戦前、江田島といえば「海軍兵学校」を意味した。
明治21年に(東京)築地から江田島に移転して以来、海軍将校養成の基地として若者の憧れの場所だった。
現在は、海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校などになっている。
以前から訪れたかった場所にやっと行く事が出来た。教育参考館が1番の目的。
「鹿屋航空基地史料館」では見る事が出来ない神風特攻隊員の遺書や遺品をこの目で見る為に・・・。
DSCN6181_convert_20170227201514.jpg
江田島市にある国民宿舎能美海上ロッジで前泊。
DSCN6144_convert_20170227202140.jpg
▲能美海上ロッジ駐車場端にある「軍艦利根資料館」
太平洋戦争末期、江田島湾奥に避難停泊していた重巡洋艦「利根」は、昭和20年7月24日から米軍機大編隊の襲撃を
受け、乗員128名の戦死者を出し、28日夕刻トトウガ鼻沖に擱座した。この空襲では、町内の被害も甚大だった。
昭和40年3月「慰霊碑建設委員会」を結成し生存者や遺族も参画して慰霊碑を建立、以後、保存会を結成、碑の周囲一
帯を「利根公園」とし、昭和62年8月に「軍艦利根資料館」を建設した。
DSCN6170_convert_20170227202833.jpg
▲昨晩泊まった場所の目の前の江田島湾に71年前、激しい爆撃に晒された「利根」が停泊していたとは・・・。
DSCN6149_convert_20170227203436.jpg
▲資料館の見学は無料だ。正し、電気だけは自分で点け、帰りには必ず消灯する事が条件だ。
DSCN6146_convert_20170227203713.jpg
軍艦関係はあまり詳しくないが、目の前の海での悲劇に、遺品を見ると胸を強く打つ
DSCN6147_convert_20170227210157.jpg
▼利根の浴槽。 
DSCN6150_convert_20170227210017.jpg
▼昭和20年7月29日江田島湾にて大破着底状態の重巡洋艦「利根」。
DSCN6159_convert_20170227210834.jpg
「軍艦利根資料館」見学もそこそこに江田島旧海軍兵学校見学に向かう。
DSCN6184_convert_20170227211553.jpg
受付を済ませて敷地内へ入る。
DSCN6186_convert_20170227211714.jpg
敷地内を徒歩で江田島クラブ1階(見学者控室)へ向かう。
DSCN6187_convert_20170227211859.jpg
見学スタート。ガイドさんが説明付で案内してくれる。
DSCN6191_convert_20170227212607.jpg
大正6年建造の「大講堂」。卒業式などの式典で使用されるとの事。
DSCN6302_convert_20170227212729.jpg
中に入る際に、しきりに砂利道を歩かない様に注意を促される。
DSCN6200_convert_20170227213142.jpg
此処で卒業式を迎える事はこの先も一生無いだろう・・・入校する事もね。
DSCN6211_convert_20170227213322.jpg

DSCN6203_convert_20170227213441.jpg
▼幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)
DSCN6225_convert_20170227213558.jpg
此処で学んだ生徒は何を思って負け戦に進んでいったんだろう・・・太平洋戦争末期の学徒出陣の予備士官ばかりが
特攻に行かされ、特務士官に対する差別もキツかったという。今どんな教育をしているのか非常に気になった。
DSCN6283_convert_20170227214340.jpg
▲一番来たかった場所、「教育参考館」
旧海軍関係の資料など14000点が展示されている。残念ながら館内は撮影禁止だったがしっかり見てきた。
皆さんご自分の目で見学されると良いでしょう。私は涙が止まりませんでした・・そして少し美化し過ぎとも思った。
DSCN6246_convert_20170227214713.jpg
「ハワイ真珠湾攻撃」で使用された「甲標的」(伊20搭載の広尾彰少尉/片山義雄2曹 搭乗艇と言われている)
DSCN6276_convert_20170227215016.jpg
1960年6月13日アメリカ軍によってヒッカム飛行場沖で発見されて引き上げられ、1週間後の6月20日に海上自衛隊
揚陸艦『しれとこ』に搭載され、7月20日約20年ぶりに横須賀に帰還。7月28日江田島到着。此処に保存されている。
DSCN6248_convert_20170227215616.jpg
ほとんどの人が甲標的を見学せず館内に吸い込まれて行った・・・。甲標的の実物は日本で此処にしか無い。
DSCN6274_convert_20170227215845.jpg

DSCN6258_convert_20170227220028.jpg

DSCN6268_convert_20170228115302.jpg
▲「安式四十口径六吋砲」
堺市の元市議会議員、加藤均氏がサイパン島で発見された物を寄贈した。と書いてあった。
旧海軍の艦載砲、日露戦争に於いて、英国(アームストロング社製)から180門が日本に輸入され、戦艦・巡洋艦の副砲
として使用された。これを準国産化した火砲が「安式四十口径六吋速射砲(アームストロング式40口径6インチ速射砲)」
太平洋戦争当時、艦載砲として既に旧式となった「安式四十口径六吋速射砲」は沿岸砲台として再利用された。
パラオ共和国バベルダオブ島でも見た事がある。

DSCN6265_convert_20170228115222.jpg

DSCN6262_convert_20170228115137.jpg
▲旧海軍駆逐艦「雪風」の錨
DSCN6264_convert_20170228115201.jpg
▲ガダルカナル島への砲撃で使用されたという一式徹甲弾
DSCN6256_convert_20170228121057.jpg
▲特殊潜航艇「海龍」
本艇は昭和18年、海軍中佐浅野卯一郎の着想により、同20年4月、量産発令と同時に官民多数の建造所で全力をあ
げ急造、本土決戦に備えられた特攻武器である。
終戦までには230隻が完成し、なお多数建造中であったが一度も使用されていない。
魚雷2発を下部両側に装着発射することになっているが、一部の艇は魚雷にかわり艇首に炸薬を装備することとし、
自動車用機関により量産された前例のない有翼潜水艦であり、軽快に潜航浮上ができた。 (案内版より)
DSCN6270_convert_20170228121435.jpg
内部が見える様に外板が切り取られている。
DSCN6289_convert_20170228121540.jpg
▲凄い鉛バッテリーの量だ。
DSCN6293_convert_20170228121414.jpg

DSCN6290_convert_20170228121614.jpg

DSCN6292_convert_20170228121636.jpg




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
(お電話でのお問い合わせは、〇九〇-二六一八-二一四四 まで)
にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ
にほんブログ村←クリック有難うございます。

戦史 ブログランキングへ←クリック有難うございます。
スポンサーサイト
 2016_12_18


広島県福山市の離島「横島」。ここにひっそりと戦争遺跡が残っている。
昭和18年に完成した「陸軍燃料廠 横島貯蔵所」だ。当時は11基の燃料タンクがあり、終戦まで稼働していた。
戦後は米軍が使用する事となり、昭和33年の返還まで「横島油槽所大浜貯油基地」として稼働していた。
日本に返還後の昭和35年からは㈱丸善石油大浜貯油所が再稼働させるがオイルショックによって昭和50年に閉鎖。
以後、LPガス貯蔵施設計画など色々あった様だが、現在はドルフィンビーチとしてシーパーク大浜(ツネイシホールデ
ィングス㈱)の海水浴場となっている。ビーチの奥にはコンクリート製の燃料タンク(油槽防弾壁)が4基現存している。
[ ドルフィンビーチ ]広島県福山市内海町2220大浜 
DSCN5939_convert_20161220200538.jpg
▲沼隈半島から内海大橋(うつみおおはし)を渡ってまずは田島へ上陸。
DSCN5947_convert_20161220200956.jpg
▲田島を過ぎると横島へ入る。迷う様な道ではないので解り易い(小さな睦橋を渡って直ぐ横島だった)
DSCN5951_convert_20161220201737.jpg
横島のこの様な海沿いの道をとにかく南へ進んで行く。
DSCN5955_convert_20161220202018.jpg
▲途中いくつかビーチが見える。天気が良かったので思わず撮影。瀬戸内はトラック諸島に似ている。
DSCN5956_convert_20161220202502.jpg
▲油槽防弾壁4基を高い場所から確認する為、横山海岸海水浴場の少し手前で右に折れ、切石山展望台に向かう。
 田島が綺麗に見下ろせた(切石山展望台へ上る途中で撮影)
DSCN5978_convert_20161220202952.jpg
▲展望台駐車場(無料)に車を置いてひたすら歩く。この日は12月とは思えない温かさだった。 
DSCN5977_convert_20161220203252.jpg
▲登り切ると絶景が広がり、横島最南端と瀬戸内海が見渡せる。快晴だったので景色が最高だった。
DSCN5976_convert_20161220203917.jpg
▼断崖絶壁から横島最南端を望む(左側が横山海岸海水浴場)岩場ギリギリまで行くとかなり足がすくむ。
DSCN5966_convert_20161222230815.jpg
すると何やら怪しい軍事施設が・・・!これだ!
DSCN5983_convert_20161220204506.jpg
▲見つけた!「陸軍燃料廠 横島貯蔵所」11基の内、現存する4基の油槽防弾壁!
DSCN5975_convert_20161220204646.jpg
▲展望台の神社で軽く旅の安全を祈って、早速現場へと向かう。
DSCN5985_convert_20161220204901.jpg
▲▼シーズンオフという事もありシーパーク大浜は閑散としていた。
DSCN5986_convert_20161220205043.jpg
▼シーパーク大浜からほんの少し山側へ行くと・・・見えた!
DSCN6016_convert_20161220212011.jpg
間違いなく切石山から見えた旧日本陸軍燃料廠 横島貯蔵所の遺構だ!大きい!が、トラック諸島に現存している旧日本
海軍の燃料タンクよりは小さいかな・・・。
DSCN5990_convert_20161220211741.jpg
▼因みにトラック諸島(夏島)に現存する旧日本海軍の燃料タンク
DSCN9582_convert_20161220215137.jpg
▲▼夏島に現存する燃料タンクには横島の様な防弾壁は無かった。米軍の空襲で破壊されたままの状態だ。
DSCN9571_convert_20161220215751.jpg
▲米軍の爆撃による火災で鋼鉄の燃料タンクが飴の様に溶けて変形している。

陸軍の燃料タンクもこの防弾壁の中にはきっと海軍と同じ様な燃料タンクがあったのだろう。
シーパーク大浜が倉庫として活用しているそうなので「ザ・放置」状態では無い。
DSCN6002_convert_20161220212818.jpg
現存する油槽防弾壁4基周辺は草木が刈られており、非常に歩き易かった(感謝)
DSCN5989_convert_20161220212427.jpg
流石軍事施設。建設から70年以上経っても劣化は少ない。
DSCN5998_convert_20161220213301.jpg

DSCN6001_convert_20161220213533.jpg
これが戦後の建造物だったら何も感じないのだが、戦時中の軍事施設だと思うと見方が変わる・・・。
DSCN6003_convert_20161220213633.jpg

DSCN5999_convert_20161220221137.jpg

DSCN6004_convert_20161220221401.jpg
▲明らかに戦後にブチ開けられた入口があったので中を覗くと・・・。
DSCN6007_convert_20161220221721.jpg
▲案の定ゴミ捨て場となっていた・・・。
DSCN6008_convert_20161220221901.jpg
▲少し白けムードになってしまったので直ぐに出た(異臭もしていた)
DSCN5991_convert_20161220222153.jpg
▲ゴミ捨て場ばかりでは無く、入口がちゃんと設置されて(戦後)綺麗な場所もあった。
DSCN5995_convert_20161220222434.jpg
何も無い空間をしばし眺めていた。
DSCN5992_convert_20161220222554.jpg
さぁ戻ろう。
DSCN5993_convert_20161220222730.jpg
シーパーク大浜は直ぐ目の前だ。
DSCN6013_convert_20161220222841.jpg
このままずっと残しておいて欲しい軍事遺構だ。
yokoshimatank4.jpg
▲戦時中とされる画像。矢印の4基を見学した事になると思う。画像はM茶の瀬戸内アウトドア紀行さんからお借りした
DSCN6010_convert_20161220223047.jpg
▼1970年代後半とされる航空写真には11基のタンクが確認出来る、黄で囲んだ所が記事で紹介した箇所。
o0392054711510414726.jpg
この後は横島を離れて呉市に向かった。
DSCN6058_convert_20170111095749.jpg
▲呉に向かう途中、安浦漁港で防波堤として現役?の「コンクリート船」を見学した。
DSCN6022_convert_20170111100339.jpg
▲太平洋戦争中、鉄不足の日本は鉄筋コンクリートで船体を作った日本海軍所属の貨物船「武智丸」を4隻建造した。
DSCN6025_convert_20170114210955.jpg
▲▼2隻を縦に繋げる感じで防波堤代わりに停泊?させてあるが、第一武智丸は半分以上沈みかかっている。
DSCN6027_convert_20170114211239.jpg
▼第二武智丸に向かう。満潮時だったがよく見学出来た。程度は良好の様だ。
DSCN6029_convert_20170114211409.jpg

DSCN6030_convert_20170114211540.jpg
▼船内に入ってみる。
DSCN6048_convert_20170114211805.jpg
一応形的に船の形をしているので「船内」という感じがするが、武骨なコンクリートの壁は地下壕の様な感じだ。
DSCN6047_convert_20170114211919.jpg
天井が抜けているので閉塞感は無いが、当然明かりはあったとしても、実用当時はとてつもない閉塞感だっただろう。
DSCN6050_convert_20170114212017.jpg
▼艦橋へ出て、入った船内を再び眺める。何とも表現が難しい、竣工時の写真を見てみたい・・・。
DSCN6053_convert_20170114212428.jpg
▼浸水している区画もある、船倉の部分だ。
DSCN6032_convert_20170114213033.jpg
▼船首へ向かう。アンカーチェーンを通すホースパイプが見える。
DSCN6038_convert_20170114213512.jpg

DSCN6045_convert_20170114213310.jpg
▼当然狭くなってとんがっている。腐食防止・船首強化の為、船首は当時から鉄板で覆われている。
DSCN6040_convert_20170114213639.jpg
堤防代わりになっている事がよく解る。船首から見ると何の特徴も無い「戦時標準船」型だ。
DSCN6042_convert_20170114213757.jpg
防波堤がなく、台風の度に漁船が被害を受けて困っていた安浦漁港。兵庫県高砂市で建造された「武智丸」は、
軍需物資輸送の役目を終えた戦後、第二の余生は安浦漁港の防波堤として役割を担っている。
DSCN6037_convert_20170114214740.jpg

その後一路呉市へ。まずは「歴史の見える丘」から戦艦大和の建造されたドックを見学
DSCN6074_convert_20170123233223.jpg

DSCN6071_convert_20170123234509.jpg

DSCN6085_convert_20170123233412.jpg
▲噫(ああ)戦艦大和之塔
DSCN6083_convert_20170123233436.jpg
▼旧呉海軍工廠礎石記念塔
DSCN6075_convert_20170123233334.jpg
▲旧呉海軍工廠の残存した礎石、旧呉鎮守府開庁当時の庁舎建材などを集めて建立したモニュメント
DSCN6115_convert_20170123234903.jpg
▲アレイからすこじまへ向かう途中の下り道から見えた軍艦
DSCN6107_convert_20170124000053.jpg
▲アレイからすこじまは国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園。「アレイからすこじま」の名前の由来は
「アレイ」は英語で路地。「からすこじま」呉浦にあった「烏小島」、。烏小島は大正時代に埋立てられている。
DSCN6091_convert_20170124000439.jpg
▲海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がイカリを下ろしている。かつて呉が帝国海軍の本拠地だった事を偲ばせる。
DSCN6099_convert_20170124000714.jpg
▲これが見たかった、魚雷揚げ下しクレーン。大戦末期の空襲や戦火をくぐりぬけ、現存する奇跡のクレーン。
DSCN6106_convert_20170124001021.jpg
▲明治時代の英国製で、吊上げ能力は最大15トン。油圧でも電動でも無いアナログでシンプルな構造。
DSCN6096_convert_20170124001135.jpg
▲▼呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代(明治30年~36年)に建てられた。空襲で被害を受け、建設当初よりも
 奥行きが短くなっているとの事。戦後は民間会社の倉庫として利用されて今も現役で使用されている。
 8号(造兵廠弾丸庫雑器)/10号倉庫(魚形水雷庫)が当時の建物で真ん中9号棟は戦後建てられたもの。
DSCN6097_convert_20170124001230.jpg
付近には防空監視所が残っているそうだが今回は時間が無く・・・、その後宿泊先のある江田島に向かった。




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
(お電話でのお問い合わせは、〇九〇-二六一八-二一四四 まで)
にほんブログ村 歴史ブログ 太平洋戦争/大東亜戦争へ
にほんブログ村←クリック有難うございます。

戦史 ブログランキングへ←クリック有難うございます。
 2016_12_17




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
[沖縄戦を深く知るツアー]をご希望の方はメールにてお願いします。
pochetteevnara@gmail.com

ブロとも申請フォーム

Access counter

沖縄戦跡巡り

QRコード

QR




pagetop