水上機神風特別攻撃隊


水上機神風特別攻撃隊をご存知でしょうか。「神風特攻隊」と聞くとゼロ戦で敵艦に体当たりした。
というイメージで統一されている様に思われるが、ゼロ戦で特攻出撃された方達以外に、海軍のさまざ
まな航空機で特攻作戦は行われた。中でも太平洋戦争末期には航空機不足を補う為に、時代遅れとなっ
た旧式機で特攻出撃された方達の事も忘れてはいけない。
「水上機神風特別攻撃隊」が使用した機は、日本海軍が昭和15年に採用した「零式水上偵察機」そして
昭和9年に採用された「94式水上偵察機」と昭和11年採用の「零式観測機(2人乗)」だった。
速度の遅い旧式偵察機に800㌔爆弾や500㌔爆弾を搭載し、香川県詫間町幸田和田内にあった詫間海軍
航空隊で編成された「琴平水心隊」などが、九州の指宿基地より沖縄に出撃していった。
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注目すべき点は「零式水上偵察機」「94式水上偵察機」ともに3人乗りだったという事だ。
海軍は偵察機を特攻作戦に使用したあげく、偵察機乗員の3名又は2名を乗せて出撃させた。当時の特攻目標は、
陸軍は輸送船、海軍は空母という事で、陸地から離れた海上の敵艦船を狙っていた為、偵察員や電信員を乗せる
必要があったとされているが、本当に特攻攻撃に3名も乗せる必要があったのだろうか・・・?
しかも隊員は全て学徒動員で徴兵されたエリート予備学生や予科練を出たばかりの20歳前後の若者達だ。
海軍では兵学校出の士官、特務士官、予備士官は判然と区別され、特攻を命じられたほとんどが学徒動員の予備
士官だった。30代以上の職業軍人は誰1人特攻出撃はしていない。
昨日まで学生服を着て勉学に勤しみ、将来の日本を背負っていくべき若者達を旧式偵察棺桶へ詰め込んで次々に
特攻に送り出した日本。敗戦後この作戦の責任を誰がとったのか・・・。誰か総括をしたのか?
大西瀧治郎中将の自決だけで終わり?
責任をとらない無能な政治家、若者を使い捨てにする日本は今も変わっていないのではないだろうか。
2015年度に過労死で労災認定された人は96名。未遂も含め過労自殺は93名が労災認定されている現在の日本は、
世界の中でも異常の国と言える。「従業員達の労働時間が不健康であるとして悪名高い」現在の日本。
過労死が出る程働きまくっているにもかかわらず、日本人の労働生産性は世界的に見て非常に低く、他のOECD
諸国より劣る。日本国民が総力を挙げて戦った相手、アメリカは今も世界最大の経済大国である。
戦争を捨てて敗戦国となり、戦争を捨て、経済優先の政策を続けて来た日本が何故未だにアメリカに遅れをとって
いるのは何故か?英エコノミスト紙はその理由を皮肉たっぷりに書いている。
「(日本の)超過労働は経済にあまり恩恵をもたらしていない。なぜなら、要領の悪い労働文化と、進まないテクノ
ロジー利用のお陰もあって、日本は富裕国からなるOECD(経済協力開発機構)諸国の中でも、最も生産性の悪い経
済のひとつであり、日本が1時間で生み出すGDPはたったの39ドルで、米国は62ドルである。つまり、労働者が
燃え尽きたり、時に過労死するのは、悲劇であるのと同時に無意味なのだ」と・・・。
無意味と言わないまでも、明らかに成功率に低い特攻作戦にどれだけの有能な若者を投入したかを見ると、現在も
形は違えど根本的には日本の体質は変わってないのではなかろうか・・・。
では世界各国では1時間でどれほどのGDPを生み出しているのか?ランキングは以下の通り。(2014年)
1位ルクセンブルグ(79.3ドル)/2位ノルウェー(79ドル)/3位/アイルランド(64ドル)/4位アメリカ(62.5ドル)
5位ベルギー(62.2ドル)/6位オランダ(60.9ドル)/7位フランス(60.3ドル)/8位ドイツ(59.1ドル)となっており、
G7の平均は54.5ドルだった。各国の人口差等もあるので一概には言えないが、精神論で無茶する傾向がまだ日本
に残っているのかもしれない・・・。勝算根拠無き戦争と同じ様にならない経済戦争にならない事を切に願う。
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▼▲海軍零式水上偵察機
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▼終戦後米軍撮影の海軍零式水上偵察機
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▼フィリピンで米軍が撮影した海軍零式水上偵察機の残骸。
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[ 水上機神風特別攻撃隊 ]昭和20年4月29日~7月3日指宿海軍航空基地より出撃
昭和20年4月29日(琴平水心隊)零式水上偵察機1機/94式水上偵察機1機出撃(隊員5名出撃)
[操縦]安田友彦少尉(大分県出身) / [偵察]井上静夫少尉(長崎県出身) / [電信]小住昭雄2飛曹(福岡県出身)
[操縦]佐藤年正少尉(福岡県出身) / [偵察]湯上和夫2飛曹(和歌山県出身) / [電信]
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▲出撃直前、カメラに向かって手を振る[操縦]安田友彦少尉と[偵察]井上静夫少尉。
 4/29指宿海軍航空基地より出撃、沖縄周辺の敵艦船に突入戦死。
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▲「琴平水心隊」安田友彦少尉、井上静夫少尉、佐藤年正少尉他隊員勇士達。
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▲出撃前の「琴平水心隊」隊員と94式水上偵察機
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▲94式水上偵察機

昭和20年5月4日(琴平水心隊)94式水上偵察機12機、零式水偵1機(隊員27名出撃)
零式水偵
[操縦]勝又徳2飛曹(静岡県出身) / [偵察]矢野弘一少尉(香川県出身) / [電信]
94式水偵
[操縦]碓本守少尉(滋賀県出身) / [偵察]田中敬治少尉(長野県出身) / [電信]高橋淳一2飛曹(神奈川県出身)
[操縦]橋本清水少尉(長崎県出身) / [偵察]斎藤友治少尉(山口県出身) / [電信]
[操縦]山口久明少尉(鹿児島県出身) / [偵察]斎藤裕1飛曹(東京都出身) / [電信]
[操縦]笹尾愛上飛曹(福岡県出身) / [偵察]四方正則少尉(京都府出身) / [電信]轟 慧1飛曹(福岡県出身)
[操縦]宇野茂2飛曹(兵庫県出身) / [偵察]中尾武徳少尉(福岡県出身) / [電信]
[操縦]野村龍三2飛曹(愛知県出身) / [偵察]中谷栄一少尉(石川県出身) / [電信]
[操縦]矢野幾衛少尉(福岡県出身) / [偵察]徳田昭夫1飛曹(岩手県出身) / [電信]
[操縦]関口剛史2飛曹(神奈川県出身) / [偵察]別所啓市少尉(滋賀県出身) / [電信]
[操縦]林真喜三少尉(福岡県出身) / [偵察]新山秀夫1飛曹(千葉県出身) / [電信]
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▲出撃直前の[操縦]橋本清水少尉と [偵察]斉藤友治少尉。沖縄周辺の敵艦船に突入戦死。
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▲海軍94式水上偵察機
昭和20年5月4日(第1魁隊)94式水上偵察機5機、零式水上偵察機1機出撃出撃(隊員18名出撃)
「零式水偵」飯塚英次上飛曹 /野美山俊輔少尉/金子清明2飛曹
「94式水偵」舟津一郎少尉/前原喜雄少尉/山本謹治少尉/
      宮村誠一少尉/玉木麻人少尉/渡部庄次少尉
      林 元一少尉/中村正一1飛曹(三重県出身)/岩佐忠男1飛曹
      佐藤憲次少尉/碇山達也少尉/武井 清少尉
      中島之夫少尉/山口龍太少尉/河野宗明少尉
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▲詫間空の森司令から壮行の別盃をうける「魁隊」隊員。
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▲神風特別攻撃隊「魁隊」隊員勇士達。
昭和20年5月11日(第2魁隊)94式水上偵察機1機/零式水上偵察機1機出撃出撃(隊員5名出撃)
[操縦]四方厳夫中尉(京都府出身) / [偵察]飯沼孟少尉(神奈川県出身) / [電信]大日向景介1飛曹(東京都出身)
[操縦]阪本明少尉(東京都出身) / [偵察]山崎誠一少尉(東京都出身) / [電信]
※徳之島の陸軍部隊上空で飛行靴に、「魁隊・坂本少尉機、単機突入す」旨の紙片を入れて投下した。
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▲昭和20年5月3日水上機の訓練場として予科練生の育成に寄与した茨城県の北浦基地隊員に見送られ、指宿へ向か
 う零式水上偵察機。特攻時には800キロ爆弾をくくり付けて出撃した。
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▲魁隊勇士達。彼等の多くは昭和20年5月4、11日出撃、戦死した。

昭和20年5月24日(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機2機出撃(隊員3名出撃)
江代昭雄二飛曹/檜和田直成少尉/山口 昇二飛曹

昭和20年5月28日(琴平水心隊)94式水上偵察機3機(隊員7名出撃)
[操縦]山口平少尉(長崎県出身) / [偵察]細田真仁1飛曹(埼玉県出身) / [電信]
[操縦]岩坂英夫上飛曹(新潟県出身) / [偵察]桜井武少尉(山形県出身) / [電信]小林護2飛曹(静岡県出身)
[操縦]原光三2飛曹(広島県出身) / [偵察]重信隆丸少尉(香川県出身) / [電信]
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▲琴平水心隊。航続距離に難がある為、指宿水上基地から奄美大島の古仁屋水上基地に前進後、薄暮発進する
攻撃法を採用した。
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▲海軍零式観測機
昭和20年6月21日(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機5機出撃。
[操縦]根上行介1飛曹 / [偵察]野路井正造中尉/ [電信]
[操縦]立山敏教2飛曹/ [偵察]相馬昴少尉/ [電信]
[操縦]小林清吉1飛曹 / [偵察]山口輝夫少尉/ [電信]
[操縦]中島昭二2飛曹/ [偵察]乙津和市少尉/ [電信]
[操縦]内田徹1飛曹 / [偵察]       / [電信]

昭和20年6月25日「琴平水偵隊」零式観測機で出撃
椎根 正中尉/久次勝美1飛曹/小酒悟郎2飛曹
加藤重信1飛曹/高口一雄2飛曹/佃 辰夫2飛曹

昭和20年6月25日
(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機単機出撃(隊員2名出撃)
松永篤雄二飛曹/田所 昇少尉
昭和20年6月27日「琴平水偵隊」零式観測機単機出撃
杉田 巽2飛曹
昭和20年6月28日「琴平水偵隊」零式観測機単機出撃
中村 毅2飛曹/竹安末雄上飛曹
昭和20年7月3日
(第12航空隊二座水偵隊)零式観測機単機出撃(隊員2名出撃)
桑原辰雄二飛曹/須藤竹次郎少尉
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▲零式観測機をバックに記念写真に収まる「第12航空隊二座水偵隊」隊員勇士達
水上機神風特別攻撃隊 合計87名出撃

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▲特攻隊最後の無電を必死で受ける電信兵(撮影場所不詳)昭和20年4月早川弘本社特派員撮影
「今日もまた、『海軍のバカヤロー』と叫んで、散華する者あり」
特攻機は離陸後はずっと無線機のスイッチをオンにしていた。基地電信兵は特攻隊員の「最後の叫び」を聴いていた。
「お母さーん」や、女性(恋人)の名前が多く、「大日本帝国万歳」や「天皇陛下万歳」というのはほとんどなかった。
ところが、そうした通信記録は残っていない。
高級参謀をはじめ、日本の職業軍人とは何者だったのか・・・?
イギリスは階級社会だが、国を守るという点では王族・貴族も無い。戦争で死ぬということについて、平等性がある。
戦争に貴賤(きせん)なしである。日本でも高松宮さまは前線勤務を希望していた様だが、ある陸軍大学校出身の元
参謀は「息子を入学させるなら陸大だよ」と言っていたという。元参謀の同期50人程の内戦死は4人だけだったと言う。
エリートは前線に行かず、戦争を美化する傾向は今も昔も変わっていない・・・。


沖縄戦の航空攻撃の主力は特攻機であった。正に「全軍特攻」であり、機材が不足すると水上機や練習機も投入された。
しかし、一部の部隊はこうした流れに逆らい最後まで通常攻撃を続けた。
有名なのは美農部正少佐が指揮した「芙蓉部隊」である。同隊は彗星艦上爆撃機と零式艦上戦闘機を装備し、主に米軍
に占領された沖縄の元日本軍飛行場への夜間攻撃を敗戦まで続けた。
もう1つ、一般にはあまり知られていない部隊がある。それが「瑞雲水上爆撃隊」である。同隊は奄美大島の古仁屋を
中継基地とし、沖縄への夜間攻撃を毎晩のように繰り返した。「瑞雲」は水上偵察機でありながら、250キロ爆弾を抱
えての急降下爆撃をこなし、20ミリ機銃2挺と13ミリ旋回機銃1挺という重武装であった。
既にフィリピンの夜間攻撃で活躍した実績があった。
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▲▼昭和20年5月15日伊平屋島に繋がる野甫島で米軍が撮影した写真。水上偵察機「瑞雲」の様に見える。
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奄美大島の古仁屋基地から250kgの爆弾を搭載して沖縄に向け出撃した海軍4抗戦641空「瑞雲水上爆撃隊」飯井敏雄
少尉(当時22歳)の水上偵察機「瑞雲」が、米軍機の攻撃を受け日本軍が守備していない野甫島付近に不時着。
部下と海上を漂い2人で伊平屋島を目指し約30㌔を12時間かけて泳いだが、伊平屋島約800m手前の永良部岩近くで力
尽きていたところを、浜辺の島民達に助けられて4時間後に蘇生し、九死に一生を得た。
救助された飯井敏雄少尉はその後終戦翌年に故郷に戻る事になったが、助けてくれた伊平屋島の方に少しでも恩返しが
したいと、定年を期に野甫島で暮らすことを決意、奥さんと二人で移住したと言う。
野甫島の丘の上に住居を構え、島民の交流の場としてその場所を開放していた事、戦争の犠牲となったかつての仲間を
慰める為、慰霊塔『雲流れる果てに』と刻まれた慰霊塔を庭に建てた。慰霊堂横の石碑には以下の言葉が刻まれている

命(ぬち)どう宝
1945年 日本は戦に敗れました
健康で英知に富む若者たちは
海軍航空隊を志願し 散ってゆきました
彼らは 自分の未来に 何を夢見たでしょうか
日本の未来に 何を夢見たでしょうか
地球の未来に 何を夢見たでしょう
1990年 飯井 敏雄 書

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▲海軍水上偵察機「瑞雲」 『命どう宝~飯井敏雄の生涯~』という本も出版されているとの事。
沖縄戦に参加した瑞雲隊は2隊である。1つは「第634海軍航空隊」偵察第301飛行隊だ。
同隊は昭和19年10月からフィリピンに進出、米軍のルソン島上陸に伴って昭和20年1月に再編の為に台湾に後退した。
司令は江村日雄中佐、飛行長は古川明少佐、飛行隊長は山内順之助少佐で、基地を台湾の淡水に置いていた。
もう1つが「第801海軍航空隊」偵察第302飛行隊である。
同隊は昭和19年12月中旬に編成されたばかりでまだ練成途上であり、訓練の終わった機から順次九州に進出していた。
飛行隊長は伊藤敦夫少佐である。基地は福岡県の玄海や博多、鹿児島県の指宿などである。
「瑞雲」は航続距離が燃料満載時でも520カイリにすぎない為、九州~沖縄間、台湾~沖縄間の約350カイリの往復は
不可能であった。その為、両隊とも奄美大島の古仁屋(こにや)を中継基地として使用する事となった。
その攻撃方法は2通りあった。1つは古仁屋を中継基地として使用する方法である。
偵察第301飛行隊の場合は(台湾)淡水基地から発進、沖縄周辺の米艦隊を攻撃して古仁屋に着水、補給後再び攻撃に向
かい淡水に帰投するというものである。
一方の偵察第302飛行隊は九州の博多や指宿を出撃して「薄暮又ハ月明時古仁屋ニ進出燃弾補給ノ上電撃的ニ執拗ナル
(ゲリラ)的戦法ニ依リ輸送船上陸用舟艇軽快艦艇及好機航空母艦ヲ攻撃」するものであった。
もう1つが「夜間敵主力攻撃情況ニ依リ四機程度ヲ古仁屋ニ配備」古仁屋を根拠地として沖縄攻撃を行う方法である。
偵察第301飛行隊分隊長で瑞雲隊エースの宮本平治郎大尉は奄美大島の古仁屋(こにや)に常駐していた様だ。
古仁屋基地「瑞雲隊」をテーマにしたNHK終戦企画ドラマ「ラスト・アタック~引き裂かれた島の記憶」YouTube


▼南方で撮られた写真、現地人女性・隊員と零式観測機が写っている。
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▼上記写真をカラー化したもの。南方の雰囲気・当時のカラーや隊員の装備服装等が良く解る。
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▼ニューギニアで撮影された日本海軍水上基地、零式観測機が並んでいる。
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▼インドネシアで撮影された日本海軍、零式観測機
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 2016_02_25

Comments

Re: 矢野弘一少尉 

T 様
コメント有難うございます。
当方、全く情報がございません。
ご希望に添えず申し訳ございません、宜しくお願いします。
EVNARA  URL   2016-09-12 10:12  

Re: 毎日、正に人殺し 

Tony 様

おっしゃる通りですね、人殺しですね。こういった事実を戦後誰も総括していませんね、日本は。
一億総活躍社会とか言いながら若者は派遣切に怯えながら働かされ、少子化が問題だといいながら保育所は足りず、共働きしなければ生計が立てられない現実、一体この国は何がしたいのでしょうかね。旧式特攻機で若者を使い捨てにした後は、竹槍持たせて一億総特攻を本気で考えていた日本ですからね、国体護持の為なら国民などどうなっても良いという考え方は今も昔も何も変わっていませんね。
EV奈良  URL   2016-02-27 14:23  

毎日、正に人殺し 

本当に規則程度に、特攻に、酷すぎる、複座、三座の水上機、此の機が沖縄に行けると思っているのでしょうか、アメリカでは、此れは男の喧嘩では無い、もう戦争では無い、酷過ぎる、そして誰も責任を取らない、忘れてはいけないです、有難う御座います、勉強に成ります。
Tony  URL   2016-02-25 22:47  

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今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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