広島県福山市の離島「横島」。ここにひっそりと戦争遺跡が残っている。
昭和18年に完成した「陸軍燃料廠 横島貯蔵所」だ。当時は11基の燃料タンクがあり、終戦まで稼働していた。
戦後は米軍が使用する事となり、昭和33年の返還まで「横島油槽所大浜貯油基地」として稼働していた。
日本に返還後の昭和35年からは㈱丸善石油大浜貯油所が再稼働させるがオイルショックによって昭和50年に閉鎖。
以後、LPガス貯蔵施設計画など色々あった様だが、現在はドルフィンビーチとしてシーパーク大浜(ツネイシホールデ
ィングス㈱)の海水浴場となっている。ビーチの奥にはコンクリート製の燃料タンク(油槽防弾壁)が4基現存している。
[ ドルフィンビーチ ]広島県福山市内海町2220大浜 
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▲沼隈半島から内海大橋(うつみおおはし)を渡ってまずは田島へ上陸。
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▲田島を過ぎると横島へ入る。迷う様な道ではないので解り易い(小さな睦橋を渡って直ぐ横島だった)
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▲横島のこの様な海沿いの道をとにかく南へ進んで行く。
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▲途中いくつかビーチが見える。天気が良かったので思わず撮影。瀬戸内はトラック諸島に似ている。
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▲油槽防弾壁4基を高い場所から確認する為、横山海岸海水浴場の少し手前で右に折れ、切石山展望台に向かう。
 田島が綺麗に見下ろせた(切石山展望台へ上る途中で撮影)
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▲展望台駐車場(無料)に車を置いてひたすら歩く。この日は12月とは思えない温かさだった。 
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▲登り切ると絶景が広がり、横島最南端と瀬戸内海が見渡せる。快晴だったので景色が最高だった。
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▼断崖絶壁から横島最南端を望む(左側が横山海岸海水浴場)岩場ギリギリまで行くとかなり足がすくむ。
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すると何やら怪しい軍事施設が・・・!これだ!
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▲見つけた!「陸軍燃料廠 横島貯蔵所」11基の内、現存する4基の油槽防弾壁!
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▲展望台の神社で軽く旅の安全を祈って、早速現場へと向かう。
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▲▼シーズンオフという事もありシーパーク大浜は閑散としていた。
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▼シーパーク大浜からほんの少し山側へ行くと・・・見えた!
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間違いなく切石山から見えた旧日本陸軍燃料廠 横島貯蔵所の遺構だ!大きい!が、トラック諸島に現存している旧日本
海軍の燃料タンクよりは小さいかな・・・。
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▼因みにトラック諸島(夏島)に現存する旧日本海軍の燃料タンク
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▲▼夏島に現存する燃料タンクには横島の様な防弾壁は無かった。米軍の空襲で破壊されたままの状態だ。
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▲米軍の爆撃による火災で鋼鉄の燃料タンクが飴の様に溶けて変形している。

陸軍の燃料タンクもこの防弾壁の中にはきっと海軍と同じ様な燃料タンクがあったのだろう。
シーパーク大浜が倉庫として活用しているそうなので「ザ・放置」状態では無い。
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現存する油槽防弾壁4基周辺は草木が刈られており、非常に歩き易かった(感謝)
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流石軍事施設。建設から70年以上経っても劣化は少ない。
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これが戦後の建造物だったら何も感じないのだが、戦時中の軍事施設だと思うと見方が変わる・・・。
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▲明らかに戦後にブチ開けられた入口があったので中を覗くと・・・。
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▲案の定ゴミ捨て場となっていた・・・。
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▲少し白けムードになってしまったので直ぐに出た(異臭もしていた)
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▲ゴミ捨て場ばかりでは無く、入口がちゃんと設置されて(戦後)綺麗な場所もあった。
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何も無い空間をしばし眺めていた。
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さぁ戻ろう。
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シーパーク大浜は直ぐ目の前だ。
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このままずっと残しておいて欲しい軍事遺構だ。
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▲戦時中とされる画像。矢印の4基を見学した事になると思う。画像はM茶の瀬戸内アウトドア紀行さんからお借りした
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▼1970年代後半とされる航空写真には11基のタンクが確認出来る、黄で囲んだ所が記事で紹介した箇所。
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この後は横島を離れて呉市に向かった。
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▲呉に向かう途中、安浦漁港で防波堤として現役?の「コンクリート船」を見学した。
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▲太平洋戦争中、鉄不足の日本は鉄筋コンクリートで船体を作った日本海軍所属の貨物船「武智丸」を4隻建造した。
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▲▼2隻を縦に繋げる感じで防波堤代わりに停泊?させてあるが、第一武智丸は半分以上沈みかかっている。
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▼第二武智丸に向かう。満潮時だったがよく見学出来た。程度は良好の様だ。
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▼船内に入ってみる。
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一応形的に船の形をしているので「船内」という感じがするが、武骨なコンクリートの壁は地下壕の様な感じだ。
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天井が抜けているので閉塞感は無いが、当然明かりはあったとしても、実用当時はとてつもない閉塞感だっただろう。
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▼艦橋へ出て、入った船内を再び眺める。何とも表現が難しい、竣工時の写真を見てみたい・・・。
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▼浸水している区画もある、船倉の部分だ。
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▼船首へ向かう。アンカーチェーンを通すホースパイプが見える。
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▼当然狭くなってとんがっている。腐食防止・船首強化の為、船首は当時から鉄板で覆われている。
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堤防代わりになっている事がよく解る。船首から見ると何の特徴も無い「戦時標準船」型だ。
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防波堤がなく、台風の度に漁船が被害を受けて困っていた安浦漁港。兵庫県高砂市で建造された「武智丸」は、
軍需物資輸送の役目を終えた戦後、第二の余生は安浦漁港の防波堤として役割を担っている。
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その後一路呉市へ。まずは「歴史の見える丘」から戦艦大和の建造されたドックを見学
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▲噫(ああ)戦艦大和之塔
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▼旧呉海軍工廠礎石記念塔
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▲旧呉海軍工廠の残存した礎石、旧呉鎮守府開庁当時の庁舎建材などを集めて建立したモニュメント
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▲アレイからすこじまへ向かう途中の下り道から見えた軍艦
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▲アレイからすこじまは国内で唯一、潜水艦を間近で見ることができる公園。「アレイからすこじま」の名前の由来は
「アレイ」は英語で路地。「からすこじま」呉浦にあった「烏小島」、。烏小島は大正時代に埋立てられている。
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▲海上自衛隊の潜水艦と護衛艦がイカリを下ろしている。かつて呉が帝国海軍の本拠地だった事を偲ばせる。
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▲これが見たかった、魚雷揚げ下しクレーン。大戦末期の空襲や戦火をくぐりぬけ、現存する奇跡のクレーン。
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▲明治時代の英国製で、吊上げ能力は最大15トン。油圧でも電動でも無いアナログでシンプルな構造。
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▲▼呉海軍工廠の前身である呉海軍造兵廠時代(明治30年~36年)に建てられた。空襲で被害を受け、建設当初よりも
 奥行きが短くなっているとの事。戦後は民間会社の倉庫として利用されて今も現役で使用されている。
 8号(造兵廠弾丸庫雑器)/10号倉庫(魚形水雷庫)が当時の建物で真ん中9号棟は戦後建てられたもの。
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付近には防空監視所が残っているそうだが今回は時間が無く・・・、その後宿泊先のある江田島に向かった。




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 2016_12_17




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Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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