トラック諸島


ミクロネシア連邦(チューク州)トラック諸島へ行ってきました。
現パラオ共和国と同じく日本の委任統治領でもあったこの場所は、南洋庁の支庁がおかれ、都洛(トラック)と呼ばれ
ていたそうです。国際連盟脱退後は連合艦隊の拠点が置かれ軍事要塞に姿を変えていったそうです。
(委任統治領になった時から軍事基地建設は始めていたそうです)
トラック諸島へは日本→グアム→チュークとなり、グアムでの乗り継ぎになります。
トラック大空襲での日本軍沈没船が多く沈んでいる事もあり、世界有数のダイビングスポットになっています。
私は戦跡メインで行きましたが、99%の人が沈没船ダイビング目的です。トラック諸島とはこの海域(トラック環礁)
の多くの島をまとめてミクロネシア連邦チューク州となっています。多くの島がありますが、チューク州の中で、日本
統治時代に要塞化された春島(モエン島)、夏島(デュブロン島)、竹島(エテン島)の3島を訪問しました。

※日本人として決して忘れてはならない事があります、それは2011年に起きた東日本大震災。
 他国に比べ金銭的には少なく感じますが、ミクロネシア連邦政府が10万ドル(約800万円)の義援金を送ってくれた
 事はあまり知られていません。アメリカ政府の援助と観光だけで成り立っている小国としては大きな金額です。
 その事に対する感謝の気持ちを日本人は忘れてはいけません。

TRUK WORLD WAR II
戦争証言アーカイブス

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▲ミクロネシア連邦チューク州の地図です(日本時代名)
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▲グアムで乗り継ぎ1時間半、トラック諸島(チューク諸島)が眼下に見えてきました。
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▲トラック空襲当時の米軍機から撮影。
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▲▼春島(モエン島)チューク国際空港に降り立ちます。当時日本海軍が作った春島第1飛行場が今も使われています。
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▲いよいよ入国です。ミクロネシア連邦政府の簡単な入国審査を受けます。
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▲当時の春島第1飛行場(現在もほぼ同じ形です)
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▲チューク国際空港から悪路を車でゆっくり30分、宿泊先のブルーラグンリゾートに到着です。
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▲ブルーラグンリゾート敷地入口付近には、いきなり日本海軍防空壕のお出迎え。
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▲地図は戦跡の歩き方からお借りしています
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▲トラック大空襲後8/26米軍機からの空撮。赤印の所が宿泊先のブルーラグンリゾートです、当時は「春島第2飛
行場(水上機基地)」でした。その為ブルーラグンリゾート敷地内には当時の防空壕やトーチカが多数残っています。
まずは春島(モエン島)から見ていきます。「黒い▲印は現在米軍上陸用輸送艇が乗り上げている場所です。」
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▲春島に残る米軍上陸用輸送艇は戦後ミクロネシア連邦が買い取って使用した後、元日本軍水上機基地の
▼昭和20年8月26日米軍機より撮影。
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▼スロープに乗り上げる形で放置されています。近くには米軍の物であろうブルドーザーも放置してあります。
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▼ブルーラグンリゾート敷地内に残る当時のトーチカや防空壕(春島第2飛行場跡)
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▼ブルーラグンリゾート敷地内にはダイバーショップや太平洋戦争博物館(10$)があります。
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▼チューク国際空港から程近い港町に戦後アメリカ軍進駐時代のカマボコ兵舎が残っています。
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▲終戦後捕虜になった日本兵も復員までここで生活していたそうです。
▼チューク国際空港から少し離れたトノッケン山に日本軍の砲台跡が残されています。当時3門あったそうです。
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▲砲台へ続く洞窟の入り口と、見える範囲のもう1つは蓋がされ現地人の家になっていました。
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▲砲座からトラック環礁を望む。右奥の平らな部分が春島第1飛行場(現チューク国際空港)です。
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▲現存する艦砲は日露戦争で活躍した戦艦[金剛]の副砲だそうで、戦後の極端な鉄不足の日本復興の為に多くの
兵器は日本に持ち帰られ、リサイクルされましたが、この艦砲はミクロネシア政府の願いで観光用に残された物
だそうです。(5$)

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▲春島北部の市街地に昭和55年に建てられた[慰霊碑]がありました。地元では実力者の日系モリ一族が土地を
提供し、「トラック戦没者慰霊碑建立委員会」が建てたそうで日本国が建てた物では無いという理由で厚生省は
来ないらしい・・・・・。(2$)
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▲慰霊碑の直ぐ後ろは海です、当時の日本軍作業船が沈みかけたまま放置されています。

▼日本統治時代のトラック諸島の地図です、当然日本名で島の名前がそれぞれつけられています。
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▼春島の次は日本時代最も栄えた街「夏島」へ当時の桟橋(補修した物)から上陸します。
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▼上陸地点は下記夏島地図の赤印の辺りです。(地図は戦跡の歩き方からお借りしています)
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▼チュークは1ヶ月程前に台風の直撃を受けて大変な被害に見舞われたそうです、その為大きな木が各所で倒れて
道を塞いでいたので歩きにくい場所も多々ありましたが、逆に台風前はジャングルの木で隠れていた景色や戦跡が
見やすくなった事もあり、地元の方には失礼ですが良かった部分も多くありました。
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▼桟橋を通ってジャングルに入っていくと海軍病院看護婦寮跡を通って海軍病院跡が見えてきます。湿気を
防ぐ為に高床式の木造建築物だったそうで、今は土台のコンクリート部分のみが当時を伝えています。
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▼海軍病院跡の門柱から階段を上った所から奥(病院本館跡)を撮影
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▼日本時代に建てられたキリスト教会です、空襲を免れて今も現役で使用されています。
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▼なんとトラック諸島(都洛諸島)には日本時代に鉄道を轢く計画があったそうです。当時日本から運ばれて
きた線路が今も若干数残されており、近代化された日本時代から逆戻りしつつあるトラック夏島で使われる
のを待っているかの様でした・・・・、日本は昔から海外に大投資してますね・・・・。
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▼道中はこんな感じです、台風の後とはいえ、日本時代の道はなんとか確保され歩けました。電柱が写って
いるのは、トラックは春島以外の島には電気が通っていません。ここ夏島にも戦後電気を通す計画があった
のですが地元民が電気代を払わず、結局「必要無い」との結論で電柱だけが取り残されています・・・・。
日本時代は各島に海底電線で電気が送られ、近代的なトラック諸島だったそうです。民族の違いは怖い・・。
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▼しばらく歩くと「赤城丸殉難之碑」がありました、赤城丸には日本に引き揚げる民間人が多数乗船しており1944年
2月17日04時30分、船団はトラック泊地を出航したが米軍の集中攻撃の日と重なり、北水道を通過するも、07時30分
遂に「赤城丸」にも爆弾が命中、10時頃までに次々と被弾し、航行不能となって沈没してしまったそうです。この時船
に乗船していた橋口家の方(現地春島で超有名なスーパー[シゲトストア]を経営する方の祖先)の死を痛み、昭和47年
(1972年)5月20日に建立された。当時夏島で橋口商店を経営していた橋口さんは戦後日本へ強制送還されたが、現地
人との間に出来たお子さんが島に残り日本に帰った父の援助を受け春島で始めたのが[シゲトストア]だそうです。
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▲特殊巡洋艦「赤城丸」日本郵船が所有し運航していた貨物船。太平洋戦争中は特設巡洋艦として運用された。

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▲しばらく歩くと海軍第四艦隊司令部跡が出てきます。門柱、給水タンク、司令長官の車を横付ける為のロータリー
▼など、コンクリート製の物と土台だけが当時を伝えています。奥には防空壕もある様でしたが台風の影響で道が
荒れていたので行く事が出来ませんでした・・・・。(2$)
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▲司令長官用個室跡とトイレ跡
▼司令部跡から少し高い丘に司令長官用防空壕が現存しています。そこから見下ろして見ました。平時には
司令長官(山本五十六含む)が食事の際には音楽が流れ、「今日は長官が司令部に居るな」と直ぐ解かった
そうです。1944年2月、右側に見えるトラック環礁外側からは米軍の艦砲射撃が凄かったと言います。
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▲▼秋島側を望む                     ▲司令部跡を見下ろす
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▼司令長官用防空壕
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▼司令長官用防空壕内部
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▼付近の地元民の民家。恐らく海軍第四艦隊司令部関連の建物跡のコンクリート基礎上に建てたと思われる。
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▼子供達は純粋そのものでなつっこく寄って来てくれる。
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▼付近の地元民の民家です、台風通過後1ヶ月が過ぎてもそのままの様です。何故?と聞くと、近々アメリカの
被害調査団が来るそうで、援助を受ける為にあえてそのままにしているそうです・・・・。
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元々簡素な造りという事もあるかもしれませんが、屋根ごと吹き飛ばされたのでしょう・・・。
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台風の威力は凄い・・・
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▼日本時代に持ち込まれた竹が今も残り地元の人が活用しています。隣の写真は民間人用防空壕
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▼しばらく道を下っていくと日本時代に遊郭が立ち並んで賑わった通りに出ます。
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▼当時の建物は残っていませんが土台のコンクリートが残り、その上には現地人の家が建てられています
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▼遊郭街を抜けるとかつて兵隊さん達が「ちょんちょん橋」と呼んだ日本軍陸橋を渡ります。
旧日本陸軍は「突撃一番」、旧日本海軍は「ゴムかぶと/サック」が軍から兵士には希望するだけの数が支給され、必ず
性病予防薬「星秘膏」を併用する事を厳しく義務づけられたといいます。「ちょんちょん橋」を遊郭街に向かって、楽し
みに渡っていった若い兵隊さん達の顔を想像してしまいました・・・明日死ぬかもしれない戦争中ですからね・・・・、
楽しみにするのも無理ないと思いました。平和な現代でも楽しみなのに。・・??
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※「ちょんちょん」とは当時海軍の隠語でSEXを意味します、当時夏島だげで遊女は800人以上居たそうです。
港に上陸した兵隊さん達は、街で遊んだあと、この陸橋を渡り遊郭に繰り出した。この橋を渡れば、目の前は遊郭街です
そしてこの橋を「ちょんちょん橋」と呼ぶようになったといいます。今もその名が伝えられ、アメリカのガイドブックに
もそのまま[CHONCHONBASHI]と記されているそうです。
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▲陸橋中央あたりは橋状になっており、下は海でボートなどが通過出来る程のアーチ状になってます。
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▲トラック諸島で亡くなった沖縄出身の漁師に捧げられた記念碑(ブレイク大将が夏島視察の際1945年10月4日撮影)

▼ここまでの地図は下記の通りです(地図は戦跡の歩き方からお借りしています)
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▼陸橋中央アーチ部分から海を見下ろす。       ▼渡りきって振り返り等間隔に植えられたというヤシの木が右手
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▼支庁桟橋から夏島へ再度上陸します。当時は全ての島にちゃんと周回道路があった様ですが、
日本人が去って年月が経つとジャングルに戻っていったとの事です。夏島では走っている車はみかけませんでした。
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▼当時の都洛運動場の横に今も現役で役場として使用されている日本統治時代当時の公学校があります。
 空襲にも耐えた学校でしたが、この度の台風で木が屋根を突き破った様で、まだ修理されずそのままです・・・。
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▼上陸地点は赤印の部分(支庁桟橋跡)です。
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▼上陸すると目の前は教会です(日本時代とは関係無建物)チュークの人達はほとんどはキリスト教信者です。
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▼トラック病院跡も見ました。というのは、戦跡のほとんどは地元現地人の敷地内にあります。チューク州はほぼ全て
と言っていいほど島の土地の所有者が個人です。その為、遺構を見学するには数ドルの見学料をその場で地主に支払わ
なければなりません。2$~5$までが一般的(5$は高い方)なのですが、トラック病院の遺構を見学すると、高額な
見学料を請求されるそうで、道端から見学しながら歩く程度では請求されないとの事で頭の中の記憶には残っています
が写真を撮る事はしませんでした。地主が若い世代に変わり、そういった場所は増えつつあるそうです。
写真は戦跡の歩き方からお借りしています。
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▼トラック病院周辺は日本時代に栄えた場所です、小学校跡や神社跡、遊郭跡や橋口商店跡などを見る事ができます。
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▲小学校跡
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▲神社跡(大)と民間人用防空壕跡
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▲民間人防空壕跡と神社跡(小)
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▲橋口商店跡と高級遊郭跡[根岸屋騒動]下士官と遊女がかなわぬ恋に落ち、ダイナマイトで心中したとされる場所。
 この他、第四艦隊司令長官「井上成美」の要請で開設された、神奈川県横須賀にあった海軍軍人相手の海軍料亭
 「小松」の支店などもあった。
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▲日本時代のかなり大きな鋼鉄の部品が放置されていたが何に使ったのかは不明

▼再びボートに乗り、「検潮所(潮汐観測所)跡」を見ながら1万トン桟橋を目指します、途中朽ち果てた「海軍給水桟橋跡」が見えました、劣化が激しく近づけないとの事で見学は断念しましたが、夏島にはかつて海軍が建設した(主に艦船給
水用)ダムが現存しているそうですが山の奥地という事とジャングルに還りつつあり、どうなっているかは不明との事で行
けませんでした。[雨水を貯めて浄化して給水する]そんな今では当たり前の事が現在のトラックでは出来ていない事と、こ
ういう話を聞くと、映画やテレビで見る戦争とは違って、「戦争は土木工事から」という別の一面を実感することが出来ま
した。「軍のダム」と聞くとあまりピンときませんが、多くの土木建築業者が内地から派遣されて建設されたのだろうと思
いました。知人の親父さんは戦時中、竹中工務店の技術者としてトラック島軍関連施設建設の為、内地から豪華客船で派遣
され、現場で活躍されたそうです。内地へ帰る時は粗末な軍用船だったそうです。
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▲日本統治時代、この検潮所で測定された平均海面がトラック諸島の海抜標高の基準となっていたそうで、現在もアメ
 リカで発行されているチューク諸島の海図は、昭和19年に日本海軍が測定した数値が基となっているそうです
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▲夏島南東の岸壁に「海軍監視所跡」が見えました。
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▲1万トン桟橋が見えてきました、日本のODAで建てられて1度も使われる事無く朽ち果てた冷凍庫の近くから上陸しよ
うとしましたが、また地元民(この場所の地主でも無いのに居座っている)に上陸料を取られるとの事で1万トン重油タ
ンク正面から上陸しました。(満潮と小さなボートだったという幸運が重なり上陸出来ました)
▼赤印の場所から上陸しました。
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▲大空襲で破壊された1万トン重油タンクがちらっと見えます。(4基あったはずです)
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▲不明な鋼鉄物が鎮座する海岸から上陸します、上陸後、上陸地点を振り返って撮影。
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▲破壊された1万t重油タンク(仮名称1号基)空襲時1号基は重油がほとんど入っていなかったそうです。(2$)
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▼連合艦隊もこのタンクに入っていた重油を給油した事もあるでしょう。
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▼あまりにも大き過ぎてカメラに収めるのが大変でした。
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▼2号基/3号基は空襲時、燃料満タンだったそうで爆発後1週間以上燃え続けたそうです。(4号基は未確認)
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▼鋼鉄のタンク隔壁が飴の様に溶け落ちて変形しています。
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▼凄まじい火災だった事が伺え知れます・・・。
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▼トラック大空襲時の米軍機からの空撮です。1万t重油タンクが4基写っています。
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▼ボートに乗って[夏島水上機基地桟橋跡]から再々上陸です。
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▼赤印の場所から上陸しました。
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▼当時の[夏島水上機基地]の空撮
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[夏島水上機基地]は山本五十六死出の場所として有名です、前線視察の為ここを飛び立った山本五十六はラバウル航空基
地を視察後、更に前線基地のブーゲンビル島、ショートランド島の前線航空基地の将兵の労をねぎらうためブーゲンビル
島へ向かう途中、事前に情報を掴んだアメリカ軍P-38機によって撃墜されました。ラバウルで荼毘に付された後山本五十
六司令長官は遺骨となってトラックに戻り、戦艦「武蔵」で日本へ帰ったという事です。日本では国葬が行われました。
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▼▲今も当時のコンクリートが残ります。竹島飛行場跡が見えます。
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▼上陸すると直ぐに防空壕跡が迎えてくれます。(防空壕の上に戦後地元高校が建てられたが現在は廃墟)
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▼防空壕から桟橋を見る。
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▼近くの海岸(浅瀬)には当時の魚雷や軍用部品が無造作に放置されていました。ビックリ!!
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▼周辺を歩くとかつてここが水上飛行基地だった事を思わせるコンクリート敷の場所「駐機場(エプロン)跡」が続く。
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▲飛行機を固定するワイヤーアンカーが各所に残っています。
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▼反対側の「傾斜路(ランプ)跡」には米軍の艀(はしけ)型輸送用舟艇が朽ち果てようとしていた。
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▼米軍艀(はしけ)型輸送用舟艇(沖縄戦で撮影されたもの)
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▼沈没しかかったまま放置されている船があったが日本の物がどうかは不明。ある意味産廃の山である。
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▲産廃の山でも辺りの水はとても澄んで綺麗なので軍用産廃が映えて見えます。
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▲ランプ跡から「指揮所跡」を見る。実は「指揮所跡」も地元民が暮らしており、高い見学料を請求されるらしい。
 ※各遺構の説明書の最後に○$と記しているのはその遺構がある土地の地主に支払う見学料金。
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▼遠くからこそっと撮影。
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▼「指揮所跡」に興味の無いふりをしてそのまま西へ歩いて行くと右手(海側とは反対方向)は兵舎があったそうです。
 兵隊さん達が朝集合した際に上官が登る台がひっそり残っていました。地元の子供達が集まってきます。
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▼海側にはトーチカが残されていました、今回訪れた夏島の戦跡はここまです。
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▼次は日本時代は飛行場の島だった「竹島」に上陸しました。
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▼当時の「竹島」空撮 島の大部分が滑走路で司令部庁舎と倉庫程度の建物しか無いのが良く解ります。
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▼[トラック大空襲時の米軍機からの空撮]島の周りには無数の日本軍艦船が写っています。ほぼ撃沈されてます・・・。
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▼[夏島水上機基地跡]より竹島を望む。中央の盛り上がった部分が本来の島の形でした。右側に平らな部分(今はジャ
ングルに還っていますが)が飛行場でした。飛行場部分は元の島の山を削って埋め立てて作られたそうで、地元民大勢
作業に従事したそうです。トラックにあった飛行場がほとんどが埋め立て工事によるものだそうです。竹島にいたって
は島一周石垣で覆われています。
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▼「竹島航空司令部」に向かって元滑走路だったジャングルを進むと米軍の爆撃で出来た大きな穴が沢山あります。
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▼ジャングルに還っていますが埋立地の元飛行場なので平坦なジャングルでした、司令部に到着です。
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▼爆撃で破壊されていますが健在です。(2$)
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▼飛行場倉庫跡が2棟現存しているが地元民の住家になっています、奥には発電所跡もあったが地主が違う為別料金。
 この時代南方の島に海軍が建てた航空司令部、発電所、倉庫、バンカー(防空壕)は何処も同じ作りで、サイパン島や
 パラオ(ペリリュー島)で見た物と全く同じでした。なので発電所跡は見学料もかさむ為、見学しませんでした。
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▼何処へ行っても地元の子供達が寄ってきます。 
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▼給水タンク跡
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▼トラック大空襲後の竹島航空司令部庁舎
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▼竹島の直ぐ側の浅瀬にゼロ戦と一式陸攻が沈んでいます。米軍の爆撃で穴だらけになった飛行場に戻って来た迎撃に
出たゼロ戦は着陸出来ず、海面に不時着する者もいれば、敵機に体当たりしていったゼロ戦もいたそうです。
神風特別攻撃隊が編成される前からその様な精神で戦っていたパイロットが多くいた事も忘れてはいけません。
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▼ひっくり返った状態で沈んでいます、シュノーケリング程度で十分見る事が出来ます。
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▼言わずと知れた[零式艦上戦闘機]「零戦/世界最強の伝説」
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▼一式陸上攻撃機
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▼「一式陸上攻撃機」通称 一式陸攻
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▼ダイビングガイドには[Betty/ベティー]と記されています。
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▼沈没船で今回シュノーケリングで見る事が出来たのは夏島周辺に沈む「パトロールボート」と記された小巡洋艦と、
冬島周辺に沈む魚雷運搬船「五星丸」でした。
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▲▼ダイビングガイドに「パトロールボート」と記された小巡洋艦。
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▼冬島近くに沈む魚雷運搬船「五星丸」
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▼在りし日の五星丸
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▼夏島から少し離れた浅瀬に戦艦「武蔵」を係留していたとされるブイが本来の場所から長い年月をかけて波に流され
この場所に残っています、圧巻の大きさです。
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▼さすがに巨大戦艦を係留する為のブイは巨大でした・・・・。
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▼「武蔵」のブイから少しボートを走らせると小さな無人島が見えます。
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▼この島には当時特攻兵器人間魚雷「回天」の発射訓練施設があったとされています。正確な情報かどうかは解らない
との事ですが、浅瀬の海中には発射用レールが現存し、島にはコンクリートで固められた壕がありました。
話では他の島(月曜島だったと記憶)には海軍の秘密兵器があった場所があり、限られた軍人しか行けなかった様です。
神風特攻隊(敷島隊)以前から特攻兵器「回天(マル6艇)」「震洋(マル4艇)」の開発を進めていた海軍・・・・・。
航空特攻以外の特攻は「敷島隊」の前から決まっていた。「人間魚雷」回天の試作が始まったのは1944年2月である。
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▼島に上陸後、「監視所跡」から夏島を望む。
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▼当時トラック諸島にて戦艦「長門」から撮影された唯一「大和/武蔵」が一緒に写っている写真。
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▼春島への帰り、同じ場所でボートを止めてもらってしばらく同じ夏島の風景を眺めました。
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最後は1944年2月16/17/18日、日本軍の艦船/輸送船60隻以上、航空機270機以上の損害を出したトラック大空襲時の
米軍機からの空撮をいくつか紹介して終わりにしたいと思います。当時夏島はトラックの中心でした、なので夏島周辺に
攻撃をかける米軍の写真が多くなっています。
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▲昭和19年(1944)2月16~18日、トラックの日本軍基地に米軍による大空襲が実施された。
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▲空襲を受ける夏島
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▲大爆発の後沈没する「愛国丸」(1944年2月17日)
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▲炎上する「平安丸」(1944年2月17日)
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▲夏島周辺、攻撃を受ける「北洋丸」(1944年2月17日)
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▲夏島、艦船修理ドックの辺りと思われる(1944年2月29~30日)
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▲夏島、艦船修理ドックの辺りと思われる(1944年2月16日)
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▲沈没する日本軍のタンカー(1944年2月16日)
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▲夏島南西部(右下にキミオ・オーロラ島が写っている)
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▲夏島南部(1万トン重油タンク辺り)
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▲▼夏島北西部と思われる(1944年2月29~30日)
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▼キミオ・オーロラ島付近
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▼夏島(左)春島(右)
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▼昭和20年9月降伏に応じる陸軍第31軍司令官麦倉 俊三郎中将(当時トラック諸島に送り込まれた陸軍は第52師団)
第31軍司令官小畑英良中将がグアム島で戦死した事に伴い、第31軍司令官代理を兼務。昭和20年1月正式の第31軍
司令官となり第52師団長事務取扱を兼務した。
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昭和20年9月2日トラック諸島、カロリン諸島を放棄・降伏に応じる為、米重巡洋艦ポートランド(USS Portland)に来た
麦倉俊三郎陸軍中将(栃木県出身)と原 忠一海軍中将(第4艦隊司令官)と澄川道男海軍少将、田島和一陸軍中佐。
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▲原 忠一海軍中将(島根県出身)/澄川道男海軍少将(山口県出身)
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▲米重巡洋艦ポートランド(USS Portland)
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原 忠一海軍中将の戦後
1949年(昭和24年)1月21日- 米グアム軍事法廷 禁固6年判決
1951年(昭和26年)4月19日- 身柄仮釈放
1964年(昭和39年)2月17日- 死去 享年74
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▼武装解除・降伏に応じるトラック島守備隊(終戦までよく生き抜いてくれました、ご苦労様でした)
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幹部と一兵卒の身体つきを見れば、飢餓の島となって取り残されたトラック諸島でどの様な事があったか想像出来ます。

▼[耳より情報]
春島にかつて海軍偵察機「彩雲」が残っているとの情報を聞いていました。数年前にミクロネシア政府が引上げ、
その後何処に行ったかは不明との事でしたが、無理言ってその場所に連れて行ってもらいました。が、タロイモ畑
になっており、何も痕跡はありませんでした。
搭乗員が「我二追ヒツク敵戦闘機ナシ…」と言わしめた最高速695キロをマークし、高性能偵察機だった「彩雲」。
現在、現存する機体はアメリカにただ1機との事で、トラックから持ち去られた彩雲は。これは噂に過ぎませんが、
日本に持ち帰って復元し展示予定だったが企画会社の(株)シーフィールド商事で計画が止まっているとの事・・。
いずれにせよ、トラックに[彩雲一一型]が1機朽ち果てずに現存していたのは事実です・・。
何処かでレストアされて展示される事を期待します。
彩雲~南の島探検記に春島で発見された彩雲の事が書かれています。
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▲▼海軍艦上偵察機「彩雲」(操縦員/偵察員/電信員の3人乗り)
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▲中島飛行機製作「十七試艦上偵察機」(社内呼称N-50)時速600キロ超/4000キロを超える航続力だったそうです
在りし日のトラック泊地
トラック大空襲
零戦 vs F4U コルセア
NHK戦争証言アーカイブス「トラック諸島」




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
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 2015_05_05

Comments

idopyon 様 

idopyon様、ご覧頂き有難うございます。そうでしたか、活用して頂き嬉しく思います。その方はトラック島でご苦労されたんですね・・・よくご無事で帰ってこられましたね、本当に戦時中に外地にいらっしゃた方で生還された人は皆、奇跡だと思いますね。「ご苦労様でした。」とお伝え下さい。
WhitePigeon  URL   2017-05-02 00:15  

 

デイサービスに勤務しています。T11年生まれのご利用者様が、トラック島で終戦を迎えたとお話されていたので、検索していてこちらの記事にたどり着きました。
その方と一緒に読み、写真も見ていただきました。このように新旧の写真がある事にとても驚かれ、懐かしさと当時まだ20歳だった自分の体験に想いを馳せ、たくさんの思い出を語ってくださいました。空襲の度に逃げ込んだ防空壕、静かになる度に「ああ助かった。。。」とほっとしてまた次の空襲を恐れる繰り返しは、トラック諸島にいた間毎日続き、終戦後も降伏の日まで続いたそうです。
ここに20歳の私がいた!という感覚をネットからかけ離れた世代となった方に伝えてあげたいです。またこちのブログを活用させて頂こうと思います。
ありがとうございました。
idopyon  URL   2017-04-28 11:28  

kanreport様 

こちらこそ、ご覧頂き有難うございます。海外の戦跡は費用もかさみますが、思い切って行くと必ず行って良かったと感じています。海外の戦跡を見て日本は70数年前によくもこんな遠くまで来て戦ったな・・・。といつも思います。崩壊寸前の軍建物や兵器を見る時、戦った兵隊さんに感謝すると共に、建築や陣地構築に携わった現地人や全ての人達に感謝する気持ちでいっぱいになりますね。
EV奈良  URL   2015-08-14 23:21  

 

トラックやパラオは死ぬまでに一度は行きたいですね。
貴重な情報をありがとうございます。
kan  URL   2015-08-14 23:04  

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プロフィール

WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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