陸軍八日市飛行場跡


滋賀県東近江市にあった「陸軍八日市飛行場跡」へ行ってきました。
飛行場は現在見る影もありませんが、戦争中は軍飛行場施設に必ずと言っていいほど併設された掩体壕が現存して
います。かなり大きめの陸軍の掩体壕で、海軍飛行場跡に残る掩体壕とは少し形が違います。
太平洋戦争末期、ここは陸軍特攻隊の燃料補給の中継基地となり、この飛行場経由で知覧などの特攻基地へ多くの
特攻機が飛び立っていったそうです。沖縄陥落後は本土防衛の特攻隊として基地に留まり終戦を迎た特攻隊員も数多
く居たそうです。終戦間際は東京「調布飛行場」から進出していた陸軍飛行第244戦隊を初めとする約220機もの航
空機が配置されていたそうです。「陸軍飛行第244戦隊」は部隊編成時より東京の調布飛行場を本拠として展開し、
三式戦闘機「飛燕」を使ってのB-29の迎撃(体当たり攻撃も含めた)で、244戦隊の活躍は有名です。
陸軍で活躍した戦闘機には二式戦闘機「鍾馗」や四式戦闘機「疾風」などがあります。

▼B-29への体当たり攻撃も含めた本土防衛で活躍した陸軍三式戦闘機「飛燕」
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▼陸軍四式戦闘機「疾風」
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▼終戦直後、八日市飛行場で撮影された244戦隊の五式戦闘機。
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▼陸軍五式戦闘機
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1945年4月下旬、五式戦闘機が制式化されると5月12日にはただちに全機改編、これによればB-29撃墜73機、
撃破92機。グラマンF6F撃墜10機、撃破2機。カーチスSB2C撃墜1機の記録が残っています。
5月には大刀洗飛行場(福岡県)に移動。同年5月〜6月には天号作戦にて沖縄戦の特攻機援護等を受け持った。
沖縄戦終結後は小牧飛行場(現名古屋飛行場)、八日市飛行場(滋賀県)と転戦し、編成から一度も外地へ派遣さ
れることなく終戦を迎え、同年8月末にここ八日市(滋賀県)で解隊されました。
八日市飛行場244戦隊による戦果は終戦間際(1945年昭20年7月25日)にグラマンF6F戦闘機10機撃墜
(日本側2機喪失)という記録が残っています。
終戦後、飛行場は進駐軍に接収されます。飛行場にあった220機にもおよぶ航空機のほとんどは焼却処分
され、飛行場自体も廃止され、跡地は海外からの引き揚げ者に農地として払い下げられ姿を消しました。
戦争証言「特攻・死を命ぜられた青春」YouTube

▼「陸軍八日市飛行場」があった場所です。
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▼終戦後進駐軍により焼却処分される日本軍機(八日市飛行場)  ▼在りし日の練習機が並ぶ八日市飛行場
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▲昭和21年2月に朝日新聞八日市支局の石田記者が撮影

▼焼却処分された日本陸軍機は終戦間際まで配備されていた陸軍244戦隊五式戦闘機も含まれていたと思われます。
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▼写真は終戦直後の陸軍第85戦隊「疾風」などの陸軍戦闘機(撮影飛行場は不明)金浦(朝鮮)飛行場?
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▼八日市飛行場の写真では無いが出撃準備中の陸軍二式戦闘機キ44「鍾馗(しょうき)」(三重県明野飛行場で撮影)
四式戦闘機「疾風」が登場すると航続距離が短い「鍾馗」は本土防空力強化の迎撃戦闘機として使用された。
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▼陸軍八日市飛行場跡には2基の掩体壕が現存しています、珍しく鉄筋入りで陸軍独特の形状です。
 空襲警報の度に飛行場から戦闘機等を人力で押し、掩体壕に隠したそうです。大変な作業です・・・。
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▼名神高速道路を挟んで反対側に現存している2基目
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▲崩壊が進んでいますが、私有地内という事もあり、このままいつかは完全に崩壊し無くなってしまうだろうと思います

▼参考までにkanレポート様のブログに掲載されている金丸原陸軍飛行場跡の掩体壕です。
同型であろう八日市掩体壕の崩壊前の状態が解ります。
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▼この掩体壕は栃木県(金丸原陸軍飛行場跡)現在は那須ヶ原カントリークラブの敷地内に現存している掩体壕です
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※[耳寄り情報]
神奈川県横浜市金沢区の野島公園に現存する国内最大規模の海軍掩体壕は海軍の小型機約100機を格納可能だったと言わ
れています。野島掩体壕の建設時の写真が残っています。八日市の掩体壕とは比べ物にならない程大きな掩体壕ですが、
建設当時の貴重な写真なので参考になればと思いますので掲載させて頂きます。

▼標高約55メートルの野島山の東西をトンネル状に貫通し、長さは約260メートル。
壁や天井にコンクリートが打たれた出入り口に比べ、内部は幅が狭く素掘りの状態。
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▼作業に当たった横須賀海軍の「第三〇〇設営隊戦時日誌」には、第二次世界大戦末期の
1945(昭和20)年3月15日~6月30日まで掘削工事が進められていたと記録されている(S20/6/30撮影)
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▼日誌には「体力保持上時々嗜好品(酒、煙草、菓子)等ノ増配希望ス」といった記載もみつかり、
当時の過酷な作業現場での状況が具体的に伝わってくる様です・・・。
写真に写る天井を支えるアーチ状の木材。危険な状況下で作業を行っているのがよく解ります。
大変な労力です・・・。最前線で戦う兵隊も命がけですが、設営隊も命がけですね・・・。
この野島掩体壕は終戦により使われる事は無かったそうです・・・。
▼昭和20年4月29日に撮影された作業風景。
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※ここを作った部隊は旧海軍連合艦隊総司令部地下壕(横浜市港北区日吉台 慶応大学日吉キャンパス)
松代大本営地下壕(長野市松代町)などの建設にも加わっていたことがわかっています。
▼2016/10/30とのたま氏の案内で野島掩体壕に連れて行ってもらった。
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▼偶然、中で作業をされている方達がいて、入口付近まで入る事が出来た。
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▼とてつもなく大きい。中の作業員を見て頂ければ豪の大きさがお解り頂けるだろう。
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▼反対側の入口は海軍掩体壕らしい形だが荒れ放題である。
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▼終戦後、横須賀航空基地で米軍接収時に撮影された野島の掩体壕の写真。同じ場所と思われる。
 武装解除によりプロペラが外された海軍機が写っている。当時の写真を使って説明看板を立てて欲しい。
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▼辺りは野島公園となっており、掩体壕入口付近で子供達が普通に遊んでいる。
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▼野島には掩体壕の他、いくつもの豪が掘られており、中に入ると広大な地下要塞と化していた・・・。
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じっくり見学していると直ぐに2時間ぐらいは過ぎてしまう。
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▼画像は航空自衛隊小牧基地に残る旧陸軍小牧飛行場の掩体壕。当時の面影が良く現存している。
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戦時中は飛行第17戦隊三式戦闘機「飛燕」や五式戦闘機が配備されたという。
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▲流石現自衛隊小牧基地内という事もあって綺麗に整備・保たれている。
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▲戦闘機が収納されている掩体壕はただのコンクリートのかたまりには見えなくなる。




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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 2015_07_26

Comments

Re: kanレポート様 

kanレポート管理人様
ご教授有難うございます、こちらこそお世話になります、今後共宜しく御願い申し上げます。(EV奈良)
EV奈良  URL   2015-08-05 21:13  

 

はじめまして。
掩体壕には陸軍式と、海軍式があるようです。
それぞれ形が違うのですが、同じ陸軍式や海軍式でも微妙に形が違っており、興味深いです。
貴ブログの趣旨には深く賛同いたしますので、出典さえ明記していただければ、拙ブログの写真をご自由にお使いください。
kanレポート管理人
kan  URL   2015-08-05 20:16  

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Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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