昭和20年2月19日~3月26日に日米が激突した「硫黄島の戦い」は、映画「硫黄島からの手紙」等で有名だ。
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アメリカでは「父親たちの星条旗」YouTube
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▲昭和20年2月19日硫黄島に上陸作戦を開始する米軍。
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小笠原方面陸海軍最高指揮官「栗林忠道陸軍中将」率いる日本軍の奮闘は周知の通り。
昭和20年2月19日米海兵隊第1波が硫黄島に上陸を開始した。この時、栗林陸軍中将の命令を無視し、応戦砲撃を
行った日本海軍の海岸砲により擂鉢山火砲陣地が露呈し、全滅した。日本海軍の指揮官は「市丸利之助海軍少将」
戦いの最後に市丸利之助少将が残した「ルーズベルトニ与フル書」も忘れてはいけない。
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▲市丸利之助海軍少将(いちまるりのすけ満53歳没)

『ルーズベルトニ与フル書』(現代語訳)
日本海軍市丸海軍少将が 「フランクリン ・ルーズベルト」 君に書を宛てる。
私は今、我が戦いを終えるに当たり一言貴方に告げることがある。

日本国が 「ペルリー(ペリー)」提督の下田入港を機とし、広く世界と国交を結ぶようになった時より約百年の間、
国の歩みは困難を極め、自ら欲しないにも関わらず日清戦争、日露戦争、第一次欧州大戦(第一次世界大戦)、満州事
変、支那事変を経て、不幸にも貴国と交戦することになった。
そして貴方は我々を、あるいは好戦的国民であるとし、あるいは黄禍論を用い貶め、あるいは軍閥の独断専行である
とする。

思いよらぬもの甚だしいと言わざるを得ない。貴方は真珠湾攻撃の不意打ちを理由に対日戦争(大東亜戦争) 唯一の
宣伝資料とするが、そもそもにおいて日本国が自滅を免れるためこの行動に出る他ないという程の窮地にまで追い詰
めたような諸種の情勢というのは、貴方の最も熟知するものであると思う。

畏れ多くも日本天皇は皇祖皇宗建国の大詔に明らかなように、養成(正義)、重暉(明智)、積慶(仁慈)を三鋼(
秩序)とする八紘一宇(天下を一つの屋根の下に)の文字によって表される皇謨に基づき、地球上のあらゆる人間は
その分に従い、その郷土においてその生を生まれながらに持たせ、それによって恒久的平和の確立を唯一の念願にな
さったのに他ならない。

これは 「 四方の海皆はらからと思ふ世になど波風の立ちさわぐらむ 」 (意訳:人は皆家族であるのに、なにゆえ
争わねばならないのか) という明治天皇の御製(天皇の詩)は貴方の叔父セオドア・ルーズベルト閣下が感嘆したも
のであるが故に、貴方もよく熟知しているのは事実であろう。

私たち日本人はそれぞれ階級を持ち、また各種の職業に従事するけれども、結局はその職を通じ皇謨、つまりは天業
(天皇の事業)を翼賛(補佐)しようとするのに他ならない。

我ら軍人は交戦を以て天業を広めることを承るに他ならない。

我らは今、物量に頼った貴方の空軍の爆撃、艦隊の射撃の下、外形的に後ろへ退くもやむなきに至っているが、精神
的にはついに豊かになり、心地ますます明朗になり、歓喜を抑えることができなくもある。

この天業翼賛の信念が燃えるのは日本国民共通の心理であるが、貴方やチャーチル君は理解に苦しむところであろう。

今、ここに貴方達の精神的貧弱さを憐れみ、以下の一言を以て少しでも悔いることがあれば良いと思う。

貴方達のなすことを見れば、白人、とくにアングロサクソン(アメリカとイギリスの主な民族)が世界の利益を独占
しようとして、有色人種をその野望実現のための奴隷として扱おうということに他ならない。

この為に邪な政策をとり有色人種を欺き、所謂悪意の善政を行うことで彼らを喪心無力化しようとしている。

近世に至り日本国が貴方達の野望に抗し有色人種、特に東洋民族を貴方達の束縛より解放しようと試みたところ、貴
方達は少しも日本の真意を理解しようと努めることなく、ただ貴方達に有害な存在となし、かつて友邦とみなしてい
たにも関わらず仇敵野蛮人であるとし、公然として日本人種の絶滅を叫ぶに至った。これは決して神意にかなうもの
ではないだろう。

大東亜戦争によって所謂(いわゆる)大東亜共栄圏が成立し、所在する各民族はわれらの善政を謳歌しているから、
貴方達がこれを破壊することが無ければ、全世界にわたる恒久的平和の招来は決して遠くは無いだろう。
貴方達はすでに成した。十分な繁栄にも満足することはなく数百年来にわたるあなた方の搾取から免れようとするこ
れらの憐れむべき人類の希望の芽をどうして若葉のうちに摘み取ろうとするのか。

ただ東洋のものを東洋に返すに過ぎないではないか。

あなた方はどうしてこのように貪欲で狭量なのか。

大東亜共栄圏の存在は少しも貴方達の存在を脅威するものではない。 むしろ世界平和の一翼として世界人類の安寧
幸福を保障するものであって、日本天皇の真意はまったくこれに他ならない。
このことを理解する雅量(器)があることを希望してやまないものである。

翻って欧州の事情を観察すると、また相互無理解に基づく人類闘争がいかに悲惨であるかを痛感し嘆かざるをえない
今ヒトラー総統の行動の是非を云々するのは慎むが、彼の第二次世界大戦開戦の原因が第一次世界大戦の終結の際、
その開戦責任の一切を敗戦国ドイツに押し付け、その正当な存在を極度に圧迫しようとした貴方達の処置に対する反
発に他ならないということは看過できない。

貴方達の善戦によって力を尽くしてヒトラー総統を倒すことができたとして、どうやってスターリン率いるソヴィエ
ト(※共産主義:著者注)と協調するのか。世界を強者が独専しようとすれば永久に闘争を繰り返し、ついに世界人
類に安寧幸福の日はないだろう。

あなた方は今世界制覇の野望が一応、まさに実現しようとしている。あなた方は得意げに思っているに違いない。
しかし貴方達の先輩ウィルソン大統領はその得意の絶頂において失脚した。

願わくば私の言外の意を汲んでその轍を踏まないで欲しい。

市丸海軍少将 
(『米国大統領への手紙』 平川祐弘 新潮社より引用 )

昭和20年3月26日未明、日本軍硫黄島守備隊は最後の組織的反攻を行い、栗林陸軍中将、市丸海軍少将以下数百名の
残存部隊がアメリカ軍陣地へ総攻撃をかけた。
市丸少将は遺書としてアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトに宛てた『ルーズベルトニ与フル書』をしたため、
これをハワイ生まれの日系二世三上弘文兵曹に英訳させ、日本語/英語各一通を作りアメリカ軍が将校の遺体を検査す
ることを見越してこれを村上治重大尉に渡した。村上大尉は最後の突撃の際にこれを懐中に抱いて出撃し、戦死。
『ルーズベルトニ与フル書』は目論見どおりアメリカ軍の手に渡り、7月11日、アメリカで新聞に掲載された。
それは日米戦争の責任の一端をアメリカにあるとし、ファシズムの打倒を掲げる連合国の大義名分の矛盾を突くもので
あった。(ルーズベルトは4月12日に死去した為『ルーズベルトニ与フル書』は本人は目にしていないとみられる)
公式な戦死日は訣別の電報が打電された3月17日とされている。市丸の最期を確認した者はおらず、遺体も発見されて
いない。市丸が所有していた刀を米兵が拾い、ニュージャージー州の骨董店に並べられていたが、市丸の遺品であるこ
とが判明しNHKのテレビ番組を通じ遺族の元へ戻っている。
太平洋艦隊司令長官チェスター・ニミッツ元帥は、この手紙をアナポリスの海軍兵学校に提出させ、そこに納めさせた
現在もこの書は、アメリカ海軍兵学校内アナポリス博物館に今でも大切に保管されている。
『ルーズベルトニ与フル書』これを読むといつも考えさせられる・・・。硫黄島「戦場の郵便配達」YouTube

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 ▲栗林忠道陸軍中将(満53歳没)      ▲西竹一陸軍中佐(満42歳没)

[ 西竹一陸軍中佐 ]
硫黄島守備隊として戦車第26連隊の指揮をとった。硫黄島での戦闘で西は戦場に遺棄されたアメリカ軍の兵器を積極的
に鹵獲し、整備・修理した後それらを使用して勇戦したと伝えられている。
戦闘末期の撤退戦の中でもはぐれた兵士を洞窟内に入れることを拒絶する他指揮官が多かった中、西は「一緒に戦おう」
と受け入れたという。
「硫黄島からの手紙」でも描かれた、負傷したアメリカ兵を尋問の後、乏しい医薬品で出来るだけの手当てをした事、
母親からの手紙がその米兵のポケットにあった・・・といったエピソードも証言として大野芳、城山三郎、R.F.ニューカム
などの著作でも触れられている。
昭和20年3月17日に音信を絶ち、3月21日払暁、兵団司令部への移動の為、敵中突破中に掃射を受けその場で戦死した
か、もしくはその後に銀明水及び双子岩付近にて副官と共に拳銃自決したとも、あるいは3月22日火炎放射器で片目を
やられながらも、数人の部下らと共に最期の突撃を行い戦死したともいわれている。
また他の説に、硫黄島戦末期に日本軍に鹵獲され使用されたM4中戦車の話がある。
接近してくる戦車に挨拶した米海兵隊員がいきなり銃撃を受けたり、戦場で合流した戦車から至近距離で砲撃を受け、
戦車が複数台撃破されたりした。後にこのM4中戦車は撃破され、中から日本兵の死体が発見されたが、その中の1人が
西ではないかとも言われている。しかし、西の最期の詳細は不明である。
昭和7年ロサンゼルスオリンピックでは、西はウラヌスを駆って馬術大障害飛越競技にて優勝金メダリストとなる。
これは2015年(平成27年)現在においても日本がオリンピック馬術競技でメダルを獲得した唯一の記録である。
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▲▼硫黄島上陸作戦前、日本兵が「定期便」と呼んだ空襲が何度も繰り返された。
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しかし、日本兵の命がけとも言える過酷な地下豪構築作業により作られた地下陣地のお陰で被害は最小限だった。
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▲戦い終結後、投降する日本兵の写真(ご苦労様でした・・としか言いようが無い)
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▲「硫黄島の戦い」が終結し、アメリカ軍に占領された硫黄島に米軍機が並ぶ。奥には摺鉢山が見える。

硫黄島の現在は日本に返還されたものの、一般人は「遺骨収集」以外では立ち入る事が出来ない島だ。
旧日本海軍は硫黄島に、千鳥、元山、北と3つの飛行場を建設した。
「硫黄島の戦い」終結後、米軍が拡張整備した旧元山飛行場は、日本兵の遺体が多数残っているであろう洞窟陣地坑道
のある元山飛行場と、その東側エリアの上にコンクリートを流し拡張整備し、日本本土爆撃の基地として使用した。
現在は自衛隊に引き継がれてそのまま使用されている・・・。
2万を超える日本軍戦死者の内、現在も約12000柱の遺骨が見つかっておらず、その多くは現在の硫黄島飛行場下の坑
道内にあると見られており、防衛省の調査では滑走路下の約1800カ所で遺骨が埋まっている可能性があるとしている。
一日も早く英霊を助け出してあげて、日本人であれば誰でも慰霊に訪れる事が出来る様になって欲しいと強く望む。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
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 2016_06_03




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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