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石見銀山

Category: 石見銀山  

(角島からの続き)
日本海側を海沿いに走り、最後の目的地「石見銀山跡」に向かう。
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▲石見銀山世界遺産センターに到着。この建物内の展示室は有料だった。
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▲▼此処に車を駐車してバスで石見銀山跡向かう。
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ここからは徒歩かレンタル自転車での散策となり、徒歩を選ぶ。2.3㎞の道のりはお年寄りにはキツイだろう・・・。
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まずは五百羅漢(ごひゃくらかん)羅漢寺(らかんじ)から見学。早速有料だ・・・。
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車で来ているのにバス代を取られ、羅漢寺・石見銀山跡と何度もお金を徴収しようとする世界遺産に少々がっかり。
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当然外から眺めた程度で中は見学していない。たいして興味が無いからだ。
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「がっかり世界遺産」と言われるのも納得だね・・・。
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見学もほどほどに石見銀山跡に向かう。
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▲此処で簡単な地図を頂いて、林道を歩き、石見銀山を目指す。
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静かな林道を歩いて行く。
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途中、小さなお寺がいくつもある。
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▼この長い階段は登っていない。
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▼▲銀脈の発見に観音のお告げがあったという清水寺。
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途中、林道から自転車が走る舗装道路に合流する。
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▲福神山間歩とは、福神山(ふくじんやま)の間歩(まぶ)=坑道で、山師と呼ばれた個人が経営した「自分山」だという。
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あちらこちらに坑口がある。
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戦跡ばかり見てきた私には日本軍の陣地壕にしか見えない・・・。
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しかし、ここは戦跡では無い。「銀」を採掘していた場所だ。
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何か建物が見える。どうやら目的地到着の様だ。
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公開されている龍源寺間歩(龍源寺坑道)に入る為には入場料を支払う。
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龍源寺間歩(坑道)入口。外は汗が噴き出る程の暑さだが、入口付近は冷たい空気が漂っていた。天然冷房は最高!
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しかし、どう見ても旧日本軍の陣地壕に見えてしまうのは私だけだろうか・・・。
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「沖縄戦」で米軍が撮影した日本軍陣地壕。
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外は暑いので早く中へ入る事にする。
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「龍源寺間歩」とは、江戸時代に造られた全長約600mの坑道跡。
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そのうち273mが公開され、坑道内の壁面に残るノミの跡など、往時の手彫り作業の痕跡が見学出来る。
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坑道内は12~13度で非常に快適だ。
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江戸時代の鉱夫達は鉱脈を求めて坑道を掘り進めた。
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▼出口へ向かって最後の登り坑道。
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▼出口近くの最後は、江戸時代の石見銀山絵巻二巻に描かれた当時の採掘作業の様子を映した電照板だ。
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これを見て感激し、真剣に見入ってしまった・・・江戸時代の話だ・・・昔の日本人は凄かった・・・。
▼「四つ留之図」
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坑道に入口は四つ留めと呼ばれ、石見銀山では縦1.8m横幅1.5mの間歩入口に直径90㎝程の栗の丸太で4本柱を組
んで四つ留とした。
▼「四つ留役所之図」
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江戸時代中期、間歩(坑道)入口の左右には、四つ留役所が置かれ、山方掛の役人3人・同心1人・山附などの役人が詰
めて、坑内監督や見張りや、銀鉱石の計量を行っていた。
▼「御代官様銀山御見廻之図」
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御用見廻りは、年に数回銀山附役人4~5人と共廻りの御仲間2~3人を連れて馬で巡見を行い、鉱山の採れ高の状況
や、坑内の様子などを四つ留役所の役人から事情説明を受ける習わしであった。
▼「四つ留役所前柄山捨場」
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山言葉で捨石の事を「柄山」と呼ばれた。良質の鉱石が混じっている事があることから、山内の女や子供、非番の人夫
達が鉱石拾いをする様になった。
▼「鋪内之図」
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坑内の図で、右側から捨て石を背負って歩く人夫。鉱石の運搬や坑内の支木の替え木を持ち運んでいる図である。
▼A➡押木留之図 B➡掘子共鎖堀図 C➡水鋪水取之図
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押木留之図➡天井の土砂を留める為に木材で被う図。
掘子共鎖堀図➡掘子人夫達が鉱石をミノで掘っている図。
水鋪水取之図➡坑内の溜り水を水箱に段々と竹ポンプで吸い上げる作業の図。
▼A➡「石留之図」
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石を掘り抜いてトンネル状の坑道を設えるところと、水引き上げるの図。
▼「大水鋪角樋二而水引揚ル図」(おおみずしきかくにひつきみずひきあげるのず)
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坑内の湧水を木製のポンプを使って段々上に引き揚げて、疎水抗へ流し出している作業図。
▼「唐箕風箱之図」
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江戸時代中頃から唐箕を改良して坑外の風を抗内に昼夜送る作業を行った。
▼「留木拵之図」(とめぎしつらえのず)
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抗口前の広場では坑内の支柱を拵(こし)らえる仕事を行った。
▼「鉱石を運ぶ」
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掘子(ほりこ)が鉱石をかますに入れて背負い運ぶ。狭い坑道の中をさざえの殻のランプの明かりだけがたよりだった。
▼「鉱石を掘る」
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掘子は鑚(たがね)を鋏(はさみ)で固定し、鎚(つち)でたたき鉱石を掘る。暗闇・油煙・石塵の中で大変な労力であった。
▼「坑木を組む」
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落盤防止の為に坑木を組むのが留山師の仕事。坑道内が崩れるのを防ぐ重要な仕事であった。
▼「水をくむ」
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深く掘れば水が湧く。坑内の排水作業は鉱石を掘る事以上に大変な仕事であった。竹や角樋のポンプ・桶を使用した。
※これらの作業は、戦時中に各地で数多く掘られた旧日本軍の陣地壕や病院壕も同じ様に坑木が組まれていたので、
壕を掘る手作業も含めて江戸時代から続いている方法なんだと改めて感心していた・・・。
同時に戦時中に多くの壕を掘った日本軍設営隊や動員された人達の大変なご苦労を感じていた。
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▲▼最後の電照板の見学を終えて外に出て出口を撮影。
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周辺にいくつか坑口が開いていた。
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さぁ帰ろう。
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出口にもトイレ休憩する小屋があり、丁度ボランティアガイドの方がいらっしゃったので少し話を聞いた。
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鉱石を見せて頂いた。
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銀が入っているのがお解りだろうか、大きな石の塊でたったこれだけの銀があるだけだ・・・。
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▼世界遺産の意義「平和と人権尊重」
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▲帰りは行きとは違う道で戻る。
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▲小学生のお土産?石を売っている。小学生へだったらもっと安くしないと・・・どうも理解出来なかった。
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▲歴史ある神社のようだ・・・。
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▼少々キツい階段だが、国指定史跡であれば見てみたい。登ってみる事にした。
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▲登り終えた。文政時代に建てられた本殿だ・・・。
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中に入ってみた。
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しかし・・・隙間だらけでいまにも崩壊しそうだ・・・。
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この襖・・・。これが国指定史跡・・・?
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もう、お賽銭だけで維持していくのは無理なのかもしれない・・・。
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さぁ戻ろう。
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▼行きしなに通た林道が見えた。ほぼ並走している。
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▼かわいいお店なんかもあっていい感じの帰り道。
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▼毛利氏が石見銀山を支配した16世紀後半には、ここで採れた銀は温泉津沖泊港まで運ばれ、そこで銀の積み出しと、
 石見銀山への物資補給が行われたという。
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▼どのお店もいい感じ。
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▼かなり古そうな建物を見つけた。
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▼▲昭和初期頃の建物だろうか・・・かなりいい感じ。
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戦時中の兵舎の様な建物だ・・・。
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大森小学校として現役の建物だった!凄い。
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またしばらく歩く。
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▼無料休憩所があった。
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「渡辺家住宅」と書いてある。
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昔からずっと残ってるんだ・・・凄い。
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少し中を見学した。
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素晴らしいけど、現代人には住みにくいだろうな・・・。無駄に部屋が多過ぎるのでメンテが大変だ・・・。
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昔の人はそんなに物が多かったのか・・・?広い敷地に無駄無く建つ建物に蔵。身の周りはシンプルが1番と思う。
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古民家を再利用した喫茶店やお食事処が多い。
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江戸時代から続くメインストリーム「中国自然歩道」はまだまだ続く。
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観光客は意外に多い。
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▲景観を損なわない様に自動販売機も工夫されている。これは素晴らしい。
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どんどん進んでいるが、来る時に降りたバス停はとっくに過ぎている・・・。
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江戸時代を思わせる景観とお土産屋さんに惹かれてメインストリームをどんどん歩く。
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西洋かぶれの明治・大正時代の街並みより、もう一昔前のこっちの街並みの方が落ち着くかも・・・。
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▼榮泉寺竜宮門
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永遠に続くかの様ないい感じの街並み。
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やっぱ低い建物の方が落ち着くね。
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▲▼映画「アイ・ラヴ・ピース」のロケ地。この映画は知らない・・・。
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▲▼裁判所
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▲岩山上に建てられた観世音寺。此処から「大森の町なみ」を一望出来るそうだが、歩き疲れていたので遠慮した。
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▼▲理容館アラタ
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この辺りで大森の町なみは終了となる。
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▲大森代官所跡にある大森銀山資料館。長屋門は1815年に建造されたものだ。
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▲江戸時代にカメラは無かっただろうから、恐らく明治時代に撮影された大森代官所。
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▲代官所跡に建つ「西南之役戦死者記念碑」

拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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 2017_09_13




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
[沖縄戦を深く知るツアー]をご希望の方はメールにてお願いします。
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