上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

 --_--_--


和歌山県に「瀬戸内海国立公園 加太国民休暇村」という施設があります。
HPの観光案内には掲載されていない明治時代の遺跡「由良要塞」の一角を近くに見学
する事が出来ます。
今回は、「友ヶ島」・「淡路島」・そして今回訪問した本州(和歌山市深山)に築かれ
た国内巨大要塞の1つ、「由良要塞」の一角(深山第一砲台跡)を見学してきました。

国民休暇村本館目の前に弾薬庫跡が堂々たる姿で現存しています。
DSCN7396.jpg
DSCN7399.jpg
DSCN7398.jpg
▲中に入る事が出来ます。(もちろん弾薬は無く、何もありません)
DSCN7400_convert_20140826221720.jpg DSCN7401_convert_20140826221834.jpg

休暇村本館から少し下った所に砲台跡への入り口があります。
歩道に敷詰められている赤レンガは当時の物だそうです。
DSCN7450.jpg
DSCN7447.jpg

少し登りですが、数分歩くと半地下の素晴らしい棲息掩蔽部跡のお出ましです。
DSCN7405.jpg
この時代の掩蔽部跡はどこも同じ造りですが、土地に合わせた造りこみが素晴らしいです。
DSCN7406.jpg
棲息掩蔽部跡を見下ろしながら歩くのは胸がおどります。
DSCN7410.jpg
直線的に道が続いています。砲座跡(6門)と半地下の棲息掩蔽部跡をトンネルくぐりながら歩きます。
DSCN7441.jpg
DSCN7425.jpg
▼半地下にレイアウトされた棲息掩蔽部はいいですね。
DSCN7424.jpg

DSCN7422.jpg

先月完成した。っと言われてもおかしくないぐらいの現存状態です。明治時代の軍事施設は
美しく強固なので「戦争」を忘れてしまいそうになります。
ここ深山第一砲台は28cm榴弾砲(6門)明治32年竣工→昭和20年(終戦)まで機能していたそうです。
DSCN7413.jpg

砲座跡から石段を登ると素晴らしい景色が迎えてくれます。友ヶ島が見えます。
DSCN7431.jpg
大阪湾防衛の為、紀淡海峡を睨みをきかして警備していたんですね。
DSCN7429.jpg
DSCN7437.jpg




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
(お電話でのお問い合わせは、〇九〇-二六一八-二一四四 まで)
にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ
にほんブログ村

戦史 ブログランキングへ
スポンサーサイト
 2014_08_26


大久野島では1929年(昭和4年)から終戦まで、この島で密かに毒ガスの製造を行っていました。
正式な名称は、「東京第二陸軍造兵火工廠忠海兵器製造所」。
日本地図から消された昭和時代の毒ガス兵器工場跡を見てきました。
地図から消された島で~あばかれる毒ガス戦の真実~
初めて知った戦争「大久野島」「731」
旧日本軍・毒ガス戦の真実
731部隊のドキュメンタリー

島に近づいてまず目に入ってくるのは巨大な廃墟「発電所跡」です。
当時島は本島(広島)から海底ケーブルで電力の供給を受けていた。
と聞きましたが、この様な巨大な発電所も必要な程、電力を必要としていたのでしょう。
DSCN7163_convert_20140819203005.jpg

DSCN7164_convert_20140819203227.jpg
▼上記案内板に書かれている「ふ号作戦」で使用された風船爆弾
fukoheiki.jpg

▼当時の発電所内の写真です。
E7A798E5AF86E8A38FE381ABEFBC81EFBC9F-7651b_convert_20140819203201.jpg
重油タンク倉庫跡
DSCN7169_convert_20140819203327.jpg DSCN7170_convert_20140819203529.jpg

DSCN7166_convert_20140819203423.jpg DSCN7172_convert_20140819203459.jpg

DSCN7176_convert_20140819211729.jpg DSCN7175_convert_20140819211702.jpg
発電所への入り口は施設を隠す意味で人工的に盛り土がされ、そこにトンネルがあります。
当時この島の施設は上空から解りにくくする為、迷彩色に塗られていました。
DSCN7184_convert_20140819211826.jpg
▲トンネル入り口右側に黄色で[MAG2]と表記があります。これは
(magazine=連発銃の弾倉)の意味。朝鮮戦争時、米軍に接収されていたころの表示です。
DSCN7171_convert_20140819213526.jpg
▲1990年この建物を取り壊そうという計画が持ち上がったが、大久野島に平和学習に訪れた
広島県府中市の中学生がこの話を聞き、保存のための署名活動をはじめ、これに刺激されて
署名活動は広がり、結果、国は、「修復はしないが、残しておく(自然風化に任せる)」という事
になり、現在に至っているそうです。


▼次は島で唯一見学出来る防空壕跡です。(幹部用?というのが気になります)
DSCN7118_convert_20140819205101.jpg
DSCN7119_convert_20140819205142.jpg
DSCN7122_convert_20140819205225.jpg
DSCN7120_convert_20140819205255.jpg DSCN7121_convert_20140819205319.jpg

次は「大久野島毒ガス資料館」AM 9時10分~16時(大人100円)です。
DSCN7258_convert_20140819221642.jpg
館外側には毒ガス製造装置の一部が展示してあります、全て陶器だそうです。
DSCN7255_convert_20140819220027.jpg DSCN7252_convert_20140819221810.jpg
DSCN7253_convert_20140819221852.jpg
館内には貴重な資料が多く展示されています。
DSCN7137_convert_20140819222447.jpg

DSCN7140_convert_20140819222518.jpg

DSCN7141_convert_20140819222548.jpg

DSCN7144_convert_20140819222701.jpg

DSCN7139_convert_20140819223218.jpg

DSCN7143_convert_20140819223317.jpg DSCN7145_convert_20140819223253.jpg

次は「検査工室跡」です。この建物の横にはリメイクされた研究所跡もありますが中へは入れません。
DSCN7132_convert_20140819224324.jpg
DSCN7136_convert_20140819224359.jpg

DSCN7134_convert_20140819224432.jpg DSCN7135_convert_20140819224455.jpg

▼次は休暇村本館すぐ横にある「毒ガス貯蔵庫跡」です。
DSCN7262_convert_20140820193533.jpg
DSCN7266_convert_20140820193656.jpg
DSCN7268_convert_20140820193801.jpg DSCN7267_convert_20140820193732.jpg
DSCN7354_convert_20140820195559.jpg

現在はテニスコートになっている裏にも毒ガス貯蔵庫跡が残っています。
ここは半分埋められた様です。現在休暇村本館やテニスコートがある辺りは
毒ガス製造工場が立ち並んでいたそうです。
DSCN7270_convert_20140820193846.jpg
DSCN7273_convert_20140820193931.jpg

DSCN7275_convert_20140820194035.jpg DSCN7274_convert_20140820194006.jpg

次は毒ガス工場時代の「トイレ跡」です。現在すぐ横に今の公衆トイレが設置されています。
時代が変わっても、トイレの場所はトイレなんですね・・・。
DSCN7276_convert_20140820194240.jpg DSCN7278_convert_20140820194205.jpg
DSCN7277_convert_20140820194305.jpg DSCN7279_convert_20140820194329.jpg

次はこの島で一番大きい毒ガス貯蔵庫のあった「長浦毒ガス貯蔵庫跡」です。
連合軍の命令で消毒の為火炎放射器で焼かれた跡が生々しく残っています。
DSCN7284_convert_20140820194357.jpg
DSCN7367_convert_20140820194456.jpg

DSCN7366_convert_20140820194523.jpg

DSCN7287_convert_20140820194600.jpg

DSCN7291_convert_20140820194827.jpg DSCN7290_convert_20140820194853.jpg
DSCN7286_convert_20140820194746.jpg DSCN7285_convert_20140820194638.jpg

▼毒ガスタンク貯蔵庫の台座は「北部砲台跡」にも見る事が出来ます。
DSCN7219_convert_20140820211115.jpg
DSCN7215_convert_20140820211212.jpg DSCN7216_convert_20140820211237.jpg

▼見逃してしまいそうな場所(現在のビジターセンターの横)に「自動交換機室跡」があります
DSCN7299_convert_20140820195009.jpg
DSCN7301_convert_20140820195051.jpg

▼海水浴場のすぐ前には「医務室跡」があります。何も見当たらないので見逃しがちですが、
表示看板から右奥に、当時の手洗い場の様な場所がひっそり残されています。
当時島で働いていた女性の方がここで入院されていた様子を語っておられます。
 初めて知った戦争「大久野島」
DSCN7328_convert_20140820203902.jpg
DSCN7331_convert_20140820203952.jpg

DSCN7330_convert_20140820204051.jpg DSCN7329_convert_20140820204018.jpg

▼次も海水浴場に程近い「大久野島神社」です。工場の稼動が始まると、爆発事故
や、毒ガス障害により多数の従業員の方が殉職されました。安全祈願の為に昭和8
年に建てられたそうです。殉職碑と慰霊碑の前で一礼させて頂きました。
DSCN7319_convert_20140820211618.jpg
DSCN7326_convert_20140820211340.jpg
▼大久野神社前で記念撮影に収まる従業員(昭和6年安全祈願の週間行事)
dokugasukoujyo.jpg
▼現在は荒れ果てていました・・・・。
DSCN7322_convert_20140820211420.jpg DSCN7324_convert_20140820211502.jpg

DSCN7320_convert_20140820212853.jpg DSCN7325_convert_20140820213323.jpg

DSCN7323_convert_20140820213402.jpg

DSCN7318_convert_20140820212626.jpg

DSCN7317_convert_20140820212735.jpg

DSCN7316_convert_20140820212803.jpg

今回、芸予要塞時代と毒ガス兵器製造工場時代を2日間かけて見学した訳ですが、今もって核兵器や化学兵器
を保持している国が多くある事を忘れてはいけません。国際条約は守るべきルールです。しかしそのルールを
全世界の国々が守らないと意味が無いと思います。当時、日本だけが特別極悪だった訳では無いと思います。
そもそも「戦争」というもの自体が極悪なのです。一度戦争になれば殺し合いの世界にルールも何も無いと思
います。勝つか負けるか・生きるか死ぬかの時に、ルールなど考えるでしょうか?何より大事なのは、戦争を
起こさない対話の努力を諦めない事。政治家や軍は、現場の兵や民を一番に考える事です。
勝てない戦争を始めた日本の上層部にはとてつもない責任があると思いますが、敗戦国となって、全て勝戦
国の言う事が正しく正義とされている現代の日本において、言いたい事を言う前に、自国の歴史の事実をしっ
かり勉強して選挙や発言をしていこうと改めて思うと同時に、当時、日本だけが化学兵器を生産していたので
は無く、ヨーロッパ各国・アメリカでも大量の化学兵器が製造され、第2次世界大戦終結後、世界各地に海洋
投棄された事実を知らなければ何も見えてきません。

※戦後、米軍(進駐軍GHQ)によって毒ガスなどの化学毒兵器はドラム缶に詰められ上陸用舟艇等にのせられて
 船ごと日本近海に海中投棄されました。戦後60年以上が経った現在、海中投棄された化学兵器の海洋侵蝕が
 始まっています。国は神戸製鋼等に処理を依頼して対策を始めていますが、日本の海に投棄された化学兵器
 は世界中の海から見ればごく一部です。ヨーロッパ、アメリカなどの近海にも大量の化学兵器が投棄された
 ままになっており、全て合わせて100万トン以上とも言われています。しかしほとんどの国がその問題に対
 して真剣に取り組む姿勢を見せていません。バルト海は4万トンもの化学兵器が海中投棄されたままになっ
 ており、世界一危険な海と言われ、漁師が腐食した化学兵器を引き揚げてしまう被害が出始めています。


内閣府によると、中国東北部の吉林省敦化郊外のハルバ嶺には、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した
毒ガス弾が推定30万~40万発埋まっている。戦後の開発などで見つかり、住民が被害に遭うケースも相次ぐ。
これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設。ようやく発掘、回収が始まっている。
日本が2000年に着手したこの事業は大幅に遅れている。2012年6月までに処理済みは南京での約3万6千発。
当初は「07年まで」だった処理期限を「22年まで」に先送りした。日本は2010年度末までに中国での回収、
処理に861億円を投じ、現在も進行中である・・・。

昭和初期の日本① 昭和初期の日本② 昭和初期の日本③ 昭和初期の日本④
昭和初期の日本⑤




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
(お電話でのお問い合わせは、〇九〇-二六一八-二一四四 まで)
にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ
にほんブログ村

戦史 ブログランキングへ
 2014_08_17


広島県竹原市に属する大久野島には明治30年代に日露戦争に備えて築かれた「芸予要塞」
が残っています。使われなかった事から保存状態は非常に良く、昭和に入って撤去された砲
台以外は比較的良い状態で現存しています。「芸予要塞」とはここ大久野島や小島(愛媛県)
に築かれた要塞の事で、大正13年12月の廃止まで、忠海海峡と来島海峡防衛の役目をして
いました。

現在は「せと温泉休暇村」としてキャンプや海水浴。そしてウサギが住む楽しい場所です。
私はキャンププランを予約しました。朝8時半のフェリーに車ごと積んで島に
向かいます。「忠海→大久野島→盛」大久野島まで10分少々です。
忠海港へはナビでJR忠海駅を検索して向かいました。
DSCN7106_convert_20140818190951.jpg DSCN7105_convert_20140818190905.jpg
しばらくすると大久野島が見えてきます。
DSCN7111_convert_20140818220425.jpg DSCN7183_convert_20140818220514.jpg
島に到着するとキャンプ場駐車場までしか車では入れません。
島内は車両通行禁止です。(レンタル自転車が利用出来ます)
大久野島は大きく3つの時代の戦跡がある島です。明治・昭和
そして終戦後米軍統治時代・・・・。
DSCN7353_convert_20140818201442.jpg
まずは芸予要塞時代の戦跡を見学していきます。1時間半程で島を見学出来ます。

最初は海水浴場に程近い「南部探照灯跡」です。自己責任で階段を登ると
上部の見晴らしの良い場所に行く事が出来ます。
DSCN7346_convert_20140818202201.jpg
DSCN7343_convert_20140818202706.jpg
DSCN7342_convert_20140818203021.jpg DSCN7344_convert_20140818203104.jpg

次は「桟橋跡」です。跡といっても美しい石造りの桟橋が現存しています。
DSCN7178_convert_20140818215440.jpg
DSCN7182_convert_20140818221218.jpg DSCN7180_convert_20140818221303.jpg

次は「南部砲台跡」着工1898年2月(明治31年)→1900年8月(明治33年)竣工
DSCN7151_convert_20140818222816.jpg
DSCN7155_convert_20140818204827.jpg DSCN7150_convert_20140818205021.jpg

DSCN7152_convert_20140818223104.jpg DSCN7157_convert_20140818223139.jpg

次は「火薬庫跡」です。芸予要塞時代の建物ですが、終戦後米軍が朝鮮戦争の際
に弾薬庫として使用していた時期があるそうです。
DSCN7194_convert_20140818224447.jpg
DSCN7192_convert_20140818224154.jpg
DSCN7191_convert_20140818224350.jpg DSCN7186_convert_20140818224247.jpg

次は「北部方台跡」。ここはかなりの規模で、掩蔽部跡も状態良く残っています。
芸予要塞の砲台建設は1897年3月(明治30年)大久野島北部砲台から開始されました。
着工1897年3月(明治30年)→1900年6月(明治33年)竣工
DSCN7200_convert_20140818203956.jpg

nannbuhoudai_convert_20140818221909.jpg
HOKUBUHOUDAI_convert_20140818231054.jpg
浸水している場所も多く、中へ入る事は難しい所もあります。
DSCN7208_convert_20140818231641.jpg DSCN7214_convert_20140818231505.jpg
(昭和)毒ガス製造時代に毒ガスタンクを置いていた台座が残っています。
DSCN7213_convert_20140818231829.jpg DSCN7211_convert_20140818231554.jpg
地下掩蔽部跡を横目にトンネルをくぐります。ジブリの世界の様です。
DSCN7212_convert_20140818231736.jpg ___convert_20140818230914.jpg
立派な掩蔽部がしっかり残っていました。
DSCN7223_convert_20140818232417.jpg
DSCN7225_convert_20140818232528.jpg DSCN7224_convert_20140818232458.jpg

最後は「中部砲台跡」着工1898年10月(明治31年)→1901年3月(明治34年)竣工
です。東洋1と言われる鉄塔の直ぐ横にあります。(結構登りますので疲れます)
DSCN7227_convert_20140819194035.jpg

DSCN7229_convert_20140819194224.jpg DSCN7230_convert_20140819194258.jpg
▼大久野島の物ではありませんが、当時日本の要塞に設置された大砲です。
[左]28センチ榴弾砲 / [右]15センチ臼砲・(砲身は安価な青銅製)
28rh01.jpg 15q01_convert_20140822231650.jpg
▼島の南側(四国の方角)を望む。
DSCN7226_convert_20140819194132.jpg
▼ここにも立派な掩蔽部がありました。
DSCN7232_convert_20140819194400.jpg

DSCN7234_convert_20140819194746.jpg DSCN7233_convert_20140819194527.jpg

これで芸予要塞時代の建物は終わりです。
▼明治時代に建てられた灯台が今も改修されて現役で使われています。
DSCN7340_convert_20140819195706.jpg DSCN7336_convert_20140819195743.jpg

次は昭和時代の大久野島(毒ガス製造工場時代)に続きます。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
(お電話でのお問い合わせは、〇九〇-二六一八-二一四四 まで)
にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ
にほんブログ村

戦史 ブログランキングへ
 2014_08_16




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
[沖縄戦を深く知るツアー]をご希望の方はメールにてお願いします。
pochetteevnara@gmail.com

ブロとも申請フォーム

Access counter

沖縄戦跡巡り

QRコード

QR




pagetop

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。