哈爾浜③

Category: 中国東北部   Tags: 731部隊  

哈爾浜②からの続き。
「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見終えて陳列館の外に出ると、旧731部隊本部跡の広い敷地内に出る。
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731部隊本部の建物が見えた。
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▲電動カートが並んでいる。敷地面積が広いので利用する人もいるのだろう。私は歩いて見て回った。
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▲赤印が現在地だ。
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▲反対側は当時南門だった方向。新しい陳列館が出来る前はここが入口だった様だ。
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▼▲現存する当時の南門衛兵所
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新しい陳列館が出来る前は、この南門衛兵所で、外国人のパスポートチェックや売店に利用されていたとの事。
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731部隊は独自の防衛施設を備え、周囲は長さ5km、高さ2.5m、幅1mの土壁で囲まれていた。壁の上には高電圧フェ
ンスが張り巡らされ、壁の外には壕が掘られ、土壁に沿って5つの衛兵所が設置されていた。
この南門衛兵所は日本人が本部大楼などに出入りする為に利用された通路で、現存する唯一の衛兵所。
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▼中に入る事も出来る。
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南門衛兵所の本来の位置はもう少し手前で、戦後奥に移設されているそうだ。
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さぁ、部隊本部を見学に行こう。
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部隊本部の建物は戦後、撤退の際に吹き飛ばされた屋根を修復し、学校として利用されていたそうだ。
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敷地内に新しい学校が完成し、子供達が新しい校舎で元気に学んでいた。
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731部隊本部が近づいてきた。赤煉瓦などは新しい物で修復されているのだろう、かなり綺麗な印象だ。
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保存に対する中国の気合を感じる修復だ・・・。
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昭和13年竣工の本部建屋には部隊長事務所、侍衛官室、診療部、標本陳列室、憲兵室などが設置されていた。
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▼正面玄関から東側棟を見る。
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▼正面玄関から西側棟を見る。
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731部隊本部大楼正面入り口には警備員らしき人が立っていた。
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早速、中に入っていく。
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2階へ通じる階段が正面に見えるが順路ではなさそうだ。
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731部隊本部建屋の見取り図だ。
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▲敷地地図
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1階部分を玄関より左右撮影。
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色々な部屋がある様だが、個別に見学する事はしなかった。
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▲この様に各部屋の入口には説明版があるのだが、何故かほとんどの入口に鍵がかかっていたからだ・・・。
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▲1階部分を東へどんどん進んでいく。
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▲突き当り手前で振り返って撮影。
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▲突き当り。
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▲突き当りの部屋は「人事課」となっていた。
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▲2階へ通じるこの細い階段は、石井部隊長の部屋に通じる部隊長専用階段だったそうだ。
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▲その階段を登り切るとご覧の通り。石井四郎陸軍軍医中将の使用していた部屋だ。
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豪華と言えば豪華だが、幹部の部屋としてはどこも同じかな?という印象だ。
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ただ、本土と違うのはやはり広さだろう。広い満州では建物・間取りが全てにおいて大きい。
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「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」で見たジオラマは此処を再現しているのであろう。
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ここで石井中将は、自分の天下が未来永劫続くと思っていたのだろうか・・・。
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現在は逆にその部屋が負の遺産として未来永劫保存されてしまった。
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部隊長以外は正面玄関の階段を使って2階へ行き、廊下の突き当りの石井部隊長の部屋を訪ねるという設計だ。
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多くの人が部隊長を訪ねて来たのだろう。待合場(接待室)が設けられている。
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▲「接待室」の隣は「副官室」
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中央階段に向かって2階部分を更に進む。
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中央階段が見えた。
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▲▼中央階段からの外の眺め。
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1階に降り、731部隊本部を後にした。
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▼正面に見える黒い建物が先程見学した「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」だ。
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▼南門衛兵所の方を振り返って撮影。
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▼見えている2階の一番手前が部隊長の部屋だ・・・。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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本部建屋と繋がっている平屋の建物は武器庫だったらしい。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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中国語オンリーで良く解らない・・・。
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▼途中から黒い鉄骨に変わっている部分から先がロ号棟だった敷地。徹底的に破壊し尽されて痕跡が残るのみ。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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▼少し疲れたのでベンチで休憩する事にした。
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▲目の前の鉄骨は、ロ号棟跡地を屋根で覆う為に作られた雨除けだ。
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▲ベンチで休憩していると、1人の中国人男性が話しかけてきた。名前は周(シュウ)さんというお名前だそうだ。
 ほとんど話せない日本語を使い、一生懸命話をしてくる姿に感心し、「案内したい」との誘いをお受けした。
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周さんと一緒にロ号棟跡を見学する。
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雨でも雪でも見学出来る様に屋根が設けられ、まるで古代遺跡の様なロ号棟の基礎が保存されている・・・。
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▲「爆破地点」と書いてある。最初は建物の外から高射砲などで破壊を試みたそうだが、びくともせず、建物内で通常
のダイナマイトを爆破。それでもヒビが入る程度だったのでトラックで大量の500キロ爆弾を運び込み、それでやっと
破壊して証拠隠滅が行われたという。
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▼特設監獄7棟跡(7号牢獄)
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資料の通り赤煉瓦作りだった様だ・・・。
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▼特設監獄8棟跡(8号牢獄)
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ここに多くの囚人が監禁されていた・・・。
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▼ここにもロ号棟の模型が置いてあった。
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▼本部建屋と繋がっていた部分だ。
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▼ロ号棟跡から本部建屋をみる。
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周さんの案内で次へと移動する。
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▼周さんはマスクを欠かさない。綺麗になってきたと言っても中国の空気は良くはない。喉はイガイガのままだ。
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気が重い見学で、私が無口で居ると「70年前気にしない」と、宥める様に何度も声をかけてくれたのが印象的だった。
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▼▲本部建屋をさっきとは反対側から見る。
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▼周さんが「731ふたいある731ふたいある!こっちこっち」と、沈み気味の私を端の場所に連れっていってくれた。
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これには驚いた。731部隊が所有していたであろう旧日本軍の兵器が無造作に放置されていた・・・。
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トラックで牽引するタイプの機関銃?高射砲?だろうか・・・旧日本陸軍のこの兵器は初めて見た。
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▼▲「どうぞどうぞ」と座る様に言ってくるので座席に座ると、機関銃の角度も回転テーブル?もスムーズに動いた!
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「関東軍防疫給水部本部」と言っても軍隊だからね・・・空襲は無かっただろうから使って無いと思うけど。
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しかし、空からの備えとしては貧弱に思ったが、当時はもっと数があっただろうし、据え付け型もあったのだろう。
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▼「こっちこっち!」と周さんが呼ぶので行ってみると、何ともう1台あった!
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こちらはサスペンション部分が崩壊していた。
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しかし砲塔はしっかり残っている。「流石日本製!」と言いたいけど此処では言わなかった。
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▼名盤は残ってないかと必死に探したがそれらしい物は写真の物だけだった。僅かに漢字と数字が読み取れた。
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旧日本軍の兵器に触れて少し気が晴れた所で、また周さんと一緒に次の見学場所へ移動した。
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周さん有難う。
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▲次に見学したのは結核実験を行っていたと言う二木班の建物で、昭和60年に一部復元されたもの。
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病理試験室だった二木班の建物は昭和14年に建てられたが、こちらも部隊撤退の際、他の施設と同じく爆破された。
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当時は地下室も備えた実験施設として機能していたという。
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二木班の班長は二木秀雄。731部隊第一部第十一課(結核研究班)班長。
第731部隊慰霊碑である「精魂塔」(東京都にある多磨霊園内に昭和31年11月建立)の建立に尽力した人でもある。
実験材料にされた中国人・ロシア人もさることながら、731部隊員も約300名近い犠牲者が出ており、全ての犠牲者を
供養する意味もあるという。「懇心平等万霊供養塔」とも言う。
しかし、戦後、占領国であるアメリカとの取引により、裁判にかけられることもなく、存在自体が闇に葬られ、731部
隊第二部隊長だった北野政次、そして防疫研究室を取り仕切り、731部隊を国内で支えた内藤良一、そして二木秀雄の
3人は、共同事業の形で日本初の血液銀行を設立。
朝鮮戦争の際、米軍がその血液を大量に購入してくれるので当たり前のように事業は大成功。
後に「ミドリ十字」と命名された有名な会社である。 高度経済成長の中、ミドリ十字は日本有数の製薬会社に成長し、
昭和53年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。 この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集
めてミドリ十字に送ったのである。これが結果的に、薬害エイズ問題へと発展していった経緯がある。
旧日本陸軍731部隊隊員は、終戦後、米国との取引により活動時の内容を公開しない事となっているので、軍籍時の階
級等を示す形での墓石は存在しない。 戦犯を免責されたこれらの軍医達は、石井部隊長の命令を守って、部隊で行った
「人体実験」の事を絶対に口外しないことを誓って全国の大学や研究所などに散っていった。 その後彼等が年に1度集
まる親睦会「精魂会」の名簿は、副知事・大学学長・大学教授・病院長・研究所長・研究教授等の肩書きが並ぶ。
いずれも731部隊で中心的役割を果たしていた人物ばかりだ。この方達がいかに戦後、日本の医学会で影響力の大きい
地位を得ているかが想像出来る。
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平和な現在の結核実験施設跡周辺にはアヒルが元気に遊んでいた。
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次の見学に向かう。
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▲ロ号棟跡と次の見学地との間には、731部隊跡地敷地内の真ん中になんとマンションが建っている(写真左側)
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▲マンションをかわすような道を通って次の見学地へ。広い中国、あえて此処に住まなくてもいいのにな・・・。
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▲当時の遺構と思われる赤煉瓦塀
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▼簡単な門を通って敷地内に入る。
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▼凍傷実験(凍傷研究)の建物が・・・。
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▼吉村班(吉村寿人班長)の冷凍実験室。何とも不気味な建物だ・・・。
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元がどの様な施設だったか見当もつかない位に朽ち果てている・・・当時の写真等の資料も無いのでわからない。
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しかし、ここまで残っているという事は、此処は破壊途中で帰国したのか・・・。
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▼裏側にまわってみる。ガレージの様になっている・・・。
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▼早速ガレージの入口へ。
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▼入口横にも防空壕の様なコンクリートの遺構。今は掃除道具入れかな?
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中に入る・・・。
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凍傷実験施設だったという先入観からかもしれないが、寒気がした・・・。
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振り返って入口を撮影。
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いくら給料の高い731部隊と言えど、此処で働いていた隊員はさぞかし嫌だっただろう・・・。
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天井が普通の構造とは違う・・・冷凍室だから?誰よりも一番嫌だったのはマルタと呼ばれた囚人達だろう・・・。
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こんな不気味な戦争遺跡は初めてだ。丸型にくり貫かれた部分が異様な雰囲気をかもし出している・・・。
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凍傷実験施設を後にして次へと向かう。赤煉瓦塀が一帯に残る。
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▲「鼠飼育小屋」が見えた。動物実験の為に大量の鼠を飼育していたところだ・・・。
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▲防空壕かと思ったが、地下でも実験用の動物を飼っていたのか・・・。
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扉には鍵がかかっており、周さんに尋ねると、公開していないとの事。
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「鼠飼育小屋」へ向かう。
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振り返って撮影。
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「鼠飼育小屋」は入る事が出来る。
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何度もベニア板を張り替えているとは思うが、よく70年以上も建っているものだ。
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本当に戦争は色んな事をするもんだと改めて思う。「勝つ為に」結局、安くて楽に人を殺せる方法に流れてしまう。
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ある意味これも「戦跡」である・・・。
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▲「鼠飼育小屋」を出て、マンションの方向を見ると、何やら慰霊碑の様なものがある・・・。
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何だこれは・・・?
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「謝罪と不戦平和の誓い」と書かれている・・・日本政府が建てた物では無さそうだ。でも日本語だ・・・。
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「日本ABC企画委員会一同」って何だ??2010年8月15日ってまだ新しい・・・元部隊員が建てた物でもなさそうだ。
敗戦後、米国との取引により活動時の内容を公開しない事となってから既に50年以上。アメリカ国家機密情報は50年
後公開されるというのを聞いた事がある。当然影響力の高い情報は滅多な事では公開されないと思うが、大量の人体実
験の資料が出回っている事からすると、アメリカ国立公文書記録管理局で50年後に公開された可能性が高い。
日本政府は、敗戦直前に生体実験の資料が焼却された事を理由に、どんな実験をしていたのかや、被害の実態を明らか
にはしていない。事実上はアメリカの傘の下で現在も「認めていない」立場のはずだが、いつまでも難しいだろう。
中華民国の国民党と中華人民共和国の共産党の争いの中で共産党が勝利したのは周知の事実。
日中共同声明は昭和24年(1949年)建国の中華人民共和国と交わされた中国と日本の約束が色々盛り込まれているが、
中華民国の国民党は日本に賠償を求めていた。しかしアメリカの強烈な圧力で賠償を諦めた。なので今の中華人民共和
国が昔を蒸し返して賠償を請求する様な器の小さい国では無いと思うし、「許すけど忘れない」と言ってくれている。
なので、日本政府は731部隊の事を今後どの様に日本国民に説明するのかにかかっていると思う。
世界の人達は知っているけど日本人は知らないというのは非常におかしな事で、それが色々な戦史で捏造を増殖させる
原因の1つになっていないだろうか。日本は戦後自由にものが言える国になったからといって、こんな重要な石碑を日
本政府の立場抜きに建ててしまうのも如何なものか?とも思った。でも、こうでもしないと前に進まないのか・・・。
 2014年2月完成の京都大学医学部資料館(京都市左京区)で、戦時中に同大学の医師が関与して細菌兵器を開発してい
た731部隊を説明する展示パネルが、直ぐに撤去された事もあった。ヤフーNEWSでも直ぐ消えた事を覚えている。
資料館は明治35年に建てられた医学部系統解剖講義室(旧解剖学講堂)で、京都大学歴史的建造物に指定されている。
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あからさまに頭を下げたりはしなかったが、石碑の前で目を閉じ、黙って犠牲者の冥福を祈った。
(※目を開けると、目の前のマンションの部屋から住民が何人かこちらを見学していた・・・。)
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周さんが「70年前気にしない」と、また言ってくれていた。優しい人だ・・・周さんと一緒に次の見学に向かった。
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731部隊専用の満鉄線の引き込み線路が今も残っている。
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▲上記2枚の写真は北向に撮影。
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ロ号棟などの主要施設を破壊した後、昭和20年8月11日~15日にかけて731部隊員やその家族は、ここから満鉄特別
貨車の約40両連結に乗って南下。安東を抜けて8月18日~8月25日、朝鮮(釜山)から船で舞鶴・島根・山口・長崎(佐
世保)などの本土の港に大量の資料や物資と共に帰還している。
昭和20年9月25日に石井四郎部隊長も帰国。アメリカと取引後の昭和26年に朝鮮戦争の前線に向かう。
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▲写真の南方向(朝鮮)へ撤退。当時関東軍のほとんどが南方戦線へ送られ、満州は放棄されたに等しい状態だった。
「沖縄戦」で紹介している第9師団(沖縄米軍上陸前に台湾へ移動)や第24師団は北満州からの移動。
北支那からは、独立混成第44旅団・山西省から第62師団などが沖縄に送られていた。
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▲線路からは巨大なボイラー室跡の遺構が見える。
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731部隊本部ボイラー室跡。観光案内等の写真に必ず掲載されている遺構だ・・・これか・・・ついに来てしまった。
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このボイラー室から731部隊施設全体に給湯され、セントラルヒーティングの設備が整っていた。
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▼何やら鉄骨が組まれている様だ。ひょっとして復元するつもりなのだろうか・・・!?
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ここで多くの資料が焼却された為、撤退の際に爆破され、3本あった中で2本の煙突のみがかろうじて残っている。
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原爆ドームの様に各所の補強は見られなかった。よくこの状態で70年以上も立っているものだ・・・。
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▼当時は3本の煙突が聳え立っていた事が古写真で確認出来る。
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▲▼この赤煉瓦であったであろう小屋も、周さんの話では731部隊本部当時の建物だそうだ。
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ボイラー室跡をぐるり一周して見てまわった。
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次は毒ガス実験室に向かった。
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ここも中に入る事が出来、2階部分に案内された。周辺が工事中だったが、周さんが特別に入れてくれた様だ。
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2階から見学していく。
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中央に小部屋があり、左右それぞれに大きな部屋が設けられている。
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▲入って右側の部屋。セントラルヒーティングの設備が残っている。
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▲入って左側の部屋。ここが毒ガス研究施設だった事を伺わせる物は何も残っていない。
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▲続いて1階の入口。扉が閉まっていたが、鍵がかかって無かったので開けてみた。
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工事現場の人達の物だろうか・・・物置きと化していた。此処は入ってはいけなかったのかもしれない。
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周さんが居なかったら、恐らく入る事は出来なかったであろう。
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セントラルヒーティングの設備は当時のままの様な気がした。
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1階の方が何か生々しい・・・実験施設だった匂いがプンプンする・・・。
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何か普通の部屋では無かった様な匂いがプンプンする・・・こんな間取りは珍しい。
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一通り見学して毒ガス実験室を出た。
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▲私が出ると、周さんが直ぐに1階入口の鍵をかけた。何人かの中国人が周さんに「見せろ」的な言葉を発している。
 この時、周さんがボランティアガイドの様な、この施設の何らかの関係者である事を確信した。周さん有難う。
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毒ガス実験室の隣は、半地下の毒ガス貯蔵庫。
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ここが正規の入口の様だが中に入る事は出来ない。
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地下で繋がっているであろう大きなコンクリート製の貯蔵庫が見える。
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▼朽ち果てかけていた扉の中にカメラをねじ込んで中を撮影。赤煉瓦塀で仕切りがされ、しかも綺麗に残っている。
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これで全ての遺構を見学し終わった。周さんにお礼を言って731部隊本部跡を後にした。
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この「負の遺産」を見学しに来る日本人は年間40人程だと周さんが言っていた。納得の数字だ。
私も、今回の「祖父母の軌跡を辿る旅」で東北部に来ていなかったら、一生来る事は無かっただろう。
訪れたからと言ってこれまでの考え方が変わる訳では無い。ただ事実としてこの目に焼き付けて日本に帰るだけだ。
かなりの長編となってしまった731部隊跡だが、このブログを閲覧している方達には、「行った様な気分」になって頂
ければ幸いだ。何故なら、日本人がわざわざ哈爾浜に足を運んでまで見学する価値があるかどうか疑問に思うからだ。
恐らく此処まで731部隊跡を紹介しているブログは他に無いと思うので、行った気になって、現在の状況・中国が言わ
んとする事を、個々それぞれが自分の意見と照らし合わせながらじっくり閲覧して頂ければそれで十分だと思う。
もし、このブログを閲覧しても、どうしても現地で見学したいという方がおられるのであればご連絡下さい。
信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。(周さんではありません)
 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
以上、中国東北部(旧満州)旅行、その6「哈爾浜旅行記③」を終わりとします。
次回は、その7「丹東(旧安東)旅行記」をお届けします。



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 2017_06_14

哈爾浜②

Category: 中国東北部   Tags: 731部隊  

哈爾浜訪問のもう1つの目的、それは、731部隊本部跡を見学しに行く事。
祖父母の軌跡巡りで長春(旧新京)で終わりにしようかと思っていたが、各地戦跡巡りで曲がりなりにも戦史に多少詳し
くなっていたので、気が重い思いをするのは解っていたが、731部隊本部跡はどうしても見ておきたかった。
2015年8月15日に「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」という新館がオープンし、見学にあたって、外国人でもパス
ポートの提示義務が必要無くなったと聞いていたし、もっと前は外国人(日本人)は立ち入れなかったと聞いていた。
歴史問題で日本をけん制する為、戦後70年目の節目に「抗日戦争と反ファシズム戦争勝利70年」と位置付ける習近平
指導部の記念活動の一環でリニューアルオープンしたという。良いも悪いも、そのお陰で行く気になった。
以前の様な「パスポート提示義務」があれば、自分が悪い事をしていなくても何となく行く気にはならなかっただろう
当然、「日本人歓迎の街であるはずがない」という思いが頭を占拠してしまっていたからだ。
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▲731部隊本部跡は、中央大街のある観光地からはバスで約40分程かかる。少し距離があるのでバス代は2元。
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▲途中、かなりディープな場所を通ってようやく近くまで到着。
近代化といっても広い中国。まだまだ全土が近代化されて綺麗になった訳では無い。
写真を撮るのが失礼にあたるのではないか、と思う様な村なども沢山ある・・・(撮影はしていない)
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▲入口だ・・・此処は哈爾濱市平房区。当時も平房(へいぼう)と呼ばれていたらしい。
現在平房区は哈爾浜開発区になっており、辺り一帯は工場が多数並んでいる。開発区だから日本企業もあるはずだ。
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しかし、平日だというのに特に渋滞や大型トラックなどが行き交う様子は見られなかった・・・。
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▲何処かの工場の従業員の様だが、行軍しながら並んでこっちへ歩いて来たので本当にビックリした。
72年前の事で、もう何も無いのは解っているのだが、731部隊本部跡付近という事で思わず少し構えてしまった。
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しかし、何か寂しい様な感じがする哈爾浜開発区だ。旧日本軍(関東軍)の印象が頭から離れないからかもしれないが、
中国の景気減速は色々な場所で肌で感じる事が出来る。もう世界の工場だった時代は終わった・・・。
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居住区が見えてきた。グランドハイエースかな?と思ったが違う様だ(笑)上手く作ってある。
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見えた!これが「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」か・・・手前の車はトヨタ・ヤリスLセダン。恐らく今年発売に
なったばかりのトヨタが中国で販売している日本名「ヴィッツ」の中国専用モデルだ。当然日本では売っていない。
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とうとう来てしまった・・・ここは哈爾濱市平房区新疆大街(しんきょうたいがい)25号。731部隊本部があった所だ。
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入館は、液体・ライターは入口で捨てなければならない。それ以外は何もなかったし、入場料は無料。
敷地内見学も全て無料で、中国の余裕が感じられた。日本では原爆資料館も遊就館も、安いけど有料だった・・・。
流石に世界文化遺産登録を目指しているだけあって、言語が6ヵ国・・・読んで字の如し既に重たい雰囲気だ・・・。
世界文化遺産登録は個人的には辞めて欲しいと思うが、アウシュヴィッツも世界遺産リストに登録されている事だし、
仕方無いのか・・・「負の世界遺産」だな・・・。
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PART1から見学していく。しかし「九・一八」歴史博物館の様に館内の展示物説明書に日本語訳は無かった・・・。
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中国語と英語のみか・・・こりゃ大変だ・・・。リニューアル前は日本語訳もあったと聞いていたのだが・・・。
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・・・ま、その通りだろうな・・・731部隊(満州第七三一部隊)の正式名称は「関東軍防疫給水部本部」。
防疫や水の供給の研究を行っていた他、細菌戦に必要な生物兵器の研究・開発の為、現地での捕虜などに対して人体実
験も行っていたとされている機関だ。長春(旧新京)の第100部隊(関東軍軍馬防疫廠)も書いてある・・・。
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「九・一八」歴史博物館の様に館内の展示物説明書に日本語訳が無いので、説明書は撮影しなかった。
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話す事は出来ないが、漢字なのである程度は理解出来るのが中国語の良い所。英語だと満州の地名が全く解らない。
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▲南京中央病院にあった第1644部隊(栄一六四四部隊)南京でも細菌戦研究をしていたんだ・・・。
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▲広州市の中山医科大学にあった第8604部隊(波八六〇四部隊)。
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▲シンガポ-ルのエドワ-ド7世医科大学病院にあった第9420部隊(岡九四二〇部隊)シンガポ-ルって・・・。
防疫給水部(ぼうえききゅうすいぶ)は大日本帝国陸軍に置かれた、疫病対策を目的とした医務、ならびに浄水を代表
するライフライン確保を目的とした部隊で、自然に存在する病原体に対しての防疫活動の他、生物兵器に対する防護
としての防疫も任務であった。しかし各部隊は生物兵器や化学兵器の研究開発機関として細菌戦研究が主な役割だっ
たとされている。
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本物も複製もあるとの事だが、どちらにしても悲しい事実だな・・・結局、殺し合いは最後はこうなるんだね・・・。
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スパイの疑いをかけられたロシア人や、レジスタンスの八路軍兵士(中国人)や、その協力者の疑いをかけられた者は、
憲兵隊や特務機関に捕らえられ、多くの場合、拷問を受け、正式な裁判もないままに処刑されていた。
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▲康徳五年六月三十日か。康徳元年が昭和9年だから昭和13年か。よくこんな物が残っているもんだ・・・。
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▲東京の陸軍軍医学校防疫研究室か・・・ここから石井四郎を中心にして研究活動が始まったんだ・・・。
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陸軍軍医学校と共同作業だったというが、軍医には良心がある人も沢山居ただろうに・・・だって一応医者でしょ。
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細菌戦を実行する為に多くの中国人・ロシア人捕虜達が実験材料にされたとされている・・・。
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▲「遠藤日誌」この本がきっかけで多くの日本人が知るところとなった訳だ・・・。
遠藤三郎は元陸軍中将。明治37年8月1日~昭和59年9月9日まで一日も欠かさず生涯にわたり「日誌」を書き残した。
「極秘」のスタンプが押された軍事機密書類も数十点含まれる93冊は、埼玉県狭山市立博物館に寄託され、研究者の
みの閲覧が可能となっている。一般人は見る事が出来ない・・・。
戦後の昭和56年に『悪魔の飽食』という本が角川書店から出版されて反響を呼んだが、捏造写真が多数含まれている
として、昭和58年『新版悪魔の飽食』として再出版された。(著者 森村誠一)
帝銀事件などで731部隊の存在が噂される事はあったが、本著以降、国内で広く731部隊の存在が認識されるターニン
グポイントとなった。この作品を元にした混声合唱組曲(池辺晋一郎作曲)・劇も作られ、劇を元に中国で映画が制作
された「黒い太陽731」YouTube※映画は想像で描かれた部分が多数あり、全て事実では無いが大筋あっていると思う
南方戦跡の慰霊碑を見てきたが、何処も隊や政府や個人が個別に建ててバラバラ・・・結局、日本人の敵は日本人?
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▲川島 清は731部隊第四部細菌製造部長で、敗戦時、逃げ遅れてソ連の捕虜になった人だ。
そして、細菌戦に関わった12名の関係者が、ソ連のハバロフスクで裁判にかけられて証言した人物の事を言っている。
萩原英夫は元憲兵で、731部隊本部建築に携わった鈴木組の一員として本部の建設工事に加わった経緯がある。
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▼731部隊長 石井四郎軍医中将(何故か写真が逆だ・・・服のボタンのかけ方が逆になっている・・・)
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▼よく見かける写真はこちら。立派な陳列館なのに・・・このへんが中国と言ってしまえばそれまでだが・・・。
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人体実験や細菌兵器開発で有名な石井四郎軍医中将だが、防疫給水でも成果を挙げ、防疫給水部は衛生部隊として、日
本初となる感状授与の栄誉を受け、金鵄勲章と陸軍技術有功賞を受けた人だ。(防疫給水に関して自作自演の噂もある)
南方戦線の劣悪環境で戦死していった日本兵を想うと、石井部隊は南方戦線で防疫・給水任務で活躍してほしかった。
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昭和17年8月1~昭和20年3月1日までは石井四郎の後任として北野 政次陸軍軍医中将が第2代部隊長を務めている。
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「九・一八」歴史博物館に北野 政次軍医中将が当時使っていた椅子と机が展示されている。DSCN9991_convert_20170613103532.jpg
昭和20年4月~支那派遣軍(上海)第13軍軍医部長となる。8月、終戦に伴い上海で捕虜となり、刑務所に拘留される。
昭和21年1月9日捕虜を解放されて上海から千葉県へ帰国。
昭和34年日本ブラッドバンク取蹄役、東京プラント長に就任。10月、石井四郎の死去に伴い葬儀委員長を務める。
昭和61年死去。享年91歳。
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(「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」に話を戻します)
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資料が少ないと言われているが、結構沢山写真が残っているもんだ・・・。
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1938年(昭和13年)末頃、731部隊が満州国賓江省双城縣平房の地点に大工事の入札を行った。
松村組が落札し、本部の建設は1939年(昭和14年)に着手、翌年完成した。そして1940年(昭和15年)に部隊員が移動
して来ている。731部隊の施設は、新京(現在長春)にあった関東軍司令部が直接監督し、工務関係部署の念入りな設計
と、日本特殊工業・大林組他、軍の御用業者の手による施工で完成した。
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▲このフロアは、足元のガラスの下が巨大な731部隊本部を再現した模型ジオラマとなっている。
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▲後で見学する事になるが、①②は現存している。③は731部隊が爆破して帰国しているので跡しか残っていない。
③はロ号棟と呼ばれた生体実験を繰り返したとされる収容所。内側の2棟は7号牢獄と8号牢獄という特設監獄だった。
この写真は、全体の写真を撮っていると、中国人見学者が私に「ここが重要だ、ここを撮れ」と中国語で一生懸命話か
けてきた。一目見て私が日本人だと解ったのであろう・・・キツイ言い方では無かったが、中国語でも何となく言いた
い事は理解出来た・・・「解ってますよ。」と日本語で返事をすると、多少柔らかい表情になって去って行った。
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▲地図の緑の部分が「ロ号棟」特設監獄があった場所。爆破処分された為、現在は基礎部分の跡のみが残る。
 青い部分は、今見学している「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」がある場所だ。
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▲完成まもない頃の哈爾浜731部隊本部の空撮。写真右方向が北だ。下に飛行場格納庫が写っている。
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特設監獄の造りは非常に頑丈で、ソ連参戦の日、1945年8月9日に部隊は特設監獄の破壊を決定したが、通常のダイナ
マイトでは壊れなかった為、トラックで大量の500キロ爆弾を運び込み、それでやっと破壊して証拠隠滅が行われた。
これらの作業は、監獄の存在を秘密にしておく為、部隊敷地内の工兵隊にも頼まず、その存在を知っている部隊員だけ
に密かに行わせたという。
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憲兵隊や特務機関に捕らえられ「どのみち殺される」存在とされていた囚人達は、「どうせ死ぬのなら、お国の為に役
立って死ね」という論理により、人体実験や生体解剖による殺害が正当化されていたとされている。
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▼少年兵の様に見える。貧しい家庭が多かった内地の少年だろうか。甘い誘いと徴兵義務で極寒の地に来たのか・・・
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▲2月か・・・哈爾浜の2月は極寒だろう・・・4ヵ月位しか暖かい季節は無いから部隊員も大変だったであろう。
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▲▼女性が写っているのには驚いた。彼女達も当然人体実験の噂ぐらいは知っていただろう。
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※[ 証言 ]七三一石井部隊 今、初めて明かす女子隊員の記録 という本があるらしい。機会がれば読んでみたい。
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何でこんな物が哈爾浜の731部隊跡に沢山残っているんだろう。ソ連と戦わず逃げて帰ったのに・・持って帰れよ・・。
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あまりこういう勲章の様な物には興味が無いが、本物か?これ・・・。
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「どのみち殺される」者の利用は、強制収容所のユダヤ人・ロマの人々やポーランド人を実験に利用したナチスドイツ
と構造的に共通している。社会主義者や共産主義者に対する差別思想は、当時日本本土でも「アカ」とされた人々が拷
問や虐殺に遭った時代・・・「硫黄島からの手紙」の映画でも「アカ」という言葉は聞いた事がある。
それが外地(中国)の筋金入りの「アカ」に対しては、残虐に扱う事への抵抗が少なかったのかもしれない・・・。
特に捕らえられても毅然として拷問に屈しないソ連のスパイや八路軍兵士には、なおさら恐怖と憎悪の念を募らせたは
ずだ・・・今では考えられない思考回路になっていた日本人が多かったのも事実だ・・・。
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▼満州国には哈爾浜の本部を合わせて6ヵ所も支部があったという事か・・・。
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▼孫呉(そんご)支部(満州第673部隊)
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▼牡丹江(ぼたんこう)支部(満州第643部隊)
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▼林口(りんこう)支部(満州第162部隊)
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▼大連(だいれん)支部(満州第319部隊)大連にもあったんだ・・・施設はまだ残っているのかな・・・?
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あとは、海拉爾(ハイラル)支部(満州第543部隊)か・・・(写真撮り忘れ)
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やっと1階フロアを見学し終え、エスカレーターで2階へ上がってきた。
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「九・一八」歴史博物館も此処も、とにかく大きい。陳列館だけの広さはトヨタ博物館並みだ・・・遊就館の比で無い。
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▲PART3「人体実験」のフロアだ・・・。
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頭の良い医学者達がこの顕微鏡を使い、罪悪感を胸にしまい込んで日々一生懸命研究していたんだ・・・
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▼長春にあったと書いてある・・・新京にあった第100部隊の物か・・・。
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旧日本軍の医療品関係品は見た事が無かった。南方戦跡の博物館で程度の良い物はあまり見かけない・・・。
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アルミでしっかり作られている・・・医療関連品は兵器以上に丁寧な作りの様な気がした。
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マウスを使った実験の事か・・・。
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動物実験で留めておけば良かったが・・・とことんいってしまうんだろうな・・・結果が欲しくて。
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▼現存する「鼠飼育小屋」
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小屋の中もしっかり当時のまま残っている。動物実験に関しての建物は爆破処分されずに残った様だ。
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▼地図上の赤矢印の黒部分辺りに「鼠飼育小屋」は現存する(青部分が今居る「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」)
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▼このフロアは床が全面「鼠飼育小屋」になっている・・・凄い演出だ・・・。
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色々な道具が残っている・・・。
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▼現存する鼠飼育小屋の他にもこんなにあったんだ・・・広大な敷地だから恐らく沢山色々な施設があったのだろう。
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▼▲この古写真の施設は現存していない。
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田中班班長 田中英雄や動物飼養班班長 石井三男・ 植物菌研究だった八木沢班班長 八木沢行正が紹介されている
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石井四郎が戦犯免責と引き換えに米軍に渡した研究データ。この膨大な資料が引き伸ばされて展示されている。
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アメリカに引き渡されたデータは約80%と言われているが・・・言葉が無い・・・。
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TOP SECRETと書かれた全ての資料は旧日本軍石井部隊の研究結果だ・・・。
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敗戦を知った時、何故此処で自決出来なかったのか・・・戦地では大勢の日本兵や幹部が自決しているというのに。
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百歩譲ってこの人体実験が「お国の為」ならば、全て証拠隠滅して自決するのも「お国の為」ではないのか・・・。
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今こうやって哈爾浜の地で「日本の恥」が全世界の人に晒されている・・・嘘だと思いたいが、そうでもなさそうだ
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また目を覆いたくなるようなセットが作られている・・・。
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ロ号棟の中での解剖実験室のジオラマだ・・・。
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731部隊員の多くは戦後医学界に復帰しているが、この研究成果が現代の医療に生かされているとは思えない。
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いや、思いたくない・・・。
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岡本班班長 病理研究だった岡本耕造・石川太刀雄丸・(もう1人は読み方解らず)は解剖技師だったと書いてある。
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▲死体焼却炉のレンガの残骸か・・・古写真の半壊した焼却炉は現存しない。
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▲▼この写真は「九・一八」歴史博物館に展示してあった731部隊を紹介するジオラマ。
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▲▼「九・一八」歴史博物館に展示するよりここに展示した方がいいのではないだろうか・・・。
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(侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館に話を戻します)
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人体野外実験か・・・。当時731部隊本部から北西へ約260キロ離れた場所に、731部隊専用の特設野外実験場だった
「安達(アンダー)野外実験場」があったという。
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▲元731部隊航空班の隊員だった松本正一という人の証言記録映像が流れていた・・・。
松本正一さんは埼玉県出身、19歳で仙台の陸軍飛行学校入校、8ヵ月の訓練後、熊谷飛行学校で半年間戦闘機乗りの実
用訓練を受けたパイロットだ。731部隊航空班の軍属として着任、26歳で終戦を迎えるまでの7年間731部隊航空班の
パイロットとして働いた。給料は当時の20歳前後の若者の2倍だったという。
松本によると、満州の細菌戦部隊の中で航空機を持っていたのは731部隊だけだったという。
731部隊航空班が所有していたのは88式2型(2人乗り偵察爆撃機)・91式(1人乗り戦闘機)・94式偵察機・97式軽爆磯
輸送用に使われていた重爆機などのかなり旧式の低性能機だった。
▼赤矢印の部分が飛行場だったが現在は残っていない。(青い部分が今居る「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」)
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つまり、731部隊が細菌兵器の研究・開発の総元締めであったと同時に、実戦部隊であった事を物語っている。
航空機による細菌作戦の実験と実戦以外にも、航空班の仕事があった。それは本土からネズミを輸送する事だった。
埼玉県春日部市では、1万軒にも上る農家が副業としてネズミを飼育していた。
松本は「731部隊本部から重爆撃機を操縦して春日部へネズミをとりに行った。大きい箱には約300匹、小さい箱には
約200匹入り、1回で約3000匹を運び、731部隊他、南京・シンガポール・ジャワへも輸送した」と証言している。
特設実験場だった「安達実験場」の上空から捕虜達の上に腸チフス菌を詰めた陶器製爆弾(宇治式爆弾)を1度投下した
事があると証言している。勤務中に菌液が機内に充満する事故で、同期生の鈴木さんが亡くなったそうだ。
石井隊長専用機の操縦担当だった、航空班班長で細菌戦実戦パイロットの増田美保少佐が平房を離れられない時は、
松本が石井隊長を乗せて東京へ飛ぶ事があった。その時は立川の飛行場へ降りることが多かったという。
敗戦直前の731部隊施設の爆破隠蔽工作に携わった後、松本は飛行機で平壌へ。後、帰国したとの事。
※増田美保少佐(薬剤将校)は航空班々長。細菌戦部隊のパイロットで、石井部隊長の親戚。戦後防衛大学校教官。
※宇治式爆弾とは石井四郎が開発した陶器製爆弾の事で、ウジ弾と呼ばれていた。
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▼このフロアは野外実験場のジオラマだ・・・。
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十字架に捕虜(マルタと呼ばれていた)をくくりつけて空から細菌爆弾を投下したって事か・・・。
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色々残っている様だが、何に使った物なのか良く解らなかった・・・。
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▼▲731部隊航空班で開発したという菌液雨下装置の圧搾空気のボンベか・・・?
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「凍傷実験」か・・・吉村班の事だな。
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毎年酷寒(零下20度以下)の1年中で一番寒い月(11月・12月・1月・2月)に部隊内で行われていたとされる凍傷実験。
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この研究は、将来再び起こるであろう対ソ戦を目的として行われていたという。
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▲凍傷研究の責任者だった吉村寿人(よしむら ひさと)班長と、越 定男部隊員(運輸班)が紹介されている。
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吉村班長は、生理学者として師である正路倫之助(兵庫県立医科大学、後の神戸医科大学初代学長)より731部隊に赴任
するよう命じられ、凍傷研究に従事した。吉村の731部隊における研究について、かつての部下らによるハバロフスク
裁判での証言やイギリスの取材陣らが収集した証拠資料と証言資料では、人体実験での貴重な「研究」とされる。
戦後、731部隊の人体実験のデータと推定されるものを用いて日本生理学会に論文を多数発表する。
京都大学に戻り、正路倫之助が学長になった兵庫県立医科大学(現在の神戸大学医学部)に移動して研究を続け、その後
京都府立医科大学の教授となり、学長も務めた。
1978年(昭和53年)「環境適応学」の先駆的業績を果たした功績に勲三等旭日章が授与された。(ウィキペディアより)
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▲吉村班の冷凍実験室は朽ち果てながらも辛うじて現存していた(地図上4の茶色で囲っている部分)
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嫌々ながら送り込まれた吉村班長のような研究者にとっても、731部隊の研究施設は、研究費・設備・研究資材等、
どの点においても夢の様に贅沢な場所だった。731部隊は当時のお金で年間1千万円(現在の貨幣価値の約90億円)も
の莫大な経費を使っており、半分の500万円が研究事業費だった(残り半分の500万円は人件費)。
国家総動員体制が敷かれていた日本において石井部隊は、自分の研究テーマに制約なく研究に没頭できる「理想的」な
環境にあったという。石井部隊長は出身大学である京都大学医学部の教授達の協力を取り付けていた。
京大だけでなく、東京大学医学部・東京大学伝染病研究所・大阪大学・慶応義塾大学・東北大学・熊本医科大学・北海
道大学・金沢医科大学などの教授達を、陸軍軍医学校防疫研究室の「嘱託」にし、石井部隊長はこれらの教授達を通し
て優秀な弟子を石井部隊へ派遣してもらい、研究者を確保していた。
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▲軍馬もガスマスクをしている・・・生々しいジオラマだ・・・。
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▲毒ガス実験のジオラマか・・・ロシア人親子と書いてある・・・。
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▲右上の毒ガス貯蔵庫は現存している。
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毒ガス貯蔵庫を見学しながら「大久野島」を思い出していた・・・。
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▲大量の旧日本軍ガスマスクの展示
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千羽鶴が見えた・・・あえて写真は撮らなかったが、元隊員達が送った物なのか・・・。
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▲逮捕された者達はこのダッジ(Dodge)の特別トラックで哈爾浜駅から731部隊本部まで連れてこられた。
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元731部隊運輸班だった越 定男元隊員が証言している。戦後「日の丸は紅い泪に」という告白記を出した人だ・・・
昭和58年に本を出した後、相当な嫌がらせを受けたらしい・・・うぅ・・・難しい話だな・・・。
この特別トラック(4.5トン車)の荷台にはトイレも完備されていたと越 定男元隊員は証言している。
他、731部隊本部に隣接していた専用飛行場には、友軍機と言えども着陸を許されず、東京からの客は新京(現・長春)
の飛行場から平房までは汽車だった。しかし、視察に来た東条首相らの飛行機は専用飛行場に降りたのを見たという。
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しかし、本物かな・・・これ。朽ち果てて残されていた本物をレストアしたのだろうか・・・?
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旧日本軍の使ったダッジトラックのバンを初めて見た。不謹慎だがカッコいいと思った・・・これ欲しい・・・!
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日本最大と言われる石川県にある日本自動車博物館にも行った事があるが、流石にこれは無かったな・・・。
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▲参考画像。少し新しいが1947年式ダッジトラック(Dodge truck)。この荷台部分をバンに改造したのだろう。
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▲▼新京(現在の長春)にあった関東軍司令部と関東憲兵隊司令部が紹介されている。(今も建物は現存する)
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当時731部隊本部に連れてこられた囚人(捕虜)達は新京から連れて来られた人が多かったと言う。近いからか・・・。
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▲元731部隊員達の証言映像が流されている・・・下の黒電話は当時使われていた物か!?内地でも高級品のはず。
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「特設監獄」
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▲731部隊特別班の班長だった石井剛男班長は石井四郎部隊長の実兄。
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▼ロの字の内側にある2棟が7号牢獄と8号牢獄と呼ばれた特設監獄だった。
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▲当時のロ号棟を上空から撮影した物。終戦直前に跡形も無く爆破処分された。
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▲特設監獄の模型
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▲特設監獄の鍵か・・・。
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▲石井剛男班長の下で、特別班の囚人の健康診断をする部門に勤務していた石橋直方部隊員が紹介されていた。
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▲石橋直方 元部隊員がスケッチしたロ号棟と特設監獄7号牢獄と8号牢獄。
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「牡丹江事件」
1941年(昭和16年)敬蘭芝(けいらんし)さんが、夫の朱之盈(しゅしえい)さんと共に憲兵隊に捕まり、拷問の末に敬蘭芝
さんは釈放されたが、夫はそのまま「特移扱」となって731部隊に送られ、帰らぬ人となった。
「大連黒石礁事件」
1943年(昭和18年)王亦兵(おうえきへい)さんの父、王耀軒さんと叔父の王学年が憲兵隊に捕まり、拷問の末「特移扱」
となって731部隊に送られ、帰らぬ人となった。
などが紹介されている。
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昭和47年(1972年)田中角栄が命を懸けて訪中した際に「一切の賠償をお互いに求めない」という、対日賠償請求権の
放棄を約束してくれた周恩来首相。日中国交正常化が成された日中共同宣言を思い出した・・・。
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やっとPART3まで見終えた・・・しかしまだPART4もあるようだ・・・何という広さと量だ・・・。
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わぁ・・・風船爆弾だ・・・。
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▲細菌陶器爆弾の破片。日本にあった物と書いてある・・・。「大久野島」か・・・?
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▲▼細菌陶器爆弾だ・・・本物か?レプリカか?いや、本物っぽいな・・・。
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▲▼「九・一八」歴史博物館に展示してあった細菌陶器爆弾。こっちがレプリカだな・・・。
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▲「八八式炸弾延期引」と書いてる・・・何だろう?
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▲▼細菌陶器爆弾の図面か・・・。
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▲731部隊と直接関係あるのか無いのか「ふ号作戦」で使用された風船爆弾の紹介だ・・・。
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風船爆弾の爆弾も細菌爆弾だったからな・・・。実際1個アメリカに到達して被害を与えている事実がある。
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▲日本本土で風船爆弾を作る動員学徒の女学生の古写真。恐らく「大久野島」で撮影された写真だろう。
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▲川島 清軍医少将は731部隊第四部細菌製造部長で、ハバロフスク裁判にかけられて証言した1人だ。
 太田 澄は南京の第1644部隊(栄一六四四部隊)3代目隊長で、731部隊第二部長。細菌戦を指揮したとされる。
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▲「田村良雄が哈爾浜で使い方を説明」と書いてある・・・元731部隊少年兵だった篠塚良雄元隊員の事だ・・・。
この方の経歴を書くと長くなるのでウイキペディアを参考にして頂きたい。通化事件(つうかじけん)など奥が深い。
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▲名盤には「アクメ乾熱滅菌器 株式会社島津製作所」と書かれている・・島津製作所って戦時中からあるんだ・・。
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在日本国内と書いているから、終戦後本土から没収された物だろう・・・。
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▼「PART5」どこまであるのか・・・。
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▼▲何のジオラマだこれ?「Submision of the letter written in blood」と書かれている・・・。
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「血で書かれた手紙の提出」??
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昭和14年のノモンハン事件の事だ・・・。
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またジオラマだ・・・738高地と書いてある。
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ノモンハン事件で石井部隊が細菌戦を行ったと書いてある。
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出動部隊の給水支援を行う事となり、石井式濾水機などを装備した防疫給水隊3個他を編成して現地へ派遣。
当時部長の石井大佐自身も現地へ赴いて指導にあたった。
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最前線での給水活動・衛生指導は、消化器系伝染病の発生率を低く抑えるなど大きな成果を上げたとされる。
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その功績により、第6軍配属防疫給水部は、第6軍司令官だった関東軍 荻洲立兵中将から衛生部隊としては日本初と
なる感状の授与を受け、石井大佐には金鵄勲章と陸軍技術有功賞が贈られた。
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空から細菌を撒いたんだ・・・。
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原爆もそうだけど、殺し合いは結局とことんまでいってしまうのね・・・はぁ~・・・(呆)
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▲陸軍一式双発輸送機か?ロ式輸送機?のエンジンをかけている・・・場所は哈爾浜731部隊本部か?
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▲(参考画像)陸軍一式輸送機
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▲元731部隊航空班だった松本正一元隊員。
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▲満州国は、ソ連参戦まで本土と比べ、比較的食糧事情は良かった様で、ふっくらした隊員もいる。
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▼「PART6」やっと最後の展示まで来た。
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昭和20年8月9日ソ連参戦で731部隊は特設監獄の破壊を決定。8月12日その存在を知っている部隊員だけで破壊工作
証拠隠滅が行われた。
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破壊されたロ号棟跡のジオラマだ。
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ロ号棟に監禁されていた囚人(マルタ)は昭和20年8月10日の朝食に毒を混ぜて殺害。それでも死ななかった者には容赦
なく機関銃が向けられ、全員殺害された。ロ号棟中庭に穴を掘り、死体はそこに埋められた。
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▼残された残骸などが無造作に展示されている。
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▼▲HIGH PRESSURE STEAM STERILIZATION TANKと書かれている。高圧蒸気滅菌タンクの残骸だ・・・。
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▼残された新聞の欠片だろう・・・高島屋のロゴが確認出来る。
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▲私はかなり時間をかけて見学していたので、見学者の合間を狙って撮影していたが、実際は、写真に写っている様な
状態で、かなりの見学者数だった。修学旅行と思われる学生団体にも遭遇し、涙ぐむ女性生徒も多く見かけた。
しかし、中国人は皆、展示に見入る事は少なく、素早くあっさり見学してる感じだった。
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施設を破壊した後、8月14日731部隊員やその家族は、敷地内の引き込み満鉄線特別貨車約40両連結に乗って南下。
8月24日に朝鮮(釜山)から船で島根・山口・長崎などの本土の港に大量の資料や物資と共に帰還している。
(大本営に証拠隠滅写真を提出する為、石井部隊長は大連で爆破後の写真(映像)を現像している。)
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▲731部隊長石井四郎とアメリカ占領軍との研究資料に関する取引の事を言っている・・・。
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▲「障子の向こうで密かに密約が交わされた」みたいな凝った演出で紹介されている。
古写真に写るのはアメリカ軍のマレー·サンダース陸軍中佐でアメリカ合衆国の細菌学者(軍医)。
昭和20年9月アメリカ太平洋陸軍総司令部(GHQ)の命でつくられた科学情報調査団(通称コンプトン調査団)の一員とし
て横浜に上陸。元軍医内藤良一や政治家亀井貫一郎を窓口に、関東軍防疫給水部本部(731部隊)の本格調査に入った。
紹介された関係者を尋問しても、みな実態についてほとんど何も知らないことに業を煮やし、内藤に対し「皆がもし真
実を語るならその秘密を守り戦争犯罪人として訴追しないことを約束する」と述べた。内藤はサンダースと交渉、サン
ダースは連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーに内藤らの戦犯免責を提言した。
後に人体実験の資料など研究成果の提供を交換条件として、731部隊関係者は戦争犯罪に問われないこととなった。
同年10月に日本での調査を終え帰国、11月1日付で調査報告書(「サンダース・レポート」)をアメリカ国防総省に提
出した。(ウイキペディアより)
※第1次・第2次のレポートは旧731部隊員が証言しなかった為、人体実験の事実が明るみになる事は無かった。
 昭和22年6月20日にペンタゴン宛に出された第3次レーポート(フェルレポート)で人体実験の証言が提出された。
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逃げ遅れた哈爾浜本部以外の支部隊員は昭和20年8月22日武装解除。
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遼寧省瀋陽市と山西省太原市の2カ所で「日本戦犯特別軍事法廷」が開かれた。最高で禁固20年の判決が出た。
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※ソ連のハバロフスク裁判の判決では、死刑判決は無く、最高刑は懲役(強制労働)25年。
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19名が紹介されているが、お名前がわかる範囲は以下の通り。
高橋隆篤 獣医中将。関東軍臨時病馬収容所所長、関東軍獣医部長などの職を務めた。
昭和24年ハバロフスク裁判で強制労働25年の刑に処せられる。昭和27年脳出血のためソ連で死去。

柄沢十三夫 軍医少佐。731部隊第4部細菌製造課課長。ハバロフスク裁判で強制労働20年の刑に処せられる。
昭和31年12月26日釈放帰国と知るも、約1ヶ月前に自決した。

山田乙三 大将。関東軍司令官を務め、8月9日ソ連参戦後、総司令部を新京から通化に撤退させ持久戦を図る。19日ジ
ャリコウヴォのワシレフスキー元帥(極東ソ連軍総司令官)との停戦交渉を開始。
その後、関東軍総参謀長秦彦三郎や総参謀副長松村知勝、作戦主任参謀草地貞吾らと共にソ連に抑留され、10年以上
経って日本へ帰国した。

梶塚隆二 軍医中将。陸軍省医務局衛生課長、関東軍軍医部長を務めた。731部隊を監督する立場にあったことから、
昭和24年、ハバロフスク裁判で強制労働25年の刑に処せられる。昭和31年に帰国。

川島清 軍医少将。1934東郷部隊、731部隊第4部長を務めた。ハバロフスク裁判で強制労働25年の刑に処せられる。
川島少将はハバロフスク裁判で「人類に対する日本の犯罪は、徹底的に暴露されるべきだ」と言っている。

平桜今作 獣医中尉。新京第100部隊研究員。細菌・毒物を製造。ハバロフスク裁判で強制労働10年の刑に処せられる。
ハバロフスク裁判で「細菌戦争の責任をもちながら被告席にいない天皇、石井四郎の厳罰を望む」と言っている。

三友一男 獣医軍曹。昭和19年9月まで新京第100部隊所属。昭和23年に逮補され、ハバロフスク軍事裁判で強制労働
15年の刑に処せられる。

齋藤美夫 少将。憲兵隊長春憲兵分隊長、華南日本派遣憲兵隊隊長、満州国陸軍少将、憲兵訓練処処長を歴任。
西俊英 軍医中佐。731部隊教育部長 兼 孫呉支部長を務め、ハバロフスク軍事裁判で強制労働18年の刑に処せられる。
榊原秀夫 林口支部長。満州駐屯第1師団歩兵第57連隊附軍医、関東軍防疫給水部林口支部長を務めた。
小林喜一 分隊長。奉天日本憲兵分隊長などの職を務め、昭和20年8月20日、瀋陽でソ連軍の捕虜となった。
西永彰治 分隊長。 延吉間島日本派遣憲兵長、開封憲兵分隊長などを務めた。
木村光明 分隊長。満州国勃利縣憲兵分隊隊長を務めた。
志村行雄 海拉爾(ハイラル)日本憲兵隊隊長。
堀口正雄 新京憲兵隊惇化憲兵分隊長と錦州憲兵隊中佐隊長を務めた。
上坪鉄一 憲兵隊中佐隊長。鶏寧・東安・四平で職を務めた。昭和20年8月24日ソ連軍によって拘留された。
蜂須賀重雄 旅順で警察を担当、昭和19年奉天鉄道警護上校団長に就任。昭和20年9月28日に逮捕された。
藤田茂 師団長。陸軍騎兵第28連隊大佐連隊長、第43軍第59師団師団長務め、昭和20年8月朝鮮咸興で捕虜となった。
原弘志 満洲国鉄道警護総隊総監部警備科長、鉄路警護軍少将参謀長を務め、昭和20年9月に捕虜となった。

この様に満州に取り残された者や山田乙三大将の様に戦おうとした者も含め、捕らえられた日本軍将兵は、敗戦後の外
地で中国やソ連の裁きを受ける事となる。石井部隊長を筆頭に本土へ逃げ帰った者達は、秘密は墓場まで持っていくべ
きではなかったのか?それが出来ないのであれば現地で自決するか、素直に捕らえられるべきではなかったのか・・・
「嘘つきは泥棒の始まり」と言われるが、満州を泥棒したのであれば、最後まで嘘はつき通すべきではなかったのか?
戦争を知らない世代で、当時を生きていない者が何も言う権利は無いとも思うが、結果この様にほぼ全てが明るみにな
ってしまっている以上、当時、中国に駐屯していた日本軍人の愛国精神を賛美しようと努力しても、所詮ただの人間に
過ぎないと思ってしまうのが悲しいところだ。何の為に多くの日本兵が死んでいったのかと思うと非常に心苦しい。
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戦後証言している元部隊員に何か言える立場でも無いし、証言した気持ちもわかる。
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しかし、どうしても「よく言った」とは思えない・・・。
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軍人も軍属も、軍隊という所は「生半可な気持ちで入る組織では無い」という教訓だろう。自衛隊も含めて・・・。
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この方達は兵役義務時代の人達なので、どこまで本気で軍隊に入ったかは定かでないし、責められる必要も無い。
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細菌戦の被害者のコーナーだ・・・空から投下したペスト菌に感染した現地住民の証言などが紹介されている・・・。
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中国語と英語のみ・・・もう読もうと努力する気力が無かった・・・。
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元隊員の謝罪文が大きく引き伸ばされて展示されている・・・もう何度も見たけどな・・・ちょっと諄い。
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被害者の方達の現在の写真だ・・・。
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日本の原爆資料館を見ている様だ・・・皆、足の症状ばかりだ・・・。
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もう70年以上前だからお年寄りばかりだ・・・日本でも同じだが、証言者がご存命のうちに・・・という事だろう。
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大日本帝国陸軍の化学戦研究機関であった関東軍化学部(満州第516部隊)では、かなりの数の化学兵器を扱っていた。
関東軍防疫給水部(731部隊)と共同で人体実験をしたとされている部隊でもある。
戦時中、大久野島などで大量に生産された化学兵器は中国大陸に持ち込まれ、使用されなかったものが、終戦に伴い、
遺棄された。戦後、中国の開発が進むにつれて、工事現場などから化学兵器が掘り出され、被害者が出る事故も起きて
きた。旧日本軍が遺棄した化学兵器を、中国側が危険を減らす為に人里離れた場所に移した物もあるという。
細菌兵器や化学兵器には数十年経っても毒性を失わない物も多い。
1990年、中国政府は日本政府に対し、遺棄化学兵器の処理を非公式に打診。日本政府は1991年から現地調査を進め、
1995年の化学兵器禁止条約批准の後には、同条約の規定に基づいて、残存する化学兵器の処理を進めた。
1997年の化学兵器禁止条約(CWC)で、日本にはこうした化学兵器を処理する義務が生じた。
遺棄化学兵器は、中国北部の黒龍江省から南部の広東省までの広範囲で、最大の埋設地、吉林省敦化(とんか)市ハルバ
嶺(れい)には、約30~40万発にのぼる旧日本軍の化学兵器が埋設されているものと推定されている。
1999年日中両国政府が覚え書きを交わし、旧日本軍が遺棄した化学兵器は、日本政府が条約に従って廃棄を行う事を
確認。その後、発掘調査や安全な処理技術の選定などを経て、2010年から、中国各地で比較的小規模な処理を開始。
条約では原則として10年以内に化学兵器を廃棄する事を求めていて、2007年が期日だったが、老朽化した遺棄化学兵
器の処理はこの期間ではできない為「2022年までの処理完了を目指して最善の努力をする」ということになり、国際
機関の承認を得て、今も内閣府の職員・自衛隊の方達による懸命な作業が続いている。
吉林省敦化市ハルバ嶺以外では2007年2月までに37000発が日本の事業で回収されている。
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という事で、やっと全ての展示資料を見終えた。
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順路には、まだ731部隊に関する資料が展示されている・・・もう終わったのでは?かなり諄い・・・。
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諄い展示物を見ながら順路を進んでいくと外に出れる。
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次は現存する731部隊施設、施設跡の実物だ・・・もうお腹一杯というところだが、最後まで見学して帰ろう。
以上、中国東北部(旧満州)旅行、その5「哈爾浜旅行記②」を終わりとします。
次回は、その6「哈爾浜旅行記③」をお届けします。



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 2017_06_03




プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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