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万世特攻平和祈念館


知覧は有名ですが、九州にはかつて太刀洗(陸軍)知覧(陸軍)万世(陸軍)鹿屋(海軍)都城西・東(陸軍)他数ヶ
所の航空基地があり、そこから祖国の為、家族を守る為、それぞれの方が死ぬ理由を自分に言い聞かせて沖縄に飛び立
って行かれた。
沖縄戦の陸軍特別攻撃隊は[ 振武隊 ]と呼ばれ、特別振武隊~練習機まで投入した第501振武隊まで編成された。
「万世飛行場」は昭和18年夏~19年末にかけて建設された陸軍最後の特攻基地で、この飛行場はわずか4ヶ月しか使
われませんでした。17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が沖縄の空に向けて飛び立っていかれました。
知覧、万世、鹿屋と訪れたわけですが、特攻隊員の精神力には言葉を失います。

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▼入口は当時の万世飛行場と同じ。
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当時の営門が残る。
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▼南九州の陸海軍航空基地
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万世特攻平和祈念館
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▼建物に入ると平成4年(1992)に吹上浜より引き上げられた海軍零式三座水上偵察機が展示してあります。
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展示機の搭乗員は存命との事。昭和20年福岡に展開していた海軍第634航空隊偵察302所属機で、太平洋戦争末期の
「沖縄戦」のさ中、南西諸島方面偵察の為に福岡を飛び立った機だった。偵察任務を終え帰途中、吹上浜付近で燃料が
尽きて不時着水し、操縦士・航法士・電信士の3名は水上機なので水没は免れ、無事に浜にたどり着き生還されている
との事。吹上浜沖には他にもまだ数多くの軍用機が沈んでいるとの事だ。



万世飛行場で出撃2時間前に撮られた有名な1枚、少年飛行兵[荒木幸雄]伍長
群馬県桐生市出身の陸軍少尉17歳です。(昭和20年5月27日撮影)
子犬を抱いている荒木さんはこの写真が撮影された後、沖縄へ出撃し戦死されました。
(第72振武隊は10名中7名が10代の飛行兵でした)
第72振武隊の少年飛行兵達は、昭和20年5月26日の出撃を天候不良により延期。
翌27日沖縄本島金武湾の東約50kmで米駆逐艦ブレインに突入、大破させ、同日四階級特進の陸軍少尉となった。
以下、荒木伍長の遺書です。17歳とは思えない立派な文章です。

兄上様、永い間御世話に預かり有難く御礼申し上げます。
何も思い残すことなく死んでゆけます。
只一筋に当たるのみ。
今迄何等恩返しも出来ず申訳ありませんでした。
此度の出動は幸雄の恩返しと思い御喜び下さい。
戦局も益々苛烈を極める今日、十八歳の身にて敵に当たるは当然の事なり。
兄上様にも今年入隊の事と思いますが、
何事も御努力と誠心誠意軍務に勉励されんことを切に祈ります。
御両親様と弟を頼みます。
特に三人の弟には良く御訓育なされ
将来立派な日本人として自分の後に続いてくれる様御願い致します。
九段の花の下でゆっくり会いましょう。 

▼前列左より早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長。後列左から高橋要伍長、高橋峰好伍長
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▲子犬を抱いているのが荒木幸雄伍長、荒木伍長が特攻隊員の宿舎になっていた飛龍荘から父親に
宛てた最後のハガキが残されているとの事。
そのハガキの消印は出撃当日昭和20年5月27日、宿舎の住所は川辺郡加世田町飛龍荘内であった。
飛龍荘は特攻隊員の宿舎になっており、多くの若者が出撃までの間を過ごした場所。
※写真の第七十二振武隊員が沖縄西海域に突入散華同日、四階級特進の陸軍少尉となっている。

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▲荒木伍長と交代で子犬を可愛がる高橋峰好伍長

▼多くの若者達がこの万世飛行場から沖縄に向けて飛び立っていかれました。石碑は沖縄の方向を向いています。
 石碑の中の特攻隊員が東の方向を向いているのは故郷を思う気持ちを表しているそうです。

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▼桜の咲く季節、特攻隊員の方々が、竹屋神社で必勝を祈願し、境内に咲いている桜の枝を持ち帰り、愛機に飾って
 沖縄の海に出撃されたそうです。

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万世飛行場から特攻出撃した陸軍振武隊は荒木幸雄伍長の所属した第72振武隊の他にも当然あるが、
全て紹介しきれないので以下少しだけ紹介する。

[ 第62振武隊 ](白梅隊)昭和20年4月3日~4月12日出撃 〔万世飛行場特攻第一陣〕
石川一彦中尉4/3(香川県出身)/杉田繁敏中尉(宮崎県出身)/坂本友恒大尉(長崎県出身)/木谷実(北海道出身)
込茶章大尉(兵庫県出身)/富澤健児大尉(東京都出身)/丹羽修平少尉(愛知県出身)/4/3鈴木満(東京都出身)
坂本清少尉4/6(秋田県出身)/三宅柾少尉(岐阜県出身)滝口尚文大尉(宮城県出身)/倉潔少尉(兵庫県出身)

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▲第62振武隊員の勇士達。
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▲▼第62振武隊 出陣式
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▲(左)石川一彦中尉(右)込茶章少尉。
昭和20年4月3日石川中尉は特攻機で福岡の大刀洗基地へ移動中、山口県内で濃霧の山中に激突、同乗の杉田中尉と共
に殉職している。石川中尉は昭和17年陸軍航空士官学校卒、少尉候補者第22期生として任官。飛行教官として各地の
飛行学校を転々とした。昭和20年1月、石川中尉は宮崎から下志津飛行隊(千葉・銚子分教場)へ転勤。
石川中尉の新任務は特別攻撃の教官だった。石川中尉は教官としての立場から、教え子ら11人で編成された第62振武
隊の隊長に志願したという。特攻戦死と記録されているのはそういった経緯も考慮してのことだろう。
昭和20年4月6日午後、第62振武隊の5機は次々と万世飛行場を出撃。
陸軍計8隊、57機、 海軍計15隊、211機と共に沖縄の海に散った。込茶章少尉はこの日第二編隊の長機として出撃。
かつての恩師、故・石川隊長の遺骨を抱いて散華したと伝えられている。

[ 第63振武隊 ](神州隊)昭和20年6月7日出撃
難波晋策准尉(岡山県出身)/後藤與二郎曹長(三重県出身)/宮光男准尉(広島県出身)
服部良策軍曹(三重県出身)/榊原吉一軍曹(福島県出身)/佐々木平吉軍曹(徳島県出身)
久木田清中尉(離陸出来ず)/木幡正義少尉(目達原に残留)/高田明少尉(離陸出来ず)
堀口良助軍曹(目達原に残留)/廣瀬廣義軍曹(負傷し終戦まで入院)/中沢留吉軍曹(徳之島に不時着)

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▲昭和20年4月8日撮影第63振武隊員(昭和20年4月8日撮影)昭和20年3月23日福島県原町飛行場で編成
後列左より佐々木/榊原/後藤/難波/服部/中沢 前列左より堀口/宮/木幡/久木田/高田/廣瀬
6/7 99式襲撃機で出撃(12名中6名戦死)

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▲ 榊原吉一軍曹               ▲後藤與二郎曹長
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▲服部良策軍曹                 ▲難波晋策准尉
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▲宮光男准尉                ▲佐々木平吉軍曹
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▲榊原吉一軍曹(戦死後四階級特進 任少尉)
昭和20年5月28日原町から万世へ向う途上に大阪から父へ
「鹿児島に行くと思います。皆様くれぐれも健康に注意されますように。小生のことは別に心配いりません。
隊名は陸軍特別攻撃隊振武隊。飛行機のマークは鳥の羽に桜の花です。記憶ください」
出撃6日前の遺言。
「お父様・お母様・弟妹達。皆様にはたいへんお世話になりました。吉一はただいまより出発致します。ご心配なく…。
くれぐれもご健康に留意し、末永く生活せられますように…。サヨウナラ、サヨウナラ。轟沈するものなり。」
6月7日出撃直前に父への最後の便り
「吉一、ただいま出発いたします。父上様・母上様・弟・妹たち 健在で生活せよ。沖縄の敵に向かい、轟沈せしむ。
昭和二十年六月七日午後四時、吉一」

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▲陸軍99式襲撃機


[ 第64振武隊 ](国華隊)昭和20年6月11日出撃
渋谷健一大尉(山形県出身)/稲垣忠男小尉(東京都出身)/巽精造小尉(大阪府出身)
井上清少尉(福岡県出身)/稲島竹三少尉(福島県出身)/加藤俊二少尉(三重県出身)
斉藤正敏少尉(北海道出身)/岸田盛夫伍長(京都府出身)/森高夫少尉(愛知県出身)
横田彦次郎伍長/鈴木文治伍長(エンジントラブルで帰還)
橘保軍曹(エンジントラブルで鹿児島県川辺郡上山田の山中に墜落)
※橘保軍曹機の墜落現場にかけつけた住民の証言。
午後10時頃、突然低空をかすめる爆音がしたと思うと、続いて大き な衝突音がしてピタリと静かになった。
土地の人々は、空襲警報も出ていな いので、もしや、敵機が墜落したのでは…?いや味方の特攻機かも…と。
救急用具やタンカ、それに竹槍も用意して、夜を徹して雨の中の捜索を始めた。
翌朝うす明るくなった頃、日の丸の飛行機を発見した。機体は翼を折って、雑木のまばらな平地にその機体
から外れたた500㌔爆弾が10メートル程離れた柔 らかい山中に、不発のまま横たわっていた。一滴の燃料も
無くなっての墜落で火災が無かったのが幸いだった。まさに奇蹟であった。
その機体の中で、意識不明の橘保軍曹を発見。顔面裂傷で出血多量の危い命が救われた。

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▲万世飛行場に移動前、お世話になった佐賀県目達原飛行場の地元の人達と記念撮影に収まる第64振武隊員。
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▲慰問に訪れた女子生徒たちと記念撮影する第64振武隊員。「桜花の如く散り逝く特別攻撃隊員を桜花に見立て、
一度矢の弓の弧をを離れたら生きて帰らない様を矢にたとえあしらった」国華隊のマークを女子生徒達が99式襲
撃機の垂直尾翼に描いた。

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▲第64振武隊「国華隊」の渋谷健一隊長(享年31歳)は、隊員に「お前達も私も空母や戦艦に体当たりすることを夢見
てきたが、艦船を選択せず目に入った船に突っ込む事。迷うと目的を達成できない」と訓示した。
昭和20年6月11日万世飛行場から出撃、沖縄西方洋上の敵艦船群に突入、戦死。

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▲出撃の日に井上清少尉の家族は全員が見送りに来ていた。生きながらの葬儀であった。
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▲第64振武隊員、出撃前の最後の敬礼。
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▲[ 第64振武隊 ](国華隊)99式襲撃機のカラーリング。※画像製作「たまみち(@tamamichi8749)様」

[ 第66振武隊 ]昭和20年5月4日~5月25日出撃
毛利理大尉(大阪府出身)/荒川英徳大尉(愛知県出身)/壺井重治少尉(三重県出身)/佐方栄一少尉
後藤光春大尉(三重県出身)/伊藤照友大尉(東京都出身)/金子彰少尉/松尾翠少尉/増田壽一少尉
福佐定夫少尉/加藤金四郎少尉/中村憲太郎少尉(黒島に不時着)

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▲第66振武隊長 後藤光春少尉。「ひたすらに神国たる自覚と神明の加護のもと南海に散っ
てゆく日本人のこの姿を米鬼に見せてやります」と別れの言葉を残して出撃。突入、戦死

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▲第66振武隊。5/4第六次航空総攻撃と25日の第八次航空総攻撃に97式戦闘機で出撃。

[ 第67振武隊 ]昭和20年4月28日~5月6日出撃
金子正男少尉(山形県出身)/寺田浩一大尉(栃木県出身)/清水真三大尉(神奈川県出身)
長澤徳治大尉(石川県出身)/網代一大尉(千葉県出身)/市川敏那大尉(栃木県出身)
幸田二郎中尉(東京都出身)


[ 第72振武隊 ]「ほがらか隊」昭和20年5月2日~5月27日99式襲撃機で出撃(上記でご紹介)
佐藤睦男中尉(千葉県出身)/新井一夫(東京都出身)/荒木幸雄伍長(群馬県出身)※上記紹介参照
千田孝正伍長(愛知県出身)/早川勉伍長(三重県出身)/高橋峯好伍長(神奈川県出身)
知崎利夫伍長(愛知県出身)/久永正人伍長(鹿児島県出身)/高橋要伍長(東京都出身)
西川信義軍曹(5/2中国上空を移動中、敵機の攻撃により負傷、出撃出来ず)/佐々木篤信伍長(5/2戦死)
以下は5/2西川軍曹の回想録より。
第五航空軍の指揮下で平壌から北京・洛南・南京へ向かう途中、西川・佐々木機が敵機P51戦闘機4機の不意の攻撃を
受け、佐々木篤信伍長は被弾し戦死。機は爆発炎上した。
西川機は燃料タンクを撃ち抜かれ、不時着した際に炎上、西川軍曹は顔に火傷を負ったが一命を取り留めた。

金本海龍伍長(5/27喜界島不時着➡万世帰還➡6/26知覧へ)※朝鮮人特攻隊員
後日振武寮行きとなった金本伍長は、軍人勅諭筆写や罵倒などの差別的待遇は特にされなかった上に、昭和20年6月末
に侍従武官の尾形健一大佐が第6航空軍を視察することが決まった際、菅原中将から昭和天皇に奏上する特攻美談の原
稿を書くように指示を受けた倉澤少佐は、その対象者として、振武寮に収容されている隊員の中から金本を「朝鮮人で
ありながら、日本人以上に立派な隊員です。」と参謀長の藤塚止戈夫 中将に推薦している。

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▲アメリカ海軍レーダーピケット駆逐艦「ブレイン」(USS Braine, DD-630)
昭和20年5月27日 第72振武隊の隊員は、万世飛行場を出撃後、沖縄本島中部に広がる金武湾の東、約50kmの位置で
米駆逐艦ブレインに突入したと推測されている。根拠として、突入直前の第72振武隊の99式襲撃機の写真が残存してい
る為。荒木伍長もこの駆逐艦を目標としたと考えられている。

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▲駆逐艦ブレインに突入する第72振武隊の99式襲撃機と見られる特攻機。5/27米軍撮影。
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▲特攻機の突入で大破した駆逐艦ブレイン。5/27米軍撮影(First Attackとあるので数機が突入した可能性が高い)
ブレインは第72振武隊の特攻機の突入により大破・炎上、約66名の乗組員が戦死。当然、荒木伍長も戦死した。
家族に公式に通知されるのは、終戦後の昭和20年11月30日付の死亡告知書で12月半ば過ぎであった。
故郷の群馬県桐生に残された墓には髪と爪だけが残っている。

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▲荒木幸雄伍長(群馬県出身)享年17歳。

[ 第73振武隊 ]昭和20年4月6日99式襲撃機で出撃
高田鉦三大尉(愛知県出身)/小澤三木大尉(栃木県出身)/後藤正一少尉(岩手県出身)
麻生末弘少尉(大分県出身)/加覧幸男少尉(鹿児島県出身)/木原愛夫少尉(福岡県出身)
後藤寛一少尉(宮崎県出身)/中澤流江少尉(東京都出身)/山本茂春少尉(神奈川県出身)
山中太郎少尉(山口県出身)/藤井秀男少尉(福井県出身)/藤田久雄少尉(和歌山県出身)

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▲出撃前、整備時間をくつろぐ隊員達。後ろに出撃機の99式襲撃機が写っている。

[ 第74振武隊 ]昭和20年4月7日~4月13日99式襲撃機で出撃
伊東實中佐(秋田県出身)/渡辺信少尉(愛知県出身)/大畠寛少尉(茨城県出身)
川島清少尉(東京都出身)/川島宏少尉(東京都出身)/澤口一男少尉(北海道出身)
安井昭一少尉(京都府出身)/橋本圭作少尉(千葉県出身)/野口鉄雄少尉(愛知県出身)
竹内貞一少尉(東京都出身)/森下良夫少尉(山口県出身)/山本了三少尉(高知県出身)


[ 第75振武隊 ]昭和20年4月7日~4月16日99式襲撃機で出撃
大岩覚少佐(滋賀県出身)/宗像芳郎少尉(長崎県出身)/佐藤徳司少尉(樺太出身)
福島保夫少尉(埼玉県出身)/政井柾一少尉(大阪府出身)/酒井十四男少尉(千葉県出身)
島袋清少尉(沖縄県出身)/岩田外次郎少尉(石川県出身)/小野田務少尉(愛知県出身)
梅村要二少尉(東京都出身)

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▲第75振武隊員の写真。99式襲撃機で昭和20年4月7、12、13、16日に特攻出撃。

[ 第102振武隊 ](第1降魔隊)昭和20年4月12日~4月28日出撃
天野重明大尉(兵庫県出身)/安部静彦大尉(福岡県出身)/小松啓一大尉(岩手県出身)
佐藤勲少尉(岩手県出身)/猪瀬弘之少尉(東京都北区出身)/小関真二少尉(福島県出身)
金澤富士雄少尉(愛知県出身)/原田甲子少尉(茨城県出身)/中島昭造少尉(兵庫県出身)
一木寅彦少尉(高知県出身)/福浦忠正少尉(島根県出身)/山口知三郎少尉(茨城県出身)


[ 第104振武隊 ](第3降魔隊)昭和20年4月12日~4月13日出撃
小佐野隆広少尉(山梨県出身)/渡部佐多雄少尉(新潟県出身)/梅田勤伍長(東京都出身)
江原道夫伍長(埼玉県出身)/上林博軍曹(滋賀県出身)/長嶺弥三郎少尉(東京都出身)
武政和夫少尉(千葉県出身)/近森佳忠伍長(高知県出身)/山本忠義伍長(神奈川県出身)
松土茂伍長(山梨県出身)/五十嵐次郎少尉(4/28出撃)/竹政和夫軍曹/朴木仁作伍長(5/22熊本)
宮川三郎軍曹(機体不良で引き返し、6/6知覧より出撃。戦死。新潟県出身)/加藤昇伍長/森田進一郎伍長

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▲宮川三郎軍曹(20歳)は万世飛行場から出撃したが、機体不良で引き返し、知覧からの出撃となる。
出撃の前夜(6/5)富屋食堂で鳥濱トメに「死んだらまた小母ちゃんのところへ帰ってきたい。そうだ!このホタルだ!
小母ちゃん、俺このホタルになって帰ってくるよ」と言い残し、暗い夜道を三角兵舎へと帰って行った。6/6突入戦死

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▲松土茂伍長4/13出撃、突入戦死。享年20歳
<遺書>
悠久三千年皇国は今鬼畜共の為に危急存亡の憂うべき秋(とき)に到りました。
帝国の精鋭なる皇軍が断じて之を撃滅すべく今大作戦を展開せんと致して居ります。
茂も此の昭和の元冠とも云うべき大国難を背負って彼の河野通有の如き大敢闘をすべく作戦に参加致します。
思えば今に至る迄よく育てよく成らせて下された御恩徳に対し、何ら成すところもなく散り行くを返すぐも残念に
又申し訳なく思って居ります。
早くから父母様の許を離れ、只余計な御心配を御掛け申したとえ身は異郷の海に捨つるとも絶対忘れは致しません。

先に不幸にして病の為に兄様を失い、悲憤の涙未だ去らぬ中に、又小生の悲報に接する父母様の心境実に察するに
余りありと思います。
然し乍ら総てが皇国護持の為であり、又取りわけて考えますれば、皆様が後世を安楽にお暮らし出来る為なのであります。
どうか茂が戦死の報に接しましても、絶対不覚をとるが如きことなく、父母様始め一同笑って万才を唱えて下されば茂は
幸甚の至りと思い、あの世できっと喜んで居ります。

今更何とて言い置くことも御座居ませんが、之が茂の運命にて最初古河航空機乗員養成所に入所致しました時は、民間航
空の操縦者として奉公致す心算で居りましたが、其の後の戦局の為に何も彼も一切を皇国に捧ぐべき秋(とき)に至った
のですから、此の事に関しては十分御承知の事と私は信じて居ります。

今大邸を出る時、神電号に乗せた桜は満開です。
此の桜の散る頃一緒に茂は立派に散って征きます。

どうか父母様皆様私の事は総てを諦めて、只管(ただひたすら)心身に御留意下されて御世を安楽に暮らされんことをお
祈りして擱筆(かくひつ)します。
四月八日

父母上様
外御一同様

[ 第431振武隊 ]昭和20年5月27日~5月28日97式戦闘機で出撃
5/27紺野孝伍長/鮭川林三伍長/橋ノ口勇伍長/広岡賢蔵伍長/渡辺綱三伍長/
5/28堀川義明少尉/金光永(金田光永)伍長(朝鮮出身)

[ 第432振武隊 ]昭和20年5月25日~5月28日二式高等練習機で出撃
舟橋卓次少尉(大阪府出身)/瀬谷隆茂軍曹(群馬県出身)/柳田昌男軍曹(栃木県出身)/若尾達夫伍長(神奈川県出身)
影山八郎伍長(福島県出身)/一井福治伍長(岩手県出身)/竹田源三伍長(北海道出身)/松本久成伍長(東京都出身)
矢内廉造伍長(福島県出身)/増渕松男伍長(栃木県出身)5/25知覧より出撃
管井薫軍曹(5/25万世より出撃、古仁屋に不時着)/川端一男伍長(?)/大木文司伍長(?)/中田文男伍長(?)
※中島寛伍長(5/25万世より出撃、徳ノ島に不時着。戦隊の将校の操縦する飛行機に同乗して九州に帰還)
中島寛元伍長がお出になられているYouTubeアメリカからみた【神風特攻隊】

[ 第433振武隊 ]昭和20年5月25日~5月28日二式高等練習機で出撃
三瀬七郎少尉(愛媛県出身)/上島博治少尉(大阪府出身)/大塚要少尉(茨城県出身)
浪川利庸少尉(千葉県出身)/大島浩少尉(栃木県出身)/宮永松永少尉(沖縄県出身)
石川敏夫少尉(静岡県出身)/三浦宏少尉(福岡県出身)/本多勇少尉(長崎県出身)
倉田道次少尉(長野県出身)/永井三郎少尉(生還?)
篠崎隆則少尉(6/1出撃、エンジン不調で海上不時着、沖縄県伊平屋島に泳ぎ着き生還)
※青木健児少尉(5/29知覧着6/3,10:20頃第214/431振武隊と共に知覧を出撃。昇降舵破損の為知覧基地に帰投。
※小柳善克少尉(福岡県出身)(5/28万世より出撃、徳ノ島に不時着、6/1小西吉彦少尉と共に徳ノ島から再出撃。
 沖縄本島嘉津宇岳付近に不時着、戦死を遂げた。
※小西吉彦少尉(5/28万世より出撃、徳ノ島に不時着、6/1小柳善克少尉と共に徳ノ島から再出撃。
 沖縄本島嘉津宇岳付近に不時着、重傷を負い、そのまま山中に潜んでいたが10/29下山して捕虜となり、
 昭和21年3月29日浦賀に上陸して生還を果たした。

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▲第433振武隊員。二式高練(二式高等練習機)で出撃、沖縄西方海上の敵艦船群に突入、散華。

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<万世飛行場からの出撃>
特攻振武隊 出撃回数29回 戦死者数121人/第66戦隊 出撃回数19回 戦死者数72人
第55戦隊 出撃回数5回 戦死者数6人/その他 戦死者数2人
合計(戦死者数)201人
※特攻作戦の為に急きょ作り上げた万世飛行場は地盤が砂地で軟弱だった為、出撃した航空機は、99式襲撃機や
 二式高等練習機など、旧式の固定脚機が多かったと言われている。

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▲平和祈念館から少し奥に行った広場に残る飛行場当時の側溝。2017年10月15日再訪。
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▲▼2013年11月に新たに発見された当時の裏門。
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ただのコンクリートの支柱だが、当時のままの姿を留めていて、何とも表現し難い物だ。
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▲支柱の間隔も当時のまま。移設されたりしていないそのままの姿だ。
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▲万世飛行場跡地にある海浜公園から吹上浜へ。70年前の空は多くの特攻機が飛んで行ったのでしょう。

17人のアリラン特攻隊員YouTube



拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
「沖縄戦跡ツアー」承ります。名護~糸満までの沖縄戦の激戦地戦跡をご案内します。
名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
「百聞は一見にしかず」 現場で実際に自分の目で見る戦跡は、沖縄戦を肌で感じる事が出来ます。
事前に当ブログ「沖縄戦」をご覧頂くと、沖縄戦の大筋が、現存する戦跡を含めてご理解頂けると思います。
お客様の希望日時・希望戦跡地などをメールでお伝え下さい。折り返しコーディネートさせて頂いたスケジュール等を
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 2013_09_21

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WhitePigeon

Author:WhitePigeon
今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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