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日本陸海軍の基地があったラバウル(ニューブリテン島)と、ニューギニア島の間にはダンピール海峡と呼ばれる
海峡がある。昭和18年初旬、日本軍はラエで壊滅的な打撃を受けていたが、体勢の建て直しを計り、陸軍第51
師団の残る7000人を8隻の輸送船でラエ地区に上陸させる作戦が開始された。昭和18年3月3日この船団がダン
ピール海峡に差し掛かった早朝、連合軍の爆撃隊が襲い掛かり、8隻全てが撃沈され、約半数 2600人の日本兵
が海中に沈んだ。生存者は駆逐艦に救助されてラバウルに引き返したが、ごく一部が着の身着のままでラエに上
陸したが、この時連合軍は海に漂流する日本軍将兵を虐殺したとされている。日本軍潜水艦を追い払った米軍魚
雷艇複数隻が、救助作業中の日本軍大発動艇を撃沈した後、漂流する日本軍将兵に機銃掃射を加えた。
この事を「ダンピールの悲劇」と呼ばれる様になった。
連合軍側は後に、「日本軍兵士は救助されると速やかに現場へ復帰する」「捕虜となったとみせかけて米兵に襲
いかかる」などの理由や、先のB-17爆撃機の米兵生存者への日本軍側の機銃掃射に対する報復等の理由を挙げ、
この行為を正当化した。とされている。

※パプアニューギニアは第一次世界大戦でドイツが敗北。ドイツ領ニューギニアであった島の東北部は、国際連
盟によりオーストラリアの委任統治領となっていた。
太平洋戦争では、日本軍が昭和17年(1942)1/22ニューブリテン島ラバウルに上陸、ニューブリテン、ニューア
イルランド、ブーゲンビルなどの島嶼部やニューギニア本島の北岸を占領し、ポートモレスビー攻略を狙った。
しかし5月に行われた珊瑚海海戦の結果、海からのポートモレスビー攻略を諦め、8月にはソロモン海岸からオー
エン・スタンレー山脈越えでポートモレスビーを陸路攻略する作戦が実行されたが、補給の続かない愚かな作戦
で、飢えとマラリアで多くの戦死者を出し撤退。その後、制海権、制空権を失い補給を絶たれたニューギニアの
日本軍は「ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア」と謡われた凄惨な戦場となった。

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▼▲攻撃を受ける日本軍輸送船「太明丸」
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[ 日本軍詳細 ]第3水雷戦隊(木村昌福少将
護衛水頼部隊→駆逐艦「白雪」(旗艦) 駆逐艦「敷波」「浦波」「時津風」「雪風」「朝潮」「荒潮」「朝雲」
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     ▲駆逐艦「白雪」                     ▲駆逐艦「荒潮」
護衛航空部隊→253空ゼロ戦約30機、204空ゼロ戦約30機、252空派遣部隊ゼロ11機、「瑞鳳」派遣部隊ゼロ戦19機
       582空艦上爆撃機9機、751空一式陸上攻撃機約20機、
輸送船団→第1分隊「帝洋丸」「愛洋丸」「神愛丸」。第2分隊「旭盛丸」「大井川丸」「太明丸」「建武丸」「野島」
[ 日本軍損害 ]
(沈没)→駆逐艦「白雪」「時津風」「朝潮」「荒潮」 運送艦「野島」
輸送船「帝洋丸」「愛洋丸」「神愛丸」「旭盛丸」「大井川丸」「太明丸」「建武丸」
(戦死)→陸軍兵士約3600人(800人がニューギニアに上陸、2427人が帰還)
日本軍の作戦では、昭和18年2月28日にラバウルを出航し3月3日にラエ到着揚陸予定であった。事前に敵航空戦力を
空爆により弱体化させる計画であり、夜間爆撃がラビ及びポートモレスビーに対して行われたが天候不良により不十分
であった。護衛部隊の第3水雷戦隊参謀であった半田仁貴知少佐は、81号作戦計画担当であった第8艦隊作戦参謀の
神重徳大佐に「この作戦は敵航空戦力によって全滅されるであろうから、中止してはどうか」と申し入れたが、神大佐
から「命令だから全滅覚悟でやってもらいたい」と回答されたと言う。最も、本作戦はラエ輸送作戦を主張する陸軍と、
マダンもしくはウェワク輸送を主張した日本海軍(連合艦隊)の、妥協の産物でもあった。
連合軍は3月5日頃に日本軍がラエに上陸すると判断し、アメリカ陸軍航空隊とオーストラリア空軍は、航空機を集結し
て3月1日には攻撃準備を完了していた。つまり杜撰な日本軍の作戦によりやられるべきしてやられた戦いである。
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▲米軍の攻撃を受ける日本軍輸送船
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この戦いはビスマルク海海戦と呼ばれ、昭和18年(1943)3月2日~3日ビスマルク海からダンピール海峡にかけての
海域で、連合国軍が日本軍の輸送船団に対し航空攻撃を行った事で発生した戦闘である。日本側の輸送作戦名称は
「第84号作戦」である。この戦闘で日本軍の輸送船団は壊滅し、後にダンピールの悲劇と言われた。
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[ 米軍詳細 ]陸軍第5空軍前進部隊(ポートモレスビーより)
戦闘機→P-38 P-40 ボーファイター計154機
爆撃機→重爆撃機B-17フライングフォートレス39機、中爆B-25ミッチェル41機、軽爆A20ハボック34機
    雷撃機ボーフォート10機
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▲昭和18年3月3日ビスマルク海海戦で日本軍輸送船「太明丸」に爆撃を加える米B-25爆撃機
以下「ビスマルク海海戦」詳細
昭和18年2月28日第18軍司令部と主力の第51師団をラエ地区に輸送する「第84号作戦」を発動
昭和18年2月28日23:30輸送・護衛水上部隊(輸送船8隻/駆艦8隻)ラバウル出発
昭和18年3月01日14:15米軍B-24爆撃機が船団を発見、B-17爆撃機7機が攻撃に向かうが曇天にて船団を発見できず。
昭和18年3月02日07:55米B-17爆撃機10機が高度2000mから爆撃、「旭盛丸」沈没。ラバウルからゼロ戦が迎撃。
         16:25米B-17爆撃機8機が船団を爆撃、運送艦「野島」が至近弾を受け損傷。
昭和18年3月03日07:23米ボーファイター10機が雷撃、上空直援のゼロ戦26機が阻止。
         07:50南方上空に米大編隊を発見。
         07:55米B-17爆撃機18機が高高度爆撃。損害無し。米ボーファイター13機をゼロ戦12機が迎撃。
            米B-17爆撃機1機と護衛のP-38戦闘機20機を阻止。B-25爆撃機13機も中高度から爆撃。
         08:05ゼロ戦19機が日本軍船団上空に到着、上空直奄機は41機となる。
            B-25爆撃機12機が低空から機銃掃射反跳爆撃。P-38戦闘機に護衛されたA-20攻撃機12機、
            B-25爆撃機6機も反跳爆撃を敢行。
            命中弾多数。ゼロ戦は高高度爆撃を警戒して上空にいた為迎撃に失敗。
            輸送船7隻がが被弾・炎上。駆逐艦「白雪」「荒潮」「時津風」も被弾・航行不能。
         08:08「建武丸」轟沈
         09:05旗艦・駆逐艦「白雪」が弾薬庫の爆発で艦尾切断・沈没
         11:30「愛洋丸」が沈没。運送艦「野島」が被弾し、舵機が故障した「荒潮」と衝突。
         13:00B-17爆撃機16機、A-20攻撃機12機、B-25爆撃機10機、ボーファイター5機、P-38戦闘機
           11機が日本軍船団を攻撃。「朝潮」は40機以上の攻撃を受け被弾・航行不能。「野島」沈没。
         13:20「朝潮」沈没。14:30「神愛丸」沈没。16:30「太明丸」沈没。17:30「帝洋丸」沈没。
         22:20漂流中の「大井川丸」が魚雷艇の攻撃を受け沈没。
昭和18年3月04日「朝潮」が哨戒中のB-17爆撃機の攻撃で沈没。
         漂流中の「荒潮」「時津風」は連合軍爆撃機の攻撃で沈没。
日本軍は輸送船8隻、駆逐艦4隻、陸軍将兵約2600人、搭載していた重火器・車両、航空機材を失い作戦は失敗。
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▲3/3敵の攻撃に対して全速力で退避航行中の駆逐艦「白雪」。この後弾薬庫の爆発で艦尾切断、沈没。

▼ビスマルク海海戦時の画像では無いがラバウルへ爆撃に行ったB-26が日本軍に撃墜された時の連続写真
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拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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 2016_03_03




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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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