大久野島(毒ガス兵器製造工場)

Category: 大久野島  

大久野島では1929年(昭和4年)から終戦まで、この島で密かに毒ガスの製造を行っていました。
正式な名称は、「東京第二陸軍造兵火工廠忠海兵器製造所」。
日本地図から消された昭和時代の毒ガス兵器工場跡を見てきました。
地図から消された島で~あばかれる毒ガス戦の真実~
初めて知った戦争「大久野島」「731」
旧日本軍・毒ガス戦の真実
731部隊のドキュメンタリー

島に近づいてまず目に入ってくるのは巨大な廃墟「発電所跡」です。
当時島は本島(広島)から海底ケーブルで電力の供給を受けていた。
と聞きましたが、この様な巨大な発電所も必要な程、電力を必要としていたのでしょう。
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▼上記案内板に書かれている「ふ号作戦」で使用された風船爆弾
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▼当時の発電所内の写真です。
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重油タンク倉庫跡
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発電所への入り口は施設を隠す意味で人工的に盛り土がされ、そこにトンネルがあります。
当時この島の施設は上空から解りにくくする為、迷彩色に塗られていました。
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▲トンネル入り口右側に黄色で[MAG2]と表記があります。これは
(magazine=連発銃の弾倉)の意味。朝鮮戦争時、米軍に接収されていたころの表示です。
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▲1990年この建物を取り壊そうという計画が持ち上がったが、大久野島に平和学習に訪れた
広島県府中市の中学生がこの話を聞き、保存のための署名活動をはじめ、これに刺激されて
署名活動は広がり、結果、国は、「修復はしないが、残しておく(自然風化に任せる)」という事
になり、現在に至っているそうです。


▼次は島で唯一見学出来る防空壕跡です。(幹部用?というのが気になります)
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次は「大久野島毒ガス資料館」AM 9時10分~16時(大人100円)です。
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館外側には毒ガス製造装置の一部が展示してあります、全て陶器だそうです。
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館内には貴重な資料が多く展示されています。
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次は「検査工室跡」です。この建物の横にはリメイクされた研究所跡もありますが中へは入れません。
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▼次は休暇村本館すぐ横にある「毒ガス貯蔵庫跡」です。
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現在はテニスコートになっている裏にも毒ガス貯蔵庫跡が残っています。
ここは半分埋められた様です。現在休暇村本館やテニスコートがある辺りは
毒ガス製造工場が立ち並んでいたそうです。
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次は毒ガス工場時代の「トイレ跡」です。現在すぐ横に今の公衆トイレが設置されています。
時代が変わっても、トイレの場所はトイレなんですね・・・。
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次はこの島で一番大きい毒ガス貯蔵庫のあった「長浦毒ガス貯蔵庫跡」です。
連合軍の命令で消毒の為火炎放射器で焼かれた跡が生々しく残っています。
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▼毒ガスタンク貯蔵庫の台座は「北部砲台跡」にも見る事が出来ます。
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▼見逃してしまいそうな場所(現在のビジターセンターの横)に「自動交換機室跡」があります
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▼海水浴場のすぐ前には「医務室跡」があります。何も見当たらないので見逃しがちですが、
表示看板から右奥に、当時の手洗い場の様な場所がひっそり残されています。
当時島で働いていた女性の方がここで入院されていた様子を語っておられます。
 初めて知った戦争「大久野島」
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▼次も海水浴場に程近い「大久野島神社」です。工場の稼動が始まると、爆発事故
や、毒ガス障害により多数の従業員の方が殉職されました。安全祈願の為に昭和8
年に建てられたそうです。殉職碑と慰霊碑の前で一礼させて頂きました。
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▼大久野神社前で記念撮影に収まる従業員(昭和6年安全祈願の週間行事)
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▼現在は荒れ果てていました・・・・。
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今回、芸予要塞時代と毒ガス兵器製造工場時代を2日間かけて見学した訳ですが、今もって核兵器や化学兵器
を保持している国が多くある事を忘れてはいけません。国際条約は守るべきルールです。しかしそのルールを
全世界の国々が守らないと意味が無いと思います。当時、日本だけが特別極悪だった訳では無いと思います。
そもそも「戦争」というもの自体が極悪なのです。一度戦争になれば殺し合いの世界にルールも何も無いと思
います。勝つか負けるか・生きるか死ぬかの時に、ルールなど考えるでしょうか?何より大事なのは、戦争を
起こさない対話の努力を諦めない事。政治家や軍は、現場の兵や民を一番に考える事です。
勝てない戦争を始めた日本の上層部にはとてつもない責任があると思いますが、敗戦国となって、全て勝戦
国の言う事が正しく正義とされている現代の日本において、言いたい事を言う前に、自国の歴史の事実をしっ
かり勉強して選挙や発言をしていこうと改めて思うと同時に、当時、日本だけが化学兵器を生産していたので
は無く、ヨーロッパ各国・アメリカでも大量の化学兵器が製造され、第2次世界大戦終結後、世界各地に海洋
投棄された事実を知らなければ何も見えてきません。

※戦後、米軍(進駐軍GHQ)によって毒ガスなどの化学毒兵器はドラム缶に詰められ上陸用舟艇等にのせられて
 船ごと日本近海に海中投棄されました。戦後60年以上が経った現在、海中投棄された化学兵器の海洋侵蝕が
 始まっています。国は神戸製鋼等に処理を依頼して対策を始めていますが、日本の海に投棄された化学兵器
 は世界中の海から見ればごく一部です。ヨーロッパ、アメリカなどの近海にも大量の化学兵器が投棄された
 ままになっており、全て合わせて100万トン以上とも言われています。しかしほとんどの国がその問題に対
 して真剣に取り組む姿勢を見せていません。バルト海は4万トンもの化学兵器が海中投棄されたままになっ
 ており、世界一危険な海と言われ、漁師が腐食した化学兵器を引き揚げてしまう被害が出始めています。


内閣府によると、中国東北部の吉林省敦化郊外のハルバ嶺には、旧日本軍が大久野島などで製造し、遺棄した
毒ガス弾が推定30万~40万発埋まっている。戦後の開発などで見つかり、住民が被害に遭うケースも相次ぐ。
これらの兵器の無害化のため、日本は現地に処理施設を建設。ようやく発掘、回収が始まっている。
日本が2000年に着手したこの事業は大幅に遅れている。2012年6月までに処理済みは南京での約3万6千発。
当初は「07年まで」だった処理期限を「22年まで」に先送りした。日本は2010年度末までに中国での回収、
処理に861億円を投じ、現在も進行中である・・・。

昭和初期の日本① 昭和初期の日本② 昭和初期の日本③ 昭和初期の日本④
昭和初期の日本⑤




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 2014_08_17

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今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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