和歌山市加太に属する友ヶ島は、紀淡海峡に浮かぶ無人島群で、地ノ島、神島、沖ノ島、虎島の総称。
瀬戸内海国立公園の一部となっている同島(沖ノ島/虎島)には、明治22年から外国船の大阪湾侵入に備え、砲台の建
設が開始され、最大28㎝砲台が設置された。明治37年~38年の日露戦争で、日本は辛くも勝利したので、ロシアな
どの外国艦隊が湾内に侵入して来る事は無く、その後太平洋戦争でもほとんど使われる事無く日本は敗戦を迎えた。
友ヶ島第一砲台:27cmカノン砲(4門)
友ヶ島第二砲台:27cmカノン砲(4門)
友ヶ島第三砲台:28cm榴弾砲(8門)
友ヶ島第四砲台:28cm榴弾砲(6門)
友ヶ島第五砲台:12cmカノン砲(6門)
虎島保塁:9cmカノン砲(4門)
友ヶ島の砲台施設は「由良要塞」の一角。淡路島の由良地区(現 洲本市由良)を中心に要塞司令部が置かれ、友ヶ島、
加太・深山地区の3地区で構成されていた。
由良要塞は終戦時には第2総軍第15方面軍直轄部隊で運営されており、敗戦まで要塞施設として一般人の立ち入りは
一切禁止され、当時の地図や地形図には掲載されていなかった。
第2次世界大戦は既に航空機が主力になった為、大砲の使用はほとんど無く、終戦と同時に米軍により砲施設は撤去
されたが、弾薬庫などの遺構が多く残り、現在は瀬戸内海国立公園に属しているものの、近代遺跡(廃墟)として写真
家やコスプレイヤーなどに「ラピュタっぽい!」と、人気の島となっている。
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和歌山市の加太港から友ヶ島汽船で友ヶ島に向かうのだが、船乗り場駐車場までは少し狭い道のり。
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▼対向車が来ない様に祈りながら進んで行く。此処を右折すれば駐車場だ。
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▼駐車場管理のおばちゃんに700円を支払い車を駐車する。いい天気だ~。
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▼▲船は停泊している様だが、この日は風がキツく09:00の便は欠航、10:00の便となった。
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▼この建物の隅にトイレがあるので用を足しておく。
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▼さぁ出発だ。往復2000円だが、このサイト(HIS)でクーポンをGETすると10%割引が受けられる。
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10:00の便は満席。次の船を駐車場で待つ人も多く見られた。
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▼加太港を出港する。友ヶ島まで20分程の船旅だ。
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▼釣り船だろうか、乗員が手を振ってくれている。
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▼虎島が左手に見えると友ヶ島港はもう直ぐそこだ。
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▼友ヶ島に到着、上陸を開始する。凄い人だ。若い女性の2~3人組が多いのには驚いた。
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友ヶ島港と言っても桟橋があるだけだ。この桟橋も当時の日本軍が作った物だ。
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セオリー通り、第2砲台跡から順に見学していく事にした。
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案内板の画面で言うと右方向(灯台方面)だ。
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▼乗って来た船が加太港に帰って行く。
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▼友ヶ島唯一の宿「海の家」が見えてきた。
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島では軽トラを何台か見たが、全てナンバープレートはついていなかった。流石無人島!
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▼▲早速廃墟が見えた。赤煉瓦の建物はおそらく当時の軍施設だろう。
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右手には海が綺麗だ。
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タンカー?LPガス?船もゆっくり走っている。海の向こうに見えるのは淡路島だ。
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先の方角をみると・・・?
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!出た、第2砲台跡!
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第2砲台跡が見えて思わず足取りが早くなってしまうが、途中にも旅館の廃墟が・・・。
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富士屋別館・・・、かつては此処で営業していたのだろう・・・。
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現在、友ヶ島の宿は1件のみ。「海の家」が夏季のみ営業しているそうだ。
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なので、夏季以外は、基本無人島というわけだ。「軽食」と書いてあっても食事が出来る所は無い。
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第2砲台に着いた。
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なかなか大きな砲台施設跡だ。此処は敗戦後、進駐軍が爆破処分しようとした砲台らしい。
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柵がしてあり、基本中には入れないが、自己責任で。
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中は見学する人は少ないとみているのか、弾薬庫などはゴミ箱と化していた・・・。
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何とかならんのかね、このゴミ。自己責任見学だとしても綺麗に保存して欲しいものだ・・・見学する気になれない。
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気を取り直して裏手にまわってみる。
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ダイナマイトを仕掛けて爆破したのだろうか・・・盛大に割れている。
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▲自己責任で・・・。
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27cmカノン砲の設置跡だ。
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▲紀淡海峡を望む。この先の淡路島(由良砲台)と挟み撃ちの位置関係だ。
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この先何十年とかけて腐食して無くなっていくのだろう・・・。
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次に向かうのは第1砲台跡と友ヶ島灯台。
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▲柵がしてあり中に入れない・・・順路は右手の階段を登って行く。
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▲左手の棲息掩蔽部に後付けされたと思われる謎の煙突。戦後何かに転用されて使用していたのか?
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▲先程の柵が向こうに見える、誰かがこちらを見ている。「入っていいの?」という小声が結構聞こえた(笑)
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▲弾薬庫はコンクリートブロックで完全に蓋がされている・・・ここまでしなくてもいいのに・・・。
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▲2つ目の弾薬庫もしっかり蓋がされている・・・。
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▲砲座跡
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▲監視所か兵舎が建っていたのだろう・・・門柱と外壁だけが残っていた。
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▲海側の景色は淡路島。こうやって見ると淡路島は大きい。
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友ヶ島灯台も見学、明治3年5月英国人技師リチャード・ヘンリー・ブラントンにより着工されたAランクの保存灯台。
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明治23年8月由良要塞第1砲台建設の為、東に25m移設されている。
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▲▼友ヶ島灯台から少し奥に行くと観測所跡。
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若い女性達は観測所の上に乗って必死に景色を撮影している。当然、観測所には興味は無いのだろう・・・。
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鉄扉がちゃんと残っている。
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中の状態も良い、綺麗に作ってあるな~素晴らしい。
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鉄扉に付いている小窓にはガラスが入っていたのだろうか・・・まさかね。
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▼天井部分はコンクリートが剥がれ落ちて鉄がむき出しになっているが、逆にリベットが見えて構造が解りやすい。
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当然、当時カムフラージュの為に盛ってあったであろう土は無くなっている。画像の2人は「こんな薄い鉄板丸出しで
敵に攻撃されたら一発で終わりやで!」と、訳の解らない会話をしていた・・・無知は怖い。
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順路を進んでいくと、丁度、富士屋別館の反対側に出た、兵舎か何かの遺構が残っている。
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▲キャンプ場を抜けて太平洋側に出ると素晴らしい景色が広がっていた。
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▲次は海軍聴音所跡に向かう。
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▲木陰の涼しい山道を少々登っていくと・・・。
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▲▼あった、海軍聴音所跡だ。周辺には当時の遺構と思われるコンクリートの基礎が沢山残っていた。
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▼早速中に入って見る。
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戦後、盛り土等や、付近の木々に隠れ、この施設が発見されたのが遅かった為、比較的良好な状態だったそうだ。
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それでも、発見されてからも何の手入れもされていないので荒れ放題だが・・・これはこれで味があって良い。
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▼再び外にまわって見学する。すると・・・ん?二階建てか!?
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知ってしまった以上、2階に行きたい!
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▲写真で見ると、何てこと無い高さだが、これが絶妙に高い・・・。
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ズボンが少し裂けたが何とか登る事が出来た。
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2階部分は一部屋の様だ。
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▼次に第3砲台跡に向かう途中、トイレがあった。
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経年劣化を考えると当時の建物とは考えにくいが、直ぐ近くに近代的なトイレが設置してあったのでこれは当時物か?
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▲▼当時の物を補修して使用していた時期がある様だ。明治時代の物だとしたら木材が綺麗過ぎる。
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それでも、外観を含め、当時の姿を偲ぶ事が出来るトイレの建物は初めて見た。
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「ラピュタっぽい!」と、人気の友ヶ島のメイン見学地、第3砲台跡は、懐中電灯があれば誰でも迷路の様な砲座施設
を思う存分楽しむ事が出来きる。若い女性グループもスマホの懐中電灯片手に肝試ししている人も沢山居た。
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トンネルを抜けると砲座跡、地下に入れば弾薬庫跡。と、カマドウマさえ気にしなければ楽しい空間が沢山!
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他の要塞も行っているが、これだけの地下トンネルが構築されている要塞は友ヶ島が最大ではなかろうか・・・。
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明治・大正時代に建設された要塞は、何処も似た様な造りだが、友ヶ島は島全部が要塞で規模が大きい。
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ふんだんに使われた赤煉瓦のアーチが素晴らしい形を作っている。
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棲息掩蔽部は全て一本の通路で繋がっている。
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見学者が多いので、人を入れず写真に収めるタイミングが大変。
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▼逆から来たが、本来は此処から第3砲台に入るのだろう、立派で美しい入口だ。
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▼将校の宿舎だったとされる銃眼を備えた兵舎が残る。
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▼すぐ横には屋根が抜け落ちた発電所跡が残る
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▼▲本来の入口を出口として第3砲台跡を後にする。
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▼次は探照灯跡に向かう。
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▼道中、この様な石柱が何本もあった。何の為に建ててあるのだろう・・・壁でも作っていたのか・・・?
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▼探照灯跡に到着、先客は何と大学生位の若い女性2人組だった。こんな寂しい所に女性2人とは流石安全な日本!
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▼階段を登って見る。
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▼探照灯が格納されていたであろう部屋を見下ろす。
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女性2人組に別れの挨拶をして次へ向かう。
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女性達には「探照灯」の説明と、この島では戦いは無かった事を教えてあげると驚いていた。戦争が此処であったと思
っていたらしい・・・太平洋戦争(大東亜戦争)前から、他国(特にロシア)の侵略に対する備えだった事を教えてあげた。
こうした戦争遺跡には、ただ自由に見学させるだけで無く、自国の歴史を紹介する必要性を強く感じた。


続く➡執筆中
この映画は是非見ておきたいですね「凛として愛」YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。


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 2018_03_28


明治時代、対露戦国土防衛として。そして舞鶴軍港を守る沿岸砲台として建設された舞鶴要塞の一角、
金岬砲台跡/槙山砲台跡に行ってきました。

「槙山砲台」着工1898年(明治31年11月)→竣工1901年(明治33年10月)昭和20年終戦まで稼働。
道の駅 舞鶴港とれとれセンターの交差点を北へ。舞鶴湾沿いに車で約20分。槙山公園の看板を目印に山側へ細い
道を登って行くと槙山砲台跡にたどり着きます。車で行ける比較的楽な場所ですが、道が細い為、対向車に注意が必
要です。(今回1台だけ対向車に出会いました)
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▼道中はこの様な時代を感じる小橋がいくつもあります。砲台建設当時に整備された軍道と思われます
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どのくらい登ったでしょうか、距離はあまり無い様に思いますが道が細いと遠く感じます。無事頂上付近に
到着すると、NHK中継アンテナと槙山砲台跡が見えます。駐車スペースがあるのでここに駐車しました。
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この砲台は28センチ榴弾砲が6門、15センチ臼砲が4門設置されていたそうだ。砲座跡は草木が多く、侵入しても良い
写真が撮れそうにもなかったので近づかず、掩蔽部を見学してまわりました。
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▲▼1つ目の掩蔽部右手階段を上って奥に行くと舞鶴湾入口の素晴らしい景色が広がります。
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▲パラグライダー滑空地点より撮影、パラグライダーは経験あるのでここでも飛んでみたい!
不謹慎にも「桜花」発射レールを思い出していました。ここが太平洋側だったら間違いなく設置されていたでしょう。
当日は曇っていましたので良い絵になりませんでしたが、雨の予報を覆しての曇りだったので感謝です。
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▼明治時代に築かれた掩蔽部は何処も同じ様な作りですが、その場所によって地形に合わせた建設で感動します
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▼▲3連掩蔽部はいいですね~。
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▼3連掩蔽部が見学最終場所で、その脇道から奥へ少し行けます。ここも景色が良いです。
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「槙山砲台跡」見学後、次は「金岬砲台跡」に向かいます。
▼元来た道を下っていくと、キツいヘアピンカーブがあります。ここで車を止めて歩きます。
カーブミラーが設置されていて駐車スペースがあるのはここだけなので解り易いと思います。
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▼大き目の木が倒れている場所から入って行きます。
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途中極端に狭くなっている場所や、倒木を乗り越えたりして少々厳しい行軍ではありますがなんとかなります。
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▲以前にトレッキングに来られた方がご親切にロープを設置してくれてます、有り難いです。
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▲20分程歩いたでしょうか、当時の営門が姿をあらわします、暑さで疲れましたが感激です。
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▲井戸か?兵舎の基礎か?色々遺構を見た先には掩蔽部が出迎えてくれます。
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▲金岬砲台の砲座跡は比較的見易いです。落書きなども無く非常に状態は良い100年以上前の遺構!
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▲ここは5連掩蔽部があった・・・。素晴らしい!中は全て繋がってます(当然空っぽですが)
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▲5連掩蔽部の前には何やら建物跡の遺構。
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▲更に登っていくと・・・、またあった!2連掩蔽部
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ここまで資材を運んでくるのは軍道が整備されていたとはいえ大変だっただろう・・・。
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▲▼2連掩蔽部の上には見張り場所?
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▲本当に綺麗に作られている。100年以上前の遺構とは思えない程
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▲枯れ葉で埋もれかけの砲座跡。「槙山砲台」と同じく着工1898年(明治31年)→竣工1901年(明治33年)
 舞鶴要塞の中でここ、金岬砲台のみが昭和9年に廃止された様です。
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舞鶴湾入口の防衛として21センチ砲4門、15センチ砲4門が設置された金岬砲台。短い期間と言っても、明治33年~
昭和9年・・・1901年~1934年の33年間、明治/大正/昭和と、激動の日本史を見てきた砲台なんですね。
金岬砲台廃止2年後に日中戦争が始まり太平洋(大東亜戦争)へ・・・、航空機の時代になっていったという事ですね。
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▲砲座はしっかり4門残っていました。砲が無い以外は全て当時の面影を残しています。
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▲画像は(芸予要塞)愛媛県今治市の「小島」で撮影した物。「坂の上の雲」のロケで使用されたレプリカ。
 芸予要塞は24センチ砲で、舞鶴要塞より強力ですが、似た様な砲が設置されていたのでしょう。
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▲砲座跡の下にはしっかり掩蔽部
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半地下にレイアウトされた掩蔽部は何処の要塞跡を見てもいいですね~。
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▼オタマジャクシが沢山泳いでました。
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もっともっと時が経てば自然に埋もれてしまうだろう・・・。年に1度ぐらいは大掃除してあげたいと思う遺構でした。

今回舞鶴訪問は前日7/16入で舞鶴地方隊サマーフェスタ2016も見学しました。その時の画像も少し紹介して終りです
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▼陸上自衛隊の軽装甲機動車に体験搭乗出来た、悪路での乗り心地の良さが体験出来た。
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▼舞鶴地方隊第44掃海隊のすがしま型掃海艇。見学すると甲板は木だったので驚いた。
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▼このような兵器を使わずして何とか他国と上手くやっていける方法はないものか・・・。
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▼海上自衛隊 第23航空隊
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▼海上自衛隊舞鶴地方隊に現存する「大講堂」昭和8年10月完成(現在は海軍記念館として見学可能)
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軍が国民を威圧し、支配するのはいけませんが、敗戦国と言えども最低限、国防は必要なのだろう。
しかし、軍隊は国民を守る為の軍隊であって欲しいと切に願う。24万人の自衛隊で戦争が出来るはずも無いのだから。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
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 2016_07_17


由良要塞は3つの地区で構成されています。和歌山県(加太地区)、友ヶ島、そして今回訪れた由良地区です。
明治22年に起工された由良地区生石山砲台は、結局一度も使用される事なく昭和の終戦を迎え、米軍により
破壊されました。加太地区に比べると現存状態は悪いですが、それでも赤レンガで築かれた砲台周辺の建造物
は健在で、近年公園化されて見学し易くなった事もあり、見学する価値ありです。
場所はナビで [生石公園] (兵庫県洲本市由良町由良)を検索すると良いと思います。梅で有名な場所です。
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▲車で峠道を登っていくとまずは第4砲台跡が左手に迎えてくれます。
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▲第4砲台跡から[成ヶ島]が見えます、成ヶ島にも砲台があった様です。
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▲第4砲台跡駐車場からの眺め。良い天気でしたので友ヶ島も見えました。
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▲第1砲台跡へは立ち入り禁止です。が・・・、自己責任で柵を越えて中へ。
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▼▲崩壊寸前の弾薬庫が並んでいます。さらに奥へと赤レンガ倉庫が続いています。
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▲砲台の台座跡(丸い部分)
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▼▲第1砲台跡駐車場に展示してある24センチ砲(ガスで切断したのでしょうか・・)
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今回は第1第4砲台跡を見学したが、第2.3.5砲台跡はフェンスで覆われ見学(撮影)しにくかった為スルーしました・・。
公園整備が進んでいる様なので、見易い状態になればまた訪れてみたいと思います。




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「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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 2015_09_21


和歌山県に「瀬戸内海国立公園 加太国民休暇村」という施設があります。
HPの観光案内には掲載されていない明治時代の遺跡「由良要塞」の一角を近くに見学
する事が出来ます。
今回は、「友ヶ島」・「淡路島」・そして今回訪問した本州(和歌山市深山)に築かれ
た国内巨大要塞の1つ、「由良要塞」の一角(深山第一砲台跡)を見学してきました。

国民休暇村本館目の前に弾薬庫跡が堂々たる姿で現存しています。
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▲中に入る事が出来ます。(もちろん弾薬は無く、何もありません)
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休暇村本館から少し下った所に砲台跡への入り口があります。
歩道に敷詰められている赤レンガは当時の物だそうです。
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少し登りですが、数分歩くと半地下の素晴らしい棲息掩蔽部跡のお出ましです。
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この時代の掩蔽部跡はどこも同じ造りですが、土地に合わせた造りこみが素晴らしいです。
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棲息掩蔽部跡を見下ろしながら歩くのは胸がおどります。
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直線的に道が続いています。砲座跡(6門)と半地下の棲息掩蔽部跡をトンネルくぐりながら歩きます。
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▼半地下にレイアウトされた棲息掩蔽部はいいですね。
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先月完成した。っと言われてもおかしくないぐらいの現存状態です。明治時代の軍事施設は
美しく強固なので「戦争」を忘れてしまいそうになります。
ここ深山第一砲台は28cm榴弾砲(6門)明治32年竣工→昭和20年(終戦)まで機能していたそうです。
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砲座跡から石段を登ると素晴らしい景色が迎えてくれます。友ヶ島が見えます。
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大阪湾防衛の為、紀淡海峡を睨みをきかして警備していたんですね。
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 2014_08_26


芸予要塞は愛媛県今治市来島海峡のここ「小島」や広島県「大久野島」など複
数の島に明治30年代頃築かれました。
この小島には日清戦争当時、日露戦争を予感した大日本帝国がロシア海軍の侵
攻を防ぐために築いた海岸要塞があります。明治32年から2年間の突貫工事で、
巨額の国費を投じ、砲台や赤煉瓦の兵舎、火薬庫などが作られました。しかし実
際に使われる事は無く砲台は太平洋戦争の兵器にリサイクルされたそうです。砲
台以外の施設が当時のまま残っている貴重な遺跡です。
NHKスペシャルドラマ「坂の上の雲」ドラマロケで使用した大砲があります。
小島へは今治市波止浜港から来島~小島~馬島航路の船に乗り、(各島停船)
小島で降ります。10分程の距離です。(港で無人の自動販売機で船のチケットを
買います。駐車場はありますが、台数が少ないので早い者勝ちです)
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▼四国と本州を結ぶ[しまなみ街道]が見えます
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▼来島停船の後、小島に着きます。船着場に大きな大砲が見えてきます
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小さな船着場です。船は次の島「馬島」に出発していきます。
帰りの船の時間を確認しておきましょう
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▼[坂の上の雲]のロケで使用された砲台(レプリカ)が圧巻です
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▼案内人は誰も居ないので、案内地図を確認して島の散策を開始しました
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▼人口が30人程度のこの島はお年寄りが多く、静かな島です。
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最初は「探照灯跡」です。探照灯は夜間この海峡に進入してくる船を発見するた
め海上を照らしていた現在でいえば「サーチライト」です。今は台座の施設しか
残っておらず探照灯がいつの時代にどのような方法で撤去されたかは資料が
無く、さだかではない。
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▼次は非常に保存状態の良い「発電所跡」(多少リメイクされたと思われる)
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▼「南部砲台跡」着工1899年3月(明治32年)→1900年6月(明治33年)竣工
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▼「弾薬庫跡」
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弾薬庫は万一に備え屋根が手薄な作りが多い。
経年劣化で屋根は現存しない。
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▼湿気を防ぐための上げ床の煉瓦のアーチが美しい。
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▼中部砲台跡へ向かう道中。しまなみ街道が綺麗でした。
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▼最も高い位置にある「中部砲台跡」着工1899年5月(明治32年)→1901年3月(明治34年)竣工
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▼砲座跡と立派な兵舎跡が残っており、圧巻でした。
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▼少々急な階段を上り、「司令塔跡」へ。来島海峡が綺麗に見えます。
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最後の見学地点、「北部砲台跡」。ここは爆撃テストに使われた砲台らしく、破壊され
たままの状態です。着工1899年11月(明治32年)→1902年2月(明治35年)竣工
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更に進んで行くと2箇所目の発電所跡がある。左右に石段が続き、本当にひとつ
の街の様です。今作ればどのくらいの費用がかかるのか想像がつかない。
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▼ここにも兵舎跡があった。
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当時この場所にあった砲台の写真が残されている。
[大阪砲兵工廠(現在の大阪城周辺)製作]
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▼上記の当時写真と同じ場所。
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▼実験とはいえ、爆撃の跡が生々しい。
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▼ここで突き当たり。奥の急な階段は中部砲台跡へ続いている
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▼当時の北砲台(24㎝砲)写真。戦艦大和の46㎝砲が凄い大砲であったかが解る
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▼小島の航空写真。お金の心配が無ければ住んでみたい。
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島は国立公園の様です、自動販売機も土産物屋も食堂もコンビニも無く、車も走
っていない。明治時代にタイプスリップ出来る島「小島」来て良かったです。
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 2014_05_11


京都府舞鶴市へ行ってきました。目的は明教寺、舞鶴赤レンガ倉庫群(旧舞鶴海軍 軍需部本部地区)、
舞鶴砲台跡、に行く事です。観光地でも有名な赤レンガ倉庫や軍港も見ごたえありましたが舞鶴発電所
敷地内に今でも旧日本軍の砲台跡があり、弾薬庫がそのままの状態で残っています。
訪れる人も少ない様で戦時下の日本にタイムスリップした様な気になりました。
舞鶴市に入ってからまず訪れたのは「明教寺」というお寺です。
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ここは神風特別攻撃隊(敷島隊)の5名(関行男大尉・中野盤雄一飛曹・谷暢夫一飛曹・永峰肇飛長・大黒繁男上飛)
のお一人、谷暢夫一飛曹のご実家です。本堂には飛行服姿の谷暢夫一飛曹の大きな絵が飾ってあります。
お寺なので誰でもおまいりに行く事が出来ますので、是非1度足を運ばれる事を切望します。
明教寺 京都府舞鶴市字余部上315 [ TEL ] 0773-62-4890
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舞鶴赤れんがパーク
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▼2016.7.16再訪
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▼映画「男たちの大和」の撮影にも使われた場所です。
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▼海軍ゆかりの港めぐり遊覧船(大人¥1,000/ 小人¥500)で港を海から見学出来ます。
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▼舞鶴発電所敷地内の小高い丘(国見山頂上付近)にひっそりと明治時代に築かれた舞鶴要塞の一角、
「葦谷砲台跡」が現存します。(着工1897年(明治30年)→1900年(明治32年)竣工)
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映画「日本のいちばん長い日」の撮影が行われた場所でもあります。舞鶴では多くの場面の撮影が行われました。
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ここも使われる事が無かったのと発電所敷地内という事もあり、保存状態は良いです。
対露戦に備え、舞鶴港防衛や舞鶴軍港を守る沿岸砲台として舞鶴要塞が建設されました。
東側には浦入砲台、そして今回訪れた葦谷砲台。西側には金岬砲台、槙山砲台、建部砲台(建部山堡塁)
そして敵の上陸に備えて吉坂堡塁、吉坂付属堡塁、建部山堡塁が築かれました。
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▼舞鶴要塞に設置されていた28サンチ榴弾砲
(写真と同じ砲が浦入砲台/葦谷砲台/金岬砲台/槙山砲台に据えられていた)
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明治25年制定大阪砲兵工廠製で、太平洋戦争末期の沖縄戦でも使われた日本陸軍の象徴のような砲である。


▼丘からは若狭湾と舞鶴火力発電所を眺める事が出来ます。
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この後、舞鶴引揚記念館に行きました。終戦後満州・北鮮・樺太・千島で旧ソ連軍に捕虜となり、シベリアで強制労働
させられた日本兵/日本人は100万人とも言われています。
劣悪な環境化での強制労働で多くの日本人が旧ソ連で命を落としました。
舞鶴引揚記念館ではソ連軍に捕虜となって強制連行された方々の苦労がよく解ります。
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▼展示されている、悲惨な生活を強いられる日本人の人形を眺めている幼い女の子。女の子の目にはどう映ったのか。
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▼引揚記念館から車で2分、引揚桟橋が復元されています。
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 2013_08_14




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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