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東京は昭和19年(1944)11月14日以降106回もの空襲を受けたが、特に昭和20年(1945)3月10日、4月13~15日、
5月24~26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い
昭和20年(1945)3月10日の空襲(下町空襲)を指すことが多い。3/10の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた。
平成23年(2011)3月11日に起きた東日本大震災が近年メインで取り上げられる事が多くなったが、東京大空襲も
忘れてはいけない。
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▲燃え上がる銀座4丁目交差点付近。(旧銀座尾張町)
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当初アメリカ軍は中国からの空襲を行った。司令官ハンセン准将は軍事目標に対して、高高度精密爆撃を開始。
特に航空機・エンジン工場が狙われた。「進入高度は8000~9000m」ノルデン照準器を使用した。
然しながら、成果が上がらず、サイパン島が占領されてからは、その攻撃の性格を一変させた。
アーノルド大将の命令で作戦計画を立て、綿密なテストと過去の検証をした。
ナパーム弾(焼夷弾)の効果については、アメリカ本土に日本家屋と町並みを再現。畳などはハワイから取り寄せ、
延焼効果を検証していた。更にアメリカは、「関東大震災」を徹底的に検証し、どの様な攻撃が効果的かを綿密に
調査した。大規模攻撃計画では、「人口密度」「火災密度」「交通機関」「工場」など爆攻撃有効度を測って一覧表
を作成。最も重要視したのは「人口密度」であった・・・。司令官を、カーチス・ルメイ少将に交代し、「ミーテイ
ング作戦」と、侵入方法を変更。「昼間攻撃から夜間攻撃」に変更。「進入高度」を高高度から「1500~3000mの
低高度」に変更。更に機銃、機銃手、その他装備を降ろし、爆弾を大幅に増加した。
乗員から攻撃は自殺行為として異議が出、正式な抗議文が攻撃隊長から提出されたが変更されなかった。
この異議に対して「低空攻撃はジェットストリーム」(燃費の大幅な改善)に邪魔されない、日本軍に夜間迎撃能力は
無い、としての攻撃であった。
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▲小学生高学年あたりであろうか、ガレキの処理を手伝っている。
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▲吉原公園と書かれている。遊郭のあった辺りだろうか・・・。
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「ミーテイング作戦」を第1段、第2段にして、第1目標を深川区(現在の江東区)、第2目標を本所区(墨田区)
第3目標を浅草区(台東区)、第4目標を日本橋区(中央区)とした。その効果は、関東大震災の延焼被害と合致し空前
の死者を出した。アメリカ軍による東京大空襲は綿密な計画に基づく緻密に計算された完璧な作戦だった。
戦後、日本政府は東京大空襲の司令官カーチス・ルメイ大将(昇進)に対して「航空自衛隊の育成の務めた」として、
「勲一等旭日大綬章」を授与している。但し「勲一」は天皇が親授するのが恒例であったが、「昭和天皇は拒否」。
時の防衛大臣が親授した。この受勲は、元海軍大佐「源田実」が進めたとされる。
カーチス・ルメイ大将は、後に「第5代アメリカ空軍参謀総長」になり、キューバ危機の際、ケネデイー大統領に、
ソ連に対して先制戦術核攻撃を進言。「今なら勝てます!」が彼の言葉として残る。
ケネデイー大統領が、当時のスパイ(現役のソ連参謀本部大佐、その後逮捕され銃殺刑)の情報でソ連は退くと確信
し、カーチス・ルメイの進言を受け入れなかったのは、今のアメリカでは有名な話である。
カーチス・ルメイはその後、北爆(ベトナム)を開始。彼の言葉では「石ころだけにする」と豪語したと伝えられる。
退役後、NHKの東京空襲の取材に対して、彼は何も話さず、「勲一等旭日大綬章」を見せたと言う。
アメリカの取材では「もしアメリカが負けていれば、私が最初に戦犯として絞首刑になる軍人」と話したと伝えられる。
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▲犠牲者の遺体を調べる警察官
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▲母子と思われる2つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない。
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▲雙葉高等女学校の校門という事は東京都千代田区辺りであろう。
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▲浅草寺の僧侶もガスマスク装備・・・。
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▲僧侶も怪我人の搬送を手伝う。
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▲本土決戦が実行されていたら僧侶も最前線で戦ったのであろうか・・・。
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▲「今日の新聞」と書かれている・・・。空襲被害以外に伝える事などないだろう・・・。
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▲多少笑顔がこぼれている様にも見えるが、「女性はやはり逞しい」と見るべきか諦めの笑顔と見るべきか・・・。
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▲現在の墨田区両国付近、右手の川は隅田川。
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▲品川区戸越公園駅
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▲焼け野原でまだ軍事物資を生産しようと言うのか・・・。
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▲これだけやられておきながら何の万歳だろう・・・。
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▲この子達には何の責任も無い・・・。
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▲浅草駅前。現松屋デパート付近
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▲浅草寺 仲見世通り。焼け跡を通勤する人達・・・。
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▲昭和20年8月15日焼け野原の東京で天皇の玉音放送を聞き、悲しみに暮れる人達。
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▲▼昭和20年年5月25日の空襲で焼失した東京駅全景
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▼焦土となった東京を視察する昭和天皇
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東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言1
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言2
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言3
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言4
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言5




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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 2016_03_10




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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