万世特攻平和祈念館


知覧は有名ですが、九州にはかつて太刀洗(陸軍)知覧(陸軍)万世(陸軍)鹿屋(海軍)
都城西・東(陸軍)他数ヶ所の航空基地があり、そこから祖国の為、家族を守る為、それ
ぞれの方が死ぬ理由を自分に言い聞かせて沖縄に飛び立って行かれた。
沖縄戦の陸軍特別攻撃隊は[ 振武隊 ]と呼ばれ、特別振武隊~練習機まで投入した第501振
武隊まで編成された。「万世飛行場」は昭和18年夏~19年末にかけて建設された陸軍最後
の特攻基地で、この飛行場はわずか4ヶ月しか使われませんでした。
17歳の少年飛行兵を含め200人近い特攻隊員が沖縄の空に向けて飛び立っていかれました。
知覧、万世、鹿屋と訪れたわけですが、特攻隊員の精神力には言葉を失います。
▼南九州の陸海軍航空基地
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万世特攻平和祈念館
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▼建物に入ると平成4年(1992)に吹上浜より引き上げられた海軍零式三座水上偵察機が展示してあります。
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展示機の搭乗員は存命との事。昭和20年福岡に展開していた海軍第634航空隊偵察302所属機で、太平洋戦争末期の
「沖縄戦」のさ中、南西諸島方面偵察の為に福岡を飛び立った機だった。偵察任務を終え帰途中、吹上浜付近で燃料が
尽きて不時着水し、操縦士・航法士・電信士の3名は水上機なので水没は免れ、無事に浜にたどり着き生還されている
との事。吹上浜沖には他にもまだ数多くの軍用機が沈んでいるとの事だ。


万世飛行場で出撃2時間前に撮られた有名な1枚、少年飛行兵[荒木幸雄]伍長
群馬県桐生市出身の陸軍少尉17歳です。(昭和20年5月27日撮影)
子犬を抱いている荒木さんはこの写真が撮影された後、沖縄へ出撃し戦死され
ました(第72振武隊は10名中7名が10代の飛行兵でした)
以下、荒木伍長の遺書です。17歳とは思えない立派な文章です。

兄上様、永い間御世話に預かり有難く御礼申し上げます。
何も思い残すことなく死んでゆけます。
只一筋に当たるのみ。
今迄何等恩返しも出来ず申訳ありませんでした。
此度の出動は幸雄の恩返しと思い御喜び下さい。
戦局も益々苛烈を極める今日、十八歳の身にて敵に当たるは当然の事なり。
兄上様にも今年入隊の事と思いますが、
何事も御努力と誠心誠意軍務に勉励されんことを切に祈ります。
御両親様と弟を頼みます。
特に三人の弟には良く御訓育なされ
将来立派な日本人として自分の後に続いてくれる様御願い致します。
九段の花の下でゆっくり会いましょう。 

▼前列左より早川勉伍長、荒木幸雄伍長、千田孝正伍長。後列左から高橋要伍長、高橋峰好伍長
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▲子犬を抱いているのが荒木幸雄伍長、荒木伍長が特攻隊員の宿舎になっていた飛龍荘から父親に
宛てた最後のハガキが残されているとの事。
そのハガキの消印は出撃当日昭和20年5月27日、宿舎の住所は川辺郡加世田町飛龍荘内であった。
飛龍荘は特攻隊員の宿舎になっており、多くの若者が出撃までの間を過ごした場所。
※写真の第七十二振武隊員が沖縄西海域に突入散華同日、四階級特進の陸軍少尉となっている。
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▲荒木伍長と交代で子犬を可愛がる高橋峰好伍長

▼多くの若者達がこの万世飛行場から沖縄に向けて飛び立っていかれました。石碑は沖縄の方向を向いています。
 石碑の中の特攻隊員が東の方向を向いているのは故郷を思う気持ちを表しているそうです。
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▼桜の咲く季節、特攻隊員の方々が、竹屋神社で必勝を祈願し、境内に咲いている桜の枝を持ち帰り、愛機に飾って
 沖縄の海に出撃されたそうです。
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万世飛行場から特攻出撃した陸軍振武隊は荒木幸雄伍長の所属した第72振武隊の他にも当然あるが、
全て紹介しきれないので以下少しだけ紹介する。

[ 第62振武隊 ](白梅隊)昭和20年4月3日~4月12日出撃 〔万世飛行場特攻第一陣〕
石川一彦大尉(香川県出身)/杉田繁敏中尉(宮崎県出身)/坂本友恒大尉(長崎県出身)
込茶章大尉(兵庫県出身)/富澤健児大尉(東京都出身)/丹羽修平少尉(愛知県出身)
坂本清少尉(秋田県出身)/三宅柾少尉(岐阜県出身)滝口尚文大尉(宮城県出身)/倉潔少尉(兵庫県出身)
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▲第62振武隊員の勇士達。
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▲▼第62振武隊 出陣式
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▲(左)石川一彦中尉(右)込茶章少尉。


[ 第63振武隊 ](神州隊)昭和20年6月7日出撃
難波晋策准尉(岡山県出身)/後藤與二郎曹長(三重県出身)/宮光男准尉(広島県出身)
服部良策軍曹(三重県出身)/榊原吉一軍曹(福島県出身)/佐々木平吉軍曹(徳島県出身)
久木田清中尉(離陸出来ず)/木幡正義少尉(目達原に残留)/高田明少尉(離陸出来ず)
堀口良助軍曹(目達原に残留)/廣瀬廣義軍曹(負傷し終戦まで入院)/中沢留吉軍曹(徳之島に不時着)
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▲昭和20年4月8日撮影第63振武隊員(昭和20年4月8日撮影)昭和20年3月23日福島県原町飛行場で編成
後列左より佐々木/榊原/後藤/難波/服部/中沢 前列左より堀口/宮/木幡/久木田/高田/廣瀬
6/7 99式襲撃機で出撃(12名中6名戦死)
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▲ 榊原吉一軍曹                ▲後藤與二郎曹長
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▲服部良策軍曹                 ▲難波晋策准尉
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▲宮光男准尉                ▲佐々木平吉軍曹
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▲陸軍99式襲撃機


[ 第64振武隊 ](国華隊)昭和20年6月11日出撃
渋谷健一大尉(山形県出身)/稲垣忠男小尉(東京都出身)/巽精造小尉(大阪府出身)
井上清少尉(福岡県出身)/稲島竹三少尉(福島県出身)/加藤俊二少尉(三重県出身)
斉藤正敏少尉(北海道出身)/岸田盛夫伍長(京都府出身)/森高夫少尉(愛知県出身)
横田彦次郎伍長/鈴木文治伍長(エンジントラブルで帰還)
橘保軍曹(エンジントラブルで鹿児島県川辺郡上山田の山中に墜落)
※橘保軍曹機の墜落現場にかけつけた住民の証言。
午後10時頃、突然低空をかすめる爆音がしたと思うと、続いて大き な衝突音がしてピタリと静かになった。
土地の人々は、空襲警報も出ていな いので、もしや、敵機が墜落したのでは…?いや味方の特攻機かも…と。
救急用具やタンカ、それに竹槍も用意して、夜を徹して雨の中の捜索を始めた。
翌朝うす明るくなった頃、日の丸の飛行機を発見した。機体は翼を折って、雑木のまばらな平地にその機体
から外れたた500㌔爆弾が10メートル程離れた柔 らかい山中に、不発のまま横たわっていた。一滴の燃料も
無くなっての墜落で火災が無かったのが幸いだった。まさに奇蹟であった。
その機体の中で、意識不明の橘保軍曹を発見。顔面裂傷で出血多量の危い命が救われた。
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▲万世飛行場に移動前、お世話になった佐賀県目達原飛行場の地元の人達と記念撮影に収まる第64振武隊員。
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▲慰問に訪れた女子生徒たちと記念撮影する第64振武隊員。「桜花の如く散り逝く特別攻撃隊員を桜花に見立て、
一度矢の弓の弧をを離れたら生きて帰らない様を矢にたとえあしらった」国華隊のマークを女子生徒達が99式襲
撃機の垂直尾翼に描いた。
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▲第64振武隊「国華隊」の渋谷健一隊長(享年31歳)は、隊員に「お前達も私も空母や戦艦に体当たりすることを夢見
てきたが、艦船を選択せず目に入った船に突っ込む事。迷うと目的を達成できない」と訓示した。
昭和20年6月11日万世飛行場から出撃、沖縄西方洋上の敵艦船群に突入、戦死。
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▲出撃の日に井上清少尉の家族は全員が見送りに来ていた。生きながらの葬儀であった。


[ 第66振武隊 ]昭和20年5月4日~5月25日出撃
毛利理大尉(大阪府出身)/荒川英徳大尉(愛知県出身)/壺井重治少尉(三重県出身)/佐方栄一少尉
後藤光春大尉(三重県出身)/伊藤照友大尉(東京都出身)/金子彰少尉/松尾翠少尉/増田壽一少尉
福佐定夫少尉/加藤金四郎少尉/中村憲太郎少尉(黒島に不時着)
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▲第66振武隊長 後藤光春少尉。「ひたすらに神国たる自覚と神明の加護のもと南海に散っ
てゆく日本人のこの姿を米鬼に見せてやります」と別れの言葉を残して出撃。突入、戦死
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▲第66振武隊。5/4第六次航空総攻撃と25日の第八次航空総攻撃に97式戦闘機で出撃。


[ 第67振武隊 ]昭和20年4月28日~5月6日出撃
金子正男少尉(山形県出身)/寺田浩一大尉(栃木県出身)/清水真三大尉(神奈川県出身)
長澤徳治大尉(石川県出身)/網代一大尉(千葉県出身)/市川敏那大尉(栃木県出身)
幸田二郎中尉(東京都出身)


[ 第72振武隊 ]昭和20年5月2日~5月27日99式襲撃機で出撃(上記でご紹介)
佐藤睦男中尉(千葉県出身)/西川信義軍曹(昭和20年5月2日敵機攻撃により負傷)佐々木篤信伍長
新井一夫(東京都出身)/荒木幸雄伍長(群馬県出身)※上記紹介参照/千田孝正伍長(愛知県出身)
早川勉伍長(三重県出身)/高橋峯好伍長(神奈川県出身)/高橋要伍長(東京都出身)
知崎利夫伍長(愛知県出身)/久永正人伍長(鹿児島県出身)/金本海流伍長(出撃機不調の為、基地へ帰還)


[ 第73振武隊 ]昭和20年4月6日99式襲撃機で出撃
高田鉦三大尉(愛知県出身)/小澤三木大尉(栃木県出身)/後藤正一少尉(岩手県出身)
麻生末弘少尉(大分県出身)/加覧幸男少尉(鹿児島県出身)/木原愛夫少尉(福岡県出身)
後藤寛一少尉(宮崎県出身)/中澤流江少尉(東京都出身)/山本茂春少尉(神奈川県出身)
山中太郎少尉(山口県出身)/藤井秀男少尉(福井県出身)/藤田久雄少尉(和歌山県出身)
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▲出撃前、整備時間をくつろぐ隊員達。後ろに出撃機の99式襲撃機が写っている。


[ 第74振武隊 ]昭和20年4月7日~4月13日99式襲撃機で出撃
伊東實中佐(秋田県出身)/渡辺信少尉(愛知県出身)/大畠寛少尉(茨城県出身)
川島清少尉(東京都出身)/川島宏少尉(東京都出身)/澤口一男少尉(北海道出身)
安井昭一少尉(京都府出身)/橋本圭作少尉(千葉県出身)/野口鉄雄少尉(愛知県出身)
竹内貞一少尉(東京都出身)/森下良夫少尉(山口県出身)/山本了三少尉(高知県出身)


[ 第75振武隊 ]昭和20年4月7日~4月16日99式襲撃機で出撃
大岩覚少佐(滋賀県出身)/宗像芳郎少尉(長崎県出身)/佐藤徳司少尉(樺太出身)
福島保夫少尉(埼玉県出身)/政井柾一少尉(大阪府出身)/酒井十四男少尉(千葉県出身)
島袋清少尉(沖縄県出身)/岩田外次郎少尉(石川県出身)/小野田務少尉(愛知県出身)
梅村要二少尉(東京都出身)
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▲第75振武隊員の写真。99式襲撃機で昭和20年4月7、12、13、16日に特攻出撃。


[ 第102振武隊 ](第1降魔隊)昭和20年4月12日~4月28日出撃
天野重明大尉(兵庫県出身)/安部静彦大尉(福岡県出身)/小松啓一大尉(岩手県出身)
佐藤勲少尉(岩手県出身)/猪瀬弘之少尉(東京都北区出身)/小関真二少尉(福島県出身)
金澤富士雄少尉(愛知県出身)/原田甲子少尉(茨城県出身)/中島昭造少尉(兵庫県出身)
一木寅彦少尉(高知県出身)/福浦忠正少尉(島根県出身)/山口知三郎少尉(茨城県出身)


[ 第104振武隊 ](第3降魔隊)昭和20年4月12日~4月13日出撃
小佐野隆広少尉(山梨県出身)/渡部佐多雄少尉(新潟県出身)/梅田勤伍長(東京都出身)
江原道夫伍長(埼玉県出身)/上林博軍曹(滋賀県出身)/長嶺弥三郎少尉(東京都出身)
武政和夫少尉(千葉県出身)/近森佳忠伍長(高知県出身)/山本忠義伍長(神奈川県出身)
松土茂伍長(山梨県出身)/五十嵐次郎少尉(4/28出撃)/竹政和夫軍曹/朴木仁作伍長(5/22熊本)
宮川三郎軍曹(機体不良で引き返し、6/6知覧より出撃。戦死。新潟県出身)/加藤昇伍長/森田進一郎伍長
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▲宮川三郎軍曹(20歳)は万世飛行場から出撃したが、機体不良で引き返し、知覧からの出撃となる。
 出撃の前夜(6/5)富屋食堂で鳥濱トメに「死んだらまた小母ちゃんのところへ帰ってきたい。そうだ!このホタルだ」
 「俺、このホタルになって帰ってくるよ」と言い残し、暗い夜道を三角兵舎へと帰って行ったという。6/6突入戦死
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▲松土茂伍長4/13出撃、突入戦死。享年20歳
<遺書>
悠久三千年皇国は今鬼畜共の為に危急存亡の憂うべき秋(とき)に到りました。
帝国の精鋭なる皇軍が断じて之を撃滅すべく今大作戦を展開せんと致して居ります。
茂も此の昭和の元冠とも云うべき大国難を背負って彼の河野通有の如き大敢闘をすべく作戦に参加致します。
思えば今に至る迄よく育てよく成らせて下された御恩徳に対し、何ら成すところもなく散り行くを返すぐも残念に
又申し訳なく思って居ります。
早くから父母様の許を離れ、只余計な御心配を御掛け申したとえ身は異郷の海に捨つるとも絶対忘れは致しません。

先に不幸にして病の為に兄様を失い、悲憤の涙未だ去らぬ中に、又小生の悲報に接する父母様の心境実に察するに
余りありと思います。
然し乍ら総てが皇国護持の為であり、又取りわけて考えますれば、皆様が後世を安楽にお暮らし出来る為なのであります。
どうか茂が戦死の報に接しましても、絶対不覚をとるが如きことなく、父母様始め一同笑って万才を唱えて下されば茂は
幸甚の至りと思い、あの世できっと喜んで居ります。

今更何とて言い置くことも御座居ませんが、之が茂の運命にて最初古河航空機乗員養成所に入所致しました時は、民間航
空の操縦者として奉公致す心算で居りましたが、其の後の戦局の為に何も彼も一切を皇国に捧ぐべき秋(とき)に至った
のですから、此の事に関しては十分御承知の事と私は信じて居ります。

今大邸を出る時、神電号に乗せた桜は満開です。
此の桜の散る頃一緒に茂は立派に散って征きます。

どうか父母様皆様私の事は総てを諦めて、只管(ただひたすら)心身に御留意下されて御世を安楽に暮らされんことをお
祈りして擱筆(かくひつ)します。
四月八日

父母上様
外御一同様


[ 第431振武隊 ]昭和20年5月27日~5月28日97式戦闘機で出撃
5/27紺野孝伍長/鮭川林三伍長/橋ノ口勇伍長/広岡賢蔵伍長/渡辺綱三伍長/
5/28堀川義明少尉/金光永(金田光永)伍長(朝鮮出身)


[ 第432振武隊 ]昭和20年5月25日~5月28日二式高等練習機で出撃
舟橋卓次少尉(大阪府出身)/瀬谷隆茂軍曹(群馬県出身)/柳田昌男軍曹(栃木県出身)/若尾達夫伍長(神奈川県出身)
影山八郎伍長(福島県出身)/一井福治伍長(岩手県出身)/竹田源三伍長(北海道出身)/松本久成伍長(東京都出身)
矢内廉造伍長(福島県出身)/増渕松男伍長(栃木県出身)5/25知覧より出撃
管井薫軍曹(5/25万世より出撃、古仁屋に不時着)/川端一男伍長(?)/大木文司伍長(?)/中田文男伍長(?)
※中島寛伍長(5/25万世より出撃、徳ノ島に不時着。戦隊の将校の操縦する飛行機に同乗して九州に帰還)
中島寛元伍長がお出になられているYouTubeアメリカからみた【神風特攻隊】


[ 第433振武隊 ]昭和20年5月25日~5月28日二式高等練習機で出撃
三瀬七郎少尉(愛媛県出身)/上島博治少尉(大阪府出身)/大塚要少尉(茨城県出身)
浪川利庸少尉(千葉県出身)/大島浩少尉(栃木県出身)/宮永松永少尉(沖縄県出身)
石川敏夫少尉(静岡県出身)/三浦宏少尉(福岡県出身)/本多勇少尉(長崎県出身)
倉田道次少尉(長野県出身)/永井三郎少尉(生還?)
篠崎隆則少尉(6/1出撃、エンジン不調で海上不時着、沖縄県伊平屋島に泳ぎ着き生還)
※青木健児少尉(5/29知覧着6/3,10:20頃第214/431振武隊と共に知覧を出撃。昇降舵破損の為知覧基地に帰投。
※小柳善克少尉(福岡県出身)(5/28万世より出撃、徳ノ島に不時着、6/1小西吉彦少尉と共に徳ノ島から再出撃。
 沖縄本島嘉津宇岳付近に不時着、戦死を遂げた。
※小西吉彦少尉(5/28万世より出撃、徳ノ島に不時着、6/1小柳善克少尉と共に徳ノ島から再出撃。
 沖縄本島嘉津宇岳付近に不時着、重傷を負い、そのまま山中に潜んでいたが10/29下山して捕虜となり、
 昭和21年3月29日浦賀に上陸して生還を果たした。
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▲第433振武隊員。二式高練(二式高等練習機)で出撃、沖縄西方海上の敵艦船群に突入、散華。


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<万世飛行場からの出撃>
特攻振武隊 出撃回数29回 戦死者数121人/第66戦隊 出撃回数19回 戦死者数72人
第55戦隊 出撃回数5回 戦死者数6人/その他 戦死者数2人
合計(戦死者数)201人
※特攻作戦の為に急きょ作り上げた万世飛行場は地盤が砂地で軟弱だった為、出撃した航空機は、99式襲撃機や
 二式高等練習機など、旧式の固定脚機が多かったと言われている。
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▲万世飛行場跡地にある海浜公園から吹上浜へ。70年前の空は多くの特攻機が飛んで行ったのでしょう。

17人のアリラン特攻隊員YouTube

幻の特攻基地「徳之島」 陸軍浅間飛行場
徳之島(鹿児島県大島郡徳之島町)には陸軍浅間飛行場があり、特攻機の不時着や、再出撃したりした島である。
昭和19年3月竣工。昭和20年3月下旬から沖縄上陸を狙う米軍艦載機の空襲が日増しに激しさを増してくる中で、攻撃
の前線基地を万世基地(鹿児島)から浅間陸軍飛行場に移すことになる。
昭和20年3月28日万世飛行場から進出した陸軍飛行第66戦隊第1中隊の99式襲撃機10機と飛行第103戦隊の4式戦闘
機「疾風」4機が徳之島浅間基地に到着した。兵士も住民も飛行機に駆け寄って機体に触れ「日の丸」を撫でたと言う
3/23以来、見るのは米軍機ばかり。日本機を間近に見るのは久しぶりであった為だ。
(浅間基地の戦力は、最大で、一般機21機・特攻機10機という記録が残っている)
3/29飛行66戦隊と護衛の103戦隊は04:30沖縄攻撃に出撃した。だが慣れない飛行場の為か離陸時に疾風1機が飛行
場外で爆破炎上、66戦隊も4機が後続機のプロペラに尾部をかじられ出撃は7機に留まった。
66戦隊第1中隊長 山崎武雄大尉は(篠原新吉中尉/坪井宗一軍曹)(今田義基少尉/長沢一郎伍長)(島崎昭二軍曹/播磨
勝三郎伍長)ら3機(99式襲撃機は2名乗)を率いて沖縄に向かい、米艦隊発見。
激しい対空砲火で山崎機は被弾、徳之島に帰還。篠原中尉機は沖縄本島西方面の米艦隊を爆撃し、徳之島に帰還した。
この攻撃で今田中尉機と島崎軍曹機が未帰還。今田中尉機は敵艦に突入、撃沈させたとしている。
[ 今田義基少尉(広島県出身)慶良間列島米艦隊に突入、戦死。享年23歳 ]
以来米軍による昼夜分かたずの攻撃で、飛行場としての機能を失い、幾多の若い兵士達の人命が犠牲になったあまり知
られていない陸軍の飛行場である。以下は「徳之島」陸軍浅間飛行場の記録である。
[ 昭和20年3月21日 ]
鹿児島県鹿屋基地を出撃した第721海軍航空隊の桜花隊直掩の零戦1機が空戦後に徳之島に不時着。
[ 昭和20年3月24日 ]
午前1時30分頃、索敵機が不時着。徳之島の独立混成第64旅団はこの偵察機から敵機動部隊北進中の情報を得る。
(沖縄本島(那覇)海軍小禄基地から飛び立った海軍「彗星」1機)
[ 昭和20年3月28日 ]
第6飛行団長(第3攻撃集団長)今津大佐直卒で、飛行第66戦隊(戦隊長 藤井権吉少佐)の第1中隊(中隊長 山崎武雄
大尉)99式襲撃機11機、護衛の飛行第103戦隊(戦隊長 東条道明少佐)の「疾風」8機が、鹿児島県万世基地から
徳之島に進出。▼陸軍99式襲撃機
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[ 昭和20年3月29日 ]
前日進出した機の内、66戦隊の99式襲撃機7機、103戦隊の疾風7機が午前4時30分沖縄周辺艦船攻撃に出撃。
(離陸時の事故で66戦隊の4機、103戦隊の1機が発進不能)66戦隊は2機未帰還、5機が小破、軽傷者3名を出した。
この日知覧から沖縄攻撃に出動した飛行第65戦隊の隼15機(襲撃機として使用)の大部分は、攻撃後に徳之島に
不時着した様だ(着陸機数不明)
第20振武隊(隊長 長谷川実大尉)の隼6機が午後5時過ぎに知覧から徳之島に進出。
(着陸時に1機が脚を痛めて4月2日に知覧に戻る)
誠第39飛行隊は新田原基地→3/28喜界島基地→徳之島基地3/29笹川 勉大尉以下8機「隼」で出撃(3名突入)
[ 昭和20年3月30日 ]
飛行可能な66戦隊の99式襲撃機5機に3名ずつが乗って万世に向かったが、途中で米戦闘機の攻撃を受け1機墜落。
この日65戦隊第1中隊の隼4機(中隊長 中神春雄大尉)が進出。
重爆3機で250キロ爆弾を8発などを九州から空輸(この日の在徳之島兵力は一般機12機、特攻機が最大で16機)
[ 昭和20年3月31日 ]
在徳之島兵力は第103戦隊6機、65戦隊4機、第20振武隊5機。誠第39振武隊の4機が出撃。
3機は突入し1機は徳之島に戻ったところをグラマンに撃墜された。この出撃を103戦隊の疾風(機数不明)が直援。
[ 昭和20年4月1日 ]
第20振武隊の5機が午前5時に103戦隊(指揮官 小川倶治郎大尉)の掩護を受けて出撃。
4機は引き返し1機のみ突入。
夕方、66戦隊の山崎武雄大尉率いる99式襲撃機4機が万世から進出。
更に2日にかけて66戦隊の99式襲撃機15機が万世から進出。
[ 昭和20年4月2日 ]
陸軍飛行第66戦隊6機の99式襲撃機が、第20振武隊 長谷川實少尉1機と、飛行第103戦隊久保元治郎少尉
矢作一郎少尉の「疾風」2機と共に出撃。
飛行第66戦隊 高山昇中尉(崔貞根)朝鮮出身/飯沼良一軍曹/路川存損軍曹の3機が未帰還、戦死。
飛行第66戦隊は特攻では無く、通常攻撃・護衛・戦果確認の任務だった。
残る99式襲撃機の石原一夫兵長/勝本多資軍曹/山崎殖林兵長の3機は帰還?。
未帰還となった高山昇中尉機は任務は通常攻撃にもかかわらず、被弾しながら巡洋艦に突入戦死。
※高山中尉(崔貞根)は朝鮮出身、沖縄戦で戦死した11名の朝鮮人特攻戦死者の1人である。
 飛行66戦隊には昭和43年11月に赴任。翌年7月戦隊と共にフィリピンに進出しレイテ作戦にも参加。
 そして沖縄戦では第3中隊の先任将校として、戦隊の中核パイロットの立場にあった。

早朝に66戦隊の99式襲撃機7機、103戦隊の疾風2機(小川倶治郎大尉と宮本林泰大尉)第20振武隊2機が出撃。
(第20振武隊は4機が準備されたが離陸時の事故で2機のみ出撃、突入)
103戦隊も離陸時の事故で蘇鉄也少尉が戦死。66戦隊は3機が未帰還。内1機は高山昇中尉(朝鮮名/崔貞根)と飯沼
良一軍曹の乗機で、巡洋艦に体当たりして撃沈したと報告された。
夕刻、第1攻撃集団(隊長 河原大佐)の隼18機と第21振武隊(隊長 水川禎輔中尉)の隼6機、第44振武隊(隊長 甲斐玉
樹少尉)の隼5機、飛行第59戦隊の飛燕7機)が徳之島への進出を図った。
103戦隊長東条道明少佐の回想によると、東条少佐は疾風4機を率いてこれに同行した。他に整備員を乗せた99式襲撃
機5機、97式戦闘機と直協偵察機の特攻機20機が同行したと言う。
しかし、第1攻撃集団は途中で2機が引き返し、2機が行方不明となり、14機が徳之島上空に到達した。
ところが飛行場は爆撃直後だった為、着陸時に7機が大破した。着陸時の事故で栗田三郎少尉(第44振武隊)が戦死。
東條少佐も着陸時に飛行機を壊してしまった。
午後3時10分~午後4時10分、第22振武隊(隊長 藤山二典中尉)の隼7機、第30部類部隊(隊長 大櫃繁夫中尉)の99式襲
撃機5機、第46振武隊(隊長 丹羽信博少尉)の99式襲撃機9機 を59戦隊の飛燕5機が掩護し、徳之島と喜界島に向かう。
第46振武隊は屋久島付近で米戦闘機の迎撃を受けて引き返し、第30振武隊は喜界島に進出した。
第22振武隊は藤山隊長率いる4機が沖縄に向けて午後3時に知覧を出撃、もう3機は午後4時に知覧を出撃した。
先行した藤山隊長は着陸時にグラマンの銃撃を受けて戦死、第22振武隊の1機と59戦隊の直掩2機も同じく撃墜された。
航続の3機は無事に進出した。
[ 昭和20年4月3日 ]
66戦隊の99式襲撃機5機が徳之島を出撃し、午前5時15分沖縄の米艦隊を攻撃した。1機未帰還。
※昭和20年4月1日午前2時半頃、鹿屋を出撃した「桜花」を積んだ第721海軍航空隊の一式陸攻1機は(台湾)新竹基地に
着陸していた。同機は3日に同基地を発進したが徳之島沖に不時着水し、全員が救助された。
[ 昭和20年4月6日 ]
徳之島には特攻機18機、襲撃機10機、戦闘機6機がいたが、この日は空襲で出撃できず。
第43振武隊長 今井光少尉が午後、隼で知覧を出撃し、同島に不時着。
第203海軍航空隊の制空隊の零戦1機が、空戦後の午後4時5分に不時着。
第210海軍航空隊の制空隊の零戦1機(直居欽也中尉)は徳之島上空で空戦後、被弾し徳之島付近海中に不時着。
漂流12時間の末、犬田布岬に泳ぎ着いて住民に救助される。
神園望大尉は沖縄周辺偵察のため偵察機「彩雲」で鹿屋基地を発進したが、米戦闘機の銃撃を受け被弾しながらも徳之
島の畑に着陸した。
挺身飛行第2戦隊の輸送機4機が午後5時に福岡県板付飛行場を飛び立ち、午後7時に着陸(徳之島へ通信機空輸の為)
[ 昭和20年4月7日 ]
第44振武隊の隼2機が出撃(隊長 甲斐玉樹少尉)が払暁、沖縄周辺米艦船に突入。
この日は空襲が激しく第20振武隊の2機が地上で破壊された。
[ 昭和20年4月8日 ]
挺身飛行第2戦隊の輸送機3機が徳之島に60キロ爆弾を落下傘で空輸投下。
[ 昭和20年4月9日 ]
第22振武隊は残る6機で沖縄攻撃を計画するが、空襲で1機を残して全て破壊される。
第42振武隊(隊長 猫橋芳賀朗少尉。機種は97式戦闘機)の中野友次郎少尉は、午後4時30分僚機と共に「喜界島」から
97式戦闘機で出撃するも、途中グラマンと交戦被弾し徳之島に不時着。
[ 昭和20年4月10日 ]
第30振武隊の2機に出撃命令が出るが、整備員の不手際で1機(横尾賢治伍長)のみ午前5時35分に出撃 突入。
66戦隊の99式襲撃機1機が喜界島に連絡に行った帰りに、徳之島着陸時に米軍機に撃墜される。
[ 昭和20年4月11日 ]
第22振武隊の残る1機「柴田秋蔵少尉」が沖縄へ出撃、突入散華。
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▲4/11早朝5時35分「柴田秋蔵少尉」は藤山隊長の遺骨と共に「隼」に搭乗「隊長と共に征くが世話になった。
 後日靖国で会おう」の言葉を残し、徳之島浅間陸軍飛行場より単機出撃。慶良間列島南方の敵艦隊に突入戦死。
同時に出撃しようとした第43振武隊長の今井光少尉は地上滑走中に弾痕に脚を落として出撃中止。
午後0時35分鹿児島県国分基地を発進した第601海軍航空隊戦闘308飛行隊の桂正中尉(零戦特攻第3御盾601部隊)は、
米機動部隊攻撃に向かう途中喜界島南方でグラマンと交戦し被弾、徳之島基地着陸の際に機体が転覆し重傷を負った。
[ 昭和20年4月13日 ]
早朝、喜界島から陸軍第六航空軍高級参謀の井戸田勇大佐を乗せた軍偵が進出。
(徳之島、喜界島両基地が引き続いて中継基地として使用可能かどうかの視察の為)
前日喜界島を視察して徳之島に飛来した。この日の夜に井戸田勇大佐九州に帰還。
進出時に軍偵は空襲で破壊されたので、第30振武隊の横田正顕少尉の機を取り上げて帰還した。
65戦隊の隼1機が12日夜に知覧を出撃して沖縄攻撃後、帰途喜界島に着陸。この日の朝、徳之島に飛来。
[ 昭和20年4月14日 ]
66戦隊の99式襲撃機1機が井戸田勇大佐を迎えに飛来(行き違いになった)
[ 昭和20年4月15日 ]
午前4時、第43振武隊長の今井光少尉は沖縄に出撃しようとするが離陸に失敗。
(これで徳之島の飛べる機体はゼロになった)
午後5時50分、第1国分基地を出撃した第601海軍航空隊(戦闘第310飛行隊)神風特別攻撃隊「第3御楯隊」の零戦2機
が沖縄上空で米軍と空戦後、徳之島に不時着破損。
第203海軍航空隊沖縄飛行場夜間銃撃隊の零戦1機が、攻撃後の午後8時15分に徳之島に不時着。
着陸時に爆弾孔に脚を突っ込み、機体は転覆大破。
[ 昭和20年4月16日 ]
飛行機を失った在徳之島の陸軍搭乗員の半数が船で奄美大島古仁屋に向かった(17日午前6時に無事到着)
その後喜界島から飛行機で九州に帰還する事となる。
[ 昭和20年4月17日 ]
在徳之島の陸軍搭乗員の残る37名が徳之島を出発。
[ 昭和20年4月18日 ]
午前4時50分、今津大佐は修理した飛行機で知覧に帰還。103戦隊の東条戦隊長も同じく帰還した模様。
[ 昭和20年4月22日 ]
午後2時40分に知覧を出撃した第105振武隊(隊長 林義則少尉)の藤野道人軍曹は97式戦闘機で沖縄に向かう途中、
徳之島近海で米軍機と空中戦となり墜落戦死。
[ 昭和20年4月23日 ]
前日、徳之島に不時着した第105振武隊の日下弘實伍長は単機沖縄へ出撃、突入戦死。
[ 昭和20年4月29日 ]
第77振武隊(隊長 須山佳市少尉)の金子誓伍長が97式戦闘機で単機沖縄へ出撃、突入戦死。
(金子誓伍長は前日知覧から出撃、徳之島に不時着していた)
[ 昭和20年4月30日 ]
65戦隊の隼5機が沖縄周辺艦船攻撃、帰途に徳之島を中継して知覧に帰還。
[ 昭和20年5月4日 ]
第百飛行団の「疾風」数機は徳之島に着陸して損害を出した。
[ 昭和20年5月11日 ]
※鹿島海軍航空隊で編成された神風特別攻撃隊「第2魁隊」94式水偵1機は、徳之島陸軍部隊上空で飛行靴に、
「吾 魁隊坂本少尉機、単機突入す」旨の紙片を入れて投下した。
知覧に帰還していた103戦隊の宮本林泰中尉が、沖縄飛行場爆撃の帰途に不時着。6月に帰還するまで滞在する。
[ 昭和20年5月17日 ]
66戦隊の99式襲撃機1機が沖縄攻撃の帰途に徳之島に不時着して知覧に帰還。
その1時間後に同戦隊のもう1機が不時着、米艦の対空砲火で偵察員は機上戦死、操縦者も負傷していた。
[ 昭和20年5月25日 ]
万世を出撃した第432振武隊(隊長 舟橋卓次少尉)の中島寛伍長は、2式高等練習機エンジン故障で徳之島不時着。
[ 昭和20年5月27日 ]
65戦隊隼2機が沖縄周辺艦船攻撃、帰途に徳之島を中継して知覧に帰還。
66戦隊99式襲撃機2機が沖縄周辺艦船攻撃、伊仙村と徳之島南端飛行場西海岸付近に不時着、搭乗員戦死。
[ 昭和20年5月28日 ]
第433振武隊(隊長 小西吉彦少尉)の2式高等練習機7機は万世を出撃後、徳之島に着陸。
この日のうちに再度沖縄に出撃。
第213振武隊(隊長 小林信和少尉)の板津忠正伍長は午前5時31分97式戦闘機で知覧を出撃、エンジン故障の為、
徳之島の海岸に不時着(板津忠正伍長は後に知覧特攻平和会館初代館長)
鹿児島県串良基地から出撃した徳島海軍航空隊第3次白菊特別攻撃隊15機のうち1機が徳之島に不時着。
[ 昭和20年6月1日 ]
第433振武隊 篠崎孝則少尉は沖縄に出撃。途中エンジン不調で海上に不時着、沖縄県伊平屋島に泳ぎ着いた。
[ 昭和20年6月3日 ]
午前11時、鹿児島県第二国分基地を発進した名古屋海軍航空隊編成の第四草薙隊の99式艦爆3機が不時着。
着陸時に1機が使用不能に。翌日2機に分乗して基地に帰還する途中、悪天候のため1機が行方不明に。
5月25日に不時着した第432振武隊の中島寛伍長は、戦隊の将校の操縦する飛行機に同乗して九州に帰還。
第111振武隊(隊長 鈴木泰治少尉)の島田昌往伍長は97式戦闘機で知覧を出撃、エンジン故障の為徳之島面縄集落
に不時着。
[ 昭和20年6月8日 ]
第634海軍航空隊の水上爆撃機「瑞雲」1機が沖縄攻撃の帰途に徳之島に不時着。機体は転覆した。
[ 昭和20年6月11日 ]
沖縄から脱出した第32軍航空参謀神直道中佐と誠第41飛行隊長寺山欽造大尉、第32軍航空班の藤田忠雄曹長が
99式襲撃機に乗って九州に帰還。
[ 昭和20年6月21日 ]
鹿屋基地を出撃した徳島空の第4次白菊隊8機の内1機が燃料欠乏のため徳之島に不時着した。
機体は大破したが搭乗員は無事だった。

沖縄に米軍が上陸する気配を見せると、陸軍第6航空軍は徳之島や喜界島を中継基地として3月29日から沖縄攻撃を
開始した。だが米軍は飛行場へ昼夜を問わず空襲を行ってその使用を妨害し、前進する日本機を途中で戦闘機で迎撃
して前進を阻止した。その為、4月6日頃からは徳之島からの出撃はほとんど不可能となった。
更に徳之島は対空砲部隊が配備されていなかった為、米軍機の跳梁を許し、輸送機で何回か爆弾を空輸したことからも
分かる様に、飛行場の整備も充分でなかった様だ。
最終的には13日の井戸田参謀の視察の結果、徳之島は不時着基地として使用し、海軍の対空砲部隊のある喜界島は、
まだ活用の余地あると判断された。
以降徳之島は陸海軍共に沖縄攻撃の行き帰りに使用する不時着基地として敗戦を迎えたのである。




拙い駄文を最後までお目通し下さり有難うございます。
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名護~糸満までの戦跡を、ガイドブックに載らない戦跡も含め、3日~4日程度で巡るSP戦跡ツアーとなっております。
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 2013_09_21

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今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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