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オーストラリア戦争記念館(Part4)からの続き。
最終章は「 AIR CRAFT HALL 」

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一番見たかった展示ブースだ。
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▼初っ端からゼロ戦だ!(しかし、見学する人は僅か・・・日本人の私だけが一生懸命写真を撮っていた)
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エア-パーク/航空自衛隊浜松広報館と同じ飛行状態での展示だ。
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此の零戦21型はパプアニューギニア・二ューブリテン島 ガスマタに放置された台南航空隊所属機をオーストラリア軍
が捕獲した物※ガスマタ(Gasmata)はパプアニューギニア ニューブリテン島 西ニューブリテン州南岸にある村。

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同じ場所で鹵獲されたもう1機の台南航空隊所属機がハワイの太平洋航空博物館パールハーバーに展示されている。
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太平洋航空博物館パールハーバーの零戦はエンジンが換装されてカウリングが大きくなっているが、此処に展示されて
いる零戦はオリジナルの様に見えた。

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このオーストラリアでレストアされたゼロ戦(A6M2)は坂井三郎 海軍中尉機(ラバウル時代V-173)だったそうだ。
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※当時日本海軍のゼロ戦を含めた航空機には、特定の人物の「専用機」は無かったので、「坂井中尉も乗った事のある
 機体」という言い方が正しいだろう。

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坂井三郎中尉は日本海軍航空隊で活躍した名パイロットで第二次世界大戦を戦い抜き、生きて敗戦を迎えている。
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▼薄暗い館内と強烈なスポット照明で、写真が撮りにくかった・・・。
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▼小さな一式陸上攻撃機が吊るしてあった。
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▲▼日章旗と共に山本五十六が紹介されている・・・。
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▼一式陸上攻撃機の無線機だそうだ。他、山本長官機の部品が数点展示されていた。
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▼米軍陸上戦闘機P-40(キティフォーク)
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この機体はアメリカで製造された後、オーストラリアに輸送され、オーストラリア国内で組み立てられて北オーストラ
リアの防衛に使われた機体。

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大半の見学者がゼロ戦を素通りして、此の戦闘機を見学していた。
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▼此の戦闘機も何だったか忘れた・・・。
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▲▼入口に飛び出している爆撃機と、その後ろ側。
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▼この爆撃機も何だか解らなかったが、日本軍艦船に爆弾を命中させた事を示す旭日旗が描かれていた・・・。
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展示場所が狭い空間で全体写真を撮る事が出来ず・・・。
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▼同ブースの片隅に、日本軍の高射砲(八八式七糎半野戦高射砲)が展示してあった。
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この砲は1973年(昭和48年)にニューギニア島のブナに放置されていたものを回収したとの事。最近の回収か・・・。
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        ▼▲片隅に日本陸軍一式戦闘機「隼」の残骸が・・・。
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▲1944年5月、ホーランジアに遺棄された一式戦「隼」二型(キ43-II)
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残骸とは言え、本物の「隼」を見たのは初めてだった。
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▼最後のブースはかなり広めの展示スペースに色々な兵器が飾ってある。1番目立つ所に特殊潜航艇が・・・。
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シドニー湾攻撃に出撃し、自爆した2隻の日本海軍特殊潜航艇のパーツで1隻にした物だ・・・。
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自爆した際のダメージだろうか・・・腹下部分はポッカリ穴が開いて上部にも貫通している。
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艦首部分はイ22号搭載艇(松尾大尉/都竹2等兵曹)の特殊潜航艇で、艦橋と艦尾部分はイ27号搭載艇(中馬大尉/大森1
等兵曹)の特殊潜航艇である。

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▼間違い無く後で書かれた「前」だと思うが、何の為??
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シドニー港攻撃にはイ24号搭載艇も参加した後行方不明となっていたが、シドニー湾外で撃沈されていたのが2006年
に地元ダイバーによって発見されている。

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▲先端部に直径45cm、炸薬量は350kgの「97式酸素魚雷」2本を装備。大型艦も一撃で大破させる威力があった。
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▼艇内に備え付けられていた時計など、艇内から発見された道具類だろう・・・。
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戦死した2隻の搭乗員4名、中馬兼四大尉/大森猛1等兵曹/松尾敬宇大尉/都竹正雄2等兵曹を忘れてはならない。
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▼▲隣にはイギリス・アブロ社の四発爆撃機「ランカスター」。この博物館で最も大きい飛行機である。
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▲▼周囲には大きなスクリーンがあり、「ランカスター」の夜間爆撃のシーンが流されている。
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▼ドイツ軍の高射砲「FLAK 36」
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▲口径88mm。高速で動く目標に追随出来る様に設計され、対空用だけでなく徹甲弾を装填して対戦車用としても使わ
れた。この砲は昭和17年(1942)に北アフリカでオーストラリア軍によって鹵獲された物。

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▼▲何気にドイツ空軍のメッサーシュミットBf109が・・・!!一度見てみたかった戦闘機だったので感激!!
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▼飛行状態での展示固定方法が凄い。非常に小さな印象を受けた。ゼロ戦よりも小さい?
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▼そして大きな爆撃機の展示スペースの片隅にメッサーシュミットMe262(Messerschmitt Me262)が・・・!
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世界初の実戦配備および実戦を行ったドイツ空軍のジェット機。初めて見た・・・感激!
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此のMe262は「世界で唯一残存する爆撃機型」かつ「世界で唯一残存する戦時中のオリジナル塗装のままの機体」
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見学スペースが極端に狭く、前からしか写真が撮れない・・・どうにかして横から撮影しようと試みたが、柵から体を
乗り出して撮影しようとすると、直ぐに警告ブザーが盛大に鳴った・・・。

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▼メッサーシュミットMe163「コメート」(Messerschmitt Me 163 "Komet")
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▲ドイツ空軍が開発した航空機史上唯一の実用ロケット推進戦闘機。日本軍の秋水が参考にしたモデルだ。
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▲▼まだまだあった!日本軍関係の展示。
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旭日旗はいつ見ても美しい。
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何処かの国が自衛艦旗「旭日旗」の掲揚自粛を求める通知を出したとか・・・馬鹿か!?と言いたい。
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▲▼程度の良さそうな95式軽戦車だ・・・何処で鹵獲したのだろうか・・・。
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▼此れはイギリス軍の戦車かな・・・?
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▼内部が見える様にカットされている。
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▲▼何処の軍の物か良く解らないサーチライトや迫撃砲が展示してあって・・・。
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▼残りは更に古い時代の複葉機が沢山展示してあったので最後に紹介して終わりたいと思う。
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▲終戦直後、北ボルネオ(サンダカン)でオーストラリア軍に鹵獲された本物の日本海軍特攻艇「震洋」
長らくオーストラリア軍が保管していたが、オーストラリア戦争記念館(倉庫)に移されて今も保管されている。
今回、オーストラリア戦争記念館内で日本海軍の特攻艇「震洋」の本物を見つける事は出来なかった・・・。
駆け足で見学してまわったので見落としたか・・・それとも常時展示物では無いものなのか・・・それは解らないが、
日本にはレプリカしか無いので本物を見たいと思っていただけに残念だった。

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▼▲全て見学し終えて外に出ると薄暗くなってきていた。
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▼受付でタクシーを呼んでもらってバスステーションまで戻り、再びバスでシドニーへ戻った。
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▼シドニーに到着したのは夜遅く。ホテルに戻って食事を済ませ、明日の帰国準備にとりかかる。
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▼次の日、日本へ帰る為、シドニー国際空港。
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特に大きな空港という印象は無かったが、日本と同じく綺麗。
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車が展示してあったりするところは海外だな~と感じる。私は日本の空港ではセントレア以外で見た事が無い。
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▼ロータスが展示してあったけど、これって新しいのかな??ちょっと前のエリーゼに見えた。
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▼▲そして、また長旅になる日本へと帰った。喫煙者の私にはオーストラリアは遠い・・・。
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※オーストラリアにはアイコスは売っていないので、紙タバコ(1箱25本入25$=2000円位)を買うしか無い。なので、
日本から持って行ったアイコスが切れた後は紙タバコを買って吸ってみたが、まずかったのでほとんど吸っていない。
そして何より、タバコを吸える場所がほとんど無かった・・・。
因みに、オーストラリア戦争記念館のHPは➡オーストラリア戦争記念館

これは是非見て欲しいですね。【凛として愛】泉水隆一監督作品YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
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 2018_10_29


オーストラリア戦争記念館(Part3)からの続き。
このあたりの展示はさほど興味も無い為、サラッと通っただけの様なものなので、今回の記事はほぼ写真のみで。

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▲ビックリしたが人形だった・・・。
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ここも見学者はほとんど居ない・・・。
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▼イギリスの植民地時代の絵かな?
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ま、今もイギリスの植民地みたいなもんだけどね。オーストラリアの女王は今もエリザベス女王だし・・・。
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今でもエリザベス女王に批判的な事を少しでも言うと、オーストラリア首相は直ぐクビになるもんね・・・。
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日本は植民地になった事は無いけど事実上のアメリカ統治の様な現在の日本に似てるな・・・と思った。
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此のあたりの展示物はよく解らないのでスルー・・・。
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▼ここからの展示物は最近?の物だ・・・。
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▲国連軍の車両も・・・。
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        ▼何処かの司令部壕の再現。
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               次回最終章、オーストラリア戦争記念館(Part5)へ続きます。

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 2018_10_26


オーストラリア戦争記念館(Part2)からの続き。
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▼▲此の展示場の中は「ニューギニアの戦い」のブナやゴナ、そしてココダの戦場を再現している。
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中は薄暗かったので、まともな写真が撮れなかった・・・。
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連合軍と日本陸軍が戦った「ニューギニアの戦い」をどれだけの日本人が知っているのだろうか・・・。
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▼これもよく見る写真。(写真は「処刑時にヤスノ・チカオが部下に写真を撮らせた」と書いてある)
(写真は1944年4月ホーランディアで戦死した日本陸軍少佐が持っていたものを米軍が見つけたと書いてある。

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1943年(昭和18年)10月24日、日本海軍基地があった(ニューギニア)アイタぺのビーチで行われた捕虜処刑。
捕虜はオーストラリア軍M特殊部隊のレナード・シファート軍曹、刀を振りかぶるのは日本海軍のヤスノ・チカオ。
この処刑はインドネシア第22特別根拠地隊司令官の鎌田 道章海軍中将(愛媛県出身)の命令で行われた。
ヤスノ・チカオは「終戦前に戦死」と、生き延びてBC級戦犯裁判で絞首刑の宣告を受けたが結局懲役10年に減刑され
たという説がある。
戦後、鎌田 道章海軍中将はBC級戦犯に指名され、シファート軍曹以外の捕虜2人・原住民に対する残虐行為の罪も含
めオランダ軍軍事裁判で有罪となり、1947年(昭和22年)10月インドネシアのポンティアナックで絞首刑となった。
(ボルネオの戦いで鎌田中将は、陸軍部隊を含む在バリクパパンの日本軍部隊の指揮を執り、防戦に努めるも敗戦)

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シファート軍曹はオランダ軍の2人の兵士と日本軍の後方を偵察していた時、現地人に襲われ、捕まって日本軍に引き
渡された。尋問、拷問の末、3人とも斬首された。と書いてある。

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この写真は広く報道され、日本人は慈悲を与えず、まったく受け入れられない野蛮人であるという認識が強まった。
ヤスノ・チカオは戦後に服役を命じられたが、その後懲役10年の懲役刑が科された。と書いてある。

※「ボルネオの戦い」は、昭和20年5月~7月下旬までの連合軍と日本軍の戦闘。
連合軍は上陸したタラカン島/ブルネイ湾及びラブアン島/ボルネオ島(バリクパパン)を占領したが、まもなく終戦を
迎えた為、戦略的には大きな影響はなかった。日本軍は4700人以上が戦死又は戦病死した。
連合軍はオーストラリア兵569人が戦死、約1400人が負傷した。

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▼オーストラリア戦争記念館の展示物の中で「絵」はかなり多い。
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▼小さいブースだが[ THE HOLOCAUST ]の展示があった・・・。
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▼そろそろ第二次世界大戦も終盤に入ってきた。
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        ▼オーストラリア海軍の紹介だ。
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▼▲日本軍の特攻機を迎撃した事を紹介している。
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▲▼ん??何だ此れは・・・日本海軍から押収した物か・・・?
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▲日本海軍の物である事は間違いないが、最後まで何なのか良く解らなかった・・・知っている方、ご教授下さい
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▲▼桜花か!?思ったが、ドイツ軍のV1ロケットミサイルだった!
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当時ドイツの占領下だったフランスに配備されたV1飛行爆弾。連合軍の爆撃で発射基地が徹底的に破壊された
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もう少し早く実戦配備されていたらイギリスは壊滅していたであろう。ほとんど戦果を挙げらずに終わった。
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▲桜花の様な有人V1ロケットミサイルも開発されたが、ヒトラーは特攻有人V1ロケットミサイルは採用しなかった。
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▲▼線路の上を走れる様に改造してあるアメリカ軍のジープ。
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       ▲▼これは何だろう・・・中国語?中華系の人が多いシンガポールの当時物か・・・。
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▼今度は何やら石碑が展示してある。
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       ▼聖旨顕現(せいしけんげん?) 陸軍中将 山脇正隆 謹書 と書いてある。
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       ▲間違いなく日本語で掘られている。山脇中将はボルネオ守備軍司令官だ。
※山脇正隆陸軍中将(高知県出身)昭和16年陸軍大学校校長、参謀本部付、同年12月予備役。
昭和17年9月臨時召集によりボルネオ守備軍司令官。昭和18年9月陸軍大将に昇進。第37軍司令官、参謀本部付。
昭和20年5月召集解除。戦犯容疑で軍事裁判を受けるも数日で無罪になった。昭和49年4月21日に死去(享年88歳)
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       裏は 昭和17年8月15日開設記念建之 ボルネオ俘虜収容所長 管 辰次と書いてある。
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※菅 辰次中佐(広島出身)少佐の時に予備役となりアメリカに滞在。2度目の召集でボルネオの俘虜収容所長となる。
捕虜の中に『風下の国』の著者アグネス・キース女史とその夫、子供がいた。
ボルネオ赴任前にこの本を熟読していた菅は驚き、女史に紙と鉛筆を与え、収容所の出来事や感想を書いてくれる様
に頼んだ。喜んだ女史は、提出用の他に、収容所の日本人に対する赤裸々な感想を綴った自分用の手記も密かに書き
溜めた。しかし、その中でも菅中佐だけは、典型的な日本武士道にかなった人物として描かれていた。
戦局の悪化に伴い、俘虜の処遇についてもいろいろな討議がなされた。
軍司令部は「収容所にも重機の一挺ぐらい必要だろう」と言ってきたが、菅は受け取りを拒否した。
東京に於ける収容所長会議でも「如何なる場合があるとも、俘虜を敵手に委してはならぬ」という当局に対し、菅は
「私は、俘虜を殺す相談にきたのではない」と冷然として言い放ったという。
敗戦と同時に菅は戦犯としてラブアン島に護送された。連合軍の計らいで、台湾人の当番兵が付き添っていた。
※ラブアン島はマレーシア連邦直轄領の島で、日本軍占領時は、ボルネオ守備軍司令官だった陸軍中将前田利為にち
なんで、島名を「前田島」と改称していた(前田中将は旧加賀藩主前田本家第16代当主・享年57歳)
ラブアン島に着いた菅中佐を、原住民の石礫が襲った。携行したトランクで防いだが防ぎきれず、血達磨となった。
この惨めな仕打ちを受けて菅は、自決を決意した。
しかし身に寸鉄も帯びておらず、辛うじて食事用の丸いナイフがあるのみであった。
彼はこのナイフを頚動脈につきたて何とかこれを切ろうとしたが果たさなかった。
そこで水筒に砂を詰め、当番兵を呼んで、これで自分を殴るように命じた。菅の人柄を愛し付いて来ていた当番兵は、
ためらってなかなか撃てない。菅はこれを大喝して励まし、彼の心中を察した当番兵も意を決して、菅の後頭部に一
撃を加えた。しかし菅は一時的に昏倒しただけで、死に切れなかった。
息を吹き返した菅は、もう一度ナイフを首に当て、これを水筒で撃つように言った。
当番兵がナイフの柄頭を強く水筒で撃つと、ナイフは深く突き刺さり、ようやく致命傷となった。享年59歳。
解放されたキース女史は、この収容所での体験を元に、『三人は帰った』という本を書いた。
THREE CAME HOME
この物語は1942年から北ボルネオの母子捕虜収容所で3年半の年月を生き抜いた著者アグネス・キースの体験談。
収容所生活の記録の克明さで有名だ。天候、衣食住、人間関係などが詳細に綴られている。
著者アグネス・キースは、ボルネオの生活を描いた「風下の国」の著書があり、新聞記者の経歴も持つ著者のジャー
ナリスト魂で、収容所内で長男のぬいぐるみの中にまで隠した膨大なメモ類をまとめた本だ。
戦争が長引くに連れ、過酷さを増す収容所での暮らし、食べられるものすべてを口に入れ、密輸、盗みあらゆる事を
して子供と生き延びる。収容所生活に耐えていく唯一の道は泣かないで笑うこと、と自分に言い聞かす彼女の快活さ
と勇気が際立っている。
そして、著者は、愛国心や日本軍への憎しみによってではなく、「戦争こそが罪」という視点で本を書いている。
「戦争それ自身が人道に対する罪」であると。
1950年「THREE CAME HOME」と題して映画化され、菅中佐は早川雪洲が演じたが日本では公開されていない。
「THREE CAME HOME」 YouTube

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▲タラカン島(現インドネシア)の戦いは、オーストラリア軍主導のボルネオ奪還作戦の最初の攻撃であった。
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昭和20年5月1日未明、オーストラリア軍、アメリカ軍、オランダ軍はタラカン島に船で到着し上陸作戦開始。
AM8:00頃、陸海空軍と協調して上陸。犠牲者も比較的少なく、同島沿岸部における日本軍の防衛力を一掃した。

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上陸拠点を確保した後、第26師団は日本軍飛行場滑走路のある島北部と、タラカンタウンのある島の東部へ進んだ。
日本軍の激しい抵抗に打ち勝った後、滑走路は5月5日に占領、そして町も主に5月6日までに確保。
島を確保し、占領した滑走路を日本軍の攻撃から守る為に、第26師団は大量の樹木で覆われた丘から日本軍の部隊を
一掃する事を命じられた。この必然ながらも、引き換えに代償の高くつく歩兵連隊の攻撃の間、オーストラリア軍は大
砲による砲撃と上空からの援護を強力に行った。日本軍の守備隊は徐々に破壊を受け6月14日、この日の攻撃で生き残
った日本兵は島の北方へ撤退し、あるいはボルネオ島本土へ退却しようともした。
日本軍の組織的な最後の反撃は6月19日だったが、その後終戦を迎えるまで残存兵の掃討作戦が続けられた。

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連合軍は上陸したタラカン島/ブルネイ湾及びラブアン島/ボルネオ島(バリクパパン)を占領したが、まもなく終戦を迎
えた為、戦略的には大きな影響はなかった。第26師団は大部分が終戦後の昭和20年10月に解散されたが、その一部は
12月27日まで駐留部隊としてタラカン島に残った。同師団の本部は同年前半にはオーストラリアへ帰還し、昭和21年
1月にブリズベンで正式に解散した。
ボルネオ奪還作戦と同様、タラカン島でのオーストラリア軍の戦闘については今日も論争が続いている。
論争とは、この戦闘が無意味な「つけたし」に過ぎなかったのかどうか、東インド諸島をオランダや日本の占領から独
立解放させる為の正当な戦争行為だったのかどうか、終戦直後の1946年(昭和21年)から議論が続けられている。
日本軍は4700人以上が戦死又は戦病死。連合軍はオーストラリア兵569人が戦死、約1400人が負傷した。

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▼▲敗戦後インドネシアで捕虜となった日本兵達だ・・・ご苦労様でした。
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▼昭和20年9月13日、終戦の詔勅に基き、ニューギニアの第18軍はオーストラリア陸軍第6師団に降伏した。
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この時、ニューギニア方面の第18軍司令官は安達二十三中将(石川県出身)。
安達中将は麾下の将兵に対し、「軍は大命に基き豪州第六師団に降伏せんとす」と命令した。

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▼ウォム岬での降伏調印式にてホレス・ロバートソン少将に降伏の証として軍刀を手渡す安達中将
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▼左が安達中将、真中が軍属・通訳の岩間和男氏、(右)サインする豪第6師団長のロ-バトソン少将。
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この後の昭和21年1月11日、安達中将はオーストラリア(豪)軍により将官4人を含む140名がラバウルの軍事裁判所に
連行され、裁判を受けた。安達中将は東部ニュ-ギニア戦で生起した全ての罪を負われ、その刑は終身刑だった。
安達中将の上官である今村均大将は自ら禁固10年の刑を受けマヌス島に服役した。
安達中将は、大部分の将兵が日本に復員した昭和21年1月以降もムシュ島(ニューギニア)で服役を続けた。
終身刑を宣告されながら部下の判決が全て下るのを待ち、拘留中の部下8名の釈放が言い渡されると、弁護団に礼を述べ
た後、自決した。昭和22年9月10日の事であった。享年57歳
ラバウルの第8方面軍司令官 今村均大将と戦犯収容所にて同室であった。(「評価の高い将官」参照)
ムシュ島捕虜収容所でのオーストラリア(豪)軍からの食糧受領は、兵隊1人当たり、1週間分として、コンビーフの小缶
1個、オートミルの六百瓦位の包1個、携行パン1袋位のものだった。毎日、日本兵隊達はトカゲを捕ったり、野菜(サ
ユリ)を採ったり、椰子リンゴを探したりして、喰う事許りに専念していたという。
日本軍の捕虜に対する扱いがどうのこうのと言われるが、何処の国でも敵国捕虜の扱いはこんなものである。

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▼退役軍人を紹介するコーナー
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誇らしげな勲章が目立つ。日本にこの様な記念館が出来るのはいつの事だろうか・・・。
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▼第二次世界大戦後もアフガン侵攻やイラクに軍隊を派遣しているオーストラリア軍。
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現在進行形で兵士の戦死者は増え続けている。
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▼次は、オーストラリア軍の特殊部隊と書いてある。
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このブースにはほとんど見学者が居ない・・・。
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私もそうだが、オーストラリア人も近代戦争には興味が無いらしい・・・見学者が全くと言っていいほど居ない。
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▼木造船の様だが、展示物が年代別になっていないようなので何なのか解りずらい・・・。
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▲あ!寄せ書き日の丸が・・・何で此処に展示??
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戦利品として持ち帰られた日章旗を返還してくれる元兵士も沢山いるのだから何枚もあるなら返還して欲しい・・・。
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「1945年マレー半島(マレーシア)でキャプテンのジョン・モリソンが持ち帰った幸運の日の丸。
これらの旗は伝統的に日本の兵士に与えられ、幸運と勝利の願いが刻まれ、友人、家族、仕事仲間が署名した。
ジョン・モリソンはオーストラリアZ特別部隊に派遣され、1944年8月コロンボ(現スリランカ)に行き、そこで英国
特殊部隊のフォース136に加わり、マレーシア語を学んだ後、マレーシアの抗日ゲリラ勢力の訓練に携わった。
彼はその後表彰されている。」簡単に訳すとこう説明書きに書いておる。

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▲何故此処に「寄せ書き日の丸」が展示してあるのかが解った・・・特殊部隊が持ち帰った物だからだ。
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▼日本で正規販売されていなかった「安さ」と「軽さ」が売りのホンダ CG125 だ!流石ホンダ!何処でも見るね!
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▲▼オーストラリア軍の特殊部隊が使ったんだ・・・嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ち・・・。
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▲2018年現在も進化を続け、ブラジル・中国・ナイジェリア・イランなどのホンダ海外現地法人が製造を続けている。
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▲9・11はまだ記憶に新しい・・・。


次回、オーストラリア戦争記念館(Part4)へ続きます。

これは是非見て欲しいですね。【凛として愛】泉水隆一監督作品YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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 2018_10_10


オーストラリア戦争記念館(Part1)からの続き。1939年(昭和14年)まで進み、やっと日本が展示に出だした。
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戦争が宣言されたと書いてある。第二次世界大戦の始まりだ。
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昭和14年は既に満州国が建国されていて、加えて日中戦争も続いていた頃だがナチスドイツの展示が多い。
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いきなり軽戦車の展示から始まった。戦車はイタリア軍??説明を見たが忘れた・・・
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軽四位の大きさでかなり小さ目だった。
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フェラーリを作っている国だけど兵器は大した事無いな・・・イタリアの工業製品ってあまり印象無いからね・・・。
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▲▼このBMW激シブ・・・ナチス時代の物とは言え、現在でもドイツ製品は世界中で高級品扱いだ。
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なんとも素晴らしい芸術品だ・・・。
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コレ欲しい!!
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当時エチオピアも含め、ムッソリーニ率いるイタリアの支配下にあったリビアの事だ・・・。
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1940年9月イタリア軍はエジプトのシディバラーニに侵攻。占拠する。しかしイギリス軍の反撃で一瞬でイタリア軍
は降伏・・・捕虜となったイタリア兵は約4万人とも言われる・・・その後ドイツ軍のイタリア支援攻撃でイギリスを
中心とする連合国軍は劣勢に立たされ、オーストラリア軍はリビアのトブルクに取り残されてしまう・・・数ヵ月の激
戦の後、撤退したのはドイツ軍だった。チャーチル首相はエジプトの前線に赴いて兵士達を激励している。

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自国が侵略された訳でもないのにオーストラリア軍はけっこう遠くまで戦争しに行ってるね・・・。
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ま、オーストラリア軍やらニュージーランド軍って言っても当時はイギリス軍の様なもんだけど・・・。
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ナチスドイツも、イギリスやオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカと戦って大変だっただろう・・・。
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リビアやエジプトにイタリア軍の支援に行かなければドイツ軍はどうなっていただろうか?結果は同じか・・・。
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▲▼2㎝FLAK38 ANTI-AIRCRAFTGUNというドイツ軍の兵器だ。流石ドイツ軍、造りが細かく丁寧だ。
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▲▼日米開戦まで日本軍も輸入していたシボレーの軍用トラックだ!カッコいい!!!
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Turning Pointと書いてあり、日本軍の南方進出の事が書いてある・・・。
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ここからは日本軍の事だな・・・全体的にはとにかく『日独伊の敗戦国が悪い』と言う事を言いたいコーナーだ。
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▲大柿部隊(近衛歩兵第5連隊第2大隊)の物
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マレーシア占領の事だ・・・この辺りに旭日旗の踏み絵があった様に聞いていたが、今は無かったので安心した。
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         日本陸軍の軍服だ。「1941年タイと中国で・・・」と書いてある。
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▲▼これはオーストラリア軍の兵器。
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        ▼出た!欧米人らしい表現の日本軍イラストだ!
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        ▲Australia under threat /オーストラリアは恐怖に晒された。と書いてある
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▲▼ガスマスクや日本軍爆撃機の模型。『日本軍のオーストラリア空襲に備え、女性達が消火訓練』といった話だ。
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オーストラリアでは「日本が攻めて来るぞ~!」って大騒ぎだったのであろう。
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「ラビの戦い」(Battle of Milne Bay)は、太平洋戦争中の1942年8月下旬~9月初旬に渡り、東部ニューギニア
のミルン湾ラビにおいて、日本軍とオーストラリア・アメリカ連合軍との間で行われた戦闘である。
連合軍が建設した飛行場に対し、日本軍が海軍陸戦隊を上陸させて占領を試みたが敗退した戦いの事だ。
豪軍を過小評価した日本軍は海軍陸戦隊のみで飛行場を占領しようとしたが、失敗して撤退に追い込まれた。

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▼▲ニューギニア島東端ミルン湾で行われた「ラビの戦い」で戦死した日本海軍陸戦隊将校の制服と千人針だ。
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名札からは「三小(隊)二分隊 中路利行」と読み取れる。肩から腕にかけて血痕が生々しく残っている・・・。
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以下は、あまり知られていない「ラビの戦い」での日本軍と連合軍の詳細である。
【日本軍地上部隊➡戦闘員約1600名、後方要員約360名】
呉第5特別陸戦隊(呉5特)主力 - 司令:林鉦次郎中佐、兵力612名と95式軽戦車2両
※連合軍側には戦車は無く、95式軽戦車2両は大きな脅威となった。
呉第3特別陸戦隊主力-司令:矢野実中佐、兵力576名
佐世保第5特別陸戦隊の一部 - 兵力228名(本隊353名は別に舟艇機動の予定も到達できず。)
横須賀第5特別陸戦隊主力 - 司令:安田義達大佐、兵力約200名
第10設営隊の一部 - 軍属362名
航空部隊 - 零戦約20機、99艦爆約10機がブナに展開。
※安田義達大佐は「ブナでの戦闘」で米国公刊戦史に世界第一の猛闘と記述されている日本軍人である。

【連合軍「ミルン・フォース」 - 司令官:シリル・クローズ豪陸軍少将 、総兵力約9000名
オーストラリア軍 - 戦闘員約6500名(内、歩兵約4500名)、後方要員約1000名
第7旅団 - 歩兵3個大隊
第18旅団 - 歩兵3個大隊
その他 - 民兵2個大隊、野砲1個中隊、高射1個中隊など
アメリカ軍 - 第709高射中隊および第43工兵連隊F中隊など(合計約1400名)
航空部隊 - 3個飛行中隊(P-40戦闘機約40機、ハドソン爆撃機若干)のほかポートモレスビーより支援。


▼シンガポール攻略戦におけるジョホール水道渡河作戦の参加部隊一覧を記した札。
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※鯉兵団とは日本陸軍第五師団の愛称。シンガポール攻略戦ではオーストラリア兵約15000名が捕虜となった。
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▲有名な「Yes No会談」 イギリス軍降伏の会談。日本軍側は山下奉文将軍、イギリス軍側はパーシバル中将だ。
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イギリス領マレーのクアラルンプールとシンガポール陥落か・・・最初は日本軍部隊も威勢が良かった。
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▼イギリス・スーパーマリン社の「スピットファイアMark ⅡA」
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エジプトのTel el Eisaと書いてある。イギリスの支配下だった当時のエジプトの事だ・・・。
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この標識は、El Alameinの北東にあるTel el Eisa(Jesus of Hillの為のアラビア語)の周りでの激しい戦いに従事
する軍隊の有名なランドマークと書いてある。Tel el Eisaは小さな駅の名前の様だ。

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▼スピットファイアはイギリス軍だけでなくオーストラリア軍にも供与され、ダーウィン防空や南太平洋で運用された。
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此のあたりの展示はドイツ軍との戦いが主だ。リビアやエジプト侵攻の立役者は、後にヒトラーに自決させられる事に
なるドイツ軍の英雄エルヴィン・ロンメル陸軍元帥だろう・・・北アフリカ戦線のドイツの英雄だ。

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当時のイギリスの首相チャーチルはエルヴィン・ロンメルを「賛辞に値する人物だ」と言っている。
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エルヴィン・ロンメル陸軍元帥の自殺の翌年、ドイツは降伏する事となる。
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当時のエジプト人は、ドイツ軍を解放者ととらえる者も多く、イギリス支配に不満を持つ植民地の人達は多かった。
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次回、オーストラリア戦争記念館(Part3)へ続きます。

これは是非見て欲しいですね。【凛として愛】泉水隆一監督作品YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。



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 2018_08_31


オーストラリア(シドニー)旅行最終日の自由行動日、ガイドさんや同ツアーの参加者から「ホントに行くの!?」
と、言われながら「オーストラリア戦争記念館(Australian War Memorial)」へ行ってきた。
オーストラリア戦争記念館はシドニーからはかなり離れたオーストラリアの首都「キャンベラ」にある。
朝早く起きてシドニーのホテルを出発。歩いてシドニー・セントラル駅(Sydney Central Station)に向かう。

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朝の時間帯で人が少ない駅までの道のりを、観光で見れなかった通りなどを徒歩でゆっくり見学しながら歩いた。
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▼▲ん!?「見ざる聞かざる言わざる」か!日光東照宮の三猿を真似ている!オーストラリア銀行の建物だ。
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▼少し小さめのチャイナタウン入口。
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チャイナタウン以外でも街中には中国人経営の店も目立つ。中国企業の進出は凄い・・・。
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日本人もそうだが、フィリピン人・中国人・韓国人は何処にでも居るといった印象だ。
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▼クイーン・ビクトリア・ビルディング
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オーストラリアが英国の植民地だった1898年、当時の英国国王ビクトリア女王の即位50年を記念して建てられた。
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▼▲路面電車が走っている。
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思わずカメラごしに目で追ってしまった・・・日本の路面電車と違って結構速いのだ。
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▼そうこうしている間にシドニー・セントラル駅(Sydney Central Station)に到着。
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▼▲駅の入口は、先程見た路面電車の駅もかねていた!
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早速駅構内へ。
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キャンベラに向け、列車の旅でさぁ出発!では無く、実は前々日に急遽高速バスに変更したので駅は見学のみ。
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色々調べて頂くと、価格は少し高くなるが、高速バスの方が列車よりも到着時間が1時間以上も早かったからだ。
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▲シドニー・セントラル駅にMURRAYS高速バスのチケットを買う事務所もバス乗り場もある。
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AM 8:00出発。キャンベラへの到着時間はAM 11:30の予定だ。
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オーストラリアの首都「キャンベラ」に向けて出発。
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途中、シドニー国際空港(キングスフォード・スミス)で客をひろう。
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来た時に迎えの観光バスに乗った場所だった。
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此処でほぼ満席状態となって一路キャンベラを目指す。
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シドニー市内は渋滞が酷い。
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高速道路に入って一路南にひた走る。
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トンネルを抜けると空いてきた!やっと大陸らしい景色が見れる
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▲広大な牧場がひろがり大陸らしい景色だ。
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▲此処は高速道路だよな?自転車が走ってる!
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高速道路を下り、一般道を走る。
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ここが首都?と思う様な田舎のはるか向こうに都会らしき建物群がまだらに見えてきた。
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オーストラリアの首都と言っても、シドニーとメルボルンが候補地として上がる中、両都市が譲らなかった為、両都市
のメンツを壊さない様にとシドニーとメルボルンの中間地点の此処キャンベラが首都として選ばれたとの事。

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なのでキャンベラはまだまだ発展途上の都市なのだ。建設途中の建物が多く、当然シドニーの様なイギリス植民地時代
の古い建造物は見当たらない。

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▲▼そうこう言っているうちにキャンベラバスステーションに到着。
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受付で聞くと、オーストラリア戦争記念館までは徒歩で40分位との事。時間がもったいないのでタクシーで行く事に。
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▲トヨタカムリのタクシーでオーストラリア戦争記念館までGO!
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▲▼オーストラリア戦争記念館に到着。
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▼送ってくれたタクシーがUターンして帰っていく。後ろには我々の直ぐ後に見学者を乗せて到着したタクシー。
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簡単な持ち物チェックとリストバンドを巻いてもらって早速中へ入る。入場は無料だ。
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想像していたより多くの見学者で賑わっている。そして若い世代が多い!!
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展示は1916年(大正5年)から始まっている。正直オーストラリアの歴史はド素人で全然知らない・・・。
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加えて、当然ながら説明文は全て英語で、読み取るのに時間がかかるのでほとんど読んでいない・・・。
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日本で言うと大正5年の事だから西部戦線 (第一次世界大戦)の事かな?
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博物館の中は凄く綺麗で見やすい。
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これは広いぞ!帰りのバスの時間まで約4時間しか無い。まだ1916年だし・・・
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第二次世界大戦(太平洋戦争)時代の展示ブースまではまだまだ有る!昼食抜きで見学し続ける事にした。
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▲日本軍でも同じ様な大砲を何度も見た事があるな・・・英国製だからほぼ同じかもしれない。
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兵士を運んだ馬車だ。
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▲オーストラリアとニュージーランドの国旗がまぎらわしい・・・星の数と大きさ、位置が違うんだけどね。
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1918年の展示が多い。多分、第一次世界大戦の西部戦線だと思う・・・。
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次回、オーストラリア戦争記念館(Part2)へ続きます。

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 2018_08_07


オーストラリア(シドニー)は観光の街。戦跡とはほぼ縁の無い大陸だが、太平洋戦争(大東亜戦争)時にはオーストラリ
アも連合軍として参戦していた為、日本軍はダーウィン周辺の北部都市への空爆や、特殊潜航艇でシドニー港を攻撃し
ている。そしてニューギニア(1975年ニューギニア信託統治地域がパプアニューギニアとして独立)や、ボルネオ、沖縄
戦等の広範囲で連合国として日本軍と戦い、ノルマンディー上陸作戦以降はヨーロッパ西部の地上戦にも参加。
日本降伏後の日本占領にもイギリス連邦占領軍の一員として多数の部隊を派遣したり、極東軍事裁判の裁判長ウィリアム
・ウェブを出すなどして参加、同裁判では天皇の訴追を要求している。
戦争/戦跡と聞いてオーストラリアを思い浮かべる事はあまり無いと思うが、朝鮮戦争やベトナム戦争にも積極的に参加
し、アメリカと共に戦い、後にベトナム難民を数多く受け入れ、世界中から移民を受け入れた「多文化主義」の国(豪州)
は英米と協同歩調を取った2003年のイラク戦争にも参加している。

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▲日本から10時間以上かけて到着したシドニー国際空港から、そのまま観光バスでの弾丸シドニー見学だ。
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▲まずはミセス・マッコーリーズ・ポイントへ。
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シドニー湾はオーストラリア海軍の停泊地でもある。丁度オーストラリア海軍の軍艦が何処かから帰還した所だった。
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▲オペラハウスそっちのけで、こんな所まで日本海軍は来たんだな・・・と思いながらシドニー湾を眺めていた。
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昭和17年6月4日、5日シドニー湾で引き上げられる日本海軍の特殊潜航艇「甲標的」(2隻が引き上げられた)
昭和17年4月27日伊21・伊29、同年5月18日朝、伊22・伊24・伊27が甲標的を搭載してトラック諸島を出撃した。
出港当日夕刻、伊24搭載艇が爆発事故を起こし「甲標的」乗員の松本静1等兵曹が吹き飛ばされて行方不明となる。
甲標的は損傷しており、「甲標的」乗員の八巻悌次中尉も負傷していたことから、同艦はトラック諸島に引き返し、乗
員を伴中尉らと交替させ、伊28に搭載するはずだった甲標的に乗せ換えて再度出港した。
昭和17年5月30日伊22、伊24、伊27の3隻がシドニー沖に到着。
昭和17年5月31日搭載艇「甲標的」が次々に発進。
17:21伊22搭載艇「甲標的」松尾敬宇大尉と都竹正雄2等兵曹が発進。

17:28伊27搭載艇「甲標的」中馬兼四大尉と大森猛1等兵曹が発進したが・・・。
シドニー港入り口で防潜網に絡まり、21時30分頃自爆。

17:40伊24搭載艇「甲標的」伴勝久中尉、芦辺守1等兵曹が発進。
港内侵入に成功。深夜00:29、港内に在泊していた連合国の1国である米重巡洋艦シカゴを発見し魚雷を発射した。
魚雷は2本共外れ、内1本は岸壁に係留されていたオーストラリア海軍の宿泊艦クッタブル(HMAS Kuttabul)の
艦底を通過して岸壁に当たって爆発した。これによりクッタブルは沈没し19名が戦死。その隣で係留されていた蘭潜K IX(K IX)
も撃破された。米重巡シカゴ(USS Chicago, CA-29)が「甲標的」を発見、対空砲の砲撃を行い、艇に損傷を与えた。
その後「甲標的」は湾外に脱出することに成功したが、シカゴの砲撃を受けたことによる損傷がもとで沈没し、母艦伊24に
帰り着くことはなかった

そして、最後に松尾大尉艇が港内に侵入したが、この時には警戒が厳しくなっていた。松尾大尉艇はオーストラリア海
軍艦艇からの爆雷攻撃を受けて損傷。艇前方を岸壁にぶつけた事で、魚雷発射管が故障した為攻撃出来ず、艇を米重巡
シカゴへ体当たりさせる事で魚雷を爆発させようと図ったが、小接触におわり叶わなかった。
その後、松尾大尉は部下の都竹正雄2等兵曹と共に拳銃で自決した。
特殊潜航艇を発進させた日本軍潜水艦は6月3日まで帰投を待っていた。自爆した2隻の特殊潜航艇は1942年6月4・5
日に引き上げられ、9日にイギリス海軍から派遣されていたシドニー要港司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド
海軍少将は、2隻の「甲標的」乗員4名(松尾大尉・中馬大尉・大森1曹・都竹2曹)の海軍葬を行った。
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▲松尾 敬宇大尉(熊本県出身/享年24歳)
戦時中に敵国である日本の軍人に鄭重な礼を尽くすことには、オーストラリア国民の一部から批判があったが、装甲の
薄い小型の特殊潜航艇で港内深くまで潜入し、敵に発見されるや投降する事無しに自沈する松尾大尉らの勇敢さに対し、
グールド少将は海軍葬で礼を尽くし、葬儀のあとラジオで演説し、豪州国民に以下の言葉で訴えた。
「私は敵国軍人を、海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。 勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼をつく
す事がなぜいけないのか?勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。
これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様に讃えるべきものである。
このような鋼鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには、最高度相の勇気が必要であるに違いない。
これらの勇士達は最高の愛国者であった。
これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、果たして何人いるであろうか?
我々のうちの幾人が、これらの人達が払った犠牲の千分の一のそれを払う覚悟をしているだろうか?戦死した
日本軍勇士の葬儀を我が海軍葬で行うという私に、非難が集中している事は承知している。
けれど私は、あえてこの葬儀を実行する。なぜなら、もし我が国の兵士が彼等の様に勇敢な死を遂げた場合、彼らにも
また、同様の名誉ある処遇を受けさせたい為である…」と。
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▲ジェラード・ミュアヘッド=グールド海軍少将(Rear Admiral Gerard Muirhead-Gould)
ジェラード・ミュアヘッド=グールド海軍少将に感謝すると共に、彼等の考え方を見習いうべきところは沢山ある。
※戦死した松尾大尉・中馬大尉・大森1曹・都竹2曹の遺骨は中立国であるポルトガル領東アフリカのロレンソ・マル
 ケスで、シドニーに拘留中の日本公使河相達夫に引き渡され、第1次日英交換船の鎌倉丸の乗船した河相公使によっ
 て、S17/10/9遺族らが待ち受ける横浜港に到着した。
 S17/12/8山本五十六連合艦隊司令長官はディエゴ・スアレス攻撃部隊とあわせて感状を与えたと言う。

引き上げられた特殊潜航艇は、戦時オーストラリア国民の危機意識を高め、戦時募金を募る目的で、オーストラリア国
内4000キロを巡回展示された後、1943年4月28日キャンベラ(オーストラリアの首都)にあるオーストラリア戦争記
念館に展示された。(ツアー自由行動の日を使い、実際に行って見て来たので後にご紹介する)
海上自衛隊の練習艦隊がシドニー港に寄港する際には隊員が慰霊を行うのが通例で、75周年に当たる2017年5月31日
には、日豪両国による両軍戦没兵士の追悼式典が開かれた。


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▲ツアーなので、決められたコースをバスで連れって行ってくれる。
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▲次はセントメアリー大聖堂へ向かう。
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▲各観光地での滞在時間はおよそ20分~40分。当然、決められた時間にはバスに戻らなくてはならない。
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▲2005年10月18日にオープンしたシドニータワーが見える。
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▲経緯は良く解らないが、古い大砲が飾られている。
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▲お!オーストラリア軍だ。写真を撮っていると、陽気にピースサインをしてくれた。この雰囲気は非常に良い。
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▲▼セントメアリー大聖堂の内部は撮影禁止だが、誰でも自由に見学出来る。立派な教会だった。
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▲この時期オーストラリアの季節は冬。スケートを楽しむ人達が居た。気温は14度程度で日本で言えば秋くらい。
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▲セントメアリー大聖堂入口からスケートリンクとその先の風景。どう見ても冬空には見えない。
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▲実際、街を歩く人達の中にはTシャツ短パンの人も居れば、コートを着ている人も居る。
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これで真冬だと言うのだから羨ましい。シドニーは過ごし易い土地なんだろう。
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▲次はフィッシュマーケットに向かった。
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市場式のフードコートの様な感じだ。5月に行った唐戸市場に似ている
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「カキ」が名物との事で、ガイドさんや同ツアー参加者の皆様にも勧められたが、昔社員旅行での旅先で大当たりして
から「カキ」は一切食べられない。食べたいとも思わないが・・・しかしオーストラリア(シドニー)の物価は高い。

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1AUD(オーストラリアA$)=約83円
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▼一通り見学してフィッシュマーケットを後にする。此処でやっと喫煙出来たのが幸いだった。
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▼アンザックブリッジ(Anzac Bridge)が見える。
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次はサーキュラー・キーという埠頭に向かった。
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古い西洋建築物と高層ビルとの組み合わせ。空襲や震災が無ければ東京もこんな感じになっていたであろうか。
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▼埠頭が見えてきた。
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サーキュラー・キーに着いた。
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横浜みなとみらいの様な場所かな?シドニー湾に初めてヨーロッパ人が着いたのは、1788年1月26日との事。
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▼シドニー市街観光用の2階建てバス。その後、夜にこのバスに乗る事になる。
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▼オーストラリアに自動車会社と言えば「ホールデン」。2017年10月工場閉鎖に伴い操業を終了している。
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スポーツカータイプのピックアップトラックが有名だが、いすゞ自動車とも提携してたんですね~知らなかった。
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▲エンブレムはホールデンだが、もう日本では見かけなくなった、いすゞのピックアップトラック「ファスター」だ。
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▲▼テスラ(電気自動車)も走っていれば、日本ではまず見る事の無いヒュンダイの営業車バンも沢山走っている。
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▼これはFORDのピックアップトラック。アメ車も沢山走ってる!
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▼しかしオーストラリアで一番人気は「トヨタ」!嬉しいね~。
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▼このHILUX VIGOは日本にもアメリカにも無い7代目。

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▼ハイエースのエンブレムシールもTOYOTAが入っていてちょっと違う。
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▼都心にも道沿いにバイクやスクーター置き場がちゃんと整備されている。素晴らしい。
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▼ダーリングハーバー(Darling Harbour)に入った。
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う~ん、綺麗で近代的だけど、横浜みなとみらいにしか見えない・・・。
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全然違うところは、観覧車の回転速度が異様に速い。
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▲リクエストすれば3周~5周乗らせてくれるそうだが乗っていない。
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もう高層ビルやショッピングーモールは見飽きたかな・・・大して感動しないがシドニーはバブルだ・・・。
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▼▲何処からでもシドニータワーが見えている。
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▼ワイルドライフ・シドニー動物園(Wild Life Sydney Zoo)に立ち寄る。
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▼小さな動物園だがチケットは42.00A$ 約3500円!高い。
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▲受付でコアラと一緒に写真を撮るオプションを勧めてくれたがThank you, but no thank you.
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▼此処でやっと日本語説明を見る事が出来た。街中では日本語表記はほぼ見かけないし、当然通じない。
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▼定番のコアラが居て・・・
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▼カンガルー仲間だけどカンガルーじゃないワラビーが居て・・・
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▼カンガルーが居る
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カンガルーは触りたい放題。夕食でカンガルーの肉を食べたが本場オーストラリアビーフより柔らかくで美味しい。
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「野生のカンガルー探し」にも行ったが、流石に野生は触れなかったので此処で十分だったのではないか・・・(笑)
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ダーリングハーバーには豪華客船やクルーザーが沢山停泊している。
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▼F1のモーターホームの様な船だ・・・。
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▼ん!?軍艦か!これは対岸にまわって確認したい!
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▼ピルモント橋(Pyrmont Bridge)を渡って確認しに行く。橋の上から見える。
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▼これだ!
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▼ピルモント橋を渡り切った。
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▼橋を渡り切ると「オーストラリア国立海洋博物館」 (Australian National Maritime Museum)が・・・。
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今回、「オーストラリア戦争記念館」以外、何も下調べをしていなかったので全く知らなかった。
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オペラハウスぐらいしか知らなかったし、シドニーの観光スポットにあまり興味が無かったからだ。
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▲例の軍艦の近くまで来た。残り時間も少なかったのでオーストラリア国立海洋博物館に入っていない。
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▲対岸からは確認出来なかったが、隣には潜水艦が!どうやらこの2隻は退役して展示しているそうだ。
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広場では何やら学生達の演奏が始まるところだった、聴いてから戻る事にした。
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▲日本人でも無いし中国・韓国・フィリピン人でもない。香港人?何処の国の学生だろうか・・・マレーシアかな?
結局解らなかった。しかしアジア系のである事は間違いない。因みに演奏曲は「となりのトトロ」日本アニメは凄い!
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ピルモント橋を渡り戻る途中、丁度ピルモント橋が真ん中で回転して船を通すところだった。
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数分待ったであろうか。橋が元に戻り、対岸へ戻る。
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▼対岸に戻ると小さな遊覧船でオペラハウスへ向かう。
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▼出航。
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▼海から見たワイルドライフ・シドニー動物園
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▼海から見たオーストラリア国立海洋博物館。行きたかった・・・。
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▼すれ違う船の客は皆手を振ってくれる。
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▼1ヵ所だけ途中停泊してお客さんが1人乗ってきた。
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▼再び出航。まだまだ建設ラッシュの様だ。
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▼スピードが上がっていく。
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▼有名なシドニー・ハーバーブリッジが見えてきた。
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▼振り返って撮影。
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▼シドニー・ハーバーブリッジをくぐるとオペラハウスが見えた。
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▼シドニー・ハーバーブリッジ
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▼世界遺産に登録されているオペラハウス。世界遺産とは知らなかった・・・そんな古いの??
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▼追いかける様に後から続々と遊覧船が来る。この海域は船の渋滞が起こるそうだ。
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▲▼今度は船でサーキュラー・キーに到着。何度も同じ場所へ連れて行かれる事の多いツアーだった・・・。
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▼オペラハウスに向かう途中、文化財に指定されているという旧税関の建物を見学する。
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▼オペラハウスが見えた。
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▼これか・・・。
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▼振り返って撮影。日差しが戻って来た。
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オーストラリア滞在中は雨は無く、ずっと良い天気に恵まれた。いつも英霊のお陰だと思っている。
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▼シドニー・ハーバーブリッジを見ると、誰かが橋の上に立っている!
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▼シドニー・ハーバーブリッジを歩いて登る体験型名物アトラクション「ブリッジ・クライム」だ。
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▼オペラハウスの中も見学した。
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オペラハウス建設秘話は色々ガイドの方が説明してくれたが、あまり興味が無かったので覚えていない。
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とにかく世界で最も建造年代が新しい世界遺産だという事だ。
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▲シドニー港に突き出した岬であるベネロング・ポイントを、斜めに設置されたガラス越しに見る。
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ベネロング・ポイントはオーストラリアの先住民族「アボリジニ」の人達の聖地だった場所との事。
建設当初は先住民達の反対も多少あった様だが、1959年に着工➡竣工は1973年だった。
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▲▼夜の2階建てオープントップバスツアーでもオペラハウスに立ち寄った・・・もう何回もいいのに・・・。
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▼夜のシドニー・ハーバーブリッジ(いつも夜景は上手く撮れない・・・)
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▲▼この様な感じで市内を案内してくれる。
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シドニー・ハーバーブリッジを通る。
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走行中のバスから夜景を撮影するのは猶更難しい・・・無理。
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シドニーは夜景を重視している様で、ビル内の企業が終業していても、ある程度の時間は電気を点けたままにしておく
決まりがあるそうだ・・・無駄なエネルギーを少しでも節約する日本人との感覚の違いが凄い。国力の余裕を感じる。
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▼日も暮れてきたので宿泊先のホテルへと向かう。
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古い建物と現代の高層ビルが混ざっているが、古い建物を尊重しているので景観に違和感は無い。
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▼シドニーのパトカー。赤でカッコいい!警察車両でTOYOTAを採用してくれているのは嬉しいねー!
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▼日本人が路上商売で頑張っていた!
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どんどん日が暮れてきたが、夜7時半をまわっても全然明るい。これでも真冬だ。
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       ▼宿泊先のホテル。中国かと思った(笑)
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       ▼シドニーの朝は結構早くから車の通る音が響く。マフラーを交換したうるさい車が多い
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▲ホールデンのスポーツトラック。
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朝から2台の車に別れて観光に向かう。
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私は上記写真のコースターだったが、ハイエースに割り当てられたお客は狭くて辛かったそうだ・・・。
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▼高速道路を西へ西へとひた走る。
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▼そして、Lincoln's Rock(リンカーン ロック)ブルーマウンテンズ国立公園を見学して、
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▼Echo Point(エコーポイント展望台)へ行って、
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細い峠道を延々走ると・・・。
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▼▲大きな岩の中を走る自然のトンネルが出てきた。
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そのちょっと大きな洞窟の中を散策すると・・・ん?何か居る!
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▼野生のワラビーだ!飾り物のぬいぐるみかと思ったが本物だった!
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冬だから暖かいスポットライトに近づいて温めてたんですね。ついでに自分をライトアップして(笑)可愛い!
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▼そこを抜けると、
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▼120年以上続くゲストハウス「ケーブ・ハウス」に到着。国の文化財に指定されている。
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▼防空壕の様な人口の入口から入壕し、
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世界最古というJenolan Caves(ジェノラン鍾乳洞)を見学した。
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かなり長い洞窟見学を終えて外へ。停めてあったバイクを撮影。何処のバイクだろう?
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▼次はブルーマウンテンズ地区にある可愛い街Leura「ルーラ」に立ち寄る。緑豊かな山間の小さな街だ。
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▲当日、日本と中国の国旗がはためいていた。ガイドさんに何故?と聞いてもよく解らないとの事・・・。
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60〜70年代の雰囲気たっぷりのお店が並ぶ。
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▲▼女性に大人気のルーラ・ビンテージ(Leura Vintage)
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▲女性用だけでなく男性用も含め50〜60年代位のイメージのドレスやスーツ、帽子やカバンなどが所狭しと並ぶ。
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▲ルーラ・ビンテージが入っているストランド・アーケード(Strand Arcade)
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▼路上でバイオリンを弾く少女が居て、バイオリンケースにコインを入れてしばし聞き入っていた。
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短い滞在時間でシドニーに戻った。

次回「オーストラリア戦争記念館(Part1)」に続きます。

これは是非見て欲しいですね。【凛として愛】泉水隆一監督作品YouTube
※APAホテルでは無料で視聴できるとの事だ。素晴らしい取り組みですね。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
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 2018_07_08




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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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