瀋陽は満州国時代、奉天と呼ばれた場所。瀋陽へ行く目的は「九・一八」歴史博物館に行く事。
昭和6年(1931)9月18日旧奉天郊外の柳条湖で「南満州鉄道が中国軍によって爆破された」という関東軍自作自演の謀
略事件「柳条湖事件」(満州事変)によって関東軍は軍事出動。張学良の中国軍を攻撃、満州全土を制圧し、翌年満州国
を建国。結果的に日本が泥沼の日中戦争へ、そして太平洋戦争(大東亜戦争)へと突入していくきっかけになった場所だ。

▼大連駅から高速鉄道で瀋陽北駅に向かう。
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▼瀋陽北駅に降り立つ。
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▼瀋陽北駅前の風景。此処も大都会だ・・・。
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▼大きな駅前広場は何処も警備が徹底している。流石中国
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▼瀋陽北駅。しかし高速鉄道が停車する駅は何処も大きな駅舎だ・・・。
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広すぎて自分が何処の出口から出て来たのか分からなくなってしまう・・・。
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▼小腹がすいたので駅前で食事が出来る所を探す。
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中国にも美味しいお店は色々あるのだろうが・・・。DSCN0154_convert_20170520191345.jpg
▼「吉野家」を発見!結局安全パイで吉野家に行く事に。
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中国に行くと、歴史では色々あったにもかかわらず日本企業の進出にはいつも感心する。
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セットメニューで36元。日本円で600円程だ。
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これが非常に美味しい、台湾や日本で食べる吉野家より美味しかった。今まで食べた吉野家で1番旨い!
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▼完食してバス停に向かう。
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▼私の乗ったバスはディーゼルエンジン車だったが、中国ではハイブリッドバス・電気バスが沢山走っている。
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写真を撮っていると中国人の物珍しそうに見る視線がちょっと怖い・・・相手も日本人と直ぐ解っている・・・。
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▲これはハイブリッドバス。乗ってみたが、ほとんどEVでの走行だった。
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▲30分程で「九・一八」歴史博物館前に到着。市バス?は、だいたいが1元。距離が長くなると2元の場合もある。
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▲ついに「九・一八」歴史博物館に来た・・・。
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▲「九・一八」博物館入口前には多くの屋台が出ている。
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▲入口の門を入るとまず左手に「警世鐘」が現れる。
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▼次にあるのは博物館の見取り図かな。
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そしてドーンと大きな建物が現れる・・・写真では見ていたが、実物は想像を超えた大きさだった・・・。
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▼裏側。関東軍作戦参謀石原 莞爾(いしわらかんじ)はあの世でどう思っているだろう・・・。
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▼人と比べて頂ければ大きさが解って頂けると思う。
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▼振り返って入口門付近を撮影。
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▼日本語訳が無いので良く解らないが、「柳条湖事件」の現場から運んで来た物だと思う。
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他にも日本が残した色々な物が屋外展示してある。
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▲昭和7年7月と刻まれている・・・昭和7年(1932年)は満州国建国の年だ・・・。
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▲昭和7年3月10日以外はよく読み取れなかった。
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▼誰かのお墓の様だ・・・当然日本人の墓だろうけど・・・。
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▼満州事変殉職社員記念碑って・・・自作自演の爆破で満鉄の日本人社員が亡くなったという事か・・・。
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▼館入口に向かう。
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▼▲何を表した銅像なのかよく分からなかった・・・。
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中国の思想は一貫して「抗日」これは満州建国前から現在まですっど変わっていない。それを踏まえて見学する。
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▼いよいよ館内に入る。入場料は無料だ。
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よくこんな沢山残っているもんだ・・・。
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これも初めて見る様な気がする・・・日本軍94式山砲
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物凄く保存状態がいいな・・・「激戦」と呼べる様な戦いにならなかったからかもしれない。
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張学良の中国軍は不抵抗方針。世界の世論に日本の謀略を訴える作戦に出た。(当時は志那と呼ばれていた)
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当時の関東軍司令官は本庄 繁。1ヵ月前に旅順に着任したばかりだった・・・その為関東軍の謀略を知らなかった。
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そして作戦参謀石原 莞爾に説得された本庄は、満鉄沿線の主要都市への攻撃命令を下してしまう・・・。
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▲当時の軍服だろう・・・満州国は大連あたりの冬は-23度、奉天・新京・哈爾浜と北へいくにつれてもっと寒い・・・
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当時の中国(志那)は沿岸部辺りに清国を倒した蒋介石率いる中華民国、山側に毛沢東率いる国民党(共産党)政権、中国
を狙う諸外国との複雑な関係の元に置かれていた。満州国は清王国が明王朝を倒し、中華民国に清王国が滅ぼされ、中
華民国は北京を中心に栄えていたので、事実上は満人が暮らす荒野が広がる大地で、蒋介石もさほど満州地域には興味
を示してはいなかった様だ。なので「誰の物でも無い」という言い方も出来るが、日本の土地で無かった事は明らかで
あり、元々日本人が暮らしていた土地では無い事も事実である。
そこで日本は清王朝最後の皇帝「溥儀」を招いて清王朝復活の形で満州国を建国したのだった・・・。
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とはいえ中国(志那)は「抗日」が旗印・・・反日派を日本は厳しく取り締まったという。
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▲▼太平洋戦争で戦利品として米兵が欲しがった日本軍の軍刀が沢山展示してある。血の演出が中国らしい。
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▼南満州鉄道株式会社が経営していた撫順炭鉱(平頂山事件)の事か・・・このへんは勉強不足でよく知らない。
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▼本物では無いと思うが、この演出が凄い・・・。
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この後の展示は哈爾浜郊外にあった「731部隊」に関する展示に移っていく・・・実はこの後、この旅の真の目的であ
る長春(旧新京)へ行った後、哈爾浜にも行く予定だ。そして731部隊本部跡を見学する予定だったので、ここでの731
部隊に関する展示資料は「哈爾浜旅行記」でご紹介しようと思う。
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▼凄い量の銃だ・・・。
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▼日中戦争当時、アメリカは蒋介石率いる中華民国を支援していた。
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▼▲「第二次世界大戦時のアメリカン軍用ジープ」と説明書された米軍のジープが展示されていた。
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▼あぁ・・・「日本投降」か。昭和20年8月15日の敗戦の事か・・・。
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中国での戦犯裁判の事か・・・。
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国民党政権によって撫順戦犯管理所(遼寧省撫順市)で日本の戦犯裁判が1946年~1949年に行われた。
149人に死刑判決が下された他、350人以上に有罪判決が下された。1949年の中華人民共和国の成立を受け、共産党
政権はこれとは別に、ソ連が拘束していた旧日本軍人ら約1000人に対して独自の審査を行った。
大半は「不起訴処分」とされたが、計45人が1956年に瀋陽と太原の2カ所で開かれた「日本戦犯特別軍事法廷」で裁
かれ、最高で禁固20年の判決が出た。
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▼主だった方のお名前だろうか・・・そういえば撫順戦犯管理所に 戦争犯罪人として抑留された日本軍人が帰国後の
 1957年9月24日に結成した 団体で中帰連(ちゅうきれん)ってあったな・・・。
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昭和25年(1950年)日ソ友好条約の締結時、一部の捕虜はスターリンから中国にプレゼントされ、撫順に収容された。
そして彼ら(捕虜)自身が「鬼から人間に戻った」と言わしめた洗脳が始まった・・・。
戦犯の処置は新中国の重要な国家政策として周恩来が直接指揮をとり、管理は司法部ではなく公安部が担当した。
公安部長の羅瑞卿は、延安で多数の日本兵捕虜を洗脳し、日本軍の正面に送り出してきた捕虜政策のエキスパートだ。
哈爾浜の尉官級以上の捕虜達も「学習」が続けられ「総括書」を書かされた。
これは、学習して得た共産主義の認識に基づき、過去の自分を自己批判しろということである。
罪は重くても完全に共産主義思想になった者は許す。逆に軽微な罪行でも思想を改造出来ない者は重く処罰する、と言
われた様だ。中国は共産主義思想に転向してこそ初めて「過去の旧思想時代の犯罪を自供出来る」としていたからだ。
「思想改造」と「認罪」の同時工作であり、中国国内の反革命分子に行使した方法と同じであった。
ソ連の氷点下30度を下回るシベリアで、強制労働のご苦労をされたシベリア抑留者達に植え付けた共産主義思想と同じ
である。日本語にはない罪行や、中国側のでっち上げ事件や過剰な言い分まで認めざるを得なかった場合もあった。
「とにかく、一日でも早く日本に帰りたい。」そのことしか捕虜の頭の中には無かったからだ。これは同情出来る。
撫順に収監された戦犯の中で、下士官・兵などは特に戦争犯罪など起こしていない人ばかりである。
理由もなく6年も監禁されたのに、自ら戦争犯罪人を認める自白をし、不起訴になったので中国の温情に感謝し、看守
達と抱きあって泣いたりしたのだった。日本に帰還出来る嬉しさと、ようやく戦争が終わった感での感激の涙であろう。
帰還した元日本軍将兵の中には日本に帰っても洗脳が解けないまま余生を送った人達も居た。
同様のことは朝鮮戦争で人民解放軍に捕まったアメリカ兵にも行われたという。
中国のやり方をとやかく言うつもりは無い。それが中国の常識であり、日本やアメリカの常識とは違うだけ。
どちらが正しいも間違っているも無い。「人類皆兄弟」と言っても、人種・国家・思想は皆それぞれ。
違いを武力で解決しようとすると結果、この様になる。そういう事だと思う。

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やっと肩の力を抜いて見学する事が出来るな・・・。見学しながら自分が平和な時代に生まれた事を感謝した。
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田中角栄も頑張ったよな・・・個人的には好きだった。
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あらら・・・また雲行きが怪しくなってきた・・・靖国神社問題か・・・。
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うぅ・・・中国の言いたい事も解るが・・・。「歴史教科書を歪曲」って・・別にそんな事してないと思うけど・・。
確かに中国側から見ると「靖国参拝」は気にいらないだろうね・・・。でも靖国神社に祀られているとされる御霊は日
中戦争の犠牲者だけじゃないからね・・・そこが難しい所。日本を破滅に追い込んだ無能な軍国主義者達も一緒に祀ら
れているから私は参拝した事無いけどね・・・でも上京時、行ける時には千鳥ケ淵戦没者墓苑に手を合わせに行く。
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▲博物館出口に、「まとめ」と題してある大きな石碑の日本語訳は以下の通り。

展示館を出ていこうとする時、中国人ならおそらく誰でも心から血が流れ、頭に次々と疑問符が浮かぶだろう。
なぜ、日本帝国主義は大胆にも堂々たる大国であるわが国に対して凶刃を向けたか?ここにある写真はすべて揺るぎな
き事実であるのに、なぜ今に至っても歴史を直視せず、ひいてはそれを歪曲し、改ざんしているものがいるのか?
「立ち後れれば喰い物にされる」といわれるが、なぜ立ち後れたのか?ここに展示されている犠牲者たちの生前の写真
は大声で叫んでいるような気がする。何を叫んでいるだろう?「国民がこの国の英雄を忘れた時、国は滅びる」とか、
「過去の苦難を忘れ去ったら、苦難は再び訪れてくる」とか、「自分から努力せよ」とか「中華の振興については一人
ひとりに責任がある」というようなことを教えているのではないだろうか?

と、書いてある。
うぅ・・・中国と日本との2国間の問題としては言いたい事は何となく理解出来るがこれは本当に難しい。
確かに「関東軍が勝手に・・・」とか、色々言い訳はあるだろうが、結果国家としてやった事を日本は何でも言い逃れ
する傾向は確かにある。「天皇に責任が及ばない様に」とか、「部下の強い意志で特攻兵器を開発した」とか・・・。
「まとめ」の日本語訳は、日本語としても日本人が読むと色々な意味で非常に難しい文章だった・・・。
日本にはこの様な、ある意味徹底した「歴史博物館」は無い様に思う。これが敗戦国の定めか・・・。いや、もし出来
たとしても、右か左、どちらかに偏った博物館しか出来ないだろう・・・それならば無い方が良いのかもしれない。

▼別室では撫順炭鉱(平頂山事件)の事を紹介していた。特に詳しい訳でも無いのでさらっと見学した。
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ここには原爆の事も紹介されていた・・・。
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この展示室には日本語訳が無いので、写真で何となく判断するしか無かった。
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英語訳も日本語訳も無かった様な気がする。ま、見る人に「抗日」を訴えたいのだろうと勝手に理解した。
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そしてお土産屋の様な区間を通り、博物館の外に出る。
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▼博物館を出て目に飛び込んでくるのが、この大きな文字。(日本を)「許すけど・忘れない」これが中国の本音だね。
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▼記念写真を撮る中国人夫婦と比べて頂ければその大きさが解って頂けるであろう。
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博物館を出て、屋外展示に行くと、ソ連軍の戦車が見えた。
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第二次大戦中の米軍戦車は何度も見た事があるが、やはり日本軍のおもちゃの様な戦車とは大違いだ・・・。
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▼戦車の隣に展示しているこれは何だ??
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成程・・・日本企業が敗戦後置いていった物をそのまま2000年頃まで使ってたんだね・・・。
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▼満州時代の空襲警報機か・・・日本本土でも同じような機械はあったんだろうな・・・。
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満州国よりも本土の方は空襲は頻繁だっただろう・・・ってか満州国ってソ連侵攻まで空襲はあったのかな・・・?
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重たい気持ちのまま「九・一八」歴史博物館を後にした。しかし、遠路遥々見学しに来た事を後悔はしていない。
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館内は撮影OKなので、出来る限り写真を撮っていたが、SDカードの容量が無くなってしまった・・・。
そこで、瀋陽に(中国に)唯一あるというヤマダ電機瀋陽店に買いに行く事にした。
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とりあず瀋陽北駅まで戻る。
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▲ここから1元の範囲だったがバスに乗ってヤマダ電機ある場所に向かった。
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一時期は中国に数店舗展開していた様だが、次々と撤退し、現在は瀋陽店のみとの事だ。
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店内は閑散としていた。DSCN0143_convert_20170519084335.jpg
本当は直ぐにでも撤退したいらしいが、瀋陽店は直ぐ撤退出来ない訳があるらしい・・・。
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社名が「パナソニック」に変更になってかなり経っているが、中国語では松下電器のままなのか・・・。
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従業員もとても暇そうだ。
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中国に限らず、どこもネットで購入してしまう時代・・・大がかりな取り付け工事が無ければ安いネットに客は流れる。
お目当てのSDカードは在庫処分の格安4GBを2枚買ってお店を後にした。
以上、中国東北部(旧満州)旅行、その2「瀋陽旅行記」を終わりとします。
次回は、その3「長春(旧新京)旅行記」をお届けします。

※「九・一八」博物館見学をご希望の方はご連絡下さい。中国では現地で中国語を話せないと厳しい面が多々あります。
 信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。
 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

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 2017_05_16




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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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