戦前、江田島といえば「海軍兵学校」を意味した。
明治21年に(東京)築地から江田島に移転して以来、海軍将校養成の基地として若者の憧れの場所だった。
現在は、海上自衛隊幹部候補生学校や第1術科学校などになっている。
以前から訪れたかった場所にやっと行く事が出来た。教育参考館が1番の目的。
「鹿屋航空基地史料館」では見る事が出来ない神風特攻隊員の遺書や遺品をこの目で見る為に・・・。
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江田島市にある国民宿舎能美海上ロッジで前泊。
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▲能美海上ロッジ駐車場端にある「軍艦利根資料館」
太平洋戦争末期、江田島湾奥に避難停泊していた重巡洋艦「利根」は、昭和20年7月24日から米軍機大編隊の襲撃を
受け、乗員128名の戦死者を出し、28日夕刻トトウガ鼻沖に擱座した。この空襲では、町内の被害も甚大だった。
昭和40年3月「慰霊碑建設委員会」を結成し生存者や遺族も参画して慰霊碑を建立、以後、保存会を結成、碑の周囲一
帯を「利根公園」とし、昭和62年8月に「軍艦利根資料館」を建設した。
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▲昨晩泊まった場所の目の前の江田島湾に71年前、激しい爆撃に晒された「利根」が停泊していたとは・・・。
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▲資料館の見学は無料だ。正し、電気だけは自分で点け、帰りには必ず消灯する事が条件だ。
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軍艦関係はあまり詳しくないが、目の前の海での悲劇に、遺品を見ると胸を強く打つ
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▼利根の浴槽。 
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▼昭和20年7月29日江田島湾にて大破着底状態の重巡洋艦「利根」。
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「軍艦利根資料館」見学もそこそこに江田島旧海軍兵学校見学に向かう。
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受付を済ませて敷地内へ入る。
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敷地内を徒歩で江田島クラブ1階(見学者控室)へ向かう。
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見学スタート。ガイドさんが説明付で案内してくれる。
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大正6年建造の「大講堂」。卒業式などの式典で使用されるとの事。
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中に入る際に、しきりに砂利道を歩かない様に注意を促される。
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此処で卒業式を迎える事はこの先も一生無いだろう・・・入校する事もね。
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▼幹部候補生学校庁舎(旧海軍兵学校生徒館)
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此処で学んだ生徒は何を思って負け戦に進んでいったんだろう・・・太平洋戦争末期の学徒出陣の予備士官ばかりが
特攻に行かされ、特務士官に対する差別もキツかったという。今どんな教育をしているのか非常に気になった。
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▲一番来たかった場所、「教育参考館」
旧海軍関係の資料など14000点が展示されている。残念ながら館内は撮影禁止だったがしっかり見てきた。
皆さんご自分の目で見学されると良いでしょう。私は涙が止まりませんでした・・そして少し美化し過ぎとも思った。
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「ハワイ真珠湾攻撃」で使用された「甲標的」(伊20搭載の広尾彰少尉/片山義雄2曹 搭乗艇と言われている)
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1960年6月13日アメリカ軍によってヒッカム飛行場沖で発見されて引き上げられ、1週間後の6月20日に海上自衛隊
揚陸艦『しれとこ』に搭載され、7月20日約20年ぶりに横須賀に帰還。7月28日江田島到着。此処に保存されている。
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ほとんどの人が甲標的を見学せず館内に吸い込まれて行った・・・。甲標的の実物は日本で此処にしか無い。
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▲「安式四十口径六吋砲」
堺市の元市議会議員、加藤均氏がサイパン島で発見された物を寄贈した。と書いてあった。
旧海軍の艦載砲、日露戦争に於いて、英国(アームストロング社製)から180門が日本に輸入され、戦艦・巡洋艦の副砲
として使用された。これを準国産化した火砲が「安式四十口径六吋速射砲(アームストロング式40口径6インチ速射砲)」
太平洋戦争当時、艦載砲として既に旧式となった「安式四十口径六吋速射砲」は沿岸砲台として再利用された。
パラオ共和国バベルダオブ島でも見た事がある。

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▲旧海軍駆逐艦「雪風」の錨
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▲ガダルカナル島への砲撃で使用されたという一式徹甲弾
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▲特殊潜航艇「海龍」
本艇は昭和18年、海軍中佐浅野卯一郎の着想により、同20年4月、量産発令と同時に官民多数の建造所で全力をあ
げ急造、本土決戦に備えられた特攻武器である。
終戦までには230隻が完成し、なお多数建造中であったが一度も使用されていない。
魚雷2発を下部両側に装着発射することになっているが、一部の艇は魚雷にかわり艇首に炸薬を装備することとし、
自動車用機関により量産された前例のない有翼潜水艦であり、軽快に潜航浮上ができた。 (案内版より)
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内部が見える様に外板が切り取られている。
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▲凄い鉛バッテリーの量だ。
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 2016_12_18




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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