グアム島

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太平洋戦争の激戦地の1つであるグアム島に行ってきました。観光目的で行かれる方も多いと思いますが、
戦ってくれた英霊の方々に黙祷を捧げてからバカンスを楽しんで頂ければと思います。
約20000名の日本兵が戦死されています。戦後残留日本兵の帰還が多かった島でもあります。
「恥ずかしながら生き長らえて帰って参りました」の言葉で有名な横井庄一さん皆川文蔵さんが有名です。
グアム島は太平洋戦争開始前はアメリカの統治下であったが昭和16年(1941)12/10日本陸海軍共同作戦の結果
1日で攻略(日本軍5286人/米軍約400人)占領後にグアム島を日本名「大宮島」と名づけた。
▼日本軍占領時期に撮られた写真(「昭和町海軍陸戦隊」という看板が確認出来る。昭和町とは現在のアガット)
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航空戦力の整備については、グアムにはアメリカ統治中に飛行場はなかった為に占領後に海軍により設営が開始
され、昭和19年2月にグアム第1飛行場が完成(オロテ半島)。第2飛行場も間もなく着工され4月には完成している。
航空戦力の配備も進み、昭和19年6月には263空 零戦4機/521空 銀河40機/202空 零戦8機/755空 一式陸上攻
撃機12機がグアム島に配備されたが、6/11の米軍の空襲以降、グアムの航空戦力は、アメリカ軍の上陸を待た
ずに全滅していた。
マリアナ沖海戦の勝利により、制空・制海権を確保していたアメリカ軍は、7/8上陸に先立ってグアム島に徹底
した艦砲射撃と空爆を加えた。上陸を支援する艦船は合計で274隻を数え7/8~7/20までに撃ち込まれた艦砲は
16インチ砲836発、14インチ砲5,422発、8インチ砲3,862発、6インチ砲2,430発、5インチ砲16,214発、
合計28,764発に達した。空爆に参加した空母は合計13隻、空爆は7/18から上陸前日の7/20まで延べ4,283機
により1,310トンの爆弾が投下されている。
この激しい砲爆撃で、海岸のヤシの木は全て焼けただれ、見渡す限りの建物は全て破壊された。
グアム島を守るのは小畑中将以下陸軍14559名、海軍第54警備隊7995名の計22554名(内戦死者21247名)
※歩兵第38連隊(奈良)が輸送船安芸丸に乗って魚雷を受けながらもグアム上陸(個人的に興味深い為記載)
昭和19年7月21日7時 激しい艦砲射撃と空爆に支援された上陸部隊がアサン海岸上陸作戦を決行、海岸に向け
殺到した。アサン海岸には、日本軍独立混成第48旅団の第一大隊が守備を担当しており、上陸部隊が海岸に接近
すると山砲と速射砲で砲撃を加えた、またフォンテヒル(日本軍呼称 本田台)に配備されていた第10連隊砲兵
大隊も砲撃を開始し、LVT数十両を撃破したが、艦砲射撃と空爆による激しい集中砲火を浴び、次第に砲兵陣地
は沈黙していった。その後に上陸してきたアメリカ軍に対し、第48旅団の第一大隊は中村大隊長自ら手榴弾を手
にして白兵戦を展開するも、圧倒的な火力のアメリカ軍相手に死傷者が続出。中村大隊に配属されていた旅団の
工兵隊も、隊長の三宅大尉自ら爆薬を抱いて戦車に体当たり攻撃をかけ、下士官は戦車に取り付いてハッチから
手榴弾を投げ込もうとするなど、日本兵全員が激しい肉弾攻撃を行い、文字通り全滅している。
日本軍はアメリカ軍上陸から最後の総攻撃の間に7割以上の兵力を失う。最後は大本営に見捨てられた小畑中将
も部下に総攻撃を命じた後の8/11日、陣地をアメリカ軍に包囲され自決とされているが・・・実際は違う様だ。
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▲小畑英良中将(大阪府出身)グアム島叉木山から北上中、米軍機の襲撃により戦死。享年55歳
島の全土を制圧したアメリカ軍は、上陸から23日後の8/13日、グアム島の奪還を宣言した。
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しかしこの時、少なくとも2500名の日本兵が生き残っていた。追ってくるアメリカ軍、指揮命令系統が崩壊する
中、組織だった軍隊の行動が取れず、日本兵達は密林の中に逃げ込んでいった・・・・。

▼島には多くの戦跡が残っています。(アガット海岸に残る日本軍高角砲)
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ナウル島、タラワ島、サイパン島、テニアン島を占領した米軍は昭和19年7月 グアムに侵攻。
▼(米軍が上陸を開始したアサンビーチを望む)
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▼アサンビーチを目指す米軍
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▼激しい艦砲射撃の後、米軍は上陸開始。
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▼進撃する米軍
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▼戦いの終わったアサンビーチ
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▼ガーン岬に残る日本軍トーチカ(高木隊第二分隊と部隊名が彫られている壕もある)
(上陸部隊の正面攻撃には堪えたが、最終的に米軍戦車に背後から攻撃されて破壊されたとのこと)
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▼当時激戦終了後にグアム島で米軍に撮影された写真。上記写真と同じ高角砲かもしれない・・・。
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▼画像の大砲は現在も同じ場所に現存しているとの事だが、時間の都合なのか知らないのか、案内してもらえなかった。
 現地で大手旅行代理店に戦跡ツアーを申し込んでも満足するツアーは無い。申し込む人もいないのであろう。
 ガイド自身が楽に行ける場所だけをチョイスして案内してくるタクシードライバーと考えておいた方が良い。
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▼海軍九六式25ミリ機銃(艦載用対空機銃の代表的な機関砲)
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▼当時激戦終了後にグアム島で米軍に撮影された海軍九六式25ミリ機銃
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▼グアム島の尾根で、バンザイ突撃を試みてアメリカ兵に撃たれ、丘の中腹に散らばる日本兵の遺体。
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▼火炎放射器で追い詰められ、塹壕内で燃え上がり火傷死した日本兵士達
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▼戦利品の「日の丸」を見せてグアム島奪還を喜ぶアメリカ軍兵士達
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▼グアムで米軍に鹵獲された日本海軍短二十糎砲。沿岸砲としても用いられていた(今も現存しているらしい)
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▼米軍はグアム奪還後、島の北部に飛行場を建設、B-29を配備。(現在もアンダーソン空軍基地として機能している)
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▼米軍に収容された日本兵捕虜達。(生きていてくれて本当に良かったと思う、ご苦労様でした。)
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▼昭和20年6月10日はるか遠くの沖縄では「沖縄戦」が終わろうとしていた。グアムで捕虜となっていた日本兵(軍医・
衛生兵)はこれから沖縄に向かう。
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▲6/10沖縄で民間人捕虜を治療する為、輸送艦で移送される前に船着場で待つ日本軍の軍医と衛生兵。
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▼▲昭和20年(1945)8月15日、日本敗戦。グアムの捕虜収容所で頭を垂れる日本兵捕虜達。
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▼グアム太平洋戦争博物館
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▼当時激戦終了後にグアム島で米軍に撮影された写真。ここに展示されている物かもしれない・・・。
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▼戦後グアム島タモン湾で撮影された日本軍の兵器
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▼日本軍高角砲と日本海軍99式艦上爆撃機の後尾部分。
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▼太平洋戦争国立歴史公園資料館入り口の展示されている日本海軍の特殊潜航艇「甲標的」
[War in the Pacific National Historical Museum](アプラ港に配備されていた物を米軍が鹵獲)
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▼零式艦上戦闘機五二型に手動ポンプでエンジンの潤滑油を供給する整備兵。
 ※米軍がグアム島を占領した際に、日本軍の資料の中から接収した写真
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▼平和慰霊記念公園 [South Pacific Memorial Park]
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▼2016年5月、ロタ島訪問時に乗り継ぎもあって、再度グアムを訪れた際はグランドプラザホテルで宿泊した。
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このホテルにはいつもお世話になっている芳賀健介さんのが会社が入っている。
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▲ホテルの部屋からの眺め
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ホテル入口付近からの眺め。道の向こうは海!いいですね~南国は。
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▼静岡県「エアーパーク」航空自衛隊浜松広報館にグアムから帰還した実物の零戦五ニ型が展示されている。
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この機体(4685号機)は昭和19年(1944)6/19グアム島アガナのジャングルに被弾不時着した第343海軍航空隊
「尾崎伸弥大尉」の乗機。昭和38年(1963)3月グアム島アガナ市外で発見され、米空軍とグアム政庁に日本へ
の返還を要請。昭和39年(1964)1/17米空軍C-130A輸送機でグアム島から岐阜基地へ空輸、返還。
昭和39年(1964)2/11零戦設計者の堀越二郎氏が対面、自衛隊第二補給処整備部が復元修復作業開始。
外修は生まれ故郷である三菱重工 大江工場の協力を得て戦後最初に復元された零戦。
※不時着させた搭乗員「尾崎伸弥大尉」は残念ながら戦死。
国内では唯一の飛行姿勢での展示となっている。入館は無料エアパーク
▼昭和38年(1963)3月グアム島アガナ市外で発見され、トレーラーで移動させられる零戦52型「43-188」号機。
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日本へ帰るのを待つ零戦52型「43-188」号機。
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▼昭和39年(1964)1/17グアム島から岐阜基地に還ってきた零戦52型「43-188」号機。
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▼零戦設計者の「堀越二郎氏」が還ってきた零戦52型「43-188」号機と対面
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▼昭和39年(1964)10/19零戦52型「43-188」号機復元修復完了。
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▼復元完成式にて
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(上空にゴミの様な物が写っているが、先の大戦で亡くなられた多くの英霊に対する慰霊の為に放たれた鳩)
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▲完成式には堀越二郎氏も訪れた。画像(右)の少年は誰か解らないが「戦争を知らない子供」である事は間違いない。

[証言記録 兵士たちの戦争] ~グアム島 終わりなき戦場~




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 2012_05_12




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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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