ニイハウ島事件

Category: ハワイ  

ニイハウ島事件は、昭和16年(1941)12月7日日本海軍による真珠湾攻撃に加わった空母「飛龍」所属のゼロ戦が、ハ
ワイ諸島のニイハウ島に不時着して起きた一連の出来事である。
1864年以来、ハワイ諸島の中で最も西にあるニイハウ島はロビンソン家が私的に所有している。島民のほとんどはハ
ワイ先住民で、彼らの第一言語は、他の島の住民のような英語やハワイ・クレオール英語ではなく、ハワイ語だった。
現在もニイハウ島は観光などでは訪れる事が出来ない島である。(アメリカ軍関係者と先住民のみが行き来している)
許可なしには上陸出来ず、カウアイ島からヘリコプターや船のチャーターで行くことが許されている。
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当時、日本海軍 軍令部情報では、ニイハウ島は牛の放牧場で管理人は日本人3名、土人労務者約20名がいるが白人は1
人も居住していないと記されていた為、ハワイ真珠湾攻撃に際し、ニイハウ島を真珠湾攻撃時に損傷を受けた航空機の
緊急着陸地として、更にパイロットを潜水艦によって救出するための集合地点として指定されていた。
これは西側の海岸が平坦な地形で滑走路として使い易く、また水深が深い為に潜水艦をギリギリまで寄せることが可能
だった事が挙げられる。
昭和16年12月7日、日本海軍の空母「飛龍」に所属する西開地重徳(にしかいち・しげのり)1飛曹は、真珠湾攻撃の第2
波攻撃に参加した後、搭乗したゼロ戦に銃撃を受け自爆認定された。
しかし実際には、西開地1飛曹は命令通りハワイ・ニイハウ島の野原に不時着していた。
西開地1飛曹は3日間救出を待つも日本海軍の潜水艦は現れず、日本では交戦後「自決」とされているが、日本の情報不
足で、ニイハウ島は日系人ばかりと搭乗員に教え、帰還不能の時は「ニイハウ島にて潜水艦を待て」との命令だったが、
ニイハウ島の住人は250名、内日系人は3名しかおらず、その原田義男夫妻に匿われたが、カナカ族の民兵(島の先住民
ベニ・カナヘレ)に喉をナイフで切り裂かれ、撲殺されたとされる。(ベニ・カナヘレは叙勲されている)
当時ニイハウ島に不時着した西開地1飛曹は軽症で、島民たちが手厚く看護したという。
ところが、ニイハウ島住民の1人が西開地1飛曹が不時着させたゼロ戦の機内から地図と拳銃を盗み出した。
帝国海軍の軍人にとっては機密書類と拳銃。当然、住民との間に緊張感が漂った。
間に入ったのが、カウアイ島から農場管理人として働きに来ていた日系2世の原田義雄さん(当時39歳)と妻の梅乃さん夫
妻だった。西開地一飛曹は住民との抗争によって撲殺又は自決したが、その際、原田夫婦も、御主人は自害(米国人であ
りながら、両親の国で敵国だった日本軍に加担したジレンマからだったと言われている)又は死亡。
奥様の梅乃さんは抗争で片手を失い、国家反逆罪で逮捕され、犯罪者として収監。
2年9か月の収容所生活後釈放されたが、世間の目は冷たかった。
大変苦しい生活をされたが3人の子供の為に自殺を我慢されたと言う。
亡くなった原田義雄さんの弟は、兄の汚名を晴らすかのように米軍日系2世部隊に志願した。
(戦後、原田夫婦に対しては日本政府は何もしていない)
西開地1飛曹をかくまった日系2世「原田義雄さん」享年39歳
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▲ニイハウ島に不時着し、色々な事が重なり焼却された西海地重徳一飛曹搭乗機のゼロ戦
西海地重徳一飛曹の遺骨は、勇敢な兵士として、米軍はニイハウ島(後にマウイ島の陸軍基地)に安置保管していたが、
戦後、現地日系人の奥様達が「あの兵隊は若かったので、日本のお母さんの所に帰してほしい」と再三にわたり請願。
長い間無視されたが、昭和29年アメリカ政府が根負けし、遺骨の経緯を含めて全て明らかにした上で「母親の所に帰し
て」とし、日本の厚生省に返還したが、厚生省は、西海地重徳一飛曹の遺骨を、横浜の復員課の無縁仏の棚に10年以上
放置。ハワイからの再三問い合わせがあり、母親の元に渡されたのは戦死後20年以上経過していた。
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▲西開地重徳1飛曹(愛媛県出身) 享年21歳
西海地一飛曹の母は戦時中は「軍神の母」と祭り上げられ、敗戦後は「戦争協力者の母」という批判を浴びせられる。
西海地重徳一飛曹の母親は小学校の代用教員(実質は用務員)で、生活に困窮し、57歳で勤務中に心筋梗塞で死亡した
と記録されている。
西海地重徳一飛曹の遺骨に関する日本政府の扱いにハワイの日系人は激怒し、この顛末を日本で「ニイハウ島の零戦」
という本にし、ハワイで英語に翻訳。州の全小学校の図書館に置き「日本という国は、祖国の為に戦った兵士にこの様
な扱いをする国」として、悪い事の見本としている。(この本は日本では絶版・入手困難)
西海地重徳一飛曹が不時着させ、焼却したゼロ戦は真珠湾内フォード島航空博物館にて、ニイハウ島の現場を再現した
ジオラマ展示されている。(焼却したゼロ戦をそのまま展示)その横にはゼロ戦21型が(機番「BⅡ-120」Bは第二航空
戦隊、Ⅱは二番艦「飛龍」、1は戦闘機を表す。(2は艦爆3は艦攻)20は先任順)展示されている。
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▲パプアニューギニア・二ューブリテン島 ガスマタに放置された台南航空隊所属機をオーストラリア軍が捕獲した物
※ガスマタ(Gasmata)はパプアニューギニア ニューブリテン島 西ニューブリテン州南岸にある村。
 太平洋戦争中の昭和17年(1942)2月、日本軍は村を占領した。 ラバウルから東ニューギニアへの前進中継基地とし
 て、村の西にあるスルミ半島に飛行場が建設された。が昭和19年(1944)3月28日ガスマタはオーストラリア陸軍部
 隊によって再占領された。日本軍が建設したスルミ半島の飛行場はガスマタ空港として戦後も運用されており、村の
 中心部は空港の周辺に移っている。

[ニイハウ島事件]史実に関して英語では「The Niihau Incident」(Allan Beekman著、出版社Heritage Pr of Pacific)
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日本語では「真珠湾の不時着機 二人だけの戦争」(河出文庫、牛島秀彦著)に詳しく記されている。

ハワイは未だ訪れた事は無い、いつか行きたいと思っている。しかしハワイ在住経験のある知り合いは、ハワイの戦跡
は軍の敷地内にある事が多いので、一般人は立ち入れない場所が多く、博物館以外はたいして戦跡も無いと言う。

これまで戦跡ガイド付で訪れた、グアム島、サイパン島、トラック諸島、テニアン島の戦跡ガイドは酷いものだった。
グアム島に関しては旅行ツアーでの自由行動の1日を使って現地で戦跡ツアーをお願いしたので予想通りであったが、
サイパン島では中国人女性ガイドであった。これもグアム滞在中に現地で日帰りツアーをお願いしたので無理があった
と後悔している部分もあるが、そもそも日米激戦地の戦跡ツアーが中国人とは、サイパン到着時から困惑した。
案の定大した説明も無く、ただ車で連れて行ってくれるタクシードライバーの様なもので、サイパン戦もあまり知らな
い様であったし、何より、早く仕事を終わらせたいのか、まだまだ帰りの飛行機まで時間があるにもかかわらず、ほん
の数箇所の戦跡しか周ってくれなかった。そんな物と言えばそんなものだが、戦跡オンリーのガイドをお願いしたのに
もかかわらず、ビーチに連れて行かれたりして無駄な時間を費やした。コースが決まっているのか地図無しでも走れそ
うな道で行ける簡単な場所だけだった様に思う。支払う費用に対する仕事をしている様には到底思えなかった。
トラック諸島、テニアン島も同様で「ただ案内人が日本人だったので、言葉が通じる分気が楽。」というだけで、戦史
に詳しい訳でも無く、地図を配って説明するわけでも無く、自分が楽に行ける場所に淡々と案内している様にしか見え
なかった。ガイド時間も現地人に合わせているのか、まだ日が明るいうちにさっさと切り上げてしまう始末。
まだまだ周れるのに。と思っていた。料金は日本と変わらない感覚で請求しているにもかかわらず日本人の様な仕事は
全く出来ていない。長年現地に住んでいるとこうなってしまうのか・・・。と、働かない現地人の楽な部分だけ真似す
る変な日本人になってしまっていると感じた。滅多に来ない日本人観光客からどうにかしてお金を使わそうとする意図
が見え見えで、見たい場所をリクエストすると、ジャングルで危ないだの時間が無いだの追加料金が発生するだの、断
る言い訳だけはすらすら説明する。義務を果たさず権利だけ主張する最悪のタイプの様に思えた。
「日本人観光客が減り、慰霊に訪れる慰霊団も高齢になり先が見えない」と愚痴を言っていたが、私はそうなって当た
り前だと思った。何の為に日本で観光するよりも高いガイド料払って海外の地まで来ているのか全く理解出来なくなる
様な素人ガイドだ。これでは再訪する気にはならないだろう。トラック諸島は無理だが、見知らぬ土地で少々疲れる事
もあるが、レンタカーで個人的に周った方が金額的にも気分的にも断然良いだろう。
トラック諸島に関しては、ツアー料金以外に、戦跡全てが島民住居内もしくは島民が地主で、戦跡場所に行く度にその
都度地主に見学料金を払わなければならない。2$~5$程度だが、何ヵ所も払っているうちに馬鹿らしくなってくる。
ツアー申込時に事前に知らされていなかったのでいい気分はしなかった。
私の経験ではサイパン・テニアン・トラック諸島でのガイド付戦跡巡りは費用を払った分だけの満足感は無いと思う。
そもそも戦跡巡りや慰霊を希望する人がほとんどいないのだから仕方無い部分もあるが。



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
お返事差し上げます。 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。

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 2016_04_04

Comments

有難う御座います 

有難う御座います、「ニイハウ島事件」、ン本では貴方様以外誰にも知られず、アメリカでは、その全貌が展示されています、この差は・・・、本当に有難うございます。
Tony  URL   2016-04-05 02:27  

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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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