人上飛曹(三重県出身)
[操縦]安部茂夫中尉(広島県出身)/[偵察]古橋達夫少尉(東京都出身)
[操縦]米谷克窮少尉(北海道出身)/[偵察]小田憲二2飛曹(山口県出身)
[操縦]寺岡達二大尉(広島県出身)/[偵察]五井武男上飛曹(神奈川県出身)
[操縦]杉浦修少尉(   出身)/[偵察]岩崎正文2飛曹(   出身)
4/3出撃後、燃料漏れで燃料不足となった杉浦修少尉機は奄美大島に不時着した。その際、操縦の杉浦修少尉が戦死、
偵察の岩崎正文2飛曹は無事だった。

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▲神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊勇士

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月3日第1国分基地よりゼロ戦と「彗星」で出撃
(奄美大島南方機動部隊攻撃)
彗星 
[操縦]大塚一俊中尉(大分県出身)/[偵察]桑原清作郎上飛曹(山口県出身)
[操縦]島内省太上飛曹(佐賀県出身)/[偵察]目黒成雄2飛曹(新潟県出身)
ゼロ戦 
本田武夫中尉(宮城県出身)/本城 猛上飛曹(鳥取県出身)

神風特別攻撃隊「神雷部隊第2建武隊」昭和20年4月3日 鹿屋基地より出撃(零戦6機)
西伊和男中尉(三重県出身)/篠崎實1飛曹(東京都出身)/木村元一1飛曹(愛知県出身)/杉本徳義1飛曹(宮崎県出身)
井口出2飛曹(福岡県出身)/村田玉男2飛曹(京都府出身)

昭和20年4月3日沖縄近海で米護衛空母ウェーク・アイランド(CVE-65)へ特攻々撃をしかけ、撃墜された特攻機を写した
4枚の連続写真。機種は不明だが、4/3に出撃した海軍機と見られている。

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※神風特別攻撃隊「第4大義隊」昭和20年4月4日 石垣島基地より零戦で出撃
(沖縄方面機動部隊攻撃)
矢田 義治上飛曹(愛知県出身)

※神風特別攻撃隊「第5大義隊」昭和20年4月5日 07:15石垣島基地より零戦で出撃
(石垣島南方機動部隊攻撃)
小林 友一上飛曹(山梨県出身)/辻村 健一郎1飛曹(山口県出身)
直掩隊の香川克巳機、堀幸一機、大館和夫機の3機は花蓮港基地(台湾)に帰着している。
※昭和20年8月15日宜蘭基地(台湾)から特攻出撃直前に玉音放送が流れて出撃取り止めとなり、生き残った大館和夫氏が
 「池上彰の戦争を考えるSP」で色々証言されている、よくぞご無事で。

[ 菊水一号作戦 ]
昭和20年4月6日、以下の鹿屋基地や、九州の海軍基地から出撃した特攻隊、陸軍特別攻撃隊「振武隊」、海軍の台湾
航空基地などから出撃した特攻機は合計355機。これほどの大規模な特攻作戦が行われるのは初めての事であった。
この日の集中特攻々撃で、米艦船17隻が沈没し、(駆逐艦3隻・給兵艦2隻・陸揚艦1隻も含む)沖縄海上は地獄と化した

昭和20年4月6日神雷部隊「第3建武隊」 鹿屋より出撃(零戦18機)
森忠司中尉(佐賀県出身)/藤坂昇中尉(大阪府出身)/造酒康義上飛曹(香川県出身)/山田見日1飛曹(愛知県出身)
海野晃1飛曹(静岡県出身)/磯貝圭助1飛曹(愛知県出身)/蛭田八郎1飛曹(福島県出身)/宮川成人1飛曹(岩手県出身)
指田良男1飛曹(東京都出身)/唐澤高雄1飛曹(長野県出身)/甲斐孝喜1飛曹(宮崎県出身)
梅壽秀行2飛曹(徳島県出身)/桃谷正好2飛曹(広島県出身)/福岡彪治2飛曹(愛知県出身)
櫻井光治2飛曹(東京都出身)/伊藤庄春2飛曹(山形県出身)/斎藤清勝2飛曹(東京都出身)
船越治2飛曹(徳島県出身)

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」 昭和20年4月6日第1国分基地より「彗星」で出撃
(沖縄北部機動部隊攻撃)
[操縦]杉本孝雄1飛曹(富山県出身)/[偵察]百瀬甚吾中尉(長野県出身)
[操縦]川合 仁少尉(北海道出身)/[偵察]


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▲▼昭和20年4月6日慶良間列島海域で航行中の駆逐艦モリス(USS MORRIS)に特攻機が命中。
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※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月6日第1国分基地よりゼロ戦と「彗星」で出撃
(奄美大島南方機動部隊攻撃)
彗星 
[操縦]内田佳親上飛曹(福岡県出身)/[偵察]村井末吉少尉(徳島県出身)
[操縦]荒木 孝中尉(兵庫県出身)/[偵察]石坂和郎少尉(兵庫県出身)
[操縦]中島熊彦1飛曹(佐賀県出身)/[偵察]江田 泰1飛曹(千葉県出身)
[操縦]菅野健蔵1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]藤井 彰2飛曹(大阪府出身)
ゼロ戦 
宮本十三中尉(岡山県出身)/巻山不折2飛曹(新潟県出身)/山口一夫2飛曹(広島県出身)
山本富仁男2飛曹(愛媛県出身)

※神風特別攻撃隊「菊水天山隊」 昭和20年4月6日 串良基地より「天山」で出撃
(沖縄周辺機動部隊攻撃)
[操縦]山村英三郎少尉(大阪府出身)/[偵察]植島幸次郎少尉(東京都出身)/[電信]飛田與四郎2飛曹(茨城県出身)
[操縦]田中和夫2飛曹(石川県出身)/[偵察]大倉由人2飛曹(長野県出身)/[電信]河瀬 厚2飛曹(熊本県出身)
[操縦]熊澤庸夫少尉(東京都出身)/[偵察]荻原 武1飛曹(東京都出身)/[電信]川添多喜男2飛曹(岐阜県出身)
[操縦]野口吉正1飛曹(高知県出身)/[偵察]舛見 良雄少尉(福岡県出身)/[電信]望月九州男2飛曹(大分県出身)

※神風特別攻撃隊「第1草薙隊」 昭和20年4月6日 第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]高橋 義郎中尉(宮城県出身)/[偵察]時任 正明少尉(鹿児島県出身)
[操縦]中村 盛雄少尉(岩手県出身)/[偵察]桜井 利喜一2飛曹(山形県出身)
[操縦]阿部 英治少尉(東京都出身)/[偵察]長谷川 喜市2飛曹(群馬県出身)
[操縦]網田 浩之2飛曹(熊本県出身)/[偵察]船生 敏郎1飛曹(栃木県出身)
[操縦]大田 鎮雄2飛曹(熊本県出身)/[偵察]小田 好郎2飛曹(佐賀県出身)
[操縦]作田 幹雄中尉(大阪府出身)/[偵察]松本 厚少尉(京都府出身)
[操縦]太田 潔1飛曹(福岡県出身)/[偵察]佐山 一2飛曹(愛媛県出身)
[操縦]三井 位2飛曹(長野県出身)/[偵察]水品 清1飛曹(静岡県出身)
[操縦]吉岡 隆成2飛曹(広島県出身)/[偵察]斎藤 義正2飛曹(千葉県出身)
[操縦]中西 三津夫1飛曹(滋賀県出身)/[偵察]今井 敏夫2飛曹(宮城県出身)
[操縦]鈴木 幸一2飛曹(東京都出身)/[偵察]五十川 武夫2飛曹(愛知県出身)
[操縦]小鷹時雄上飛曹(山梨県出身)/[偵察]阪本 充少尉(熊本県出身)
[操縦]後藤友春1飛曹(宮城県出身)/[偵察]柏村成太郎2飛曹(茨城県出身)

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▲出陣式後、テーブルを囲んで訣別の宴に集う「第1草薙隊」隊員。

※神風特別攻撃隊「第1八幡護皇隊」 昭和20年4月6日 第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]円並地 正壮中尉(広島県出身)/[偵察]酒井 勗少尉(富山県出身)
[操縦]杉本 貢少尉(広島県出身)/[偵察] 
[操縦]北川 義助1飛曹(高知県出身)/[偵察] 
[操縦]瀬川 長造2飛曹(青森県出身)/[偵察]
[操縦]糀本 武次郎少尉(熊本県出身)/[偵察]堀川 功2飛曹(東京都出身)
[操縦]上野 晶惟少尉(鹿児島県出身)/[偵察] 
[操縦] 鈴木 芳蔵1飛曹(千葉県出身)/[偵察]
[操縦]土屋 大作中尉(千葉県出身)/[偵察]寺内 博中尉(栃木県出身)
[操縦]幾島 達雄少尉(福岡県出身)/[偵察] 
[操縦]生井 長三郎1飛曹(栃木県出身)/[偵察]
[操縦]椋木 慶2飛曹(島根県出身)/[偵察]
[操縦]古市 敏雄少尉(香川県出身)/[偵察] 
[操縦]末藤 肇少尉(福岡県出身)/[偵察]冨坂 弥右衛門少尉(大阪府出身)
[操縦]白崎 雅亮少尉(兵庫県出身)/[偵察] 
[操縦]大沢 政勝2飛曹(新潟県出身)/[偵察] 

※神風特別攻撃隊「菊水天山隊」 昭和20年4月6日 串良基地基地より艦上攻撃機「天山」で出撃
吉岡久雄中尉/武下 明少尉/山口武雄上飛曹/山村英三郎少尉/植島幸次郎少尉/飛田與四郎2飛曹
田中和夫2飛曹(石川県出身17歳)/望月九州男2飛曹(大分県出身17歳)/大倉由人2飛曹/河瀬 厚2飛曹
熊澤庸夫少尉/萩原 武1飛曹/川添多貴男2飛曹/野口吉正1飛曹/桝見良雄少尉/牧島治二1飛曹
齋藤録郎中尉/田邊 實2飛曹/高山 要1飛曹/野田 榮2飛曹/堤  勉2飛曹/嘉戸 仡1飛曹
岡 和夫2飛曹/太田末廣飛長/高島知善1飛曹/豐田 誠2飛曹/原 敬治上飛曹

※神風特別攻撃隊「第1八幡護皇隊」 昭和20年4月6日 串良基地基地より97式艦上攻撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]米山茂樹飛曹長(茨城県出身)/[偵察]山下 博大尉(島根県出身)/[電信]渡辺信行上飛曹(大分県出身)
[操縦]高橋恒夫中尉(東京都出身)/[偵察]山下克義中尉(福岡県出身)/[電信]松尾正義2飛曹(福岡県出身)
[操縦]金子 孝1飛曹(長崎県出身)/[偵察]国広哲司2飛曹(兵庫県出身)/[電信] 
[操縦]野中繁男中尉(愛知県出身)/[偵察]大藪 晃中尉(愛知県出身)/[電信]小西和夫2飛曹(東京都出身)
[操縦]片桐 實2飛曹(長野県出身)/[偵察] 大西久雄2飛曹(岐阜県出身)/[電信] 
[操縦]若麻績 隆少尉(長野県出身)/[偵察]長澤善亮少尉(福岡県出身)/[電信]帆北主水2飛曹(東京都出身)
[操縦]地主善一1飛曹(三重県出身)/[偵察]渡辺吉徳2飛曹(福岡県出身)/[電信]松木昭義2飛曹(愛媛県出身)
[操縦]貴島正明中尉(東京都出身)/[偵察]成田金彦大尉(青森県出身)/[電信]富田常雄2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]水野郁男2飛曹(岐阜県出身)/[偵察]田中 斌少尉(山口県出身)/[電信]東山 稔2飛曹(香川県出身)
[操縦]高橋光淳少尉(兵庫県出身)/[偵察]根岸敬次少尉(東京都出身)/[電信]皆川二三夫1飛曹(福島県出身)
[操縦]寺田泰夫少尉(石川県出身)/[偵察]松村嘉吉1飛曹(鹿児島県出身)/[電信]大和 久睦夫2飛曹(千葉県出身)
[操縦]福田東作中尉(東京都出身)/[偵察]藤井真治大尉(宮崎県出身)/[電信]大野憲一1飛曹(熊本県出身)
[操縦]尾川義雄上飛曹(山口県出身)/[偵察]伊藤濱吉2飛曹(三重県出身)/[電信]
[操縦]黒木七郎少尉(宮崎県出身)/[偵察]浅田正春少尉(大阪府出身)/[電信]鈴木米雄2飛曹(静岡県出身)

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▲百里原基地から串良基地へ向け発進直前の「正気隊」の海軍97式艦上攻撃機

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」天山隊 昭和20年4月6日 串良基地より「天山」で出撃
(沖縄周辺機動部隊攻撃)
[操縦]吉田信太郎少尉(滋賀県出身)/[偵察]澤 泰三2飛曹 (神奈川県出身)/[電信]皆川 淳2飛曹(茨城県出身)

※神風特別攻撃隊「第1護皇白鷺隊」 昭和20年4月6日 串良基地より97式艦上攻撃機で出撃
▼「第1護皇白鷺隊」97式艦上攻撃機のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」

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[操縦]佐藤 清大尉(大分県出身)/[偵察]伊藤直誉中尉(愛媛県出身)/[電信]松本源之進2飛曹(山口県出身)
[操縦]中安邦雄上飛曹(静岡県出身)/[偵察]岩本京一少尉(静岡県出身)/[電信]三井傳昌2飛曹(山梨県出身)
[操縦]福野重敏上飛曹(長崎県出身)/[偵察]竹内 孝少尉(福井県出身)/[電信]福喜多重一2飛曹(三重県出身)
[操縦]海田茂雄少尉(愛媛県出身)/[偵察]俵 一夢少尉(愛媛県出身)/[電信]渡邊與四三2飛曹(北海道出身)
[操縦]須藤 賢2飛曹(北海道出身)/[偵察]田原拓郎少尉(福岡県出身)/[電信]長島義茂2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]山田静夫上飛曹(熊本県出身)/[偵察]林田 直少尉(福岡県出身)/[電信]藤村 勉2飛曹(広島県出身)
[操縦]桝井利夫上飛曹(大阪府出身)/[偵察]志澤保吉少尉(神奈川県出身)/[電信]堀江敬司2飛曹(富山県出身)
[操縦]石井恭三郎飛曹長(山口県出身)/[偵察]湯川俊輔少尉(大阪府出身)/[電信]天野吉三2飛曹(京都府出身)
[操縦]近田三郎上飛曹(岐阜県出身)/[偵察]岡田 正少尉(徳島県出身)/[電信]辻 安治2飛曹(奈良県出身)
▼「第1護皇白鷺隊」97式艦上攻撃機のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」

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[操縦]山田鉄雄少尉(東京都出身)/[偵察]大岩虎吉少尉(愛知県出身)/[電信]保村正一2飛曹(大阪府出身)
[操縦]佐薙 志郎2飛曹(愛媛県出身)
[操縦]松永敏比古少尉(台北出身)/[偵察]溝川 隆少尉(兵庫県出身)/[電信]小林昭二朗2飛曹(東京都出身)
[操縦]副島幸雄1飛曹(長崎県出身)/[偵察]小室静雄少尉(島根県出身)/[電信]野田哲夫2飛曹(新潟県出身)

※神風特別攻撃隊「第1正統隊」昭和20年4月6日 第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]桑原 知大尉(広島県出身)/[偵察]千葉正史飛曹長(岩手県出身)
[操縦]和田喜一郎中尉(富山県出身)/[偵察]柳江秀男少尉(岐阜県出身)
[操縦]石川宗夫上飛曹(茨城県出身)/[偵察] 利根川吉郎2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]牛尾久二中尉(山口県出身)/[偵察]本田實蘊少尉(熊本県出身)
[操縦]駒井重雄上飛曹(京都府出身)/[偵察]武田武雄2飛曹(長野県出身)
[操縦]横山忠重大尉(神奈川県出身)/[偵察]森山唯雄飛曹長(大分県出身)
[操縦]加藤三郎少尉(岐阜県出身)/[偵察]山内文夫2飛曹(静岡県出身)
[操縦]沓名達夫飛曹長(愛知県出身)/[偵察]中本昭二2飛曹(山口県出身)
[操縦]前橋誠一中尉(鹿児島県出身)/[偵察]高橋元一少尉(千葉県出身)
[操縦]加藤啓一上飛曹(福島県出身)/[偵察]岩松利光2飛曹(茨城県出身)
[操縦]浜園重義※生還者(戦後、映画『ホタル』のモデルとなった)/[偵察]中島一雄※生還者
※生還者の浜園重義さん、中島一雄さんは日系アメリカ人「リサ・モリモト」監督作品TOKKO 特攻 で当時を語っ
ておられます。(2012年浜園重義さん死去)

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▲海軍99式艦上爆撃機
※沓名達夫飛曹長(愛知県出身享年23歳)は出陣式の際、宇垣纏中将に「私は敵艦に爆弾を命中させる自信があります、
 その時は帰ってきても宜しいですか」と訪ねた、それに対し宇垣纏中将は「まかりならん!」と一蹴したと言う。
 その時の様子を生還者の浜園重義さんが語っておられます。「特攻」YouTube

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▲神風特別攻撃隊「正統隊」勇士

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▲米駆逐艦ニューコム(USS Newcomb)昭和20年4月6日午後、日本軍は菊水一号作戦を発動して神風特攻隊を大量投入。
 空は少なくとも40機はいるであろう神風特攻隊と、対空砲火からの黒煙で埋め尽くされていた。
 ニューコムは高速で回避運動を行い16:25と17:00には特攻機を撃墜。いったん特攻機の飛来が止まったので、ニュ
 ーコムはモートン・デヨ少将の火力支援部隊に合同するため25ノットの速度で航海を開始した。
 しかし中休みは間もなく終わり、対空砲火から逃れていた特攻機が突入してきた。
 ニューコムは対空砲火を撃ちあげたものの、1機がニューコムの2番煙突に突入。間を置かず2機目がニューコムの砲塔に
 3機目が船体中央部にそれぞれ命中してニューコムの船体中央は火を噴く廃墟と化した。

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 難破船荒らしに襲われたかのように・・・。不随となったニューコムに対して4機目の神風が船体中央部に突入。
 火勢を強める役割を果たした。僚艦ロイツェ(USS Leutze, DD-481)が消火のためニューコムに横付けしたが、
 この時、新たな特攻機がニューコムに突入しようとしていた。ニューコムは辛うじて一番砲塔が人力での操作が
 可能であり、偶然5機目の特攻機がいた方角を向いていたためそのまま発砲。
 しかし、5機目もニューコムの中央部に命中し、弾みでロイツェの艦尾にも命中して損害を与えた。
 完全に動力を失ったニューコムは戦死18名、行方不明25名、負傷64名を出し、ビール(USS Beale, DD-471)
 の護衛と艦隊曳船テケスタ(USS Tekesta, ATF-93)の曳航により慶良間諸島の泊地に向かった。

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▲米駆逐艦ロイツェ (USS Leutze)4/6この時、特攻機1機命中。1名戦死、30名負傷。
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▲▼慶良間諸島の泊地で修理を受ける駆逐艦ニューコム(USS Newcomb)昭和20年4月15日撮影。
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※昭和20年4月6日神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊 第1国分基地より「彗星」4機で出撃
[操縦]杉本 孝雄1飛曹(富山県出身)
[操縦]百瀬 甚吾中尉(長野県出身)沖縄北端90度85浬 突入戦死。
[操縦]川合 仁少尉(北海道出身)
[操縦]茅原 幸蔵飛長 ※奄美大島に不時着。

※昭和20年4月6日神風特別攻撃隊「第1八幡護皇隊」第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]円並地 正壮中尉(広島県出身)/[偵察]酒井 勗少尉(富山県出身)
[操縦]杉本  貢少尉(広島県出身)/[偵察] 
[操縦]北川 義助1飛曹(高知県出身)/[偵察] 
[操縦]瀬川 長造2飛曹(青森県出身)/[偵察]
[操縦]糀本 武次郎少尉(熊本県出身)/[偵察]堀川 功2飛曹(東京都出身・乙飛18期)
[操縦]上野 晶惟少尉(鹿児島県出身)/[偵察] 
[操縦]鈴木 芳蔵1飛曹(千葉県出身)/[偵察]
[操縦]土屋 大作中尉(千葉県出身)/[偵察]寺内  博中尉(栃木県出身)
[操縦]幾島 達雄少尉(福岡県出身)/[偵察] 
[操縦]生井 長三郎1飛曹(栃木県出身)/[偵察]
[操縦]椋木 慶2飛曹(島根県出身)/[偵察]
[操縦]古市 敏雄少尉(香川県出身)/[偵察] 
[操縦]末藤  肇少尉(福岡県出身)/[偵察]冨坂 弥右衛門少尉(大阪府出身)
[操縦]白崎 雅亮少尉(兵庫県出身)/[偵察] 
[操縦]大沢 政勝2飛曹(新潟県出身)/[偵察] 

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▲4/6米駆逐艦モリス(USS Morris)に神風特攻機が突入、爆発によって大火災が発生、大破した。

昭和20年4月6日神風特別攻撃隊として鹿屋基地より出撃(零戦45機 第1神剣隊/第1七生隊/第1筑波隊)
神風特別攻撃隊「第1七生隊」13機
宮武信夫大尉/橋本哲一郎少尉/松藤大治少尉/河野正男少尉/田中久士少尉/吉村信夫少尉
山田興治少尉/鷲見敏郎少尉/小林哲夫少尉/植木平七郎少尉/本庄巌少尉/久保田博少尉
森丘 哲四郎少尉(エンジントラブルで不時着。4/29第5七生隊として再度出撃し散華)
4/6元山空で編成された第1七生隊の森丘哲四郎少尉はエンジン故障で奄美大島伊須湾の阿木名海岸に機体を大破させる
事なく不時着した。森丘少尉は多少の怪我をしたが生命に別条はなかった。駆け付けた住民や駐屯の部隊の手厚い看護で
直ぐに回復した。その後森丘少尉は古仁屋に移動し、徳之島に不時着して古仁屋に来ていた偵察第11飛行隊の神園望大尉
と、同じ水上機に同乗し、佐世保基地に帰還。そして4/29「第5七生隊」の一員として再度出撃、散華している。
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▲「第1七生隊」零戦21型隊長 宮武信夫大尉のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
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▲「第1七生隊」零式練習戦闘機11型 山田興治少尉機のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
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▲昭和20年4月5日(朝鮮)青木泰二郎元山空司令に敬礼し、出発の報告をする「七生隊」隊員。
▼「七生隊」原隊である朝鮮「元山航空隊」の別れの宴。(現在の北朝鮮「元山飛行場」にて)

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※昭和20年8月11日元山(朝鮮)青木泰二郎司令(左中央)は、敗戦確実と知るや元山海軍基地から家族ぐるみで日本に逃亡。
 青木泰二郎海軍大佐は昭和17年(1942)4月25日に空母「赤城」艦長に就任。しかし就任2ヶ月に満たない同年6月5日
 ミッドウェー海戦において「赤城」は被弾・炎上。青木は沈没まで指揮をとり、乗組員の退艦を図った。
 帰国後7月14日付けで予備役に編入されたが、召集を受け海南警備府附となる。その後は海口海軍航空隊、佐世保海軍
 航空隊、元山海軍航空隊の各司令を勤めた。元山空で終戦を迎える直前、青木は内地に飛行機で戻り、残された隊員達
 はソ連軍の捕虜となりシベリアに抑留された。このことから青木の行動を「敵前逃亡」と非難する元部下も多くいる。
 昭和37年(1962)死去。
 山本五十六の映画等でミッドウェー海戦は必ずと言って良い程出てくる。その登場人物ではミッドウェー海戦敗退の責
 任を背負って空母「飛龍」と運命を共にした山口多聞司令官やサイパン島で自決した南雲忠一長官が有名だが、ミッド
 ウェー海戦で沈没した空母「赤城」艦長の話はあまり聞かない・・・。
 空母「加賀」艦長岡田次作大佐は艦と共に戦死、空母「蒼龍」艦長柳本柳作大佐も艦と共に戦死。

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※元山飛行場とは現在の北朝鮮にあった日本海軍の航空基地
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▲▼元山飛行場から鹿屋に向け出発する直前の「七生隊」零式練戦5機、ゼロ戦21型 2機。
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▲神風特別攻撃隊「第1神剣隊」別れの杯 遠藤益司少尉他
神風特別攻撃隊「第1神剣隊」16機
松林平吉中尉中尉(山口県出身)/大森晴二少尉(東京都出身)/遠藤益司少尉(福島県出身)
岩崎慧少尉(和歌山県出身)/加藤安男候補生(長野県出身)/西田博治候補生(北海道出身)
種村名候補生(山形県出身)/武井信夫候補生(山梨県出身)/田端真二上飛曹(神奈川県出身)
谷尾計雄上飛曹(愛媛県出身)/鈴木克実2飛曹(愛知県出身)/花水昭二郎2飛曹(長野県出身)
平出幸治2飛曹(栃木県出身)/平田善次郎2飛曹(大分県出身)/吉竹辰夫2飛曹(福岡県出身)
河村俊光2飛曹(佐賀県出身)
▼神風特別攻撃隊「神剣隊」出陣記念として撮影されたもの

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神風特別攻撃隊「第1筑波隊」16機
福寺薫中尉(岡山県出身)/石田寛中尉(岡山県出身)/末吉實中尉(広島県出身)/金子保中尉(福島県出身)
石橋申雄中尉(佐賀県出身)/伊達實少尉(岡山県出身)/福島正次少尉(東京都出身)/大田博英少尉(鳥取県出身)
斎藤勇少尉(北海道出身)/金井正夫少尉(群馬県出身)/椎木鐡幸少尉(岡山県出身)/山口人久少尉(三重県出身)
松本知恵三1飛曹(広島県出身)/村山周三2飛曹(長野県出身)/安田善二2飛曹(宮崎県出身)/河村祐夫2飛曹(山口県出身)

※昭和20年4月6日菊水一号作戦で乗組員3302名を乗せて、呉を水上特攻出撃した戦艦大和。

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昭和20年4月7日14時23分、北緯30度22分東経128度4分 戦艦大和沈没 その時歴史は動いた 戦艦大和の沈没YouTube
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※神風特別攻撃隊「第4銀河隊」昭和20年4月7日 宮崎基地より「銀河」4機で出撃
[操縦]松浪武正上飛曹(大分県出身)/[偵察]岡林春實上飛曹(高知県出身)/[電信]
[操縦]横畑一吉飛長(広島県出身)/[偵察]保刈良男1飛曹(新潟県出身)/[電信]片村利男上飛曹(福岡県出身)
[操縦]三木 光少尉(香川県出身)/[偵察]遠藤良一上飛曹(大阪府出身)/[電信]岡崎宇市2飛曹(岐阜県出身)
[操縦]波田敏之2飛曹(三重県出身)/[偵察]成瀬光吉2飛曹(愛知県出身)/[電信]大塚忠保2飛曹(徳島県出身)


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▲4/7海軍爆撃機と見られる特攻機が戦艦アイダホの対空砲撃で右翼端を被弾しながらも戦艦アイダホ(BB-42)に
 特攻々撃を行おうとする瞬間を捉えた写真。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」昭和20年4月7日 第1国分基地より「彗星」で出撃
[操縦]中川紀雄飛曹長(広島県出身)/[偵察]國安 登大尉(東京都出身)
[操縦]倉智宣明上飛曹(福岡県出身)/[偵察]村瀬良吉2飛曹(福岡県出身)
[操縦]松倉弘文少尉(富山県出身)/[偵察]大島 勇2飛曹(静岡県出身)
[操縦]清水雅春2飛曹(長野県出身)/[偵察]池田榮吉1飛曹(新潟県出身)
[操縦]庄屋次郎少尉(石川県出身)/[偵察]富樫惣吉上飛曹(秋田県出身)
[操縦]上田博重1飛曹(愛知県出身)/[偵察]上川安則2飛曹(香川県出身)
[操縦]谷川隆夫少尉(島根県出身)/[偵察]佐久間 務少尉(群馬県出身)
[操縦]工藤双二少尉(山形県出身)/[偵察] 
[操縦]安藤 勝1飛曹(福岡県出身)/[偵察]小林久光2飛曹(茨城県出身)
[操縦]山内末廣上飛曹(熊本県出身)/[偵察]
[操縦]星川清久1飛曹(山形県出身)/[偵察]

USS Maryland
▲4/7夜、米戦艦メリーランド(USS Maryland)へ「第3御楯隊」か252部隊が突入の瞬間。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月7日第1国分基地よりゼロ戦で出撃
(奄美大島南方機動部隊攻撃) 
富岡崇吉中尉(茨城県出身)/志田登志雄少尉(東京都出身)/山中 彩少尉(長崎県出身)
小田正太2飛曹(岡山県出身)/西尾 實2飛曹(千葉県出身)

神風特別攻撃隊「神雷部隊第4建武隊」昭和20年4月7日 鹿屋基地より出撃(零戦9機)
(喜界島南方機動部隊攻撃)
日吉恒夫中尉(静岡県出身)/西尾光夫中尉(東京都出身)/木口久1飛曹(兵庫県出身)
浅田晃一1飛曹(愛知県出身)/林清1飛曹(茨城県出身)/大森省三2飛曹(愛媛県出身)
長谷川久榮2飛曹(山形県出身)/井辰勉2飛曹(大阪府出身)/山田恵太郎1飛曹(東京都出身)

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▲▼4/7米空母ハンコック(USS Hancock)に「第4建武隊」と見られる零戦が突入、大破させた。
 乗組員62名死亡71名が負傷し、空母ハンコックは、修理の為、真珠湾へ後退した。

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昭和20年4月11日神雷部隊「第5建武隊」鹿屋基地より出撃(零戦13機)
4/11 14:43鹿屋基地を出撃した神風特別攻撃隊第五建武隊の爆装零戦が低空飛行により米戦艦ミズーリの右舷甲板
に体当たりを敢行した。▼がまさにその瞬間を撮らえた写真である。

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特攻機の右翼がミズーリの第3副砲塔上部に当たり、燃料に引火し炎上。しかし搭載爆弾は不発・・・。ミズーリは表面
に損傷を受けた程度で速やかに消火作業が行われ鎮火している。その後、搭乗員の遺体(ほぼ上半身のみ)が40mm機銃
座から回収された。

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ミズーリ艦長ウイリアム・キャラハン海軍大佐は、多くの乗組員の不満の声があがるなか、「この日本のパイロットは我
々と同じ軍人である。生きている時は敵であっても今は違う。激しい対空砲火を掻い潜ってここまで接近してきたパイロ
ットの勇気と技量は、同じ武人として称賛に値する。よってこのパイロットに敬意を表し、水葬に付したい」とし、翌朝
9時艦上にて米海軍のしきたりに則り、星条旗に包まれた遺体は木製の担架に乗せられ、5発礼砲と共に海に葬られた。
(日本海軍特攻隊員水葬が行われた4/12の午後、「ミズーリ」は再び特攻機による猛攻を受けた)

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カミカゼ2000分の1の航跡(戦艦ミズーリに突入した隊員を探し求めて)1
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カミカゼ2000分の1の航跡(戦艦ミズーリに突入した隊員を探し求めて)2
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カミカゼ2000分の1の航跡(戦艦ミズーリに突入した隊員を探し求めて)3
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カミカゼ2000分の1の航跡(戦艦ミズーリに突入した隊員を探し求めて)4

ミズーリに突入した隊員は石井兼吉2飛曹か石野節男2飛曹のどちらかと見られている。
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     石井兼吉2飛曹            石野節男2飛曹
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  矢口重寿中尉 /  市毛夫司1飛曹 /  西本政弘1飛曹 / 久保田久2飛曹 /  横尾佐資郎中尉
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 斎藤義男2飛曹 /  宮崎久男1飛曹 / 曽我部隆2飛曹 / 嶋立毅中尉/竹野弁治1飛曹/八幡高明上飛曹

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▲戦艦「ミズーリ」艦長ウィリアム・キャラハンは1897年8月8日サンフランシスコ生まれ。7歳年上の兄の後を追って、
1915年アナポリス(海軍兵学校)に入校、1944年1月に就役した戦艦「ミズーリ」初代艦長に任命された。
朝鮮戦争では、太平洋艦隊司令長官となり、1957年に海軍中将で退役するまで、極東地域最高司令官を務めた。
沖縄戦の3年前、巡洋艦「サンフランシスコ」艦長であった実兄ダニエル・キャラハン少将を第三次ソロモン海戦で失う
にもかかわらずキャラハン艦長の私情を越えた信条、人間の大きさに感服してしまう。
1991年7月8日93歳でその生涯を閉じた。

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▲戦艦「ミズーリ」 後にこの船の甲板上で日本の降伏文書調印式が行われた。
※2016年10月11日、米戦艦ミズーリに体当たりした零戦の主翼の一部が米側から海上自衛隊鹿屋航空基地史料館に
寄贈された。常設展示する史料館は「平和や友好を後世に語り継ぐシンボルとして活用したい」としている。
寄贈されたのは右翼の破片で、縦横約15センチのジュラルミン製。
米ホノルルの戦艦ミズーリ記念館で保管されていたが、2014年に史料館を訪れた事のある元米空軍大佐のエドウィン・
ホーキンスさん(67)が、「鹿屋で展示するのがふさわしい」として、寄贈するよう記念館に持ちかけた。
記念館の学芸員、マイク・ワイデンバックさん(66)などによると、零戦の操縦士は岡山県出身の石野節雄2等飛行兵曹(
当時19歳)とみられるという。(沖縄翼友会より抜粋)


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▲出撃直前に撮影された矢口重寿中尉
4/11出撃の隊員の中に矢口重寿中尉がいる、矢口重寿中尉の爆装零戦は12:15鹿屋を出撃。
喜界島南方の米機動部隊に向かい、米空母フランクリンを護衛していた米駆逐艦キッドに突入したとされている。
キッドに何機の特攻機が突入したかは不明だが、16:10爆装零戦が左舷に命中。死者38名、負傷者50名以上を出し、
損傷したキッドはウルシー泊地に撤退した。しかし1機の爆装零戦は駆逐艦キッドの対空砲火で撃墜され、パイロット
は落下傘で機内から脱出したが、キッドの乗組員が、そのパイロットを捕虜にしようと引き揚げた時には既に死亡して
いた。血気にはやる数人のキッド乗組員達は日本人パイロットの遺体をナイフできりつけ、耳を殺ぎ落としたり、首を
はねたりなど、非道な行為にはしった。中には、下顎を頭蓋骨からはずし、それで装飾品を作った者もいた。
キッドの乗組員ビル・バーンハウスは艦長と共この非道な行為を止めさせた。
後日、このパイロット(矢口重寿中尉)の遺体は艦長の指揮のもと、アメリカ海軍の伝統にのっとり水葬にふされた。
しかし非道な行為を受けた矢口重寿中尉であろう遺体の頭部がキッドの艦内に残っていた様だ・・・。

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▲駆逐艦キッド(USS Kidd)
(以下 駆逐艦キッドの戦友会から以下引用)
「あのパイロットのことは、私が一番よく知っているよ」 「どういう意味ですか?」
「私の名前を出さないのなら話してあげてもいいのだが・・・」私は約束した。 この老人は私の顔を見ながら言った。
「パイロットの頭から頭蓋骨を取り出したのは私です」一瞬耳を疑った。
この男は、当時駆逐艦キッドの機械工のチーフであり、第一エンジンルームの責任下士官であった。
彼が、パイロットの頭部を発見したのは、キッドがサンフランシスコ近くのハンターズポイント海軍修理工場に帰港し
た1ヶ月後だった。特攻攻撃を受けてから2ヶ月以上後の事であった。頭部はかなり腐乱していたが、アルコールで洗い
落とし、頭蓋骨だけ取り出し、船のマストに飾ったと言う。 戦争が終わり、彼はこの頭蓋骨をペンシルバニアの実家に
持ち帰った。 しかし、良心に苛まれて、当時ある大学に通っていた友人にその頭蓋骨を渡し、大学に寄付してくれる様
に依頼したそうである。 その後、その頭蓋骨がどうなったかは、彼は知らないと言う。この噂は以前からあった。
しかし、その当事者が名乗りでてくるとは正直思ってもいなかった。
略)日本兵の頭から頭蓋骨を取り出して故郷の恋人に土産として送った海兵隊隊員もいたぐらいである。
キッドでこの様なことが起きても不思議ではなかった。 実際、キッドが特攻攻撃を受けた以前に、ある時死亡した日本
兵を海から引き上げた事があった。ある米水兵がその日本パイロットの頭蓋骨から、下顎を取り出して飾りを作ったと
いう話があった。この話は、戦友会で数人に確認がとれている。この件についてキッド博物館に尋ねたら、以前その大
学に実際に問い合わせた事があると言う。大学側は否定も肯定もしなかった。単に記録がないと答えたそうである。
私は大学の名前を教えてくれるよう頼んだ。 しかし博物館はそれを拒んだ。この一件はまだ未解決であり、将来的に答
えが出るかどうかも解っていない。後に、駆逐艦キッドへ体当たりした矢口重寿中尉の追悼式をキッド戦友会の催しの
一部として出来ないかという話が、アメリカ人弁護士から持ち上がった時に、キッド戦友会だけでなく、キッド博物館
理事会 からも拒絶された事について、著者は私見ではあるが、アメリカ人は普通自分たちが完全勝利した相手には寛大
である。 しかしキッドへの体当たり攻撃に関して言えば、最終的には戦争に勝利したが、この戦闘には負けたのである
だからいつまでも恨みを持ち続けるのではないだろうか。 私の30年以上のアメリカでの生活で得た印象では、アメリ
カ人は勝てばGracious Winner(偉大な勝者)にはなれるが、負けた場合はSore Loser(不快な敗者)になりがち
である。今回もその例のひとつではないだろうか。 としている・・・。
(1964年6月19日駆逐艦キッドは退役しルイジアナ州バトンルージュにおいて博物館として保存されている)
[ 参考文献 ] 平義克己『我敵艦ニ突入ス 駆逐艦キッドとある特攻、57年目の真実』扶桑社、2002


USSNEWJERSEYkamikaze_convert_20160921120024.jpg
▲昭和20年4月11日米艦船対空砲火で撃墜され水面に衝突して爆発する特攻機(戦艦ニュージャージーから撮影)

※神風特別攻撃隊「第5銀河隊」昭和20年4月11日 宮崎基地より「銀河」で出撃
(喜界島南方機動部隊攻撃)
[操縦]山本裕之大尉(福岡県出身)/[偵察]小薬 武飛曹長(栃木県出身)/[電信]佐藤武司(岐阜県出身)
[操縦]酒井啓雄1飛曹(神奈川県出身)/[偵察]佐野國雄1飛曹(静岡県出身)/[電信]坂田 伸1飛曹(宮崎県出身)
[操縦]永井茂1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]工藤丑雄1飛曹(秋田県出身)/[電信]長岡友正上飛曹(北海道出身)
[操縦]上野善治少尉(栃木県出身)/[偵察]神尾穣上飛曹(福井県出身)/[電信]加茂敏雄1飛曹(茨城県出身)

Force58kamikaze_convert_20160921113721.jpg
▲▼昭和20年4月11日(沖縄近海)第58機動部隊の対空攻撃。特攻機は空母エセックスの直ぐ向こう側で爆発した。
ENTERPRISEkamikazesikin.jpg

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▲昭和20年4月11日(沖縄近海)沖縄本島近海で空母エンタープライズの砲撃で特攻機が海面に墜落し爆発した。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月11日第1国分基地よりゼロ戦4機(601部隊)と「彗星」で出撃
(奄美大島南東機動部隊攻撃)
彗星 
[操縦]本田 實大尉(神奈川県出身)/[偵察]塩見季彦少尉(大阪府出身)
[操縦]黒谷 昇2飛曹(大阪府出身)/[偵察]竹下 博上飛曹(広島県出身)
[操縦]平野正志2飛曹(群馬県出身)/[偵察]宮川 嵒2飛曹(大分県出身)
ゼロ戦 
安田卓郎2飛曹(喜界島南方で米F6F群と交戦、戦死)/平賀左門2飛曹(喜界島南方で米F6F群と交戦、戦死)
桂正中尉(喜界島南方で米F6F群と交戦、被弾し、徳之島陸軍飛行場に不時着するが機体が転覆し重傷を負う)
1機は徳之島陸軍飛行場に不時着。

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▲昭和20年4月11日(沖縄近海)対空砲で撃墜され、軽巡洋艦ウィルクス・バールから数ヤード内に墜落する特攻機。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊昭和20年4月11日 第1国分基地よりゼロ戦で出撃
竹下 博上飛曹/宮川 嵒2飛曹/木村 浩1飛曹(喜界島不時着)/桂 正中尉(徳之島陸軍飛行場不時着時転覆大破)
※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」昭和20年4月11日 第1国分基地よりゼロ戦で出撃
安田卓郎2飛曹(広島県出身)/平賀左門2飛曹(三重県出身)


第3回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年4月12日午前4時30分鹿屋基地より出撃(桜花8機、一式陸攻8機)
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▲4/12第3回神雷桜花特別攻撃隊出撃前の(攻撃708飛行隊)桜花を抱いた一式陸上攻撃機。「721-K05」
[桜花]
今井遉三中尉(新潟県出身享年24歳)/岩下英三中尉(群馬県出身)/土肥三郎中尉(兵庫県出身享年22歳)
山田力也1飛曹(香川県出身)/鈴木武司1飛曹(広島県出身)/光斎政太郎2飛曹(大阪府出身)
飯塚正巳2飛曹(群馬県出身)/朝霧二郎2飛曹(岡山県出身)
[陸攻]
野上祝男中尉(茨城県出身)/佐藤正人少尉(東京都出身)/森島偀一郎少尉(静岡県出身)
菊池辰男飛曹長(福島県出身)/真鍋 義孝上飛曹(愛媛県出身)/古賀三郎上飛曹(福岡県出身)
新井國夫上飛曹(広島県出身)/熊倉稠上飛曹(新潟県出身)/今崎利彦1飛曹(大阪府出身)
竹中武春1飛曹(兵庫県出身)/北島数巳1飛曹(佐賀県出身)/小島典吾1飛曹(福岡県出身)
平野利秋1飛曹(愛知県出身)/北村数巳1飛曹(熊本県出身)/中村英雄1飛曹(長崎県出身)
内海清1飛曹(香川県出身)/田中道徳1飛曹(鹿児島出身)/中重正2飛曹(三重県出身)/鬼木俊勝2飛曹(福岡県出身)
住吉敬二2飛曹(東京都出身)/岸田幸夫2飛曹(徳島県出身)/武田竹司2飛曹(長野県出身)/稲垣只次2飛曹(愛知県出身)
竹中三男2飛曹(岐阜県出身)/惣谷喜一2飛曹(北海道出身)/木下善一郎2飛曹(長野県出身)
※菅野善次郎2飛曹(当時18歳)土肥三郎中尉の桜花と母機を切り離す「投下索」を引き終戦まで生き抜いて戦後、
 当時の様子を証言されてます。[証言記録 兵士たちの戦争]
古竹丈夫2整曹(佐賀県出身)/中込七百太郎2整曹(山梨県出身)/岡島正平2整曹(石川県出身)/重村平治2整曹(長崎県出身)
仲野 源太郎飛長(埼玉県出身)/室橋源一飛長(新潟県出身)/橋井昭一飛長(鳥取県出身)/吉田勇助飛長(茨城県出身)
水野宏飛長(愛知県出身)/
この日、一式陸上攻撃機+桜花の護衛任務だった元ゼロ戦搭乗員「野口 剛」さんYouTubu最後のインタビュー3
土肥中尉の 操縦する桜花は、三浦少尉が操縦する母機・一式陸上攻撃機(一式陸攻)から切り離され、火薬ロケットを
噴進、敵迎撃戦闘機がどうすることもできない速度と なって滑空し、14:46米駆逐艦マナート・L・エベールに突入。
マナート・L・エベールは命中刹那に艦隊中央部が粉々に消し飛んで真っ二つに折れ、3分で沈没、79名戦死した。
土肥三郎中尉が桜花で体当たりする数分前、マナート・L・エベールには3機の特攻機(零戦)が体当たりを敢行、2機
が撃墜されるも、1機が体当たりに成功。その約1分後、航行不能となった所に桜花がとどめを刺した形になった。
マナート・L・エベールは沖縄戦において桜花によって撃沈された唯一の艦である。KAMIKAZE 桜花

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▲駆逐艦マナート・L・エベール(USS Mannert L. Abele)
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▲駆逐艦駆逐艦スタンリー(USS Stanly)
桜花1機が艦首部分に命中したが、弾頭が船体を貫通し不発、負傷者3名で済んだが船体の損傷が大きく、沖縄で応急
修理の後、アメリカ本土に回航、1946年に除籍。

※神風特別攻撃隊「第2至誠隊」 昭和20年4月12日 串良基地より97式艦上攻撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]津久井正夫少尉(兵庫県出身)/[偵察]町田三郎上飛曹(鹿児島県出身)

※神風特別攻撃隊「第2草薙隊」 昭和20年4月12日 第2国分基地より99式艦上攻撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]高橋 渡少尉(東京都出身)/[偵察]田村諌雄2飛曹(福岡県出身)
[操縦]高瀬義則2飛曹(福岡県出身)/[偵察]宮崎光夫2飛曹(山口県出身)

※神風特別攻撃隊「第2護皇白鷺隊」 昭和20年4月12日串良基地より97式艦上攻撃機で出撃
[操縦]野元 純候補生(長崎県出身)/[偵察]菅田三喜雄候補生(岩手県出身)/[電信]澤田久雄2飛曹(大阪府出身)
[操縦]田中謙四郎2飛曹(東京都出身)/[偵察]土屋孝一候補生(岡山県出身)/[電信]加藤昭夫2飛曹(大阪府出身)
[操縦]福田茂生候補生(岡山県出身)/[偵察]古谷純男候補生(神奈川県出身)/[電信]森  久2飛曹(香川県出身)


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▲4/12慶良間沖で船首に特攻機の命中を受けた米駆逐艦リンゼイ(USS LINDSEY)DM-32
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▲この状態でも駆逐艦リンゼイUSS LINDSEY(DM32)は沈まなかった・・・。

※神風特別攻撃隊「第2八幡護皇隊」 昭和20年4月12日串良基地より97式艦上攻撃機で出撃
大分県の宇佐航空隊で編成(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]芳井 輝夫中尉(大阪府出身)/[偵察]大崎 國夫少尉(兵庫県出身)/[電信]高橋 忠2飛曹(秋田県出身)
[操縦]石田 清松1飛曹(新潟県出身)/[偵察]平間 啓志2飛曹(宮城県出身)/[電信]山本 一郎2飛曹(鳥取県出身)
[操縦]村瀬 稔少尉(愛知県出身)/[偵察]本間 政彦少尉(新潟県出身)/[電信]月森 善次2飛曹(鳥取県出身)
[操縦]堀江 佑次2飛曹(長崎県出身)/[偵察]石川 芳行少尉(大分県出身)/[電信]戸塚 豊2飛曹(静岡県出身)
[操縦]富士原 恒城少尉(福岡県出身)/[偵察]井上 時郎少尉(山口県出身)/[電信]堤 昭2飛曹(福岡県出身 享年18歳)
[操縦]室谷  章2飛曹(石川県出身)/[偵察]古賀 俊資少尉(福岡県出身)/[電信]栗原  勤2飛曹(東京都出身)
[操縦]堀之内 久俊少尉(鹿児島県出身)/[偵察]越智  光少尉(愛媛県出身)/[電信]繁田 昭二2飛曹(兵庫県出身)

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▲愛機97式艦上攻撃機の前で、人形を持った堀之内 久俊少尉4/12特攻戦死。
[操縦]豊田 美春2飛曹(長崎県出身)/[偵察]渡邊 健二郎少尉(長野県出身)/[電信]小杉 秀吉2飛曹(滋賀県出身)
[操縦]水上 義明2飛曹(富山県出身)/[偵察]上野 留雄上飛曹(福島県出身)/[電信]合田 一二郎2飛曹(香川県出身)
[操縦]嶺村 長一1飛曹(石川県出身)/[偵察]鴻巣 三郎2飛曹(茨城県出身)/[電信]山本  茂2飛曹(静岡県出身)


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▲99式艦上爆撃機をバックに写真に収まる「八幡護皇隊」隊員。

※神風特別攻撃隊「第2八幡護皇隊」 昭和20年4月12日第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]西川  博少尉(滋賀県出身)/[偵察] 
[操縦]小田原 恒夫少尉(大阪府出身)/[偵察]長谷川 伊助2飛曹(群馬県出身)
[操縦]臼井 喜一2飛曹(福井県出身)/[偵察] 
[操縦]大北  敬少尉(徳島県出身)/[偵察] 
[操縦]黒崎 靖夫少尉(山口県出身)/[偵察] 
[操縦]小割  晃2飛曹(広島県出身)/[偵察]
[操縦]倉田 末弘2飛曹(高知県出身)/[偵察]
[操縦]岩原 勝爾1飛曹(広島県出身)/[偵察]山口 正人少尉(佐賀県出身)
[操縦]寺下 敏二2飛曹(愛知県出身)/[偵察]
[操縦]大堀 松助2飛曹(大分県出身)/[偵察]
[操縦]猪熊  明2飛曹(大分県出身)/[偵察]丸林 勘一少尉(福岡県出身)
[操縦]吉見 三郎少尉(大阪府出身)/[偵察]
[操縦]中垣 真人少尉( 県出身)/[偵察]
[操縦]大野 幸成2飛曹(   県出身)/[偵察]
[操縦]大塚 直幸2飛曹(   県出身)/[偵察]
[操縦]山岸 啓祐2飛曹(栃木県出身)/[偵察]

※神風特別攻撃隊「常磐忠華隊」 昭和20年4月12日串良基地より97式艦上攻撃機6機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]西森秀夫大尉(福井県出身)/[偵察]田辺武雄飛曹長(鹿児島県出身)/[電信]春原宗治上飛曹(長野県出身)
[操縦]右高武男中尉(愛知県出身)/[偵察]滝本義正少尉(山口県出身)/[電信]石原 勝上飛曹(北海道出身)
[操縦]高尾重夫上飛曹(山口県出身)/[偵察]酒巻一夫少尉(埼玉県出身)/[電信]須藤岸雄2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]中西達二中尉(山口県出身)/[偵察]田沢義治少尉(東京都出身)/[電信]阿部 正2飛曹(東京都出身)
[操縦]横山安詔上飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]横山 保少尉(宮城県出身)/[電信]田中宏平2飛曹(東京都出身)
[操縦]増子定正上飛曹(福島県出身)/[偵察]川野博章少尉(兵庫県出身)/[電信]奈良 営太郎2飛曹(秋田県出身)

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▲「常磐忠華隊」勇士
後列(上)左から高尾上飛曹/横山 保少尉/田辺飛曹長/田沢少尉/横山上飛曹/増子上飛曹
中列(中)左から酒巻少尉/右高中尉/西森大尉/中西中尉/滝本少尉/川野少尉
前列(下)左から須藤2飛曹/石原上飛曹/春原上飛曹/阿部2飛曹/田中2飛曹/奈良2飛曹

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▲97式艦上攻撃機 (写真は、真珠湾攻撃を終え帰還する97式艦上攻撃機をハワイ米軍が撮影)
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▲米戦艦アイダホ(USS Idaho)[写真は、4/1沖縄に向け艦砲射撃中の戦艦アイダホ]
沖縄本島への上陸は4月1日に始まり、日本軍は特攻による絶望的な反撃を試みた。アイダホは多数の敵機を撃墜した。
4/12集中的な特攻々撃が行われ、アイダホは5機の特攻機を撃墜したものの、自ら損傷を被った。応急修理の後4/20
に戦場を離れ5日後にグアムに到着した。

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▲昭和20年4月12日米戦艦テネシー(USS Tennessee, BB-43)に特攻機1機命中、大破させた。

※神風特別攻撃隊「第2七生隊」 昭和20年4月12日 串良基地より零戦19機で出撃(2機帰還)
田中中尉/成田和孝中尉/原田愛文少尉 /千原達郎少尉/久保忠弘少尉/林市造少尉/肥後朝太郎少尉
野村克己少尉/岡部平一少尉/鈴木弘少尉/宮崎信夫少尉/田中公三少尉/木村司郎少尉/竹口正少尉
手塚和夫少尉/吉尾啓少尉/工藤紀正少尉

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▲「第2七生隊」零戦21型 千原達郎少尉機のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」

※神風特別攻撃隊「第9大義隊」 昭和20年4月13日石垣島基地より零戦で出撃
(与那国島南方機動部隊攻撃)
満田  茂中尉(兵庫県出身)/山崎  隆2飛曹(京都府出身)

※神風特別攻撃隊「第10大義隊」 昭和20年4月14日石垣島基地より零戦で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
粕谷 仁司中尉(兵庫県出身)/三浦 義信2飛曹(北海道出身)
※爆装零戦隊第一小隊長のK中尉が飛行途中で逃げた記述有り。

昭和20年4月14日第4回神雷桜花特別攻撃隊 鹿屋基地より出撃(桜花7機、一式陸攻7機)戦果無し
[桜花]
真柄嘉一上飛曹(福島県出身)/田村萬策上飛曹(愛知県出身)/川上菊臣上飛曹(大阪府出身)
富内敬二1飛曹(長野県出身)/町田満穂1飛曹(高知県出身)/山崎敏郎2飛曹(高知県出身)/佐藤忠2飛曹(新潟県出身)
[陸攻]
澤柳彦士大尉(長野県出身)/斎藤三郎中尉(福島県出身)/梶原勝之少尉(福島県出身)/竹内秀雄少尉(長野県出身)
岩崎良春少尉(大阪府出身)/日比野但上飛曹(岐阜県出身)/難波博通上飛曹(兵庫県出身)/平川勇上飛曹(長崎県出身)
新澤秀春上飛曹(新潟県出身)/細越哲夫上飛曹(岩手県出身)/安間淳介上飛曹(静岡県出身)/古谷誠一上飛曹(愛媛県出身)
田中館利夫上飛曹(岩手県出身)/金子秀一上飛曹(大阪府出身)/西光上飛曹(福岡県出身)/高橋貞浪上整曹(長野県出身)
重枝卓爾上整曹(山口県出身)/塚本巌1飛曹(愛知県出身)/辻栄二1飛曹(長崎県出身)/石井隆次1飛曹(栃木県出身)
管道一1飛曹(愛媛県出身)/栗岡嗣2飛曹(高知県出身)/月尾清一2飛曹(熊本県出身)/高山邦治2飛曹(栃木県出身)
小黒壽夫2飛曹(東京都出身)/林芳市2飛曹(長野県出身)/片岡貞夫2飛曹(長崎県出身)/山本政一2飛曹(石川県出身)
大坪春義2飛曹(福岡県出身)/石本義春2飛曹(兵庫県出身)/川瀬一男2飛曹(愛知県出身)/松下秋雄2飛曹(鹿児島県出身)
田中音一2飛曹(山口県出身)/長谷川 正夫2飛曹(新潟県出身)/北本正信2飛曹(和歌山県出身)/菊地公雄2整曹(宮崎県出身)
君島勝三2整曹(栃木県出身)/加藤豊彦2整曹(東京都出身)/坂井一雪2整曹(熊本県出身)/佐々木 清飛長(宮城県出身)
高橋 實男飛長(広島県出身)/松浦弘飛長(静岡県出身)/酒井利男飛長(長野県出身)/里田義則飛長(熊本県出身)
佐藤保勝飛長(福島県出身)/三和茂飛長(青森県出身)/福田秀夫飛長(長崎県出身)/大小田道次整長(鹿児島県出身)

神雷部隊「第6建武隊」昭和20年4月14日 鹿屋基地より出撃(零戦6機)戦果無し
中根久喜中尉(東京都出身)/鈴木才司上飛曹(静岡県)/前田善光上飛曹(佐賀県出身)
布施政治1飛曹(東京都出身)/蓼川茂1飛曹(愛媛県)/竹下弘2飛曹(東京都出身)

神風特別攻撃隊として昭和20年4月14日 鹿屋基地より出撃(零戦22機 第2神剣隊/第2筑波隊/第1昭和隊)
神風特別攻撃隊「第2神剣隊」
合原直中尉(広島県出身)/津田徳哉少尉(鹿児島県出身)/赤司明三郎少尉(佐賀県出身)
西本松一郎少尉(愛媛県出身)/植村光男候補生(神奈川県出身)/山本城候補生(大阪府出身)
高橋正一候補生(新潟県出身)/佐々木栄吉候補生(岩手県出身)/中林三郎2飛曹(埼玉県出身)

神風特別攻撃隊「第2筑波隊」
熊倉高敬中尉(栃木県出身)/一ノ関貞雄少尉(青森県出身)/新井利夫2飛曹(兵庫県出身)

神風特別攻撃隊「第1昭和隊」(徳之島東方敵機動部隊攻撃)
鈴木典信中尉(茨城県出身)/大本 正中尉(宮城県出身)/中村晴雄少尉(千葉県出身)
清水則定少尉(長野県出身)/佐々木八郎少尉(東京都出身)/小野寺朝男少尉(秋田県出身)
松村米藏少尉(東京都出身)/平林勇作少尉(樺太出身)/柏倉繁次郎少尉(山形県出身)/炭廣秀夫2飛曹(広島県出身)

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▲谷田部航空隊における神風特別攻撃隊「昭和隊」第14期予備学生、乙飛第18期予科練習生卒業記念写真。
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▲鹿屋基地近くの野里小学校校庭で、第10航空艦隊司令長官前田稔中将臨席の元で行われた神風特別攻撃隊
 「第1昭和隊」命名式。

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▲谷田部基地で昭和隊編成後、鹿屋に向けて出発する小野寺朝男少尉、4/14徳之島東方の敵機動部隊に突入戦死。
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▲4月14日11:30鹿屋基地から出撃する「第1昭和隊」隊長鈴木典信中尉搭乗の爆装零戦(21型)

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊 昭和20年4月15日 第1国分基地よりゼロ戦で出撃
岸  忍中尉(群馬県出身)/梅林義輝上飛曹(沖縄上空で空戦後、徳之島陸軍飛行場に不時着)
田中克次郎飛長(東京都出身)/浪松政吾飛長(沖縄上空で空戦後、徳之島陸軍飛行場に不時着)

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▲4/15沖縄本島で戦闘中の米軍が墜落していく特攻機を眺めている。
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▲そして島内に墜落した様だ・・・。

神風特別攻撃隊「第2昭和隊」昭和20年4月16日 鹿屋基地より爆装零戦で出撃。
(那覇湾艦船攻撃)
草村昌直少尉(福岡県出身)/神原正信少尉(茨城県出身)/矢島哲夫少尉(新潟県出身)/横山 俊2飛曹(福岡県出身)

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▲命名書を手に記念撮影する第2昭和隊隊員。
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▲「第2昭和隊」命名書
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▲第2昭和隊 笹本洵平少尉。出撃前、飛行服のまま横になり最後の煙草を吸う・・・。

神風特別攻撃隊「第3昭和隊」昭和20年4月16日 鹿屋基地より爆装零戦で出撃。
(喜界島南東五五浬及び南五〇浬の機動部隊攻撃)
中村 栄三少尉(新潟県出身)/笹本 洵平少尉(秋田県出身)/高野 道彦2飛曹(福岡県出身)

神風特別攻撃隊「第4昭和隊」昭和20年4月16日 鹿屋基地より爆装零戦で出撃。
(喜界島南東五〇浬及び南方一〇〇浬の機動部隊攻撃)
有村泰岳少尉(鹿児島県出身)/佐藤光男少尉(神奈川県出身)

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▲第4昭和隊佐藤光男少尉。4/16喜界島南東50浬の敵機動部隊に突入、散華した
※「アルコール50%」と書かれている。酒でも飲まなくては正気で出撃出来ないだろう・・・。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊 昭和20年4月16日 AM7:00第1国分基地よりゼロ戦12機で出撃
(直掩隊 零戦32機、紫電11機)
AM9:00頃、奄美大島上空の高度5000~6000mにてグラマンF6F約60機と空戦状態になる。
空戦終了後、燃料不足もあって帰還しようとするも、更にグラマンF6F(8機)の奇襲を受け、高橋大尉機他4機が撃墜さ
れてしまう。
青木牧夫中尉(高知県出身)/中村日出男2飛曹(福岡県出身)/内藤五郎2飛曹
桑野孝也中尉(落下傘で脱出成功)/石井金作上飛曹(エンジントラブルで帰還)
高橋 稔2飛曹(グラマンと交戦、2機撃墜。燃料不足で陸軍知覧基地に帰還)
中島重雄2飛曹(グラマンと交戦、1機撃墜。燃料不足で鹿児島湾付近に不時着)
浜砂良平1飛曹(鹿児島湾沖にて空戦、未帰還)/高橋恭二大尉(鹿児島湾沖にて空戦、未帰還)
小松雄蔵上飛曹(鹿児島湾沖にて空戦、未帰還)/橋爪覚治2飛曹(帰還)/吉田勝義上飛曹(帰還)/柳沢八郎少佐(帰還)
4/16国分基地を出撃した桑野孝也中尉の零戦が、AM8:50奄美大島付近でグラマンF6Fの奇襲を受け、桑野中尉は落
下傘降下した。その後21日古仁屋基地から九州の基地に無事帰還している。

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▲青木牧夫中尉。4/16喜界島140度60浬の敵機動部隊に突入、戦死。
※青木中尉は昭和20年2月16日関東を襲った敵艦載機群に迎撃戦を挑んでいる。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月16日 PM13:15第1国分基地よりゼロ戦4機で出撃
(喜界島沖機動部隊攻撃)
矢野 昇中尉/猪山昌彦2飛曹/堀 賢治2飛曹/堀川光政2飛曹
機体故障の為、全機引返す。


※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊 昭和20年4月17日 第1国分基地よりゼロ戦で出撃
(喜界島沖機動部隊攻撃)
唐渡 賀雄2飛曹(香川県出身)/木内 美秀2飛曹(徳島県出身)/佐藤 一志2飛曹(宮城県出身)


※神風特別攻撃隊「菊水第2彗星隊」 昭和20年4月16日 第1国分基地より「彗星」で出撃
(喜界島南東機動部隊攻撃)
[操縦]石川定男上飛曹(山口県出身)/[偵察]外山正司中尉(鳥取県出身)
[操縦]棚田茂見飛長(長野県出身)/[偵察]
[操縦]大田榮次郎少尉 (東京都出身)/[偵察]岩見 健少尉(福岡県出身)

※神風特別攻撃隊「第3護皇白鷺隊」 昭和20年4月16日串良基地より97艦上攻撃機で出撃
(嘉手納沖艦船攻撃)
[操縦]山田 眞1飛曹(新潟県出身)/[偵察]粟村敏夫候補生(広島県出身)/[電信]大谷康佳2飛曹(香川県出身)
[操縦]羽生國明2飛曹(茨城県出身)/[偵察]原 正候補生(千葉県出身)/[電信]入江義夫2飛曹(島根県出身)

※神風特別攻撃隊「八幡護皇隊」 昭和20年4月16日串良基地より97艦上攻撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
小河 義光(福岡県出身/17歳)
※神風特別攻撃隊「菊水天山隊」 昭和20年4月16日串良基地より「天山」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]福山龍治上飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]小林啓吉少尉 (山梨県出身)/[電信]只野岩太郎上飛曹(香川県出身)

※神風特別攻撃隊「天桜隊」 昭和20年4月16日串良基地より「天山」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)    
[操縦]村岡茂樹中尉(京都府出身)/[偵察]村上哲男2飛曹(愛媛県出身)/[電信]小室一二2飛曹(石川県出身)
[操縦]正木美男1飛曹(東京都出身)/[偵察]藤井英司飛長(京都府出身)/[電信]川口成治飛長(三重県出身)
[操縦]田熊克省少尉(山口県出身)/[偵察]屋敷源美1飛曹(大分県出身)/[電信]田村鐵也飛長(千葉県出身)
[操縦]佐伯昌夫飛長(愛知県出身)/[偵察]山崎憲進2飛曹(富山県出身)/[電信]安井正二2飛曹(兵庫県出身)
[操縦]           /[偵察]日下部文雄2飛曹(新潟県出身)/[電信]服部壽宗2飛曹(三重県出身)
[操縦]小山耕三少尉(京都府出身)/[偵察]田上利康2飛曹(福岡県出身)/[電信]福永 薫2飛曹(高知県出身)

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▲菊水部隊天桜隊。4/16菊水三号作戦で出撃、沖縄周辺の敵艦船に突入、散華。

※神風特別攻撃隊「皇花隊」昭和20年4月16日 串良基地より97艦上攻撃機攻4機で出撃
[操縦]清水 清上飛曹(広島県出身)/[偵察]畑  岩治中尉(東京都出身)/[電信]高橋賢光2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]成谷広一上飛曹(東京都出身)/[偵察]藤田州司少尉(愛媛県出身)/[電信]戸倉 勝2飛曹(香川県出身)
[操縦]足立芳郎少尉(東京都出身)/[偵察]吉田種三中尉(青森県出身)/[電信] 片谷有造2飛曹(東京都出身)
[操縦]吉池邦夫上飛曹(東京都出身)/[偵察]三好重成少尉(愛媛県出身)/[電信]遠藤徳敏2飛曹(山形県出身)

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▲神風特別攻撃隊「皇花隊」勇士

※神風特別攻撃隊「第6銀河隊」昭和20年4月16日 宮崎基地より「銀河」で出撃
(この出撃をもって「銀河」精鋭部隊・攻撃262飛行隊は全滅)
(喜界島南方機動部隊攻撃)
[操縦]本城勝志2飛曹(岩手県出身)/[偵察]橋本誠也中尉(徳島県出身)/[電信]佐井川正之2飛曹(福岡県出身)
[操縦]鈴木憲司2飛曹(神奈川県出身)/[偵察]井山秀樹上飛曹(東京都出身)/[電信]高橋 豊2飛曹(島根県出身)
[操縦]北島治郎飛長(徳島県出身)/[偵察]薬眞寺靖少尉(愛媛県出身)/[電信]中村行男2飛曹(茨城県出身)
[操縦]西兼登二飛長(山口県出身)/[偵察]斎藤三藤1飛曹(群馬県出身)/[電信]中西克巳1飛曹(和歌山県出身)
[操縦]金内光郎2飛曹(山形県出身)/[偵察]大河原誠少尉(岩手県出身)/[電信]光石昭通2飛曹(兵庫県出身)
[操縦]大西月正飛長(北海道出身)/[偵察]波多野進1飛曹(新潟県出身)/[電信]頼元健次郎2飛曹(大阪府出身)
[操縦]富士田富士弥飛長(大阪府出身)/[偵察]植垣義友上飛曹(鳥取県出身)/[電信]藤谷成美2飛曹(愛知県出身)
[操縦]本山幸一郎1飛曹(高知県出身)/[偵察]道又重雄上飛曹(岩手県出身)/[電信]久野朝雄2飛曹(長崎県出身)

神風特別攻撃隊「第7銀河隊」昭和20年4月16日 出水基地発より「銀河」で出撃
(喜界島南方機動部隊攻撃)
[操縦]中村廣光2飛曹(愛知県出身)/[偵察]延澤慶太郎少尉(滋賀県出身)/[電信]岩田 渉1飛曹(兵庫県出身)
[操縦]江藤賢助2飛曹(福岡県出身)/[偵察]榎田重秋2飛曹(宮崎県出身)/[電信]岡田武教2飛曹(大分県出身)
[操縦]中居秀雄上飛曹(三重県出身)/[偵察]小林茂雄中尉(神奈川県出身)/[電信]臼井甲作上飛曹(北海道出身)
[操縦]山田正雄飛長(兵庫県出身)/[偵察]宮前俊三1飛曹(山口県出身)/[電信]田中仙太郎飛長(福井県出身)


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▲米戦艦プリングル(USS Pringle)4/16、2機の特攻機を砲撃で破壊したが、3機目が艦橋に突入。
上部構造物を破壊し、1番煙突後方に食い込んだ。1,000ポンド爆弾1発もしくは500ポンド爆弾2発が上甲板構造物に
入り込み大爆発した。竜骨が破壊され、船体は弾薬庫前方で2つに裂けた。
6分後、258名の生存者はプリングルの沈没を目撃した。

第5回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年4月16日 鹿屋基地より出撃(桜花5機、一式陸攻5機)戦果無し
[桜花]
宮下良平中尉(長野県出身)/折出政次1飛曹(広島県出身)/城森美成1飛曹(鹿児島県出身)
江原次郎2飛曹(東京都出身)/高田虎男2飛曹(鹿児島県出身)
[陸攻]
佐藤純上飛曹(栃木県出身)/大場昭雄上飛曹(宮城県)/管隆上飛曹(大分県出身)/於方熊雄上飛曹(佐賀県出身)
峯山光雄上飛曹(栃木県出身)/村田昇(熊本県出身)/中島賢次郎(長崎県出身)/稲垣敏弘1飛曹(和歌山県出身)
糸賀房夫1飛曹(茨城県出身)/大和弘一1飛曹(静岡県出身)/川崎俊雄1飛曹(高知県出身)/磨田瀧治1飛曹(東京都出身)
猪瀬甫1飛曹(茨城県出身)/柴田悦生2飛曹(福岡県出身)/宇津木勝次2飛曹(千葉県出身)/小池孝吉2飛曹(山形県出身)
大澤龍二郎2飛曹(佐賀県出身)/松本正夫2整曹(徳島県出身)/藤吉英章2整曹(岐阜県出身)永澤諭飛長(岩手県出身)
渥美治夫飛長(三重県出身)/梓直三飛長(埼玉県出身)/三村稲男飛長(茨城県出身)/堀川天地飛長(長崎県出身)
今野米作飛長(青森県出身)/寺田秀雄飛長(京都府出身)/中野堅之助飛長(秋田県出身)

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▲昭和20年4月16日米駆逐艦ハ​​ーディング(USS Harding)に特攻機が命中、14名死亡、8名行方不明。
神雷部隊「第7建武隊」昭和20年4月16日 鹿屋より出撃(零戦9機)
森茂士上飛曹(大分県出身)/大谷正行1飛曹(兵庫県出身)/本間由照1飛曹(新潟県出身)
中原正義1飛曹(佐賀県出身)/尾中健喜2飛曹(福岡県出身)/中別府重信2飛曹(宮崎県出身)
中尾正海2飛曹(徳島県出身)/新井春男2飛曹(長野県出身)/白井貞吉2飛曹(千葉県出身)

神雷部隊「第8建武隊」昭和20年4月16日 鹿屋基地より出撃(零戦5機)

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▲桜の枝を持ち桜花に乗る第八建武隊上田兵二1飛曹4/16鹿屋より零戦で出撃。喜界島南東50浬機動部隊に突入戦死。
石田三郎1飛曹(大阪府出身)/上田兵二1飛曹(兵庫県出身)/佐藤善之助2飛曹(静岡県出身)
岩本五郎2飛曹(静岡県出身)/栗山虎男2飛曹(岩手県出身)

神風特別攻撃隊として昭和20年4月16日 鹿屋基地より出撃(零戦32機 第3神剣隊/第3筑波隊/第3・4七生隊)
神風特別攻撃隊「第3七生隊」
町田俊三少尉/奥田良雄少尉/山田 章少尉

神風特別攻撃隊「第4七生隊」
石橋石雄少尉/山岡正瑞少尉/西川要三少尉/名古屋徹蔵少尉/江口昌男少尉
樫本弘明少尉/根岸達郎少尉/山本雅省少尉/大石 太少尉

神風特別攻撃隊「第3神剣隊」
林田貞一郎飛曹長(熊本県出身)/工藤嘉吉2飛曹(北海道出身)/小金井菊次郎2飛曹(埼玉県出身)

神風特別攻撃隊「第3筑波隊」
中村英正中尉(福島県出身)/由井勲少尉(長野県出身)/栗井俊夫少尉(大阪府出身)/岡本真二少尉(神奈川県出身)
山縣康治少尉(福岡県出身)/兼森武文少尉(山口県出身)/石井敏晴少尉(静岡県出身)

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▲米空母イントレピッド(USS Intrepid)は幾度となく特攻機の突入を受けるがその度に修理され、昭和20年(1945)
 3月18日、4月16日にも特攻機の突入を受けたが沈む事無く終戦を迎えている。命を捨てて特攻機を命中させても
 「轟沈」は難しかった様だ。イントレピッドは計5回特攻攻撃を受けている。

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▲4月16日爆装零戦2機が次々と空母イントレピッドめがけて突入。

※昭和20年4月17日「菊水三号作戦/前路掃蕩制空戦」
06:45第1国分基地より零戦26機(六〇一空・戦三〇八-8/戦三一〇-8/二五二空-10)が出撃。
07:20屋久島上空でグラマンF6F/ヴォートF4U戦闘機数機と遭遇したが、空戦を行わず。
08:10奄美大島付近でF6F/F4U-10数機と交戦、六〇一空は上空支援隊となり、二五二空が空戦を行う。
【指揮官】柳沢八郎少佐(未帰還)/竹口佳文二飛曹(未帰還)/橋爪覚治二飛曹(未帰還)

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊 昭和20年4月17日 第1国分基地よりゼロ戦と彗星で出撃。
06:45爆装零戦15機が出撃。06:55彗星11機が出撃、沖縄本島北端72度、85浬の機動部隊攻撃に向かう。
田中 宏少尉(喜界島に不時着)12:40第1国分基地に帰投
猪山昌彦2飛曹(喜界島に不時着)12:40第1国分基地に帰投
堀川光政2飛曹(喜界島に不時着)12:40第1国分基地に帰投
小宮邦晴飛長(喜界島に不時着)12:40第1国分基地に帰投
池田 亨2飛曹07:39米駆逐艦7隻を発見、爆撃後喜界島に不時着。15:00第1国分基地に帰投
矢野 昇中尉07:39米駆逐艦7隻を発見、爆撃後喜界島に不時着。15:00第1国分基地に帰投
宮内 忠飛長07:39米駆逐艦7隻を発見、爆撃後喜界島に不時着。12:40第1国分基地に帰投
志田登志雄少尉(未帰還)/山中 彰少尉(未帰還)/小田正太2飛曹(未帰還)
小野 晟2飛曹(竹島付近にて発動機故障の為、引返す)/藤崎二晃2飛曹(機体故障で発進出来ず)
西尾 実2飛曹07:39米駆逐艦7隻を発見、突入、散華
堀 賢治2飛曹07:39米駆逐艦7隻を発見、突入、散華
富岡 崇吉中尉07:39米駆逐艦7隻を発見、突入、散華

※神風特別攻撃隊「第12大義隊」昭和20年4月17日 石垣島基地より零戦で出撃
(台湾東方機動部隊攻撃)
斎藤 信雄飛曹長(茨城県出身)/文谷 良明1飛曹(大阪府出身)


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▲昭和20年4月17日沖縄に不時着して捕虜となり、治療を受けながら尋問を受ける日本兵パイロット。

※陸軍特別攻撃隊「飛行第62戦隊」昭和20年4月17日06:30 鹿屋基地より四式重爆撃機「飛龍」3機で出撃。
出撃後、超低空で沖縄を目指すも、奄美大島を過ぎ、沖永良部島~与論島付近でグラマン4機と遭遇。
加藤機が撃墜される。岡田機は何とか振り切り、穴だらけの機体で鹿屋へ帰還。その後出撃不能となる。
結局2機が未帰還となった。
(未帰還機)「さくら弾機」➡出撃後消息不明
[操縦]金子 寅吉曹長(千葉県出身25歳)/[航法士]近藤 和康候補生(北海道出身18歳)
[通信士]伊藤 實兵長(岩手県出身20歳)/[機関士]古俟 金一伍長(東京都出身25歳)
(未帰還機)「ト号機」➡グラマン4機に囲まれ撃墜される。
加藤幸二郎中尉(青森県出身)/吉野英男候補生(山形県出身)
吉永卓仔軍曹(岡山県出身)/大橋愛志伍長(宮城県出身)
(生還機)「ト号機」
[ 操縦 ]岡田曹長/[ 機関 ]三沢伍長/[ 通信 ]田中伍長/[ 航法士 ]前村 弘候補生
「天号航空作戦」台湾沖航空戦に次ぐ陸海軍の協同作戦であり、陸軍特攻作戦を遂行する第6航空軍は、昭和20年3月
19日~5月26日までの間、連合艦隊司令長官の指揮下に置かれていた。
通信網の整備が間に合わず、実現を見なかったが、当初は第6航軍司令部も鹿屋基地へ移動する計画であった。

※神風特別攻撃隊「第8銀河隊」昭和20年4月17日 出水基地より「銀河」で単機出撃
(喜界島南方機動部隊攻撃)
[操縦]吉川 功2飛曹(宮崎県出身)/[偵察]鈴木勘次2飛曹(兵庫県出身)/[電信]田中茂幸2飛曹(鹿児島県出身)
鈴木勘次二等飛行兵曹の「銀河」はグラマンF6Fの15機編隊に追撃され被弾しながらも、敵空母から対空砲火を受ける
位置まで接近する。その瞬間F6Fからさらに射撃を受け、機体は旋回しながら海面にもろに墜落。
同乗の2名は戦死したが、鈴木2飛曹は顔面に弾丸を受けるなど重傷を負いながらも米駆逐艦に救助された。

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▲特攻から生還された鈴木勘次さんは戦後、本を出版されている。

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」601部隊 昭和20年4月17日 第1国分基地よりゼロ戦と彗星で出撃
(喜界島沖機動部隊攻撃)
ゼロ戦
唐渡賀雄2飛曹(香川県出身)/木内美秀2飛曹(徳島県出身)/佐藤一志2飛曹(宮城県出身)/加藤正美上飛曹
木村 浩1飛曹(エンジン故障引返す)/西岡 孝2飛曹(エンジン故障引返す)
彗星
[操縦]天谷英郎中尉(福井県出身)/[偵察]右田 勇2飛曹(大分県出身)
[操縦]飯村清一飛長(京都府出身)/[偵察]
[操縦]岡田敏男中尉(東京都出身)/[偵察]和田守圭秀中尉(島根県出身)
[操縦]真島 豊飛長(佐賀県出身)/[偵察]

USS BataanKAMIKAZE1
▲4月17日米空母バターン (USS Bataan, CVL-29)に突入寸前の爆装零戦。
USS BataanKAMIKAZE2
▲命中とまではいかなかったが至近弾となった。
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▲米空母バターン (USS Bataan, CVL-29)

※神風特別攻撃隊「第3御楯隊」252部隊昭和20年4月17日第1国分基地よりゼロ戦と「彗星」で出撃
(奄美大島南東機動部隊攻撃)
彗星 
[操縦]金縄熊義上飛曹(福岡県出身)/[偵察]福元 猛寛少尉(東京都出身)
[操縦]福本晴雄2飛曹(岡山県出身)/[偵察]
[操縦]岩崎豊秀2飛曹(高知県出身)/[偵察]
[操縦]溜 一二三1飛曹(広島県出身)/[偵察]
[操縦]金山英敏上飛曹(香川県出身)/[偵察]
[操縦]坂野行彦2飛曹(愛知県出身)/[偵察] 
ゼロ戦 
堀  賢治2飛曹(福岡県出身)/猪山昌彦2飛曹(群馬県出身)

昭和20年4月21日【戦死者】
青野正孝2飛曹(甲飛12期)二〇三空・戦三一一※九州
切建兼雄2飛曹(甲飛12期)二五二空 ※南西諸島

※「菊水四号作戦」昭和20年4月22日神風特別攻撃隊「第3御盾隊」252部隊 第1国分基地より出撃。
14:30彗星5機、爆装零戦8機、直掩零戦13機が奄美大島145度90浬の米機動部隊攻撃に向かう。
小野 晟2飛曹(沖永良部島付近に不時着水)/猪山昌彦2飛曹(未帰還)/金山英敏上飛曹(未帰還)
坂野行彦2飛曹(未帰還)/猪山昌彦2飛曹(未帰還)
天候不良で引返した機が多かったが彗星2機 爆装零戦1機が未帰還となった。
小野2飛曹機はF6F戦闘機と交戦後、発動機が停止、沖永良部島付近に不時着水し漂流中、島民に救助された。
船便の連絡が無い為、約一週間沖永良部島に滞在、捜索に来た佐世保の零式水偵に救助され、国分基地経由で5月
に郡山基地に帰還した。

※神風特別攻撃隊「第15大義隊」 昭和20年4月28日石垣島基地よりゼロ戦で出撃
(石垣島南方機動部隊攻撃)
和田 文蔵二飛曹(長崎県出身)

※神風特別攻撃隊「第16大義隊」 昭和20年4月28日 (台湾)宜蘭基地よりゼロ戦で出撃
(宮古島南方機動部隊攻撃)
今野 惣助中尉(宮城県出身)

第6回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年4月28日 鹿屋基地より出撃(桜花1機、一式陸攻1機)戦果無し
[桜花]山際直彦1飛曹(愛知県出身)
[陸攻]

※神風特別攻撃隊「第3草薙隊」昭和20年4月28日 第2国分基地より99式艦上爆撃機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]渡辺 浄中尉(広島県出身)/[偵察]厚地 兼之輔少尉(福岡県出身)
[操縦]吉武 淑郎少尉(大分県出身)/[偵察]萩田 祥敬候補生(徳島県出身)
[操縦]上村 須佐夫1飛曹(福岡県出身)/[偵察]竹村 久志2飛曹(北海道出身)
[操縦]菊地 利夫少尉(宮城県出身)/[偵察]鹿野  茂候補生(茨城県出身)
[操縦]久保 登美夫少尉(北海道出身)/[偵察]犬飼 成二2飛曹(愛知県出身)
[操縦]笠原 越朗少尉(岡山県出身)/[偵察]近藤 徳武候補生(宮城県出身)
[操縦]遠藤  清少尉(岐阜県出身)/[偵察]吉田 武夫候補生(愛知県出身)
[操縦]吉田 弘資候補生(岡山県出身)/[偵察]井上 信高2飛曹(大阪府出身)
[操縦]永尾  博中尉(佐賀県出身)/[偵察]江沢 敏夫少尉(神奈川県出身)
[操縦]奥村 周一少尉(愛知県出身)/[偵察]大塚 晟夫候補生(東京都出身)
[操縦]正木  蕃少尉(愛媛県出身)/[偵察]下地 恵尚候補生(沖縄県出身)
[操縦]村田 定雄少尉(東京都出身)/[偵察]梅澤 一二三2飛曹(東京都出身)
[操縦]宮内 榮候補生(茨城県出身)/[偵察]寺戸 宏和2飛曹(山口県出身)

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▲宮内 榮候補生(学徒出陣 中央大学出身 享年23歳)
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▲出撃直前の宮内 榮候補生と寺戸 宏和2飛曹の乗る海軍99式艦上爆撃機
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▲久保 登美夫少尉(北海道小樽市出身 享年23歳)
北海道小樽市出身の元スキージャンプ、ノルディック複合選手で、神風特別攻撃隊隊員として戦死した悲劇の
ジャンプ選手として有名である。久保少尉はスキー強豪校の旧制小樽中(現小樽潮陵高)で、1940年2月札幌
でアジアでは初めてとなる冬季オリンピックの開催が決まっていた。当時、小樽出身のジャンプ選手が注目され
ていた。久保登喜夫選手だ。1939年の日本選手権少年組を制し、札幌冬季札幌五輪の候補選手に選ばれた。
同年には東京での夏のオリンピック大会も決まっていて、日本は華々しいオリンピック・イヤーに沸くはずだった。
しかし、日中戦争の悪化で開催権を返上。札幌五輪は「幻の大会」に終わる。
久保少尉は4/28特攻隊として沖縄方面に出撃、23歳で戦死した。特攻出撃直前、以下の遺書を残している。
四月二十八日
先日名古屋の戦友に送られ張切って飛んできました.愈愈本日沖縄に飛んで敵艦船に体当たりします。
今日いろいろ作戦打ち合わせも終わり、B29の爆撃の音を聞きながら最後のこの便りをかいています。
スキーの大会でジャンプ台に向かうときとは又違った緊張振りです。
母上様をはじめ皆様の分まで御奉公出来る喜びに胸は躍ります。
思えば随分と御心配ばかり掛けました。父上が亡くなってから母上と二人で寂しい毎日を過ごしましたね。
それに私がスキーで家にいなかったので、母上はどんなに寂しかったかと思います。
母上より先に父上に会います。中学三年の秋でしたから積もる話も沢山あるでしょう。
今戦友もいろいろと準備したり遺書を書いていますが、本当にこれが最後です。
これが特攻隊員かと思われるくらい皆張切っています。
木村先輩、田中先輩、中川、澤本、星野、浅木、川崎[7]、玉沢、清水、脇本、小田…。数々の思い出が溢れてきます。
どうぞ皆様に呉呉もよろしくお伝え下さい。
 “散る桜残る桜も散る桜”
何か書けそうで何も書けません。兎に角立派に散る覚悟です。呉呉れも御身大切になさいますよう祈ります。
姉上様にもよろしくお伝えください。
登喜夫  母上様

※神風特別攻撃隊「第2正統隊」昭和20年4月28日 第2国分基地より99式艦上爆撃機6機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]後藤 俊夫中尉(鹿児島県出身)/[偵察]山下 久夫少尉(兵庫県出身)
[操縦]阿部 一之1飛曹(島根県出身)/[偵察]漆谷 康夫2飛曹(福岡県出身)
[操縦]緒方 忠幸上飛曹 (福岡県出身)/[偵察]久保 強郎少尉(福岡県出身)
[操縦]小野 喜市少尉(東京都出身)/[偵察]伊東 宣夫2飛曹(大分県出身)
[操縦]熊井 常郎少尉(群馬県出身)/[偵察]福田 周幸2飛曹(福岡県出身)
[操縦]片寄 従道1飛曹(福島県出身)/[偵察]小野 義明2飛曹(福岡県出身)

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▲▼茨城県百里原基地を九州に向け発進する「第2正統隊」の99艦爆。
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▲熊井常郎少尉4/28沖縄本島周辺の敵艦船に突入、戦死。

※神風特別攻撃隊「宇佐八幡神忠隊」昭和20年4月28日 串良基地97式艦上攻撃機で出撃
(那覇沖艦船攻撃) 
[操縦]大石政則少尉(佐賀県出身)/[偵察]清水吉一少尉(東京都出身)/[電信]犬童 憲太郎2飛曹(鹿児島県出身・18歳)
※大石少尉は和気部隊「八幡神忠隊」の所属で、映画・ドラマ「永遠の0」のモデルになった特攻隊員。
東京大学法学部2年在学中に学徒動員。外交官になるのを夢見ていたが叶う事は無かった。
昭和20年4月28日鹿児島県串良基地より1番機として再出撃。嘉手納湾の米国機動部隊に突入、戦死。享年22歳
昭和20年4月12日菊水二号作戦により、97式艦上攻撃機に搭乗し宇佐基地(大分県)を出撃するもエンジン不調の為帰投。
大石少尉は4機編隊の1番機として出撃したが高度をとるにつれて潤滑油が漏れだした。風防はべっとり黒く汚れた。
これでは体当たりするにも目標をつかめない。やむなく爆弾を投棄して反転した。帰投するなり司令室に出頭を命ぜら
れ、延々と1時間近く追及された。優等生だった大石少尉には絶えがたい屈辱であっただろう。
帰投した時、会う人毎に声をかけられるのが身を切られるようだと記している。
初めて舐めた挫折の苦汁からか、その夜は38度の高熱に喘いだと言う。
その後、大石少尉は串良基地に移る事になる。
出撃前日の昭和20年4月27日、身辺整理はすべて終わった。しかし乗機の1号艦攻(303号)には不安があった。
地上の試運転に異常はないが、離陸して高度をとると油が漏れてエンジンに不調を来す。
整備員にも原因が分からなかった。このままでは再度の出撃も失敗する恐れがある。大石少尉は前回の宇佐基地出撃同
様、機体がトラブルを起こして本懐を果たせない可能性を避けたかったのだ。
大石少尉は、同日出撃予定の船川睦夫2飛曹に彼の3号艦攻(353号)との機体交換を懇願。
船川2飛曹は、大石少尉が一度帰投した事実は知らなかった・・・しかも船川2飛曹の乗る3号艦攻の機体は、大石少尉
の乗る1号艦攻の機体よりも性能の良い機体(3号艦攻)。船川2飛曹は当然断った。
大石少尉は歎願の理由を言えるはずもなく、ひたすら懇願し続ける事1時間、ついに船川2飛曹は折れ、渋々受諾した。
交換したのは、大石少尉が4/12に特攻出撃した際、故障して引き返した機体(1号97式艦上攻撃機)だった。
そして、28日特攻出撃の日、船川2飛曹の機(大石少尉と交換した機)は大石少尉が危惧した通りエンジントラブルを
起こす。船川2飛曹が、上空で大石少尉にそれを伝えると、大石少尉は「帰レ、帰レ」と何度も手を振り、空の彼方に
消えていった。帰投して生き残り、戦後を迎えた船川氏はずっと後悔の念にさいなまれたと言う。
あの時、機体を交換しなかったら…と。その苦しみは数十年に及んだ。船川氏が戦後40年経って、串良町主催の慰霊祭
に参列した事から、その苦悩が一端が伺える。その時、船川氏は初めて大石少尉の遺書を見て、その真意を知った。
それから20年(戦後60年)経って、船川氏は大石の遺族である弟・正隆氏と初めて会った。
正隆氏が兄・政則の本懐を遂げさせて下さった事への感謝を述べると、船川氏は「長年の肩の荷が下ろせたような気が
します」と言われたそうだ。
大石少尉は2度目の出撃の前夜、すなわち搭乗機の交換を承諾してもらった後に最後の日記をしたためている。
「我は来るべきの日、率先第一の突撃を心中にひそかに期す。
使用機が待望の三号艦攻(一度も乗りたることなけれども)なので本当にそれ丈でも心の弾むを覚えます」と・・・。
そして遺書には
「若い者は皆皇国の捨て石たるべく運命づけられています。今になってこの運命の尊さを沁々味わっています」
と書き記している。

[操縦]船川睦夫2飛曹(鹿児島県出身・19歳)/[偵察]?? ??少尉(??出身)/[電信]佐藤 2飛曹(??出身)
※偵察員の??少尉は「搭乗員整列、出撃前の訓辞があり、別れのサカズキを飲み干し、出撃の命令で機に搭乗する時、
 急病とかで出撃できず、2番機は電信員と2名の搭乗となった。
 出撃後は上記のエピソード通り、エンジントラブルで種子島不時着帰還。
[操縦]十河 正澄少尉(大阪府出身)/[偵察]上保 茂少尉(東京都出身)/[電信]三島 昭2飛曹(香川県出身)
[操縦]山西 富三郎2飛曹(岡山県出身)/[偵察]旗生 良景(福岡県出身)/[電信]赤堀 彰司2飛曹(静岡県出身)


※神風特別攻撃隊「第1正気隊」昭和20年4月28日 串良基地より97式艦上攻撃機2機で出撃
(那覇沖艦船攻撃)
[操縦]須賀芳宗少尉(東京都出身)/[偵察]岩崎久豊少尉(山口県出身)/[電信]弥永光男2飛曹(福岡県出身)
[操縦]桐畑小太郎上飛曹(大分県出身)/[偵察]安達卓也少尉(兵庫県出身)/[電信]菅沢健2飛曹(千葉県出身)

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▲岩崎久豊少尉4/28那覇沖の敵艦船群に突入、戦死。
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▲須賀芳宗少尉4/28那覇沖の敵艦船群に突入、戦死。

※神風特別攻撃隊「白鷺 赤忠隊」昭和20年4月28日 串良基地97式艦上攻撃機で出撃
(那覇沖艦船攻撃)
[操縦]後藤 惇候補生(和歌山県出身)/[偵察]山田又市候補生(静岡県出身)/[電信]水野健二2飛曹(岐阜県出身)

神雷部隊「第9建武隊」昭和20年4月29日 鹿屋基地より出撃(爆装零戦10機)爆装➡500㎏爆弾装備
多木稔中尉(石川県出身)/西口徳次中尉(大阪府出身)/中西斎季中尉(和歌山出身)
高橋経夫1飛曹(北海道出身)/藤本正一1飛曹(福岡県出身)/山本英司2飛曹(秋田県出身)
※山本英司2飛曹(享年19歳)の最期の打電は、「我レ敵空母ニ突入ス、一七二一(午後5時21分)」であった。
高橋丁2飛曹(北海道出身)/餅田信夫2飛曹(静岡県出身)/曽根信2飛曹(岐阜県出身)/北澤昇2飛曹(長野県出身)

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▲▼4月29日米駆逐艦ヘイゼルウッド(USS HAZELWOOD[DD531])に西口中尉機が命中。機能停止状態となる。
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ヘイゼルウッド戦闘報告書によると、1945年4月29日17:30敵戦闘機が接近し、機銃掃射しながら同艦に命中した。
搭載された爆弾が爆発し、火災が発生。少なくとも艦長を含む46人が戦死した。

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▲西口徳次中尉。ご遺族が鹿屋航空基地史料館から入手した記録では、西口中尉は同日14:42出撃。
同17:34「我敵艦に必中突入中」と打電し、消息が途絶えた。記録された時刻がほぼ一致している上、西口中尉が機銃
掃射が可能だった機体(零戦)に搭乗していたことが、特定の決め手となった。
9人兄弟の長男だった西口中尉は、勉強熱心で几帳面な青年だった。親に内緒で海軍に志願し「僕が死んでも、良くやっ
たと褒めてください」と家を出た。そして、帰ってきたのは、名前の書かれた紙が入った箱だけだった。

神風特別攻撃隊「第5昭和隊」昭和20年4月29日 鹿屋基地より零戦で出撃
(沖縄北方海域艦船攻撃)
安田弘道少尉(福島県出身)/外山雄三少尉(北海道出身)/小泉宏三少尉(神奈川県出身)
木部崎登少尉(大阪府出身)/市島保男少尉(東京都出身)/薮田 博2飛曹(大阪府出身)
川端三千夫2飛曹(和歌山県出身)/吉永光雄2飛曹(鹿児島県出身)

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▲「昭和隊」隊員。左より吉永光雄2飛曹、川端三千秋2飛曹、黒野義一2飛曹、藪田博2飛曹。
藪田、川端、吉永2飛曹は4/29「第5昭和隊」から。黒野2飛曹は5/11「第7昭和隊」として特攻出撃している。

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▲小泉宏三少尉4/29沖縄北端120度60浬敵艦船群に突入、戦死。
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▲市島保男少尉4/29沖縄北方の敵艦船群に突入、戦死。
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▲外山雄二少尉4/29沖縄北方の敵艦船群に突入、戦死。        

神風特別攻撃隊として昭和20年4月29日 鹿屋基地より出撃(零戦17機 第4神剣隊/第4筑波隊/第5七生隊)
神風特別攻撃隊「第5七生隊」
晦日進少尉/土井定義少尉/北村徳太郎少尉/※森丘哲四郎少尉(富山県出身)は4/6に続いて2度目の出撃。
神風特別攻撃隊「第4神剣隊」 長谷部寅祐2飛曹(埼玉県出身)

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▲森丘哲四郎少尉(享年23歳)4/6「第1七生隊」として出撃するもエンジントラブルで奄美大島に不時着。
4/29「第5七生隊」として再出撃。2度目の特攻出撃で突入戦死した。ものすごい精神力だ・・・。
4/6「第1七生隊」として出撃した際、エンジントラブルで奄美大島に不時着後、森丘少尉は古仁屋(奄美大島)にあっ
た海軍基地に移動し、第951海軍航空隊の零式水偵に同乗して、佐世保基地に帰還している。
森丘少尉は奄美大島の郵便局長ともう1人から、お金を借りたという。生還を期さない特攻出撃であるから、当然お金
は持っていなかったのだろう。基地に戻るまでの当座のお金が必要になった為、借用したのだと考えられる。
森丘少尉は4/12に佐世保に到着し、4/15に出水基地に帰還している。

29日、第5七生隊は爆戦5機が鹿屋基地を出撃した。その中には奄美大島から帰還した森丘少尉と片岡良吉少尉が含
まれていた。5機は奄美大島付近で米軍機の迎撃を受け、1番機と3番機が相次いで撃墜された。
片岡少尉は米軍機に追跡されながら、高度を下げて湯湾の入江で落下傘降下し、田んぼの中に不時着した。
機体は左翼に機銃弾が当たり、ガソリンを噴いていた。森丘機はこの空戦さなか、行方不明となった。
片岡少尉は湯湾に10日間ほど滞在した。その後警防団員に案内されて古仁屋基地に移動し、更に1週間滞在した。
古仁屋に飛来した三座水偵の便で指宿基地に帰還し、鹿屋基地に帰還した。
指宿基地に到着しているので、偵察第302飛行隊所属の零式水偵の可能性が高い。
湯湾では、特攻機2機が不時着しており、1機は湯湾と須古の中間の浜に。もう1機は山に落ち、飛行士は落下傘で畑
に下りた。と伝えられている。状況からすると、落下傘で降りたのが片岡少尉だろう。

神風特別攻撃隊「第4筑波隊」
米加田節雄中尉(福島県出身)/大塚章少尉(東京都出身)/片山秀男少尉(滋賀県出身)
山崎幸雄少尉(東京都出身)/麻生摂郎少尉(福岡県出身)/細井 享少尉(愛知県安城市出身)

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▲「第4筑波隊」大塚章少尉4/29爆装零戦で沖縄北方の敵艦船群に突入、戦死。
※細井 享少尉は筑波海軍航空隊から鹿屋へ進出する際、故郷の安城市の空を旋回し、名刺の裏に最後の別れの言葉
「今日出撃、サヤウナラ」を書いて投下している。それは奇跡的に畑で拾った近所の方が母の元に届けている。
鹿屋出撃後、奄美大島上空付近でグラマンと空戦となり、喜界島沖に不時着して住民に助けられた。
喜界島や徳之島に不時着・救助された陸・海軍の特攻隊員は、再出撃の為、迎えの飛行機を待つしかなかった。
迎えの飛行機が来て、鹿屋や知覧などに送り返された者もいたが、帰還途中に米軍機に撃墜されるケースも多かった。
喜界島島の陸軍守備隊の小川高男中尉は、一式陸攻出発の数分後に米軍機が、陸攻を追う様に北に向かうのを目撃し
ている。米軍機の爆音が消えて間もなく、彼方の暗闇が一瞬真っ赤になった。迎えの一式陸攻の最後であった。
その一式陸攻には喜界島を離陸する際、海軍2名と陸軍12名の搭乗員を乗せていた。
海軍の搭乗員は第4筑波隊の細井少尉と721空(神雷部隊)の大田上飛曹だった。

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▲神風特別攻撃隊「筑波隊」84名。13期14期の予備学生ばかり、まるで大学生の合宿の様な雰囲気だったという。
隊員は第1~第6筑波隊に編成され、各隊から出撃していった。

※神風特別攻撃隊「白鷺 揚武隊」昭和20年5月4日 串良基地より97式艦上攻撃機で出撃
[操縦]中島 要候補生(兵庫県出身)/[偵察]白鳥鈴雄候補生(長野県出身)/[電信]朝生和男2飛曹(神奈川県出身)

※神風特別攻撃隊「第2正気隊」昭和20年5月4日05:00串良基地より97式艦上攻撃機に800キロ爆弾を搭載して出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]有地慶信上飛曹(東京都出身)/[偵察]五十嵐正栄中尉(新潟県出身)/[電信]根岸幸一2飛曹(埼玉県出身)
[操縦]上田隆保候補生(福岡県出身)/[偵察]星野省平1飛曹(新潟県出身)/[電信]山田新八郎2飛曹(岐阜県出身)
[操縦]桑原敬一(岩手県出身)/※出撃するもエンジン不調で種子島に不時着し生還。
桑原氏は戦後『語られざる特攻基地・串良―生還した「特攻」隊員の告白』という本を約30年かけ58歳で手記を自費出版
した。「本当は死にたくなかった」自分の心に正直に向き合った末の記述に、予科練の先輩から「お前は軍人になるべきで
はなかった」と批判された。一方で「おれも同じ気持ちだった」と言う同期もたくさんいた。

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▲第1・第2・第3「正気隊」勇士
(後列) 山田2飛曹・前田2飛曹・桐畑上飛曹・星野2飛曹・弥永2飛曹・上田候補生・岩崎少尉・※江名少尉(生還)
(中列) 有池上飛曹・根岸2飛曹・正久上飛曹・加藤2飛曹・須田少尉・小田切少尉・須賀少尉・菅沢2飛曹
(前列) 分隊長 ・ 飛行隊長 ・ 副 長 ・ 司 令  ・  飛行長 ・ 五十嵐中尉 ・ 安達少尉

第7回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年5月4日 鹿屋基地より出撃(桜花6機、一式陸攻6機)
[桜花]
大橋 進中尉(山口県出身)/上田英二上飛曹(福島県出身)/渡正義上飛曹(千葉県出身)
内藤卯吉上飛曹(長野県出身)/永田吉春1飛曹(熊本県出身)/中川利春1飛曹(福井県出身)
[陸攻]
菊地 弘少尉(宮城県出身)/寶満克夫少尉(鹿児島県出身)/吉田満照上飛曹(福岡県出身)
今野源四郎上飛曹(宮城県出身)/小幡和人1飛曹(宮城県出身)/佐伯輝三1飛曹(広島県出身)
浅見寅男1飛曹(静岡県出身)/柳 義信1飛曹(長崎県出身)/石井 力2飛曹(福岡県出身)
富岡三郎2飛曹(神奈川県出身)/佐藤俊夫2飛曹(秋田県出身)/川村合佐飛長(宮城県出身)
渋谷實飛長(新潟県出身)/平井精雄飛長(宮城県出身)
勝又武彦少尉(静岡県出身)/足立保行少尉(北海道出身)/池田芳長上飛曹(石川県出身)
原田實上飛曹(山口県出身)/星見秀一上飛曹(三重県出身)/廣瀬三郎上飛曹(三重県出身)
鴨原武夫上飛曹(山形県出身)/池永健治上飛曹(山口県出身)/石本久夫1飛曹(島根県出身)
藤村正一1飛曹(三重県出身)/中川明1飛曹(徳島県出身)/遅澤芳郎1飛曹(栃木県出身)
野崎敞1飛曹(大分県出身)/石井豊司1整曹(北海道出身)/三輪英昭2飛曹(宮崎県出身)
加藤吉郎2飛曹(千葉県出身)/金原義五郎2飛曹(栃木県出身)/木村只弘2飛曹(福岡県出身)
渋谷昌信2飛曹(大分県出身)/石川嘉輝飛長(香川県出身)/高島昭2飛長(青森県出身)
※米掃海駆逐艦シェイに桜花が1機命中するも不発。しかし機体が艦の中隔を激しく破壊し大破。
 戦死27名負傷91名掃海駆逐艦シェイは沈まなかったが、修理困難でそのまま廃艦。

神風特別攻撃隊「第5神剣隊」昭和20年5月4日 鹿屋基地より出撃(零戦16機)
磯貝巌中尉(愛知県出身)/鈴木欽司少尉(埼玉県出身)/小堀秀雄少尉(群馬県出身)
加藤年彦少尉(愛知県出身)/足利益功少尉(宮崎県出身)/藤井實候補生(山口県出身)
林王俊候補生(佐賀県出身)/三明正郎候補生(宮城県出身)/大田満上飛曹(大分県出身)
高藤昭一1飛曹(愛知県出身)/保科三郎1飛曹(長野県出身)/茂木三郎1飛曹(福島県出身)
宮崎勝1飛曹(三重県出身)/高浪虎八1飛曹(鹿児島県出身)/武二夫1飛曹(鹿児島県出身)
吉田敏夫1飛曹は4/16に続いて2度目の出撃だった。鹿屋を離陸して数十分後、吉田機はエンジンが不調となり、白煙
を吐き始めた。爆弾を投下後、ほとんど滑空状態で奄美大島の宇検村生勝海岸近くに不時着水した。
島に向かって30分程泳いだ所へ、漁師の伝馬船がやって来て、吉田1飛曹は救助された。
顔に火傷を負った吉田1飛曹は地元住民の家で世話になり、軍からの迎えの船で古仁屋に移動し、古仁屋基地で10日程
待機した後、佐世保から飛来した水偵に乗って佐世保に帰還した。
宇検村生勝海岸近くにはまだ零戦が沈んでいるという

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▲英空母フォーミダブル (HMS Formidable)
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▲5/4神風特別攻撃隊爆装ゼロ戦が英空母フォーミダブル (HMS Formidable)に突入する寸前。
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「第5神剣隊」は長崎県の大村海軍航空隊で編成された。
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▲▼5/4 11:30特攻機が英空母フォーミダブル突入、対空砲で至近距離で撃墜したものの、飛行甲板に突っ込み、
長さ3m、幅60cmのくぼみが生じた。艦載機庫で火災が生じ8名が死亡、47名が負傷した。

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※神風特別攻撃隊「第17大義隊」昭和20年5月4日 05:40宮古基地より零戦4機で出撃(敵艦船発見出来ず)
(爆装零戦)2機
(直掩零戦)2機 田中 勇上飛曹(山口県出身未帰還)

※神風特別攻撃隊「第17大義隊」昭和20年5月4日16:30 石垣島基地より零戦3機で出撃
細川 孜中尉(長野県出身)/橋爪和美1飛曹/佐野一斉2飛曹(山梨県出身)
(直掩零戦)大石芳男飛曹長(静岡県出身)
出撃1時間40分後、橋爪1飛曹機が帰還。橋爪の報告では、敵機動部隊を発見したが、敵戦闘機の追躡を受け、
爆弾を捨てて帰ってきたという。他の3機は撃墜されたらしく、未帰還となった。

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▲英空母インドミタブル(HMS Indomitable)5/4特攻機の突入を受ける。
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▲英空母インドミタブルに突入寸前の特攻機。
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▲突入

※神風特別攻撃隊「第17大義隊」昭和20年5月4日 09:50(台湾)宜蘭基地よりゼロ戦5機で出撃
(宮古島南方機動部隊攻撃)11:20敵機動部隊発見➡11:30突入開始。
谷本 逸司中尉(広島県出身)/常井 忠温上飛曹(茨城県出身)
鉢村 敏英1飛曹(栃木県出身)/近藤 親登2飛曹(長野県出身)
(直掩零戦)1機 角田和男少尉

※神風特別攻撃隊「第18大義隊」昭和20年5月9日 (台湾)宜蘭基地よりゼロ戦で出撃(2機トラブルで引き返す)
(宮古島南方機動部隊攻撃)
黒瀬順斎中尉(富山県出身)/中島信次郎上飛曹(京都府出身)/河合芳彦上飛曹/宮川孝義1飛曹(大阪府出身)
(直掩隊)前田秀秋上飛曹(青森県出身)
[ 連合軍記録 ]英空母「ビクトリアス」2機命中/英空母「フォーミダブル」1機命中

特攻隊攻撃で父を失った英国人YouTube 1 特攻隊攻撃で父を失った英国人YouTube 2
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▲特攻機が命中し黒煙をあげる英空母ヴィクトリアス(HMS Victorious)
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▲英空母ヴィクトリアス(HMS Victorious)
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▲5/9英空母ヴィクトリアス(HMS Victorious)に突入寸前の「第18大義隊」とみられるゼロ戦
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▲5/9再び黒瀬順斎中尉(享年22歳)とみられる特攻機が命中し黒煙をあげる英空母フォーミダブル。
戦艦のそれに匹敵する76ミリ厚の装甲が功を奏し14名が戦死したものの沈没は逃れ、損害のレベルは4日の攻撃よりは
軽微であった。

※神風特別攻撃隊「菊水雷桜隊」昭和20年5月11日 串良基地より「天山」で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]梅谷三郎中尉(東京都出身)/[偵察]中島 平上飛曹(佐賀県出身)/[電信]坪川武彦1飛曹(東京都出身)
[操縦]望月敞一1飛曹(静岡県出身)/[偵察]今井全志郎少尉(神奈川県出身)/[電信]中内 清上飛曹(愛知県出身)
[操縦]田中敏男1飛曹(香川県出身)/[偵察]栗村正教少尉(福島県出身)/[電信]山岡智明1飛曹(高知県出身)
[操縦]稲澤邦彦1飛曹(宮崎県出身)/[偵察]安田太一少尉(神奈川県出身)/[電信]小野静雄1飛曹(佐賀県出身)
[操縦]石井正雄少尉(東京都出身)/[偵察]照山知男1飛曹(茨城県出身)/[電信]桑野正昭1飛曹(秋田県出身)
[操縦]中谷五郎上飛曹(山口県出身)/[偵察]吉田謙二郎少尉(福島県出身)/[電信]小林大介1飛曹(埼玉県出身)
[操縦]才田紀久雄1飛曹(熊本県出身)/[偵察]本川譲治少尉(東京都出身)/[電信]石橋憲司1飛曹(秋田県出身)
[操縦]浪江秀雄1飛曹(京都府出身)/[偵察]桝井敏夫少尉 (山口県出身)/[電信]大武節雄1飛曹(茨城県出身)
[操縦]小嶋 潔上飛曹(東京都出身)/[偵察]高野良治飛曹長 (群馬県出身)/[電信]新井郷治上飛曹(埼玉県出身)
[操縦]勝田久米雄飛曹長(静岡県出身)/[偵察]児玉 仁上飛曹(広島県出身)/[電信]井上伊之助1飛曹 (広島県出身)

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▲出撃前の艦上攻撃機「天山」
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▼「天山」1機に隊員3名が乗り込み、二度と戻れぬ死地に向けて出撃していった。
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第8回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年5月11日 鹿屋基地より出撃(桜花3機、一式陸攻3機)
[桜花]
高野次郎中尉(富山県出身)/小林常信中尉(埼玉県出身)/藤田幸保1飛曹(新潟県出身)
[陸攻]
古谷 真二中尉(東京都出身)/中島眞鏡少尉(埼玉県出身)/宮崎文雄少尉(香川県出身)
鑢敬蔵少尉(長崎県出身)/石田昌美上飛曹(山口県出身)/東川末吉上飛曹(滋賀県出身)
永田俊雄上飛曹(鹿児島県出身)/磯富次上飛曹(埼玉県出身)/三浦一男上整曹(北海道出身)
長澤政信1飛曹(山梨県出身)/大河内一春1飛曹(愛知県出身)/千葉登1飛曹(鹿児島県出身)
菊池邦壽1飛曹(福岡県出身)/田中辰三1飛曹(山形県出身)/髪櫛伊三1整曹(山梨県出身)
中内静雄2飛曹(高知県出身)/竹内良一2飛曹(福岡県出身)/田中泰夫2飛曹(和歌山県出身)
秋葉次男飛長(北海道出身)/木村好喜飛長(新潟県出身)/中村豊飛長(愛知県出身)

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▲5/11米駆逐艦ヒュー・ W・ハドレイ(USS Hugh W. Hadley)は特攻機突入を受け乗組員30名が死亡。
 しかし、この戦いでヒュー・ W・ハドレイは特攻機23機の撃墜に成功した。
 なお、ヒュー・ W・ハドレイは爆弾1発と「桜花」が艦の中央部に命中、他に特攻機2機が突入したにもかかわらず
 沈没しなかった。もちろん本艦の場合は本格的修理もされず、その後にスクラップされたので全損と同様であったが、
 「桜花」が命中炸裂したにもかかわらず沈没しなかった唯一の例である。しかしながら損傷は甚大でそのまま廃艦。
 ヒュー・ W・ハドレイ乗組員の死者28名、艦長を含む67名負傷。

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▲米艦船に書かれた日本軍機撃墜数のスコアボード。

神雷部隊「第10建武隊」昭和20年5月11日 鹿屋より出撃(零戦4機)
柴田敬禧中尉(愛知県出身)/田中保夫1飛曹(兵庫県出身)/佐藤敬吉1飛曹(新潟県出身)/下里東1飛曹(長野県出身)

※神風特別攻撃隊「第9銀河隊」昭和20年5月11日 宮崎基地より「銀河」9機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)

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▲第9銀河隊指揮官 深井 良中尉が5/11西南諸島のタスクフォース58機動艦隊に特攻する様子が描かれている。 
[操縦]深井 良中尉(神奈川県出身)/[偵察]俵  一上飛曹(東京都出身)/[電信]北山 博上飛曹(大分県出身)
[操縦]鈴木圓一郎中尉(静岡県出身)/[偵察]三宅文夫上飛曹(徳島県出身)/[電信]田中榮一上飛曹(埼玉県出身)
[操縦]小島弘上飛曹(兵庫県出身)/[偵察]村上 守中尉(大分県出身)/[電信]佐藤 昇1飛曹(新潟県出身)
[操縦]谷岡力上飛曹(福井県出身)/[偵察]山川芳男少尉(東京都出身)/[電信]杉野三次1飛曹(三重県出身)
[操縦]松木 学1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]山根三男1飛曹(広島県出身)/[電信]伊藤 勲1飛曹(大分県出身)
[操縦]長谷部六雄飛長(新潟県出身)/[偵察]吉田 雄1飛曹(和歌山県出身)/[電信]信本廣夫2飛曹(広島県出身)
永野金一1飛曹/ 飯島 守中尉/本田 勝1飛曹( 機体不調の為引き返しをはかるも、基地に戻らず「不時着戦死」)
古小路 裕1飛曹/ 藤田峰夫上飛曹/真鍋真之介1飛曹(機体不調の為、出撃取りやめとなる)
神津和男1飛曹/ 豊岡清澄上飛曹/ 穴口 尚上飛曹(出撃後、機体不調で引き返す)

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▲山根三男1飛曹(広島県出身)5/11突入、戦死。

神風特別攻撃隊「第7七生隊」昭和20年5月11日 鹿屋基地よりゼロ戦で出撃 上月寅男飛長(兵庫県出身)
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▲昭和20年5月11日米駆逐艦エヴァンス(USS EVANS DD-552)に4機の特攻機が命中、乗組員32人死亡27人負傷。
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▲▼特攻機の突入で駆逐艦エヴァンスの調理室に出来た大穴。
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▼駆逐艦エヴァンスに書かれた日本軍機撃墜ボード
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神風特別攻撃隊「第5筑波隊」昭和20年5月11日 鹿屋基地よりゼロ戦で出撃
岡部幸夫中尉(広島県出身)/西田高光中尉(大分県出身)/石丸進一少尉(佐賀県出身)/吉田信少尉(兵庫県出身)
町田道教少尉(鹿児島県出身)/森史郎少尉(長野県出身)/福田喬少尉(福岡県出身)/中村邦春少尉(福岡県出身)
※石丸進一少尉はプロ野球「名古屋軍」で、戦前最後のノーヒットノーランを達成したエース投手だった。

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▲名古屋軍時代の石丸進一投手。
【最期のキャッチボール】石丸進一と筑波特別攻撃隊YouTube


神風特別攻撃隊「第6昭和隊」昭和20年5月11日 鹿屋基地よりゼロ戦で出撃
根本宏少尉(茨城県出身)/黒野義一1飛曹(兵庫県出身)

神風特別攻撃隊「第7昭和隊」昭和20年5月11日 鹿屋基地よりゼロ戦で出撃
安則盛三中尉(兵庫県出身)/高橋三郎少尉(高知県出身)/小川清少尉(群馬県出身)
篠原惟則少尉(熊本県出身)/茂木忠少尉(北海道出身)/皿海彰1飛曹(広島県出身)

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▲安則盛三中尉
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▲▼小川清少尉(群馬県出身)5/11米空母バンカー・ヒルに突入戦死。享年22歳
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▲昭和20年5月沖縄周辺海域を航行する米空母バンカー・ヒル(USS Bunker Hill)
小川清少尉は神風特別攻撃隊「第7昭和隊」として、500kg爆弾を抱いた零戦で5/11鹿屋基地を06:40離陸。
帰還する米軍機に紛れて、沖縄周辺に配置された米駆逐艦のレーダー網を突破。米空母上空まで侵入に成功する。
9:21安則盛三中尉機から「敵部隊見ユ」のモールス信号入電。10:04南西諸島沖東方122kmにおいて小川清少尉
機が「敵空母見ユ」と打電した。先ず安則盛三中尉機が急降下してバンカー・ヒルの後部甲板に突入。機体は右舷後方
で激しく爆発。不意を突かれた米軍は対空砲の反撃が出来なかった。10:09小川清少尉機「ワレ突入ス」の無線の後
バンカー・ヒルの飛行甲板に500kg爆弾を投下後、艦橋と甲板との境辺り(「アイランド」と呼ばれる艦橋に突き刺さ
る)に突入した。

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 ▲▼安則盛三中尉機と小川清少尉機が30秒の間に突入し炎上する空母バンカー・ヒル(USS Bunker Hill)
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空母バンカーヒルと二人の神風(ケネディ著)よりYouTube
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▲小川少尉突入の30分後、更に1機の特攻機が低空でバンカー・ヒルに突入を図ったが駆逐艦の対空砲で撃墜された。
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▲バンカー・ヒル乗組員の異体。特攻攻撃は無謀な作戦として太平洋戦争末期には戦果はほとんど無い様に言われてい
 るが、戦後新たに公表された米軍の被害は予想以上のものだった・・・。
 バンカー・ヒルは小川機から投下された爆弾と小川機突入によって大破・炎上、死者396名、負傷者264名、行方不
 明43名を出した。(小川少尉は二階級特進で海軍大尉となり、正七位勲五等功三級の金鵄勲章を受けた)
 しかし、小川機はバンカー・ヒルに多大なダメージを与えたのにもかかわらず、機体の識別が出来る程原形を留め、
 驚くべき事に操縦者の小川少尉の遺体は下半身こそ無くなっていたものの傷一つなく、まるで眠っている様であっ
 たとバンカー・ヒル乗組員は伝えています。「上半身だけ見ると、生きている様でもあった」
 バンカー・ヒル乗組員生存者の1人、シュカカン氏は、インタビュアーに向かってこう答えたと言う。
 「小川の傷一つない丸い顔は、何も教えてくれなかった。何と言ったらいいのか、その顔は―極めて普通だった。」
 小川少尉の突入はバンカー・ヒル艦上にいた男たちの運命を変えた。彼等のみならず、おそらく全てのアメリカ人の
 心に、自分たちの生きる世界と、その周りに起こる事に対する計り知れない不安が植え付けられたと言っても過言で
 はなかった。
 今まで「快適な戦争」をしていたバンカー・ヒルに2機の神風が突入した瞬間、彼等は自分達が戦争とそれが引き起
 こす惨事について今まで何も知らなかったと思い知らされる事になった。

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 ▼▲破壊された艦中央部。
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▼空母バンカー・ヒル(CV-17)第2乗員待機室向かいの通路で命を落とした乗組員の死体。
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 ▲バンカー・ヒルに残された特攻機のエンジン
 さっきまでいた場所に直撃弾が落ち、同僚が消えてなくなっている。見るのも怖ろしい死体が何日経ってもどこから
 ともなく発見される。爆死、焼死、窒息死、圧死。あらゆる惨い遺体を水葬にすると、それが浮かび上がってずっと
 後を追いかけてくる・・・。
 2機の特攻機はバンカー・ヒルの乗員達が心の中に築いていた「安心な世界」を一瞬にして破壊させ、もはや彼等の
 日常の思考から「死」を払拭することは不可能となった。
 誰だか判別もつかない肉塊となって、国旗を掛けた水葬台から毛布に包まれて滑り落とされるのが、自分であっても
 何の不思議は無かったという思いから、彼らはもう逃れる事は出来なくなった。
 バンカー・ヒルはウルシー環礁まで撤退し、真珠湾経由でワシントン州ブレマートンに帰投し、大修理を受けた。
 日本の敗戦もそこで迎えた。ウルシー環礁に向かう途中で行われた300名以上の水葬は、現在までにアメリカ海軍が
 1回に行った最大の水葬であった。(バンカー・ヒル船員は2600名士官含む)
 この地獄の直接の原因となった美しいカミカゼ搭乗員の死体が、この後どうなったのか、バンカー・ヒル乗組員生存
 者の口から語られる事は無かった。
 しかしシュカカン氏が何度か遺体の前を通る度に、乗組員が「記念品」を求めて小川少尉の遺体から純白のマフラー
 を、財布を、鉢巻を、指にはめていた指輪を持ち去り、見るたびにその様子が変わっていったと言う。
 シュカカン氏はその行為を「泥棒」と標榜したが、それが泥棒だったのか、辛くも難を逃れた奇跡を孫子に伝える為
 のよすがのつもりだったのかはともかく、小川少尉が身に着けていた物は遺体からことごとく乗組員によって持ち去
 られたものと思われる。
 太平洋戦争が終わって時が経ち、バンカー・ヒルの生存者も1人、また1人と世を去って行った。
 バンカー・ヒルの水兵だったロバート・ショック2000年11月7日に亡くなった時、遺品を整理した孫は、戦争中の
 記念品の箱の中に、小川少尉の物と思われる「パラシュートのベルトの切れ端」「血痕のついた手紙と写真」「血ま
 みれで文字盤の読めない航空時計」を見つけた。
 「川少尉」という漢字のついた飛行服の切れ端が、あの日バンカー・ヒルに突入したのが小川清少尉であったという
 事を、戦後何十年も経ったこの世界に知らしめる事となった。
 小川少尉は胸に航空時計を下げていた。突入の瞬間時計は胸郭を突き破り、胸腔内にめり込んだと言う。
 既にに誰も読む事の出来ない血で覆われたガラスの内では、文字盤の針がその瞬間を永遠に指している・・・。
 ロバートの孫は、小川の遺品を遺族に返還したいと、会社の上司で通訳業務に携わる日本人女性(美幸・グレース)
 を夫人に持つポール・グレース氏に「遺品を御遺族の方々に返還したい」と相談。その後、美幸さんのご尽力によっ
 て、御遺族の連絡先が判明。2001年3月27日サンフランシスコの日本料理店でご親族の大姪陽子さん(小川少尉兄
 孫)幸子さん(陽子さん母)に引き渡された。(小川の実兄は2000年4月に死去していた為、小川の義理の娘母子に
 返還された)遺品は「名前が書かれた布片」「戦友からの短歌が書かれた手紙」「戦友達と写った写真2枚」「落下傘
 の留め金・製造票」「日本の紙幣」「軍票」「懐中時計」 であった。
 ▼返還された小川少尉の遺品

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 遺品を受け取った小川少尉兄孫・陽子さんは以下の様に語っておられる。
 「清の長男(松一)は2000年4月に他界しましたので、松一から私の母に清のことで聞かされていることは、とにか
 く両親思いの優しい人だったそうです。今回の件を通し、改めて戦争の残した傷痕の深さ、残酷さを勉強させられた
 気がしました。子供が大きくなって成長したら、大叔父さんはこういう人だったんだよ、と小川家の誇りとして話を
 したいと思います。これらの事実がここで途切れてしまうのではなく、後世に伝えていかなければならないと思いま
 した。
 美幸様はじめ沢山の方々に協力して頂き、こうして私共遺族の元へ返還して頂きまして大変感謝しております。」

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 最後に小川少尉が両親へ宛てて書いた遺書が残っている。
 お父さんお母さん。清も立派な特別攻撃隊員として出撃する事になりました。思えば二十有余年の間、父母のお手の
 中に育った事を考えると、感謝の念で一杯です。全く自分程幸福な生活をすごした者は他に無いと信じ、この御恩を
 君と父に返す覚悟です。
 あの悠々たる白雲の間を超えて、坦々たる気持ちで私は出撃して征きます。生と死と何れの考えも浮かびません。
 人は一度は死するもの、悠久の大儀に生きる光栄の日は今を残してありません。
 父母様もこの私の為に喜んで下さい。
 殊に母上様には御健康に注意なされお暮し下さる様、なお又、皆々様の御繁栄を祈ります。
 清は靖国神社に居ると共に、何時も何時も父母上様の周囲で幸福を祈りつつ暮らしております。
 清は微笑んで征きます。出撃の日も、そして永遠に。

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▲上から、安則盛三中尉機と小川清少尉機の爆装零戦カラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」

※神風特別攻撃隊「第3正気隊」昭和20年5月11日 串良基地より97艦上攻撃機で出撃。
(那覇沖艦船攻撃)
[操縦]小田切徳一少尉(山梨県出身)/[偵察]堀江荘次少尉(奈良県出身)/[電信]村田正作2飛曹(高知県出身)
[操縦]不明/[偵察]江名武彦少尉(東京都出身)/[電信]不明 は、出撃するもエンジン不調で海面に不時着。
黒島まで泳ぎ着き生還。(これをもって「正気隊」特攻作戦終了)
黒島平和公園には黒島の島民の助けで生き延び、終戦までを戦友と共にこの島で過ごした江名武彦元少尉が2004年
に建立した特攻撃平和観音像があり、戦争で散った友への思いと平和への祈りがこめられ、毎年慰霊祭が開かれている。
「江名武彦少尉インタビュー」YouTube


神雷部隊「第11建武隊」昭和20年5月14日 鹿屋より出撃(零戦5機)
楠本二三夫中尉(長崎県出身)/日裏啓次郎中尉(東京都出身)/花田尚孝1飛曹(北海道出身)
古田稔1飛曹(広島県出身)/鎌田教一1飛曹(広島県出身)

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▲5/14米軽巡洋艦ヴィックスバーグ(USS Vicksburg)に突入する爆装零戦。

神風特別攻撃隊「第6神剣隊」昭和20年5月14日 鹿屋基地よりゼロ戦で出撃
牧野缺少尉(石川県出身)/川野忠邦上飛曹(宮崎県出身)/淡路義二2飛曹(群馬県出身)/斎藤幸雄2飛曹(宮城県出身)

昭和20年5月14日 神風特別攻撃隊「第8七生隊」鹿屋基地より零戦で出撃
藤田卓郎中尉(愛媛県出身)/橋本貞好1飛曹(富山県出身)/荒木一英2飛曹(新潟県出身)

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▲5/14 08:05米空母エセックス(USS Essex)に突入中の爆装零戦。

昭和20年5月14日05:30神風特別攻撃隊「第6筑波隊」爆装ゼロ戦52型15機が鹿屋基地より出撃。
第6筑波隊の爆装零戦隊15機は、500㎏爆弾を抱いて鹿屋飛行場を飛び立った。
500㎏爆弾の重さでなかなか機体が浮かず、滑走路の端一杯まで滑走して、ようやく機体が浮いたという。
途中、1機がエンジントラブルで引き帰し、14機となったが、同じく鹿屋を発進した第11建武隊、第8七生隊、第6神剣
隊の爆戦12機と合流し、合計26機となって南方の米機動部隊を目指した。これを察知した米機動部隊はただちに迎撃隊
を発進させ、特攻機19機が米迎撃戦闘機により撃墜され、6機が対空砲火によって突入前に撃墜された。
[ 隊長 ]富安俊助中尉(東京都出身)/本田耕一少尉(兵庫県出身)/大木偉央少尉(埼玉県出身)
藤田暢明少尉(徳島県出身)/高山重三少尉(愛知県出身)/折口明少尉(長崎県出身)/桑野實少尉(京都府出身)
小山精一少尉(東京都出身)/中村恒二少尉(茨城県出身)/大喜田久男少尉(徳島県出身)
荒木弘少尉(愛知県出身)/時岡鶴夫少尉(兵庫県出身)/西野實少尉(石川県出身)/黒崎英之助少尉(福岡県出身)
原口鈴夫少尉(生還)/後藤尚平少尉(生還)/柳井和臣少尉(生還)※第10筑波隊の編成は不明
柳井少尉他2機は敵を発見できず帰投。他の爆戦隊は種子島東方沖にて敵戦闘機の熾烈な迎撃を受ける。
筑波海軍航空隊の記憶YouTube 柳井和臣元さんは映画『永遠の0』の製作にも協力されている。

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▲柳井和臣少尉
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▲富安俊助中尉(東京都出身)空母エンタープライズ(USS Enterprise)に突入戦死。
以下は「米空母エンタープライズの戦闘記録より」
06:10本艦のレーダー上に最初の敵機影が数個、南西方向に出現。
06:23敵機数機37㎞圏内に侵入。06:45、26機の日本機飛来。6機を対空砲火で撃墜、19機が上空哨戒の戦闘機に
よって撃墜された。だが1機のみは集中砲火を避けて雲に隠れ、時々雲から顔を出してエンタープライズの位置を確
認しつつ生き残っていた。この機を20分前からレーダーで認識していたので、5インチ砲で砲撃するが、雲に隠れる
などした為、効果的な反撃が出来ずにいた・・・。

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▲突入態勢に入った富安俊助中尉のゼロ戦
06:53この機が右舷雲間から現れ06:56本艦に向かって降下してきたので回避運動を行う。
06:57回頭し艦尾を向けた時、左舷後部上方から斜めに降下してきた。集中砲火を浴びせたが、機体を横滑りさせる
などして巧みに回避。オーバーシュートする寸前に艦尾の真上で180度に左回転し、背面飛行の状態から40~50度の
角度で急降下し、前部エレベーターの後端に突入した。

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▲艦尾上空で急反転、背面飛行で急降下突入する富安俊助中尉のゼロ戦
特攻機はエレベーター孔の中を落下して、爆弾は5層下方の甲板で炸裂した。前部エレベーターは爆発で120m上空ま
で吹き上げられ、破孔からの浸水によって艦の前部は2.2メートル沈下し、艦は大破炎上した。

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▲富安俊助中尉機の特攻攻撃を受け、大破炎上する空母エンタープライズ
飛行甲板は歪み、エレベーターの穴が開き、飛行機の離発着が不可能となった。乗組員の戦死14名、負傷者68名。

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▲富安俊助中尉の突入で大きく損傷した飛行甲板エレベーター部分。
特攻隊員の遺体は空母エンタープライズ内エレベーターの孔の底で発見され、遺体のポケットに名刺が入っていた。
その名前は正確に読まれず、長い間「トミ・ザイ」として伝わっていたが、戦史研究家菅原完氏により、富安俊助中尉
である事が特定された。富安中尉の遺体は、同艦乗組員と同様に水葬に付されたという。
3日前に被爆したバンカー・ヒルから旗艦を引き継いだものの、大破した為に旗艦を「ランドルフ」に譲った。
修理の為に戦場を離脱。空母エンタープライズは再び戦場に復帰することは無かった。
「富安俊助中尉の遺書」
父上様 母上様 姉上様
 突然、某方面に出撃を命ぜられ、只今より出発します。
 もとよりお国に捧げた身体故、生還を期しません。必ず立派な戦果を挙げる覚悟です。
 祖国の興廃存亡は今日只今にあります。吾々は御國の防人として出て行くのです。
 私が居なくなったら淋しいかもしれませんが、大いに張り切って元気で暮らして下さい。
 心配なのは皆様が力を落とすことです。
 海軍に入る前に、当然死を覚悟していたのですから、皆様も淋しがることはないと思います。
 秀雄には便りを出す予定ですが、家からもよく言ってやって下さい。
 近藤中尉が訪ねて行く予定故、会ってやって下さい。
 では                                  俊助
 大いに頑張りますから、その点御安心ください。 

 神風特別攻撃隊「第6筑波隊」藤田暢明少尉(徳島県出身)には結婚を約束した人がいた・・・。

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 ▲結婚前に撮られた記念写真。
 藤田暢明少尉は出撃前に東京出身の睦重(むつえ)さんと結婚を望んだが、彼女の両親は娘が未亡人となる事
 が明白なので結婚に反対。然し、睦重さんが反対を押し切り結婚を望んだ為、ついに両親も折れて結婚を許した。
 ところが結婚許可の出た3日後、藤田少尉は神風特攻・第6筑波隊として鹿屋基地から出撃し、不帰の人となった。
 睦重さんは藤田少尉の戦死後、彼の実家で彼の遺影と結婚式を挙げた。

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 ▲藤田暢明少尉の遺影と挙式した睦重さん。
 戦後は養父の説得に応じて帰京。大学へ進学し最後まで一人の人生を貫かれ、1993年に亡くなられた。
 「藤田暢明少尉の遺書」
 御両親様
 本5月11日、鹿児島の鹿屋基地に転進予定の所天候不良の為12日に延期され候。
 さらばと別れし士官室に帰れば、御両親様よりの親書と、この大戦局の荘厳なる事実の中に
 「我」を見出したる喜びと併せて、特に天下一の幸運児なるを痛感致居候。
 筑波以来三ヶ月、苦楽を倶にせし同期の櫻の顔色益々明るく、意自ら通じ明朗且天真爛漫に
 て幸福なる一瞬を意義あらしめ居候。
 而して議を論ぜず将に淡如水、心境如斯次第に御座候。
 御両親様、睦重は優しい質素な貞淑なる暢明の妻たる故大事にしてやって被下度候。
 父上様、母上様、永い間お世話になりました。
 何時迄もいつまでも次の世も亦来る世も父上様、母上様の子にして下さいませ。
 では御両親様さやうなら、暢明元気で征きます。
 藤田家の隆昌と皆様のご幸福をお祈りします。
 昭和20年5月11日
  大日本帝国海軍 神風特別攻撃隊筑波隊 第10中隊第2区隊長 海軍少尉 藤田暢明
  身長 1米73糎 体重 18貫 9百匁 胸囲 97糎
 愛しい我が愛妻 睦重!
 来世も次の世もまた次の次の世も暢明の妻となってくれ。
 睦重、睦重、睦重。
 優しいおまえをだれよりもおれは愛する。睦重さようなら。
 むつゑ、睦重、睦重、睦重! 優しい優しいただ一人の睦重 さらば! 又の日
                                海軍少尉 藤田暢明


神風特別攻撃隊「菊水白菊隊」昭和20年5月24日 鹿屋基地より練習機「白菊」で出撃
(高知空)
19:26[操縦]柴原 繁1飛曹(大阪府出身)/[偵察]小堀淳三郎少尉(埼玉県出身)
19:36[操縦]川端 滋1飛曹(大阪府出身)/[偵察]荒東国夫2飛曹(広島県出身)
19:39[操縦]水野 博上飛曹(愛知県出身)/[偵察]木戸門一上飛曹(愛知県出身)
19:42[操縦]佐々木威夫少尉(宮城県出身)/[偵察]高橋 中少尉(栃木県出身)
19:44[操縦]松本 眞2飛曹(宮崎県出身)/[偵察]小倉敏男上飛曹(山形県出身)
19:45[操縦]菅原喜三1飛曹(秋田県出身)/[偵察]野田 勉中尉(山形県出身)
19:46[操縦]佐々木重衛1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]中根輝治1飛曹(愛知県出身)
19:50[操縦]能見 博1飛曹(広島県出身)/[偵察]力石権四郎少尉(静岡県出身)

※神風特別攻撃隊「徳島第1白菊隊」昭和20年5月24日 串良基地より練習機「白菊」で出撃
(徳島空)
20:19[操縦]水戸丈夫上飛曹(新潟県出身)/[偵察]高木敏夫上飛曹(北海道出身)
20:51[操縦]隈倉悦二2飛曹(徳島県出身)/[偵察]木田由男1飛曹(富山県出身)
20:50[操縦]須田治少尉(東京都出身)/[偵察]根本喜一少尉(福島県出身)
20:51[操縦]藤原一男上飛曹(京都府出身)/[偵察]脇田七郎2飛曹(岐阜県出身)
20:53[操縦]井上 博上飛曹(兵庫県出身)/[偵察]伊東勝義1飛曹(岡山県出身)
20:55[操縦]高野利雄上飛曹(長野県出身)/[偵察]江田耕二1飛曹(岩手県出身)
21:27[操縦]岡島 勝2飛曹(福井県出身)/[偵察]浦上 博1飛曹(長崎県出身)
21:30[操縦]栗木朝明1飛曹(福岡県出身)/[偵察]真野敏弘少尉(富山県出身)
22:10[操縦]寺井政雄2飛曹(福岡県出身)/[偵察]平島 栄1飛曹(宮崎県出身)
22:10[操縦]成田松之助2飛曹(千葉県出身)/[偵察]渕元五十雄少尉(滋賀県出身)
23:02[操縦]中岡安美2飛曹(熊本県出身)/[偵察]三浦松義1飛曹(大分県出身)

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▲練習機「白菊」をバックに写真に収まる「徳島白菊隊」勇士
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▲昭和20年3月練習航空隊から実施部隊に改編された第13聯合航空隊は、第10航空艦隊の命により、
 練習機「白菊」による「神風特別攻撃隊」を編成した。高知航空隊(菊水白菊隊)/徳島航空隊(徳島白菊隊)
 鈴鹿航空隊(若菊隊)/大井航空隊(八洲隊)で「白菊特攻隊」である。写真は八洲隊勇士。

神風特別攻撃隊「菊水白菊隊」昭和20年5月25日 鹿屋基地より練習機「白菊」で出撃
(高知空)
20:07[操縦]西 久道2飛曹(京都府出身)/[偵察]坂本俊実1飛曹(山口県出身)

※神風特別攻撃隊「第10銀河隊」昭和20年5月25日 宮崎基地より「銀河」12機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]越野時貞1飛曹(愛知県出身)/[偵察]鈴木喜久男1飛曹(福島県出身)/[電信]藤澤彌須雄1飛曹(滋賀県出身)
[操縦]岩品福三郎1飛曹(静岡県出身)/[偵察]小口博造中尉(長野県出身)/[電信]平野 勇上飛曹(岩手県出身)
段ボール製造で有名な製紙メーカーのレンゴー株式会社東京工場に「気力、術力、精神力」という標語が大きく書いて
ある。海軍の標語らしい。5/25「銀河」で出撃、戦艦ウェスト・バージニアに突入前に撃墜されるも駆逐艦キャラハ
ンに救助されて生還した長谷川薫中尉が社長を勤めた会社だ。
長谷川中尉は海中に突入して海を漂っているところを駆逐艦キャラハンに救助された。同乗していた吉田湊飛曹長も救
助されたが、直後に出血多量で死亡した。
「駆逐艦キャラハン」のバーソルフ艦長は特攻攻撃の続く中、危険を冒して艦を停止させ、長谷川中尉と吉田飛曹長を
救助した。吉田湊飛曹長の遺体は丁重に水葬されたと言う。
▼「第10銀河隊」吉田湊飛曹長は佐賀県出身。空母瑞鶴でハワイ作戦、珊瑚海海戦に参加した古参零戦搭乗員だった。

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※神風特別攻撃隊「第3正統隊」昭和20年5月25日 第2国分基地より99艦上爆撃機で出撃
沖縄周辺艦船攻撃
[操縦]安斎 岩男上飛曹(福島県出身)/[偵察]鹿島 昭雄1飛曹(福岡県出身)
沖永良部島上空(和泊港沖合にて米軍機と空中戦。2機が撃墜され、安斎上飛曹機は和集落の畑に墜落した。
奄美群島周辺で特攻機を待ち伏せしていた米軍機の攻撃により、沖永良部島には陸海軍多くの特攻機が墜落している。

第9回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年5月25日 鹿屋より出撃(桜花3機、一式陸攻3機)
※生還された一式陸上攻撃機操縦士の長浜敏行さんの証言によれば、この日沖縄は梅雨。激しい雨で視界が無く、
 9機で出撃し、9機全て鹿屋に引き返したと語っている。
[桜花]
秋吉 武明上飛曹(熊本県出身)/磯邊正勇喜上飛曹(福岡県出身)/徳安春海1飛曹(熊本県出身)
[陸攻]
永吉晃中尉(鹿児島県出身)/工藤正典少尉(広島県出身)/小作明男少尉(神奈川県出身)
登玉道郎上飛曹(長野県出身)/山口正治上飛曹(岩手県出身)/山浦甲子郎上飛曹(長野県出身)
河野常好上飛曹(愛媛県出身)/早坂敦郎1飛曹(茨城県出身)/藤原薫1飛曹(福岡県出身)
三宅六男1飛曹(福井県出身)/相川和夫1飛曹(佐賀県出身)/佐光勝美1飛曹(岐阜県出身)
石渡和作1飛曹(静岡県出身)/江面安治1飛曹(茨城県出身)/田村吉傳1飛曹(静岡県出身)
久保唯義1整曹(徳島県出身)/中村盛男2飛曹(東京都出身)/小野一寶2飛曹(山梨県出身)
田中秀夫2飛曹(新潟県出身)/杉野次夫飛長(山口県出身)/松枝金作飛長(秋田県出身)


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▲昭和20年5月25日米駆逐艦バトラー(USS Butler)に特攻機が突入、乗組員9名死亡。
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▲▼米駆逐艦バトラー(USS Butler)に救助された特攻隊員。白菊隊の特攻隊員か・・・?
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▲▼白菊で鹿屋を出撃した、[操縦]横山善明2飛曹/[偵察]青木武少尉 かもしれない・・・ご苦労様でした。
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▲傷の手当を受けている。
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▲5/25は、海軍(菊水白菊隊/徳島白菊隊/第10銀河隊/神雷部隊/第3正統隊)が出撃。
陸軍は(56振武隊/57振武隊/58振武隊/60振武隊/61振武隊/66振武隊/70振武隊/78振武隊/105振武隊/433振武隊)
が出撃しているが、天候不良の為、大部分の部隊が基地へ引返している。
写真に残るお2人がどなたかははっきりと解らないが、とにかく無事で良かったと思う。ご苦労様でした。

神風特別攻撃隊「菊水白菊隊」昭和20年5月27日 鹿屋基地より練習機「白菊」で出撃
(高知空)
18:01[操縦]川田 茂中尉(北海道出身)/[偵察]増田幸男1飛曹(宮崎県出身)
18:32[操縦]市原重雄上飛曹(神奈川県出身)/[偵察]縄野恭平中尉(東京都出身)
18:32[操縦]佐藤新四郎1飛曹(宮城県出身)/[偵察]安藤 広2飛曹(静岡県出身)
18:34[操縦]牧ノ内幸雄少尉(東京都出身)/[偵察]後藤春夫2飛曹(熊本県出身)
18:42[操縦]横山誠雄2飛曹(大阪府出身)/[偵察]橋本隆夫1飛曹(大阪府出身)
18:42[操縦]今野作蔵1飛曹(宮城県出身)/[偵察]島田常次2飛曹(宮崎県出身)
18:45[操縦]畠中政人2飛曹(広島県出身)/[偵察]渡世 保少尉(東京都出身)
18:46[操縦]岩崎鉄也少尉(兵庫県出身)/[偵察]河本茂男2飛曹(山口県出身)
18:47[操縦]篠部克巳少尉(兵庫県出身)/[偵察]木藤静雄2飛曹(佐賀県出身)
    [操縦]横山善明2飛曹/[偵察]青木武少尉
横山善明二等飛行兵曹と青木武少尉は「菊水八号作戦第三次白菊攻撃隊」の八番機として鹿児島・鹿屋基地から出撃。
数時間かけて沖縄海域に到達した。敵艦隊の対空砲火、夜間迎撃戦闘機の攻撃を突破して駆逐艦と見られる敵艦に狙い
をつけた。しかし、超低空の攻撃だった為、ダメージを受けていた機体が体当たり寸前に横滑りして着水、漂流してい
るところを米軍に救助され、戦後を生き抜いた。
※第三次白菊隊となっているが詳細は不明。5/25の出撃で米駆逐艦バトラーに救出された特攻隊員の可能性大。

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▲神風特別攻撃隊「菊水白菊隊」
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▲「徳島白菊隊」練習機白菊のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
練習機「白菊」は巡航速度約180キロと新幹線よりも遅い上、爆弾を積んで更に鈍足、迎撃されたらひとたまりもない。
敵に発見されにくいよう、一機一機単独で、月明かりを頼りに、超低空の夜間攻撃を敢行した。

※神風特別攻撃隊「第2白菊隊」昭和20年5月27日 串良基地より練習機「白菊」で出撃
(徳島空)
20:40[操縦]中尾照雄2飛曹(兵庫県出身)/[偵察]安達昭二2飛曹(静岡県出身)
20:52[操縦]荒木圭亮少尉(京都府出身)/[偵察]井上健吉少尉(福岡県出身)
21:00[操縦]佐藤四郎少尉(宮城県出身)/[偵察]市野義春少尉(愛媛県出身)
21:05[操縦]井尻登良一2飛曹(京都府出身)/[偵察]岩崎正男1飛曹(埼玉県出身)
21:10[操縦]石井正行2飛曹(広島県出身)/[偵察]稲子多喜男1飛曹(鹿児島県出身)
21:10[操縦]植原廣2飛曹/[偵察]相澤彬一1飛曹 02:45エンジン不調で喜界島不時着➡串良帰還。
21:20[操縦]田中正喜中尉(東京都出身)/[偵察]中野喜弘少尉(茨城県出身)
21:20[操縦]帯川文男2飛曹(長野県出身)/[偵察]能勢寛治少尉(大阪府出身)

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▲神風特別攻撃隊「徳島第2白菊隊」

※神風特別攻撃隊「第3白菊隊」昭和20年5月29日 串良基地より練習機「白菊」で出撃
(徳島空)
19:13[操縦]北 光圓1飛曹(熊本県出身)/[偵察]為広二見2飛曹(香川県出身)
19:14[操縦]上村早苗2飛曹(福岡県出身)/[偵察]三宅 四郎2飛曹(兵庫県出身)
19:15[操縦]山岸純一2飛曹(新潟県出身)/[偵察] 
19:19[操縦]門田善次2飛曹(高知県出身)/[偵察]滝本幸一2飛曹(和歌山県出身)
[操縦]清水盛正少尉/[偵察]泉 良輔中尉中尉

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▲練習機「白菊」低速の練習機に250キロ爆弾を2発も搭載した為、80~90ノットしか出なかった。手前の白菊は
 昭和20年5月29日徳島第3白菊隊の北光円1飛曹、為広二見2飛曹の搭乗機として串良を出撃、沖縄の海に散る。

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▲「第3白菊隊」練習機白菊のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
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▲練習機「白菊」速力は最大でも120ノットと極端に遅い為、昼間の攻撃は不可能と判断され、夜明け前に突入する
 戦法がとられた。出撃は全て夜半であった。(夜間に出撃した「特攻機」は白菊と水上偵察機のみである)

※神風特別攻撃隊「第4正統隊」昭和20年6月3日 第2国分基地より99艦上爆撃機3機で出撃
(沖縄周辺艦船攻撃)
[操縦]鳥山政幸上飛曹(埼玉県出身)/[偵察]関島 進中尉(長野県出身)
[操縦]前山富士生少尉(神奈川県出身)/[偵察]南里 勇1飛曹(佐賀県出身)
[操縦]野津 誠少尉(東京都出身)/[偵察]服部英明1飛曹(岐阜県出身)

※神風特別攻撃隊「第21大義隊」昭和20年6月7日 石垣島基地より零戦で出撃
(宮古島東方機動部隊攻撃)
橋爪 和美1飛曹(和歌山県出身)/柳原 定夫2飛曹(北海道出身)

※神風特別攻撃隊「第4白菊隊」昭和20年6月21日 串良基地より練習機「白菊」で出撃
(徳島空)
19:27[操縦]大住博也上飛曹(富山県出身)/[偵察]萩原満三少尉(鹿児島県出身)
19:29[操縦]井上国平中尉(神奈川県出身)/[偵察]末次直輔少尉(東京都出身)
19:30[操縦]北脇博夫中尉(滋賀県出身)/[偵察]水無瀬勇少尉(高知県出身)

神風特別攻撃隊「菊水第2白菊隊」昭和20年6月21日 鹿屋基地より練習機「白菊」で出撃
(高知空)
19:00[操縦]針生房吉中尉(宮城県出身)/[偵察]河野直義2飛曹(岐阜県出身)
19:05[操縦]藤本利雄2飛曹(大阪府出身)/[偵察]掛川諒一2飛曹(長野県出身)
19:16[操縦]井上幸胤中尉(大阪府出身)/[偵察]有賀康男1飛曹(長野県出身)
19:22[操縦]粟倉一雄2飛曹(静岡県出身)/[偵察]佐久間潔上飛曹(香川県出身)
19:30[操縦]古賀一義中尉(福岡県出身)/[偵察]宮沢茂雄1飛曹(東京都出身)

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▲米駆逐艦バリー (USS Barry)
 バリーは5月28日に慶良間諸島の泊地に曳航されたが被害の規模は大きく、復旧は割に合わないと判断された。
 バリーは部品取りとなり、再利用可能な部品は他の艦艇に転用される事となった。1か月後の昭和20年6月21日、
 バリーは除籍された。この日もまた、日本軍は菊水十号作戦を発動して神風を送り込んできたが、投入される機
 も人材も沖縄戦の末期にあたる頃からはほとんど払底した感じとなり、機材面では菊水七号作戦からは、練習機
 「白菊」が投入されるようになるという一種の末期的症状を呈していた。人材面も長時間の飛行に慣れる間もな
 く戦場に送り込まれ、レーダーピケット艦あたりが最初に見えてくるととりあえず突入するという有様であった。
 アメリカ側も神風のレベル低下を既に承知しており、菊水十号作戦に際しては囮作戦を仕掛けることとなった。
 バリーは中型揚陸艦 LSM-59 に護衛されて慶良間の泊地から引き出され、海上に向かった。
 間もなく6機の「白菊」が出現し、バリーとLSM-59に命中。LSM-59は沈没し、バリーは1日保ったが6/22沈没。
 バリーが沈んだ6/22、沖縄の日本軍最高司令官牛島満陸軍中将と参謀長の長勇陸軍中将は摩文仁丘の洞窟で共に
 切腹し、自決。沖縄戦は終結し、菊水作戦もこの6月22日をもって終了した。

第10回神雷桜花特別攻撃隊昭和20年6月22日 鹿屋基地より出撃(桜花7機、一式陸攻7機)戦果無し
※一式陸攻1機(上田照行上飛曹/長濱敏行1飛曹)は、奄美大島上空で米軍機の攻撃を受けながらも桜花を切り離して喜
界島に不時着。その時の様子を一式陸攻の操縦士だった長浜敏行さんが語っておられます「特攻隊員が語る戦争の記憶」
[桜花]
藤崎俊英中尉(千葉県出身)/堀江眞上飛曹(秋田県出身)/山崎三夫上飛曹(福岡県出身)
片桐清美1飛曹(福岡県出身)
[陸攻]
伊藤正一中尉(宮城県出身)/稲ヶ瀬隆治中尉(和歌山県出身)/根本次男中尉(福島県出身)
三浦北太郎中尉(岩手県出身)/千葉芳雄上飛曹(宮城県出身)/岡本繁上飛曹(石川県出身)
樫原一一上飛曹(香川県出身)/立川徳治上飛曹(大阪府出身)/山下幸信上飛曹(香川県出身)
鳥居義男上飛曹(愛媛県出身)/南藤憲上飛曹(宮崎県出身)/佐藤貞志1飛曹(福島県出身)
飛鷹義夫1飛曹(熊本県出身)/樋口武夫1飛曹(佐賀県出身)/土井惟三1飛曹(広島県出身)
木村茂1飛曹(愛媛県出身)/三木淑男1飛曹(和歌山県出身)/武田廣吉1飛曹(岩手県出身)
中島佐吉1整曹(群馬県出身)/村山省策1整曹(北海道出身)/藤木政戸2飛曹(群馬県出身)
杉田龍馬2飛曹(香川県出身)/牛濱重則2飛曹(鹿児島県出身)/但木正飛長(宮城県出身)
明神福徳飛長(高知県出身)/大熊賢飛長(岡山県出身)/北村義明飛長(神奈川県出身)
坂本吉一飛長(東京都出身)

第1神雷爆戦隊昭和20年6月22日 鹿屋基地より出撃(零戦7機)
川口光男中尉(三重県出身)/高橋英生中尉(大分県出身)/伊藤祥夫少尉(大分県出身)
石塚隆三少尉(茨城県出身)/河晴彦少尉(福井県出身)/溝口幸次郎少尉(静岡県出身)/金子照男少尉(埼玉県出身)

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▲昭和20年6月22日特攻機が沖縄周辺で活動中の米軍上陸用舟艇に突入、炎上している写真。

※神風特別攻撃隊「徳島第5白菊隊」昭和20年6月25日 串良基地より練習機「白菊」で出撃
(徳島空)
19:22[操縦]高沢啓次1飛曹(富山県出身)/[偵察]前野博之2飛曹(兵庫県出身)
19:37[操縦]木塚梅夫2飛曹(佐賀県出身)/[偵察]岡田 清少尉(山口県出身)
20:05[操縦]今西登志男2飛曹(大阪府出身)/[偵察]緒方秀一1飛曹(熊本県出身)
20:08[操縦]菅野繁蔵上飛曹(福島県出身)/[偵察]沢原昭夫2飛曹(愛媛県出身)
20:12[操縦]山口清三郎2飛曹(新潟県出身)/[偵察]三浦猛輝少尉(鹿児島県出身)

神風特別攻撃隊「菊水第3白菊隊」昭和20年6月26日 鹿屋基地より練習機「白菊」で出撃
(高知空)
20:00[操縦]春木 茂1飛曹(愛知県出身)/[偵察]岩下 武2飛曹(神奈川県出身)

白菊隊について、生き残った岩橋昭典2等飛行兵曹の証言。「あれは決号作戦(本土決戦)に向けての試験特攻だった。
練習機100機を突っ込ませて成功率を調べたんだ。」と、語っておられる・・・。

※神風特別攻撃隊「第7御盾隊」第1次流星隊 昭和20年7月25日 木更津基地より「流星」で出撃
(大王崎南東方機動部隊攻撃)
[操縦]向島重徳飛曹長(長崎県出身)/[偵察]森 正一大尉(東京都出身)
[操縦]関口洋上飛曹(大分県出身)/[偵察]小澤長三郎中尉(茨城県出身)
[操縦]石川泰三上飛曹(滋賀県出身)/[偵察]郡田英男中尉(埼玉県出身)
[操縦]本田只美1飛曹(香川県出身)/[偵察]斎藤七郎上飛曹(静岡県出身)

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▲海軍新鋭艦上攻撃機「流星」をも特攻に投入するも時既に遅し・・・。

※神風特別攻撃隊「第3龍虎隊」 昭和20年7月29日 宮古島基地より「93式中間操縦練習機」で出撃
三村弘上飛曹(岡山県出身)/庵民男1飛曹(鹿児島県出身)/川平誠1飛曹(静岡県出身)
近藤清忠1飛曹(長野県出身)/原優1飛曹(長野県出身)/松田昇三1飛曹(東京都出身)

※神風特別攻撃隊「第3龍虎隊」 昭和20年7月30日 宮古島基地より「93式中間操縦練習機」で出撃
佐原正二郎1飛曹(静岡県出身)

※昭和20年8月6日(米軍、広島原爆投下)
※昭和20年8月9日(米軍、長崎原爆投下)
※昭和20年8月9日長崎へ向かう原爆搭載B-29に対し築城基地より零戦10機が築城基地より緊急発進。
 天雷特別攻撃隊白虎隊出撃。加藤正治1飛曹/内藤宏上飛曹(築城海軍航空隊)
 天雷特別攻撃隊白虎隊とは零戦52型に3号250キロ爆弾を装備してB-29の大編隊の前方50-60度の角度から侵入し、
 1番機をかわした時にボタンを押して爆発することで直径250-300m範囲でダメージを与える空中特攻である。
 「海軍築城基地(ついききち)福岡県築上郡築上町」

※神風特別攻撃隊「第7御盾隊」第2次流星隊 昭和20年8月9日 木更津基地より「流星」で出撃
(金華山沖機動部隊攻撃)
[操縦]茨木松夫中尉(鹿児島県出身)/[偵察]田中喜芳上飛曹(香川県出身)
[操縦]島田栄助上飛曹(東京都出身)/[偵察]笹沼正雄中尉(宮崎県出身)
[操縦]曽我部譲上飛曹(愛媛県出身)/[偵察]野邊貞助1飛曹 (宮崎県出身)
[操縦]林  憲正中尉(愛媛県出身)/[偵察]横塚新一上飛曹(東京都出身)
[操縦]高須孝四郎1飛曹(愛知県出身)/[偵察]小松文男1飛曹(秋田県出身)
[操縦]拵 和夫1飛曹(鹿児島県出身)/[偵察]吉野賢示1飛曹(静岡県出身)

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▲8/9 14:55米空母ワスプ(USS Wasp)に突入する「第7御楯隊」第2次流星隊の「流星」
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▲海軍艦上攻撃機「流星」

※神風特別攻撃隊「第4御盾隊」昭和20年(1945)8月9日 百里原基地より「彗星」で出撃
 (犬吠埼東方機動部隊攻撃)
[操縦]田中幸二中尉(大阪府出身)/[偵察]萬善東一1飛曹(鹿児島県出身)
[操縦]板橋泰夫上飛曹(福島県出身)/[偵察]北村久吉中尉(三重県出身)
[操縦]遠山明上飛曹(香川県出身)/[偵察]渋谷文男2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]榊原 靖中尉(愛媛県出身)/[偵察]岩部敬次郎1飛曹(佐賀県出身)
[操縦]原島久仁信上飛曹(福岡県出身)/[偵察]原田敏夫1飛曹(神奈川県出身)
[操縦]遠藤良三上飛曹(静岡県出身)/[偵察]増岡輝彦1飛曹(福岡県出身)
[操縦]廣島忠夫1飛曹(福岡県出身)/[偵察]

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▲海軍艦上爆撃機「彗星」

※第931海軍航空隊「攻撃第251飛行隊」 昭和20年8月12日 串良基地より艦上攻撃機「天山」4機で出撃
米戦艦ペンシルベニアが、夜間雷撃隊による夜間雷撃を受ける。
出撃機4機のうちの1機が発射した航空魚雷1本が艦尾付近に命中、浸水・大破した。

※神風特別攻撃隊「第7御盾隊」第3次流星隊 昭和20年8月13日木更津基地より「流星」で出撃
(犬吠埼沖機動部隊攻撃)
[操縦]酒向公二1飛曹(岐阜県出身)/[偵察]元 八郎中尉(石川県出身)
[操縦]上大迫克巳中尉(鹿児島県出身)/[偵察]西森良臣上飛曹(高知県出身)
[操縦]弘寺富士人上飛曹(広島県出身)/[偵察]砂川啓英中尉(沖縄県出身)
[操縦]田中憲一1飛曹(福岡県出身)/[偵察]山中 誠少尉(茨城県出身)

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▲海軍艦上攻撃機「流星」
※酒向公二1飛曹は、4/6に「第1正統隊」で出撃して生還した浜園重義さんと同期生で南方戦線を戦い抜いて来た歴戦
 のパイロットだった。
西森良臣兵曹は部下の流星(偵察員)の川野喜一氏にこう言った。「川野、これから自分は出撃する。川野の新しい飛行
服と自分のを取り替えてくれ。綺麗に死ぬ為に新しい服が欲しいのだ。」
部下の川野偵察員は、ちょっと残念な気持ちで服を渡した。
なぜなら3日後川野偵察員も出撃する予定だったので、その時に使いたかったからだ。
しかし、川野偵察員が出撃する日の前日、戦争は終わった。川野偵察員の飛行服は沖縄の海の底に沈んでいる。
そして川野偵察員は生き残った。
「神様は亡くなった仲間達を忘れない様に、彼等の事を次の世代に伝える為に私を残したのだ」と川野氏は語っている。

※神風特別攻撃隊「第4御盾隊」昭和20年(1945)8月13日 百里原基地より「彗星」で出撃
 (犬吠埼東方機動部隊攻撃)
[操縦]小城亞細亞中尉(東京都出身)/[偵察]森 保上飛曹(京都府出身)
[操縦]平野 亨中尉(埼玉県出身)/[偵察]加藤康夫2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]三橋 栄治中尉(神奈川県出身)/[偵察]今井 勲1飛曹(千葉県出身)
[操縦]武内良之1飛曹(栃木県出身)/[偵察]生津賢裕1飛曹(福岡県出身)

※第2神雷爆戦隊昭和20年8月13日喜界島基地より出撃(零戦5機)
(沖縄周辺艦船攻撃)
岡嶋四郎中尉(千葉県出身)/星野 實1飛曹(京都府出身)
岡本鼎中尉/細沢実1飛曹/松林信夫2飛曹の3機は機体トラブル等で喜界島に帰還。
離陸した5機の内、岡本機は離陸後オイル漏れが発生し、松林機も離陸時に片脚を折損して格納できなくなった。
その為、岡本編隊は無傷の細沢機も含めて、暗くなりかけた喜界島に帰投した。松林機は胴体着陸し使用不能となった。
岡島編隊の2機はそのまま沖縄に向かい、沖縄沖に停泊中の米攻撃輸送艦ラグランジュに突入。1番機は19:47左舷
上部構造のキャビンデッキに突入した。そのため同艦は電力・通信機能等を一挙に失った。
続いて2番機は左翼を艦体にぶつけた後左舷海面に突入し、前部左舷にガソリンや機体の破片を海水と一緒に浴びせか
けた。この攻撃で同艦は戦死21名、負傷者89名を出し、その後同艦は応急修理のためグアム島へ向かった。
輸送艦ラグランジは特攻による最後の損傷艦、沖縄への航空特攻が終結。

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▲開戦時は無敵だったゼロ戦も戦争末期にはもはや老兵であった。

※神風特別攻撃隊「第4御盾隊」昭和20年8月15日 百里原基地より「彗星」8機で出撃「終戦(敗戦)日」
 (金華山沖機動部隊攻撃)
[操縦]谷山春男中尉(兵庫県出身)/[偵察]田島平三1飛曹(群馬県出身)
[操縦]田上初治1飛曹(兵庫県出身)/[偵察]田中 喬1飛曹(福岡県出身)
[操縦]藤本 嶺1飛曹(山口県出身)/[偵察]新井唯夫2飛曹(静岡県出身)
[操縦]岩谷樺王上飛曹(青森県出身)/[偵察]溝口和彦1飛曹(佐賀県出身)
[操縦]永田與四雄1飛曹(長崎県出身)/[偵察]矢上 保1飛曹(鹿児島県出身)
[操縦]川合壽一上飛曹(岐阜県出身)/[偵察]水上潤一中尉(石川県出身)
[操縦]山本好人上飛曹(佐賀県出身)/[偵察]勝原通利中尉(福岡県出身)
[操縦]弘光正治1飛曹(高知県出身)/[偵察]泉川 白2飛曹(香川県出身)

米軍戦闘記録によれば13:30空母ヨークタウンの防空戦闘機によって最後に撃墜された特攻機は百里原基地を出撃
した「彗星」弘光正治1飛曹(高知県出身)/泉川 白2飛曹(香川県出身)であった。
正午の天皇玉音放送後に突入した事になる。
なお、8/15に出撃した「第4御盾隊」8機「第7御盾隊」1機は全て撃墜されている。

※神風特別攻撃隊「第7御盾隊」第4次流星隊 昭和20年8月15日 木更津基地より「流星改」で出撃「終戦(敗戦)日」
(勝浦南東機動部隊攻撃)
[操縦]縄田准二1飛曹(福岡県出身)/[偵察]中内 理1飛曹(高知県出身)※日本軍最後の特攻隊とされている。
海軍公式記録上「最後の特攻」第4次流星隊は、第752海軍航空隊 攻撃第5飛行隊の艦上攻撃機「流星改」の胴体
下爆弾庫内に800kg爆弾を入れて出撃。終戦当日の午前10時に2機(1機引き返す)が房総半島沖の空母ヨークタウン
に特攻々撃を敢行するも撃墜されている。

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▲「第7御盾隊」第4次流星隊のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
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▲海軍艦上爆撃機「流星」
※第4次丹作戦として「第5御盾隊」が編成されるが実施前に終戦を迎えた。

昭和20年(1945)8月15(16)日「宇垣特攻」 大分基地より「彗星」11機で出撃「終戦(敗戦)後16日」
※「宇垣長官の出撃が16日であることは大分では誰でも知ってる」と話す人が居る様だ。
 これを裏付ける様に、豊の国宇佐市塾発行の「宇佐航空隊の世界」に、中津留大尉が宇佐航空隊
 で教官をされていた当時の話や、8月16日に沖縄に向かって出撃した事が記されている。
 当事の関係者は、命令に従って突入した隊員を「戦死」と認めさせる為、8月15日突入として発表し
 たものと思われる。

山本五十六司令長官搭乗の一式陸攻がブーゲンビル島上空で撃墜された時、別の一式陸攻でからくも助かった宇垣纏中
将は「自分もいずれは後を追う」と心に決めていたのだろう。昭和20年(1945)8月15日早朝、宇垣 纏中将は自ら最
後の特攻を行うべく、艦上爆撃機彗星を5機用意するように部下の中津留達雄大尉に命じる。
正午、天皇陛下の玉音放送を聴くも決意は変わらず「戦藻録」最後のページを書き終えた後、自ら中津留大尉の操縦す
る彗星に座乗し、合計11機で沖縄沖に向かって大分基地から離陸する。
写真では軍服の中将の階級を示す襟章が外されていた(高官が死地に赴く時には、階級を示す物を外す習慣があった為)

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▲出撃前に撮影された宇垣 纏中将
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▲「宇垣特攻」に使用されたのは彗星43型
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▲彗星に乗り込んだ宇垣中将、左から中津留達雄大尉/遠藤秋章飛曹長/宇垣 纏中将
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▲そして発進。
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▲中津留達雄大尉
夕刻、沖縄県伊平屋島海岸付近に米軍が張っていたテントのすぐ近くに、1機の彗星が墜落した。中からは操縦士と思わ
れる若い将兵1人の他に、飛行服ではなく、階級章のない第三種軍装を着た壮年1人の遺体が収容された。
出撃前の写真から判断して、これが宇垣の乗っていた彗星だった可能性が高い。しかし墜落状況は、動くことも反撃する
事もない目標を前にしてわざわざ特攻を行わなかったようにも見え、操縦していた中津留大尉が停戦命令を死守すべく意
図的にテントを避けたとする説や、特攻の意味が無くなったと思い山本五十六の短刀で自決したとする説もある。
但し、これらの遺体が宇垣たちであると日本側によって公式に確認されたわけではない為、正確な死亡場所は現在も不明
とされ「敵艦に突入した」と説明する資料も存在する。
出撃した彗星の通信記録が残っている様だ。
18:30磯村堅少尉機より「敵水上部隊見ユ」という電文が入電、その後すぐに「突入」という無電が入る。
19:24宇垣中将搭乗機より宇垣中将の決別電が入り、20:25「ワレ奇襲に成功ス」との入電が入っている。
他の機からも突入電が入っているが、11機の中で突入と認められたのは、宇垣中将搭乗の中都留機、伊藤機、北見機、
池田機、内海機、磯村機、中島機、吉田機の8機とされている。残る3機の内2機はエンジン故障の為鹿児島県内に不時着。
最後の1機は沖縄上空まで到達したが、敵艦船を発見できず陸上部隊に爆弾を投下した後、燃料不足で不時着したと言う
この記録は当日7機の特攻機がアメリカ艦隊の艦船に向かって突入してきたというアメリカ側の無線を、日本側が傍受して
いるとの事で信憑性はあるかと思われる。
宇垣 纏中将は、ポツダム宣言受諾後に正式な命令もなく特攻を行った為、戦死とは見做されず大将昇級は無い。
むしろ、停戦命令後の理由なき戦闘行為を禁じた海軍刑法第三十一条に抵触していたのではないかとする意見が多い。
(但し、玉音放送を正式な「停戦命令」と解釈できるかどうかを巡って見解が分かれている。例えば秦郁彦は8/16、16
時に発せられた大陸命第1382号および大海令第48号を正式な停戦命令としている)
また、玉音放送後の出撃でいたずらに兵を犠牲にしたとして、遺族の非難を浴びる事にもなった。
連合艦隊司令長官小沢治三郎は、「自決するなら1人でやれ、若者を巻き込むな」と激怒したと言う。
「特攻の生みの親」大西瀧治郎中将の様に自決は1人でも出来る為、これは弁明にはならないとも思われる。
弁明を入れるなら、特攻作戦に関与した海軍中枢部の将官クラスで、「オレも後から必ず行く(死ぬ事)」と言ってそれ
を実行したのは、宇垣と大西瀧治郎中将だけである。
玉音放送後の宇垣 纏中将の心理状況については、なお検討する余地はあるかもしれない。
上記の問題点により戦死者(あるいは殉難者)とは認められず、現在靖国神社には合祀されていない。
尚、この部隊の指揮を取った中津留大尉の父親は、戦後或る作家のインタビューに対し「何故宇垣中将は息子を連れて行っ
たのでしょう」と歯を食いしばりながら答えたと言う。その後中津留大尉の遺族によれば、晩年の父親は宇垣の行為を「仕
方のない事」として受け入れる心境に達していたと言う。(NHK 城山三郎追悼特集より)
既に戦争は終わり、天皇の玉音放送もあり、海軍総隊から戦闘停止の命令が出ていたにも拘わらず、部下に特攻機の準備を
命じ、これから日本の再建の為にがんばってもらうべき若者を道連れに出撃・・・。
もし成功していたら停戦協定違反に怒った米軍の報復爆撃で死ななくてもいい日本人が更に沢山死んでいた事だろう。
(米軍の記録では8月15日の沖縄方面の特攻攻撃で輸送船(艦)1隻が被害を受けたとの記録があるそうだ)
隊長の中津留大尉は若妻と生まれたばかりの子供を残しての出撃だった。中津留大尉は1人息子で、父親は「海軍は息子を
返してくれ」と泣いたと言う。この様に宇垣 纏中将の道連れになって16名の若者が終戦後に無駄死にした。
[操縦]中津留達雄大尉(海兵70期)/[偵察]遠藤秋章飛曹長(乙飛9期)/宇垣 纏中将
[操縦]伊東幸彦中尉(海兵73期)[偵察]大木正夫上飛曹(乙飛17期)※親族女性(吉田さん)が調査中
[操縦]山川代夫上飛曹(丙飛 )/[偵察]北見武雄中尉(海兵73期)
[操縦]池田武徳中尉(学生13期)/[偵察]山田勇夫上飛曹(甲飛11期)
[操縦]渡辺操上飛曹(甲飛11期)/[偵察]内海進中尉(学生13期)
[操縦]後藤高男上飛曹(丙飛 )/[偵察]磯村堅少尉(生徒1期)伊平屋島の砂地に突入、爆発炎上
[操縦]松永茂男2飛曹(特乙1期)/[偵察]中島英雄1飛曹(乙飛18期)
[操縦]藤崎孝良1飛曹(丙飛 )/[偵察]吉田利一1飛曹(乙飛18期)
[操縦]前田又男1飛曹(丙飛 )/[偵察]川野良介中尉(学生13期)不時着
[操縦]川野和一1飛曹(乙飛18期)/[偵察]日高保1飛曹(乙飛18期)不時着※日高1飛曹のみ戦死。
[操縦]二村治和1飛曹(甲飛12期愛知県出身)/[偵察]栗原浩一2飛曹(甲飛13期)不時着
※「8月15日の特攻隊員」(新潮社)の著者、吉田紗知さんは大木正夫上飛曹のお身内の方。
「最後の特攻出撃」に参加されて生還された二村治和 元1飛曹の証言  
私は谷田部航空隊で赤トンボをやり、宇佐航空隊で96艦爆と99艦爆の操縦教育を受けた。この時の分隊長
兼教官が、「宇垣特攻」の指揮官として出撃した中津留大尉である。
海上自衛隊鹿屋基地の資料館にその遺影が飾られている。 ふっくらとした温顔の士官で、私は特に可愛がっても
らった。最後の出撃に際して、私を2番機につけてくれたのである。
昭和19年11月、飛練を卒業した私は明治基地の210空に赴任した。ここで、彗星艦爆(33型)の操縦員として錬成
訓練を開始した。実家から近かったので、訓練飛行のたびに我が家が無事かどうか確認することができた。
鹿児島県の国分基地に進出したのは、昭和20年3月末である。中津留大尉も少し遅れてやってきた。
出撃の機会は2回あったが一度は中止、1度は屋久島の上空まで進出した時、「引き返せ」の命令を受けた。
6月に再編成のため、美保基地まで後退した。私物はほとんど国分基地に残したままである。後輩甲飛13期生出身の
栗原浩一2飛曹とペアを組んで、近くの隠岐島~米子基地~美保基地のコースを飛んで訓練を行っていた。
7月始めごろ、中津留大尉に率いられて大分基地へ向かった。大分基地上空に着いたのは夕方5時頃であった。
着陸寸前のことである、前方の1番機がいきなり機首を起こして急上昇していくのが見えた。私もハッと気づいて急上昇
して離脱した。全く突然という感じで、グラマンF6Fに襲撃されたのである。
私は目の隅で3番機が別府湾に落ちていくのを見た。
耶馬渓の上空まで退避し、時間を見計らって引き返した。敵機は引き揚げたらしく、ようやく着陸することができた。
その後も頻繁に空襲を受けた。そのため、飛行機は掩体壕に隠したまま温存された。飛行訓練は止むなく中断して待機
する日々が続いた。8月14日の夜、珍しく中津留大尉が下士官宿舎に一升瓶を下げてやってきた。
「今夜はひとつ、皆であるだけの酒を飲んでしまおうや……、貴様たちも取っておきを出さないか」
大尉からそんなことを言われるのは初めての事である。一斉に歓声を上げながらそれぞれ秘蔵の酒を持ち出し、20名程
が車座になって酒盛りを始めた。大尉は酒には滅法強い、いくら飲んでも酔った様子はなくニコニコ笑っていた。
私は酔い潰れて、いつ寝たの か全く覚えていない。
「出撃命令だぞ」と、揺り起こされた時は既に午前9時を過ぎていた。素早く飛行服を着込んで、宿舎まで迎えに来た
トラックに乗り込んだ。「これは特攻だ!ついに来るべきものが来た」と、私は感じた。トラックが飛行場に向かう途中、
積んであった陣太鼓を打ち続けた。心の昂ぶりを押さえかねて撥を叩きつけた。
海軍橋の袂で道路作業をやっていた、甲飛の後輩たちが、「先輩、頼みまーす!」と、トラックを追いかけ、涙を溜めて
口々に大声をかけてきたのを覚えている。
飛行場には10時ごろ着いた。「搭乗割」の黒板を見ると、2番機に私の名前があった。
中津留隊長機に続く2番機の指定である。私は少なからぬ感激と優越感をおぼえた。12時出撃とのことで待機していたが、
そのうち出撃命令はなぜか解除され、「そのまま待機せよ」と指示された。私たちは指揮所に近い裏川の土手の上に行って
昼飯の赤飯の缶詰とパイ缶を食べた。
私達は正午に、天皇陛下の重大放送があった事については何も聞かされなかった。
午後何時頃だったか覚えていないが「沖縄に特攻をかける」との命令がきた。「搭乗割」から洩れていた連中が、同行させ
てくれと騒ぎだした。黒板を蹴倒したり、男泣きしながら隊長に詰め寄るさまを、私は選ばれた者の一種の優越感をもって
眺めていた。▼宇垣特攻出陣式の様子。

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「爆弾を80番に変更せよ」との指示で、積み替えを実施したが、弾倉に入りきらず半ばはみ出したまま装着した。
「ガソリンも半分抜き取れ」との指示もでた。(実際は満タンで出撃した)
午後4時、我々22名は2列横隊で指揮所前に整列した。私は右から3番目に並 んだ。日の丸の鉢巻の裾を長く背中に垂ら
して次の命令を待っていた。やがて黒塗りの乗用車が3台近づいてきた。私は内心驚いた。
高官たちが揃って見送りにくるなんて初めての事である。
更に第5航空艦隊司令長官の訓示があると告げられた時は耳を疑った。
第三種軍装の宇垣中将が折り畳み椅子の上に立ち、
「本職先頭にたって、今から沖縄の米艦艇に最後の殴り込みをかける。一億総決起の模範として死のう!」
と言われ、山本五十六元帥から戴いた短剣をぐっと前に突き出された。
われわれも一斉に、「ワーッ」と歓声を上げ右の拳を突き上げた。続いて中津留大尉が「降爆してから一旦機を引き起こ
し、そのあと空身で突っ込め」と指示された。1番機の操縦は中津留大尉、後席に宇垣中将と遠藤飛曹長が乗り込んだ。
▼彗星は2人乗りの為、ドラム缶を機内に入れ、そこに遠藤飛曹長が座った。

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1番機に続いて2番機の私も離陸、初めて積んだ800キロ爆弾の重さで、1000メートルの滑走路を一杯に使ってようやく
海面スレスレに浮上した。
別府湾や青い山々を見下ろして、これが祖国の見納めかと感慨にふけりながら、隊長機に従い阿蘇山を越えて九州を横断
し東支那海を南下するコースをとった。高度4、500メートル八代海を抜けた付近でプロペラピッチを2速に切り替えた。
途端に《ガタガタガタッ》と振動がきた。みるみるうちにブースト計、油圧計、回転計の針がゼロを指してしまった。
手動ポンプをついてみたが回復せず、ついにプロペラも止まってしまった。
「どこら辺だ! 甑島辺りか!」「よく分かりません……」「馬鹿やろう!」
と怒鳴り返したが、もう隊長機を見失ってしまった。とにかく不時着するしかない。高度1500メートルで爆弾を捨てた。
海に降りて鱶の餌食になるのは御免である。海岸を目指したがとても無理な距離である。
「不時着するぞー」と後ろに叫んだのと、左翼端が海面を叩いたのが同時であった。機はクルクルット激しく一回転して
浮かび逆立ちは免れた。風防を押し開け、栗原と一緒に海に飛び込んで海岸目指して泳いだ。
泳ぎ着いて分かったのだが、そこは鹿児島県の西方であった。
昭和59年、私は39年前に泳ぎ着いた砂浜を再び踏み締めた。そこは私の第一の人生を締めくくり、第二の人生の第一歩
を踏み出した美しい砂浜、西方海岸である。当時19歳であった。
「白菊特攻隊」第二部 かえらざる翼  二村治和 (光人社刊)より。

昭和20年8月15日正午 天皇玉音放送終戦(敗戦)
昭和20年8月16日神風特別攻撃隊の創始者大西瀧治郎中将自決

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▲(右)大西瀧治郎中将享年55歳 (左)門司親徳大尉(副官 当時26歳/平成20年死去 享年90歳)
8/16渋谷南平台町の官舎にて大西中将は遺書を残し割腹自決した。午前2時から3時ごろ腹を十字に切り頸と胸を刺した
が生きていた。官舎の使用人が発見し、多田武雄次官が軍医を連れて前田副官、児玉誉士夫も急行した。
熱海にいた矢次一夫も駆けつけたが昼過ぎになった。大西は軍医に「生きるようにはしてくれるな」と言い、児玉に「貴
様がくれた刀が切れぬばかりにまた会えた。全てはその遺書に書いてある。厚木の小園に軽挙妄動は慎めと大西が言って
いたと伝えてくれ。」と話した。児玉も自決しようとすると大西は「馬鹿もん、貴様が死んで糞の役に立つか。若いもん
は生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ。」といさめた。遺書は5通あったとされる。
「特攻隊の英霊に曰す」で始まる遺書は、自らの死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝すとし、また一般壮年に対して軽
挙妄動を慎み日本の復興、発展に尽くすよう諭した内容であった。
別紙には富岡定俊軍令部第一部長に当てた添え書きがあり「青年将兵指導上の一助ともならばご利用ありたし」とあった。
妻淑恵(嘉子)に対する遺書には、全て淑恵の所信に一任すること、安逸をむさぼらず世のため人のため天寿を全くする
こと、本家とは親睦保持すること、ただし必ずしも大西の家系から後継者を入れる必要はないこと、最後には「これでよ
し百万年の仮寝かな」と辞世の句があった。他に多田、児玉、矢次に対しても遺書があった。
戦後特攻隊員の戦死者名簿には大西中将の名も刻まれた。
大西の副官だった門司親徳大尉は平成20年8月16日11時10分死去。奇遇にもその日は、大西瀧治郎の命日でもあった。
大西瀧治郎中将の部下であり、特攻を命じ続けた猪口力平大佐は神風特別攻撃隊のの命名者。
同じく特攻を命じ続けた中島正中佐は戦後、航空自衛隊で飛行教育集団司令部。空将補で退官している。
猪口は著書『神風特別攻撃隊』(1951年刊)を中島との共著で出版しているが、特攻を美化する記述が多く批判も多い。

昭和20年8月18日「桜花」創案者の太田中尉、零戦に搭乗し自決未遂
昭和20年8月21日神雷部隊解散
[ 戦死者数 ](神雷部隊)桜花隊55名、一式陸攻隊365名、戦闘機隊10名 (建武隊)89名 (神雷爆戦隊)9名
      (神風特別攻撃隊)187名 (その他戦死・殉職者)114名 [合計]829名
昭和20年8月22日(小松基地)神雷部隊350名解散
昭和20年8月24日この日以降、占領軍により、日本国籍の航空機の飛行は全面禁止された。

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桜花」は一式陸上攻撃機に抱かれ、敵艦隊近くまで運ばれたが、その多くが母機もろとも撃墜された。
(桜花による撃沈戦果は駆逐艦1隻のみ)

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▼▲米軍に捕獲された桜花11型と桜花複座練習機
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▼横須賀で米軍に捕獲された「桜花11型」(米軍が撮影した当時の貴重なカラー写真)
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▼鹿屋航空基地史料館から少し離れた場所にある「桜花隊」の慰霊碑
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「名前を失くした父 〜人間爆弾“桜花”発案者の素顔〜」YouTube
▼誰も死にたい兵士など居るはずがありません。最前線で戦った全ての英霊に感謝したいと思います。

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神風特別攻撃隊の悲劇(前編)YouTube 神風特別攻撃隊の悲劇(後編)YouTube
▼史料館の敷地内には現役を退いた飛行機が多く展示してあり、大きさを実感出来ます。

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太平洋戦争末期に行われた特攻作戦では、特攻機は飛行機や人間爆弾・「桜花」だけではなく、人間魚雷「回天」
特攻ボート・「震洋」・「マルレ(陸軍)」があった。全ての特攻隊員に感謝の念を伝えたいと思います。
特攻隊肉声(遺された声 )

太平洋戦争中はゼロ戦搭乗員を経て海軍士官。特攻の始まりを現場で見届けた。
戦後群馬県多野郡上野村村長を10期連続で務め、日本航空123便墜落事故の際事故処理に尽力したことで知られる
黒澤丈夫さんの証言記録は是非ご覧頂きたいと思います。素晴らしい方だと思いました。
520名の命が失われた日本航空123便墜落事故も忘れてはいけない「ボイスレコーダー ジャンボ機墜落20年目の真実」




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

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 2016_03_21


水上機神風特別攻撃隊をご存知でしょうか。「神風特攻隊」と聞くとゼロ戦で敵艦に体当たりした。
というイメージで統一されている様に思われるが、ゼロ戦で特攻出撃された方達以外に、海軍のさまざ
まな航空機で特攻作戦は行われた。中でも太平洋戦争末期には航空機不足を補う為に、時代遅れとなっ
た旧式機で特攻出撃された方達の事も忘れてはいけない。
「水上機神風特別攻撃隊」が使用した機は、日本海軍が昭和15年に採用した「零式水上偵察機」そして
昭和9年に採用された「94式水上偵察機」と昭和11年採用の「零式観測機(2人乗)」だった。
速度の遅い旧式偵察機に800㌔爆弾や500㌔爆弾を搭載し、香川県詫間町幸田和田内にあった詫間海軍
航空隊で編成された「琴平水心隊」などが、九州の指宿基地より沖縄に出撃していった。
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注目すべき点は「零式水上偵察機」「94式水上偵察機」ともに3人乗りだったという事だ。
海軍は偵察機を特攻作戦に使用したあげく、偵察機乗員の3名又は2名を乗せて出撃させた。当時の特攻目標は、
陸軍は輸送船、海軍は空母という事で、陸地から離れた海上の敵艦船を狙っていた為、偵察員や電信員を乗せる
必要があったとされているが、本当に特攻攻撃に3名も乗せる必要があったのだろうか・・・?
しかも隊員は全て学徒動員で徴兵されたエリート予備学生や予科練を出たばかりの20歳前後の若者達だ。
海軍では兵学校出の士官、特務士官、予備士官は判然と区別され、特攻を命じられたほとんどが学徒動員の予備
士官だった。30代以上の職業軍人は誰1人特攻出撃はしていない。
昨日まで学生服を着て勉学に勤しみ、将来の日本を背負っていくべき若者達を旧式偵察棺桶へ詰め込んで次々に
特攻に送り出した日本。敗戦後この作戦の責任を誰がとったのか・・・。誰か総括をしたのか?
大西瀧治郎中将の自決だけで終わり?
責任をとらない無能な政治家、若者を使い捨てにする日本は今も変わっていないのではないだろうか。
2015年度に過労死で労災認定された人は96名。未遂も含め過労自殺は93名が労災認定されている現在の日本は、
世界の中でも異常の国と言える。「従業員達の労働時間が不健康であるとして悪名高い」現在の日本。
過労死が出る程働きまくっているにもかかわらず、日本人の労働生産性は世界的に見て非常に低く、他のOECD
諸国より劣る。日本国民が総力を挙げて戦った相手、アメリカは今も世界最大の経済大国である。
戦争を捨てて敗戦国となり、戦争を捨て、経済優先の政策を続けて来た日本が何故未だにアメリカに遅れをとって
いるのは何故か?英エコノミスト紙はその理由を皮肉たっぷりに書いている。
「(日本の)超過労働は経済にあまり恩恵をもたらしていない。なぜなら、要領の悪い労働文化と、進まないテクノ
ロジー利用のお陰もあって、日本は富裕国からなるOECD(経済協力開発機構)諸国の中でも、最も生産性の悪い経
済のひとつであり、日本が1時間で生み出すGDPはたったの39ドルで、米国は62ドルである。つまり、労働者が
燃え尽きたり、時に過労死するのは、悲劇であるのと同時に無意味なのだ」と・・・。
無意味と言わないまでも、明らかに成功率に低い特攻作戦にどれだけの有能な若者を投入したかを見ると、現在も
形は違えど根本的には日本の体質は変わってないのではなかろうか・・・。
では世界各国では1時間でどれほどのGDPを生み出しているのか?ランキングは以下の通り。(2014年)
1位ルクセンブルグ(79.3ドル)/2位ノルウェー(79ドル)/3位/アイルランド(64ドル)/4位アメリカ(62.5ドル)
5位ベルギー(62.2ドル)/6位オランダ(60.9ドル)/7位フランス(60.3ドル)/8位ドイツ(59.1ドル)となっており、
G7の平均は54.5ドルだった。各国の人口差等もあるので一概には言えないが、精神論で無茶する傾向がまだ日本
に残っているのかもしれない・・・。勝算根拠無き戦争と同じ様にならない経済戦争にならない事を切に願う。
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▼▲海軍零式水上偵察機
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▼終戦後米軍撮影の海軍零式水上偵察機
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▼第951海軍航空隊(元 佐世保航空隊)の零式水上偵察機11型。 絵の機体は尾翼の部隊記号の上に元 佐世保を示す為、 
 "サ"の一文字が書かれ、部隊記号後ろの斜線と胴体にある逆向きのCマークを消した跡がある。
 機体番号後ろの斜線はレーダー装備を示していると思われ、また胴体の日の丸の前にある逆向きのCは、編隊飛行で
 磁探探索を行う場合、逆向きのCが 完全に円形に見えれば、適正距離にある事を示すという補助マークだという。
 それらのマークを消している機は、特攻仕様としてレーダー等の装備を外し軽量化したという事でしょう。
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※解説・画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
▼フィリピンで米軍が撮影した海軍零式水上偵察機の残骸。
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[ 水上機神風特別攻撃隊 ]昭和20年4月29日~7月3日指宿海軍航空基地より出撃
昭和20年4月29日(琴平水心隊)零式水上偵察機1機/94式水上偵察機1機出撃(隊員5名出撃)
[操縦]安田友彦少尉(大分県出身) / [偵察]井上静夫少尉(長崎県出身) / [電信]小住昭雄2飛曹(福岡県出身)
[操縦]佐藤年正少尉(福岡県出身) / [偵察]湯上和夫2飛曹(和歌山県出身) / [電信]
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▲出撃直前、カメラに向かって手を振る[操縦]安田友彦少尉と[偵察]井上静夫少尉。
 4/29指宿海軍航空基地より出撃、沖縄周辺の敵艦船に突入戦死。
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▲「琴平水心隊」安田友彦少尉、井上静夫少尉、佐藤年正少尉他隊員勇士達。
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▲出撃前の「琴平水心隊」隊員と94式水上偵察機
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▲94式水上偵察機

昭和20年5月4日(琴平水心隊)94式水上偵察機12機、零式水偵1機(隊員27名出撃)
零式水偵
[操縦]勝又徳2飛曹(静岡県出身) / [偵察]矢野弘一少尉(香川県出身) / [電信]
94式水偵
[操縦]碓本守少尉(滋賀県出身) / [偵察]田中敬治少尉(長野県出身) / [電信]高橋淳一2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]橋本清水少尉(長崎県出身) / [偵察]斎藤友治少尉(山口県出身) / [電信]
[操縦]山口久明少尉(鹿児島県出身) / [偵察]斎藤裕1飛曹(東京都出身) / [電信]
[操縦]笹尾愛上飛曹(福岡県出身) / [偵察]四方正則少尉(京都府出身) / [電信]轟 慧1飛曹(福岡県出身)
[操縦]宇野茂2飛曹(兵庫県出身) / [偵察]中尾武徳少尉(福岡県出身) / [電信]
[操縦]野村龍三2飛曹(愛知県出身) / [偵察]中谷栄一少尉(石川県出身) / [電信]
[操縦]矢野幾衛少尉(福岡県出身) / [偵察]徳田昭夫1飛曹(岩手県出身) / [電信]
[操縦]関口剛史2飛曹(神奈川県出身) / [偵察]別所啓市少尉(滋賀県出身) / [電信]
[操縦]林真喜三少尉(福岡県出身) / [偵察]新山秀夫1飛曹(千葉県出身) / [電信]
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▲出撃直前の[操縦]橋本清水少尉と [偵察]斉藤友治少尉。沖縄周辺の敵艦船に突入戦死。
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▲海軍94式水上偵察機
昭和20年5月4日「第1魁隊」94式水上偵察機5機、零式水上偵察機1機出撃出撃(隊員18名出撃)
「零式水偵」飯塚英次上飛曹 /野美山俊輔少尉/金子清明2飛曹
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▲「第1魁隊」(さきがけたい)零式水上偵察機11型のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」
「94式水偵」舟津一郎少尉/前原喜雄少尉/山本謹治少尉/
      宮村誠一少尉/玉木麻人少尉/渡部庄次少尉
      林 元一少尉/中村正一1飛曹(三重県出身)/岩佐忠男1飛曹
      佐藤憲次少尉/碇山達也少尉/武井 清少尉
      中島之夫少尉/山口龍太少尉/河野宗明少尉
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▲詫間空の森司令から壮行の別盃をうける「魁隊」隊員。
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神風特別攻撃隊「魁隊」隊員勇士達。
昭和20年5月11日「第2魁隊」94式水上偵察機1機/零式水上偵察機1機出撃出撃(隊員5名出撃)
[操縦]四方厳夫中尉(京都府出身) / [偵察]飯沼孟少尉(神奈川県出身) / [電信]大日向景介1飛曹(東京都出身)
[操縦]阪本明少尉(東京都出身) / [偵察]山崎誠一少尉(東京都出身) / [電信]
※徳之島の陸軍部隊上空で飛行靴に、「魁隊・坂本少尉機、単機突入す」旨の紙片を入れて投下した。
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▲昭和20年5月3日水上機の訓練場として予科練生の育成に寄与した茨城県の北浦基地隊員に見送られ、指宿へ向か
 う零式水上偵察機。特攻時には800キロ爆弾をくくり付けて出撃した。
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▲魁隊勇士達。彼等の多くは昭和20年5月4、11日出撃、戦死した。
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▲「第2魁隊」(さきがけたい)零式水上偵察機11型のカラーリング。
上が魁隊集合写真に写る機体、下が特攻出撃時と思われる機体。 魁隊の集合写真の後ろにあるキタ-50号には、磁探
探索用の補助マーク (白で書かれた逆向きのC。編隊飛行で磁探/探索を行う場合、逆向きのCが 完全に円形に見えれば
適正距離にある事を示すという補助マーク) が書いてあり、日の丸の縁も白く縁取りされているが、出撃時と思われる
写真では補助マークは消されており、日の丸の白縁取りも塗りつぶされている。 800kg通常爆弾を懸吊していた。
※解説・画像製作 「たまみち(@tamamichi8749)様」

昭和20年5月24日(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機2機出撃(隊員3名出撃)
江代昭雄二飛曹/檜和田直成少尉/山口 昇二飛曹

昭和20年5月28日(琴平水心隊)94式水上偵察機3機(隊員7名出撃)
[操縦]山口平少尉(長崎県出身) / [偵察]細田真仁1飛曹(埼玉県出身) / [電信]
[操縦]岩坂英夫上飛曹(新潟県出身) / [偵察]桜井武少尉(山形県出身) / [電信]小林護2飛曹(静岡県出身)
[操縦]原光三2飛曹(広島県出身) / [偵察]重信隆丸少尉(香川県出身) / [電信]
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▲琴平水心隊。航続距離に難がある為、指宿水上基地から奄美大島の古仁屋水上基地に前進後、薄暮発進する
攻撃法を採用した。
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▲海軍零式観測機
昭和20年6月21日(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機5機出撃。
[操縦]根上行介1飛曹 / [偵察]野路井正造中尉/ [電信]
[操縦]立山敏教2飛曹/ [偵察]相馬昴少尉/ [電信]
[操縦]小林清吉1飛曹 / [偵察]山口輝夫少尉/ [電信]
[操縦]中島昭二2飛曹/ [偵察]乙津和市少尉/ [電信]
[操縦]内田徹1飛曹 / [偵察]       / [電信]

昭和20年6月25日「琴平水偵隊」零式観測機で出撃
椎根 正中尉/久次勝美1飛曹/小酒悟郎2飛曹
加藤重信1飛曹/高口一雄2飛曹/佃 辰夫2飛曹

昭和20年6月25日
(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機単機出撃(隊員2名出撃)
松永篤雄二飛曹/田所 昇少尉
昭和20年6月27日「琴平水偵隊」零式観測機単機出撃
杉田 巽2飛曹
昭和20年6月28日「琴平水偵隊」零式観測機単機出撃
中村 毅2飛曹/竹安末雄上飛曹
昭和20年7月3日
(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機単機出撃(隊員2名出撃)
桑原辰雄二飛曹/須藤竹次郎少尉
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▲零式観測機をバックに記念写真に収まる「第12航空隊二座水偵隊」隊員勇士達
水上機神風特別攻撃隊 合計87名出撃

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▲特攻隊最後の無電を必死で受ける電信兵(撮影場所不詳)昭和20年4月早川弘本社特派員撮影
「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」
特攻機は離陸後はずっと無線機のスイッチをオンにしていた。基地電信兵は特攻隊員の「最後の叫び」を聴いていた。
「お母さーん」や、女性(恋人)の名前が多く、「大日本帝国万歳」や「天皇陛下万歳」というのはほとんどなかった。
ところが、そうした通信記録は残っていない。
高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのか・・・?
イギリスは階級社会だが、国を守るという点では王族・貴族も無い。戦争で死ぬということについて、平等性がある。
戦争に貴賤(きせん)なしである。日本でも高松宮さまは前線勤務を希望していた様だが、ある陸軍大学校出身の元
参謀は「息子を入学させるなら陸大だよ」と言っていたという。元参謀の同期50人程の内戦死は4人だけだったと言う。
エリートは前線に行かず、特攻や戦争を美化する傾向は今も昔も変わっていない・・・。
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沖縄戦の航空攻撃の主力は特攻機であった。正に「全軍特攻」であり、機材が不足すると水上機や練習機も投入された。
しかし、一部の部隊はこうした流れに逆らい最後まで通常攻撃を続けた。
有名なのは美農部正少佐が指揮した「芙蓉部隊」である。同隊は彗星艦上爆撃機と零式艦上戦闘機を装備し、主に米軍
に占領された沖縄の元日本軍飛行場への夜間攻撃を敗戦まで続けた。
もう1つ、一般にはあまり知られていない部隊がある。それが「瑞雲水上爆撃隊」である。同隊は奄美大島の古仁屋を
中継基地とし、沖縄への夜間攻撃を毎晩のように繰り返した。「瑞雲」は水上偵察機でありながら、250キロ爆弾を抱
えての急降下爆撃をこなし、20ミリ機銃2挺と13ミリ旋回機銃1挺という重武装であった。
既にフィリピンの夜間攻撃で活躍した実績があった。
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▲▼昭和20年5月15日伊平屋島に繋がる野甫島で米軍が撮影した写真。水上偵察機「瑞雲」の様に見える。
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奄美大島の古仁屋基地から250kgの爆弾を搭載して沖縄に向け出撃した海軍4抗戦641空「瑞雲水上爆撃隊」飯井敏雄
少尉(当時22歳)の水上偵察機「瑞雲」が、米軍機の攻撃を受け日本軍が守備していない野甫島付近に不時着。
部下と海上を漂い2人で伊平屋島を目指し約30㌔を12時間かけて泳いだが、伊平屋島約800m手前の永良部岩近くで力
尽きていたところを、浜辺の島民達に助けられて4時間後に蘇生し、九死に一生を得た。
救助された飯井敏雄少尉はその後終戦翌年に故郷に戻る事になったが、助けてくれた伊平屋島の方に少しでも恩返しが
したいと、定年を期に野甫島で暮らすことを決意、奥さんと二人で移住したと言う。
野甫島の丘の上に住居を構え、島民の交流の場としてその場所を開放していた事、戦争の犠牲となったかつての仲間を
慰める為、慰霊塔『雲流れる果てに』と刻まれた慰霊塔を庭に建てた。慰霊堂横の石碑には以下の言葉が刻まれている

命(ぬち)どう宝
1945年 日本は戦に敗れました
健康で英知に富む若者たちは
海軍航空隊を志願し 散ってゆきました
彼らは 自分の未来に 何を夢見たでしょうか
日本の未来に 何を夢見たでしょうか
地球の未来に 何を夢見たでしょう
1990年 飯井 敏雄 書

※飯井敏雄少尉は、8/15、最後の特攻と言われる「宇垣特攻」で岩場に激突する宇垣の乗る彗星を目撃したという。
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▲海軍水上偵察機「瑞雲」 『命どう宝~飯井敏雄の生涯~』という本も出版されているとの事。
沖縄戦に参加した瑞雲隊は2隊である。1つは「第634海軍航空隊」偵察第301飛行隊だ。
同隊は昭和19年10月からフィリピンに進出、米軍のルソン島上陸に伴って昭和20年1月に再編の為に台湾に後退した。
司令は江村日雄中佐、飛行長は古川明少佐、飛行隊長は山内順之助少佐で、基地を台湾の淡水に置いていた。
もう1つが「第801海軍航空隊」偵察第302飛行隊である。
同隊は昭和19年12月中旬に編成されたばかりでまだ練成途上であり、訓練の終わった機から順次九州に進出していた。
飛行隊長は伊藤敦夫少佐である。基地は福岡県の玄海や博多、鹿児島県の指宿などである。
「瑞雲」は航続距離が燃料満載時でも520カイリにすぎない為、九州~沖縄間、台湾~沖縄間の約350カイリの往復は
不可能であった。その為、両隊とも奄美大島の古仁屋(こにや)を中継基地として使用する事となった。
その攻撃方法は2通りあった。1つは古仁屋を中継基地として使用する方法である。
偵察第301飛行隊の場合は(台湾)淡水基地から発進、沖縄周辺の米艦隊を攻撃して古仁屋に着水、補給後再び攻撃に向
かい淡水に帰投するというものである。
一方の偵察第302飛行隊は九州の博多や指宿を出撃して「薄暮又ハ月明時古仁屋ニ進出燃弾補給ノ上電撃的ニ執拗ナル
(ゲリラ)的戦法ニ依リ輸送船上陸用舟艇軽快艦艇及好機航空母艦ヲ攻撃」するものであった。
もう1つが「夜間敵主力攻撃情況ニ依リ四機程度ヲ古仁屋ニ配備」古仁屋を根拠地として沖縄攻撃を行う方法である。
偵察第301飛行隊分隊長で瑞雲隊エースの宮本平治郎大尉は奄美大島の古仁屋(こにや)に常駐していた様だ。
古仁屋基地「瑞雲隊」をテーマにしたNHK終戦企画ドラマ「ラスト・アタック~引き裂かれた島の記憶」YouTube
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▲伊平屋島で沖縄戦最後の戦闘に向け前線へ進軍する米第2海兵師団第8連隊第3大隊(昭和20年6月3日撮影)


▼南方で撮られた写真、現地人女性・隊員と零式観測機が写っている。
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▼上記写真をカラー化したもの。南方の雰囲気・当時のカラーや隊員の装備服装等が良く解る。
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▼ニューギニアで撮影された日本海軍水上基地、零式観測機が並んでいる。
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▼インドネシアで撮影された日本海軍、零式観測機
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 2016_02_25




プロフィール

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Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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