哈爾浜③

Category: 中国東北部   Tags: 731部隊  

哈爾浜②からの続き。
「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」を見終えて陳列館の外に出ると、旧731部隊本部跡の広い敷地内に出る。
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731部隊本部の建物が見えた。
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▲電動カートが並んでいる。敷地面積が広いので利用する人もいるのだろう。私は歩いて見て回った。
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▲赤印が現在地だ。
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▲反対側は当時南門だった方向。新しい陳列館が出来る前はここが入口だった様だ。
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▼▲現存する当時の南門衛兵所
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新しい陳列館が出来る前は、この南門衛兵所で、外国人のパスポートチェックや売店に利用されていたとの事。
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731部隊は独自の防衛施設を備え、周囲は長さ5km、高さ2.5m、幅1mの土壁で囲まれていた。壁の上には高電圧フェ
ンスが張り巡らされ、壁の外には壕が掘られ、土壁に沿って5つの衛兵所が設置されていた。
この南門衛兵所は日本人が本部大楼などに出入りする為に利用された通路で、現存する唯一の衛兵所。
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▼中に入る事も出来る。
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南門衛兵所の本来の位置はもう少し手前で、戦後奥に移設されているそうだ。
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さぁ、部隊本部を見学に行こう。
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部隊本部の建物は戦後、撤退の際に吹き飛ばされた屋根を修復し、哈爾浜市第25中学校として利用されていた。
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敷地内に新しい学校が完成し、子供達が新しい校舎で元気に学んでいた。
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731部隊本部が近づいてきた。赤煉瓦などは新しい物で修復されているのだろう、かなり綺麗な印象だ。
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保存に対する中国の気合を感じる修復だ・・・。
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昭和13年竣工の本部建屋には部隊長事務所、侍衛官室、診療部、標本陳列室、憲兵室などが設置されていた。
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▼正面玄関から東側棟を見る。
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▼正面玄関から西側棟を見る。
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731部隊本部大楼正面入り口には警備員らしき人が立っていた。
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早速、中に入っていく。
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2階へ通じる階段が正面に見えるが順路ではなさそうだ。
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731部隊本部建屋の見取り図だ。
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▲敷地地図
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1階部分を玄関より左右撮影。
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色々な部屋がある様だが、個別に見学する事はしなかった。
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▲この様に各部屋の入口には説明版があるのだが、何故かほとんどの入口に鍵がかかっていたからだ・・・。
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▲1階部分を東へどんどん進んでいく。
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▲突き当り手前で振り返って撮影。
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▲突き当り。
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▲突き当りの部屋は「人事課」となっていた。
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▲2階へ通じるこの細い階段は、石井部隊長の部屋に通じる部隊長専用階段だったそうだ。
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▲その階段を登り切るとご覧の通り。石井四郎陸軍軍医中将の使用していた部屋が再現されていた。
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豪華と言えば豪華だが、幹部の部屋としてはどこも同じかな?という印象だ。
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ただ、本土と違うのはやはり広さだろう。広い満州では建物・間取りが全てにおいて大きい。
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「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」で見たジオラマは此処を再現しているのであろう。
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ここで石井中将は、自分の天下が未来永劫続くと思っていたのだろうか・・・。
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現在は逆にその部屋が負の遺産として未来永劫保存されてしまった。
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部隊長以外は正面玄関の階段を使って2階へ行き、廊下の突き当りの石井部隊長の部屋を訪ねるという設計だ。
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多くの人が部隊長を訪ねて来たのだろう。待合場(接待室)が設けられている。
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▲「接待室」の隣は「副官室」
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中央階段に向かって2階部分を更に進む。
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中央階段が見えた。
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▲▼中央階段からの外の眺め。
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1階に降り、731部隊本部を後にした。
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▼正面に見える黒い建物が先程見学した「侵華日軍第七三一部隊罪障陳列館」だ。
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▼南門衛兵所の方を振り返って撮影。
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▼見えている2階の一番手前が部隊長の部屋だ・・・。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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本部建屋と繋がっている平屋の建物は武器庫だったらしい。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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中国語オンリーで良く解らない・・・。
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▼途中から黒い鉄骨に変わっている部分から先がロ号棟だった敷地。徹底的に破壊し尽されて痕跡が残るのみ。
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▼2008年11月に撮影された上記写真とほぼ同じアングル。かなり手が加えられている事が判る。
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▼少し疲れたのでベンチで休憩する事にした。
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▲目の前の鉄骨は、ロ号棟跡地を屋根で覆う為に作られた雨除けだ。
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▲ベンチで休憩していると、1人の中国人男性が話しかけてきた。名前は周(シュウ)さんというお名前だそうだ。
 ほとんど話せない日本語を使い、一生懸命話をしてくる姿に感心し、「案内したい」との誘いをお受けした。
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周さんと一緒にロ号棟跡を見学する。
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雨でも雪でも見学出来る様に屋根が設けられ、まるで古代遺跡の様なロ号棟の基礎が保存されている・・・。
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▲「爆破地点」と書いてある。最初は建物の外から高射砲などで破壊を試みたそうだが、びくともせず、建物内で通常
のダイナマイトを爆破。それでもヒビが入る程度だったのでトラックで大量の500キロ爆弾を運び込み、それでやっと
破壊して証拠隠滅が行われたという。
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▼特設監獄7棟跡(7号牢獄)
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資料の通り赤煉瓦作りだった様だ・・・。
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▼特設監獄8棟跡(8号牢獄)
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ここに多くの囚人が監禁されていた・・・。
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▼ここにもロ号棟の模型が置いてあった。
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▼本部建屋と繋がっていた部分だ。
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▼ロ号棟跡から本部建屋をみる。
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周さんの案内で次へと移動する。
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▼周さんはマスクを欠かさない。綺麗になってきたと言っても中国の空気は良くはない。喉はイガイガのままだ。
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気が重い見学で、私が無口で居ると「70年前気にしない」と、宥める様に何度も声をかけてくれたのが印象的だった。
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▼▲本部建屋をさっきとは反対側から見る。
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▼周さんが「731ふたいある731ふたいある!こっちこっち」と、沈み気味の私を端の場所に連れっていってくれた。
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これには驚いた。731部隊が所有していたであろう旧日本軍?の兵器が無造作に放置されていた・・・。
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トラックで牽引するタイプの機関銃?高射砲?だろうか・・・旧日本陸軍?のこの兵器は初めて見た。
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▼▲「どうぞどうぞ」と座る様に言ってくるので座席に座ると、機関銃の角度も回転テーブル?もスムーズに動いた!
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「関東軍防疫給水部本部」と言っても軍隊だからね・・・空襲は無かっただろうから使って無いと思うけど。
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しかし、空からの備えとしては貧弱に思ったが、当時はもっと数があっただろうし、据え付け型もあったのだろう。
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▼「こっちこっち!」と周さんが呼ぶので行ってみると、何ともう1台あった!
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生産数が極端に少なかった「四式高射砲」か?それとも中国軍(朝鮮戦争当時)の物か??か??
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こちらはサスペンション部分が崩壊していた。
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しかし砲塔はしっかり残っている。「流石日本製!」と言いたいけど此処では言わなかった。
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▼名盤は残ってないかと必死に探したがそれらしい物は写真の物だけだった。僅かに数字が読み取れた。
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旧日本軍?の兵器に触れて少し気が晴れた所で、また周さんと一緒に次の見学場所へ移動した。
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周さん有難う。
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▲次に見学したのは結核実験を行っていたと言う二木班の建物で、昭和60年に一部復元されたもの。
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病理試験室だった二木班の建物は昭和14年に建てられたが、こちらも部隊撤退の際、他の施設と同じく爆破された。
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当時は地下室も備えた実験施設として機能していたという。
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二木班の班長は二木秀雄。731部隊第一部第十一課(結核研究班)班長。
第731部隊慰霊碑である「精魂塔」(東京都にある多磨霊園内に昭和31年11月建立)の建立に尽力した人でもある。
実験材料にされた中国人・ロシア人もさることながら、731部隊員も約300名近い犠牲者が出ており、全ての犠牲者を
供養する意味もあるという。「懇心平等万霊供養塔」とも言う。
しかし、戦後、占領国であるアメリカとの取引により、裁判にかけられることもなく、存在自体が闇に葬られ、731部
隊第二部隊長だった北野政次、そして防疫研究室を取り仕切り、731部隊を国内で支えた内藤良一、そして二木秀雄の
3人は、共同事業の形で日本初の血液銀行を設立。
朝鮮戦争の際、米軍がその血液を大量に購入してくれるので当たり前のように事業は大成功。
後に「ミドリ十字」と命名された有名な会社である。 高度経済成長の中、ミドリ十字は日本有数の製薬会社に成長し、
昭和53年には米国アルファ・セラピュウテック社を買収。 この子会社はアメリカ貧民層の血液を恐ろしく安く買い集
めてミドリ十字に送ったのである。これが結果的に、薬害エイズ問題へと発展していった経緯がある。
旧日本陸軍731部隊隊員は、終戦後、米国との取引により活動時の内容を公開しない事となっているので、軍籍時の階
級等を示す形での墓石は存在しない。 戦犯を免責されたこれらの軍医達は、石井部隊長の命令を守って、部隊で行った
「人体実験」の事を絶対に口外しないことを誓って全国の大学や研究所などに散っていった。 その後彼等が年に1度集
まる親睦会「精魂会」の名簿は、副知事・大学学長・大学教授・病院長・研究所長・研究教授等の肩書きが並ぶ。
いずれも731部隊で中心的役割を果たしていた人物ばかりだ。この方達がいかに戦後、日本の医学会で影響力の大きい
地位を得ているかが想像出来る。
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平和な現在の結核実験施設跡周辺にはアヒルが元気に遊んでいた。
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次の見学に向かう。
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▲ロ号棟跡と次の見学地との間には、731部隊跡地敷地内の真ん中になんとマンションが建っている(写真左側)
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▲マンションをかわすような道を通って次の見学地へ。広い中国、あえて此処に住まなくてもいいのにな・・・。
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▲当時の遺構と思われる赤煉瓦塀
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▼簡単な門を通って敷地内に入る。
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▼凍傷実験(凍傷研究)の建物が・・・。
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▼吉村班(吉村寿人班長)の冷凍実験室。何とも不気味な建物だ・・・。
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元がどの様な施設だったか見当もつかない位に朽ち果てている・・・当時の写真等の資料も無いのでわからない。
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しかし、ここまで残っているという事は、此処は破壊途中で帰国したのか・・・。
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零下100度以上の速凍実験など、マルタと呼ばれた囚人を使って様々な実験が行われていたという。
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▼裏側にまわってみる。ガレージの様になっている・・・。
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▼早速ガレージの入口へ。
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▼入口横にも防空壕の様なコンクリートの遺構。今は掃除道具入れかな?
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中に入る・・・。
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凍傷実験施設だったという先入観からかもしれないが、寒気がした・・・。
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振り返って入口を撮影。
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いくら給料の高い731部隊と言えど、此処で働いていた隊員はさぞかし嫌だっただろう・・・。
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天井が普通の構造とは違う・・・冷凍室だから?誰よりも一番嫌だったのはマルタと呼ばれた囚人達だろう・・・。
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こんな不気味な戦争遺跡は初めてだ。丸型にくり貫かれた部分が異様な雰囲気をかもし出している・・・。
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凍傷実験施設を後にして次へと向かう。赤煉瓦塀が一帯に残る。
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▲「鼠飼育小屋」が見えた。動物実験の為に大量の鼠を飼育していたところだ・・・。
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▲防空壕かと思ったが、地下でも実験用の動物を飼っていたのか・・・。
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扉には鍵がかかっており、周さんに尋ねると、公開していないとの事。
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「鼠飼育小屋」へ向かう。
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振り返って撮影。
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「鼠飼育小屋」は入る事が出来る。
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何度もベニア板を張り替えているとは思うが、よく70年以上も建っているものだ。
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本当に戦争は色んな事をするもんだと改めて思う。「勝つ為に」結局、安くて楽に人を殺せる方法に流れてしまう。
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ある意味これも「戦跡」である・・・。
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特別班動物舎担当は石井部隊長の実弟、石井三男であった。石井三兄弟は、部隊長の四郎、特設監獄(丸太)担当の剛男
の三名が各部署の幹部として働き、731部隊に入隊する者は、圧倒的に石井兄弟の実家のある加茂(千葉県)の出身者が
多かった。縁故関係や郷土意識の強い者を集め、極秘の作戦や研究の秘匿性を強固なものにしていた。
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▲「鼠飼育小屋」を出て、マンションの方向を見ると、何やら慰霊碑の様なものがある・・・。
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何だこれは・・・?
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「謝罪と不戦平和の誓い」と書かれている・・・日本政府が建てた物では無さそうだ。でも日本語だ・・・。
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「日本ABC企画委員会一同」って何だ??2010年8月15日ってまだ新しい・・・元部隊員が建てた物でもなさそうだ。
敗戦後、米国との取引により活動時の内容を公開しない事となってから既に50年以上。アメリカ国家機密情報は50年
後公開されるというのを聞いた事がある。当然影響力の高い情報は滅多な事では公開されないと思うが、大量の人体実
験の資料が出回っている事からすると、アメリカ国立公文書記録管理局で50年後に公開された可能性が高い。
日本政府は、敗戦直前に生体実験の資料が焼却された事を理由に、どんな実験をしていたのかや、被害の実態を明らか
にはしていない。事実上はアメリカの傘の下で現在も「認めていない」立場のはずだが、いつまでも難しいだろう。
中華民国の国民党と中華人民共和国の共産党の争いの中で共産党が勝利したのは周知の事実。
日中共同声明は昭和24年(1949年)建国の中華人民共和国と交わされた中国と日本の約束が色々盛り込まれているが、
中華民国の国民党は日本に賠償を求めていた。しかしアメリカの強烈な圧力で賠償を諦めた。なので今の中華人民共和
国が昔を蒸し返して賠償を請求する様な器の小さい国では無いと思うし、「許すけど忘れない」と言ってくれている。
なので、日本政府は731部隊の事を今後どの様に日本国民に説明するのかにかかっていると思う。
世界の人達は知っているけど日本人は知らないというのは非常におかしな事で、それが色々な戦史で捏造を増殖させる
原因の1つになっていないだろうか。日本は戦後自由にものが言える国になったからといって、こんな重要な石碑を日
本政府の立場抜きに建ててしまうのも如何なものか?とも思った。でも、こうでもしないと前に進まないのか・・・。
 2014年2月完成の京都大学医学部資料館(京都市左京区)で、戦時中に同大学の医師が関与して細菌兵器を開発してい
た731部隊を説明する展示パネルが、直ぐに撤去された事もあった。ヤフーNEWSでも直ぐ消えた事を覚えている。
資料館は明治35年に建てられた医学部系統解剖講義室(旧解剖学講堂)で、京都大学歴史的建造物に指定されている。
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あからさまに頭を下げたりはしなかったが、石碑の前で目を閉じ、黙って犠牲者の冥福を祈った。
(※目を開けると、目の前のマンションの部屋から住民が何人かこちらを見学していた・・・。)
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周さんが「70年前気にしない」と、また言ってくれていた。優しい人だ・・・周さんと一緒に次の見学に向かった。
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731部隊専用の満鉄線の引き込み線路が今も残っている。
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▲上記2枚の写真は北向に撮影。
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ロ号棟などの主要施設を破壊した後、昭和20年8月11日~15日にかけて731部隊員やその家族は、ここから満鉄特別
貨車の約40両連結に乗って南下。安東を抜けて8月18日~8月25日、朝鮮(釜山)から船で舞鶴・島根・山口・長崎(佐
世保)などの本土の港に大量の資料や物資と共に帰還している。
昭和20年9月25日に石井四郎部隊長も帰国。アメリカと取引後の昭和26年に朝鮮戦争の前線に向かう。
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▲写真の南方向(朝鮮)へ撤退。当時関東軍のほとんどが南方戦線へ送られ、満州は放棄されたに等しい状態だった。
「沖縄戦」で紹介している第9師団(沖縄米軍上陸前に台湾へ移動)や第24師団は北満州からの移動。
北支那からは、独立混成第44旅団・山西省から第62師団などが沖縄に送られていた。
以下は満州から南方等に引き抜かれた関東軍の各師団。
昭和19年2月第14師団がパラオ諸島へ。第29師団はグアム島、第27師団は中国戦線。
昭和19年6月第9師団は沖縄➡台湾へ。第28師団は宮古島。
昭和19年7月第24師団は沖縄へ。第8・1・10師団と戦車第2師団はフィリピン。
昭和19年10月第23師団もフィリピンへ。昭和19年12月第12師団は台湾。
昭和20年1月第71師団も台湾へ。昭和20年3月第25・11・57師団と戦車第1師団は日本本土防衛へ。
昭和20年3月第111・120・121師団は朝鮮へと、満州の兵力は、そのおよそ三分の二が引き抜かれていた。
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▲線路からは巨大なボイラー室跡の遺構が見える。
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731部隊本部ボイラー室跡。観光案内等の写真に必ず掲載されている遺構だ・・・これか・・・ついに来てしまった。
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このボイラー室から731部隊施設全体に給湯され、セントラルヒーティングの設備が整っていた。
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▼何やら鉄骨が組まれている様だ。ひょっとして復元するつもりなのだろうか・・・!?
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ここで多くの資料が焼却された為、撤退の際に爆破され、3本あった中で2本の煙突のみがかろうじて残っている。
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原爆ドームの様に各所の補強は見られなかった。よくこの状態で70年以上も立っているものだ・・・。
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▼当時は3本の煙突が聳え立っていた事が古写真で確認出来る。
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▲▼この赤煉瓦であったであろう小屋も、周さんの話では731部隊本部当時の建物だそうだ。
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ボイラー室跡をぐるり一周して見てまわった。
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次は毒ガス実験室に向かった。
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ここも中に入る事が出来、2階部分に案内された。周辺が工事中だったが、周さんが特別に入れてくれた様だ。
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2階から見学していく。
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中央に小部屋があり、左右それぞれに大きな部屋が設けられている。
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▲入って右側の部屋。セントラルヒーティングの設備が残っている。
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▲入って左側の部屋。ここが毒ガス研究施設だった事を伺わせる物は何も残っていない。
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▲続いて1階の入口。扉が閉まっていたが、鍵がかかって無かったので開けてみた。
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工事現場の人達の物だろうか・・・物置きと化していた。此処は入ってはいけなかったのかもしれない。
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周さんが居なかったら、恐らく入る事は出来なかったであろう。
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セントラルヒーティングの設備は当時のままの様な気がした。
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1階の方が何か生々しい・・・実験施設だった匂いがプンプンする・・・。
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何か普通の部屋では無かった様な匂いがプンプンする・・・こんな間取りは珍しい。
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一通り見学して毒ガス実験室を出た。
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▲私が出ると、周さんが直ぐに1階入口の鍵をかけた。何人かの中国人が周さんに「見せろ」的な言葉を発している。
 この時、周さんがボランティアガイドの様な、この施設の何らかの関係者である事を確信した。周さん有難う。
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毒ガス実験室の隣は、半地下の毒ガス貯蔵庫。
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ここが正規の入口の様だが中に入る事は出来ない。
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地下で繋がっているであろう大きなコンクリート製の貯蔵庫が見える。
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▼朽ち果てかけていた扉の中にカメラをねじ込んで中を撮影。赤煉瓦塀で仕切りがされ、しかも綺麗に残っている。
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これで全ての遺構を見学し終わった。周さんにお礼を言って731部隊本部跡を後にした。
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この「負の遺産」を見学しに来る日本人は年間40人程だと周さんが言っていた。納得の数字だ。
私も、今回の「祖父母の軌跡を辿る旅」で東北部に来ていなかったら、一生来る事は無かっただろう。
訪れたからと言ってこれまでの考え方が変わる訳では無い。ただ事実としてこの目に焼き付けて日本に帰るだけだ。
かなりの長編となってしまった731部隊跡だが、このブログを閲覧している方達には、「行った様な気分」になって頂
ければ幸いだ。何故なら、日本人がわざわざ哈爾浜に足を運んでまで見学する価値があるかどうか疑問に思うからだ。
恐らく此処まで731部隊跡を紹介しているブログは他に無いと思うので、行った気になって、現在の状況・中国が言わ
んとする事を、個々それぞれが自分の意見と照らし合わせながらじっくり閲覧して頂ければそれで十分だと思う。
もし、このブログを閲覧しても、どうしても現地で見学したいという方がおられるのであればご連絡下さい。
信用出来る現地付き添い人(中国人)をご紹介します。(周さんではありません)
 pochetteevnara@gmail.com までお気軽にお問い合わせ下さい。
以上、中国東北部(旧満州)旅行、その6「哈爾浜旅行記③」を終わりとします。
次回は、その7「丹東(旧安東)旅行記」をお届けします。


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 2017_06_14

Comments

Re: 有難う御座います、 

Etsuo Tony Ooka 様
コメント有難うございます「許すけど忘れない」その通りの様ですね。見せしめの為に「残した」のだと思いますね
わざわざ哈爾浜まで731部隊跡を見に来る日本人は珍しいでしょう。「普通」は行かないですね。2015年8月15日に新し
い陳列館が出来てから100人も来てないと思いますよ。聞いた話では年間40人程日本人が来るそうです。
WhitePigeon  URL   2017-06-16 00:43  

有難う御座います、 

有難う御座います、良く此処まで「残した」、「残っていた」、「許すけど、忘れない」、アメリカで聞いた中国人お言葉です、思い出します、此処を目にした日本人は何人いるのでしょうか、有難う御座いました。
Etsuo Tony Ooka  URL   2017-06-14 23:48  

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今の日本があるのは英霊達の戦ってくれたお陰だと思っています。慰霊と感謝の念を伝える為に各地戦跡に足を運んでいます。少しでも多くの方に太平洋戦争(大東亜戦争)がどの様な戦争だったのかを知って頂き、軍民問わず全ての英霊に感謝する事をお伝えしたくて当ブログを書いています、画像・情報提供して頂いた方々に感謝申し上げます。
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