終戦(敗戦)直後から昭和21,2年辺りまでの写真はモノクロ写真が多い。暗い戦争のイメージは、モノクロ写真が更に
暗さを倍増させる。「青空など無かったのではないか?」と錯覚してしまう程だ。ここに紹介する進駐軍が撮影した
写真は全てカラー写真。カラー写真は全てGHQ職員だったロバート・V・モージャー氏が、昭和21年~22年にかけて
撮影した写真だ。終戦直後の東京・名古屋・大阪・広島の風景が良く解る。
個別に全ての場所が特定出来れば、是非、現在の同じ場所に行ってみたいものだ。
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東京大空襲後の現在の墨田区両国付近、右手の川は隅田川。モノクロだとやはり限界がある。
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▲▼ここからはカラー写真。敗戦直後進駐軍管理下の日本をまずは皇居の桜田巽櫓から。
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▲皇居外苑坂下門付近の警備兵(イギリス連邦軍インド兵)終戦直後はインドはまだイギリスの植民地だった。
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▲▼北桔梗門前蛤濠の警備兵(米軍第1騎兵師団とイギリス連邦軍インド兵)
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▲ロバート・V・モージャー氏(Robert V. Mosier)
GHQの文民スタッフ(civilian secretarial staff)として昭和21年4月~翌年1月に日本に滞在した際、東京、名古屋、
大阪、広島等の全国各地で撮影したカラー写真を、2008年米国在住のモージャー氏の親族からカラースライド(304枚)
が寄贈された物。
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▼国会議事堂が見え、夏空が広がっている。
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▼国会議事堂前の道に駐車する多くのバス・・・進駐軍の車両だろうか・・・。
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▼皇居周辺の写真。この辺りは東京に住んでいなくてもだいたい何処だか解る。
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▼昭和13年竣工の第一生命ビル(戦時中は東部軍管区司令部)を接収。連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)となる
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▲この車はなんていう車だろう・・・スチュードベーカー・コマンダーかな?
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▲皇居外苑の楠木正成像。今もあるのかな?
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▼▲アメリカ極東空軍司令部として接収された明治生命館
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▲東京銀行集会所。大連で同じ様な建物を見た事がある・・・。
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▼岸本ビル/内外ビル/日本郵船ビル/東京海上ビル。石炭暖房器具を使っているのだろう、煙突から黒煙が出ている。
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▼「日比谷帝國生命館」と書いてある。
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▼これは帝国ホテルかな。愛知県のテーマパーク「明治村」で見た事がある。
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▼これは空襲で被害を受けた修復中の東京駅だろう。
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▼空襲で焼けた建物。これは大本営陸軍部か!?
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▼東京宝塚劇場。ERNIE PYLEって書いてある。「沖縄戦」の伊江島で戦死した米軍従軍記者の事か?
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▼松屋銀座前。当時はPX(進駐軍の売店)として接収されていたそうだ。
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▼CITY HALLと書かれた建物は元何だったんだろう・・・東京都庁舎かな?
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▼▲これらは何処の何なのかは解らない・・・。
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▼横浜駅
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▼これは横浜港だろう。
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▼鎌倉の大仏かと思ったら、愛知県東海市の聚楽園大仏だという事だ。
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▼聚楽園弘法大師像と米軍軍人
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▼いつの時代も富士山は美しい・・・。
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▼山中湖かな?昭和の日本だ・・・何か美しい。
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▼▲山中湖周辺で進駐軍が接収したホテルだろうか・・・今も残っているのかな?
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テニスコートが写っている。何処だろう・・・。
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▲ 愛知県名古屋市中区の路面電車が走る大津通。
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▲遠望に名古屋日本徴兵館を望む。愛知県名古屋市
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▲愛知県名古屋市中区の松重閘門(まつしげこうもん)
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▲名古屋駅が見える。
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▲遠望に名古屋日本徴兵館を望む。
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▲▼一応余所行きの着物だろうけど、何か着物姿の普通の日本女性っていいな~って思えてくる写真。
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▼▲名古屋城だ。東南隅櫓(辰巳櫓)と思われる。
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▼名古屋城表二之門
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▼昭和20年5月14日未明の名古屋大空襲で全焼した天守閣は石垣だけが残っている・・・。
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▼奇跡的に残った西南隅櫓(未申櫓)
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▼焼失前の名古屋城
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名古屋は工業都市で、三菱重工業名古屋発動機、同名古屋航空機、愛知航空機、愛知時計電機、陸軍造兵廠、住友
金属工業、大同製鋼、神戸製鋼、日本車輌製造、名古屋造船、岡本工業、大隈鉄工等、多くの工場が立地していた為、
米軍の日本本土空襲の第一目標だった。名古屋は航空機産業のメッカであり、とりわけ航空機生産の最大拠点である
三菱重工業名古屋発動機は、東京の中島飛行機武蔵野工場と共に、米軍の日本本土初空襲初空襲(ドゥリットル空襲)
の最初の目標でもあった。
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▲陸海軍の飛行場跡か・・・凄い数の航空機の残骸・・・。
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▲▼綺麗な残骸だ・・・一式陸攻か?・・・塗装前に日の丸は入ってるんだ・・・。
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▼東海銀行の看板が見えるので、この写真も愛知県だろう。餓死者が沢山出た戦後において、写っている人はまだ裕
 福な人達だろう。笑顔も見える。
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進駐軍のカメラマンに写真を撮られるのに抵抗感は無い様だ。
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▼空襲で焼けた壁が痛々しい名古屋市中区の松坂屋。
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▼愛知県名古屋市の丸栄名古屋公証人合同役場五金。
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▼ミッキーマウスが描かれた愛知県内の飲食店。占領された・・・負けた・・・って思っただろうな・・・。
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▼名古屋市中区の松坂屋前の路上。
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▼愛知県庁か?名古屋市役所か・・・素晴らしい。旧満州国の「新京」みたいだ・・・。
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▼▲愛知県庁名古屋市役所遠景。
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▼・・・。
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▼愛知県名古屋市の中部配電付近。
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▲愛知県名古屋市中区
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▲名古屋観光ホテル
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▲名古屋市の護国神社鳥居
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▲愛知県名古屋市中区広小路東新町交差点の陸田ビル
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▲愛知県名古屋市中区の中村百貨店
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▲▼愛知県名古屋市の露店と映画演劇の広告看板
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▲▼愛知県名古屋市中区の名古屋日本徴兵館。
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▲愛知県名古屋市中区で建設中の丸栄百貨店。
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映画『明日への遺言』では、若者を愛した人「青年将軍」の通称で部下に親しまれた岡田資 陸軍中将が、第13方面軍司
令官兼東海軍管区司令官を務めていた昭和20年5月14日の名古屋空襲の際、撃墜され捕虜となった米軍のB-29爆撃機搭
乗員27名を自らの命令(旧陸軍内での法的根拠は与えられており、私的制裁の類ではない)で処刑した事に対する終戦後
の軍事裁判(横浜法廷)を再現している。(この映画の中で「石垣島事件」も文言として紹介されている)
戦犯裁判で、岡田中将は米軍による空襲について「一般市民を無慈悲に殺傷しようとした無差別爆撃である」「搭乗員
はハーグ条約違反の戦犯であり、捕虜ではない」と徹底的に主張し(岡田自身は、これを『法戦』と呼んだ)、検察や
米軍関係者による爆撃の正当化を批判、捕虜虐待の罪に付いても全面的に争った。
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▲岡田資 陸軍中将 昭和24年9月17日戦争犯罪人【B級】(捕虜虐待罪)として法務死。享年59歳
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▲場所不詳
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▲岐阜県各務原市の「城山荘」
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▲製作中の和傘
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▲▼場所不詳
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▼心斎橋の「そうごう大阪店」(接収され、進駐軍の売店=PXとなっていた)
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▼原爆が落とされた広島・・・。
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▼原爆ドームと墓石とは何とも不気味な組み合わせだ・・・。
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広島は写真がカラーとなっても、尚も暗く感じるのは私だけだろうか・・・。
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▼オーストラリア軍兵士。これを見ると、豪州とも戦っていた事を再確認させられる。
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▲▼中に居た人達は一瞬にして吹き飛んでお亡くなりになったんだろう・・・原爆は恐ろしい・・・。
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▲京都の知恩院山門。
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▲東本願寺御影堂門
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▼▲これは間違いなく平安神宮だろう。平安神宮応天門
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京都に現存する寺院や神社は、今も昔も変わらない風景を残している事が良く解る。
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▲平安神宮拝殿
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▲平安神宮外拝殿
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現在は黒煙をあげている風景は京都には見られないが、当時はこんな感じだったんだ・・・。
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▼ここからの画像は、場所が何処か解らない
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▲▼今ではもう見られなくなった牛を引いての田起こしの風景。
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生き残った日本人は皆、必死に戦後の日本を復興させたんだな・・・と、つくづく思う。
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▼何処だろうな・・・奥に綺麗な雪山が見える。
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▼木造の物資運搬船だ。
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▼終戦直後から商売をしている人達は凄いバイタリティーだ。
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▼昭和の看板はカラフルで味があっていい!
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▼日本海軍に徴用されていた病院船「氷川丸」の貴重なカラー写真だ。今も重要文化財として残っている。
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▲焼け跡にバラック建てて商売スタート。ホント終戦直後の日本人は凄い・・・奇跡の復興と言われるのもよく解る。
自然災害でもないので何の保証も無く、全て「命さえがあれば」の精神で、国に文句も言わず頑張った日本人は偉い。
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▲▼映画館で娯楽を楽しんでいる人も大勢いる・・・ゼロからのスタートでは無い人も少なからず居たんだね・・・。
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▲元気そうな子供達だが、昭和22年以降の食糧飢饉で餓死者が大勢出ている・・・この子達は生き延びただろうか。
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▲▼飲食店が立ち並ぶバラック・・・裸電球も写っている。メニューに刺身が確認出来る・・・何の魚だろう・・・。
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▲愛知県名古屋市の様子だが「新興日本の春を楽しく迎ませう」と書いてある。終戦1年でこうも変われるものだ。
よく戦争映画やドラマで、戦後の極端な世の中の変わり様を驚くシーンがあるが、全く本当だった様だ。
▼戦時中クリスマスはあったのだろうか・・・少なくとも太平洋戦争末期はクリスマスを祝う余裕も無かっただろう。
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敗戦間際に戦死していった特攻隊員や自決した兵士の事を想うと、何とも複雑な気持ちになる・・・。
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▲何処だろう・・・富士山が見える。
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▲露店
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▲▼何処だろうか・・・。
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▲恐らくロバート・V・モージャー氏と同行していたGHQ職員。



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 2017_11_19


東京は昭和19年(1944)11月14日以降106回もの空襲を受けたが、特に昭和20年(1945)3月10日、4月13~15日、
5月24~26日の5回は大規模だった。その中でも「東京大空襲」と言った場合、死者数が10万人以上と著しく多い
昭和20年(1945)3月10日の空襲(下町空襲)を指すことが多い。3/10の空襲だけでも罹災者は100万人を超えた。
平成23年(2011)3月11日に起きた東日本大震災が近年メインで取り上げられる事が多くなったが、東京大空襲も
忘れてはいけない。
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▲燃え上がる銀座4丁目交差点付近。(旧銀座尾張町)
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当初アメリカ軍は中国からの空襲を行った。司令官ハンセン准将は軍事目標に対して、高高度精密爆撃を開始。
特に航空機・エンジン工場が狙われた。「進入高度は8000~9000m」ノルデン照準器を使用した。
然しながら、成果が上がらず、サイパン島が占領されてからは、その攻撃の性格を一変させた。
アーノルド大将の命令で作戦計画を立て、綿密なテストと過去の検証をした。
ナパーム弾(焼夷弾)の効果については、アメリカ本土に日本家屋と町並みを再現。畳などはハワイから取り寄せ、
延焼効果を検証していた。更にアメリカは、「関東大震災」を徹底的に検証し、どの様な攻撃が効果的かを綿密に
調査した。大規模攻撃計画では、「人口密度」「火災密度」「交通機関」「工場」など爆攻撃有効度を測って一覧表
を作成。最も重要視したのは「人口密度」であった・・・。司令官を、カーチス・ルメイ少将に交代し、「ミーテイ
ング作戦」と、侵入方法を変更。「昼間攻撃から夜間攻撃」に変更。「進入高度」を高高度から「1500~3000mの
低高度」に変更。更に機銃、機銃手、その他装備を降ろし、爆弾を大幅に増加した。
乗員から攻撃は自殺行為として異議が出、正式な抗議文が攻撃隊長から提出されたが変更されなかった。
この異議に対して「低空攻撃はジェットストリーム」(燃費の大幅な改善)に邪魔されない、日本軍に夜間迎撃能力は
無い、としての攻撃であった。
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▲小学生高学年あたりであろうか、ガレキの処理を手伝っている。
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▲吉原公園と書かれている。遊郭のあった辺りだろうか・・・。
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「ミーテイング作戦」を第1段、第2段にして、第1目標を深川区(現在の江東区)、第2目標を本所区(墨田区)
第3目標を浅草区(台東区)、第4目標を日本橋区(中央区)とした。その効果は、関東大震災の延焼被害と合致し空前
の死者を出した。アメリカ軍による東京大空襲は綿密な計画に基づく緻密に計算された完璧な作戦だった。
戦後、日本政府は東京大空襲の司令官カーチス・ルメイ大将(昇進)に対して「航空自衛隊の育成の務めた」として、
「勲一等旭日大綬章」を授与している。但し「勲一」は天皇が親授するのが恒例であったが、「昭和天皇は拒否」。
時の防衛大臣が親授した。この受勲は、元海軍大佐「源田実」が進めたとされる。
カーチス・ルメイ大将は、後に「第5代アメリカ空軍参謀総長」になり、キューバ危機の際、ケネデイー大統領に、
ソ連に対して先制戦術核攻撃を進言。「今なら勝てます!」が彼の言葉として残る。
ケネデイー大統領が、当時のスパイ(現役のソ連参謀本部大佐、その後逮捕され銃殺刑)の情報でソ連は退くと確信
し、カーチス・ルメイの進言を受け入れなかったのは、今のアメリカでは有名な話である。
カーチス・ルメイはその後、北爆(ベトナム)を開始。彼の言葉では「石ころだけにする」と豪語したと伝えられる。
退役後、NHKの東京空襲の取材に対して、彼は何も話さず、「勲一等旭日大綬章」を見せたと言う。
アメリカの取材では「もしアメリカが負けていれば、私が最初に戦犯として絞首刑になる軍人」と話したと伝えられる。
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▲犠牲者の遺体を調べる警察官
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▲母子と思われる2つの遺体。子供を背負って逃げていたらしく、母親の背中が焦げていない。
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▲雙葉高等女学校の校門という事は東京都千代田区辺りであろう。
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▲浅草寺の僧侶もガスマスク装備・・・。
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▲僧侶も怪我人の搬送を手伝う。
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▲本土決戦が実行されていたら僧侶も最前線で戦ったのであろうか・・・。
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▲「今日の新聞」と書かれている・・・。空襲被害以外に伝える事などないだろう・・・。
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▲多少笑顔がこぼれている様にも見えるが、「女性はやはり逞しい」と見るべきか諦めの笑顔と見るべきか・・・。
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▲現在の墨田区両国付近、右手の川は隅田川。
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▲品川区戸越公園駅
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▲焼け野原でまだ軍事物資を生産しようと言うのか・・・。
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▲これだけやられておきながら何の万歳だろう・・・。
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▲この子達には何の責任も無い・・・。
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▲浅草駅前。現松屋デパート付近
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▲浅草寺 仲見世通り。焼け跡を通勤する人達・・・。
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▲昭和20年8月15日焼け野原の東京で天皇の玉音放送を聞き、悲しみに暮れる人達。
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▲▼昭和20年年5月25日の空襲で焼失した東京駅全景
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▼焦土となった東京を視察する昭和天皇
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東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言1
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言2
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言3
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言4
東京を爆撃した兵士たち ~アメリカ軍パイロット 60年後の証言5




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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 2016_03_10




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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