台湾日本軍航空基地

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台湾(烏來)で「高砂義勇隊」の素晴らしい活躍をご紹介しましたが、日本軍(日本人)も当然決死の特攻作戦
に出撃しています。日本でもあまり知られていない台湾の陸海軍各航空基地より特攻出撃した(日本人)特攻隊
を少しだけご紹介します。(資料があまりにも少ないのでご提供お待ちしております)

▼日本統治時代、台湾における日本陸海軍航空基地の地図(40以上の航空基地があったと言われている)
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▼終戦当時進駐軍に提出された日本軍航空基地を示す地図
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全て読み取ることが難しいが、解る基地名は以下の通り▼写真は日本統治時代の松山(台北)航空基地
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▼日本統治時代の陸軍宜蘭西飛行場
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(北部) 松山(台北)基地 / 陸軍台北基地 / 陸軍宜蘭(北・西・南)基地 / 基隆基地 / 淡水基地 / 林口基地
    陸軍八塊基地 / 陸軍桃園基地 / 陸軍樹林口基地 / 陸軍龍潭基地
    紅毛基地 / 海軍新竹基地 / 陸軍湖口基地 / 後龍基地
(中部) 海軍虎尾基地(練習航空隊) / 陸軍花連港基地 / 陸軍草屯基地 / 陸軍嘉義基地 / 陸軍塩水基地
    東港飛行艇基地 / 海軍台中基地 / 南投基地 / 陸軍彰化基地 / 陸軍台中基地
    陸軍鹿港基地 / 東石港基地 / 陸軍公館基地 / 陸軍大肚山基地 / 陸軍埔里基地
(南部) 陸軍屏東(北・南)基地 / 海軍台南基地 / 高雄(小港)基地 / 陸軍恒春基地 / 陸軍佳冬基地 / 陸軍潮州基地
    陸軍北港基地 / 陸軍台東基地 / 陸軍池上基地 / 海軍里港基地 / (膨湖島)馬公基地※赤印
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▲日本統治時代の陸軍屏東飛行場(明治28年~昭和20年)※屏東飛行場は教育隊があった。
(位置?)陸軍新浦基地/陸軍知本基地/陸軍埔里基地/陸軍旗山基地
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▲米軍が撮影した日本陸軍台中基地(Toyohama Airfield Taichu)と記されている。
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▲日本統治時代、新竹飛行場にて。修学旅行で東京へ行く際に撮られた新竹高等女学校生徒の記念写真。
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▲航空機の種別は不明だが、海軍台南航空基地で撮影された画像。三菱A6M2-K零式練習戦闘機?
※零式練習戦闘機とは零戦の練習機型として、ゼロ戦21型を複座に改装した零式練習戦闘機一一型。

航空基地ではないが、陸軍基隆要塞(きいるんようさい)台湾北部の基隆に。高雄には高雄要塞(たかおようさい)
が残っているそうなのでこちらも次回行ってみたいと思う。
▼基隆要塞跡
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▼台湾高雄市鳳山区に今も残る日本海軍鳳山無線電信所(ほうざん)海軍が大正6年(1917)に建設した無線送信所
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昭和20年1月21日 神風特別攻撃隊「一航艦零戦隊」 台南基地よりゼロ戦で出撃 堀口吉秀少尉他1機
昭和20年1月21日 神風特別攻撃隊「第2新高隊」 台南基地よりゼロ戦4機で出撃
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▲▼昭和20年1月21日台湾沖で米空母タイコンデロガ(USS Ticonderoga)に零戦2機突入、炎上するタイコンデロガ
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昭和20年1月21日 神風特別攻撃隊「新高隊」 台南基地より「彗星」8機で出撃。
(台東沖機動部隊攻撃)
[操縦]西田 幸三大尉(石川県出身)/[偵察]高島 陸人少尉(兵庫県出身)
[操縦]宮野 健次郎2飛曹(東京都出身)/[偵察]新田 四郎1飛曹(石川県出身)
[操縦]平井 孝二少尉(香川県出身)/[偵察]杉山 喜一郎1飛曹(栃木県出身)
[操縦]山下 信博飛長(高知県出身)/[偵察]澤田 光男1飛曹(岐阜県出身)
[操縦]福島  昇飛長(岡山県出身)/[偵察]安留 亀一1飛曹(鹿児島県出身)

▼海軍99艦上爆撃機、尾翼に「虎」と書かれている。S,19.5/15台南州に開隊した陸上機操縦の教育部隊[虎尾空]?
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虎尾海軍航空隊(こびかいぐんこうくうたい)は、日本海軍の部隊・教育機関の一つ。太平洋戦争開戦後の航空要員
大量養成のため、初歩練習部隊として昭和19年(1944)5月15日開隊設置した。主力機種は93式中間練習機など各種
陸上練習機だったので、上記写真の99艦上爆撃機は虎尾空では無いかもしれない。
実機教育も機材・燃料・人員の枯渇によって困難になった上、天号作戦・菊水作戦に備え、台湾の海軍飛行場には実
施部隊の展開が推進されることになり、虎尾の訓練部隊は諸施設を実施部隊に譲渡する事になった。昭和20年2月15
日解隊と共に、要員は航路・空路を経て生徒の大多数が内地に送還されたが、3月16日に基隆を出港した南京丸に便
乗した士官50数名は、翌日に南京丸が撃沈された上に、荒天で救助活動が不可能であった為、全員溺死した。
一部の残留者は台湾海軍航空隊に編入され、天号作戦・菊水作戦に参加。放棄された機体は「忠誠隊」に転用された。

▼(台湾)海軍新竹基地にて神風特別攻撃隊「忠誠隊」出陣式
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▼▲神風特別攻撃隊「忠誠隊」勇士
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▼昭和20年4月1日(台湾)海軍新竹基地にて床尾中尉より出撃命令を受け、別れの水盃「忠誠隊」隊員10名(5機)
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▲4/1,13:10石垣島南方米機動部隊攻撃の為、床尾勝彦中尉機以下4機(8名)艦上爆撃機彗星で出撃。
エンジン不調で1機不時着、他2機は新竹基地に帰還、床尾中尉/多田上飛曹機のみ敵機動部隊に突入戦死。
※彗星は整備に時間を要し、整備が追いつかず不完全のままでの出撃が多かったと言う。
4/6,15:00帰還した彗星3機にて再出撃。17:00先島諸島を攻撃中の英第57機動部隊「英空母イラストリアス」
を発見、3機が突入開始。特攻機が接近するのをイラストリアスのレーダーが捉え、直ちにスクランブルした追撃
戦闘機に1機撃墜され、対空射撃によりまた1機が撃墜された。阻止幕を潜り抜けた残る1機がカメラマンの視界に
急速に迫りレーダーアンテナを掠め突入成功。イラストリアスは大きく損傷し修理の為にイギリスに戻された。
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▲(左)イギリス海軍航空母艦イラストリアスと「忠誠隊」彗星の特攻により破壊されたイラストリアス(右)
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▲海軍艦上爆撃機「彗星」
海軍神風特別攻撃隊「忠誠隊」出撃記録は以下の通り。
昭和20年4月1日 神風特別攻撃隊「第1忠誠隊」 新竹基地より彗星で出撃
(石垣島南方機動部隊に突入)
[操縦]床尾勝彦中尉(長野県出身)/[偵察]多田恒雄上飛曹(三重県出身)
※[操縦]田口唯明2飛曹(熊本県出身)/[偵察]飯田清2飛曹(千葉県出身)
※[操縦]南義雄1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]永田千春1飛曹(熊本県出身)
※[操縦]北川肇2飛曹(山口県出身)/[偵察]西田久2飛曹(大阪府出身)
※の3機がエンジントラブル等で帰還、4/6再出撃、突入戦死。

昭和20年4月3日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 新竹基地より「彗星」で出撃
(沖縄南方機動部隊に突入)
[操縦]時山武大尉(静岡県出身)/[偵察]打田恒春上飛曹(三重県出身)

昭和20年4月3日 神風特別攻撃隊「第3大義隊」 新竹基地より零戦で出撃 
「忠誠隊」直掩任務
山崎 州雄中尉(鹿児島県出身)/深澤 敏夫2飛曹(秋田県出身)/北浦 義夫2飛曹(香川県出身)

昭和20年4月6日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 新竹基地より再出撃
(石垣島南方機動部隊に突入)
[操縦]田口唯明2飛曹(熊本県出身)/[偵察]飯田清2飛曹(千葉県出身)
[操縦]南義雄1飛曹(愛媛県出身)/[偵察]永田千春1飛曹(熊本県出身)
[操縦]北川肇2飛曹(山口県出身)/[偵察]西田久2飛曹(大阪府出身)

昭和20年4月16日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 新竹基地より「彗星」で出撃
(石垣島南方機動部隊に突入)
[操縦]宮崎富男大尉(福岡県出身)/[偵察]住吉語少尉(広島県出身)
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▲昭和20年4月16日15:30(台湾)海軍新竹基地から出撃前、笑顔で語らう宮崎富男大尉ら神風特別攻撃隊
 「忠誠隊」隊員。この数時間後、彼等は海軍艦上爆撃機「彗星」で石垣島南方敵機動部隊に突入、戦死。
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▲海軍艦上爆撃機「彗星」
昭和20年4月28日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 新竹基地より「彗星」で出撃
(宮古島東方機動部隊に突入)
[操縦]國房大丈夫中尉(福岡県出身)画像参照 /[偵察]大平歳澄1飛曹(香川県出身)

昭和20年5月4日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 16:25新竹基地より「彗星」で出撃
(宮古島南方機動部隊に突入)
[操縦]大石保造1飛曹(静岡県出身)/[偵察]南純之助上飛曹(福岡県出身)

昭和20年5月9日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 16:25新竹基地より「彗星」で出撃
(嘉手納沖艦船に突入)
[操縦]内田秀雄1飛曹(和歌山県出身)/[偵察員]中田良蔵上飛曹(北海道出身)

昭和20年5月9日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 15:30宜蘭基地より「96艦上爆撃機」で出撃
(慶良間列島付近機動部隊に突入)
[操縦]久保良介中尉(富山県出身)/[偵察]後藤守男上飛曹(鹿児島県出身)
[操縦]中野学上飛曹(福岡県出身)/[偵察]大石保造1飛曹(静岡県出身)

昭和20年5月13日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 宜蘭基地より「96艦上爆撃機」で出撃
(慶良間列島付近機動部隊に突入)
[操縦]阿部仁太郎中尉(北海道出身)/[偵察]福元清則1飛曹(鹿児島県出身)
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▲福元清則1飛曹(鹿児島県出身)18歳(旧式の「96艦上爆撃機」で出撃、突入戦死)
[操縦]持田歳雄1飛曹(島根県出身)/[偵察]森増太郎2飛曹(栃木県出身)
[操縦]元木恒夫中尉(千葉県出身)/[偵察]柴田昌里1飛曹(高知県出身)
[操縦]石原一郎1飛曹(愛知県出身)/[偵察]
[操縦]駒場一司2飛曹(栃木県出身)/[偵察]
[操縦]佐藤重男上飛曹(大分県出身)/[偵察]渡邊靖1飛曹(長崎県出身)
[操縦]児島與吉2飛曹(福岡県出身)/[偵察]
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▲海軍96艦上爆撃機(この様な旧式機で特攻に出撃した隊員を想うと心が痛む・・・。)

昭和20年5月15日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 宜蘭基地より「96艦上爆撃機」で出撃
(慶良間列島付近機動部隊に突入)
[操縦]深津進少尉(岐阜県出身)/[偵察]岩熊唯明中尉(福岡県出身)(振天隊)
[操縦]渡邊貞雄1飛曹(山口県出身)/[偵察]
[操縦]藤井俊彦1飛曹(山口県出身)/[偵察]

昭和20年5月17日 神風特別攻撃隊「忠誠隊」 宜蘭基地より「96艦上爆撃機」で出撃
(慶良間列島付近機動部隊に突入)
[操縦]柿本茂少尉(福岡県出身)/[偵察]萩原定七上飛曹(埼玉県出身)

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▲神風特別攻撃隊「帰一隊」昭和20年5月3日(台湾)海軍新竹基地より出撃。雷装の天山艦攻で沖縄周辺の米艦船
 に対して雷撃特攻を行った。
[操縦]清水清秀上飛曹(石川県出身)/[偵察]土山忠英中尉(広島県出身)/[電信]石場清一上飛曹(石川県出身)
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▲(台湾)海軍新竹基地に並んだ「帰一隊」の天山艦攻。超低空で目標艦艇に向けて魚雷を投下後、
 そのまま体当たりする雷撃特攻を行った。
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▲海軍艦上攻撃機「天山」
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▲米PB4Yの攻撃を受け、煙を吐きながら墜ちてゆく艦上攻撃機「天山」。米パイロットWilliam Janeshek少佐の話に
 よると、機上射手は脱出しようとしていたが、突然座して不動のまま海面に墜落・爆発したそうだ。
 (昭和19年(1944)7月2日カロリン諸島での画像)

画像や資料が乏しく詳細は解らないが、海軍新竹/宜蘭/台中/台南基地から神風特別攻撃隊「振天隊」「勇武隊」
「大義隊」も出撃している。「勇武隊」は銀河の部隊だった。
昭和20年3月25日神風特別攻撃隊「勇武隊」台中基地より銀河と彗星で出撃
(沖縄南方機動部隊攻撃)
[操縦]石井伸雄1飛曹(福岡県出身)/[偵察]竹岡明男2飛曹(京都府出身)/[電信]脇坂春男上飛曹(滋賀県出身)
[操縦]西村 勇2飛曹(京都府出身)/[偵察]高橋耕一1飛曹(北海道出身)/[電信]深井末雄1飛曹(和歌山県出身)
[操縦]森田利平2飛曹(千葉県出身)/[偵察]中村隆逸1飛曹(岐阜県出身)/[電信]薄井 栄1飛曹(栃木県出身)
(彗星)
[操縦]吉川 正志2飛曹(北海道出身)/[偵察]軽部 哲夫飛曹長(北海道出身)
 
昭和20年4月6日神風特別攻撃隊「勇武隊」台中基地より銀河で出撃
[操縦]根本道雄中尉(徳島県出身)台南より/[偵察]丸山保仁上飛曹(長野県出身)/[電信]福田増雄1飛曹(福岡県出身)
[操縦]佐藤安善2飛曹(鳥取県出身)台中より/[偵察]吉村一誠1飛曹(熊本県出身)/[電信]岩橋達雄2飛曹(福岡県出身)
[操縦]田中勝2飛曹(三重県出身)台中より/[偵察]村田守 2飛曹(北海道出身)/[電信]安田雅由2飛曹(兵庫県出身)
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▲海軍双発爆撃機「銀河」

昭和20年5月3日 神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より99/97艦上爆撃機で出撃
(99艦爆)
[操縦]村上勝巳大尉(山口県出身)/[偵察]森永茂中尉(佐賀県出身)
[操縦]森本 賜中尉(山口県出身)/[偵察]田中良光1飛曹(宮崎県出身)
(97艦攻)
[操縦]堀家 晃中尉(大阪府出身)/[偵察]居村 豊中尉(兵庫県出身)/[電信]高辻萬里1飛曹(福岡県出身)
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▲昭和20年5月3日米駆逐艦リトル(USS Little)とアーロン・ワード (USS Aaron Ward) はレーダーピケット任務に就く
 18:13、18機~24機の特攻機が雲の下から攻撃してきた。アーロン・ワードは18:41に最初の被弾を受ける。
 間もなくリトルも左舷に被弾。4分以内にもう3機の特攻機がリトルを攻撃、竜骨を損傷、船体中央部が破壊された。
 リトルは19:55乗組員30人と共に沈没した。

昭和20年5月4日 神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より99艦上爆撃機で出撃
清岡寛上飛曹/

昭和20年5月7日 神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より99艦上爆撃機で出撃
石田儀進(宮崎県出身17歳)(鹿8)12空 

昭和20年5月9日 神風特別攻撃隊「振天隊」16:30宜蘭基地より99艦上爆撃機で出撃
鳥居信(熊本県出身17歳)/黒岩芳人(福岡県出身17歳)/片山崇中尉

昭和20年5月13日 神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より97艦上攻撃機で出撃
大曲重賢(福岡県出身18歳)/細谷芳郎中尉/福元清則(鹿8)12空/柴田昌里(鹿8)12空
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▲海軍97艦上攻撃機(日米合作映画「トラ・トラ・トラ」[Tora! Tora! Tora!]で使用された物)
昭和20年5月15日神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より97艦上攻撃機で出撃
島元義春(鹿児島県出身18歳)(鹿8)12空/小原辰夫(鹿児島県出身17歳)(鹿8)12空/藤井俊彦(鹿4)12空

昭和20年5月29日神風特別攻撃隊「振天隊」新竹基地より97艦上攻撃機で出撃
伊藤信照1飛曹(福岡県出身18歳)/古川正崇中尉/伊藤 忠1飛曹/笠井 至中尉
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▲5/29駆逐艦スーブリック(USS Shubrick)の後部に「振天隊」と思われる特攻機が命中。
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▲駆逐艦スーブリックに突き刺さった97艦攻の物と思われるプロペラ。
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▲損傷した駆逐艦スーブリックの後部。
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▲負傷者と戦死者を懸命に探し出す米兵。負傷者/戦死者/行方不明者合わせて40名以上にのぼった。


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▲昭和20年7月26日海軍 神風特別攻撃隊「竜虎隊」別れの宴(台湾)新竹基地にて。
左から5番目の方は三村弘上飛曹。第3龍虎隊を指揮、93式中間操縦練習機で突入、戦死。
(「竜虎隊」とは通称「赤トンボ」と呼ばれた練習機で編成された第1陣、神風特別攻撃隊第3龍虎隊)
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▲海軍93式中間操縦練習機
既に落日の日本ではあったが、沖縄陥落後も、日本近海の米艦船を求めて、散発的に特攻が繰り返されていた。
内地(日本本土)からゼロ戦の補給は途絶え、万策尽きた台湾新竹基地に展開していた第29航空戦隊司令藤松大佐は
虎尾基地にある中間操縦練習機31機の特攻出撃を決断した。1次8機、2次8機の出撃は与那国島に不時着、特攻は
失敗。布張りの非力な93式中間操縦練習機に250㌔爆弾を積んで離陸し、沖縄まで到達するのは至難の業だった。
[ 赤トンボ悲話 ]
沖縄県宮古島市平良の市街地から少し離れた丘に旧日本軍戦没者の慰霊碑が幾つかある。
その中に神風特攻隊第三龍虎隊の慰霊碑がある。しかし宮古島から「神風特攻隊」が出撃した事は知られていない。
それもそのはず、この特攻隊、本拠地は台湾の虎尾基地(練習航空隊)だ。
特攻訓練教程すら満足に行う事が出来なくなってた日本陸海軍大本営は3/1ついに搭乗員錬成教育を中止。
全軍特攻の方針を決定した。昭和20年3月1日海軍は練習航空隊を解隊、訓練中の全ての練習機を実戦特攻部隊に繰り
込んだ。優先的に転用された「赤トンボ」は約600機、特攻訓練に入った主な航空戦隊は、5航艦12戦隊、3航艦13戦
隊だった。パイロットは、飛行経験が100時間に満たない予科練生や予備練習生(養成所出身者)がほとんどである。
昭和20年7月28日早朝、神風特攻隊第三龍虎隊8機は台湾・虎尾基地を出発。新竹基地、宜蘭基地を経由して石垣島で
給油し宮古島に降り立った。何故台湾の航空基地や石垣島から出撃せず、わざわざ宮古島に降り立ったのか。
それには訳があった。彼等の乗った特攻機は練習用の布張りの複葉機、通称「赤トンボ」。粗末な練習機に250キロ爆
弾を装備して長距離飛行は難しく、最短距離から出撃する必要があった。しかも作戦は月夜に限られた。
宮古島到着後夜11時。2度目の別盃式を終えた若き特攻隊員達は、雲一つ無い月明かりの中、沖縄近海に群がる米艦隊
に向け飛び立った…。話はそこで終わるはずだった。が、離陸直前、1機の飛行機のタイヤがパンク。出撃は中止された。
他の7機はそのまま飛び立ったが、2機がエンジン不調を理由に戻ってきた。その内の1機は滑走路脇の畑に不時着大破。
隊員は重傷を負った。整備兵達は不時着した飛行機の車輪を、パンクして飛ばなかった飛行機に移した。
一旦、出撃を免れたはずのパンクした飛行機の隊員は、再び出撃する事になった。
翌日、その隊員はベッドに横たわる不時着した隊員に「臆病者。恨んでやる」と言い残し、月夜の闇に消えた。
不時着機の特攻隊員は生還し、80歳余で亡くなった。彼は生前、宮古島を訪れることはなかった。
彼は自宅の庭に慰霊碑を建て、「神風特攻隊第三龍虎隊」7名を供養し続けたという。
7/29 3次出撃の戦果は陸海軍特別攻撃隊の攻撃で撃沈された最後の艦となった、米駆逐艦「キャラハン」撃沈だった。
※素人丸出しの飛行技量の若いパイロット、赤トンボの様な練習機で特攻を仕掛けてくる日本軍に対して、迎撃/撃墜す
 る側の米軍では、これは「男と男の喧嘩」ではない。と、相手を想い涙したと言う記録があり、戦闘機パイロットの
 勲章ともいえる「撃墜スコア」にカウントしなかった事も多かったと言う。
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▲米駆逐艦キャラハンUSS Callaghan(奇跡的な事が重なり「神風特攻隊第三龍虎隊」に撃沈された)
突入した特攻隊員を丁重に水葬した事で有名な「戦艦ミズーリ」の艦長キャラハン大佐の兄は、第三次ソロモン海戦で
日本軍と戦って戦死した。この時戦艦ミズーリを護衛していた駆逐艦の名は、戦死した兄の名をとった「キャラハン」
だった。この海戦で駆逐艦キャラハンは多くの特攻機を撃墜したが、そのうちの1機に、長谷川薫中尉の操縦する
海軍爆撃機「銀河」があった。長谷川中尉は撃墜され、海中に突入して海を漂っている所を、「駆逐艦キャラハン」の
バーソルフ艦長は特攻攻撃の続く中、危険を冒して艦を停止させ、長谷川中尉を救助した事で知られる。
長谷川薫中尉は後に製紙大手「レンゴー」の社長となった人である。
この時「銀河」に同乗していた吉田飛曹長も救助されたが、直後に出血多量で死亡した。この時も遺体は丁重に水葬さ
れたと言う。しかし、その駆逐艦「キャラハン」もの「第三龍虎隊」の特攻攻撃で撃沈される事となったのだ。

神風特攻隊「第三龍虎隊」戦死者は以下の通り。(132空)
昭和20年7月29日宮古島より93式中間操縦練習機で出撃
三村弘上飛曹(岡山県出身)/庵民男1飛曹(鹿児島県出身)/川平誠1飛曹(静岡県出身)
近藤清忠1飛曹(長野県出身)/原優1飛曹(長野県出身)/松田昇三1飛曹(東京都出身)    
昭和20年7月30日宮古島より93式中間操縦練習機で出撃
佐原正二郎1飛曹(静岡県出身)

※三村弘上飛曹(岡山県出身)と同期生の庭月野 英樹さん(神風特攻隊彩雲隊)生存者が戦後語っておられます。
 戦争証言アーカイブス
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▲インドネシア共和国軍博物館に展示されている93式中間操縦練習機(インドネシア共和国空軍色に塗装されている) 
※展示機は「インドネシア人が初めて空を飛んだ機体」としてインドネシアでは大きな扱いを受けています。 

昭和20年4月28日 神風特別攻撃隊「第16大義隊」 宜蘭基地より爆装零戦で出撃(宮古島南方機動部隊攻撃)
今野 惣助中尉(宮城県出身)

昭和20年5月4日 神風特別攻撃隊「第17大義隊」09:50宜蘭基地より爆装零戦で出撃(宮古島南方機動部隊攻撃)
谷本 逸司中尉(広島県出身)/常井 忠温上飛曹(茨城県出身)/鉢村 敏英1飛曹(栃木県出身)
近藤 親登2飛曹(長野県出身)/長田利平1飛曹(山梨県出身/敵を発見出来ず石垣島基地に着陸)
(直掩零戦)角田和男少尉
特攻機4機は全て敵艦に突入戦死。直掩/戦果確認任務の角田和男少尉は無事帰還。
角田和男少尉の証言によれば、特攻機4機の主翼機上面の日の丸は緑で塗りつぶされていたと言う。
アメリカ軍のレーダー探知を避ける為、ギリギリの低空飛行で敵艦まで接近する事に成功した特攻機は
谷本 逸司中尉を筆頭に次々と突入していった・・・。
※長田利平1飛曹は戦後、神奈川県警に入り、長く刑事を務められた。警部に昇進して定年退職するまで現場ひと筋。
 刑事事件の捜査、検挙にあたり、その間、「不起訴」の検挙者を一度も出さなかったというプロ魂を発揮された。


昭和20年5月8日 菊水六号作戦発動。宜蘭派遣隊10機特攻。突入4機を含む5機喪失。
昭和20年5月9日 神風特別攻撃隊「第18大義隊」 (台湾)宜蘭基地よりゼロ戦で出撃(2機トラブルで引き返す)
(宮古島南方機動部隊攻撃)
黒瀬順斎中尉(富山県出身)/中島信次郎上飛曹(京都府出身)/河合芳彦上飛曹/宮川孝義1飛曹(大阪府出身)
(直掩隊)前田秀秋上飛曹(青森県出身)
昭和20年5月15日 4機が出撃、特攻を目指すが会敵せず引き返す。
※この頃から205海軍航空隊で編成された神風特別攻撃隊「大義隊」単独の行動が不明確となる。
 以後、在台湾の各偵察機隊は散発的な偵察行動に従事する事となる。

以上、海軍特攻隊の記録
以下、陸軍特攻隊の記録

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▲陸軍誠第16飛行隊「玄武隊」の隼。昭和20年4月12日上野強軍曹が(台湾)花蓮港基地より出撃。
 慶良間列島洋上の敵艦船に突入戦死。
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▲4/12慶良間沖海域で至近距離での日本軍特攻隊の突入を受け小破した米護衛駆逐艦ロール(USS RALL)DE 304

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▲陸軍誠第119飛行隊勇士。昭和20年4月22日午前08:30頃(台湾)桃園飛行場にて出撃1時間半前の撮影
午前10時頃、二式複座戦闘機「屠龍」14機に隊員らが乗り込み離陸。離陸後間もなく海に落ちた1機を除き、飛行隊は
石垣島に立ち寄り500キロ爆弾を積み、沖縄本島周辺(粟国島南西方)へ特攻出撃していった。
昭和20年4月22日(台湾)桃園飛行場より二式複座戦闘機「屠竜」で出撃
竹垣 全小尉(石川県出身)/溜 洋小尉(鹿児島県出身)/岩上 要伍長(大分県出身)/永久 要伍長(山口県出身)
山本 茂伍長(埼玉県出身)
昭和20年4月28日(台湾)桃園飛行場より二式複座戦闘機「屠竜」で出撃
中村 潤小尉(千葉県出身)/小森 興彦小尉(東京都出身)/木原 正喜伍長(鹿児島県出身)/山澤 四郎伍長(福岡県出身)
※特攻用に改造された二式複座戦闘機「屠龍」は、「二式双襲」と呼ばれていた。
 「屠龍」は2名乗、陸軍は海軍の様に定員数を乗せるのではなく、1機1名で出撃していった。
 陸軍の場合、上陸地付近にある攻略船団(輸送船団)を目標としていた為、目標発見は容易である為に1機1名出撃が
 多かった様だ。それに対し海軍は敵機動部隊(特に空母を目標とし、広い洋上にある目標を発見するのが大前提とし
 ていた為、艦爆、艦攻などの多座機には座席数に応ずる人員が乗り組んだと言う。

※昭和20年4月28日、97式戦闘機で台湾から特攻出撃し、石垣島に不時着した「誠第121飛行隊」生還者の末吉初男
さんが戦後70年の節目に重い口を開き、太刀洗平和記念館で当時の体験を語っておられます。
戦後70年、初めて語られる元特攻隊員の体験談YouTube

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▲陸軍誠第35飛行隊。四式戦闘機で昭和20年4月下旬までに(台湾)台中飛行場に移動、5月3日隊長の遠藤秀山少尉
 以下5名、5月9日浅井良修少尉が沖縄西方洋上の敵艦船群に突入戦死。
 遠藤秀山少尉(大阪府出身)/間庭福次少尉(栃木県出身)/古本嘉男少尉(静岡県出身)
 村山政雄少尉(岩手県出身)/塚平真少尉(長野県出身)の5名が5/3台中より出撃、突入戦死
 浅井良修少尉(兵庫県出身)5/9台中より出撃、突入戦死
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▲誠第35飛行隊隊長、遠藤秀山少尉。後に四式戦闘機が見える。昭和20年5月3日(台湾)台中より出撃、戦死。
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▲陸軍四式戦闘機「疾風」(はやて)

[ 誠第34飛行隊 ]昭和20年4月28日~5月21日(台湾)台中基地より四式戦闘機「疾風」で出撃。
桑原孝夫少尉(東京都出身)/安東愛明少尉(神奈川県出身)/新山喬夫少尉(和歌山県出身)
中村嘉明少尉(香川県出身) 以上4/28「疾風」で出撃、慶良間列島南方海上突入、戦死。
金澤宏少尉(鳥取県出身)/富山信也少尉(三重県出身)/二神孝満少尉(愛媛県出身)/荒木周作少尉(群馬県出身)
小林富男少尉(東京都出身)/砂畑耕作少尉(東京都出身) 以上5/4(19:20)「疾風」で出撃、嘉手納沖突入戦死。
前川豊少尉(愛知県出身)5/9単機出撃、那覇西方海上突入、戦死。
北原賢一少尉(福岡県出身)5/21単機出撃、那覇西方海上突入、戦死。
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▲飛行第105戦隊。(台湾)陸軍宜蘭基地にて出撃前に地図を広げ飛行コースの打ち合わせをしている。
 昭和20年4月3、9、11、12、28日、5月4日三式戦闘機で特攻出撃。
 昭和20年5月4日陸軍飛行第105戦隊 16:45宜蘭基地より三式戦闘機「飛燕」で長沼不二人少尉が出撃。
 昭和20年5月4日陸軍飛行第105戦隊 宜蘭基地より三式戦闘機「飛燕」で原仁少尉が出撃。
 昭和20年5月4日陸軍飛行第102戦隊 16:00八塊基地より三式戦闘機「飛燕」で畠山富雄少尉が出撃。
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▲米護衛空母サンガモン(USS Sangamon)は昭和20年5月4日補給の為、慶良間諸島に到着。
補給は神風特攻隊などの接近でしばしば中断されたものの18:30には終了して再び外洋に向かって動き出した。
しかし、間もなくサンガモンは47キロ先から神風特攻隊が接近しつつある事を知った。陸上戦闘機が迎撃して9機を
撃墜。残る1機は19:00頃にサンガモンの左舷艦尾部めがけて突入してきた。
サンガモンは取舵で急旋回しつつ対空砲火を撃ち、護衛艦艇の助けも得て特攻機を撃墜する事に成功。
サンガモンの右舷からわずか7.6メートル離れた海面に墜落した(陸軍飛行第105戦隊「飛燕」と思われる)
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▲5/4米護衛空母サンガモン(USS Sangamon)に突入寸前の陸軍飛行第105戦隊「飛燕」
 ※この特攻は失敗に終わったが、後に誠第123飛行隊[三越三郎伍長]操縦の「屠龍」が突入、大きな損害を与えた。
昭和20年5月4日陸軍誠第123飛行隊 三越三郎伍長が16:00(台湾)八塊基地より二式複座戦闘機「屠龍」で出撃。
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▲二式複座戦闘機「屠龍」
昭和20年5月4日三越三郎伍長操縦の「屠龍」が、19:25米迎撃戦闘機の哨戒網を突破し、対空砲火を避けるため一旦
雲中に入り、19:33に雲から出てきたかと思えば米護衛空母サンガモン(USS Sangamon)真一文字に突っ込んで、操
舵室中央部に突入。爆弾は艦内部で爆発し、サンガモンに多大な損害を与えた。
わずか15分の間に、格納庫や操舵室を初めとして艦のあちこちから制御不能なほどの火災が発生し、艦橋との音信が途
絶えることとなった。悪い事に、火災は風に煽られてますます大きくなりつつあった。
それでも20:15までには消火手順が整理され、サンガモン乗組員は大火災に立ち向かう事となった。
爆弾の炸裂で消防装置にダメージがあって水圧が低かったものの、消火ガスボンベによって消火が始まった。
また、近在の艦船もサンガモンの消火作業を手伝う為、集合してきた。その甲斐あって22:30までには鎮火した。
通信も、近接した駆逐艦フラム (USS FullamDD-474) を介した通信及び、艦内で唯一使用可能だった航空機用超短波
無線を利用し23:20頃までには回復した。サンガモンは1戦死者11名、行方不明者25名および21名の重傷者を出した。
生き残った乗組員は、修羅場を潜り抜けて生き残れた事を祝ってアイスクリームを食べたと言う。
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▲5/4炎上する米護衛空母サンガモン、その後サンガモンは仮修理の為慶良間諸島に引き返した。
護衛空母「サンガモン」乗組パイロットのマルカム・ハーバート・マックガン大尉は、戦後かなり後になってこう語った。
「わが艦の飛行甲板を突き抜けたあの男は、私より立派だ。私には、あんなことはやれなかっただろう」と、サンガモン
に命中した神風のパイロット(三越三郎伍長)を称えたと言う。
マルカム・ハーバート・マックガン大尉は当時サンガモンで炎上中の特攻機を海中に投棄するのを手伝ったと言う。
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▼▲三越三郎伍長の「屠龍」が突入したサンガモンの飛行甲板。本土に回航後、全損とされスクラップ処分された。
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▼護衛空母サンガモン(CVE-26)艦内での戦死者の葬儀(昭和20年5月5日撮影)
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▼陸軍誠第33飛行隊。四式戦闘機で昭和20年4月16、27日、5月9日、6月6日(台湾)桃園基地より出撃、突入戦死。
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▲写真に収まる隊員。後列左から引地、石原、橋場、中村、坂口(隊長)、福井(副隊長)、内田、持丸、上田各少尉
持丸喜夫少尉(東京都出身4/16出撃)/福井喜夫少尉(広島県出身4/27出撃)/石原正嘉少尉(東京都出身4/27出撃)
橋場昇少尉(富山県出身4/27出撃)/内田雄二少尉(東京都出身4/27出撃)/天野博少尉(千葉県出身)4/27桃園より出撃、
嘉手納沖海上突入戦死。
5/9坂口英作少尉(隊長)(福岡県出身)が桃園より出撃、那覇西方海上突入戦死。
6/6草場道夫少尉(佐賀県出身)が桃園より出撃。沖縄西方海上突入戦死。
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▲昭和20年4月27日米駆逐艦ラルフ・タルポット(USS Ralph Talbot)に「誠第33飛行隊」特攻機が命中。
 大きく損傷したが沈没はまぬがれ任務を続行した。

[ 陸軍誠第120飛行隊 ](台湾)陸軍八塊基地基地より四式戦闘機「疾風」で出撃
5/4畠山富雄少尉/堀田明夫軍曹/田中瑛二伍長
5/12荻野光雄軍曹(京都府出身)/東局一文伍長(石川県出身)
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▲昭和20年5月12日米戦艦ニューメキシコ(USS New Mexico)に、誠飛行隊の特攻機が命中、54名死亡、119名負傷。
 直ちに消火作業が行われ30分以内に鎮火したが、その後5月28日修理の為レイテ島へ向かい戦線から離脱。
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▲昭和20年5月12日米戦艦ニューメキシコ(USS New Mexico)に特攻機が命中した瞬間。

[ 陸軍誠第10飛行隊 ](台湾)陸軍八塊基地基地より出撃
5/3北原弘次見習士官 5/9野本幸平少尉 5/21碓井正雄少尉(香川県出身)

[ 陸軍飛行第204戦隊 ]昭和20年5月20日(台湾)陸軍八塊基地基地より「隼」で出撃
栗原 義雄少尉(埼玉県出身)/小林 修少尉(香川県出身)/田川 唯雄軍曹(岐阜県出身)
大塚 喜信軍曹(神奈川県出身)/井澤 賢治軍曹(兵庫県出身)
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▲5/20米駆逐艦サッチャー(USS Thatcher)に突入、艦のダメージは少なかったが、14名死亡。
 負傷者/行方不明者合わせて53名を数えた

[ 陸軍誠第71飛行隊 ]昭和20年5月24日(台湾)陸軍八塊基地基地より「疾風」で出撃
渡辺 正美少尉(福島県出身)/中山 静雄少尉(香川県出身)/山本 登少尉(広島県出身)
押切 富家少尉(山形県出身)/畠山 正典少尉(岩手県出身)/湯村 恭少尉(大阪府出身)
中島 尚一少尉(大分県出身)昭和20年7月19日出撃
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▲米駆逐艦バリー(USS Barry)は5/16沖縄諸島に到着。到着後は諸島周辺海域の哨戒にあたった。
5/24・25日本軍は菊水七号作戦を発動、バリーにも誠第71飛行隊の四式戦闘機「疾風」2機の特攻機が突入してきた。
そのうちの1機は撃墜したが、もう1機は弾幕を突破してバリーの艦橋下に命中。バリーの乗組員のうち28名は破片で負
傷し、爆発で生じた火災は特攻機から流出したガソリンとバリーの燃料庫および弾薬に燃え移り、艦の前部に脅威をもた
らした。命中してから40分後の13:40艦長はバリーの放棄を決定、乗組員は救命ボートで脱出した。
15:00過ぎ、浸水がバリーの火災を抑え込むのを見た高速輸送艦シムス(USS Sims) とローパー(USS Roper)からの消
火班はバリーに乗り込み、活動の結果翌5/26、06:30頃にはおおむね鎮火した。
バリーは5/28慶良間諸島の泊地に曳航されたが被害の規模は大きく、復旧は割に合わないと判断された。
バリーは部品取りとなり、再利用可能な部品は他の艦艇に転用されることとなった。1か月後6/21バリーは除籍されたが
6/21神風特別攻撃隊「菊水第2白菊隊」が停泊中のバリーへ突入、1日保ったが6/22に沈没した。
バリーが沈んだ6/22沖縄の日本軍最高司令官牛島満陸軍中将と参謀長の長勇陸軍中将は摩文仁丘の洞窟で共に自決。
沖縄戦は終結し、菊水作戦も6/22をもって終了した。

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▲誠第31飛行隊武揚隊[隊長] 山本薫中尉。愛機の九九式襲撃機の垂直尾翼に「必沈」の文字を書き入れている。
 陸軍誠第31飛行隊「武揚隊」昭和20年5月13日16:32(台湾)八塊基地より出撃。19:30沖縄・中城湾に突入戦死。
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▲(隊長)山本薫中尉(徳島県出身享年23歳)/五十嵐栄少尉(山形県出身)/柄澤甲子夫伍長(長野県出身)
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▲誠第31飛行隊「武揚隊」五十嵐栄少尉と愛機の99式襲撃機。昭和20年5月13日(台湾)陸軍八塊基地より出撃。
 沖縄西方海上の敵艦に突入、戦死。
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▲陸軍99式襲撃機
陸軍誠第31飛行隊「武揚隊」昭和20年5月13日(台湾)陸軍八塊基地より99式襲撃機で出撃(沖縄周辺洋上)
山本 薫中尉/五十嵐栄少尉/柄沢甲子夫伍長
陸軍誠第31飛行隊「武揚隊」昭和20年5月17日(台湾)陸軍八塊基地より99式襲撃機で出撃(沖縄周辺洋上)
高畑保雄少尉/五来末義軍曹
陸軍誠第31飛行隊「武揚隊」昭和20年7月19日(台湾)陸軍八塊基地より99式襲撃機単機出撃。(藤井清美少尉)

陸軍誠第123飛行隊昭和20年5月3日(台湾)?基地より二式双襲で出撃(西垣秀夫伍長)慶良間西方突入戦死
陸軍飛行第17戦隊昭和20年5月3日(台湾)花蓮港基地より16:40「飛燕」で出撃。嘉手納沖突入戦死
下山道康少尉/斉藤長之進少尉/辻中清一少尉/原 一道曹長
陸軍飛行第20戦隊昭和20年5月3日(台湾)竜潭基地より16:40「隼」で出撃。慶良間西方突入戦死
島田治郎少尉/須見 洋少尉 /後藤常人少尉/宮田精一少尉/菊井耕造伍長
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▲「飛行第20戦隊」左から須見洋少尉/後藤常人少尉/宮田猪一少尉 5/3慶良間西方の敵艦船に突入、戦死。
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▲昭和20年5月3日慶良間諸島周辺で誠第123飛行隊等の特攻を受け炎上する米駆逐艦ワード(USS ARRON WARD)
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▲特攻機6機の突入を受け大破した米駆逐艦アロン・ワーUSS ARRON WARD(DM34)
※日本海軍ハワイ真珠湾攻撃において日本海軍の特殊潜航艇「甲標的」を撃沈した艦艇として知られる。
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▲辛うじて浮かんでいたが結局米軍によって沈没処理された。

陸軍誠第123飛行隊昭和20年5月4日(台湾)?基地より二式双襲で出撃(水越三郎伍長)嘉手納沖突入戦死
陸軍誠第123飛行隊昭和20年5月9日(台湾)?基地より二式双襲で出撃(南出義光伍長)那覇西方突入戦死
陸軍誠第123飛行隊昭和20年5月12日(台湾)?基地より二式双襲で出撃(加治木利秋少尉)慶良間西方突入戦死
陸軍飛行第17戦隊昭和20年6月5日(台湾)花蓮港基地より「飛燕」で出撃。嘉手納沖突入戦死
稲森静二少尉/岡田政雄少尉/佐田通安 少尉/富永幹夫少尉
陸軍飛行第20戦隊昭和20年5月29日(台湾)竜潭基地より「隼」で出撃。沖縄周辺洋上突入戦死
石橋志郎少尉(朝鮮名不明)/大野好治少尉/武本郁夫少尉/山田三郎伍長/森 弘伍長
(6/1出撃)猪股 寛少尉/(6/1出撃)芦立孝郎伍長
陸軍飛行第20戦隊昭和20年6月6日(台湾)竜潭基地より「隼」で出撃。慶良間西方突入戦死
及川真輔少尉/東 勉伍長/遠藤昭三郎伍長/吉川昭孝伍長
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▲昭和20年6月3日陸軍飛行第20戦隊 隊員に訣別の訓示を与える戦隊長。(台湾)高雄にあった小港飛行場にて。
 第20戦隊は沖縄戦に一・四式戦特攻隊を編成、散華。村岡英夫少佐(戦隊長)が小港飛行場で終戦を迎え証言。
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▲飛行第20戦隊「誠忠隊」遠藤昭三郎伍長(静岡県出身17歳)昭和20年6月6日竜潭基地より出撃。
 慶良間西方海上の敵艦船に突入戦死。

宜蘭(ぎらん)には民間飛行場を接収した陸軍の宜蘭北(員山-現・金六結新兵訓練中心)飛行場、宜蘭西(内城-現・
金車威士忌酒廠)飛行場があったが、宜蘭南飛行場が陸海軍主飛行場として使われていたそうだ。
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▲飛行第19戦隊の搭乗員達。三式戦闘機で昭和20年4月11、18、22、30日、5月4、18、21日(台湾)宜蘭より出撃。
[隊長]大出博紹少尉(大阪府出身)22歳/山縣 徹少尉/新屋 勇軍曹 以上4/11三式戦闘機[ 飛燕 ]で突入戦死。
根本敏雄少尉/倉沢和孝少尉 以上4/18三式戦闘機[ 飛燕 ]で沖縄周辺洋上突入戦死。
渡辺国臣少尉/小野 博少尉 以上4/22三式戦闘機[ 飛燕 ]で慶良間洋上突入戦死。
栗田常雄軍曹4/30三式戦闘機[ 飛燕 ]で沖縄周辺洋上突入戦死。
長沼不二人少尉/橋本郁治軍曹 以上5/4三式戦闘機[ 飛燕 ]で宮古南側突入戦死。
大立目公雄少尉/飯野武一少尉/中村憲二少尉 以上5/18三式戦闘機[ 飛燕 ]で嘉手納西方突入戦死。 
沢田卓三少尉 以上5/21三式戦闘機[ 飛燕 ]で嘉手納西方突入戦死。
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▲特攻機の突入を受け大破したUSS YMS-92(昭和20年5月16日米軍撮影)

※陸軍宜蘭南飛行場場跡には現在も測候所、管制塔、指揮所などの建物や掩体壕が残っている。
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▲陸軍宜蘭南飛行場場跡に残る測候所跡。
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▲陸軍宜蘭南飛行場場跡に残る管制塔「通称・八角亭」(現在、南飛行場跡地は造成中で立ち入り禁止との事)
 2009年までは昔のままの南飛行場が残っていたそうで、2012年には既に整地されていた様だ 。
 ここから出撃した飛行第20戦隊所属で小隊長だった石橋志郎少尉は朝鮮出身で沖縄戦の特攻で戦死した朝鮮人
 特攻隊員の内の1人として有名である。宜蘭南機場跡You Tube→宜蘭南機場、員山機堡、思原機堡、北機場
 石橋志郎少尉[ 朝鮮出身 ]本名不明(昭和20年5月29日沖縄周辺洋上にて戦死)
▼陸軍宜蘭飛行場付近に現存する掩体壕を歴史文化施設として活用する動きも進んでいる様だ。
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宜蘭飛行場は 台湾(烏來)ご紹介した高砂義勇隊「薫空挺隊」が出撃していった飛行場と言われています。
そういった観点からも非常に興味深い。宜蘭北飛行場跡地に員山公園がある。圓山と云う小高い丘の上に建てられた
宜蘭神社は日本統治時代(大正8年)に建てられた物だそうだ。終戦後に進駐してきた国民党軍に社殿を破壊され燈籠
や狛犬も打ち壊されたが、奇跡的に「神馬像」は地元の住人によって宜蘭の文昌廟に保管されていて今でも見学する
事が出来る。次回是非行ってみたいと思う。
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▲宜蘭員山公園にある宜蘭神社

「飛行第29戦隊」昭和20年5月21日/6月6日(台湾)台中基地より四式戦闘機[疾風]で出撃
浅野史郎少尉/指方 久軍曹/浜島長吉伍長 以上5/21四式戦闘機[疾風]で沖縄周辺洋上突入戦死。
中島三夫少尉/吉森 茂軍曹/林田敏治伍長 以上6/6四式戦闘機[疾風]で沖縄周辺洋上突入戦死。
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▲6/6(台湾)台中基地から疾風で出撃し、散華した中島三夫少尉(左端)/吉森 茂軍曹/林田敏治伍長
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▲「飛行第29戦隊」浅野史郎少尉 昭和20年5月21日(台湾)台中基地より四式戦闘機で出撃、突入戦死。

昭和20年7月19日陸軍誠第31飛行隊「揚武隊」99式襲撃機1機(藤井清美少尉)八塊基地より出撃(那覇西方)
昭和20年7月19日陸軍誠第71飛行隊 99式襲撃機1機(中島尚一伍長)八塊基地より出撃
昭和20年7月19日陸軍第204戦隊 花漣港基地より出撃 
[隼4機]織田安也少尉(鹿児島県出身)/笠原卓三軍曹(長野県出身)/塚田方也軍曹(静岡県出身)/渡井香伍長
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▲伊江島作戦遂行中に特攻機の突入を受け船首部分をもぎとられた米軍上陸用舟艇(昭和20年7月9日撮影)

※海軍特攻ボート「震洋」も台湾に配備されていた(出撃日時・戦果等不明)
「沖縄戦」で米軍に鹵獲された海軍特攻ボート「震洋」
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第20震洋隊 薄中尉(台湾高雄)/第21震洋隊 竹内中尉(台湾高雄)/第29震洋隊 永井大尉(台湾高雄)
第24震洋隊 若松中尉(台湾馬公)/第25震洋隊 和田中尉(台湾馬公)/第28震洋隊 浦木中尉(台湾海口)
第30震洋隊 山本中尉(台湾海口)/第31震洋隊 栗原中尉(台湾高雄)/第102震洋隊 佐々木大尉(台湾淡水)
台湾 高雄 左営 S19.10.20配備50隻(184名内9名戦死)
台湾 高雄 左営 S19.10.20配備55隻(183名)
台湾 漁翁島 S19.11.05配備68隻(183名)  
台湾 漁翁島 S19.11.05配備50隻(184名内44名戦死)
台湾 海口 S19.11.15配備53隻(191名内3名戦死)
台湾 高雄桃子園S19.11.15配備54隻(191名)  
台湾 海口 S19.11.15配備54隻(191名)  
台湾 高雄 左営 S19.11.15配備55隻(187名)  
台湾 海南島新村S20.01.18配備50隻(185名内1名戦死)
台湾 海南島三亜S20.01.18配備49隻(187名内1名戦死)
台湾 海没解隊 S20.01.08配備52隻(167名内167名戦死)
台湾 海没解隊 S20.01.18配備26隻(183名内163名戦死)
台湾 淡水/江頭 S20.01.18配備25隻(191名内2名戦死)
台湾 淡水 S20.01.18配備28隻(186名内2名戦死)

[ 新竹空襲 ]
新竹空襲は昭和18年(1943)11月25日アメリカ陸軍航空軍と中国国民革命軍の連合部隊が、台湾新竹市の海軍新竹基
地に対して行った航空攻撃で、中国大陸から日本領に対して行われた初めての本格的空襲である。
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▼▲空襲を受ける海軍新竹飛行場
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▼空襲を受ける新竹駅周辺
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▼空襲を伝える当時の新聞記事(号外とされている)
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連合国軍による奇襲は成功し、空襲の結果、日本海軍の記録によれば地上で13機が炎上、戦闘機と陸攻各2機が撃墜さ
れ、25人戦死20人が負傷した。連合国側の記録は地上で日本機42機を破壊、14~15機を撃墜したと判定している。
対する連合国軍の損害は、連合国側の記録によれば対空砲火と樹木との接触で2機が軽く損傷したのみであった。
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▲1943年の中国で作戦中のアメリカ陸軍航空軍のP-40戦闘機とB-24爆撃機。
台湾が空襲されるという事態は、日本の大本営に衝撃を与えた。大本営は、さしあたりの対策として飛行第246戦隊主
力(伊丹飛行場)と第18飛行団の司令部偵察機中隊を台湾へ派遣し、昭和19年(1944))1月下旬には独立飛行第23
中隊を派遣して任務を引き継がせた。更に大本営は、地上部隊により航空基地を占領することで本土空襲を阻止できな
いか検討を始めた。杉山元参謀総長が、服部卓四郎参謀本部作戦課長に対して検討を指示。大陸打通作戦が計画・実行
される事になった。
その後、連合国側は、約1年後の台湾沖航空戦まで台湾に対する大規模空襲こそ繰り返さなかったが、1944年1月11日
B-25数機で高雄市を空襲した。
▼空襲を受ける高雄軍港
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1944年3月4日には海南島(現・中華人民共和国海南省)の日本海軍基地を戦爆連合30機で奇襲攻撃、その他各地の航空
基地や沿岸航行中の商船を襲撃し、1944年6月には、成都基地から出撃したB-29爆撃機による八幡(九州)空襲が行われ、
日本本土にも空襲が及んでいる。その後「大陸打通作戦」により中国戦線の連合国軍航空部隊の活動は大きく妨げられた
が、戦略的意義は乏しかった。
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▲日本統治時代の台湾の製糖工場
台湾製糖株式会社は、日本統治時代の台湾に創立され、台湾最初の新式製糖工場を建設した製糖会社である。
台糖株式会社(たいとう)は台湾製糖の後身で、かつて東京都中央区に存在した株式会社である。
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▲米軍の空襲で被害を受けた製糖工場。
※現在、台南の高雄市には台湾糖業博物館があり、日本統治時代、南部最大の製糖工場跡を見学する事が出来る。
 高雄市橋南里糖廠路24号(年中無休)




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 2016_02_10

Comments

戦ってくれたおじ様に感謝いたします 

おじ様が戦っておられたんですね・・・コメント誠に有難うございます。そして「ご苦労様でした、有難うございました」と言わせて頂くと同時に感謝の気持ちで一杯です。
WhitePigeon  URL   2017-02-28 19:25  

 

私の生前に戦死し、見た事も無かったおじの顔を掲載の写真で初めて見ました。ありがとうございました。
姪  URL   2017-02-28 18:32  

Re: 自称慰安婦イヨンスの証言について 

そんな事があった(おっしゃっておられる)んですね・・・神風特攻隊の出撃は事実でしょうけど、慰安婦は・・・。存じ上げません、すいません。しかし、わざわざ朝鮮から連れてこずとも台湾にも慰安婦の方は沢山いらっしゃった様ですから。そのあたりの事は良く解りませんし、検証する事もあまり積極的になれません。申し訳ございません。
EVNARA  URL   2017-01-11 21:27  

自称慰安婦イヨンスの証言について 

韓国の自称元日本軍慰安婦でイヨンスという人が、1945年の旧正月に台湾新竹の神風部隊に連れて来られて、慰安婦にさせられた。抵抗すれば電気ショックの拷問を受けたと世界中で証言していますが、真偽を検証することは可能でしょうか?
真偽検証  URL   2017-01-11 20:33  

Re: 初めて知りました 

ゆめぞう 様

ご覧いただき有難うございます。台湾からの出撃はあまり知られていませんよね、沢山の人に知って頂きたいと思います。コメント有難うございました。
EVNARA  URL   2016-07-19 15:56  

初めて知りました 

台湾から特攻隊が発進していたなんて初めて知りました。とても勉強になりました。台湾の特攻隊記録をここまで詳細に書いているのはあなた様のブログが初めてです、有難うございました。
ゆめぞう  URL   2016-07-19 10:39  

新しい写真の追加、有難う御座います 

新しい写真の追加、有難う御座います,勉強に成ります、忘れません
Tony  URL   2016-02-12 19:07  

Re: 「正に、無理な作戦」、悦雄 

Tony 様

そうでうね、特攻という作戦を立てなければならなくなった時点で日本の敗戦は決まっていましたよね。
日本の勝利を信じて出撃した隊員達は薄々敗戦を予想していたでしょう・・。それでも出撃したという事実には本当に頭が下がります。赤トンボで出撃したのは台湾だけなのか、九州の海軍基地からも出撃したのか・・?詳しい事は謎ですが飛行機で特攻出撃出来た方は震洋艇(特攻ボート)よりも恵まれていたという表現も出来るかもしれません。
EV奈良  URL   2016-02-10 21:59  

「正に、無理な作戦」、悦雄 

「正に無理矢理の作戦」、訓練も無く、「赤とんぼ」で、只特攻に出せば、沖縄戦が終わってからも、国軍の指揮官とは、なんなのでしょうか、戦果を期待出来ないのに、作戦を継続した「指揮官」とは、有難う御座います、本当に知られざる「台湾からの特攻」、忘れない様に致します、皆さんに読んで下さい、率直な気持ちです。
Tony  URL   2016-02-10 17:50  

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今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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